2020年3月31日火曜日

飯田龍太「春の鳶寄りわかれては髙みつつ」(「兜太」VOL.4 ・終刊号より)・・・



 「兜太」VOL.4・終刊号(藤原書店)、特集は「龍太と兜太 戦後俳句の総括」である。表紙に記されてある名誉顧問の金子兜太、そして、編集主幹・黒田杏子、編集顧問の瀬戸内寂聴、藤原作弥、残念なことに、芳賀徹は先日亡くなられたばかりだ。戦後俳句の総括という副題に相応しく、「龍太と兜太」である。しかも、兜太127句、龍太150句の自選句集が、編集長・筑紫磐井によって編まれていることは興味深い。兜太の生まれ年は1919(大正8)年、龍太は1920(大正9)年とほぼ同じである。文字通り、二人とも愚生の父の世代にあたる。乗り越えるべき壁であったことは当然の成り行きだ(愚生の非才を思い知らされるばかりだが・・)。記憶にあるのは、愚生が若き日、総合誌に初めて書かせてもらった論は飯田龍太論(「俳句とエッセイ」)、また、「金子兜太の挫折」(「俳句研究」)。内容は、ほぼ忘却の彼方だ。龍太と兜太の関係で思い出すのは、飯田龍太「長崎の一夜 ー金子兜太」(初出・「金子兜太全句集」附録『思い浮かぶこと』〈中公文庫・昭和56年〉所収)である。その結びには、

  (前略)その夜の歓談は、お互いに酩酊し、二十年近くたったいまは、もう記憶もさだかではないが、どうもこれが、兜太との初対面であったように思う。それほど気がねのない一夜で、ことに作品評価の点では、ことごとくわかれた。私が氏の作品に触れると、すかさず、
 「うん、あれは天下の名作です」
 くさしても即座に、
 「いや、天下の名作です」
 しかも一向に不愉快にならぬばかりか、なにがしという地酒に、一段と風味が加わる塩梅。こうもぬけぬけと自慢し、しかも相手を楽しくさせることが出来る、こんな特技は、考えてみると、明治以降の何万、何千万の俳人のなかで、あるいは高浜虚子と金子兜太ぐらいではないか。
 ただし、まったく対照的な俳人だというなら、その説にも反対ではない。

 とあった。もうひとつ、本誌の井口時男「野生とユーモア―前衛。兜太(四)」は、近年、兜太を論じて出色だと思う。今思えば、1968年末頃、夭折した中谷寛章が、指摘して、兜太を批判した「社会性から自然への成熟」は、50年を経て、井口時男によって、的確な評価となっていよう。それを、

 (前略)なるほど、兜太は社会性から自然へと撤退(・・)しつつあった。しかし、彼は、実存主義的人間ともつながる「存在」概念を媒介にして「自然」を発見したのである。
 したがって、この「自然」はたんに「天然」としての自然ではなく、あくまで「あるままの」「存在意識」の基底に見い出した人間的(・・・)自然である。

 と述べている。納得する。その井口時男は、『蓮田善明ー戦争と文学』(論創社)で令和元年度第70回芸術選奨文部科学大臣賞を受賞した。祝!



 さらに、もうひとつ、思い出話を・・・。仁平勝「天敵ではなくて」の次のくだりだ。

  (前略)あるパーティの席上で。誰かが私を紹介したのだと思う。
金子さんはいきなり、「うちの浜崎いうのがあんたの本のことを書いているが、私を進歩主義者と呼ぶのはやめたたまえ。あれは君の誤読だ。あとは書きたいことをかけばいい。私はそれを読むだけだ」というと、足早に去って行った。

 という場面だ。この時、愚生は仁平勝の隣にいた。仁平勝はさすがによく覚えていて丁寧に書いているが、愚生のいい加減な記憶では、「俺が近代主義者だって!」と金子兜太はやおら近づいてきて恫喝するような口調でいった。そのときの愚生らはむしろ兜太はスゴイと思ったのだ。愚生ら当時の若造のいうことにも、真剣に反論しようとしていたのだ(無視が相場の俳壇だった)。当然、大いなる誤解だが、兜太の眼に、愚生らは、宿敵のように言われていた髙柳重信一派だと思われていたフシがある。その後、愚生も幾度となく、兜太に会い、その後の仕事で、文學の森山本健吉賞の選考委員会や対談やインタビューなどで、立ち会ったりもした。兜太晩年の俳壇では、「兜太ばかりがなぜもてる」という雰囲気だったが、それもむべなるかなである。龍太の時代、兜太時代は確かにあったのだ。

