2019年11月29日金曜日

秦夕美・藤原月彦「雪明りはつこひにして終(つひ)の恋」(『夕月譜』)・・

 
 
 秦夕美・藤原月彦『夕月譜』(ふらんす堂)、赤尾兜子の弟子であった二人は、師の死後、共同制作の「巫朱華」という雑誌を9号までだした。昭和59年4月~63年3月の作品である。秦夕美と藤原月彦の共同制作の句群なれば、二人の名から一字ずつ採って『夕月譜』と名づけられた。藤原月彦の「あとがき」には、

 共同制作はいつも秦さんがテーマを決めて、私が従うというかたちだった。作品自体も秦さんが何句かをつくり、残りを私が埋めることもあったし、ごく希にその反対もあった。で、この本をつくるにあたって、読み直して驚いたのは、どの句をどちらがつくったのか、完全に思い出せなくなっていることだ。これは当時の秦夕美と藤原月彦の言葉に対する美意識が、一ミリのずれもなく一致していたことの証左だろう。
 一連のテーマとなる物語や本歌を決めて文字数を統一、図形を決めて、特定の文字をその部分に詠み込む、さらには、頭韻と脚韻を同時に踏む。まあ、俳句という形式の虐使であり、よく言えば言葉のサーカスだった。こういう試みはもはやできない。昭和の終わり頃の一時期、こんな狂言綺語の試みに耽溺していた者たちがいたということである。

 と、記している。以下はいくつかそれを写真にして紹介しておこう(全部写真で紹介すると著作権に抵触するだろうから・・)。太字の部分は紋様になったり、さまざまある。目次には「雪卍ーにごりえ遺文」「花扇ー謡曲班女」「定家曼荼羅」「乱蝶ー好色五人女」「月の船」など12編が収められている。

 

秦夕美(はた・ゆみ)昭和13年生まれ。
藤原月彦(ふじわら・つきひこ)1952年、福岡市生まれ。




★閑話休題・・45周年記念「無の会陶芸展ー花と食器をテーマに」(於:富士見市市民会館キラリ。11月24日(日)~30日(土)午後5時まで)・・


 本日、数年ぶりに野村東央留に会い、彼が代表を務める「無の会」の陶芸展に寄せていただいた。久しぶりの再会である。初会は、たしか「沖」の能村登四郎がまだ健在だった頃、能村研三編集長時代の「沖」の記念会に招かれた折だったかと思う。その後は、鈴木鷹夫「門」の主要同人として同人会長も務められた。

 皓と月あまねく照らす彼の世にも    東央留(「門」12月号より)
 鳥とりどりの卍巴やももばたけ     真里子(  〃     )



野村東央留・鳥居真里子 ↑

 右・愚生 ↑


2019年11月27日水曜日

折笠美秋「銀河系どこもが灯り何処(どこ)もさむし」(『北里仰臥滴々/呼辭記』)・・

 

「騎」創刊同人が北里病院に折笠美秋を見舞う。90ページ ↑

折笠美秋『北里仰臥滴々/呼辭記』(鬣の会・風の冠文庫・1000円)、扉裏に、それぞれ注記がほどこされている。「北里仰臥滴々・句稿」(全)には、

  ■本稿は「俳句研究」誌上に昭和六十二年二月号より平成元年十二月号まで、計三十五回に亙って執筆された「北里仰臥滴々より採取したものである。平成二年六月号による追悼特集では、二十六回までをー『死出の衣は』全句ーとして掲出されたが、今回はそれを補完した。

 と、また、「呼辭記」(全)には、

 ■本稿は、俳句同人誌「騎」の第十号より十四号(昭和六十三年三月~平成元年十二月)までに連載された、折笠美秋最終の多行作品群である。

 と記されている。岩片仁次「解説にかえて」では、

 折笠美秋に、あまり世に知られざるエッセイがある。それは彼自身の解説ともなっている。
    〇
 なぜ俳句なのか、よくわからない。よくわからない、というより、まったくわからない。
 お前は、何故、俳句を書いているのか、という問いと、お前が書いているそれが、何故、俳句、なのか、という問い。

 と記している。ブログタイトルに挙げた「銀河系どこもが灯り何処(どこ)もさむし」の句は、林桂「あとがき」によると、

 (前略)せめてものデータという意味で、手元の「星座圖」(第四集・早稲田大学俳句研究会編集発行)を加えておく。一九五六(昭和三十一)年発行の年間句集である。折笠は早稲田大学文学部四年で、跋文を書いている。実質折笠が編集したものであろう。印刷人は髙柳重信である。(中略)
 折笠美秋は「銀河系」のタイトルで十五句を掲載する。(中略)折笠が消した作品群である。折笠が消した句を採録することが、折笠の名誉に与するかどうか。問題を承知しつつ、今は記録性に就いて、ここに採録する。

 とあって、十五句が採録されているなかの句である。また、その「解説にかえて」の中で、岩片仁次は以下のように書いている。

 彼が〈ALS〉という難病に囚われ、昭和五十八年、北里大学病院に入院するや、髙柳重信は、彼をなぐさめ、はげませ!と飛報を発した。それは同時に、重信の深い悲嘆の声でもあった。

 ともあれ、本集より、以下にいくつかの句を挙げておきたい。

   振りむけば氷雪 誰ももういない     美秋
   雪明り死者は夢見ることありや
   涙をお拭き 明日へ 雪明かりの妻よ
   「母」の字に最も近きが「舟」よ月明
   海の蝶最後は波に止まりけり
   冬の蝶その眼の炎えていたりけり
   青空を舞い落つ不覚の雪一ひら
  
   激天や

   凍死をこぼし
   溺死をこぼし


   石上三年
   石下は永遠や

   霙來る

 
   篝火や

   昨日炎えたる
   二人あり


   柩燃す
   その間も
   身籠る
   鵙よ鵙よ

   蝶も
   雪も
   聲の無ければ
   花ならん

   鬼と化し
   人と化し
   止まずの
   風と化す

   笑くぼして
   眠る山河や
   汝が死後も

   冴えわたる
   満月を見き
   虎と化さん

  折笠美秋(おりかさ・びしゅう)1934~1990、横浜生まれ。



             撮影・ブログ読者より ↑

2019年11月26日火曜日

前田一石「乱舞しているから影は映らない」(「川柳スパイラル」第7号より)・・



 「川柳スパイラル」第7号(編集発行人・小池正博)、特集は「短歌と詩の交わるところ」、執筆陣は彦坂美喜子「〈型〉を越えるために」、金川宏「二つの楽器」。彦坂美喜子の文中に、

