2020年1月31日金曜日

能城檀「印刷工枯野に風を増刷す」(『カフェにて』)・・



 能城檀第一句集『カフェにて』、懇切な序は仲寒蟬「眠る狼、眠らぬ鷹」、その中に、

  さて、檀さんの俳句の表現上の特徴として予てより「句跨り」が多いと感じていた。心に中でひそかに「句跨りの檀」と呼んでいたほどである。句集としてまとまった数の彼女の俳句を読み進めると独特のリズム感があることに気付く。数ページ読めば敏感な読者は納得してくださることだろう。そこで句集中の句跨りの句がどれくらいあるのか調べてみた。ついでに字余り、字足らずの句数も数えてみた。

といい、一覧表にして、句集中の章に占めるパーセントまで記してある。

(中略)句跨りは下五の字余りと連動するかのように年を経るにつれて増加してきている。(中略)

  ガーベラあるいは大人になりたくない少女  平10
  飽かず追ふ金魚ゆつくり大人になれ     平16
  ダリア死ぬまでを踊り続けてゐるダリア   平29
  白い嘘黒い嘘ブロッコリー迷宮       平30

こうして例句を挙げてみると、中七から下五への句跨りが定型を乱しつつなだれ込んできたところを、下五が受け止めきれずに字余りの状態で辛うじて着地、といった感じである。この危うい均衡が能城檀の独特のリズムの正体であったと判明した。

 と分析している。表紙カバーの挿画は、金子國義。ともあれ、以下に、愚生好みになるが、いくつかの句を挙げておこう。

  今朝炊きし飯に芯あり敗戦日       檀
  万緑に負けないための赤い靴
  消化試合のビールいよいよ温くなる
  皺ひとつ無き冬麗を訝しむ 
  ゴム長にちよつと蹴られし河岸の蛸
  ありがたくちちははゐます冷奴
  かかとから溺れ始める夏野原
  春暁の右手生きる手働く手
     故 大牧広先生へ
  太眉を下げて師の笑み春の笑み

 能城檀(のうじょう・まゆみ)1963年、東京都生まれ。


            撮影・鈴木純一 いつもの道も↑

2020年1月28日火曜日

月波与生「出入口にあるきれいな汚物入れ」(「晴」第3号より)・・・・



「晴」第3号(編集発行人・樋口由紀子)、巻頭エッセイは、このブログに、時折り写真を寄せてくれている鈴木純一「盟言語大切(めいげんごたいせつ) 分からないとはどういうことか」。不十分な引用になるが、巻尾近くを引用しておきたい。

(前略)言葉を「記号」に置き換えて、その範囲を「記号と解釈できるもの」にまで広げると、手紙・詩・小説にかぎらず、映画・建築・服飾・都市もテクストと呼べることに気がつく。すると、それまで別々のものとしてしか見えなかった事象が、一つの風景として浮かび上がる。これは「言語が世界を分節する(分ける)という考え、記号論的立場であろう。しかし、
   A『分ける』とは「1ヲ2にスル」ことーー古くは【分く】といった
   B『分かれる』は「1ガ2トナル」ことーー古くは【分かる】である。
現代語の【分かる】は、「理解できる」の意だが、そこに日本語の古層(B)が残っていて、何かに働きかける(スル)に対して、自ずと生まれる(ナル=生る・成る)感じがする。日本語の底には二つの力、【分く/分かる】「スル/ナル」が、いまだに働いていると思う。
 
 他に、先般上梓された樋口由紀子句集『めるくまーる』など、興味深い評論、エッセイがあるが、ここでは、一人一句を以下に挙げておこう。

  さみしいのだからえんえん穴を掘る    広瀬ちえみ
  死者の名をコンビニへ来て探し当て     月波与生
  いきとめてみてもいいけどぽんぽんだりあ 樋口由紀子
  下々へ銃剣で弾くバイオリン       きゅういち
  CMが出て哀しみが煮つまらぬ       水本石華
  副作用続くハチマキとヒノマル       松永千秋



  

★閑話休題・・・池田澄子「生き了るときに春ならこの口紅」(「俳句」2月号)・・・


 「晴」の樋口由紀子が「豈」同人なので、「豈」つながりで「俳句」2月号(角川文化振興財団)に寄稿している「豈」のメンバーの一人二句をあげ、

  不意に風立つ迎え火の消える前     池田澄子
  日遍しそして寒くて川のほとり
  歴代や総理しらじら嘘をつく      筑紫磐井
   「豈」創刊四十年を前に
  攝津・大本なくて十一月の珈琲    
  返り花戻らぬ人を待つてをり      関根かな
  春疾風イヤホーンからのYMO 

 高山れおな『百年の秀句』(金子兜太句集)評を以下に挙げておこう。

 上溝桜(うわみずざくら)いつきに咲きて亡妻佇(つまた)てり  兜太

故・皆子夫人を詠んだ句が多数ある中、掲句に息を呑んだ。〈いつきに〉花ひらいたこの幻想の鮮やかさ・・・





              撮影・鈴木純一 崖っぷちに咲く

2020年1月27日月曜日

山﨑十生「かいつぶりまづは明星仰ぎけり」(『銀幕』)・・



 山﨑十生第11句集『銀幕』(東京四季出版)、巻末に付された「凡例(新時代対応 仮名遣い」とあるのは、句を書く際の山﨑十生の主張の根拠を示していて、良い。たぶん句集では、仮名遣いの表記は統一した方がいい、などと言われて、面倒なことが色々あるのだろう。自身には気まぐれではなく、こうして統一された表記法があるのだ、と宣明しているのだ。以下に厭わず引用しておこう。

