2020年1月26日日曜日

伊藤左知子「一椀の白湯におさまる淑気かな」(第152回「豈」東京句会)・・



 本日、26日(日)は二ヶ月に一度、いつもの最終土曜日ではなく、会場(白金台いきいきプラザ)の都合で今日が開催日となった。昼からは雨も上がった。ともあれ、以下に一人一句を挙げておこう。

   戦争を知らぬ煮凝レンジでチン     川崎果連
   そのかみに彫りしキトラの冬の星     登羊亭
   幸薄き詩人の寝屋の嫁が君      伊藤左知子
   ででむしのうなじおくれ毛 私生活  打田峨者ん
   薄氷やモノクロームの地球脳      早瀬恵子
   すっぴんに従う我の黒マント     小湊こぎく
   花臘梅ほろっと他人思い出す     羽村美和子
   多喜二忌や舌ぬかれての雪月花    川名つぎお
   新春放談「米中もし戦わば」      渕上信子
   青鞋忌洗いざらしの冬の蝶       大井恒行

 驚いたのは、登羊亭こと山登義明の句は、キトラ古墳に胃カメラ状の極小のカメラを入れて、実際にキトラ古墳のなかの星々を最初に発見した人だという事だった。つまり「そのかみに彫りしキトラの冬の星」は眼前の景だったということである。
 次回、第153回「豈」東京句会は、またまた変則で、3月29日(日)午後1時~。参加は「豈」同人以外でもオーケー。気楽にお越しください(何のおもてなしもできませんが)。


★閑話休題・・・妹尾健「敗荷やひとごえしてはひとをみず」(「コスモス通信」とりあえず21号・句日記より)・・・


 「豈」つながり・・妹尾健の通信エッセイのなかにデイ・サービスの体験などを記しているが、高齢男性の引きこもりは深刻らしい。

 (前略)例えば「高齢者俳句上達法講座」というのなどはどうであろう。八十歳コース・九十歳コースなどをもうけるのである。年齢に応じてコースを決めてもらい、その講師におうじて作句してもらう。写生コース・吟行コース・前衛コースというのもあっていい。冗談でいっているとおもわないでほしい。(中略)
 十七文字に自分をこめておきたい、表現しておきたいという思いはみな同じである。これは年齢の問題ではない。百歳コースというのもできるかもしれない。長い期間をかけてひとつひとつ学んでいくことは、教えるほうにも勉強になる。講師たちによる研修も大切である。(中略)高齢者の社会参加は今日の問題であり、百歳時代を迎えるこれからの時代のぜひとも考えておかねばならない必須の問題なのだ。
 
 とある。さすがに元教師の提案である。ともあれ、彼の「句日記」のなかからいくつかの句を挙げておこう。

    冬桜坂道急な宇陀郡      健
    梅林の奥に青空寂として
    冬旱返事なきまま過ごす午後
    庇出る雲かと見れば氷柱かな
    倭の国は渦巻く時間と寒の闇

 

           撮影・鈴木純一 マユミの道しるべ ↑  

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