 (前略)記紀歌謡における三音や四音あるいは六音や七音を規範とした字余り字足らずなどではない固有のリズム構成をふくんで表出されているとして、「五音とか七音とかいう音数の選択は、日本語の法則性からしても美的要請からしても、おそらく三浦のいうほどには原理的な必然性はなかったとわたしにはおもわれる」という。これは短歌定型の五・七・五という音数の必然性、絶対性を否定する。

 と述べている。また、

(前略)俳句は五七五の十七音であっても拍数としては三十二拍に他ならない、ということを必須の条件としているに等しい、という考え方にも驚かされた。
 五音句も七音句も、ほんらい八拍分の時間をふくんでなりたっているから、古来、「字余り」はかならずしも変則・破格として否定されはしなかった。むしろ五音句における六音、七音句における八音も「正格」として許容するものでさえあった、と書かれている。これは「字余り」「字足らず」の許容であろう。こういう論を読むと、短歌や俳句の音数律がその後の変遷のなかでいかに型にはめられてきたかが、思われる。

 とも記している。思えば、俳句形式についても、かつて坪内稔典が言挙げしていたように、まぎれもなく、「俳句」が生まれて100余年、いまだに「過渡の詩」なのである。毎号、言ってることだが、愚生のような川柳門外漢には、小池正博「現代川柳入門以前 第五回『読みの変遷』」は、川柳の有様を知るには有り難い連載である。
 ともあれ、以下に同人の一人一句を挙げよう。

   中央はあたためられてゆくばかり   畑 美樹
   ずっと間違っていた階段の段の数   湊 圭史
   孫か曾孫か 遭えたねカエル     一戸涼子
   猛毒が茶道室でも毒のまま      川合大祐
   老残より9月の杉の半分 影     石田柊馬
   自由祭ばななバラバラぶどうポロポロ 悠とし子
   アナログのまま四次元に来てしまう  浪越靖政
   火の鳥が羽ばたくばらもんばらもんと 飯島章友
   苦味とは白魚の目が黒いこと    清水かおり
   月ふたつ口から吐いて三つにする   小池正博
   ソテツのソ ラは蘭鋳の腹の裏    兵頭全郎  


2019年11月25日月曜日

浅沼璞「落葉搔く生き恥の音たてぬやう」(『塗中録』)・・・



 浅沼璞第一句集『塗中録』(左右社)、表紙のモノクロ写真は鴇田智哉。企画構成・北野太一とあり、著者「あとがき」には、

  一句を詠むごとに主体(みたいなもの)はどんどん変わっていく。一句一句ですらそうなのだから、句集を編むともなれば、かなり複雑な話になってくる。(中略)
 それを引き受けてくれたのが北野太一氏である。旧作から新作まで、発句体・平句体はもちろん、出来・不出来すら問わず、彼に丸投げした。(中略)
 連句的に拡散しがちな私の主体を、今回もうまく編集してくれた。「僕」や「俺」に随筆(みたいなもの)を書かせたのも彼である。いわば連句の捌き手のような役割を担ってくれたのである。

 表現における拡散と求心、それがこの本のテーマ(みたいなもの)であったと。いま月の下で思っている。

 と記されている。また、収載されたエッセイのなかに、

 俳句とともに連句ともながく付き合ってきた。五七五だけでなく、七七を一句として連ねてゆく、その韻律に魅了される人は多い。だから、だろう。七七定型を独立詩形とする試みが昔から絶えないようだ。自分も「只管短句症候群(オンリーたんくシンドローム)と銘うち、熱をあげたことがある。

 とあり、いくつかの短句も収録されている。例えば、

  めつ、と言ふまに水になる猫
  焼き払ひたき青空だった
  母の日傘が見おろしていた

 上掲の最後の短句は、その母の日傘が見下ろした光景・・・「母と妹は土手に腰をおろし、おにぎりを食はじめた。」のフレーズを持つエッセイに反映されている。
 ともあれ、連句人(レンキスト)・璞の面目躍如たる句集である。以下にいくつかの句を挙げておこう。

  ひでり星金網に四肢かけしまま       璞
  鱗なす秋水の奥にまで
  半仙戯ゆつくり脚も手も陰(ほと)
  笑窪だけ歳をとらずに九月尽
  魚ならここで手をあげたりしない
  まだ残る花火のふりをして残る
  轢き逃げのバックミラーに曼珠沙華
  小春日の地下を一歩も出ずにゐる
  するすると匙沈みゆく敗戦忌
  秋の水ゑがけばこの腕もながれ
  膨らみに後は締まりて風光る
  ひとりづゝ違ふ裸であらはるゝ
  
  さまざまの事おもひ出す桜かな   芭蕉
   核もふれぬに揺るゝふらこゝ    璞

  幾千代も散るは美し明日は三越   幸彦
   一億総中流を惜春         璞
  
浅沼璞(あさぬま・はく)1957年 東京都生まれ。

  
 

2019年11月24日日曜日

銀畑二「畦道を桂馬跳びして冬来る」(第145回「豈」忘年句会)・・・


第5回攝津幸彦記念賞の正賞(打田峨者ん・正面着席)、準賞(佐藤りえ・中列左、なつはづき・中列右側)、後列左より選考委員の大井恒行・高山れおな・筑紫磐井・池田澄子↑


 昨日は、隔月の第145回「豈」忘年句会(於:インドール)だった。一年に一度は必ず出席するという人も、また、遠路、群馬から北川美美、関西からは北村虻曵、堀本吟の出席もあった。夕刻5時からの懇親会には、池田澄子、高山れおな、登羊亭(山登〈やまと〉)各氏が駈けつけ、第5回攝津幸彦記念賞(正賞・打田峨者ん、準賞・佐藤りえ、なつはづき)の授賞も行われた。 以下には句会の一人一句を挙げておこう。