 ・文語的発想の場合は、歴史的仮名遣いで表記。
 ・口語的発想の場合は、現代仮名遣いで表記。
 ・歴史的仮名遣いの場合、拗音、促音は、明治三十年発行の
 『國語讀本 高等小学校用 巻六』を典拠として小文字で表記。
 ・ルビの表記は、現代仮名遣いで表記。

 以上である。また「あとがき」には、

(前略)本書は、最近七年間「紫」に発表した作品から抄出したものです。毎月六十句以上の作品の中で、九割以上を席題が占めています。俳句手帳を持たない主義で、俳句を書くにあたりましては、小短冊と愛用の万年筆で認めています。それらの作品を「紫」に毎月発表するのは十七句で、それ以外の作品は全て捨てています。そういう拘りをもって編まれた句集なのです。俳句総合誌や新聞、同人誌に発表した作品は含まれておりません。また別の機会に纏めたいと思っています。

 潔いといえば潔い。句集名『銀幕』について記されているが、山﨑十生の第一句集、19歳の第一句集が『上映中』だから、いずれ映画つながりの不思議さがあるが、その繋がりについては記されていない。ともあれ、愚生好みになるが、本集よりいくつかの句を挙げておきたい。

  備蓄せし末期の水や春闌くる        十生
  腕組みにあらぬ腕組む春の宵
  脚本を無視して桜ふぶくのだ
  宝刀を抜かねば虹は生まれない
  指切りの指うっすらと汗を搔く
  紺青の天逆柱昇る蟻
  水垢離も色なき風の垢離もよし
  じっと見てゐれば恋しき草の花
  揺れていることも行往坐臥の萩
  人恋はば寝(いね)積むほかはなかりけり
  相聞ゆ星のきらめき憂国忌
  振幅の大きな芒から枯れる
  空っ風なども衣といたします

 山﨑十生(やまざき・じゅっせい) 昭和22年、旧大宮市生まれ。
  

2020年1月26日日曜日

伊藤左知子「一椀の白湯におさまる淑気かな」(第152回「豈」東京句会)・・



 本日、26日(日)は二ヶ月に一度、いつもの最終土曜日ではなく、会場(白金台いきいきプラザ)の都合で今日が開催日となった。昼からは雨も上がった。ともあれ、以下に一人一句を挙げておこう。

   戦争を知らぬ煮凝レンジでチン     川崎果連
   そのかみに彫りしキトラの冬の星     登羊亭
   幸薄き詩人の寝屋の嫁が君      伊藤左知子
   ででむしのうなじおくれ毛 私生活  打田峨者ん
   薄氷やモノクロームの地球脳      早瀬恵子
   すっぴんに従う我の黒マント     小湊こぎく
   花臘梅ほろっと他人思い出す     羽村美和子
   多喜二忌や舌ぬかれての雪月花    川名つぎお
   新春放談「米中もし戦わば」      渕上信子
   青鞋忌洗いざらしの冬の蝶       大井恒行

 驚いたのは、登羊亭こと山登義明の句は、キトラ古墳に胃カメラ状の極小のカメラを入れて、実際にキトラ古墳のなかの星々を最初に発見した人だという事だった。つまり「そのかみに彫りしキトラの冬の星」は眼前の景だったということである。
 次回、第153回「豈」東京句会は、またまた変則で、3月29日(日)午後1時~。参加は「豈」同人以外でもオーケー。気楽にお越しください(何のおもてなしもできませんが)。


★閑話休題・・・妹尾健「敗荷やひとごえしてはひとをみず」(「コスモス通信」とりあえず21号・句日記より)・・・


 「豈」つながり・・妹尾健の通信エッセイのなかにデイ・サービスの体験などを記しているが、高齢男性の引きこもりは深刻らしい。

 (前略)例えば「高齢者俳句上達法講座」というのなどはどうであろう。八十歳コース・九十歳コースなどをもうけるのである。年齢に応じてコースを決めてもらい、その講師におうじて作句してもらう。写生コース・吟行コース・前衛コースというのもあっていい。冗談でいっているとおもわないでほしい。(中略)
 十七文字に自分をこめておきたい、表現しておきたいという思いはみな同じである。これは年齢の問題ではない。百歳コースというのもできるかもしれない。長い期間をかけてひとつひとつ学んでいくことは、教えるほうにも勉強になる。講師たちによる研修も大切である。(中略)高齢者の社会参加は今日の問題であり、百歳時代を迎えるこれからの時代のぜひとも考えておかねばならない必須の問題なのだ。
 
 とある。さすがに元教師の提案である。ともあれ、彼の「句日記」のなかからいくつかの句を挙げておこう。

    冬桜坂道急な宇陀郡      健
    梅林の奥に青空寂として
    冬旱返事なきまま過ごす午後
    庇出る雲かと見れば氷柱かな
    倭の国は渦巻く時間と寒の闇

 

           撮影・鈴木純一 マユミの道しるべ ↑  

2020年1月22日水曜日

原ゆき「花柊わたしたち皆もと胎児」(『ひざしのことり』)・・



 原ゆき第一句集『ひざしのことり』(ふらんす堂)、解説は坪内稔典「胸がときめくーゆきさんのやや難解な句」には、「海がふたつに分かれることもなく紫陽花」の句について、

 (前略)海が二つに分かれるという激しいイメージと、静謐な紫陽花。もちろん、句の中心は紫陽花だが、このゆきさんの句に出会うまで、原始的な海を感じさせる紫陽花を知らなかった。つまり、この句を覚えて以来、紫陽花をみるたびに、ぼくはふたつに分かれる海を連想して胸がときめく。

