2018年10月31日水曜日

山﨑十生「抱くごとく抱かれる如く草の花」(「WEP俳句通信」106号より)・・・



 「WEP俳句通信」106号(ウエップ)の特集は「わが俳句、先の一歩をどうするか」、坊城俊樹、岸本尚毅、武藤紀子、前北かおる、横澤放川、林桂、鳥居真里子、神田ひろみ、田丸千草、三宅やよい、森須蘭、坪内稔典、西池冬扇の13名が執筆しているが、当然のことながら、具体的な作品を提示することは困難であったろうと推測する。この先の一歩だから、なおである。その中では、坊城俊樹が、論の結びに、

 この無意味性こそが私自身の目指す俳句である。
 棒となり蠅となり虚子銀河へと     俊樹

と、潔く断定してみせている。また、目指すべき志として、岸本尚毅は、

 俳句においても「夏芝浜」が生まれる可能性を信じたいと思う。

と、・・その心は、

 「夏芝浜」は「芝浜」の「正解」ではなく、「変化」を求めを新しみを求める試みなのである。

という。この先に対して、誰もが抽象的ではあるものの前向きなのであるが、林桂は、冷静に自らの置かれてる俳句史的位置づけをできるだけ明らかにし、分析してみせている。  その俳句の現在とは、

  ここで、見ておくべきは、「自己表現」の主題など「欠落」させても、俳句は成立するという「現在」の表現認識であろう。

 と的確である。そして、自らの俳句行為を、時代の一回性を生きる覚悟といい、

 この狭間で書くことに道を拓くことが可能か。「我」の解体を違和感としつつ、「我」の隣人の「我」を探るような道を彷徨ってきた。時に多行形式を援用し、時に「詞書」による「俳句」の場を仮構しつつ、遠くの「我」ではなく、近くに反語的に現れる「我」を「書き」とめようとしてきた。

 と述べ、誠実である。誠実と言えば、おおむね女性の執筆陣は誠実な印象であった。神田ひろみは「私は今日も、飾らない言葉で句を詠んで行くほかはない」といい、森須蘭は「次の私に会うために、俳句を書いているの」、三宅やよいは「ぼんやり思っているのは難しい言葉を使わないこと。驚きがあり、覚えやすい俳句を作りたい」という。鳥居真里子は、これも誠実に「自ら納得できる作品がいまだ皆無であるー。おそらくそんな飢餓感がその作業を支え、突き動かしているのかも知れない」という。
 それらに比べて、坪内稔典は、金子兜太が亡くなるのを待っていたかのように(もっとも若き日の金子兜太批判によって、かの愚生は感銘していたのであるが)、

 (前略)存在者と呼んで兜太を担ぐ俳人などがいたし、その人々に兜太ものっていた。担ぐ人々も担がれる兜太もだめだとおもった。

 と言うが、兜太健在の時にそうした言葉が聞きたかった。かつて愚生は坪内稔典に俳句ゴロと言われたことがあるが、坪内稔典は今ごろ、ゴロを巻いているようだ。そして、結論を以下のように、津田このみ「裸たのし世界よ吾に触れてみよ」と紀本直美「太刀魚のフライ広島のサムライ」の句をあげて、

  このみは一八六八年生まれ。長野県松本市に住む。「裸楽のんし」は季語+思いのパターンだが、「世界よ」という呼びかけの大胆さ、おおらかさがパターンに新しい空気をもたらした。この句の前では橋本多佳子も桂信子も色あせる。
 直美は一九七七年生まれ。フライとサムライの取り合わせが絶妙というか、その音感にわくわくする。なんだか分からない不思議さも残るが、それもまた魅力である。
 〈兜太〉のつまらなさ、それをこのみと直美の句がカバーしているのではないか。

 と述べている。その他、本誌では、その兜太をかついで創刊された雑誌「兜太」(編集主幹・黒田杏子)の編集長を務める筑紫磐井の連載「新しい詩学のはじまり⑯ー伝統的社会性俳句⑨能村登四郎の社会性俳句(2)『合掌部落』」では能村登四郎と金子兜太の社会問題に対する見方の違いを述べて、興味深い。さらに、「豈」同人である北川美美「三橋敏雄『真神』考⑲-配列の検証ー季と無季(後編)」は、愚生と同人仲間の贔屓目であろう、と言われるかも知れないが、いよいよ佳境に差し掛かってきているようだ。
 ともあれ、兜太の弟子で若手の宮崎斗士(1962年生まれ)と同世代小暮陶句郎(1961年生まれ)の句を一句ずつを挙げておこう。

   とんぼという語感そのまま指先に    宮崎斗士
   目の端に君置き郡上踊かな      小暮陶句郎



2018年10月30日火曜日

髙橋龍「御遺体と呼ばれるまでの秋の風」(『人形舎撰句帖』)・・・



 髙橋龍『人形舎撰句帖』(高橋人形舎)は、『高橋村風子句集』『草上船和讃』など、これまでの9句集に、第10句集「病状三尺」を加えた撰句集である。いわば高橋龍のエスキスがつまっている句群である。ますます自在に、ヒューモアに、新句集相当の部分は、題名からして、子規をもじって「病状三尺」である。その扉書には、

  平成二十六年十月腹部大動脈瘤手術
  平成三十年七月再手術
  平成二十八年十二月肺気腫
           酸素吸入器使用

 とある。しかし、何と言っても、無念極まりなく、愚生を嘆き驚かしたのは、次の句に出会った時である。

     悼・寺田澄史
  時代(ときよ)・現在謐(いましづ)かに酓(つめ)る鞶(かはぶくろ)

「むすび」には、「平成三十年三月三十日、寺田澄史さんが肺炎で死去された。寺田さんにはほとんどの句集の造本計画、イラスト、口絵などを細部に至るまで御気遣いをかたじけなくしていただいた。謹んで御冥福をお祈り申し上げる」とあったからだ。
 革職人でもあった寺田澄史は、髙柳重信の一部限定特装本を自ら手造りしていた。その昔、愚生が20代の初め、髙柳重信に会っていた頃、「今、学ぶんだったら、折笠美秋や寺田澄史だな・・・」と言われたことを思い出す。また、しばらくして分かったことだが、「豈」の表紙絵をいただいている故・風倉匠とも交流があった人だった。ともあれ、集中よりいくつかの句を挙げておきたい。

