2018年1月31日水曜日

野口裕「ヒメジョオン点るや土の駐車場」(『のほほんと』)・・・

 今日は、「豈」元同人・冨岡和秀の野口裕句集『のほほんと』への鑑賞を転載させていただく。愚生自身は、このブログを、一息で書ける範囲と、ほぼ一時間以内に書き終える範囲で更新させてもらっている。その掟破りになるが、元はといえば冨岡和秀が認めたものだから、手間はない。というわけで以下にそれを貼りつけることにした。ご一読あれ・・・。
(1月3日の愚生のブログでの「のほほんと」の選句と、「空蝉の」句を除いて全く違うところは、いかにも冨岡和秀らしい?選句だ)。



ー冨岡和秀による野口裕句集『のほほんと』(まろうど社)評ー


 野口裕句集『のほほんと』が昨年の歳末に刊行された。著者は物理学を教える人である。日ごろはそのために多忙であるというが、阪神大震災が起きる少し前のある日、「のほほんと」という言葉が口をついてでたという。その頃から俳句が出来始め、その後、だんだんと、物狂いのように俳句狂になったようだ。
    思うに、達観して良いものを作るにはある種の物狂いが、古来から多々見られる。この句集「のほほんと」もまた、その末裔に連なるものであるだろう。表紙カバーの絵は御子息の画家野口毅さんの筆になるもの。ゴリラかボノボを想わせる絵が「のほほんと」の味を出している。
    この句集は「塵・仮面・動物臭・夢坂・根・空」の六章立てである。章の名前を六つ並べるとなにやら渋い異風が感じられる。印象的な句を挙げてみよう。
  ]内は読んだ感想。

      
蒼白と塗られ一つ目の木が燃える
[木が燃え尽きると塵になるが、「蒼白と塗られた一つ目の木」となると、凄みが感じられる]

生きものよ鏡の向こう   こちら側
[ものを写す鏡を境に向こう側とこちら側を指示するからには、生きものだけではないだろう。鏡は不思議さへの入口でもある。どちらかの側に魔物の如きものがいそうだ、と想わせる]

唇を消し言葉がこもる福笑い
[句に書かれたとおりに試してみると、笑いを誘われる。当然ながらユーモアがあり救われる]

無音韻光をからめ木の葉降る
[木の葉が降る情景は光がないと見えないが、その光を含んだ情景の上句に音韻の無を形容的に配したところが深みを感じさせる]

       仮面
ハッブル忌あゝ麗はしい距離(デスタンス)
[詩人の吉田一穂に、「あゝ麗はしい距離(ディスタンス)/つねに遠のいてゆく風景」という詩句がある。その本歌どりであろうが、天文学者ハッブルの名前を冠したハッブル宇宙望遠鏡とそこから見た宇宙の麗わしい画像が何万光年遠のいている距離も連想させる。ハッブルの忌日が遠くなりゆくという意味も含み、そこに麗わしい距離を感じる。そのようなことを想わせるハッブルへのオマージュの句、と読める]

柿ピーに混ざる小魚クレーの忌
[小魚のような形をした「柿ピーナツ」の菓子に、青騎士の画家クレーが描いたマジカルな小魚を連想し、クレーの忌日を想うというクレーへのオマージュとみなせるだろう。また、古代地中海世界では魚の絵はキリスト教のシンボルでもあった]

この世から染井吉野の無人駅 
[染井吉野といえば、桜。「この世」と桜から、西行の和歌「ねがはくは花の下にて春死なんそのきさらぎのもち月の頃」を想起する。下句の無人駅がこの世からの始発駅なのだろうか]

流沙の波紋液体の耳
[流沙と液体と耳という異質なものをひとつの句の中に凝結させたのが、俳句的シュルレアリスムといえるだろう]

       動物臭
紙の運命静かな千年経ちにけり
[勝手な読み方だが、紙と千年で、平家納経を想わせる。阿弥陀経、法華経、般若心経などを、平家一門が自らの繁栄を願って厳島神社に収めて千年近い約九百年を経ているが、納経の後、たかだか数十年で繁栄した平家は滅び、納経類は静かに残っている。盛者必衰の理(ことわり)。この他にも「紙媒体に残されそれを残した人達のいない千年を背負った運命」があまたあるだろう]

誕生と死とのみ記し年譜とす
[簡単な年譜が人生の無常迅速を思わせる]

箱ビルの窓を魔鏡として西日
[魔境という言葉が要になってふと見上げた強化ガラスのビルに間接的に西日が映える光景を捉えている。西であることで落日、西方浄土へ連想を飛躍させる]

ヒメジョオン点るや土の駐車場
[攝津幸彦の『鳥子』所収の句、「ひめじょおん洗面器じゅう受胎せり」の本歌取りだろう。土の駐車場に「咲く」とせず、「点る」としたのが花の命を駐車場に光る目印にもさせているかのようだ]

葉桜の隙間透き間の梵字かな
[葉桜の隙間にある空間を「梵字」と見立てたところが、生きた葉桜の隙間空間を、古代サンスクリット由来の梵字によって視えざる死者の哀悼空間に読み替え透視しているといえる]

どんぐりや言葉で語る宇宙論
[宇宙全体はどんぐりのような楕円なのか。いやしかし多次元宇宙論もある。などなど素人でも宇宙論をいろいろ語れるだろう]

      夢坂
銀河ひとつ放り出されて鼠講
[五千億はあるらしい銀河のなかで、地球のある銀河もひとつ放り出されたようにこの壮大な宇宙にある。あたかも鼠講のように、と壮大宇宙を鼠講に収斂させたような句]

万物は水    しこうして蓮の花
[万物の本質を「水」と唱えたのは古代ギリシアの自然哲学者タレスだが、これはすなわちこの世の本質は「水」だとしたのであるが、それを受けて、「蓮の花」という浄土に咲くと言われる東洋的な来世観を句の後半に配したのは理に適った感がある。西洋の地上観と東洋の天上観を対比し配された句]

生きながら我が喪に服す枯蟷螂
[蟷螂が枯れたような姿で死んであるのを目にすることがある。その姿をまだ生きていて自ら喪に服す、と捉える句。数百年前なら人間も九相図に描かれたような実態があった。他者から見れば句にあるような蟷螂に見立てた喪があったかもしれない]
        
       
曼荼羅から曼荼羅へ夏燕
[根と題された章の句。曼荼羅は世界の縮図で根幹と考えれば、夏の燕はそれを俯瞰する悠々たる洞察者的眼差しの持ち主である]

      
舌なくば歯科医は楽か夏の月
[ユーモアを感じさせる句であると同時に、舌がないと鬼にでも抜かれた話が思い出され、歯科医は鬼?]

空蝉に蝉が入ってゆくところ

[空の章にこの句があるのは著者の意図がありそうだ。蝉が脱け殻を置き去りにするのとは反対に、空蝉に蝉が入るのは真逆な現象で、空蝉すなわちこの世の空を埋める技の一つかと連想させる]


             撮影・葛城綾呂↑









2018年1月30日火曜日

平田薫「海は海だが南天があかい」(「つぐみ」NO,175)・・・



 「つぐみ」NO.175(2018.1.2月号)、ブログタイトルにした句は特別作品からのもの。他には「俳句交流」で、岸本マチ子作品「年の暮」7句。また、各同人諸氏は俳句7句+ミニエッセイ23名。連載は、川柳人・広瀬ちえみ「風のあんない(71)ーわたしの好きな句」で、その後段に、