 という。著者「あとがき」はシンプルだ。

 原ゆき、という名前を/自分につけてみました。
 すると急に、どうしてか/身が軽くなりました。
 せっかく軽くなったので/句集を作ってみることにしました。
 坪内ねんてん先生はじめ/応援してくださった方々に/こころより
 感謝いたします。

  とある。集名に因む句は、

  ことりくるひざしのなかのさようなら      ゆき

 だろう。集中に、

  こころなど無いふりををして雨の花野

 の句があるが、100年ちょっと前に作られた、碧梧桐の無中心論のさきがけとなった句「雨の花野来しが母屋に長居せり」響也の句を思い出した。意外に趣向が似ているように思えたのだ。もっとも響也の句の方がより具体的だが・・・。ともあれ、愚生好みに偏するがいくつかの句を以下に挙げておきたい。

  島国のぐるりは青し冷奴
  冷房車或る夜は森として進む
  夏闇の底まぼろしの馬つなぐ
  敷石は緑雨来るとピアノになる
  芍薬を山ほどいけて近寄る死
  ありったけ小声の雪と出会いけり
  梅はなびら世界とのきわあかりめく
  雲となる予定の蝶を知っている
  氷水だけが正気で泡立つ僕

原ゆき(はら・ゆき)1962年、東京都生れ。



             撮影・鈴木純一 限りなく零に近づく ↑

2020年1月19日日曜日

望月至高「医学者の静かなる自死山眠る」(「奔」NO.4)・・



 「奔」NO.4(編集発行人・望月至高)、望月至高は鈴木六林男晩年の弟子である。忌憚なく言えば、句よりも評論の方に一層の冴えをみせている。本号では、自句自解「茫茫と影を踏む」で10句を解説しているが、その末尾に、「奔」について述べた件がある。

 古希を機会に、俳句と社会評論誌『奔』を発刊。何ものにも阿ない自立した書き手とともに「わたくし」自身であろうと奮闘している。

 と記している。これで「奔」誌の特徴がよく語られているが、表紙にも「句・詩・評論/自立の言論」とある。今号の特集は「天皇皇位継承」「日韓連帯のためのイロハ」など、読み応えのある犀利な論考ばかりである。俳人つながりでは筑紫磐井「新聞週間から見える戦後の新聞(1)」、望月至高「憲法解釈改憲ー『古くて新しい』天皇の時代」大橋愛由等「華厳思想〈事〉と〈理〉の異相ー日韓の思想的淵源をさぐる」があるが、ここでは、短いが、望月至高の以下の記述を紹介しよう。

 (前略)子安宣邦が指摘した意味は、ともすれば憲法解釈論の変位は、共同体崩壊の進行からくるニヒリズムのなかに、国民主権を希薄化して明るく滅んでいく予兆ではないのかという危惧である。国民が自ら主体的に担わなければならないはずの、民主的行動と責任を放棄してr、翼賛的に「『ノモス的主権者』たる天皇に真の主権者たる自覚も譲り渡してしまった」(子安『天皇の』)のではないのか。わたしたちは今、憲法解釈改憲によって「古くて新しい」天皇時代を拓いてしまったのではないのか。宮内庁も「2016年8月8日の天皇の「おことば」は、清宮説を咀嚼して書下ろされたものである」と石川は証言している。

 もう一つ、今井照容「『愛知トエンナーレ2019展示会』と表現の自由と」から、以下の部分、
 
 (前略)断るまでもないだろうが、「表現(言論)の自由」と「自由な表現(言論)を等号で結ぶことはできない。「表現(言論)の自由」は「政治」から自由になることはできないのである。一方、「自由な表現(言論)は、「政治」を拒否することができる。というよりも、「自由な表現(言論)」において、「政治」なんぞないのである。「表現(言論)の自由」は「自由な表現(言論)」と対立し得るのである。

 と、述べられている。その他、評論では、子安宣邦、添田馨、文京沫、太田修、金村詩恩、金泰明、佐藤清文。詩では、山崎行太郎、北原千代、西脇慧など多くの寄稿があるが、ここでは、一人一句を以下にあげておきたい。

  少女いう「腸(はらわた)ないから虹が好き」   江里昭彦
  冬青空の尽(はたて)はラピスラズリ       羽田野令
    西村寿子さんへ
  勝利的和解にとどき秋の蝶            岡田耕治
  蟷螂の愛の起源はいづこにぞ           今井照容
  分水嶺立ち詩稿水鳥燃やす夕          大橋愛由等
  散骨の海を見ており時雨けり           望月至高
  香港革命 白山茶花の散り敷ける         大井恒行
    

2020年1月18日土曜日

川島紘一「厄払うかわらけ的を外(はず)れけり」(第199回「遊句会」)・・

       
撮影・渡辺保 ↑

 一昨日1月16日(木)は、第199回遊句会(於:たい乃家)だったが、愚生は、急用ができて出席できず、急遽、欠席投句をお願いした。次回の遊句会は、目出度く200回、それも令和2(2020)年2月20日(木)の2並びの記念すべき日となる。加えて、恐縮にも遊句会に若輩途中参加の愚生に、3月の兼題を出せという巡り合わせになっているようだ。ともあれ、送られてきた句稿より、一人一句を以下に挙げておこう。今月の兼題は、焚火・厄払い・春遠し。