  伝言板師走ある日のわが名書かれ     高橋村風子句集(1981年)
  河灼けて曲る八月十五日       続・高橋村風子句集(1990年)
  提燈の真上さびしく明るけれ         草上船和讃(1974年) 
  一対の1/2はわれである           翡翠言葉(1980年)
  死後に立つ浮名はよけれ桜鯛            悪對(1992年)
  十二月八日の朝の霜柱           平成月次句集(1994年)
  校庭はダリアグラジオラスカンナ          病謀(1997年)
        戦地より墓地にかへるや冬の月          後南朝(2001年)
  オルガンのオルガニズムは綻(やぶ)れたり     異論(2010年)
  六月や全学連は死語ならん           病状三尺(2018年)     
  運命愛(アモールファティ)はニーチェの言葉茂吉の忌  〃
  八月や言へぬ原爆ドームの美              〃
  ベルリンの壁の隙間の帰り花              〃
  濁音のエロ/中心(はまぐり)と周縁(さんかくす)   〃
   ズ(・)ロース、ブ(・)ルマー、そのゴ(・)ム紐の跡、ビ(・)キニ
   (「バ(・)イブ(・)ル」も)/蛤は女性器、三角州は言ふに及ばず。

 これらの作品は15歳から80余歳まで、若い時の句は意気込みが恥ずかしく除外した句も多いという。

 ・寺田澄史(てらだ・きよし)。われわれは、(ちょうし)と呼んでいた。新潟県水原生まれ。1931年7月14日~2018年3月30日)。
 ・髙橋龍(たかはし・りゅう)1929年5月、千葉県生まれ。




★閑話休題・・・「自由律俳句協会が発足」↑・・・

 去る10月6日(土)、江東区芭蕉記念館に於て「自由律俳句協会」(会長・佐瀬広隆)が設立された。
 先年「自由律句のひろば」が解散して、いわゆる自由律俳句陣営の結集軸がなくなっていたが、よく創建に至ったと思う。その設立趣旨は「自由律俳句協会ニュースレター」によると以下のように記されている。

 ○開かれた組織につとめる。
 ○異論は、排除せず異論として尊重し、両輪を維持、一致したところで決定する。
 ○結社と協会、グループ、及び個人は競合するのではなく、協会はサポートの立場貫 き、できる支援を提供する実務部隊。
 ○「協会」が長く続くこと。
 ○各部から、この一年の活動を提案(総会で報告後承認)。それに従って実行委員会形式で実行する。

 とあった。当面、文学フリーマーケット(11月25日・東京流通センター第二会場)、防府市・山頭火ふるさと館の第一回自由律俳句大会(投句締め切り・12月31日)、第二回尾崎放哉賞(投句締め切り・11月30日)、第21回自由律俳句フォーラム(11月23日・芭蕉記念館別館)、木村緑平顕彰会「雀のことまで気にして貧乏している 緑平」の活動などの予定があるという。詳しくは自由律俳句協会ホームページをご覧あれ。
  

2018年10月29日月曜日

渡辺喬子「海からも山からも風墓洗ふ」(第54回府中市芸術文化祭俳句大会)・・・


           講評する大久保白村↑

 昨日10月28日(日)は、童謡100年記念事業/第54回府中市芸術文化祭俳句大会(於:府中市民活動センター「プラッツ」)・府中市俳句連盟(会長・笹木弘)だった。主選者は大久保白村。特別選者で出席したのは、松川洋酔・倉本俱子と愚生。当日句会の席題「松手入」と「秋簾」。愚生は、隣りに座られた旧知の松川洋酔の次の句を特選にいただいていた。

   青空を引き寄せ松の手入れ済む    松川洋酔


大久保白村の当日の句は、

  仕舞ふのが面倒なだけ秋簾      大久保白村

  

 何気ない光景ながら味わいのある句だった。主選者の大久保白村は大先輩であり、「ホトトギス」の重鎮である。父も俳人で橙青を名乗る初代海上保安庁長官、衆議院議員・大久保武雄である。著書に『海鳴りの日々ーかくされた戦後史の断層』『原爆の証言』(今年英訳付きで再販された)などがある。
 当の大久保白村は1930年東京生まれで、今は俳句をユネスコの世界文化遺産に登録するというので、お忙しいらしい。キーワードは「俳句」、俳句で平和に貢献するということだという。中曽根元首相も俳句をやっていたので、金子兜太、有馬老人、宮坂静生、鷹羽狩行など各俳人団体とともにその名があったように記憶している。

 ともあれ、以下に兼題の部の句を紹介しておこう。

 市内の部一位 海からも山からも風墓洗ふ     渡辺喬子
     二位 手花火の後ろの闇が膨らめり    笹木 弘
     三位 新涼や独り将棋の駒の音      青柳 惠

 市外の部一位 門灯を消した虫たちに返す闇    小野富美子
     二位 西瓜切るところと言はれ上がり込む 新保徳泰
     三位 工房の木屑匂へる今朝の秋     吉沢美佐枝
     7位 ポケットの木の実を握る喪の帰り   山中とみ子
     8位 白南風や軍艦島に湯屋の跡      鍬守裕子
     9位 いとど跳ぶオール電化の台所     倉本俱子
    10位 万年筆の字の太りたる敬老日     髙橋小花
    11位 ほうずきの中まで染めてくる夕日   中山遊香
    12位 水明りして一木の紅葉かな      林冨美子
    13位 遠花火それより遠く父母眠る     青木一夫
    14位 放ちやる落蟬声を手に残し      日吉怜子
    15位 水澄むや銘菓のやうな石拾ふ     松代展枝  

 因みに愚生の「兼題」特選の三句は以下である。

        一礼に返す一礼天高し      村田のぼる
        黙禱のときを尽して蟬しぐれ    保坂末子
        西瓜切るところと言はれ上がり込む 新保徳泰
        


2018年10月28日日曜日

間村俊一「江戸俳諧歳時記花の意氣土産」(『彼方の本』)・・・


           奥方と間村俊一↑

 間村俊一の仕事『彼方の本』(筑摩書房)、一昨日10月26日(金)は、「間村俊一装幀集『彼方の本』刊行を祝ふ会」(於・アルカディア市ヶ谷)だった。久しぶりに旧知の皆さんとお会いする機会を得た。
 愚生が間村俊一と最初に会ったのは、「俳句空間」(弘栄堂書店版)の編集をやっていたころだから、彼是30年近く前にのことになるだろうか(彼は忘れているかも知れないが)。福島泰樹編集の総合雑誌・季刊「月光」の広告版下をもらいに、飯田橋にあった事務所に伺っていたのである。もちろん、「月光」の表紙の装幀・本文レイアウトも間村俊一で、その雑誌に拙作の俳句を寄稿したこともあった。従って、本書中には、当然ながら、『福島泰樹全歌集』などの福島本の装幀もあり、「泰樹さん二句」の詞書のある次の句が置かれている。

   ヴァンテージ巻けばたちまち冬怒涛     
   リング四角い荒野であらば燕͡来よ

 また、集中には間奏句集として「ボヴァリー夫人の庭ー本あるひは装幀にまつわる五十五句」が収められている。それにはすべての句に「俳句装幀偽日記」として前書が付されている。巻尾の句は、