  枯蟷螂の背筋力のしたたかさ      森須 蘭
  陣取りのそこから冬が始まった    羽村美和子
  晩秋の水のかたちを彫り当てし     北川美美
  一陽来復丸まつてゆくレシート    吉田香津代
  なぞり行く煉瓦の起伏開戦日      飯田冬眞
  初しぐれ殴って行くもまた妹     小湊こぎく
  攝津・大本亡くて十二月の珈琲     筑紫磐井
  蝉落ちて土となりたるバビロニア    北村虻曵
  フユキタルデンキパンツヲカンガへル  川崎果連
  雪催スプーンに燃ゆる角砂糖     伊藤左知子
  電飾街深きに盛り塩 月太る     打田峨者ん
  逃げ道を残す優しさ葛湯吹く      渕上信子
  藁人形菊人形より多弁です       篠崎央子
  献花所にソース香れる一葉忌      西川由野
  銀河流れよ廃墟も青き水の星      井口時男
  遠峰に鳥渡りたる動悸かな       照井三余
  寒林に在れば吾も冬木にて       福田葉子
  引きおえた顔をしている大根引    杉本青三郎
  肋ぬけいでし隼吾になり       川名つぎお
  僧形に固まつてゐる茎の石      妹尾健太郎
  日記買ふ日から始まる月からか     銀 畑二
  うそぶくは自閉の室の室外機      堀本 吟
  秋深し三つ指ついて逝きまする     早瀬恵子
  雪月花に菊花ふくまず汝が郡(こおり) 大井恒行


中山よしこ「顔見世や足袋を干したる楽屋裏」(第197回「遊句会」)・・・

 
撮影・渡辺保↑


 21日(木)は、第197回遊句会(於:たい乃家)だった。兼題は蒲団・顔見世・山茶花・当季雜詠。一人一句を以下に挙げておこう。

  山茶花や踏み散らかして熊とほる        石原友夫
  世拗(よす)ね人蒲団被(かぶ)りて夢を食ふ  武藤 幹
  祖母仕立て母の繕う綿(わた)蒲団       天畠良光
  山茶花や一枝凛(りん)と侘(わ)び茶席    川島紘一
  山茶花を描いても詠んでも下手だなあ      渡辺 保
  山茶花や幼馴染みに会える道         中山よしこ
  笑み浮かべ寝顔ほっこり羽布団         前田勝己
  吾子ふたり「顔見世」頃に産まれけり      村上直樹
  メルヘンの国へ漕ぎ出せ干蒲団        山口美々子
  母逝きて陽溜(ひだ)め布団も温からず     石飛公也
  終電と言い訳しつつ出る蒲団          山田浩明
  香港革命白山茶花の散り敷ける         大井恒行
  
☆番外欠席投句・・・・

  山茶花のホームのマドンナ最高齢        林 桂子
  布団から逃亡できず遅刻です         原島なほみ
  顔見世や柝(き)の音に返す咳ひとつ      石川耕治
  山茶花の垣のあいだに猫がいる        春風亭昇吉
  顔見世や贔屓も競う大向こう          橋本 明
  山茶花や北風忍ぶ庭の隅            加藤智也 

 次回は12月19日(木)、兼題は虎落笛(もがりぶえ)・日記買う・鷦鷯(みそさざい・三十三才)、当季雑詠。 


2019年11月21日木曜日

生駒大祐「シュワキマセリ水中のもの不可視なり」(「オルガン」19号より)・・



「オルガン」19号(編集・宮本佳世乃、発行・鴇田智哉)、特集は「生駒大祐『水界園丁』。論考は藤田哲史「勤勉な詩人の比喩としての『園丁』」、岡田一実「句跨ぎのグル ーヴ感」、今野真「ゆったりとした明滅」、田中惣一郎「思い出、水の泡」。田中惣一郎は、

 (前略)わけもなく訪れた旅先で拾った一つの木の実が、帰り着いた自室の小さな抽斗にしまわれ、忘れられ、また思い出されつつ記憶の片隅に確かにあり続けるかのような天衣無縫の孤独の詩性を、生駒大祐句集『水界園丁』に私は見る。 

 と記している。他に、座談会「生駒大祐『水界園丁』を読んでみた」(田島健一×鴇田智哉×福田若之×宮本佳世乃)。なかに、ブログタイトルにした句についての発言がある。

 福田(前略)『水界園丁』の先行テクストは俳句に閉じてはいない。たとえば、冒頭の〈鳴るごとく冬きたりなば水少し〉をどう読むか。シェリーの詩を念頭に置くと、秋の句になってしまう。この句をあくまで「冬」のものとするなら、むしろたぶんキリンジの堀込高樹が書いた「冬来たりなば」を踏まえたものと読むことになるんです。「雜」の〈シュワキマセリ水中のもの不可視なり〉の〈シュワキマセリ〉もキリンジです。「もろびとこぞりて」だけでは表記の説明がつかない。キリンジの「双子座グラフィティ」という曲に、
  カーテンコールから昇る陽を仰ぐだろう
  アドリブをぬけたテーマに沸くだろう
  シュワキマセリだろう
という一節があるんですね。これは片仮名で「シュワキマセリ」。まだあるかもしれません。(中略)
鴇田 信治さんは書いてなかったけど、この句集の〈はじめから箸置にあり秋の山〉を読んだとき、ぼくは田中裕明の〈悉く全集にあり衣被〉を思い出した。言葉の運び方が似ているんだよね。いろいろな俳句を知っているほど、そうやって先行する句がオーバーラップしてくる。初めからそういうつもりで作ったかどうかは別にしても、これは有名な句だから知らない訳はない。どちらにせよ似ていることをよしとしたから句集に入っているんだと思う。田島君の場合は、そういうのは避けようとするよね、先行句があると、そうならないようにしたいと。 
田島 僕は結社に属しているからかもしれません。生駒君の句は素直で屹立している。あまり言葉や形式に負荷をかけることはしないように見えます。(中略)
宮本 たしかにこの句集はテクニックの塊ともいえる。
田島 素直さがあるから、テクニックに嫌みがない。
福田 でも、この句集の読みどころはテクニックじゃないと言いたい!