  焚火あと噂話(うわさばなし)の熱残す    武藤 幹
  歩みよる今朝の諍(いさか)い夕焚き火    橋本 明
  火が細り芋を待つ児ら落葉焚き        天畠良光
  落葉焚く煙の向こうにグレタの目       石川耕治
  山積みの被災家財や春遠し          川島紘一
  東尋坊人生丸ごと厄払い           山田浩明
  秘め事も煙となるや焚火燃ゆ        山口美々子
  その爺は「焚き火奉行」と云うあだ名     村上直樹
  はや九年磐城の国に春遠し          渡辺 保
  あれこれと大師のはしご厄落し       植松隆一郎
  友の名の二つ三つ出ず春遠し         石原友夫
  恋文に焼芋のせる焚火かな         中山よし子
  厄払い福を求めて銀座かな          前田勝己

☆番外(欠席)投句・・・・・

  断捨離でやったつもりの厄払い       原島なほみ
  春遠し六郷走る京急線           春風亭昇吉
  これでもか涙の数の厄払ふ          林 桂子
  年変はり今年も行こう厄払い         加藤智也
  焚火して火の鳥を飼う男かな         大井恒行
  

次回は、2月20日(木)。兼題は入学試験(入試)・春雪(春の雪)・余寒、当季雑詠。



★閑話休題…花森こま「花野にはまっさおな骨散りばめて」(「逸」第41号)・・・


「逸」は花森こまの個人誌である。不定期だが、何十年も発行し続けている。御主人は、柳人の楢崎進弘である。今号でも柳句100句ほど発表している。花森こまもそれに劣らない句を発表している「九月の町」。その「こまのひとりごと」に、

 転移がみられ、肝臓がんということで新しい治療を受けている。手術ができない部位ということで、抗がん剤治療と注射。覚悟はできていたので、仕方ないかな、と受け止めている。(中略)
 昨日はお風呂で転んでしまった。怪我はしなかったけど、ちょっと自分で情なかった。
 これでもかと、夫が大量に句を作っているので、わたしもよい刺激を受けている。

 と記されている。愚生が、花森こまと知り合ったのは、永田耕衣がまだ健在だった頃、彼女は耕衣の「琴座」に居た。阪神淡路大震災から25年というから、それ以前のことである。耕衣も被災し、それを機に老人ホームに入った。そして、たしか97歳で死去した。
花森こまの本復を祈りたい。「逸」にはまた、木戸葉三が寄稿している。彼の句集「幺象眉学(ようしょうびがく)」を、愚生は作らせてもらったことがある。愚生より二十歳くらいは若かったように思う。ともあれ、「逸」本号より、いくつか句を紹介しておこう。

  原っぱにうすく光がつもるなり     花森こま
  犬というだけでは罪に問われない    楢崎進弘
  救われる魂もなくよもぎ餅      山口可久実
  風鈴としだいにくるいゆくわたし    木戸葉三
  介護日誌ぱたりと落し寝入るのだ    一戸涼子
  寝返りを打たねば異界見えそうで    細川不凍
  
  

撮影・鈴木純一「息とめて臘梅の字に点を打つ」↑
純一 蠟梅↑

2020年1月15日水曜日

石部明「戦争が始まるみんな耳をもち」(『石部明の川柳と挑発』)・・



 堺利彦監修『石部明の川柳と挑発』(新葉館出版)、編集者は前田一石・樋口由紀子・畑美樹。前田一石「はじめに」には、

 一九七四年、石部明の川柳の出発点である。以来、時実新子氏、寺尾俊平氏らの薫陶を受けながら、次々川柳大賞を獲得、一九八八年、岡山県川柳作家百句集「賑やかな箱」を出版。この頃から本来川柳の持つ「批判精神」の欠如を語り、「潰すのではなく、新しい伝統を作る」ことだと、「現代川柳」への想いを示した。(中略)
 二〇一一年「岡山の川柳」改革へ。「Field」は停滞する岡山の川柳への方向を示す大きな一歩になったが、「病」はすでに彼を蝕んでいた。(中略)二〇一二年十月二十七日「Field」25号の編集中、石部明は逝った。

 と記されている。享年73。志なかばの死である。本書に石部明が語ったあれこれも多く、その中に、

 「そこにある自分を書くのではなく、書くことによって表れる自分」という考え方を創作理念としている。    (2008年「バックストローク」)

 意味を飛び越えてことばを弄べ。読者を裏切れ。
 そのためには、まず自分を裏切ることだ。   (2012年「Field」)


 とあった。俳句にも通じる言葉である。そして、樋口由紀子の「あとがき」には、

 石部さんが亡くってからもうすぐ七年になる。「MANO」創刊・『現代川柳の精鋭たち』出版・「バックストローク」創刊・『セレクション柳人』出版と川柳の一時期を一緒に駆け抜けてきた。

とあり、また、畑美樹「編集後記」は、

 (前略)明さんに会うのは、バックストロークの大会などに年数回。そこで樋口由紀子さんと一緒に明さんの近くに座ると、ニヤリ、としながら、次なる企みを話してくれた。自身の川柳というより、川柳界へのまなざしの熱さ、強さを感じさせる企みの数々だった。あの、黒々とした髪の頃の明さんは、どんなことにまなざしを向けていたのだろう。口絵の編集作業をしながら、それを知りたい気持ちが溢れた。

 と、言う。愚生にもいくつかの思い出がある。アンソロジー『現代川柳の精鋭たち』は、北宋社の渡辺誠に、何かいい企画がないかと相談されたときに、愚生が提案し、その実行部隊として樋口由紀子にバトンを渡した。邑書林の「セレクション柳人」は、このシリーズの企画をどこで出すべきか、と相談されたときに、邑書林のセレクション俳人、セレクション歌人に続く、もう一つの短詩形シリーズとして欠かせない、と邑書林にもちかけたセレクション柳人の企画を、島田牙城は、二つ返事で引き受けてくれた。こうしたことで、愚生にも、少しだけだが、現代川柳の在りどころを伺い知るよすがとなった。思えば、現在、俳句形式以上に言葉を自由に飛躍させている形式は、現代川柳ではないかとさえ思える。ともあれ、集中よりいくつか石部明の川柳を挙げておこう。