     版下といふ絶滅危惧種。もちろん書物に未来は無い
   初夏の版下あはれ書物果つ

 以下に、著者自装の間村俊一既刊句集より一句ずつ・・、

   天上に瀧見しことや鶴の鬱     『鶴の鬱』
   口吸へば魚臭きや晝花火      『抜辨天』
   
 そして、攝津幸彦に関する部分は愚生として抜かすわけにはいかない。以下、

 (前略)以来すっかり嵌った。装幀に困るとコラージュを作ってしのいできた。『攝津幸彦選集』、『新撰21』もこのパターン。海に面して立つドア。画面中央のミノタウロスは「父」のイメージである。攝津の高名な夜汽車の句に太刀打ちするため、牛頭人身の父にご登場願ったのだが、果して対峙できたかどうか。

 因みに、ブログタイトルに掲げた句は、加藤郁乎『江戸俳諧歳時記』へのもの。「ワタシガ・カトウ・イクヤ・デス」の声が聞こえてきそうである。そして、風に聞くところによれば、イクヤを間村俊一に紹介した、ですぺら主人・渡辺一考は健在で、最近地元の神戸に引っ越しをしたらしい。

 間村俊一(まむら・しゅんいち)1954年 兵庫県生まれ。



      回顧展での亡き石原忠幸の弟・石原友夫(左)と愚生↑ 

★閑話休題・・・「石原忠幸回顧展」・・・

 秀麗の昨日は、流山まで石原忠幸回顧展(於:カフェ&ギャラリーANTIGUA。~10月31日まで)に出かけた。想像していたより遠路だった。
 シャンソン歌手でもあり、愚生を遊句会に招いた石原友夫とのツーショットを、そこにおられたご婦人に撮っていただいた。美術評論家・洲之内徹に縁があって、大事にされていたらしい。展覧会場となったのは古民家のカフェの中二階だが、その人が石原忠幸の親友で、多くの絵を所蔵されているとのことであった。
 山口県出身の愚生にとっては、宇部や美祢など旅先での山口県の絵も多く、不思議に懐かしい感じがした。

2018年10月27日土曜日

鹿又英一「榮市の腰かけてゐる夏の雲」(「夢座」179号)・・・



 「夢座」179号(俳句同人誌夢座東京事務局)、城名景琳連載44「季のことば」は、「春」だが、内容は、追悼・佐藤榮市である。そのエッセイの結びに、

 この夏は暑かった。涙で濡れた袖はすぐに乾くほどの天気だった。だが、涙で濡れた袖が乾く間もなく、また同人佐藤榮市氏を、黄泉の国へ見送る。天空での夢座同人は増えていく。合掌

 とあった。その悼む思いは、本誌本号に溢れている。いつも思うことだが、本誌の圧巻は、齋藤愼爾の連載「巻頭エッセイⅩⅤ 琉球弧からの眼差し」と、巻末の江里昭彦連載「昭彦の直球・曲球・危険球」㊿「兜太が覇者であった時代の俳句(其の一)」である。    
 前者の齋藤愼爾は題名にもあるように、沖縄のこと、句に、川崎光一郎「海に湧く雲の百態沖縄忌」の引用があり、また、「鬣」から俳句ユネスコ文化遺産登録を批判した文を多く引用紹介している。後者の江里昭彦は、筑紫磐井『虚子は戦後俳句をどう読んだか』と坂本宮尾『竹下しづの女』の両著をめぐっての論考である。俳句関係の雑誌で、この両人が必ず執筆しているのは本誌だけである。是非一読あれ。ともあれ、以下に一人一句を挙げておこう。

   榮市の骨になりし日冷し酒     鹿又英一
   塩辛とんぼと並走する街道    鴨川らーら
   苦瓜やぶらさがるだけの息     照井三余
   代役もなし本番の酷暑あり     城名景琳
   Uターンのひとくさりあり芋煮会  江良純雄
   扉を押して喧騒へ行く梅雨滂沱   太田 薫
     北海道大地震
   真っ先に日が昇るっしょ北海道   銀 畑二
   花野行く雲に付箋を貼り終えて   渡邉樹音




★閑話休題・・・「てんでんこ」第10号・・・

てんでんこ」10号(七月堂)に、井口時男の18句「句帖から 二〇一八年春から夏 付・無用の注釈」が掲載されている。他にも論「自死とユーモアー西部邁の死について」を発表しているが、ここでは句と無用の注釈(短いもののみ)を以下に挙げておこう。

   修行僧若し古刹残雪頑として (永平寺)      時男
     *3 「鹿首」12号掲載の若狭湾沿いに原発を探す旅の句の補遺
   シベリアの朽木を焚かん魂迎へ
     *16 父は四年三ヵ月シベリアに抑留された
   火星接近し真夜中の蟬時雨
    *18 火星大接近。我が寓居は深夜も蟬時雨の中にあり。灯火と熱帯夜            
         のゆえなり。
  


2018年10月25日木曜日

三森鉄治「またの世も師を追ふ秋の螢かな」(『山稜』)・・・



 三森鉄治句集『山稜』(ふらんす堂)は、遺句集として編まれた第6句集『山稜』と、これまでの句集を季語別に分けたものを合わせた全句集である。季語別には、無季もかなりあったはずと思い、案の定というべきか、最後の分類に無季とあって、10句が収録されていた。もっとも彼が師と仰いだ飯田龍太の句集にも雑の部としてかなりの数があったのを記憶している。というのも、愚生が最初に目にした彼の句集は『幻象論』であり、発行元の冬青社は宮入聖がやっていた個人出版社である。その宮入聖にも『飯田蛇笏』の著書があるように、三森鉄治とは息が合っていたにちがいない。ただ、宮入聖は杳として行方不明となり、三森鉄治は、見事な有季定型派の俳人として変貌を遂げたのであった。 
 愚生が、後にも先にも、三森鉄治に会ったのは五年ほど前のことになろうか、二度しかないと思う。想像したよりはるかに快活な万年青年という印象だった。今、年譜を見ると、教職を辞した前後だったのかも知れない。だから、とりわけ、彼の訃に接したときは、まさか、そんなことがと思ったのだった。
 この『山稜』には、珍しく(あくまで愚生の印象にしか過ぎないが)、次のような彼自身を詠んだような作品もあった。

   木の葉髪必死の治療迫るなり     鉄治
   副作用なきも神慮か花八つ手

跋の赤星美佐「兄のこと」に、

 教師の仕事を辞めてから、兄が自宅で父の介護をしてくれました。介護はとても大変だと嘆いていましたが、「親孝行ができてよかった」とうれしそうでした。兄は、父に自叙伝を書くように勧め、兄が編集をし、自叙伝を完成させました。その自叙伝が「山梨県自分史大賞・優秀賞」を受賞したことでも親孝行ができてよかったと言っていました。(中略)・・兄の優しい心は、父に伝わったと思います。そんな父も兄の死の五ヶ月後、追いかけるように天国にいってしまいました。

 としたためられていた。「あとがきに代えて」は、本句集を編集した舘野豊。その冒頭には、パソコンに「新句集草稿」のデータを残していた電子データを、遺族の意向のもとに整理したことが記されている。ともあれ、遺句集『山稜』からいくつかの句を以下に挙げておきたい。