   白梅や老子無心の旅に住む      兜太
   死にし骨は海に捨つべし沢庵噛む
   暗黒や関東平野に火事一つ

   紺絣春月重く出でしかな       龍太
   大寒の一戸もかくれなき故郷
   一月の川一月の谷の中




撮影・鈴木純一「軍手ではペットボトルが開けづらく脱げばすなはち触れるアルプス」↑

安井浩司「新人には教えず験の証拠ぐさ」(『牛尾心抄』3・31)・・




        三月三十一日   火曜日
    新人には教えず験の証拠ぐさ         安井浩司
    小手毬は有りや借問(しゃもん)して友の家
        午前晴      夜星空


*「『牛尾心抄』四十年後への剽窃譚」・・・



              3月31日     (火)
    新妻にささやく験の証拠草         大井恒行
    あらざるか裏戸から借問す無垢の小手毬
        朝曇      昼養花天
 


撮影・鈴木純一「いのちよりだいじなものがあるはずだあるはずだからにぎるきみの手」↑

2020年3月30日月曜日

安井浩司「灯心草にあらゆる今日の牛の声」(『牛尾心抄』3・30)・・




        三月三十日  月曜日
    目礼して野夫の家の壺酒を買う       安井浩司
    灯心草にあらゆる今日の牛の声
        朝霜     日中快晴


*「『牛尾心抄』四十年後への剽窃譚」・・・ 



        3月30日    (月)
    古酒買えば田夫またたき会釈せる      大井恒行 
    牛の盛りや灯心草を嫁は飲み
        朝曇     午後曇


   志村けん、新型コロナウイルス感染による肺炎で死去(享年70)。合掌。



撮影・芽夢野うのき「クリスマスローズ春狂うほど輪舞して」↑    

2020年3月29日日曜日

安井浩司「立去る家の裸女は常に常春藤(きづた)なれ」(『牛尾心抄』3・29)・・

       


       三月二十九日      日曜日
    泡茸群猿女(さるめ)のたましいを索(もと)むるなり 安井浩司
    立去る家の裸女は常に常春藤(きづた)なれ
        午前雨小雪       夜寒


*「『牛尾心抄』四十年後への剽窃譚」・・・



        3月29日     (日)
    猿女(さるめ)またサロメならんや魂待茸(たままちたけ) 大井恒行
    家ぬちの裸女は常なる木蔦かな
                 午前牡丹雪      夕雨

  本日、新たに169人の新型コロナウイルス感染が確認され、一日の感染者が100人を超えたのは3日連続。内、東京68人(のうち27名は永寿総合病院関連)。朝、雪の降る街は、終末土日の外出自粛要請で静まりかえっていた。



撮影・鈴木純一「花に雪じぶんははたらくじどうしゃであります」↑


 

2020年3月28日土曜日

鈴木鷹夫「桜前線神仏酔はせつつ北へ」(「門」4月・400号記念号)・・




 「門」4月・400号記念号(門発行所)、編集後記には、創刊35周年に触れて「『門』は本号にて創刊400号に達しました。三十五巻の歴史を重ね、(中略)新たなる『門』の出発です」「二十年近く担当させていただいた編集を辞することになりました」(勤)、また「亡き師と俳句談議に興じた至福の時間。『伝統と革新の鬩ぎ合い』を最後まで唱え続けた鈴木鷹夫がそこにいた」(真)とあった。
 鈴木節子「四百号を迎えての懐古」には、「鷹夫の陰の呼び方があった。『静かなる亭主関白』」とあり、鳥居真里子「『門』をひらけば、鷹夫と節子」の中には、

