2020年3月14日土曜日

干場達矢「鳥交るころ禁猟区で逢ひませう」(「トイ」創刊号)・・・



 「トイ」創刊号(VOL.1 編集発行人・干場達矢)、創刊同人は4名、青木空知、池田澄子、樋口由紀子、干場達矢。その「あとがき」に、

  「トイ」は「問い」でもあります。わずか17音の俳句や川柳は片言としかいえないような表現です。そんな奇妙な言葉が、自分の中から出てきたことが不思議に感じられる時があります。これを書いた私とは何者のか。そういう謎めいた自問を、この詩型は呼び起こします。

 とあった。青木空知を除いた三名が、「豈」の同人であるというのも面白く、不思議な組み合わせである。ともあれ、一人一句を以下に挙げておこう。

  風に乗る声こそよけれ魂迎へ     青木空知
  蛇寒い筈日々老いて眠い筈      池田澄子
  回転木馬に跨るときはどうしよう  樋口由紀子
  正誤表ごと古書は古びて去年今年   干場達矢




★閑話休題‥ 森山光章『我常智衆生—―〔無〕に抗する』(不虚舎)・・・


 本著はアフォリズム集である。従って、どこを開いて読んでも、そこに森山光章の提示がある。彼は多力の人である。これまでに、詩集、句集、歌集、評論集、エッセイ集などが幾数冊もある。今回はアフォリズムである。過激と思われる言辞は、そうであるがゆえに、凡士の愚生には、よく理解できないところが多々あるが、それでも、真摯に読もうとすると、凍るような感触さえある。その「後記」に(原文は正漢字)、

 表題は、『妙法蓮華経・如来寿量品』から取った。〔書物〕は、わたしの〔墓〕である。
 〔無〕に抗する(・・・)〈者〉を〔仏〕と呼ぶ。この全ての(・・・)断章は、〔無〕に抗する(・・・)エクリチュ―ルである。〔語りえぬものを、語らなければならない〕。(中略)「宇都之(このよ)」は。始まる前から(・・・・・・)〔終わっていた〕。〔無いすら無い〕に、〔有(あ)る〕を定位しなければならない(・・・・・・・・・・・)。それは、〔誼〕である。〔終わり〕だけが、ある。

  と、ある。また、巻頭二篇目には、

 最下の階層(・・・・・)〔アウトカースト〕に定位しない限り(・・・・・・・)、〔聖なるもの〕は現前しない(・・・・・)。釈尊もその弟子達も、又「日蓮」も、その〔アウト・カースト〕に定位(・・・)した。〔聖なるものは〕、〔下(下)〕にある。

 また、

〔神仏〕は堕落している(・・・・・・)。「神仏」の「責任」を問わなければならない(・・・・・・・・・・)
  
 とあった。そのほかには三島由紀夫、天皇などに言及するアフォリズム、またアフォリズムの間に、森山光章と交渉のあった俳人諸氏へのエッセイ風のもの収められている。例えば、かつて「豈」同人であった田端賀津子「姉二人あまたの芒抱え込む」に、「肝臓ガンで亡くなられた。落涙押え難い(・・・・・・・)」と記し、髙橋龍「凍る夜のコップかくまで薄きかな」を記し「落涙押え難い(・・・・・・・)」、かつ、

 「護摩焚いて孔雀呪法の明けやすし」―筑紫磐井氏第一句集『野干』収載の〔俳句〕である。すばらしい(・・・・・)(中略)「現代俳句」とは異なる(・・・・)〔もう一つの現代俳句〕である。この句集を読んだ時の「衝撃」を思い出す。

 ともあった。語りえぬもの、引用しえない言辞には、諸氏が直接あたられたい。



撮影・鈴木純一「『ステルス』らしく雲隠れなむ」↑

 

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