   嶺あればこその闇なり梅匂ふ
   藤匂ふ風甲子雄忌の夜空より
   天辺の柿残せしか遺りしか
   ひとひらのあと花びらのとめどなき
   山国の冷えを力に茎の石
   くろがねの風鈴に秋迫るなり
   覚め際の夢に師のこゑ鳥引けり
   天の川死後もこの世の夢あらむ
   日の沈むまで日の色に寒牡丹
   秋澄みて甲斐は蛇笏と龍太の地
   冬銀河いのち支へるものに死も

 三森鉄治(みつもり・てつじ) 1959年3月4日~2015年10月2日。享年56。
    


2018年10月24日水曜日

味元昭次「戦後通し戦前近し夕端居」(「現代俳句」10月号)・・



 「現代俳句」平成28年10月号(現代俳句協会)の主要な記事は、第40回現代俳句講座・岸本尚毅「季語について」と第36回現代俳句評論賞選考経過である。岸本尚毅の講演録は「季語について」の柔軟な思考と分析を、実に分かりやすく話し、「無季俳句と季節の関係」という点でも、富澤赤黄男の句を例にしながら丁寧な説明がなされている。また現代俳句評論賞は、授賞者なしとなったが、各選考委員の批評に向き合う姿勢の違いもあって、応募者に圧倒的な説得力のある論でないと、ひとつにしぼるのが困難という、現在の多様化する価値観と事態を反映している、とも思えた。ともあれ、以下に、特別作品から一人一句を挙げておこう。

   人がみな鈍器となりて征く砂丘   江里昭彦
   無器用に変へぬ軸足雲雀東風   加藤ひろみ
   ふり向くや一木は修羅雪の樅   小泉飛鳥雄
   地には祖初雪残雪白鳥百      辻脇系一
   海鳴りの冥みに招く百合の花   鶴岡しげを
   源流の木霊は滝を養へり      永井 潮
   亡き父に言ひつけてゐる生身魂   原田要三
   四国にも原子炉三つ羽抜鶏     味元昭次




★閑話休題・・・豊里友行写真集『遺骨が呼んでいる』・・・

 豊里友行写真集遺骨が呼んでいるー国吉勇さんの遺骨収集人生』(沖縄書房・税別1000円)、序は平良次子(南風原文化センター)「夢中になって『遺骨』と『戦争遺品』に向き合う」。それには、

 国吉さんの手によって、土の中や水の中から掘り出された遺骨や遺品は、きっと何か大切なことを語り、あるいは、叫んでいるに違いない。これら膨大な戦争語り部たちを、さてどうするか。その続きがなければ国吉さんの仕事は姿を消してしまう。いや国吉さんの姿は、豊里さんがこのように写真集で残して下さった。問題は「遺品」たちである。それが活かされる、しかるべきところにきちんと存在させることを、私たちが役割分担として考えるときに来ているのかもしれない。

と結びに記されていた。豊里友行の「あとがき」には、

 国吉勇さんは、沖縄戦犠牲者の遺骨遺留品の収集活動を約六十年あまり続けてきた人物である。一九三九年生まれの七十九歳。旧・真和志村に生まれ、六歳で沖縄戦を体験した。沖縄戦で祖母、母、三男、弟(当時一歳)、姪っ子(当時一歳)の五人を亡くす。(中略)
 私は自身に尋ねる。なにゆえに沖縄戦の遺骨たちを撮影するのか。こちらを見つめる頭蓋骨の眼窩(がんか)に私は歴史の残酷さを見て身震いする。国吉さんが遺骨収集をしながら見つめてきた人骨、遺留品をいま、私もまた見つめている。それは一人の名もない戦没者の死を見つめる作業でもあった。

 と言う。下に掲げる写真は、本書の最後のページのもので以下のように記されている。豊里友行の言うように、まさに「戦後七十三年は、死者たちの終らない戦後でもあった」のだ。


↑浦添沢岻陣地壕で2013年1月15日に収集された「名前のある万年筆の遺品」(P74-P75に掲載)のご遺族を探しています。お心あたりのある方は、小社・沖縄書房までご連絡下さい。
 
 その彫られている名は「志村金太郎」と読める(愚生注*P75には2018年とある)。

 豊里友行(とよざと・ともゆき) 1976年沖縄県生まれ、写真家にして俳人。



2018年10月23日火曜日

竹岡一郎「善人が黙(もだ)えらぶ世の鵙日和」(『けものの苗』)・・



 竹岡一郎第三句集『けものの苗』(ふらんす堂)、句集ごとに著者の思考の深まりをみせながら、それを盛られなければ溢れてしまう句の器が軋みをもたらしているような、いまどきの若い人には珍しい惨たる句群といえようか。著者の「あとがきに代えてー咒(じゅ)とは何か」には、

 咒とは、思考の流線形だ。筐(はこ)の底を幾たび捲っても剥しても新たな底が開示されるように、ひそかに沈みゆく咒は、一身と見えても多身であり、光より速くあらゆ方向から、同時に中核へ達しようとする。理想の咒は、生死の螺旋をどこまでも遡り、僕の、無数の末期の吐息と無数の産声を超える。
 
 なつかしいものは、いつだって惨たらしい。産土も人間も積み上った惨たらしさを抱えて、だからこそ、その惨たらしさを焼き尽くし、なつかしさを遠く離れ、生き変わり死に変わりを超えて、立ちたい。

 と記されている。白川静によれば、呪は咒であり、もとの字は祝(しゅう)である。「祝禱を収める器を列ねて祈るので、字はまた咒に作る」とある。また「呪は必ずしも呪詛のことのみではなく、禁忌全般のことにわたるもので、古くは祝(しゅう)の字を用いた」とある。
 本集には、竹岡一郎の偏愛する言葉、世界が連作風につづられているのも多いが、次の句などには、いささかの著者の無念が籠っているように思えた。「あやとり」の句である。

   あやとりの砦は父母を拒みけり    一郎
   あやとりにかかる呪ひのなつかしき
   悪女来てあやとりにつきあへといふ
   あやとりに魂からみ動けまい
   あやとりの紐切れるまで眠らない

 因みに、装画・挿画・判子製作は竹岡瞳。ともあれ、集中よりいくつかの句を以下に挙げておこう。

  咒を誦(ず)せば磯巾着の締まり出す
  むじな獲る名人にして不治の日々
  夕虹も腕もねぢれるためにあつた
  新大陸よりさばへばす雲ふたたび
  一家戦没以来不死なる竈猫
  枯山の銀の木霊に慚ぢにけり
  喉に狐火つまらせ今日も人だ
  海底の鉄屑十二月八日
  僕の骨から要るだけの弾は萌ゆ
  ミサイルの光と知らず草ひばり
  狩り倦みて鬆(す)の入る心吹き曝し
  起つ死者は瀧を天路と仰ぐだらう
  人間の香が天に沁む敗戦日 
  