 と述べている。その他「連句興行」の巻玖「雜の発句を試みたり」と言う第一連のみになるが、紹介しておきたい。

  オン座六句「しやつくり」の巻   璞・捌/抜け芝・指合見

 しやつくりや電信柱まで進む     鴇田智哉
  ギターケースの中はからつぽ    浅沼 璞
 あはうみに雲のかゝれる月出でて   宮本佳世乃
  鹿火屋の灯りひとの佇む      福田若之
 着て騒ぐ羽の野菜の燕尾服      田島健一
  うち重なるもつゞく四次会     北野抜け芝

 ともあれ、本号の一人一句を以下に挙げておこう。

   雨の夜、こおろぎ、眠れないから愛みたいだ   福田若之
   峠、自転車の飛び込む銀河          宮本佳世乃
   実弾に色あり霧をくだく霧           田島健一
   あふむけに狐の剃刀つかふ           鴇田智哉 


2019年11月20日水曜日

藤原月彦「絶交の親友(とも)には視えぬ水瓶座」(「六花」第4号より)・・・



「六花」第4号(六花書林)、特集は「詩歌と出会う」である。詩人、多くは歌人、そして俳人たちが、詩歌に対する思い、考え方を述べている。愚生は一応俳人だから俳人のものにどうしても興味が湧く。ただ、多くの人は、最初に詩に出会っているらしい。ならば、短詩型を、改めて選び直す契機が必ずあるとおもうのだが、なかなか直截的に、シンプルに書いている人は余り見受けられなかった。面白かったのは堀田季何「飲むのが、人間だ、だから飲もう」の結びには、

  (前略)それっきり自由詩から離れたが、そのかわり、どんなジャンルの詩でも出会えばすぐに試してみるようになった。行ける口になったのだ。短歌の他、有季や無季の定型俳句、自由律俳句、連句、漢詩、川柳など言語を問わず、うまい酒を飲むように、いや、酒以上にうまいよ、今に至る。

 と記している。他の俳人では、今泉康弘「漫画の中に詩があるようにーMと漫画」、佐藤清美「希望を歌う」、九堂夜想「詩に逆らって、詩を」をそれぞれ執筆している。
 もう一つの注目記事は、愚生が「藤原月彦という現象」を書いているから、という我田引水もあるが、「『藤原月彦全句集』刊行記念特集」である。他に佐川俊彦「藤原さんの『黄昏詞華館』」、藤原龍一郎インタビュー「龍一郎と月彦」。佐川俊彦は、いわば愚生の知らない月彦、つまり雑誌「JUNE(ジュネ)」に連載された月彦の「黄昏詞華館」について、

 (前略)「JUNE」が一段落した頃に、箱入りハードカバーの豪華愛蔵本『JUNE全集』全十二巻も刊行されて、これもまた成功したのですが、その最初の企画書に入れておいた「黄昏詞華館」の巻は、社の上層部に、売れないだろうからと、真っ先に消されてしまったのでした。
 幻となった豪華愛蔵版『黄昏詞華館』・・・残念です。

 と記しているのは、愚生も同感、惜しいと思う。また、インタビューでは、

 ーー俳句から離れてしまった理由は何でしょうか。
藤原 やはり、饒舌な自分にとっては俳句は短すぎると思えたことと、自分が生きている時代の中での喜怒哀楽は、短歌でしか詠えないと思ったので。(中略)
 
藤原 今後の予定は、実は月彦名義の本がもう一冊、ふらんす堂から出ます。『夕月譜』という題です。昭和の末期に俳人秦夕美さんと「巫朱華」という二人誌を九冊出しました。そこに二人の共作ということで、毎号、頭韻や脚韻を同時に踏んだ三十句や、特定の漢字が卍型に見えるような何十句とか、言葉遊びをつくした共作作品が十作以上ありました。それをこの際まとめることにしました。全句集を面白く読めた方には、この『夕月譜』も楽しんでいただけると思います。
 これで月彦は完全に終了です。

と語っている。

藤原龍一郎(ふじわら・りゅういちろう) 1952年福岡生まれ。 



★閑話休題・・・大井恒行「戒厳令和パレードなんの華やぎぞ」・・・


 じつは愚生、先日6日(水)にPSA値が高く、三年前に続く二度目の前立腺がんの疑いによる検査入院をし、その結果が本日出た。悪運はまだ残っているらしい。三年前のPSA値が約12、そのとき60%はがんだが、40%はそうではない可能性あり、と言われ、生検で、この時はシロ。その後、半年ごとの経過観察でも、血液検査による数値はその前後を推移していたのが、半年前に16に上がり、この度はさらに上がり、22強だったので、さすがに医師は生検を再びしないわけにはいかない・・ということだった。そして、生検は、ふたたび「がんではありません。体質的に数値が高いのかなぁ・・」と医師。今回は、麻酔による後遺症も前よりは軽く、ただ、血尿は、前回よりは少し長引いたのだが、とにかく疑いは、ふたたび晴れて、しかし、前立腺肥大は歳並みにあるので、もっとも軽い薬を、当面飲むことで、経過観察とあいなった次第。ホッとして、帰路にはいつもの医院で降圧剤を一ヶ月分と・・・、これで合計日々4種類の薬を飲む仕儀となってしまった。
 ともあれ、向寒の折り、皆様、お身体大切に、ご自愛下さい。



2019年11月19日火曜日

福島泰樹「前衛は方法ならずましてはや意匠にあらず反逆の志よ」(「短歌往来」12月号より)・・



 「短歌往来」12月号(ながらみ書房)、ブログタイトルにした短歌「前衛は方法ならずましてや意匠にあらず反逆の志よ」は、福島泰樹連載「時言・茫漠山日記より/212 バリケード・一九六六年二月」からのもので、懐かしく、思わず読んだ。それには、
 
 十月十三日(木)角川短歌グラビア「思い出の記事」脱稿。一九六六年六月、敗走してゆく闘争の中、吹き曝されたバリケードに凭れて読んだのが、菱川善夫「実感的前衛短歌論ー『辞』の変革をめぐって」であった。体に激震が走った。そうか、激しく葛藤し鬩ぎ合う詩型短歌は、自らの志を問う思想であらねばならない。それゆえの美、それゆえの前衛!