  死んでいる馬の胴体青芒       明
  革命はくり返される無数の碑
  いちめんにすすき点していなくなる
  どの家も暗黒の舌秘蔵せり
  目礼をしてひとりずつ霧になる
  半身は花にあずけて犀眠る
  ぎっしりと綿詰めておく姉の部屋
  冬空に血のようなもの混じっている
  轟音はけらくとなりぬ春の駅
  球体の朝それぞれの宙返り
  どの紐を引いても死ぬるのはあなた
  脱臼の後もしばらくアジアにいる
  鳥籠に鳥が戻ってきた気配

石部明(いしべ・あきら) 昭和14年~平成24年10月17日。 岡山県和気郡三石町(現・備前市)生れ。

 
 
撮影・染々亭呆人 ↑

撮影・染々亭呆人 ↑

2020年1月13日月曜日

大道寺将司「鷹(たか)たるを怙恃(こじ)せる一羽天にあり」(『残の月』)・・



 大道寺将司句集『残(のこん)の月』(太田出版)、著者「あとがき」の冒頭には、

  すべて獄舎で詠んだ句です。体調に波があるため、時系列に並べた句数にばらつきがあります。一日に十数句を詠むことがある一方で、一週間に一句も詠めないことがあるからです。
 また一般の独房も同じようなものですが、病舎は風景から隔絶され、天気の良し悪し程度しかわからないので、死刑囚である私が作句を喚起されるものと言えば、加害の記憶と悔悟であり、震災、原発、そして、きな臭い状況などについて、ということになるでしょうか。
 思惟的と称するには浅い句に終始してはいないか、との虞れがないではありませんが。
 
  とある。栞文の福島泰樹「俳士大道寺将司へー蟬のこゑ秋津の鬼になれと言ふ」には、

  本書『残の月』は『鴉の目』(海曜社/二〇〇七年)に次ぐ三冊目の単行句集である。第二句集が刊行された二〇〇七年以後二〇一二年までの作は、全句集『棺一基』に収録されているから、『棺一基』は、それまでの全句集であると同時に第三句集にもあたる。したがって二〇一二年春から、本年二〇一五年までの作五〇〇句余りを収めた『残の月』は大道寺将司第四句集に相当する。(中略)
 とまれ、『残の月』を書写しながら、一九八三年七月、G君に宛てた手紙の一節を思い起こしていた。「死は、その辛さをゼロにしてくれるように思えるのです。でも、そうであるが故に、死は、ぼくの責任からの逃亡に他なりません」(『明けの星を見上げて』)。そうであるからこそ、生きて闘ってゆくという責め苦を自ら負い、辛さからの解放を拒否する姿勢を果し続けてきたのである。  
 悔悟と、その代償としての死を願うなら、これらの句は生まれなかったであろう。死への韜晦、闇への溶解を拒否する姿勢が、死を詠んでなおこの格調を生むのである。(中略)
 脊椎カリエスの痛苦と戦う子規。それはまさに「五体すきなき」拷問であり、子規はわずか六尺の蒲団を這い出ることもできなかった。獄中癌(多発性骨髄腫)を病む受賞者(愚生注:『棺一基』で大道寺将司は第六回日本一行詩大賞を受賞している)の謙虚な言葉を聞きながら瞬時、『病状六尺』の一節を思い起こしていた。(中略)
 「病状六尺」とは、絶体絶命の小宇宙である。子規は、絶体絶命を受け入れることによって、日常の風物をわがものとした。「写生」という「もの」を凝視(みつ)め、六尺の天地をわが「もの」として現前させたのである。(中略)だが、癌を病む確定死刑囚大道寺将司の小宇宙は、閉ざされた拘束四〇年の独房である。
 大道寺将司は、世界と人々の行く末に心を砕き、正岡子規の限界状況をはるかに凌駕しながら、ここに生き、生きるのである。

 と記されている。集名に因む句は、

  縮みゆく残(のこん)の月の明日知らず     将司
                  *残の月=まだ残っている月
 
 である。ともあれ、集中より、いくつかの句を挙げておこう。

  蠅(はえ)生れ革命の実を食ひ尽す              
  雨蛙(あまがえる)人外(じんがい)の木に憑(よ)りつけり
                   大飯原発再稼働
  五月雨(さみだ)るるフクシマすでに忘らるる
  野分(のわき)立ち舌骨二片滑落(ぜっこつにへんかつらく)
  被曝せる獣らの眼に寒昴(かんすばる)
  加害せる吾(われ)花冷えのなかにあり
  北邙(ほくぼう)の煙を虹の片根(かたね)とす
                *北邙=墓地、埋葬地
     運慶作「仁王像」
  たうらうの競べてみたき力瘤(ちからこぶ)
  人外のひとに優しき断腸花(だんちょうか)
  (いき)の緒(お)を奪ひてしるき烏瓜(からすうり)
  月白や残さるる日を恃(たの)みとし
  冬青空(ふゆあおぞら)一条の傷深かりき
  見つべきをあまた残して雁渡(かりわた)
  癌を飼ふ身を寒中に晒(さら)し置く
  刑死なきおおつごもりの落暉(らっき)濃し
  螢火(ほたるび)の朽ちゆく時を象(かた)なせり