   蒟蒻と呼ばれてどうもごめんなさい   小林苑を

 川柳人も大喜びしそうな作品である。けろっとして返す「ごめんなさい」。ええ、そんじょそこらの蒟蒻よ!でも蒟蒻を楽しんでいるの、という気持ちが表れている。

 とあって、愚生には手のだせない句ながら、このような句はこうして読むのかと眼を開かれた。それと、もうひとつは、なんと言っても外山一機「歩行の俳句史(1)-高浜虚子の『歩く』」を興味深く読んだ。これまでの外山一幾とは違う文体が選ばれているように愚生には思えた。文体とは思考である。その筆致には説得力がある。ただ、「歩く」という一見何でもないような行為が、時代によっても、いやむしろ個人においては年令の在り様を強く受けることがあるのではないかという経験的な要素が大きいように思う。
 話は飛ぶが、「つぐみ」の同人・谷佳紀は、100キロマラソンなどウルトラマラソンのベテランでもある。走るという行為においても、その様々な有り様を体得していると思われる(身体感覚として)。その意味では、外山一が末尾に記していいたことについて、愚生は、明確な答えを有してはいないが、小山一幾が生を重ねて、無事に虚子の年齢に到達した頃に、もう一度、その歩くという「虚子の散歩」についての考察を披歴してもらいたい、という興味が湧いたのである(残念ながら、愚生はそれを読むことはかなわないだろうが)。その結びには以下のように記されている。

  僕にとってなにより不思議だったのは、鎌倉から東京まで毎日のように電車で通勤する生活を送りつつ、その一方では、-とりわけその晩年においてーごく狭い範囲を長時間にわたって何往復もするというような散歩を飽きもせずに続けている虚子の、一見ちくはぐにに見える身体感覚であった。しかし、インゴルドの言にならえば、虚子の散歩とは急速に近代化の進む日本社会にあって喪失せざるをえなかった自らの歩行という身振りの軌跡ーラインーを回復する営みであったように見えてくるのである。

ともあれ、この度、「豈」同人のわたなべ柊が加わったとあったので、まずは贔屓しての句を、そして幾人かの方の句を挙げておこう。

  ウニャニャンと春はけぼの眠り猫   わたなべ柊
  底までと冬の旅より帰らない     岸本マチ子
  晩秋の空のたっぷりもらいましょう  谷 佳紀
  この紙に裏も表もなくて冬      津野岳陽
  ひいらぎの花日没にまだ少しある   津波古江津
  結び目の猫眠る冬の円環       夏目るんり
  あんなにたくさん提灯を吊り秋の風  西野洋司
  昨日からずっと泣いている短日    蓮沼明子
  木から木へひよどりずっと雨である  平田 薫
  昆布巻のほぼ真ん中に邪心あり    らふ亜沙弥
  寒雷や逆さ睫の浮世絵師       有田莉多
  牢から見る屋根越し空の海青し    安藤 靖
  介護車に落ちない汚れ年惜しむ    いつきたかこ
  漂泊するばかり故郷というかたち   伊那 宏
  漁火の島陰に入る時雨かな      入江 優
  胸中の足が折れても跳ぶバッタ    鬼形瑞枝






2018年1月29日月曜日

武藤紀子「金泥に舟を描きぬ水ぬるむ」(「自句自解ベスト100』)・・

 


 『シリーズ自句自解ベスト100 武藤紀子』(ふらんす堂)、ブログタイトルにした句「金泥に舟を描きぬ水ぬるむ」には、以下の自解が付されている。

 ある人に、「水ぬるむ」は舟とつき過ぎるのではないかと言われた。たしかに以前の私なら「春の雪」とかつけたかもしれない。しかし今は、金泥の「泥」の字があるかぎり、絶対「水ぬるむ」だと思っている。

句作の秘密をみるようだが、たしかに「春の雪」ではボケてしまう。「水ぬるむ」の斡旋が作者としての見せ所なのだ。
 今日届いた「現代俳句」2月号の「現代俳句協会70周年記念行事特集」に武藤紀子は次のようにしたためている。

 私は宇佐美魚目の弟子で、魚目先生に現俳協に入れて貰った。二十年以上も昔の話だ。ところが先生はおつき合いが不得手で、地元の現俳協の会にもほんとんど参加されない。(中略)
 六年前「円座」を創刊主宰となった時、心を入れかえた。もっと現俳協に関わろうと考え、東海地区の会に積極的に参加するようになった。「現俳協の句というのはない。個人の句があるだけだ」と言われ、目から鱗が落ちた。

 そうなのだ。奇しくも筑紫磐井が現俳協の本質は、寺井谷子の言ったように「個と自由」にある。「個と自由」こそが現俳協に相応しいと、具眼の見識を示していた。愚生は、筆を抑えたものの、記念式典行事については批判的に書いた。70周年記念行事のあまりに晴朗な有り様は、まことに、現俳協にとっては70年周年以後こそが問われているのだ、と考えさせられた。もちろん、再生のために老身の微力をつくしてもいいと思っているのだが・・・ 。
 ともあれ、本書からいくつかの句を挙げておきたい。

 存在(ザイン)としての灰色の鶯を    紀子
 木の葉髪シベリアのこと少しいふ
 青き馬たづさへて年歩み去る
 天牛に神さびし顔寄せにけり
 雪形の鳥の命を惜しみけり
 雀より少し大きく更衣
 万太郎の寒の蜆のやうな文字    
 桜貝打ち上げて波帰らざる

武藤紀子(むとう・のりこ)昭和24年、石川県生まれ。 



              撮影・葛城綾呂↑





2018年1月28日日曜日

加山紀夫「仏像に身代わり傷や冬隣」(『螢川』)・・



 加山紀夫句集『螢川』(角川書店)、序文は武藤紀子。その末尾に、

 紀夫さんの作り出される俳句の世界は美しい。透明感にあふれ、一篇の詩のようだ。近年になるほど色彩も豊かになってきている。それはおそらく紀夫さんの純粋さ、素朴さ、一本筋の通った生き方などによるものなのであろう。

と記されている。集名は、

  螢川昼は山鳩鳴いてをり     紀夫

の句に因むものだろう。そして「これは遺句集じみた私の第一句集である」(「あとがき」)と記されているが、また、

 「円座」の武藤紀子先生にご指導を賜りました。この句集をまとめるのにも読み書きの不自由な私の為に武藤紀子先生には序文及び選句、出版社との交渉など何から何までお世話になりました。感謝の念にたえません。しかし、こうして一書にまとめると、第二句集への意欲が湧いてくるようです。

ともあった。第一句集が遺句集とならないよう、是非、長生きして第二句集を目指していただきたい。



 その結社誌「円座」の2月号には、加山紀夫「動くものなくて枯葉のながれけり」「南中の太陽低しもみぢ散る」の句があった。そして、他にも、愚生にとっては読み応えのある連載がいくつかある。中田剛「宇佐美魚目のラビリンス(四十二)」、関悦史「平成の名句集を読む(第二十一回)」、藤原龍一郎「句歌万華鏡(12)」、松本邦吉「季語でたどる芭蕉の句⑫」などである。
 また、本句集には田中裕明の忌日を詠んだ句が三句ある。

  深爪の一日痛し裕明忌
  電線に雪のつもれり裕明忌
  一度だけ声かけられし裕明忌

裕明は生きている、と感銘を深くしたのである。
ともあれ、いくつかの句を以下に挙げておこう。

  空袋握り潰せり年の暮
  蜩をこの地に聞かず敗戦日
  散りてなお椿の生きるつもりらし
  年忘れ鳥の出来ない後退り
  初螢母の世の戸を開けてくる
  蝶生れてまづ大木を這ひ上り
  B29や炎の中の雛人形
  
 加山紀夫(かやま・のりお)、1932年、静岡県生まれ。 






          

 

  


2018年1月27日土曜日

佐藤榮市「すれちがう一瞬は福なり雪女」(第140回「豈」句会)・・


 今日は奇数月開催の「豈」第140回句会だった。先日の雪は路面に凍り付いていまだ極寒。都内でも連日最低気温はマイナス、愚生の府中市は先日はマイナス8.4度を記録した。また、インフルエンザの流行で、予防接種をしていても罹患してしまったと嘆きの休みになった人もいた。出席を欠かされたことのない福田葉子さんも腰を痛められたという。皆さんのご回復を切に祈る。
 ともあれ、一人一句を以下に紹介しておこう。