竹岡一郎(たけおか・いちろう) 1963年生まれ。


2018年10月22日月曜日

坪内稔典「習さんは三軒隣り水温む」(『朝ごはんと俳句365日』)・・



 船団の会編『朝ごはんと俳句365日』(人文書院)、春夏秋冬の章に、1年365日の日々に、船団の会会員の句とエッセイが収録されている、どこのページからでも気ままに読むことのできる愉しみな一冊。ただ、現代仮名使い、口語調を標榜しているにしては春夏秋冬の区分が春は2月、3月、4月とむしろ旧暦にそった区分になっている。ただいま現在の実感を大切にするなら、これは現実の気象に忠実な3・4・5月が春季に相応しいと思える。「過激かつ新しく!」という船団調にしては少し温いといえるかも知れない。
 愚生はといえば、坪内稔典といえば「日時計」→「現代俳句」→「船団」と、つねに時代にコミットする俳句のシーンを創りだしてきた「過渡の詩」の延長線上にあると捉えている。愚生が二十歳を少し出た頃、「日時計」が澤好摩を中心とする「天敵」と攝津幸彦・大本義幸・坪内稔典をようする「黄金海岸」にわかれ、さらに「未定」から「豈」の誕生にいたるほぼ同時期に、坪内稔典は「現代俳句」(ぬ書房・南方社)を創刊し、「現代俳句シンポジウム」を企画しながら、いわば同時代を生きてきたので、いつもその動向には注目してきた。それは、彼が、当時の総合誌「俳句」「俳句研究」が文字通り「ぼくら」を黙殺するなら、自分たち自身の力で、自分たちの場を創って、仲間の句を褒め合おう、と檄を飛ばしていたからである。それが「現代俳句」という場であった。こうした共同戦線のような陣形は「船団」創刊時にもあった。だから愚生や、攝津幸彦、仁平勝、堀本吟、藤川游子など多くの仲間は、句を出さないまでも「船団」応援部隊として創刊会員になっていた。
 以来「船団」は、伝統俳句でも前衛俳句でもなく、いわば第三の俳句の道を歩いてきて、今や「船団調」と言われるまでに新しい俳句の形?を広めてきたと言える。そして、「ぼくら」の多くが古希を過ぎて、いよいよその命運を思うようになってきているのだ。その意味でいえば、このところの「船団の会」の著作物の多さと展開ぶりをみると、なんだか「船団俳句」の店仕舞い前の総決算という感じがしないでもない。繚乱の淋しさか・・。「船団」にくらべてその規模は小さいが、愚生の居る「豈」も例外ではない。いつの頃からか、いつもラストを考えている。ほぼ同時代を過ごしてきた「未定」も終刊した。もっとも「豈」は攝津幸彦の時代には(その後の一時期も)、各号数の次の表記に「OR LAST」の文字が入っていたが・・。
 そして、かつての「現代俳句」は、少し大げさに言えば、金子兜太などの戦後俳句を克服する命題を負っていたようにすら思う。何しろ、当時の愚生は、作句を日々辞めようと考えていた時期に、中谷寛章や坪内稔典が指弾した金子兜太らの戦後俳句批判を読んで、俳句もまだ捨てたものではない、などと生意気にも思い、その希望をそれ以後の俳句の創造に託したのだった。
 ともあれ、本書の中から、幾つかの句のみを以下に挙げておきたい。

  春来る物種みんな食べちゃうぞ     陽山陽子(2月4日 立春)
  梅の花ねじまき式の暮らしかな    津波古江津(2月18日 頭髪の日)
  わたくしの風の一瞬犬ふぐり     鳥居真里子(2月24日 不器男忌)
  春昼の横文字で書くラブレター    武馬久仁裕(3月29日 八百屋お七の日)
  春泥や蕪村文集めくりみる       森 弘則(4月15日 ヘリコプターの日)
  蟻の道行く先々で迷うもの       内野聖子(5月25日 東京湯島天神祭) 
  みちのくや青田千枚千の風     折原あきの(6月17日 おまわりさんの日)
  台風の眼玉つついて愛してる      坪内稔典(8月28日 バイオリンの日) 
  姉さんはあかり鈴虫蔵あたり      長沼佐智(9月8日 国際識字デー)
  秋茄子紺色残し胃の腑かな      ねじめ正一(9月17日 牧水忌)
  大漁旗町旗に校旗運動会       ふけとしこ(10月9日 体育の日)
  霜月の日だまり好きでこの犬は    三宅やよい(11月1日 十三夜)
  怖くて食べたことない海鼠いま旬の   池田澄子(11月27日 出雲大社神迎祭)
  金魚たちは沈んだままで忘年会     小倉喜郎(12月21日 東寺終い弘法)
  まだうつらうつら松のうち       久留島元(1月5日 小寒)
  ウエアーのいろいろスキー客若し   小西昭夫(1月12日 スキー記念日)
  あっころぶシャンシャンころぶ春隣  中原幸子(1月31日 生命保険の日)


2018年10月21日日曜日

山田浩明「墓参り一人そっちへ着くころです」(第184回遊句会)・・・



 先日、10月18日(木)は、第184回遊句会(於:たい乃家)だった。兼題は秋晴れ・墓参・渡り鳥・当季雑詠。本日は奇しくも、愚生が参加する以前に宗匠だった坂東孫太郎の祥月命日にあたるということで、句会の前に墓参を済ませた方々も多くおられたようである。本日は、そのお孫さんの須賀健斗氏も句座を共にされた。
 思い起せば、平成25年10月18日に急逝された孫太郎の一周忌を修するにあたり刊行されたのが遊句会篇『坂東孫太郎句集』だった。その一冊を賜ったのが、愚生を遊句会に招き入れた石原友夫氏である(2015年1月2日の本ブログに「坂東孫太郎『老いが身の妻恋ふ鹿となりにけり」を紹介した)。本句会に参加してより愚生もすでに一年半を経過したが、相変わらずの低空飛、本日は出句が全ボツの無点だった(もっとも、愚生の句はどこの句会に行っても低空飛行なのだが)。
 ともあれ、一人一句を以下に挙げておこう。

   干し物の陽気な顔や秋晴るる      武藤 幹
   渡り鳥吾にも翼(はね)のありし頃   橋本 明
   秋晴れや成層圏まで蓋がない      山田浩明
   山崩れ河溢(あふ)れおり鳥渡る    石川耕治
   秋晴れや富士は右方のアナウンス   中山よしこ
   一族増えて墓参明るしピクニック  たなべみよみ
   秋晴れや伊皿子坂に満つ楽音(がくね) 横山眞弓
   秋晴れやひねもす一人碁を並べ     村上直樹
   宮城野の萩を手向けてたま祭り     渡辺 保 
   憂き事も浮世の塵(ちり)よ秋日和   川島紘一
   碑に余白次は我が名を墓参り      天畠良光
   墓詣彼岸増員此岸減         原島なほみ 
   渡り鳥みるみる遠く点となり      前田勝己
   遊句子も頭は白き墓参り        石飛公也
   秋晴れやハズキルーペの指紋拭く   植松隆一郎
   墓洗ひ嬉々と漂ふけぶりかな      須賀健斗
   秋晴れの兵士は何を狙うのか      大井恒行