  大道寺将司(だしどうじ・まさし)1948年6月5日~2017年5月24日、北海道釧路市生まれ。


2020年1月9日木曜日

佐々木六戈「幼子が水に攫はれゆく形つなはち「流」と白川静(「艸(くさかんむり)」第0号)・・



 艸(くさかんむり)第0号(編集・発行 佐々木六戈)、表Ⅱに、「この世界は美しいものだし、人間のいのちは甘美なものだ。」と献辞がある。巻尾の跋によると、釈尊のものらしい。跋には、

 〇艸を「くさかんむり」と訓むこととする。これまでの私たちの集いは一七年もの長きに渡って「草藏」を名乗っていたが、藏にはそもそも、「草の中に藏(かく)れた人の意があったようだ。私たちは隠れ果せただろうか。作品の背後に。あるいは堅く扉を閉じて。再び、私たちは「艸」へ結集する。艸は創に通じて「はじめ、はじめる」の意がある。起草の草でもある。書きはじめるのである。

 と冒頭にあり、また、

〇艸会*瓶華評*員集として皆さんの句が並ぶ。私は選句を行わない。但し、毎号五、六句の短評をこれに付け加えることとする。

  ともある。ともあれ、前誌「草藏」と同じく、佐々木六戈は俳句「この一年余」、短歌「草は生え、子どもたちは」、詩「冬のエンペドクレス」を発表している。ともあれ、詩を除いて、六戈句と「瓶華評」掲載の句のみを紹介しておこう。

   在さねば見ゆ野の色山の色         六戈
   群青も澄みなば暗し龍の玉
   息白く後ろ明かりの鶴のこゑ
   夢長く木の実を拾ふまでの径
   ひもじさの狐の色も薄れたり
   「草は生え、子どもたちは死なねばならぬ」スタンザの欠片のごとく雲浮かびをり
                       スタンザの欠片*ヴィクトル・ユゴー

   黙読のわれは籾殻こぼしけり     葭澤美絵子
   昏れてなほ万木の実の降り積もる    荒井八雪
   北ばかり見てゐるうちに霜柱    かとうさき子
   『漢字字解』を動かざる冬の蠅     藤原 明
   藁塚の整列したる匂ひかな      山田やよひ  



撮影・染々亭呆人 ↑

2020年1月6日月曜日

永野シン「寒晴や梢は雲に触れたがる」(『桜蘂』)・・・



 永野シン第二句集『桜蘂』(朔出版)、序文は高野ムツオ、その結び近くには、

  一気とは恐ろしきこと散る銀杏
  だんご虫よわれも必死ぞ草を引く
  春疾風この地捨てざる貌ばかり

 永野シンの真骨頂はこれらの句にあろう。長寿社会と言われる今日でも、長生きはやはり得がたい天恵に変わりはない。しかし、同時にそれは、来るべき日に向かって老いと孤独と、そして、自分自身と闘いながら、もがき生きることに他ならない。これらの句には、その重い命題から目を逸らすことなく一途に懸命に生きようとする姿が刻まれている。

 と述べられている。因みに集名に因む句は、

  桜蘂踏みて越え来し母の齢    シン

である。ともあれ、以下に、集中よりいくつかの句を挙げておきたい。
  
  手熨斗して二月の風をたたみけり
  百句捨て百一句目は秋のバラ
  目の前はがれき山積み初日の出
  雲の峰きりんの舌がまた伸びる
  うしろより秋風の来る夫の忌来る
  この世しか知らずに生きて秋夕焼
  無駄な燈を消してひとりの終戦日
  鏡には映らぬ病冬座敷
  王冠は壜にもどらず朱夏至る
  冬薔薇杖がわたしの翼です
  もう一泊せぬかと熊に誘われる
  今も帰還困難区域雪ばんば
  雪代のどこ曲っても夫が居る

永野シン(ながの・しん) 昭和14年栃木県黒羽生まれ。



★閑話休題・・・𠮷野秀彦「ウブスナヲヨゴシステヨトハルミタビ」(『音』)・・・


  「小熊座」「朔出版」つながりで、𠮷野秀彦第二句集『音』(朔出版)、序文は高野ムツオ。その帯の惹句には、

 一茶ゆかりの炎天寺住職𠮷野秀彦の俳句には、何とも言えない温もりがある。生き物すべてを優しく見つめ包み込む豊かさがある。春の夕闇に湧き上がり、いつまでも続く蛙の声のようだ。氏がこよなく愛するロックの響きのようだ。

 とある。また、著者「あとがき」に、

 題名は「音」とした。こよなく愛する音楽のことだけではない。川のせせらぎ、鳥の囀り、葉の擦れ合う音、温もりになる人の声。この世に存在するすべての音やその音源が愛おしい。それがこの句集の題になった。

と、記している。集中より愚生好みになるが、いくつかの句を挙げておきたい。

  東京に捩じる形や春嵐      秀彦
  死の次の流転の色や仏桑花
  待春の静脈は青髪を切る
  糸遊やボウイの口が阿の形
  火星まで何千万キロほうたる来い
  若葉光鉄橋下は水の国
  迎えなき下品下生の身に残暑

𠮷野秀彦(よしの・しゅうげん) 昭和34年生まれ。


2020年1月5日日曜日

秦夕美「凍つるなりアルバムの紐ドアのノブ」(「GA」84号)・・

 


「GA」84号(編集・発行 秦夕美)、新年に合わせて届いたその「あとがき」には、「明けましておめでとうございます」に続いて、

  令和になってからの月日、私にとって大きな出来事が三つあった。一つはパソコンを買い替えたこと。(中略)
 もう一つは長年の念願だった『夕月譜』の出版。昭和末期、藤原月彦さんとの二人誌「巫朱華」に掲載した共同作品だ。年齢的にも今をはずすと無理になるだろうし、昭和末期のものを令和元年に出すことに拘った。赤尾兜子先生の急逝で、俳句の上では孤児になった者同士、なにかをやっていたかったのだろう。こんな時代もあった、ということ。(中略)
 表紙の葉はコリウス。シソ科の植物で、お盆にお嫁さんがもってきたのが花瓶のなかで根を出していた。鉢に植えると大きくなった。