   紛失の赤い手袋から電話      小町 圭
   その筋の雲であるらし冬うらら   佐藤榮市
   雪晴の最上階は鼻中隔       堺谷真人
   日の丸とプルトニウムの淑気かな  猫 翁
   寒晴の深さ曳きあう他我と自我   川名つぎお
   戌笑うもふもふもふの犬紳士    早瀬恵子
   雪の降る向かふ雪舟抜け出して   吉田香津代
   初市やプリマのやうに泣く迷子   渕上信子
   ボタンのかけ違い北風ふさぐ    小湊こぎく
   胸騒ぎする凧揚げていて今朝の   大井恒行






2018年1月24日水曜日

椎名陽子「歌うたび白雨はげしく反戦歌」(「夢座」177号)・・




  「夢座」第177号(俳句同人誌夢座東京事務局)は、昨年八月二十七日に亡くなった「夢座」創立者の椎名陽子追悼特集である。巻頭エッセイの齋藤愼爾「子規生誕一五〇年の事件簿ー宮坂静生探偵登場」と愚生の「夢座」前号句評「俳句を書くということ」以外は、椎名陽子を悼む記事で満たされている。城名景琳「薔薇」も「私にとって、陽子さんとの関係は、母のようでもなく、姉とも違い、同人の俳人として一緒にお供させていただたと言える」と述べている。江里昭彦「美しきもの見し人はー追悼椎名陽子さん」は椎名陽子句集『風は緑』の序文と同人誌「鬣」の書評、そして、その折々の書簡を交えながら敬愛の気持ちが伝わる悼みの文である。
 また、なかでも、新宿・紀伊国屋書店ビルの地下・カレーの店「ニューながい」での「夢座」の誕生に深くかかわった森英利「椎名さんを悼む」には、その顛末と現在までの道行がよくしるされている。その結びは、

  椎名陽子さんは「夢座」を立ち上げ、市川さんと一緒に、一直線で店の運営と俳句に打ち込んだ。しかしもし、ぼくが「夢座」の提案などをしなければ、もっと穏やかな人生を送っておられたのではないかと思うと、悔恨が残る。

  ふるさとを出で浮雲の平泳ぎ   陽子
  飛行機雲に紛れ一蝶帰らざる   〃
  ひとり又ひとり旅立つ心太    〃

 ニ〇一〇年二月二十日。最後の句会、椎名さんの二句

  ふくらはぎつる冬眠の蟇      陽子
  カテドラルにも柚子湯母の忌くれる 〃

 陽子さんありがとう。また会おう。

と哀惜している。本号はさらに、市川恂々、椎名陽子が参加した、約10年前に行った福井県越前市・卯立の工芸館と翌年に東京南青山「ふくい南青山291」での「日と月によせて●二十四節気ー墨と俳句のインスタレーション」ー上田みゆき×俳句仲間✖音あわーでの 即興の書と句と音のコラボレーションが写真で再掲載されているのは、ひときわ想い出深い。
 ともあれ、同誌本号より一人一句を以下に挙げておこう。

   でこぼこの虹です妻をラッピング    佐藤榮市
   皮膚を搔く手でスルメを裂く      照井三余
   手袋の片手の嗚咽生垣に        江良純雄
   満月の行く手見事な中二階      鴨川らーら
   他人でもなし本人の初鏡        城名景琳
   監獄の独房の瑕窓の雪         金田 洌
   寒禽を植物園の奥に聞く        太田 薫
   体内の水騒ぎだす夜の地震       渡邉樹音
   すすき原ショパンのキイが奔っていく  森 英利
   障子から玻璃をさまよう冬の蠅     銀 畑二



          撮影・葛城綾呂↑
   







    

  

  




2018年1月23日火曜日

番場弘「倒木を沈めて澄めり神の池」(「パピルス」創刊号)・・



「パピルス」創刊号(パピルス俳句会)、代表・坂本宮尾の「創刊のことばー句と文章を両輪として」は冒頭に以下のように宣言されている。

 〈過ぎてゆく時の美しい一瞬をことばで書きとめる〉このような目標を掲げて、パピルス俳句会が発足いたしました。俳句と文章の勉強会です。会員の多様な俳句観を尊重し、意見を交換し合い、個性を磨いていくことを目指しています。

かく述べる坂本宮尾は、「評伝 沢田はぎ女ー『ホトトギス』雑詠欄の女性初巻頭」を書いている。それには、竹下しづの女が「短夜や乳ぜり泣く児を須可捨焉乎(すてつちまをか)で大正九年八月号「ホトトギス」女性初の巻頭となったと書かれたりしているが、じつは初巻頭は、
 
 正確には、これより前に沢田はぎ女が、明治四十二年三月号で巻頭を飾った。はぎ女の句は〈地の底に釣瓶の音や冬籠〉。これが文字通り最初の女性による「ホトトギス」雑詠巻頭である。

と明らかにしている。しかも当時の雑詠欄の投句数は一人一回五十句であったという。兼題を含む自由題が一般的であったが、

 雑詠欄に投句を募ったのは、明治四十一年十月号である。虚子選の雑詠欄は、当初は目立たない企画であった。投句は一人一回五十句以下となっていて、その数の多さに驚くが、それほど大勢が投句することを見込んではいなかったのであろう。ちなみに当時の課題句の場合は一人十句であった。

 
とも記している。そのはぎ女は、久女と同じ明治23年生まれ、満十六歳で嫁ぎ、夫のすすめで俳句を始めたが、夫の要請で俳句を辞め、世間の風当たりで、育児と家事のために、二十歳で自ら筆を折ったという。一読あれ。
 その他の記事は、杉井和子「ゆるり文学散歩ー高田馬場・早稲田を歩く」、番場弘「山の歳時記ー乗鞍岳山行」など。
ともあれ、特別作品の中から一人一句を挙げておこう。

    震洋は、太平洋戦争末期に日本海軍が開発せし特攻艇。奄美群島加計呂麻島呑ノ浦に艇庫跡残る。
  浜木綿は実にかばかりの特攻艇      坂本宮尾
  パンダ舎に消火器くくり冬に入る     紅林照代
  冬の濤まぶしき高さもて散りぬ      嶋 玲子
  角立てて武張りてゐたり檀の実     小宮山政子
  終りはあるわかつてゐる冬日さす     栗島 弘



           撮影・葛城綾呂↑











う。

2018年1月22日月曜日

豊口陽子「皆既食蛇(み)は海原に髪ひらく」(「LOTUS」第37号)・・



 「LOTUS」第37号(発行人・酒巻英一郎)は、特集1が『言霊の宮へー豊口陽子の世界」だ。編集後記のなかに「豊口は現在、不調により俳句活動がこ困難な状況にある。今回の特集は、そうした意味で豊口陽子俳句世界の探訪と同時に、豊口の恢復と俳句復帰をつよく念願したものもの」と記されている。
 主な内容は、「豊口陽子四百句(志賀康・酒巻英一郎・三枝桂子・九堂夜想 選)、三枝桂子による豊口陽子インタビュー、豊口陽子論は、江田浩司、青山茂根、古田嘉彦、高橋比呂子、志賀康、表健太郎。一句鑑賞は、同人外からは今泉康弘、上田玄、岡田恵子、高野公一、松下カロ、山本敏倖、同人だが、先般亡くなった吉村毬子などを含む18名。ほぼ豊口陽子の全容を知ることが出来る。
 インタビューは、4年前の春に行われていたという。その中で以下のように語っている部分がある。
   