 とあった。そういえば、先年、面識のない菱川喜夫夫人・和子さまより『菱川善夫歌集』(短歌研究社・2013年12月刊)、「夫の初めての歌集ー。志を立て短歌の道を選んだ十代の若き日からの歌が、一冊の歌集となったことを、夫は悦び感激するであろう。そのことを私の喜びしたい」(「あとがき」)とある、まさに遺歌集にして全歌集を恵まれたことを、まざと思い出した。 



 
 ともあれ、本号のメイン特集は、愚生も寄稿した特集「題詠による詩歌句の試み17 街」についての15名による競作である。詩人は貞久秀紀・井坂洋子・野村喜和夫・中本道代・竹田朔歩の5名(詩篇は長いので割愛する)。以下に歌人、俳人の各一首、一句を掲載順に紹介しておきたい。

  マンションの八階に住みてわが娘(こ)飼ふ二匹の猫を父はかなしむ 小池 光
     「千里往って千里還る」。寅蔵の女の子は霊力を買われ、
      出征兵士のために赤い糸を刺し続けた。
  辻小春千日針をけふも刺し                    黒田杏子
     ドイツでは
  電話なき電話ボックスに本あふれ物々交換古本市場         俵 万智
  葉牡丹はビルの根本に滲みをり                  櫂未知子
  鎌倉は紅葉谷(もみじがやつ)の奥の奥瑞泉寺はあり訪ねて来ませ  大下一真
  走る子供と雄日芝と雌日芝と                   山西雅子
  街はただ駅のめぐりに 坂の上はけはひのあらず鎖せる実家    花山多佳子
  待つわって言ったあんパン街は雪                 坪内稔典
  「新宿の眼」というガラスの角膜に映るすべてを見ているなにか   松岡秀明
  街角より白泉の猫丘を見る                    大井恒行 


  

  

2019年11月18日月曜日

永井荷風「蘭の葉のとがりし先や初嵐」(『美しい日本語 荷風Ⅰ』より)・・・



 持田叙子・髙柳克弘編著『美しい日本語 荷風Ⅰ 季節をいとおしむ言葉』(慶應義塾大学出版会)、帯の惹句に、

 季節の和の文化に酔いしれる/ 永井荷風の生誕一四〇年、没後六〇年を「記念して、荷風の鮮やかな詩・散文、俳句にういういしく恋するためのアンソロジー。

 とある。本著は二部構成で、第一部は持田叙子「荷風 散文・詩より」、第二部は髙柳克弘「荷風 俳句より」から成る。ここでは、二部・俳句の部のみを、少し紹介しておこう。 

   椎の実の栗にまじりて拾はれし    明治四十四年作

 この句の季語は「椎の実」と「栗」、平気で季重なりを侵していた荷風であるからそれ自体は珍しくない。興味深いのは、たいがいの人間は「椎の実」と「栗」であれば当然、食用になる「栗」の方に目がいくにもかかわらず、この句の主役はあきらかに「椎の実」であるということだ。(中略)
 われわれ愚鈍な一市民は、桜が咲いた、とか、蝉が鳴き始めたというような、”指標”でもって季節を認識しているにすぎない。荷風はそのような大雑把な見方ではなく、風景の細部注目して、微妙な質感や情感の”差異”の発見を求めて、視点はあちこちへせわしくなく移動する。荷風は、集中型の俳人ではなく、拡散型であった。
 だからこそ、彼の句は、専門俳人が見過ごしてしまうような季節の現象も掬い取っている。

 という。また、ブログタイトルにした句「蘭の葉のとがしり先や初嵐 『荷風百句』」に触れては、

 (前略)しかしこの句は蘭の花を詠むのではなく、季語にはならない「蘭の葉」を対象にして、別個に「初嵐」の季語を配している。非凡なのは、「蘭の葉のとがりし先」と、その鋭い葉のありようを浮き上がらせているところだ。「初嵐」は初秋に吹く強い風のことであるが、風の切っ先が蘭の葉の鋭さとどこか通い合っている。(中略)
 そのとがった葉が示すさきを辿れば、初嵐に吹かれて乱れる外界の草木も見えている。彼はそこへ踏み出そうとはしない。無視するのでもなく、進んで関係するのでもない。つかずはなれずの、外界との距離の取り方が、いかにも心地よい。この句はそんな荷風の人生訓とも読めるのだ。
 俳人荷風ー一筋縄ではいかぬ、なかなかしたたかな作り手だ。

と締め括っている。

 持田叙子(もちだ・のぶこ) 1959年、東京生まれ。
 髙柳克弘(たかやなぎ・かつひろ) 1980年、浜松市生まれ。





★閑話休題・・・髙柳克弘「秋分を羽なきものらおろおろと」(「ビッグコミックオリジナル 10月5日号)・・・ 


 愚生の持病の毎月処方される薬を求めて、薬局に置かれている雑誌の表紙に、髙柳克弘の句を見つけた。もう一句は「聖家族万引き家族運動会」。



2019年11月17日日曜日

平敷武蕉「沖縄を見殺しにして 令和」(『修羅と豊穣』より)・・



 平敷武蕉『修羅と豊穣ー沖縄文学の深層を照らす』(コールサック社)、解説は鈴木比佐雄「沖縄の『修羅と豊穣』とは何か」。その冒頭に、

 現在、最も旺盛に沖縄文学全般を視野に入れて批評活動をしている平敷武蕉氏が、『修羅と豊穣ー沖縄文学の深層を照らす』を刊行した。一章「小説」、二章「俳句・短歌・詩」、三章「社会時評と文芸」、四章「書評の窓」に分かれ三八四頁にもなる大冊だ。

 とあり、愚生は俳人だから、当然のように第二章の「俳句」の部分に目がいく。とりわけ、その項目では、愚生のよく知らない沖縄の俳句状況に触れた「時代と向き合う沖縄の俳句ー二〇一七年・俳壇・年末回顧」、「政権の暴走 俳句の保守化誘発ーニ〇一八年・俳壇・年末回顧」の「沖縄タイムス」掲載の時評によって、おおよそを知ることができる。その2017年回顧の部分には、

  相変わらず自然詠と時代に従順な俳句が主流を占める本土俳壇に比して、沖縄の俳句人たちは、年間を通して時代に向き合う句を発表している。

とあって、その締めの句は、「天荒」の野ざらし延男の、

   地球の皮を剥ぎ除染とは何ぞ     延男
   火だるまの地球がよぎる天の河

 もう一つ紹介しておきたいのは、「豈」同人でもある井口時男『永山則夫の罪と罰』についての書評「はまなすにささやいてみる」。井口時男句集『天來の独楽』(深夜叢書社)の抄出句について記された部分(句は愚生引用)、

  刑務官ら破顔(わら)へり若き父親(ちち)なれば    時男
  網膜を灼(や)く帽子岩陰画(ネガ)の夏
  夏逝くや呼人(よびと)といふ名の無人駅
  (くら)く赤く晩夏の影絵となりて去る
  はまなすにささやいてみる「ひ・と・ご・ろ・し」