 と記されている。冊子の内容は、いつものことだが、俳句・短歌にエッセイ(蕪村句に関するものは、これは、そのうち一本にまとめられるだろう)。ともあれ、収載作よりいくつかを挙げておこう。

  緑さす五体崩ゆるにまかせたり    夕美
  たつぷりと空気いだけり籐寝椅子
  仄見ゆる黄泉の辻かや葛嵐
  冬うらゝ黄泉へいざなふ潦

  生きるため夢をみてきたそれだけの人生だつたそれだけのこと  
      「ごめんね」と「ありがとう」とをくりかへし令和元年冬の一日
  今生の終はりを見むと半眼のまま坐りゐる籐の揺り椅子







★閑話休題・・・池田澄子「先生忌寒くきっぱり空青く」(「祭演」58号)・・・


 「祭演(Dioniysosの宴)」58号(主催・編集・発行、森須蘭)、「祭演」掲載作家のなかの「豈」同人(元同人含む)つながりで、池田澄子以下、一人一句を紹介しておこう。

  雪螢あれはほんとは我が欠片       池田澄子
  瞬きをふっと追い越す冬の蝶       森須 蘭
  からすうりはたらかないでいきている   川崎果連
  銀杏の実ぶつからないと気がすまない  杉本青三郎
  白く小さく小さく白い鬱と秋       伊東裕起
  長所だけ思いつかない枇杷の花      成宮 颯 


2020年1月4日土曜日

千坂希妙「軍艦にその名貸したる山眠る」(『天真』)・・

 


 千坂希妙第一句集『天真』(星湖舎)、懇切な序文「命を見つめて」は大島雄作。帯の惹句は、坪内稔典、それには、

   九条葱よ下仁田葱につんとすな
   この中に月を観た蟻ゐませんか
   黒揚羽フランシスコと呼べば来た
   しつぽなきトカゲとヒトは間抜けやね
   夏痩せて女ちめりんじやこめつてい

   以上は千坂希妙の傑作。
   俳句って
   かほどに奇妙、
   かほどに楽しい。

 とある。集名に因む句は、

   天真は何もない空雪晴れて
 
 であろう。著者は当初、保田與重郎のもとで短歌を学んでいたらしい。それが、義仲寺の裏手にある保田與重郎の墓に詣でた折りに、「激しい雪でたちまち保田與重郎墓の文字が消えてしまった。立ち去りがたい思いでぼくは再び歌を詠むことに決めたのだが、どういうわけか短歌より俳句の方が波長が合うようになっていたようだ。五十三歳ごろから俳句に夢中になった」という。そして、

 今後の方向として、今までの反省から知よりも感性に重きを置いて作句をしていきたい。

 と記している。そういえば、眞鍋呉夫も保田與重郎に親炙していた。その眞鍋呉夫は愚生に、保田與重郎『絶対平和論』だけは是非、読むようにと言っていた。ともあれ、集中よりいくつかの句を挙げておきたい。

   桜花より梨花は冷たき息をする
   桜貝いまだ生きたるままを見ず
   蛇土葬海月水葬火蛾火葬
   汚染土に冬眠の蛇絡み合ふ
   春菊に混じるはこべもいただきぬ
   平城京から京終までを月を友
       註・「京終」(きょうはて) JR西日本の京終駅
         元は平城京の果ての意
   行く秋や一度合はせる割れ茶碗
   氷るとは水が己に籠ること
   ジューンドロップ特攻隊に遺骨なし
   からくりの首の振り向く青嵐
   新涼の似たる龍の眼達磨の眼
   荒星に誕生日あり死期のあり

 千坂希妙(ちさか・きみょう) 1951年、大阪府生まれ。
   


              撮影・鈴木純一 初氷 ↑   

2020年1月3日金曜日

山田佳乃「幾度も労はり合うて初電話」(『残像』)・・・



 山田佳乃第3句集『残像』(本阿弥書店)、集名に因む句は、

  残像は光のしぶきつばめ魚      佳乃

 2017年から2019年半ばまでの307句を収める。「あとがき」に、

 五十代半ばになって思い出すことは、母、山田弘子の後ろ姿です。ずっと机に向かっていた母の気持ちがいまになって分かるようになりました。
 この頃母の書棚の様々な本を少しずつ読んでいますが、自分はこうして母のあとを追いかけていくのだと思います。

 とある。思えば、母・山田弘子の急逝(心不全)によって、

     山田弘子忌日
  紅梅の薫り九年といふ月日

 思わぬかたちで、「円虹」の主宰を継いだ山田佳乃は、奇しくも、その年の第21回日本伝統俳句協会賞を受賞した。もう9年もたったのだ。清水哲男は『増殖する俳句歳時記』に山田弘子の句をけっこう多く取り上げているが、

  過ぎ去つてみれば月日のあたたかし   弘子

がある。ともあれ、本集より、いくつかの句を以下に挙げておこう。

  初雀大地の色を賜りぬ
  椿餅自服に雨の昏さかな
  いつしかに水は眼を得て白魚に
  痂の下はももいろ水温む
  皆違ふ虚ろを見つめゐる雛
  京五条四条三条花吹雪
  蓑虫や風の殿風の先
  凍蝶を栞りて風の甃
  つと向きを変へたる野火を見逃さず
  木の芽吹く人の時間に木の時間
  金の蘂残して牡丹散華かな