  そもそも、その句が自分の中から発生した時は、それは天から降ってきたのか、地面から生えてきたのか、という感じなんですね。スタイルが決まってしまったらもうお終いじゃなおですか。もし俳句が「五七五で季語が入っていればそれでいいのよ」っていうものだとしたら・・・それが形式だとしたら、形式というのは死体を見ているようなものですよね。 
  


           「資料編」豊口陽子全句↑

 また、今回の特集を実現させるための『「資料編」豊口陽子全句』が酒巻英一郎の手によってテキスト化され、先に配布されていた(写真上)。この資料編は豊口陽子の既刊各句集『花象』、『睡蓮宮』、『藪姫』、「LOTUS]誌掲載全句、-句集『藪姫』以後、さらに編集覚書には解題、略年譜に相当する酒巻英一郎の解説、安井浩司の序文などを収録し、文字通り『豊口陽子全句集』になっているものである。同人諸氏の豊口陽子への敬愛と恢復を祈念する熱情が生んだ特集である。以下にいくつかの句を拾って紹介しておきたい。

  秋蝉の死に惜しみたる日射しかな     『花象』1986年刊
  れんげ摘む母と異る血を殖やし
  口笛や一山のへび棒立ちに
  ひばりよひばりワイングラスを毀してよ  『睡蓮宮』1992年刊 
  水底の春よ詩人はP(リン)である
  〈その蝶〉の瑠璃は煎じて呑まれけり
  巓(いただき)や葛に巻きつく道現れて
  穭田に棲む語のほかは抜きとらる     『藪姫』2005年刊
  元始(はじめ)の零とおわりの0の初夜来る
     「安井浩司全句集」成る
  ヴァイオリンも遂げたる天地返しの藪へ
      悼高屋窓秋氏
  死が渉る去年の月雪あらたまの花
      悼三橋敏雄氏
  眼の奥の冬浪を聴く馬上杯
      悼 大岡頌司氏
  どのごおとんか藁の仮面を岸へ繋ぎ 「LOTUS」掲載句「句集」藪姫以後
  浦の葉を三つ編みにして鳥乙女
  草坐りして風のかけらを糸つなぎ
  天門や素数はひらきつつ蓮へ

豊口陽子(とよぐち・ようこ)、1938年、東京生まれ。




2018年1月21日日曜日

石原友夫「おでん屋の暖簾はみ出す背の孤独」(第175回「遊句会」)・・



 過日、1月18日(木)は、第175回「遊句会」(於・たい乃家)だった。兼題は、「おでん・初句会・日脚伸ぶ」で、古典的とも思える、愚生には、実に作りにくい、難しい題だった。我が生涯で、この題で作句したのは、古稀前にして、これが初体験である(これまで、いかに自分勝手に句を作っていたか分かろうというもの・・)。
ともあれ、本年もよろしくお願いいたします。
一人一句を以下に・・・

  清記するペンは空色初句会          中山よしこ
  初句会句に遊ばるる顔揃い           石原友夫
  日脚伸ぶ漸(ようよ)う吾子の這い初(そ)むる 村上直樹
  おでん冷め黙つたまんまの差し向かひ      川島紘一
  「日の名残(なご)り」探す書棚に日脚伸ぶ   武藤 幹
  吾が干支の街に溢るる初句会          橋本 明
  下手なれど裃(かみしも)内に初句会    たなべきよみ 
  目覚ましの短針遅し日脚伸ぶ          山田浩明
  昨日押し今日押し明日へ日脚伸ぶ        石飛公也
  関東煮(かんとだき)浪花千栄子の藝の味    渡辺 保
  縄暖簾ちょいとためらう日脚伸ぶ       原島なほみ
  父と俺最後に残すゆでたまご         春風亭昇吉
  外ッ国の野菜ばかりのおでんかな       山口美々子
  おめでたや古希喜寿に囲まれ初句会       天畠良光
  日脚伸ぶとなりの春のところまで        大井恒行
   
欠席投句・・

  嫁ぎ来ておでんの色の濃くなりぬ        林 桂子
  来し方の仕切り直しや初句会          加藤智也
  初句会遊びをせんとや臨みけむ         石川耕治  



      赤坂・蕎麦屋「三平」の看板、大岡信揮毫の詩の一節↑
      渡辺保氏撮影。



          ダイヤモンド富士 撮影・葛城綾呂↑

  

2018年1月19日金曜日

加藤知子「忽ちにその渾沌のしぐれけり」(『櫨の実の混沌より始む』)・・



 加藤知子句集『櫨の実の混沌より始む』(ジャプラン)、集名は以下の句に因む。

 還暦や櫨の実の混沌より始む      知子

跋文は、竹本仰。渾身の評文である。「原子炉のくがたちめけば花の冷え」の句について、

 くがたち。「探傷」と書き、古代には正邪の判定をするため、神に誓って熱湯の中に手を入れさせたという。正しいものは火傷しないが、不正なものはただれるとされた。その現代の「くがたち」が原子炉であるとは、原発賛成派から見れば反対派はみなただれるのであり、反対派から見れば賛成派はみなただれるのである。

 と述べられている。正直に言うと、不明にして愚生は「くがたち」の「くが」を「陸」と読んでしまったので、「花の冷え」のあしらいも悪くない、と思った(広辞苑6版には「くがたち」がなく、「くかたち」の表記しかない)。竹本仰の読みには見事で教えられたが、それでは理が通りすぎる、句があまりに理屈めいて読めてしまうきらいが生じるようにも思えた。しかも「花冷え」の情緒に収斂されては身も蓋もなくなるのでは?とも思った。作者の側からすれば、句を正確に読ませたいのであれば、仮名で「くがたち」とひらかずにきちんと漢字で「探傷」とし、ルビをほどこすという手もあったのではないだろうかと思った次第である。蛇足を述べているようだが、作者は、最近「豈」に参加された愛すべき我が同人仲間であるから、あえて老婆心ながら、というわけである。
 ついでと言っては失礼だが、集中の句の表記が現代仮名遣いと歴史的仮名遣いが混在しているのは、句集としての統一感に若干欠けるようにも思う。一句一律という考え方もあるが、一冊の句集となれば、句集における統一感も無視はできない。現代の猥雑さを書くには林田紀音夫に倣って現代仮名遣いで書くという選択、渾沌を選びたいところである、と愚生は思う。
 また、「あとがき」の中に、

 どんな俳句を書きたいか。端的にいえば江戸時代の曾我蕭白(1730~1781)の「画」のような俳句を書きたい。今はー。(中略)
 繰り返しになるが、シュールな句は、読み手を現実と非現実との狭間に誘い込み、作者本体と作品との間に横たわる物語を想像させるものである。そこにおける言葉の交感こそが、読み手に未知の喜びを与えるものであろう。それは時として、人間存在を含めた自然現象の内奥に秘められた狂気であったり魔性であったり、或いは何か得体の知れないものかもしれないが。
 今の私の日常を詠むということは、このようなシュールなものに近づくということである。常識や権威に捉われず、世間にも迎合せず、奇才蕭白のような巧みな技はなくとも、シュールな実験句をも楽しんでみたい。あーでもない、こーでもないと伸吟しつつ。

とも記されている。健吟を祈りたい。ともあれ、いくつかの愚生好みの句を挙げておきたい。

  戦いに往かないさくら往くさくら    知子
  桃の実の丸ごと「初年兵哀歌」
  地響きのぐわぁしゃぐわぁしゃなんじゃもんじゃの葉
  春深く崩れし空を塗り替える
  瞑想の前か後ろか雉の声
  かなしみて冬木の水の盛り上がり
  野の遊び鳥毛屏風の中にゐる
  ニッポンの煮凝り止まぬ空を見る
   

加藤知子(かとう・ともこ)、1955年、熊本県菊池市生まれ。
表紙絵も著者。装幀は高岡修。


           撮影・葛城綾呂↑      

 


2018年1月17日水曜日

黄土眠兎「コンビニのおでん水道水を足す」(『御意』)・・

 