 句を読むと、永山が作った作品かと思ってしまうが、、これは『永山則夫ー』の著者であり句集の著者でもある井口時男氏が、永山の立場に身を移し入れる形で作った俳句である。井口氏は、実際に、永山の立ち寄ったであろうその現地を訪れてこれらの句を作っている。そのため、その場面や心境、永山の文章上のこだわりなども、永山のそれに擬している。「破顔(わら)へり」「灼(や)く」「夏逝く」「昏(くら)く」などの漢字の特異な使い方にも漢字表記にこだわったという永山のそれが表れている。
 〈はまなすにささやいてみる「ひ・と・ご・ろ・し」〉の句は一変して、漢字表記を退け全部平仮名を用いている。
 飢え死にせんばかりの極貧と、母親やきょうだいからの虐待、そして捨て子にされた体験を負いつつも、はまなすの花の赤く咲く網走の砂浜は故郷の思い出として記憶に強く焼き付いている。が、しかし、四名も殺した人殺しー。この句は、人殺しという許されざるその行為を獄中において悔いているという設定で書いている。(中略)

 そして「〈はまなすにささやいてみるー〉には、自分への呪詛と深い贖罪の問いがある」と結語されている。

 平敷武蕉(へしき・ぶしょう) 1945年沖縄県うるま市(旧具志川市)生まれ。





★閑話休題・・・葉山美玖詩集『約束』・・・


 版元・コールサック社、解説者つながりで葉山美玖『約束』(コールサック社)、解説は鈴木比佐雄「「悲しみを幸福へと裏返していく愛の詩編ー葉山美玖詩集『約束』に寄せて」。冒頭の「生まれる」一篇を紹介しておこう。

   生まれる
 
 1964年9月25日
 東京広尾の愛育病院の一室で
 私は生まれた
 
 新幹線開通の年
 さびれた単線電車のプラットフォームで
 私は生まれた

 東京オリンピックの年
 アベベ・ビキラの踏みつけた足の裏で
 私は生まれた

 ベトナム戦争勃発の年
 トンキン湾で
 私は生まれた

 ビートルズが初訪米した年
 熱狂するファンの女の子の子宮に
 私は生まれた

 1964年
 私は
 そこかしこで生まれた 


 著者「あとがき」には、「(前略)十二年前の私はそんな極々当たり前のことも出来ない人だった。一日四十錠以上薬を飲まされていたので体も頭もふらふらするし、徒歩で人の集まる場所に出ると軽いパイプ椅子を二脚運ぶだけで息がゼイゼイした。だが、私は詩を書き始めていた」とある。「家族の反対を押し切って薬を出したがらない主治医るクリニックに転院し」たともあった。だが、「今の私は、一人でご飯も炊ければ味噌汁も作れる。簡単な料理や副菜も作る。毎日洗濯をして、時折詩人の集まりに参加して暮らしている」らしい。

 葉山美玖(はやま・みく) 1964年東京生まれ、さいたま市(旧浦和市)生まれ。



            BLOG読者より ↑

2019年11月16日土曜日

渡邉樹音「一葉の硯静かに冬はじめ」(第11回ことごと句会)・・

 

 本日は、第11回ことごと句会(於・ルノアール小滝橋店)だった。雑詠3句に、兼題は「馬・駒」。以下に一人一句を挙げておこう。

    畦道を桂馬跳びして冬来る     銀 畑二
    良い人で終わる小春の縞馬と    渡邉樹音
    太刀魚に鬱の息子と秋空と     照井三余
    避難所に柿剥く人や正座して    武藤 幹
    黄黄黄黄黄駒場の秋のオノマトペ  江良純雄
    日の射すや神馬玄冬古びつつ    大井恒行



★閑話休題・・第56回現代俳句協会全国大会・・・

  句会を終えた後、第56回現代俳句協会全国大会(於・東天紅)、午後5時からの懇親会に間に合うよう足を延ばした。文化功労者・宇多喜代子の祝意の挨拶(上掲写真)を聞いて、久しぶりの方々、そして、世代交代著しく、若い世代と歓談したが、愚生は、長時間、家を留守にもできないので、中座させてもらった。
 現代俳句大会賞は、

   津波知るものばかりなり磯菜摘み    秋田市・ 和田 仁
   湯冷めするように昭和が遠くなる   足柄上郡・ 尾崎竹詩

題詠「令和」の部は、

   鍬の柄に令和元年夏と記す      若松市・ 湯田一秋
   梅干して昭和九十四年かな      豊島区・ 樋口昇る
   

2019年11月15日金曜日

黒田杏子「屋根から乗りて竹馬の女の子」(『歳時記ものがたり』より)・・



 榎本好宏『歳時記ものがたり』(本阿弥書店)、『森澄雄 初期の名吟』(樹芸書房)、前著の「あとがき」にもあるが、20年前に、平凡社「別冊・太陽」の企画で「日本を楽しむ暮らしの歳時記」(全4巻)を編んだという。収載された全部の季語解説を一人でされたらしいが、

 これまでの歳時記の季語解説にはない、読み物として面白い内容をとの特別な注文も付いた。

 とあり、また、

 以後、『季語の来歴』(平凡社刊)など何冊かの著書を上げたが、季語と私の生活は切り離せず、ここ三年程をかけて纏めた五十一篇が、この一集『歳時記ものがたり』である。

 とも記されている。なかの項目によっては、重複する記述もあるが、邪魔にはならない。たしかに、歳時記にまつわる季語のひとつひとつの源をたどり、思わず興味を惹かれていく書きぶりだから、面白く読めないはずはない。例えば、「七と五と三は聖数」の部分で、

  (前略)次の五歳の男の子の袴着は着袴(ちゃっこ)とも言い、嬰児(えいじ)から幼児への成長の祝いということになる。古くは三歳の折の行事だったが、近世の頃から五歳の吉日を選んで行われるようになった。
 その儀式がまた振るっている、父親または親族の顕職(身分のある者)が、袴の紐(ひも)を結ぶ。武家のそれはもっと格式ばっていて、五歳の子を恵方の方角に向けて碁盤の上に立たせ、麻の上下を着せ、左の足から順に袴を穿(は)かせた。この男の子に、お祝差(おいわいざし)と呼ぶ二本の刀を差させ、産土神に詣でた後、祝いの宴が持たれた。

 とあったりして、思わず吹き出してしまいそうなことが、まことしやかに行われていたことを知る。ブログタイトルにした句,黒田杏子「屋根から乗りて竹馬の女の子」は、「『竹馬の友』と『騎竹之年』」の部分にでてくる場面で、