 (前略)あれからはや七年の歳月が過ぎ去ろうとしている。遺影には大好きだった珈琲が毎朝欠かさず供えられている。そのすぐ前でいつものように気ぜわしそうに仕事に精を出す節子さんがいる。「もっと小さな声でも聞こえるよ」。珈琲を飲みながら優しく微笑みかけるそんな声が聞こえてくる。
   風花は空の音楽妻と聞く       鷹夫

  
 とあった。思えば、愚生の父の世代に近かった鈴木鷹夫には、その著書をその都度恵まれ、随分と気に掛けていただいたように思う。ブログタイトルにした句は、木本隆行「鷹夫の四季(4)/桜前線神仏酔はせつつ北へ 鷹夫/平成二十二年作」からのもの。そこには、

  (前略)桜前線とはあくまでもマスコミによる造語であり、あまり詩的に感じない言葉である。だが、作者は神仏を酔わせることで誌へと昇華させた。

 と記されている。ともあれ、同記念号より「鷹燈集」までの一人一句を挙げておきたい。

  九十は近くて遠し春の霜         鈴木節子
  天邪鬼そろそろさくら芽がふくぞ    鳥居真里子
  初夢に戦現はる哀しかり        野村東央留
  浮寝鳥凍り付きたる恋願ひ       小田島亮悦
  老人よみんな右向け右は春        成田清子
  枯野ゆく身の水深をはかりつつ      神戸周子
  冬凪や灯火ふるへる佃島         大隅徳保
  然りげなく和解せしこと新日記      長浜 勤
  巻尺のもどる勢ひ初仕事        石山ヨシエ
  ひもろぎにはや一月の波飛沫       布施 良
  少年を滅ぼしやまぬ雪ぼたる       関 朱門
  柊や父音母音のごとくにも       梶本きくよ



安井浩司「やまどりは古式の春と叫びけり」(『牛尾心抄』3・28)・・





        三月二十八日  土曜日
     やまどりは古式の春を叫びけり      安井浩司
     春を歩み老母も庭酒(にわき)汲み給え 
        朝晴      日中曇  


*「『牛尾心抄』四十年後への剽窃譚」・・・


       3月28日     (土)
     叫ぶのか山鳥 わが世の春のコロナウイルス
     献(たてま)つる庭酒(にわき)や老母跳ねる春
       午前曇      夜雨

 
今日、あらたに196人の新型コロナウイルス感染者を確認、感染者が一日で100人を超えたのは2日連続。首都圏の感染拡大が加速。愚生の勤務する府中市中央文化センターも本日と明日は、都の要請により、急きょ全館休館となった。



 
撮影・鈴木純一「同じである」↑

2020年3月27日金曜日

安井浩司「旅ゆく人よ野に黒豚(バークシャ)を見かけか」(『牛尾心抄』3・27)・・




       三月二十七日   金曜日
    旅ゆく人よ野に黒豚(バークシャ)を見かけぬか   安井浩司
    夢を聴けと牛の喉より匿名の声
       午前風雪     午後牡丹雪


*「『牛尾心抄』四十年後への剽窃譚」・・・


       3月27日     (金)
    旅人よたんすのなかにバークシャー         大井恒行
    夢違い神牛の舌荒れたるは
                   朝晴      午後曇強西風

  昨日の東京都都知事の外出自粛要請により、府中市配信メールやたらと多し、
 土日両日のプラッツ会議室、ホール。図書館、美術館、芸術劇場、市民会館など
 を臨時休館。世界、新型コロナウイルス感染50万超。



    撮影・鈴木純一「ここは静か/もう一度/はじめから」↑

2020年3月26日木曜日

安井浩司「少し脱糞して遊ぶや峡(かい)の春」(『牛尾心抄』3・26)・・




        三月二十六日  木曜日
    少し脱糞して遊ぶや峡(かい)の春       安井浩司
    空谷(くうこく)や魚はわれらの串に満つ
        午前晴     午後曇


*「『牛尾心抄』四十年後への剽窃譚」・・・



        3月26日    (木)
    峡の春うす芽を挿して放(ま)りにけり     大井恒行
    串満(くしまん)の肴謡(さかなうたい)や足音絶え
         朝晴     昼穏晴花粉大量