 黄土眠兎句集『御意』(邑書林・限定500部)、集名は以下の句に因むと思われる。


   アマリリス御意とメールを返しおく   眠兎

帯文は小川軽舟、その惹句に、

 俳号こそ眠れる兎と謙遜しているが、眠兎さんはトリックスターの野兎のように俊敏だ。結社の境界をやすやすと越えて種を蒔き、沃野を広げる。この句集の豊穣は、私にとってうれしい不意打ちだった。

とある。対して、著者の「あとがき」も泣かせる。

 そして、私が入会した当時小川軽舟主宰はちょうど関西に勤務されており、はじめての句会が軽舟主宰の句会でした。鳥が初めて見たものを親と思う習性のごとく、それ以来変わる事なく「鷹」の雛として生息しています。ときどき「里」という仲間の巣に遊びに行き、超結社という渡り鳥さんたちと遊んでいますが、「それが眠兎さんの刺激になるのであれば」と、どこに行こうと灯台の明かりのように私のすすむ道を示してくださっています。

 幸せな師弟関係というべきか。ともあれ、本集よりいくつかの句を以下に挙げておきたい。

     阪神淡路大震災
   まだ熱き灰の上にも雪降れり
   朝寝して鳥のことばが少しわかる
   昼ともす梲の低き種物屋
   遠足の列に行きあふ爆心地
   丸洗ひされ猫の子は家猫に
   夜店よりひよこを入れて紙袋
   抽斗の記憶の蓋は開けておく
   登高としてマンションの昇降機
   小春日や紅絹に抱かるる円鏡
   
黄土眠兎(きづち・みんと)、昭和35年、兵庫県生まれ。






2018年1月16日火曜日

鳴戸奈菜「いつ来るの早く来い来い宇宙人」(「らん」80号)・・



「らん」(らんの会)、皆川燈の連載・「雨の樹のほうへ42(清水径子の俳句宇宙)」の末尾には以下のように記されている。

 径子がたしかに聞いた「人生は短いよ」という耕衣の声が、二十年を経たいま、実に重たい真実として、ひたひたと春の岸を洗う。「真っ直ぐに前を見て歩いていくしかないだろう」。 
 創刊号の径子の中に次の一句があった。
  青き帯すれば満面早春よ
 うん、ちょっと元気が出てきた。

「らん」が創刊されて二十年、径子さんとはそれ以上の年月が経ったのだ。愚生も清水径子の自宅での句会にお誘いを受けて幾度かお邪魔したことがある。神戸での永田耕衣の会のあとのことだ。その頃に比べると「らん」の同人も増え、随分厚さも増している。確かに「人生は短いよ」かも知れない。当時の先輩の方たちはすべて鬼籍に入られた。
 ともあれ、創刊80号記念特別作品二十句集から一人一句を挙げておこう。

  枯らし鉄が作る精密作文機      五十嵐進
  黒蝶や黄泉比良坂今日も舞ふ     海上晴安(遺稿)
  キナクサキクニキタ二アリアキフカシ M・M
  また節を間違ふ笛や月今宵      岡田一実
  女らは鏡に老ゆる神無月       片山タケ子
  鳩の後真似て歩けば天高し      久保 妙
  癌めにも盃とらす淑気かな      嵯峨根鈴子
  昼寝覚めよもつひらさか蝶はむらさき 佐藤すずこ
  枯蔦のルーツたどればとぎれたり   清水春乃
  北風の磨く青空見てをりぬ      新條美和
  洛北のもみじからだを透過せる    水天
  泣く男ゐて十月の路地の奥      月犬
  たましいの遊びに出たる朧月     鳴戸奈菜
  飛花落花そろそろ神を信じるか    西谷裕子
  木枯一号唸る高さに白き月      服部瑠璃
  興行の幟の誤字や天高し       腐川雅明
  寒卵どこもかしこもつまらない    三池 泉
  夾竹桃の実は毒もてり拾いけり    皆川 燈
  東京都千代田区永田狸罠       もてきまり
  大山椒魚父を家にゆ取り戻す     矢田 鏃
  赤ん坊の原材料の秋の水       山口ち加
  犬もわれも飛ぶ夢をみる野分かな   結城 万
  少女の耳打ちくさめ怺らえたる    藤田守啓



           撮影・葛城綾呂↑





  






2018年1月15日月曜日

なむ烏鷺坊「割札用のメスを届ける」(「晴」第1号)・・・



「晴」創刊第一号(編集発行人・樋口由紀子)、巻頭エッセイは佐山哲郎「遊びの系譜遊びの実践」。その中に、連句の短句(七七句)のみを集め載せた部分がある。ブログタイトルにした句は、その中の一句、なむ烏鷺坊こと佐山哲郎のものである。
 昨年、終刊号を出した「MANO(マーノ)」は、小池正博・樋口由紀子両名が領導していた川柳同人誌であったが、小池正博が「川柳スバイラル」を、続けて樋口由紀子が「晴(はれ)」を創刊したことで、いよいよ、それぞれに小池カラーと樋口カラーの出た雑誌が出来、さらなる今後の奮闘に期待したい。
 最初に樋口由紀子に会ったとき、本格川柳を書きたいと言っていたことを思い出す。それは愚生が本格俳句を目指していると言ったことに対する返答だったように思う。その頃の愚生はもう少し若かったので、他人から見た評価はまったく別にして、真の俳句の伝統は我が方にあり、という気持ちだったからだろう。言えば高柳重信だって、我こそは言葉の真の意味おいて伝統派であると思っていたはずである。だからこそ、いわゆる伝統派に対するよりも、より厳しい指弾をいわゆる前衛派に向けていたのだ。
 今号の「川柳を書く 川柳で書く 川柳にする」で樋口由紀子は以下のように結んでいる。

 川柳を書くとは、川柳で書くとは、川柳にするとはどういうことなのか。川柳の回路を確認、点検、修正、更新し、自分なりの川柳の書き方、読み方を見つけていきたい。

ともあれ、以下に同人の一人一句を挙げておこう。

   天界へ徒歩で行けますBAR「マリア」     きゅういち
   偽物でした本物とわかるまで          松永千秋
   種明かししてる輪切りにされた人        月波与生
   かんぶにもこんぶにもよくいいきかす      広瀬ちえみ
   生きている気がするから怖い          水本石華
   空腹でなければ秋とわからない         樋口由紀子







   

2018年1月14日日曜日

三野輪光「初鏡米寿の紅を少し濃く」(「欅心」NO.637)・・・



 「欅心」NO.637(2018-1)は府中市俳句連盟の機関誌である。月刊だから、号数から逆算すると53年の歴史があることになる(ほぼ愚生の句歴に相当する)。愚生が府中市民になったのは約6年前のこと。シルバー人材センター派遣業務で府中市グリーンプラザに勤務するようになって3年半になる。そこで、府中市俳句連盟会長・笹木弘とよく顔を合わせるようになった。府中市俳句連盟が月に2回の句会の他に、初心者向け句会や地区句会、誌上句会など実に活発で地道な活動していることを知った。
 その縁もあって、昨年10月29日に開催された「川崎平右衛門没後二五〇年記念事業。第53回府中市民芸術文化祭・俳句大会」の選者をさせていただいたのだと思う。ところで「欅心」今号は、その俳句大会の特集号である。
 ともあれ、以下に「欅心・妙連集」より一人一句を紹介しておこう。
 