   9月28日~30日、国分寺市文化祭出品の石飛公也水彩画「五重塔」↑
   撮影・武藤幹。

★番外投句・・・

  秋晴れやつかみそこねた夏の花    春風亭昇吉
  秋晴れや応援団長一歩前        加藤智也
  秋晴れや淡々と愛く癌宣告       林 桂子

次回、11月15日(木)、第185回の兼題は、崩れ簗・茸汁又は茸鍋・縄跳び・当季雑詠。


2018年10月20日土曜日

浅沼璞「こゝまでの花見つくして湖に墓」(「無心」創刊号)・・・



 「無心」創刊号、浅沼璞「無心衆としての弁ー『創刊の辞』にかえて」では、発端は2013年6月に発行された当時の日大芸術学部生による「江古句会報」からはじまり、会報2号から「俳諧無心」と改称し、10数号をかさね、日本連句協会に加盟し、「連句年鑑」にオン座六句を発表し、かつ2015年にはブログを立ち上げ、いまでは社会人となった連衆も多く、句会と連句会を交互に開催活動してきたという。そのルーツは、天魚子眞鍋呉夫の水分(みくまり)であると言う。その先師・眞鍋呉夫の志を継承しているのだ。師曰く、

  全一なる造化の表現としての俳諧は、子規以来発句と連句に引きさかれ、かたみにその半身を失ったまま、相かろんじ、相おとしめつつ、今日に至っている。
(中略)
 最も素朴に、そして愚直に、発句と連句の会を各月に行なうというやり方を続けてきた。もとより、期するところは、無限定な造化の表現としての、きよらかでみずみずしい創造力の回復にあるが、さしあたり今のわれわれにできることは、われわれ自身を火口(ほくち)として果敢な花火の打ち上げを夢見ることぐらいしかない。
    天涯に人も花火を打ち上げよ
                 (俳諧誌「水分」第一号「後記」一九八九年六月)
 そして言う。

  先師のごとくそれを正夢にしうるか否か、われわれの努力・研鑽にかかっていることは承知のうえだが、今の時代、ひたすら無心になる行為そのものが肝心とも思える。さいわい「無心」という言葉は俳諧の系譜に痕跡をとどめてきた。

 この心栄えを讃えたい。であれば「無心連句ー攝津幸彦没後二十年 追善興行 脇起 オン座六句『十』の巻」やツイッター上の不適切発言「東北でよかった」を組み込み「夢想 オン座六句『おぞ』の巻」などもあり、なかなに刺激的である。他にも、北野抜け芝「連載・阿部青鞋のちかくで1」は、ただいま現在の若い人の俳句と比較、批評し、これもスリリング。諸兄姉、ご一読あれ。ともあれ、以下に同人の一人一句を挙げておこう。

   まよなかのスマホ画面を夏料理     城前佑樹
   たんぽぽを避けてわづかに列乱る    池田けい
   破魔矢持ち野菜のやうな取りあつかひ  副島亜樹 
   ひろうひろわれる毛布のひとひとり   内野里美
   ねむらない機械に囲まれて花野    西原紫衣花
   俺は津までお前も津まで花筏      浅沼 璞
   秋扇の風前の蟬ちよつと鳴く      堀江 秌
   人間が電車をとめて冬銀河       二三川練
   天気予報きょうもあしたも水ぬるむ   禰覇 楓
           ぱらぱらと土手のはくちょう開きおり  櫛田有希
   朝凪はちゃりの籠から死んでゆく   二川智南美
   柊をさして住処を縫いつけて      加藤湖標
   塗りかへしパブの扉よ草朧       泉山友郁
   食堂の雑誌しをれて残暑かな      椿 屋烏
   ひよがきていちにちふたりともをらず 北野抜け芝 


         

2018年10月17日水曜日

佐藤清美「秋天を龍の鱗の零れつつ」(『宙の音』)・・



 佐藤清美句集『宙の音』(六花書林)、

 『宙の音』は『空の海』『月磨きの少年』に続く第三句集です。およそ私の四〇代、二九〇句を収めています。収録は概ね初出一覧の通りですが、大幅に作品を削除し、各章の中で再編集を行っています。

 と著者「あとがき」に言う。ただ、いずれの句集名も空に関係している。「空」「月」「宙(そら)」である。巻頭の句は、
  
   窓越しの桜 図書室は船

 以前、図書館に勤務していると聞いたことがあるように思う。通勤時の光景もある。

   恋猫の死を賭すことも通勤路
   通勤路夏は今日までというラジオ
   通勤路宿場まんじゅう蒸気上がり
   通勤路頭上雷道おそれながら

 また、昨日今日という日々の時間を詠んだ句もけっこうある。

  桜前線身を越してゆく昨日今日
  ひとまずは氷菓買い置く昨日今日
  雨降って春の陣地となる明日
  今日の日の風を浴びれば蝶生まれ
  今日の日の鹿肉カレーいただきます
  今日の日を無造作に咲けハルジオン
  
 思えば、佐藤清美が愚生の関わった「俳句空間」(弘栄堂書店版)の新鋭俳句欄に投句してきたのは、およそ三十年以前のことになる。本集の版元・六花書林の宇田川寛之もそうだった。これも縁と思えば、いささかの感慨がある。一句献上!

   さも藤(ふじ)の清(すが)し美(うつく)し宙(そら)の音(ね)よ  恒行

 ともあれ、本集より愚生好みの句をいくつか以下に挙げておこう。

  空に穴 原爆落下中心地      清美
  夏の野に停車しており星の貨車
  ストーブに棲む妖精の小言かな
  すれ違う人の上にも秋の空
  浮くための練習強く蹴ってゆく
  美しい朝だと五月のラジオから
  私の声が繋がる線はどれですか




2018年10月16日火曜日

菊池麻風「あをぞらの香のはげしさや夜の菊」(『「自註・菊池麻風』再誦』)・・



 嶋田麻紀『「自註・菊池麻風集」再誦』(ふらんす堂)、本書は菊池麻風が上梓した俳人協会『自註現代俳句シリーズⅣ期20 菊地麻風集』を麻風没後「麻」主宰となった嶋田麻紀が昭和58年1月から平成20年までの約25年間に渡って鑑賞し連載したものの集成である。著者「あとがき」の結びには、

 本年(二〇一八年)には創刊五〇周年の大きな節目を迎えることになった。会員も高齢化したし、私が「麻」を引き継いでからまもなく三五年となるので、創刊者の作も人柄も知らない方が殖えている。この再誦が麻風を知るきっかけとなれば幸いである。