  新型コロナウイルスの感染急増。東京都・神奈川県、埼玉県は都内へなど、
  終末外出自粛、平日自宅勤務要請。東京五輪延期。




 撮影・中西ひろ美「春の風邪うたがいをお疑いください」↑

2020年3月25日水曜日

今井真子「疾走(はし)ることなくなりしが夏帽子飛ばす」(『脱皮する月』)・・

 


 今井真子第三句集『脱皮する月』(黎明書房)、著者「あとがき」の中に、

 (前略)父がいなくなったことです。「お前には土の匂いのする俳句が似合う」と常々言っていました。しかし、十九歳から俳句を書きはじめた私には、それはいかにも泥臭いテーマで、若い私には馴染まず、二十年近く「早蕨」「橋」などで、言葉と遊び、青い俳句を作っていました。やがて双々子先生や夏生さんに出会って「地表」に入り、先生の「残花館」で月二回開かれる句会に参加するようになり、自然に「土の匂いのする俳句」を意識し始めました。父が見抜いた通り、、やはり私の半身は土の中にあります。これからも自分の土壌を確認しながら書き続けたいと思っています。

 とあり、本集には、その父が詠んだ句も収載されている。

     父が最期にベッドで書いた一句
  白寿過ぎまだ生きてゐるキリギリス     豊

 である。集名を「脱皮する月」と名付けられたからでもあろうが、月に関する句は多い。「月の客」といえば、俳人諸氏は、すぐにも「去来抄」に出てくる、「岩鼻やここにもひとり月の客」去来を思い起こすが、例えば本集にも、

  ニッポンを論じてゐたり月の客     真子
  しはぶきをひとつ落として月の客
  
がある。また、集名に因む句は、

  屋根に来てするする脱皮する月よ

であろう。その他にも月はある。

  月赫し衰へてけり村祭
  月光にまみれし猫の飯茶碗
  苦艾戦ぎて月の出を塞ぐ
  その人と少し離れて月を見る
  不意に詩が垂れてくるなり梅雨の月
  風干しの魚干しの梅雨の月
  ふたりゐてひとり月から落ちさうな
  月天心羽毛が一枚おりてくる
  月天心骨美しき歩道橋
  魂(たま)といふたよりなきもの寒月光
  つと出でて梅雨の月抱き戻りけり
  木椅子あり芋名月が寄つてゆく
  星月夜番犬の背のしめりやう

 ともあれ、その他、いくつか愚生好みの句を挙げておきたい。

  麦伸びて風梳くことをはじめけり
     悼 坂戸淳夫さん
  「冬樹」へと還るゆくなり老詩人
  天地(あめつち)のあはひ秋刀魚のけむりかな
  「囁囁記」措いて通草を置きにけり
     囁囁忌(一月十七日)
  人をらぬ文机に在る福笑 
     悼 伊吹夏生さん
  而して夕顔の花 畢(をはん)
  しらうをのなつかしくしづかなしろよ
  
 今井真子(いまい・まさこ) 1947年、愛知県碧海郡(現・安城市)生まれ。



★閑話休題・・・大井恒行「荒芒の声とならんや春愁秋思」(「俳句」4月号より)・・・


 「俳句」4月号(角川文化振興財団)の愚生の12句「春愁い」です(上掲写真↑)、自己宣伝です・・・お許しあれ!



安井浩司「狂人歩むその鳥どちは俄交尾(にわくなぎ)」(『牛尾心抄』3・25)・・




        三月二十五日  水曜日
    木苺や無数の牛の野合せる          安井浩司
    狂人歩むその鳥どちは俄交尾(にわくなぎ)
        朝雨      日中強風雨


*「『牛尾心抄』四十年後への剽窃譚」・・・

       
        3月25日     (水)
    まほろばの牛のみならず野合せる       大井恒行
    不狂人走り俄交尾(にわくなぎ)する鳥ら
        朝晴      夕晴