   白菊やあまえん坊が保母となる    伏見スミ子
   冬晴れの木漏れ日を載せ筆走る     藤原恵子
   枯葉鳴る五線譜にない音たてて     橋山紫幹
   「だるまさんがころんだ」真後ろに小春 林冨美子 
   米寿まで生きてスキップ草紅葉     三野輪光
   小春日やバギーの嬰にハイタッチ   真霜智佳子
   かたことの園児二人は冬帽子      米田素子
   恋愛も手のひらサイズ赤まんま    米山多賀子
   威勢よき声につられて熊手買ふ     安田俊朗
   故郷の庇も縁も柿吊す         渡辺勝子
   鉛筆を削り尽して冬の雨        小野 覚
   除雪車の音の高鳴る峠かな       岡 莞弥
   俳句の師仏道の師逝く秋ついり     小林裕栄
   鳥の口守る南天実の赤し       加藤フミ子
   枯菊や焚けばかすかに匂ひ立つ     酒井 努
   コスモスの揺れに眼の慣れてくる    笹木 弘
   先生は物言はずして花八手       島﨑栄子
   ど真ん中欅枯葉や五百年        田頭隆徳
   メモになきものまで買ひて年の市    中田愛子
   歩を移すところためらふ散紅葉     中田昌子
   己が葉をふかぶかと着て眠る山     中山遊香 



  

2018年1月13日土曜日

伊藤眠「短手(しのびで)の影をくらぶる冬日かな」(『水の音楽』)・・



 伊藤眠第三句集『水の音楽』(文學の森)、帯に、大木あまりは次のように記している。

  海の日や走り出したき「赤い靴」

伊藤眠さんは、句集を編むたびに変貌を遂げてきた。第三句集『水の音楽』は、虚実の間を自在に行き来する句をはじめ。俳味の良さのある句やウイットに富んだ句など実に多彩である。 
 俳句という赤い靴を履いてしまった眠さんは、これからも理想の俳句を追い求め続けていくだろう。それは俳句を愛してしまった者の宿命だから・・・。

そして、虚実?の間を恋の句が行き来する。

   着ぐるみで語る恋なりカーニバル    眠
   片恋に倦みし漢や祭鱧
   夜の秋の愛哀相藍みなハズレ
   求婚はまたに土用の鰻かな
   赤カンナ黄カンナ恋の終らざる
   ふくと汁失恋の身を熱くして
   果たされぬ約束のごと冬の虹
   懐かしき恋のことなど寒稽古
   初詣恋愛選手権始む
   松納までの恋なり砂利踏んで

 伊藤眠と最初に会ったのは、これも前日のブログに書いた中西ひろ美と一緒で、渋谷のオニババこと、今は亡き多賀芳子宅の句会ではなかったろうか(随分むかしのことだから、茫洋としているが)。
 その他、愚生好みの句をいくつか挙げておこう。
   
  千本のさらに奥へと花の冷
  辛子和しか思ひつかぬよ花菜
  姿より先に声あり帰省の子
  出身は地球と応へ星まつり
  身になじむ天動説や秋の夜
  年の夜や星に寿命のある不思議 

伊藤眠(いとう・みん) 1956年、横浜市生まれ。個人誌「雲」を発行し続けている。








2018年1月12日金曜日

広瀬ちえみ「暗くなる不思議な音を立てながら」(「垂人」32号)・・



「垂人(たると)」32号(編集、発行 中西ひろ美・広瀬ちえみ)、特集は川上研治第二句集『ぴあにしも』、ならびに、垂人連句会百韻「残暑こそ」。鈴木純一「『残暑こそ』の巻、留書 『百韻入門』」によると、もともとは「浅沼璞師が『たまには自分も捌かれたい』」というので、璞創始の「オン座六句」のつもりが、璞師入院の報に中止と思いきや、中西ひろ美の「中止しないわ。雀羅さんが捌きだから」とあいなった。で、オン座六句でもなく、歌仙でもなく、どうせやるなら百韻となったらしい。以下に百韻の表八句のみだが紹介しておこう。

    垂人連句会百韻「残暑こそ」

 残暑こそよけれ翁の加辺カレー     雀羅
  銀のスプーンを睨む蜻蛉       純一
 旧友に笠の大きなきのこゐて      粗濫
  ひとの替はりし秋風の部屋     ひろ美
 いつまでも月の出を待つ猫二匹      舞  
  暮れる港に水輪ひろがる       信明
 無人島長いまつげの生えてをり    ちえみ
  蔓にからまる炎天の蔓         美 

           平成二十九年八月二十三日 首尾
                 青梅市河辺「夕㒵亭」 

その留書には、捌きについて、

 佛淵雀羅(ほとけぶちじゃくら)さんは俳諧師だ。いや連歌師かも。この五月、川崎の繁華街で「笠着」をしたそうだ。通りすがりの人が、笠も脱がず、立ったまま句を付けて行くーだから笠着連歌(かさぎれんが)、室町の頃の話である。この人、中世人か。私が初めて連句と出合った時の捌も、雀羅師であった。

と紹介している。「垂人」の中西ひろ美と出合ったのはもうずいぶん昔のことになるが、たぶん、渋谷の今は亡き多賀芳子宅の句会ではなかったろうか。その頃は、永田耕衣最晩年の「琴座」同人だったように思う。その後その師系の「らん」に所属、今は「垂人」を広瀬ちえみとともに発行している。俳句に対する情熱、探求心と実践力は愚生の到底及ぶところではない。ともあれ、今号の一人一句を挙げておこう。

  ショートカットの友に似ている麦の穂は  髙橋かづき
  ふかふかのふるさとの山穴まどひ     ますだかも
  でこぼこの虹です妻をラッピング      佐藤榮市
  白薔薇戊夜(ぼや)供花となり我をみつむ  渡辺信明
  おおぜいの忌が三月に来てゆらす     中西ひろ美
  秋冷の迦楼羅の鼻も褪せにけり       川村研治
  
  川砂が
  海砂戀ふる
  日和にて                 鈴木純一

  水中花この世はだめだ来世に期待      中内火星
  標本になってしまったつまんない     広瀬ちえみ
  朝顔の蔓は暗渠を折り返す         野口 裕

他にも、野口裕は短歌十首、佐藤榮市は詩一編を寄せている。



  


 
  




  







2018年1月11日木曜日

藤沢雨紅「散(ちる)やけし花ならまじる日もあるに」(『松蔭集』)・・・



 「信州坂城の女流俳人ー藤沢雨紅俳句集『松蔭集』」(坂城町教育委員会)、坂城町長・山村弘「まえがき」によると、

 雨紅は本名を藤沢秀子といい、明和四年(一七六七)に生まれました。生家は不明で、一説には天明中興五傑の一人である加舎白雄(かやしらお)の姪とも云われているようですが、確かなことはわかりません。その後、坂本宿大門町で旅籠屋「大藤屋=大富士屋」を営んでいた藤沢清蔵に嫁ぎます。清蔵も貞雅と号する俳人でしたが、妻の名声には及ばなかった様です。

とある。そして「文政九年(一八二六)に『松蔭集』を著した雨紅は、弘化二年(一八五二)十月二日、七十九歳」で亡くなった。ブログタイトルの句は辞世の句で、満泉寺の墓標に刻まれているそうである。『松蔭集』は自身の還暦祝いとして出版された。序文は碓嶺(たいれい)が述べ、雨紅の自作が208句、江戸俳諧の大家をはじめ全国の俳人の発句、さらに雨紅とともに巻かれた歌仙、半歌仙、跋は亀房隠者(宮本八朗)を収載して、現代語訳を付して復刻されている。復刻版の巻頭言は朝吹英和「藤沢雨紅『松蔭集』を読む」。その巻頭言は、

  産土の自然や風物を詠った雨紅の俳句に通底する瑞々しい抒情や詩情は時代を超えて現代の我々の心に沁み渡る。

と結ばれている。ともあれ、いくつかの句を以下に挙げておこう。

   散(ちる)となく風の音あるさくらかな   雨紅
   水の音(ね)にまぎれぬ春の寒さ哉(かな)
   花といはゞ花とも言はん蕗の薹
   しづかさやあとの春見て落椿
   まつ風や松をはなれて松の聲
   竹にくる鳥は騒(さわが)し露しぐれ
   秋の暮おなじところに心よる
   初雪や松はまつにて有(あり)ながら
   寒声(かんごえ)や嵐ともなき夜の音