 山田佳乃(やまだ・よしの) 1965年、大阪生まれ。


撮影・鈴木純一 ↑

2020年1月2日木曜日

須藤徹「黄泉の川引っさげて飛ぶ黒揚羽」(『須藤徹全句集』)・・・



 『須藤徹全句集』(発行・山田千里、編集・ぶるうまりん俳句会)、「ぶるうまりん」第39号(ぶるうまりん俳句会)は、「『須藤徹全句集』刊行記念号」でその特集に、外山一機「須藤徹のまなざし」、山田耕司「赤い雲、ここに漂う―須藤徹における『果実』と『毒』-」、松本光雄「『須藤徹全句集』-俳句と哲学のアマルガム―」の論考と、各同人が「須藤徹の言葉のイメージ」題して、須藤句の鑑賞と献句がそれぞれ記されている。
 愚生は、現代俳句協会青年部立ち上げの時の青年部長・阿部完市に次いで、実質を担っていた夏石番矢が青年部長になり、夏石番矢のパリ留学中に、その代行を務めていた須藤徹に同行していた。形式的には50歳までとなっていた青年部だったが、橋本直が部長に就任するまで、彼は、還暦を過ぎても献身していた。愚生は阿部完市に夏石番矢後を打診されたが、その任にあらずと思い、還暦を超えることなく青年部委員も辞した。
 ある時、青年部長代行時代の須藤徹と、何かの打ち合わせで、池袋の喫茶店(確か地下にあったと思うが)で話しているとき、雑談のなかで、「ぼくも、あの時代を経ていますから反体制ですよ」と言った。当時、愚生は、学研の少数派組合の支援によく学研本社前の抗議行動に参加していたことは、須藤徹も知っていたのだろう。しかも、愚生の所属する組合が支援していた学研の少数組合は、当時の学研の管理職をはじめとする暴力的な社内支配(実際に、社内では殴る蹴る、意見の違う者を吊るし上げるなどが行われていた)に抗して闘っていたから、学研の役職にあった須藤徹は、そうした管理職とぼくは違うよ、と言いたかったのかも知れない(須藤青年部長の晩期、意外なワンマンぶりとスキャンダルで評判を落としたのは残念だった)。とはいえ、須藤徹は、小川双々子の「地表」同人時代から「豈」同人であったし、「豈」のなかでは 唯一現代俳句協会賞を受賞した男性だった(早逝が惜しまれる享年66)。女性では、あざ蓉子、岸本マチ子、、鳴戸奈菜、池田澄子などが、現俳協賞を受賞した「豈」同人であった(現在、「豈」に残っているのは池田澄子)。そして、このたびの全句集刊行に尽力された方々に敬意を表したい。
 ともあれ、以下に、全句集の中から、既刊句集からではない、いくつかの句と、「ぶるうまりん」本号の一人一句を以下に挙げておこう。

  藤を見る傘の内なるてろりすと      須藤 徹
  黄落や斜めに立てる太郎冠者
  警官は現の証拠を指し笑う
  晩夏光思想にモアレ生じけり
  毀れやすいコギトと思う落し文
  風呂吹きや国家へ箸を伸ばしけり
  血の肉刺(まめ)を冬オリオンは笑うだろうか
  黄昏へなだれる硝子と白い縄
  背面飛びぶらっくほーるは蒸発し
  んからあまでにげみずをおいかける
  すきすきとすすきとおどるすずきくんすき
  名月をくすぐっている猫の髭
  回転ドア天より藤のなだれおり
  川のような棺を運ぶ青山河

 須藤徹(すどう・とおる) 1946年10月1日~2013年6月29日、東京都生まれ。

  黄色い約束が街に降り積もる       井東 泉
  今日もまた立たされている葱坊主     生駒清治
  風止みて鏡の中の月老ゆる       三堀登美子
  震えそうなしたたりそうな春の耳     芙 杏子
  蒟蒻をつかむ宇宙をつかむ        山田千里
  芝浜と遠くつながるかき氷        普川 洋
  夏の果幻影ヤモリに名をつける      土江香子
  はじまりは単刀直入夏来る        東儀光江
  少年ジャンプして「考える人」を考える 及川木栄子
  蛇穴に入るや人工呼吸器をはずす     平佐和子
  薄野に聞く過去形の風の音        田中徳明
  手品師が繰り出す明日豊の秋       齋藤 泉
  すずらんの単純明快な音律        池田紀子
  いなくなった猫の行方に五月雨るる   村木まゆみ
  紅葉且つ散る太陽光発電のパネル     瀬戸正洋

 あと一つ。連載エッセイ、芙杏子《衣と俳句》⑧に「とろめん」があり、三橋敏雄「鬼羅綿(とろめん)を織る母に依りわれ生まる」と八田木枯「鬼羅綿の手ざはりのごと十月過ぐ」は、二人の交遊をめぐる卓見だろう。       



撮影・鈴木純一 飛ばなかった ↑

2020年1月1日水曜日

大井恒行「嫁が君つぼうちねんてんアンパンマン」(歳旦吟)・・・


撮影・読者より、三保の松原から ↑


              日本太極拳法一楽庵 扇 ↑
 

あけましておめでとうございます。

本年もよろしくお願いいたします。
今年は子年。愚生は歳男です。
よって、もう一句、歳旦に作りました。

   われ子年ねんてんは申アンパンマン    恒行

昨年の年賀状に、古稀を機に「来年からは年賀状を失礼します」と記したので、
本ブログのみの年賀の挨拶になります。
皆様のご多幸を祈念いたします。

                            2020年元旦



           府中・大國魂神社参道 欅並木 ↑