 (前略)黒田さんは、今でもその名残りがあるが、さぞお転婆だったのだろう。低い物置の屋根などから竹馬に乗ったというのがこの一句。

 と書かれている。

 後著の巻末には、師・森澄雄の没後10年にあたることもあって、追悼文二編「旅と和綴じ長帳」(平成22年8月24日「東京新聞」)、「白鳥夫人の許へ」(8月22日、毎日新聞)が収載されている。その中に、

  除夜の鐘妻白鳥のごと湯浴みをり
の、やや艶(つや)っぽいものだった。この紙のコピーは今も私の手許(てもと)にあるが、以後誰言うとなく、白鳥夫人と呼ぶようになった。

 の述べられている。ともあれ、集中より、いくつか森澄雄の句を挙げておこう。

  妻がゐて夜長を言へりさう思ふ      澄雄
  木の実のごとき臍もちき死なしめき
  なれゆゑにこの世よかりし盆の花
  家に時計なければ雪はとめどなし
  雪嶺いとたび暮れて顕はるる
  寒鯉を雲のごとくに食はず飼ふ
  秋の淡海(あふみ)かすみ誰にもたよりせず
  ぼうたんの百のゆるるは湯のやうに
  さるすべり美しかりし与謝郡  

榎本好宏(えのもと・よしひろ) 昭和12年、東京生まれ。



撮影・鈴木純一 ↑

2019年11月14日木曜日

池田澄子「忘れちゃえ赤紙神風草むす屍」(『俳句の射程』より)・・



 原雅子『俳句の射程』(深夜叢書社)、帯の惹句に、

 俳句と出会う、俳句と生きる
現代俳句協会年度作品賞、角川俳句賞受賞作家による、Ⅰ〈現代俳句を読む〉(「梟」誌)とⅡ〈秀句の風景〉(「雁坂」誌)連載シリーズを合わせた湊合詞文集。瑞々しい感覚、詩意識で紡がれた俳句日めくり暦。時代を超えて心に響く俳句史の珠玉を真に味読するための必携の好著。

 とある。「豈」の同人諸氏の句の評釈を探したが、池田澄子と山﨑十生の二人のみの搭載であったので、まずは十生の全文を引用し、後に、池田澄子部分をのみ、以下に抄録紹介しておきたい。

   カンナとはフレンチカンカン祖(おや)とせり     山﨑十生
 
 一読、唖然。頭にこびりついてしまった。レビューたけなわ、極彩色の膨らんだスカートの群が狂喜乱舞の出現をするのがこのダンス。真夏に咲くカンナのイメージが交錯する。それが一句のすべて。

 と記されている。さて、池田澄子の句に関する部分は以下、
 

 多くの死者を出した震災ののち、世情への不安感は次のような作品となって表れてくる。

  忘れたり三・一一も英霊も  照井 翠
 横道に逸れるが、この句から思い出したことがある。
  忘れちゃえ赤紙神風草むかばね
 照井句の「忘れたり」も池田句の「忘れちゃえ」も断定の語である。だからといって、これを文字通り受けとる者はいないだろう。怒りをこめた反語としての言葉なのだから。
 だが、池田句の発表当時、忘れてしまえとは何事かという異論が出て物議をかもしたのを覚えている。ずいぶん浅い理解をしたものだと思ったし、何となく立ち消えになってしまったが、表現の文脈上は確かに否定の語はどこにもない。読み手の側との共通理解となる戦争否定の意識があってはじめて、作者の意図は支えられる。さらに当時、池田句擁護の意見の中に、
  あやまちはくりかへします秋の暮
を引いて、これと同じことだからという評もあったのだが、三橋句の場合は「あやまち」という、判断を示す語がはっきり入っていて、作者の意図は宙に浮かないように仕立てられていている(ついでに補足すると三橋句は原爆死没者慰霊の碑文〈あやまちは繰り返しませぬから〉を下敷きにしている)。
 短詩型ことに俳句は読者に委ねる部分の引き締め方、緩ませ方が重要なのだとつくづく思う。共通理解の範囲は普遍性とも係わってくる。

 と、その読みを明快に示してくれている。この共通理解という認識の範囲は、それでも、つねにクエッションにされているのだろうか。その意味でいえば、攝津幸彦の、

  南国に死して御恩のみなみかぜ   幸彦

の句の評価もこの句を読む世代によって、句の評価が大きく変わる句のひとつである。池田澄子「忘れちゃえ」の句の評価の分岐も同じ根にあるように思える。時代の背景による、時代の負っている感性、それを時代の文脈とでもいうべきか。たしかに、そこには三橋敏雄の「あやまちはくりかへします」の示す強いメッセージ性はないのかも知れない。
 ともあれ、本著には池田澄子の句は多く取り上げられているので、その中からいくつかを以下に挙げておきたい。

  こころ未だ家でめそめそ青葉垣       澄子 
  松過ぎの子らに普通の空気あれ
  風花や何を言いかけたんだっけ
  こころ此処に在りて涼しや此処は何処
  春寒の灯を消す思ってます思ってます
  枯れるべきもの枯れきりぬ日の恵み
  蓬来やプラスチックは腐らない
  哲学や下学や薩摩芋の句
  産声の途方に暮れていたるなり
  青い薔薇あげましょ絶望はご自由に

 原雅子(はら・まさこ) 1947年、東京生まれ。

 

2019年11月12日火曜日

木割大雄「さてもさて俳句はタテ句鬱王忌」(「カバトまんだら通信」第42号より)・・



「カバトまんだら通信」第42号(カバトまんだら企画)、赤尾兜子のことなら、何でも聞いてほしいという木割大雄、その冒頭の挨拶「おひさしぶりです」に、

 平成八年、師を語る、ただそれだけのことを始めてようやく四十二号です。師を語る、と書きましたが、本当に人様の前で語ったことが一度だけあります。平成二十九年二月二十五日伊丹市の柿衞文庫というところ。大阪俳句史研究会の講座でした。(中略)
 今年で師・赤尾兜子没後三十八年になります。

とあり、本号のメインはその講演録「赤尾兜子 人と作品」の再録である。関西弁の語り口が魅力的だ。一部を以下に紹介する。
 
 (前略)宇多喜代子も言うんです。「渦」といえば、、中谷寛章と藤原月彦しか知らん言うんですヮ。俺の名前言わへんねん(笑)。というのは私が出来の悪い弟子やということを百も承知なんで、出来が悪い弟子ですから、多分かわいがられたんだろうと思ってるんですけどね。
 中谷寛章という男が、これまた幻の男でございまして、ここに「青」の古い雑誌を持ってきたんですが、この「青」の雑誌に波多野爽波の巻頭が中西愛、ずーっと後ろに来まして山本洋子、友岡子郷、で、ずーっと来まして三句欄に京大・中谷寛章、二句欄に尼崎・木割大雄、同じく二句欄に京大・原田暹ていう時代があったんです。で、この京大の中谷寛章が私より一足先に「渦」に入ってますね。その中谷寛章は昭和四十八(一九七三)年に亡くなるんです。(中略)