   うしろには松の上野を冬篭(ふゆごもり)  夏目成美
   時鳥鳴く空もちし山家(やまが)かな    小林一茶
   秋の暮山にももどるこゝろかな       児玉如水
   穂すゝきや其日その日の秋の草    雨紅世伜 我長



   







   
   

2018年1月7日日曜日

高橋龍「終わりなき年の始の窓秋忌」(『十太夫』)・・



 高橋龍第14句集『十太夫』(不及齋叢書・高橋人形舎)、著者「あとがき」には、

 書名、十太夫(じゆうだゆう)は、千葉県流山市(わが郷里)の地名であるが、元々は流山市の成立前の旧八木村の字名で、十太夫新田といった。つまり十太夫なる地元の有力者が荒地を開墾して新たな農地を作り出したもの。現在は新田がとれて「郵便番号簿」では十太夫(〒二七〇ー〇一三三)で登録されている。

と、その由来が記されている。また、上掲写真のように、攝津幸彦揮毫の句が扉に掲げられていたので、筆は攝津幸彦のものだが、絵は?と龍さんに確かめたたところ、それは不明とのことで、ハガキにしたためられていたのだという。句は、

  比類なく優しく生きて春の地震(なゐ)   幸彦

であるが、この句が収めらているのは、『悲傷と鎮魂ー阪神大震災を詠む』(1995年4月・朝日出版社)である。愚生は「涙を飛ばし叫べよ春の石の像」という句を寄稿しているが、じつは攝津幸彦の本句掲載を確認するために改めて見たのだが、愚生の記憶からはすっかり抜け落ちていた。これもどの雑誌かは失念してしまったが、仁平勝は攝津幸彦はこの句を、阪神淡路大震災(1995年1月17日)を契機に作ったのではなく、すでにあった自分の句の中から選んで寄稿したのである、という趣旨のことを述べていたように思う(間違いだったらお許しあれ)。この本には、俳句・短歌・詩、随想による二百九十七名が寄稿したと「あとがき」にあった。「編集の余白に」で齋藤愼爾は、「大震災を文学的、思想的、歴史的な視野でとらえる作品はこれから書き継がれるでしょう。本書はその最初の記念碑と確信します」と記している。

話題を『十太夫』にもどすと、高橋龍は、高柳重信の『前略十年』Ⅱに載っている

   春の蝿馬の瞼にとまりけり
 をぼんやり考えていると、『構造としての語り・増補版』小森陽一の第五章「〈語る〉ことから〈書く〉ことへ」に、横光利一の「蠅」について書かれているのが目についた。(横光利一忌十二月三十日)
 これは、真夏の宿場の隅の蜘蛛の巣に引っかかっていた大きな眼の蝿が、巣から抜け出して馬の背中に止る。馬は馬車を挽いて崖の上の道にさしかかるが、馭者の居眠りで馬車も馬も崖から墜落してしまう。だが、大きな眼の蝿は、一瞬馬の背中から飛び上がって悠々と青空を飛んでいった。わたしは、この小説を高柳さんが読んでいたのか、読んでいなかったのか。そういうことを調べるのが本当に調べるということなのであろか。
 俳句はますます堕落、口から出まかせ、髙柳さんから強く言われた、俳句作品で直接生の論理や主張を書いてはならない。も、全く無視した俳句ばかりである。

と「あとがき」の結びに書いている。なかなかどうして、現在只今、高橋龍ほどの出まかせの俳句を書ける人はそうはいない。

   前衛の転(こ)けたる保守や福笑     龍
     梶井基次郎忌(三月二十四日)
   安保理に核爆弾の檸檬置く
   朱鷺おそし泥鰌はすでに鍋の中
   綱渡りするかのようにさす日傘
   ミス、ミセス、ギャル、レディスはみな裸
   爆撃の跡津波跡すべりひゆ
   創(はじまり)は終(つひ)を蓄へ天高し
   キスマーク・あけび・原潜そつくりだ
   寒空は雲を重ね着するばかり




   




 

2018年1月6日土曜日

岩淵喜代子「紙漉くは光を漉いているごとし」(『穀象』)・・・



 岩淵喜代子第六句集『穀象』(ふらんす堂)、栞文は浅沼璞「もう一つの陸沈ー人称の多様性から」と田中庸介「真顔の句」。

 穀象という虫、最近ではとんと見かけなくなったが(米には、石や藁の欠けらなどもよくまじっていた)、愚生の小さい頃は、米びつにはよく穀象虫が湧いた。日々覗いては、それをいち早く抓みだすのも、炊く前に米を枡ではかるときの大事な役目であった。というわけで、西東三鬼の「穀象の一匹だにもふりむかず」の句は、愚生の俳句人生初期のころからの愛誦句になったが、他の俳人にも穀象を詠んだ句はけっこうあったように思う。そして多くは生活の匂いのする句ばかりだったように思う。その伝でいけば、

   穀象に或る日母船のやうな影   喜代子

 の句のようには想像力が働かない。著者「あとがき」に、

 穀象とは米を食べる虫で、縄文時代から存在してきた生き物です。
 知らなければその名を聞いて、体長三ミリしかない虫とは思わないかも知れません。その音律からも、字面からも、昔語りに現れてきそうな生き物が想像されます。
 米の害虫だという小さな虫に、穀象と名付けたことこそが俳味であり、俳諧です。

 とある。ともあれ、いくつかの句を以下に挙げておこう。

  空蟬はすでに化石の途中なる    喜代子
  極楽も地獄も称へ盆踊
  半日の椅子に過ぎけり竹の春
  空青く氷柱に節のなかりけり
  闇夜には氷柱の杖で訪ね来よ
  暗闇とつながる桜吹雪かな

岩淵喜代子(いわぶち・きよこ)、1936年、東京生まれ。





  

2018年1月4日木曜日

小山森生「枯蓮のほとりや逢へば即笑ひ」(「努」第141号)・・



「努(ゆめ)」第141号(努の会)、発行人・小山森生、編集人・西野久二郎。小山森生「ご挨拶」に、

 この度、『努の会』代表吉井幸子先生の急逝を受けまして、お役目を引き継がせていただくことになりました。(中略)
 昨年、『努』一五周年記念大会にお招きを受け、お会いした時には、立ち居振る舞いも、お声もお元気そうで安心していたのですが、まさかこんなに急にお亡くなりになるとは思ってもみませんでした。幹事様方から急逝のご連絡を受け、『努』の今後についてご相談いただいた時、当初は同門の他誌への合流を提案申し上げたのですが、すでに次号の原稿が集まっていることや、吉井先生が心血を注がれた『努』を絶やしたくないとのご意向を受けました。
 これは不躾ですが野球に喩えるなら。いわば救援投手の緊急登板ではないか、試合を途中で投げ出すわけにはいかない、投げられるなら投げるしかない、そんな気持ちで不肖を顧みずお引き受けし、微力を傾注する決心を致しました。

とあった。小山森生とは現代俳句協会の青年部で知り合った。彼は、愚生が青年部委員を辞したのちも、青年部に長く真摯に関わりをもち、よく尽くしていた。
 昨年11月末、「豈」忘年句会で久しぶりに会ったが、それが「豈」を辞して「努」に全力を注ぐという彼のけじめの句会へ参加だった。さもあろう、引かなければならない札もあるのだ。思えば岡井省二の「槐(かい)」時代からの同行だった。岡井省二を失ってからも16年が経ったのだ。
 ともあれ、以下に一人一句を挙げておこう。