撮影・鈴木純一「晴天を生む木蓮のメカニズム」↑

2020年3月24日火曜日

安井浩司「穀雨きて密陽農夫は再婚し」(『牛尾心抄』3・24)・・




        三月二十四日   火曜日
    穀雨きて密陽農夫は再婚し      安井浩司
    洪水の野末に尊き酒屋旗
        午前晴       午後晴


*「『牛尾心抄』四十年後への剽窃譚」・・


        3月24日    (火)
    アリランの密陽江に鳩鳴き穀雨    大井恒行
    尊かり山郭水村酒旗の風
        午前晴強風     夕刻晴冷強風



撮影・鈴木純一「もてなさん噂の花も花として」↑

2020年3月23日月曜日

安井浩司「吾を知れる李白は立てり湿原に」(『牛尾心抄』3・23)・・




       三月二十三日  月曜日
    吾を知れる李白は立てり湿原に       安井浩司
       李白死す
    腸いろの花さえ野辺の送りかな 
       朝晴     夜余寒


*「『牛尾心抄』40年後への剽窃譚」・・・


       3月23日    (月)
    李白立つ湿原を翔(た)ち天馬行く    大井恒行
    溺れ死すとも太白星のかがやく野辺
       朝雨     午後晴満開

    府中市桜通り満開なれど、新型コロナウイルスの感染拡大により、
    全国各地の桜まつりは中止



中西ひろ美「幸不幸ソメイヨシノじゃない桜」↑

2020年3月22日日曜日

安井浩司「十年(ととせ)病む母よすずめは天路来る」(『牛尾心抄』3・22)・・




        三月二十二日     日曜日
    奥羽の友は雑草の中に豆植えて        安井浩司
    十年(ととせ)病む母よすずめは天路来る
        午前快晴       夜半雨


*「『牛尾心抄』40年後への剽窃譚」・・・    

        3月22日      (日)
    国中に豆植えて遠方より来たる友       大井恒行
    病む母の十年を老い雲上を来る雀
        朝晴        午後南風



   撮影・中西ひろ美「春深し飲みほされたる夜の緑」↑

2020年3月21日土曜日

眞矢ひろみ「夜神楽や死にゆく鬼の淡きこと」(『箱庭の夜』)・・



 眞矢ひろみ第一句集『箱庭の夜』(ふらんす堂)、帯文は、ディヴィット・バーレイ。英文に訳文が付されている。ここでは(日本語訳のみを記す)、

  「箱庭の夜」は、読者をある私的な王国に誘います。―眞矢ひろみ―の世界は影と記憶で形作られ、創造力で高められ虹によって輝いています。各々の俳句には訝しげで少々取り憑かれたような趣もありますが、人生を送る上での実体験や高野山からドナウ川まで及ぶ具体的な地理環境に裏打ちされたものです。伝統的な暗示の手法や現代の口語をもちいながら、思案と思いがけない遊びの世界を繰り広げ、読者を楽しませてくれます。

 とある。あるいはまた、著者「あとがき」に、

 この句集を「箱庭の夜」と名付けた。様々なもの、思い、言葉を紡ぐ俳句創作の場を〈極私的〉な箱庭に擬し、三百の句を自選して四章に区分した。章立てはジョン・コルトレーンのアルバム「至上の愛(A Love Supreme)」を参考にした。ある手法等を認め、試行を決め、追求し、終わりに人知を超えたものに感謝、賛美する。ジャンルを問わず、あらゆる作家にとって普通の過程、道筋ではないかと思う。(中略)また、句集編纂においては、記憶の保存を第一義とし、作成時の文体を尊重して口語文語・かな遣いを句によって使い分けたままとした。

 と記されている。また、集名に因む箱庭の句は、

   箱庭に息吹き居れば初雪来        ひろみ
   大袈裟なことばかり箱庭の夜

 である。ともあれ、愚生好みに偏するが、以下にいくつかの句を挙げておきたい。

   蒼天をピアノに映し卒業す       
     悼 金子兜太
   「やあ失敬」と朧月夜を後にせり
   文学は下駄を履かぬか重信忌
   幾千代の腐乱の裔や白牡丹
   ゐることを禍津日としてかげろへる
   暗黒や白玉歪むあたりより
     悼 澤田和弥
   かげろふの無方無縁の海に翔ぶ
   愛国を語るJK夢違え
   瑠璃天は御霊に狭し揚雲雀
   春の宵おひねりが飛ぶ空爆も
   八月の愛国たるを違勅とす
   ぼうたんの揺るるは虐殺プロトコル
   冬の日の歪むあたりを行かむとす
 