 と記されている。愚生も菊池麻風については、渡辺水巴「曲水」の高弟であるということぐらいしか知らなかったので、いくばくかの手がかりを得ることができた。
 「清新な白きぺージの上に何を描こう」と自註に記した麻風「天に地に白きページの夏ひらく」の句について、嶋田麻紀は、「日輪に目つむり枯草にゐる」(昭和15年)の句を抽きながら、

 昭和十五年の日輪の句について麻風は「定型というより自由律だ。曲水の例会に出してみたところ、水巴師の選に入り、形式の点についても却って賞讃された」と記している。
 二一年作のあをぞらの句は渡辺水巴への追悼句であるが、「天に地に」の句と同根の資質というものを感じさせる。

 と、述べている。この「天に地に白きページの夏ひらく」の句に、愚生は、窓秋「頭の中で白い夏野となつてゐる」を思い重ねた。それはともに昭和十年前後に、当時の青年俳人たちが描こうとしていた精神の風景だったのではないだろうか、とも思った。因みにブログタイトルにあげた「あをぞらの香のはげしさや夜の菊」は水巴(昭和21年8月13日没)追悼句であり、昭和21年作であることを思うと、これもまた敗戦直後の風景を句の背後に負っているのではなかろうか。
 
 ともあれ、句のみになるがいくつ挙げておこう。

  春愁や限りなく行軍を幻に    麻風
  蛍籠ある夜涙のごと光る
  還り来し友秋雲を肩にせる
  黄落のベンチに倚ればエトランゼ
  風花の通りし北の空の青
  はくれんの白と障子の白と別
  谷中村枯芦原のあるばかり
  空華死後十薬十字の花愛す
  (空華「十薬の今日詠はねば悔のこす」がそれだ)
  木犀の香にゐて古典めく日なり
  白桃を啜る老唇滴らし
  冬欅白雲を天に遊ばしむ
  山茱萸の金色明り賜はりぬ

 菊池麻風(きくち・まふう、明治35年4月15日~昭和57年6月4日)、栃木県生まれ。
 嶋田麻紀(しまだ・まき)1944年茨城県生まれ。


          撮影・葛城綾呂 フェンスを喰う木↑

2018年10月15日月曜日

鶴岡行馬「月山の霧に棲みいるおこじよかな」(『酒ほがひ』)・・



 鶴岡行馬第一句集『酒ほがひ』(邑書林)、序は小川軽舟、跋は奥坂まや、巻初は藤田湘子の「鷹」掲載の鑑賞5句。その湘子五句のなかに、

  夕星の發せし秋の聲なりけり   平成六年十一月号

 秋声は秋の物音の謂いである。秋は清澄だからこうした季語が生きているのだろうが、私は物音そのものよりも、ものの発する秋の気配の感じ方を大切にしたい季語だとおもう。そうでないと、澄んだ初秋の透明感が伝わってこないのではなかだろうか。
 「夕星の發せし」はまさにそうした感覚。それを高揚したリズムに載せて一気に仕立てた。(中略)
 それだからこの作者のように、若いうちにこうした声調によって立つ句を持ったことは、後々(のちのち)大きな自信となるはず。リズムの醍醐味を知り、その快感が体内に余韻の尾を曳いているかぎり、月並み風の駄作をつくることはまず無いであろう。

 と太鼓判を押している。小川軽舟の序によると、鶴岡行馬は「赫奕と鴨發たす日の昇りけり」(平成八年五月号)の湘子に激賞された句も「赫奕と雁發たす日の昇りけり」と「鴨」を「雁」に、実景でなかったとして改作しようとしたという。そして、

 そこに俳句作者としての鶴岡さんの真骨頂があると言ってもよかろう。

 と述べている。また、跋の奥坂まやは、

 『酒ほがひ』三一四句に、とかく目より感覚に頼りがちになる比喩を用いた作品は一句もない。そのこともまた、行馬さんのまっすぐな気持をよく表している。

 とも記している。ともあれ、本集よりいくつかの句を挙げておきたい。

   寝るのみの家と思へり西東忌      行馬
   あぜみちはたんぽぽみちよこんにちは
   なゐの底まつくら春の星にぎやか
   葛の花水よりも雲迅きかな
   荒草に初霜の榮憂國忌
   花冷や晝を燈して酒肆櫛比
   日時計に夜の刻みなき暑さかな
   しぐるるや露伴全集補遺二巻
   星が聴く柱時計や狩の宿
   にんげんは海に敗れて踊るなり

 鶴岡行馬(つるおか・こうま) 1956年宮城県生まれ。





ラーゲリのジオラマ↑


下は千人針↑


★閑話休題・・・

 昨日は、都内に出たついでに香月泰男展「シベリアの記憶 家族への情愛」(平和祈念展示資料館・新宿住友ビル33階~10月28日・入館無料)を観た。
戦後強制抑留の史実や証言をもとにした漫画(非売品)2冊をいただいてきた。



2018年10月13日土曜日

高山れおな「日本中デコトラ走る建国日」(「豈」61号)・・・

 

 「豈」61号が出来、今朝印刷所から届いた。本日13日は、「豈」創刊者・攝津幸彦の祥月命日、奇しくも攝津幸彦忌(南国忌。、南風忌)である。巷ではまた、玩亭忌(丸谷才一)でもある。攝津幸彦逝って21年、丸谷才一は7回忌だとのことだ。

   天に満つ荒星はるか幸彦忌    恒行

 本誌「俳句空間ー豈」は、高山れおなの朝日俳壇新選者就任を祝し、急遽特別作品「はるひ、かすがを」60句を掲載することにした。
 その後但書に、

  本作は丙申の年、五月より十二月まで四たび春日社に詣でしに拠りて作る。
 「細男」は事実上、おん祭に独自の舞踊なれば、おん祭の傍題として季語の資格を有すべし。

 とあり、その細男(せいのお)の句は、

  細男(せいのお)や天地みるみる暮るゝ時   れおな
  細男や愧じ隠れんとするさまに

 ブログタイトルに挙げた句はその巻頭の句である(詞書は除く)。特集は「俳壇の新人賞」、また、第4回攝津幸彦記念賞の授賞全作品を掲載している。
 ともあれ、本号本誌に寄稿いただいた全ての方々に御礼申し上げる。お蔭で本誌も、ほぼ一年に一度の刊行とはいえ、無事漕ぎつけた次第である。以下に目次を掲載しておきたい。


‐俳句空間‐「豈」 61号)  目次                        表紙絵・風倉
                                   表紙デザイン・長山真
◆祝!「朝日俳壇」新選者就任・特別作品60句     高山れおな 2

◆新鋭招待作家作品 倉田明彦 8 西山ゆりこ
                     

◆第4回攝津幸彦記念賞 選考経過「賞とはいかにあるべきか」筑紫磐井 10
 ☆優秀賞 「余白に献ず」打田峨者ん 13       「猿と牛」亀山鯖男 14 
「山椒魚内閣」久坂夕爾  15      「諸国集」倉阪鬼一郎 16 
「あなたがここにいてほしい」田沼泰彦 17 「ノン」嵯峨根鈴子 18 
「旋律」中嶋憲武 19         「被写体深度」山本敏倖 20 
 ☆若手推薦賞
  「七人の妹たちへ」佐藤りえ 21 「待つてゐる」椿屋実椰 22 
   「くひちがふ雲」牟礼鯨 23