  澄む水の滾(たぎ)ちて鷺を佇たしめき  小山森生
  達者にて時間の余る柿日和        小松祥子
  カーテンの大き膨らみ初嵐        奥野靖子
  瓦礫積み墳墓のかたち鰯雲       西野久二郎
  菓子の名は「こわれ久助」天高し     恩田布木
  仲秋や戦なき世の槍力          田中 稔
  食の秋母の作りし麹漬          安井和美
  門少し開けて僧待つ花柘榴        木下悦子
  鈴虫のぐぜり始めし風の色        木全富子
  星飛んで漆黒の山残りけり        岡本冬子
  秋澄めり終点の駅山に添ふ       大西佐代子
  新涼の枡に盛り上ぐ白子干し       高木美子
  秋立ちて去年の空蟬残りをり       速水如水



  

2018年1月3日水曜日

野口裕「大家族主義の幻影鏡餅」(『のほほんと』)・・

 

 野口裕句集『のほほんと』(まろうど社)、「あとがき」ふうの「終わりに」の冒頭に、

 とある日、出勤途上の朝なのに夕暮れのように人通りの途絶えたアスファルトの真ん中をぞろぞろ歩いていると、「のほほんと生きる」と口を突いて出た。神戸に地震の起こるちょっと前の出来事だった。それからちょくちょく五七五が出来はじめた。句集名はそれを記念したい。客観的には忙殺と言ってよい日常であるが、主観的には「のほほんと」で首尾一貫しているつもりではある。

とあった。帯は北村虻曵。それには、

野口氏の句には、飾らない柔らかさと関西風のアイロニーがある。だが底には理学で鍛えた正確な論理が通っている。さらに俳句の伝統的修辞法も自在である。視覚にたよる句ではないからゆっくりかみしめる必要がある。(後略)

 この世から染井吉野の無人駅   裕

愚生が面白いと思ったのは、「ぶっきら棒」の句が3句もあること。

  身じろぎの奥にぶっきら棒の熱   
  きさらぎのぶっきらぼう蘇鉄の葉
  春雨がぶっきら棒に水を突く

紙懐炉の句はそれ以上にあるが、ここでは2句のみを上げておく。

  ごりごりと鉄粉固し紙懐炉
  紙懐炉永久機関の夢を見る

北村虻曵が記しているように、たしかに「かみしめる必要がある」かもしれない。
ともあれ、以下に幾つかの句を挙げておこう。

  眼前に人体脳裏に死者を置く
  気配りの品切れ入道雲が湧く
  枝葉花すべてに違う日の光
  鳥帰る何かの予行だとしても
  肉球のなきこの身ゆえ底冷えす
  水中花水かどうかと傾ける
  寒暁やものどもとてもものらしく
  孑孑を面影づかみというものを
  空蝉に蝉が入ってゆくところ
  木枯らしが星をぐらぐら沸かしてる  

野口裕(のぐち・ゆたか)、1952年、尼崎市生まれ。因みに、表紙絵はご子息の野口毅。





  

2018年1月2日火曜日

遠山陽子「初氷われより落ちし鱗散る」(「弦」第40号)・・



 「弦」は遠山陽子の個人誌である。主要に三橋敏雄の検証・顕彰に費やされてきた。先般の『三橋敏雄全句集』(鬣の会)の監修の折りには、『しだらでん』以降の句を拾い出す際に三橋敏雄作品初出の記録では随分と助けられた。本号にも佐藤文香「私のなかの三橋敏雄」、高野公一「永遠の春」、我妻民雄「無季幻想」、遠山陽子「三橋敏雄を読む」(3)などで、それぞれの三橋敏雄像が描かれている。
 その中で佐藤文香が、「何か敏雄について話し足りないという方は、是非お声をかけて下さい。そのときにはちゃんと録音機を持って伺います」と語っていたが、もっとも難攻不落?と思われる三橋敏雄夫人・三橋孝子自身は声を掛けてこないと思うが、三橋敏雄のまだ語られていない部分、作品、人、その在り様についても一番詳しいと思われる。もしインタビューなり、その機会があれば、愚生は是非同行したいほどだが、たぶんおひとりでの訪問に、その可能性が無いでわけではなかろう、と思う。
 本号「あとがき」に触れられていることだが、

 髙橋龍さんが、足のお悪いなか、資料を集めて重厚な文章をお書き下さった。原民喜の俳句について俳壇で論議されたことはなく、これは貴重な一石となろう。

と記されているように、高橋龍「原民喜の俳句ー『原爆被災時のノートより』」は、資料的にも優れたものである。幾つかの句を抜粋してみる。
原民喜の俳号は杞憂。

   草の花草の実となり日はすずろ(昭15)
   暗き春見知らぬ街に帰り来ぬ(昭20)
     「原子爆弾」
   短夜を倒れし山河叫び会ふ      
   日の暑さ死臭に満てる百日紅
   人の肩に爪立てて死す夏の月
   吹雪あり我に幻のちまたあり
   山近く空はり裂けず山近く  

ともあれ、遠山陽子「湯婆」よりいくつかの句を以下に・・・

  芭蕉敏雄陽子申年永遠の春     陽子
  号泣のあとの呆然春の雲
  不如帰とうに捨てたる母を恋ひ
  首を巻く遺品の真珠いなびかり




          
 シロバナタンポポ撮影・葛城綾呂

  
   

   

2018年1月1日月曜日

川名つぎお「国破れ基地賜わって徴兵なし」(「頂点」第245号)・・



 「頂点」第245号、今や創刊同人のほとんどが冥界同人となってしまった「頂点」が「次世代に繋げる『捲土重来』・『ふたたび頂点』」を掲げて早くも一年が経つという。かつての重厚なる関西前衛派の拠点雑誌だった「頂点」も東京に発行所と編集所を移し、若い新たな同人を迎えてその歩みを着実にしている様子である。時は今、もはや前衛も伝統もなく、ほとんど錆びついてしまっている俳句形式に対して、いまだその志を持しているだけでも奇貨というべきかもしれない。その特集が「俳句と何か?(6)」で、渋川京子「固有時を語る 今の一瞬がすべて」と「固有時を語る」渡邉樹音である。その渋川京子は、

 年齢を重ねてきたことで、はじめて味わえるこの解放感は言葉では一寸説明できないのが不思議である。七十歳台までは何が何でも必死に俳句と向き合ってきた、という実感があった。ところが八十歳を超えてから何となくその必死感の質が変わってきたことに気づきはじめている。『俳句の方から近づいてくる』感じがしている。
 自分のために俳句を書いている。この実感がひしひしと伝わってくるのである。長生きをしたい訳ではないが、俳句を続けるためには生きなければならないだろう、という願望も湧いてくる。若い頃には想像もしなかった感情であった。

と記している。生きることは俳句を作ることであり、俳句を作ることは生きることである、というのである。それも自在に・・・。

ともあれ、以下に本号からの一人一句を以下に挙げておこう。

  靑枯れし少年のまま「気を付け」     川名つぎお
  生身魂生きる証の箸洗う         塩谷美津子
  ロボットとわれとのコラボ震災忌     廣田義善保
  あめんぼの集まってくるぼんの窪     岡 典子
  核兵器封じ込めたき花氷         髙橋保博
  蚊遣り下げ松江堀川屋形船        辻本東発
  生中な情けが仇に走り梅雨        尾家國昭
  私にくれたのだ金木犀          上田美絵
  しらたまのややをみごもるななかまど   田尻睦子
  下り簗欣求浄土の旗を立て        小林 実
  敬老の日や窓の風ひとり分        渋川京子
  虫の音の日毎に細る九月尽        近藤健司
  ミサイル報にも百足にも慣れて来る    水口圭子
  ひらくとき狂気を兆す水中花       杉田 桂
  椋の群一樹の影を太らせる        渡邉樹音
  冬旱母はずけずけ言う機械        成宮 颯
  野菊いま思考回路を整える        森須 蘭

 


 昨年4月に義母他界のため年賀の挨拶は失礼いたします。
 昨年中は色々お世話になり、有難うございました。変わらず本年もよろしくお願いします。