 眞矢ひろみ(まや・ひろみ)1956年、札幌生まれ。


撮影・芽夢野うのき ↑




撮影・鈴木純一「連翹や脱構築を座して待つ」↑

安井浩司「振る鉄(かな)鈴の女乞食なつかしき」(『牛尾心抄』3・21)・・




        三月二十一日    土曜日
    振る鉄(かな)鈴の女乞食なつかしき     安井浩司  
    天狼や尋ねるおみなは松柏ぞ 
        朝晴        日中陽気


*「『牛尾心抄』40年後の剽窃譚」・・・

        3月21日       (土)
   乞食巫女来なつかしく振る鉄鈴を       大井恒行
   松柏の巫女に天狼万事吉
        朝晴         昼蕾ほころぶ暖気   


芽夢野うのき「密密と咲く前の花満ちさびし」↑

2020年3月20日金曜日

安井浩司「楽(がく)人植えるアスパラガスを田園に」(『牛尾心抄』3・20)・・




         三月二十日      金曜日
   楽(がく)人植えるアスパラガスを田園に    安井浩司
   農夫の犬も入いるかの聖行列に
         午前晴       午後曇 


*「『牛尾心抄』四十年後への剽窃譚」・・・   


        3月20日      (金)
   田園に石刀柏(あすぱらがす)を植える伶人    大井恒行
   農夫も犬も黒服の黒の頭巾の聖行列
        朝晴        午後暖花粉
   


撮影・鈴木純一「紫木蓮他を助くべき力なれ」↑

2020年3月19日木曜日

安井浩司「歌いゆく野の人達よ饂飩(うどん)色」(『牛尾心抄』3・19)・・




        三月十九日    木曜日
   歌いゆく野の人達よ饂飩(うどん)色     安井浩司
        李白に
   居酒屋で菱摘歌を習うのか
        朝快晴      夜月


*「『牛尾心抄』40年後への剽窃譚」・・・


       
 3月19日     (木)
   稲庭の紅白麺や玉藻刈る           大井恒行
   櫂をめぐらす菱歌(りょうか)菊正大吟醸  
        朝晴霞        午後春疾風 



撮影・鈴木純一「同じものはない」↑

2020年3月18日水曜日

安井浩司「松脂まで蛇捲きからむ春の午砲(どん)」(『牛尾心抄』3・18)・・



        三月十八日   水曜日  
    松脂まで蛇捲きかかる春の午砲(どん)     安井浩司
    春の路地ゆく農夫こそ砲手なれ
        午前晴     午後曇


*「『牛尾心抄』40年後への剽窃譚」・・・


        3月18日    (水)
    どんに合わせ馬鹿蝋燭をのぼる蛇        大井恒行 
    砲手ならずも絶えて久しき労農派
        午前晴     午後暖気



      撮影・鈴木純一「父母ノ生マルル前ヤ山櫻」↑
       

2020年3月17日火曜日

安井浩司「善知鳥(うとう)は来る尋常小の君の家」(『牛尾心抄』3・17)・・・





       三月十七日   火曜日
    鰯雲坂ゆくたれが褚遂良              安井浩司
    善知鳥(うとう)は来る尋常小の君の家
       朝小雪     昼強東風


*「『牛尾心抄』40年後への剽窃譚」・・・


       3月17日     (火)
    褚遂良とは浩司安井や春能代                                              大井恒行
    呼べば汝は善知鳥安方(うとうやすかた)みちのくの 
       朝快晴      昼冷風




撮影・鈴木純一「紫木蓮ひっこみじあん祖母に似て」↑

    

2020年3月16日月曜日

安井浩司「あゝ嫩芽(どんが)われらは土上に泪して」(『牛尾心抄』3・16)・・・




        三月十六日   月曜日
   あゝ嫩芽(どんが)われらは土上に泪して   安井浩司
   裾山をゆくや曲る木と折れる木と
        朝粉雪     夜余寒


*「『牛尾心抄』40年後への剽窃譚」・・・   


       3月16日   (月)
    泪する若芽よ君ら大地の上         大井恒行
    曲る木と折れる木とゆくは裾山
        朝晴    午後強風




     撮影・芽夢野うのき「鬼族と蝶族ねむる赤い橋」 ↑

2020年3月15日日曜日

藤原龍一郎「ウタビトの無力は至福金輪際『撃ちてし止まむ』とは歌わぬを」(『202X』)・・



 藤原龍一郎歌集『202X』(六花書林)、10年ぶりの新句集、帯の惹句には、

  時代に対する危機感を抱き、常に抵抗の意志を投げ掛け、多数に迎合することなく、己の立ち位置を問い続ける。絶望を糧として、暗澹たる時代に撃ち込む一行の詩!