  棺に下駄君が好みし目刺なども

は、中谷寛章追悼句です。

  空鬱々さくらは白く走るかな

 この辺りから鬱病が始まるんです。ということは一番最初に鬱病らしきものになるのは中谷寛章が死んでからです。中谷寛章が死んでから先生が気が弱くなる。だいたい鬱病は躁病を同時に持ってはるんです。躁病の時は往生しまんねん。長電話がかかってきてね。躁病鬱病にありながら私はずっとそばにいました。そんな中でいろんな句を書いてくるんですが、思い出すままに、そうですね、私が好きだった句は『歳華集』に掲載の、

  春意とは山墓箒立てしまま    (中略)

 で、兜子先生が亡くなる前にお兄さんの赤尾龍治さんが亡くなってはるんですね。お兄さんが亡くなった時にね、さみしそうに言いましたわ。「木割、これでな、俺怖いと思う人が一人もおらへんようになってん」と言いましたんですね。それも最後の悲しい時のことにひきずっているんではないかな、と思うんですけど。
 で、この〈降る雪に幽(しづ)かないのりつゞきしが〉を発句として、〈ゆめ二つ全く違ふ蕗のたう〉を挙句として読んでみてほしいです。そうすると、赤尾兜子が一生かかって、一生を棒に振って一巻の連句を巻いていたというふうに思って赤尾兜子の句を読んでもらったら私は嬉しいなって思うんです。その中で皆さん好きな句が一句でも二句でも出てきたら嬉しいないうふうに思います。

 また、他のエッセイ、「ー兜子の旅ー ピアノの上で」の中には、

 在る夜、句会のあと兜子が編集部の一人を呼びよせた。その一人とは、私を句会に誘った男。
 彼が、私につき合えと言う。(中略)
 その深夜。居酒屋で兜子の激する光景に出会った。
 のちのち、あれには困ったと多くの人が言う。
〈兜子の激しい姿〉。それに私はハマってしまったのだ。
兜子の作品に惚れたのではない。兜子の、俳句に対する熱情に誘いこまれたのだった。
その夜から兜子作品を筆写し、俳句とはナニ?と考え続けるハメになってしまった。

 ともある。兜子を語らせれば、この人、木割大雄の右に出るものはいないだろう。
 ともあれ、木割大雄の句作品も掲載されている。その中から、愚生の好みでいくつか挙げておこう。

  春の草昨夜の雨と別れけり       大雄
  深々と腰折る人にちるさくら
  酒癖の悪しき女と梅雨の傘
  ムシヘンを習わぬ子らと蝉時雨
  消しゴムが土に還らぬ白露かな


 

2019年11月11日月曜日

神野紗希「コンビニのおでんが好きで星きれい」(『もう泣かない電気毛布は裏切らない』より)・・



 神野紗希『もう泣かない電気毛布は裏切らない』(日本経済新聞出版局)と『女の俳句』(ふらんす堂)、相次いで刊行されたエッセイ集。後者はふらんす堂の季刊誌「ふらんす堂通信」に2012年から2018年までの連載稿に加筆修正されたものなので、全部ではないが、折々に読んでいたものも含まれている。毎号の「女」にかかわる例句が20句ほど掲げられていて、なるほど、愚生は、そのあたりにまつわる句はほとんど書いて来なかったな、と改めて思った。それでも、髙柳重信や攝津幸彦の句が引用されているのを目にすると、我がことでもあるかのように少し喜びがある。
 前著は、新聞に掲載されたエッセイが主なので、面白さ、興味深さからすると、軍配は前著に上がる。後者は、むしろ、「女」の俳句をめぐる資料には良いかも知れない。
 例えば、前著の「きっと、ダイジョウブ」の冒頭に、

 二歳の息子の前で一度だけ、ぽろぽろ涙をこぼしたことがある。「どうしたの?おなかイタイの?」はじめて見る母の涙にきょとんとした表情の息子。
 「悲しいことがあったから、泣いちゃった」と答えると、顔をぐっと近づけてきて、自分の涙を拭うときのように、手の甲でグイッと私の涙を拭いた。そして「なみだ、悲しい、なくなったよ。拭いたから、もうダイジョウブ!」とにっこり笑った。

 とあって、その光景はよくわかる。愚生が同居している孫もちょうど同じほどの年齢、会話も言葉の量も日々驚異的に獲得していく。愚生は、親としては全く失格で、まるで父親不在の母子家庭のよう・・・と世間様には言われていたたらしいから、忸怩たるものがある。家庭をかえりみない懲りない人生だった。これまでを悔い改めて生き直したいと思ってもそう一筋縄ではいかない。愚生の愚痴はさておいて、著者「あとがき」を読んで、少し驚いたのは、「日本経済新聞社文化部の干場達矢さんには、執筆の折々にアドバイスをいただき、言葉には宛先があることを教わった」とあったことだ。彼、干場達矢は、一年に一度の刊行となっている最新号「豈」62号より、「豈」同人となられているのである。池田澄子との縁による。「物やれば」の題で、20句を発表している。いくつか、挙げよう。

  春愁の手暗がりより来たるかな     達矢
  彫刻に掌の記憶あり夏の雨
  露の世やホットケーキは朝食べる
  犬あつまって裸の犬もゐる師走
  冬野より帰りて日記書かざる日

 後著『女の俳句』からは、目に付いた「豈」同人の句と神野紗希の句をいくつか挙げておこう。

  人類の旬の土偶のおっぱいよ            池田澄子
  春闌(た)けて蔓物(つるもの)多き姉の閨(ねや) 攝津幸彦
  涼しさは卑弥呼と卑弥呼すれ違ふ         高山れおな
  平凡な名前がよけれ女の子             筑紫磐井
  討入や少女漫画の花泡立つ             中村安伸 
  寂しいと言い私を蔦にせよ             神野紗希   
  新妻として菜の花を茹でこぼす            
  出社憂しマスクについた口紅も              


神野紗希(こうの・さき) 1983年、愛媛県松山市生まれ。