  特集 俳壇の新人賞
  俳壇の新人賞について 筑紫磐井 24 
芝不器男俳句新人賞について 対馬康子 27 攝津幸彦記念賞について 大井恒行 29 若さは一瞬―石田波郷新人賞 甲斐由紀子 30 北斗賞 大井恒行 31
  星野立子新人賞 中西夕紀 32  俳句四季」新人賞について 仙田洋子 33 
  円錐新鋭作品賞について 澤 好摩 34    田中裕明賞 山岡喜美子 35
  現代俳句新人賞について 柏田浪雅 36   俳人協会新鋭俳句賞 髙田正子 37
  連戦連勝しました 西村麒麟 38 「新人」を超えて、新人であれ 岡村知昭 
  三十六の瞳 堺谷真人 42        新しいということ 佐藤りえ 44
  水中のもの不可視なり 中村安伸 46     育み、繋げる 杉山久子 48

◆作品Ⅰ 椿屋実椰 49  青山茂根 50  飯田冬眞 51  池谷洋美 52
     池田澄子 53  丑丸敬史 54   大井恒行 55 大橋愛由等 56 
     大本義幸 57 岡村知昭 58 加藤知子 59 鹿又英一 61   神谷 波  61 
      神山姫余 62
連載   私の履歴書⑩ 河とその名きれいに曲る朝の邦 大本義幸 63

◆作品Ⅱ 川名つぎお  64  北川美美 65  北村虻曳 66  倉阪鬼一郎  67  小池正博  
      小湊こぎく 69 堺谷真人  70  坂間恒子  71  酒巻英一郎 72   佐藤りえ 
杉本青三郎 74 鈴木純一 75  関根かな 76    妹尾 健 77 

◆書評  筑紫磐井『季語は生きている』評 杉本徹 78 
現代俳句文庫83『秦夕美句集』評 筑紫磐井 80
倉阪鬼一郎歌集『世界の終り/始まり』評 藤原龍一郎 82
加藤知子『櫨の実の混沌より始む』評 大井恒行 84

◆作品Ⅲ 高橋修宏  85 田中葉月 86  筑紫磐井 87  照井三余 88 
     中村安伸 89 夏木 久  90 萩山栄一 91  秦 夕美  92 
     羽村美和子 93  早瀬恵子 94 樋口由紀子 95

「豈」60号読後評 詩を書くしかない 加藤知子 96 

作品Ⅴ 福田葉子  98 藤田踏青 99  渕上信子 100  堀本 吟 101    森須  
     山﨑十生  103 山村 嚝 104   山本敏倖 105 わたなべ柊 106   亘 余世夫 107 



      ―☆☆☆ 募集 第5回攝津幸彦記念賞 ☆☆☆―

  
 過去4回にわたって公募した攝津幸彦賞を、篤志家の支援により、第5回攝津幸彦記念賞として募集することとしました。正賞一作品を選考いたします。「BLOG俳句新空間」でも募集いたします。奮ってご応募下さい。

◎ 内 容 未発表作品30(川柳・自由律・多行句も可) 

◎ 締 切 2019年4月末日

◎ 書 式 応募は郵便に限り、封筒に「攝津幸彦記念賞応募」としるし、原稿には氏名・ 年 齢・住所・電話番号を明記して下さい。
                    (原稿は返却いたしません)。 

◎ 選考委員 池田澄子 大井恒行 高山れおな 筑紫磐井

 発表掲載 「豈」及び「俳句新空間」

◎ 送付先 1830052 東京都府中市新町2940 大井恒行 宛



2018年10月12日金曜日

田中惣一郎「はねマリオとぶ春愁の三次元」(「里」第187号)・・


 「里」2018年10月号(里俳句会)の特集は「『しばかぶれ』第二集という森の賑わいに耳を澄ます」。読後感を藤原龍一郎と中岡毅雄が寄せている。また、一人一句鑑賞では10名が寄稿しているが、ここでは、愚生と同じ「豈」同人の高山れおなの評(田中惣一郎句評)を少し以下に引用しておこう。

      とちぐるう狂(ぐるう)やあそぶしんぼち 可徳「やつこはいかい」
  分煙(ぶんげむ)る青葉(あおば)わかばのいのちかえ  惣一郎

 (前略)「分煙(ぶんげむ)る」の造語は無縁の輩にはほとんど無縁の妙味ならん。実際、当方の勤め先の喫煙所はこんな感じ。今日も行(いつ)たが、都立中央図書館も喫煙所も有栖川公園の昼猶暗き片隅に置(おかれ)てこんな感じ。屋内の喫煙所は私も勘弁願ひたい。「青葉(あをば)わかばのいのちかえ」は真(まこと)や会心のリアリズムであるのなり。拳々服膺愛吟すべし。

 特集記事ではないが、面白かったのは、愚生とはまったく接点のないことなので、青山ゆりえ「『やりやすさ』の難しさ」(現代俳句鳥瞰第三回)である。以下・・

 (前略)俳句との向き合い方の多様化もその一つの例だ。たとえば、「俳人戦士タサクタシャ―烈風」という試みがある。いわゆる戦隊ものヒーローに扮した学生俳人が、SNS上で仲間の俳句を鑑賞するコンテンツだ。その中心にいる風見奨真くんは現在武蔵野美術大学の二年生。「タサクタシャ―」という名前は語呂のよさを借りただけで意味づけはないと言う。しかし、ぱっと口に上る口当たりのいい言葉になっているくらいには、「多作多捨」は若い俳人にとってのひとつの指標となっているようだ。多作多捨の前後には「多読」がある。

 とあって、愚生などには想像もできない平和なゲームが繰り返されている光景は、これも時間が有り余る若者の特権のようなものかもしれない、と、ふと羨ましく思った。
 青山ゆりえの「しばかぶれ」の一人一句鑑賞の句は、

   頂点で黙るてんたうならば飛ぶ   ゆりえ

 鑑賞者は三木基史だった。愚生が「一人二句選」から選んだ句は、

  表象の麦を愛して赤い羽根    青山ゆりえ

 である。この句の方がより魅力的だ。もちろん、愚生に三木基史ほどに対象の句が読めているわけではないが・・・。




☆閑話休題・・・

 「古志」青年部作品集2018(第7号)(古志社)から、30歳代の一人一句を以下に挙げおこう。
  
   眠る山起こさぬやうに嫁にゆく    石塚直子
   施餓鬼棚竹の柱は天に伸び      内藤 廉
   虹の上を滑りゆくもの皆淡し     西村麒麟
   真羽より落つる血を吸ふ牡丹かな  前田茉莉子