 とあり、著者「あとがき」には、

 ジョージ・オーエルの『一九ハ四年』を読んだのは一九六八年、高校二年の時。早川書房から刊行された世界SF全集の第一回配本だった。(中略)
 ビッグ・ブラザーという全能の人工頭脳に支配された未来社会。すべての市民の言動は監視され、密告が奨励されて、言論も統制されている究極のデストピアである。
 私がこの本を読んだ一九六ハ年の時点で、近い未来にこんな統制された社会が実現するとは思えなかったし、人間の知性がそんな社会の成立を許すはずがないと信じていた。
 それから五十年経っての現在、どうやらその確信はゆらいでいる。「戦争は平和なり/自由は隷従なり/無知は力なり」との不快なフレーズが頭の中に浮かんでは消えている。
 私の短歌は2+2=4であると、あくまで主張し得ているであろうか。

 と記されている。集名に近く、因む歌は、

   二〇〇X年某月某日未明なる劫火に首都は燃えていたるや?  龍一郎

 であろう。ともあれ、愚生好みになるが、抽けば切りがないので、ここでは、いくつの歌を挙げておきたい。

   天皇を、否!愚かなる総統を撃たねばならぬ 撃てよ!ヤマザキ!
   紀元二千六百年幻の東京五輪!西暦弐千弐十年ああ!東京五輪
   「コノクニヲ マモリヌク」とぞ総統は叫ぶ ダレトタタカッテイルノ?
       ドトールにて
   タブロイド版の見出しの大文字の「国民精神総動員(ONE TEAM)」 
   珈琲苦し
   震災も戦災も経し下町の日暮れコロッケの油がにおう
       昭和三十四年
   江東区立平久小学校二年生藤原龍一郎学級委員
   東京の本所生まれの土井和子年上なれど父の花嫁
   野球馬鹿とぞ思いおりしに父親の遺品の中の「共産党宣言」
     日乗の泡 題詠 東京/偏奇館跡形もなき春愁や
   アークヒルズの裏にまわれば偏奇館跡地荷風の憂愁残る
   香港に暴力装置威を奮い傘と催涙弾と火焔と
       12  4月10日
   電話機の前にて仙波龍英は斃れていたり その死の孤絶
       20  扶桑社に執行役員として出向。
   早稲田大学文学部文芸学科後輩壹岐さんに退職勧奨なるをなしたる
   本土決戦ネットに叫ぶ軍人のハンドルネーム「芋虫」とあり
   鳥籠にカナリア、鸚鵡のみならず鳩も死にたりこの寒き春




                撮影・T・O ↑


撮影・鈴木純一「白菜の道化箔(どうげはく)なる一枚よ・・永田耕衣・・
暗くなるまでまって飛び立つ・・なそり・・」 ↑

   
      

安井浩司「やや高所めまいの荘子と蝶遊ぶ」(『牛尾心抄』3・15)・・・




      三月十五日   日曜日
   赤松の高さの古人は帰りませ        安井浩司
   やや高所めまいの荘子と蝶遊ぶ
      朝曇      午後暴風雨


*「『牛尾心抄』40年後への剽窃譚」・・・


      3月15日   (日)
   帰りませ古人の秋に糸電話         大井恒行 
   めまいして夢に胡蝶の荘子現(あ)
      午前晴    夜半月



撮影・鈴木純一「初蝶の知る道らしく右へ行く」↑

2020年3月14日土曜日

安井浩司「牛に挿すすももの枝の造化なれ」(『牛尾心抄』3・14)・・





        三月十四日    土曜日
   母とあゆむ韃靼蕎麦(ダッタンソバ)に日当れり  安井浩司
   牛に挿すすももの枝の造化なれ       
        午前曇      午後雨


