藤原龍一郎歌集『202X』(六花書林)、10年ぶりの新句集、帯の惹句には、
時代に対する危機感を抱き、常に抵抗の意志を投げ掛け、多数に迎合することなく、己の立ち位置を問い続ける。絶望を糧として、暗澹たる時代に撃ち込む一行の詩!
とあり、著者「あとがき」には、
ジョージ・オーエルの『一九ハ四年』を読んだのは一九六八年、高校二年の時。早川書房から刊行された世界SF全集の第一回配本だった。(中略)
ビッグ・ブラザーという全能の人工頭脳に支配された未来社会。すべての市民の言動は監視され、密告が奨励されて、言論も統制されている究極のデストピアである。
私がこの本を読んだ一九六ハ年の時点で、近い未来にこんな統制された社会が実現するとは思えなかったし、人間の知性がそんな社会の成立を許すはずがないと信じていた。
それから五十年経っての現在、どうやらその確信はゆらいでいる。「戦争は平和なり/自由は隷従なり/無知は力なり」との不快なフレーズが頭の中に浮かんでは消えている。
私の短歌は2+2=4であると、あくまで主張し得ているであろうか。
と記されている。集名に近く、因む歌は、
二〇〇X年某月某日未明なる劫火に首都は燃えていたるや? 龍一郎
であろう。ともあれ、愚生好みになるが、抽けば切りがないので、ここでは、いくつの歌を挙げておきたい。
天皇を、否!愚かなる総統を撃たねばならぬ 撃てよ!ヤマザキ!
紀元二千六百年幻の東京五輪!西暦弐千弐十年ああ!東京五輪
「コノクニヲ マモリヌク」とぞ総統は叫ぶ ダレトタタカッテイルノ?
ドトールにて
タブロイド版の見出しの大文字の「国民精神総動員(ONE TEAM)」
珈琲苦し
震災も戦災も経し下町の日暮れコロッケの油がにおう
昭和三十四年
江東区立平久小学校二年生藤原龍一郎学級委員
東京の本所生まれの土井和子年上なれど父の花嫁
野球馬鹿とぞ思いおりしに父親の遺品の中の「共産党宣言」
日乗の泡 題詠 東京/偏奇館跡形もなき春愁や
アークヒルズの裏にまわれば偏奇館跡地荷風の憂愁残る
香港に暴力装置威を奮い傘と催涙弾と火焔と
12 4月10日
電話機の前にて仙波龍英は斃れていたり その死の孤絶
20 扶桑社に執行役員として出向。
早稲田大学文学部文芸学科後輩壹岐さんに退職勧奨なるをなしたる
本土決戦ネットに叫ぶ軍人のハンドルネーム「芋虫」とあり
鳥籠にカナリア、鸚鵡のみならず鳩も死にたりこの寒き春
撮影・T・O ↑
撮影・鈴木純一「白菜の道化箔(どうげはく)なる一枚よ・・永田耕衣・・
暗くなるまでまって飛び立つ・・なそり・・」 ↑
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