*「『牛尾心抄』40年後への剽窃譚」・・・


       3月14日   (土)
   日当たれる苦蕎麦や母もいて        大井恒行
   造化とやすももの枝を牛に挿し
       午前冷雨   午後霙




撮影・鈴木純一「雨水は先に行くほど勝負なり」↑

干場達矢「鳥交るころ禁猟区で逢ひませう」(「トイ」創刊号)・・・



 「トイ」創刊号(VOL.1 編集発行人・干場達矢)、創刊同人は4名、青木空知、池田澄子、樋口由紀子、干場達矢。その「あとがき」に、

  「トイ」は「問い」でもあります。わずか17音の俳句や川柳は片言としかいえないような表現です。そんな奇妙な言葉が、自分の中から出てきたことが不思議に感じられる時があります。これを書いた私とは何者のか。そういう謎めいた自問を、この詩型は呼び起こします。

 とあった。青木空知を除いた三名が、「豈」の同人であるというのも面白く、不思議な組み合わせである。ともあれ、一人一句を以下に挙げておこう。

  風に乗る声こそよけれ魂迎へ     青木空知
  蛇寒い筈日々老いて眠い筈      池田澄子
  回転木馬に跨るときはどうしよう  樋口由紀子
  正誤表ごと古書は古びて去年今年   干場達矢




★閑話休題‥ 森山光章『我常智衆生—―〔無〕に抗する』(不虚舎)・・・


 本著はアフォリズム集である。従って、どこを開いて読んでも、そこに森山光章の提示がある。彼は多力の人である。これまでに、詩集、句集、歌集、評論集、エッセイ集などが幾数冊もある。今回はアフォリズムである。過激と思われる言辞は、そうであるがゆえに、凡士の愚生には、よく理解できないところが多々あるが、それでも、真摯に読もうとすると、凍るような感触さえある。その「後記」に(原文は正漢字)、

 表題は、『妙法蓮華経・如来寿量品』から取った。〔書物〕は、わたしの〔墓〕である。
 〔無〕に抗する(・・・)〈者〉を〔仏〕と呼ぶ。この全ての(・・・)断章は、〔無〕に抗する(・・・)エクリチュ―ルである。〔語りえぬものを、語らなければならない〕。(中略)「宇都之(このよ)」は。始まる前から(・・・・・・)〔終わっていた〕。〔無いすら無い〕に、〔有(あ)る〕を定位しなければならない(・・・・・・・・・・・)。それは、〔誼〕である。〔終わり〕だけが、ある。

  と、ある。また、巻頭二篇目には、

 最下の階層(・・・・・)〔アウトカースト〕に定位しない限り(・・・・・・・)、〔聖なるもの〕は現前しない(・・・・・)。釈尊もその弟子達も、又「日蓮」も、その〔アウト・カースト〕に定位(・・・)した。〔聖なるものは〕、〔下(下)〕にある。

 また、

〔神仏〕は堕落している(・・・・・・)。「神仏」の「責任」を問わなければならない(・・・・・・・・・・)
  
 とあった。そのほかには三島由紀夫、天皇などに言及するアフォリズム、またアフォリズムの間に、森山光章と交渉のあった俳人諸氏へのエッセイ風のもの収められている。例えば、かつて「豈」同人であった田端賀津子「姉二人あまたの芒抱え込む」に、「肝臓ガンで亡くなられた。落涙押え難い(・・・・・・・)」と記し、髙橋龍「凍る夜のコップかくまで薄きかな」を記し「落涙押え難い(・・・・・・・)」、かつ、

 「護摩焚いて孔雀呪法の明けやすし」―筑紫磐井氏第一句集『野干』収載の〔俳句〕である。すばらしい(・・・・・)(中略)「現代俳句」とは異なる(・・・・)〔もう一つの現代俳句〕である。この句集を読んだ時の「衝撃」を思い出す。

 ともあった。語りえぬもの、引用しえない言辞には、諸氏が直接あたられたい。



撮影・鈴木純一「『ステルス』らしく雲隠れなむ」↑