2020年7月30日木曜日

久光時子「杖ついた長い影わたしをつれてゆく」(『男という孤島』より)・・・




 久光良一第4句集『男という孤島』(文學の森)、ブログタイトルにした句の作者・久光時子は本年3月に亡くなった久光良一の妻・時子の作品である。本集の巻尾に一章を設けて「姑の笑顔」の題で句が収められている。そのいくつかを、まず挙げておきたい。

  お鼻いくつときけばお花いっぱいと孫はいう     時子
  いのちの温もり頬にふれる介護
  眠る笑顔に救われた永き介護まぶたの中に
  宅配便ぎっしり詰めて親バカの一日暮れる
  咲いてはなやか散ってはなやか山茶花
 
著者「あとがき」に、

  杖の音が聴きたい お帰りと言ってやりたい
               (令和二年暮春・妻へ)

 私もいつのまのか八十五歳。その年齢による老化が作品に表れているような気がしないでもありませんが、私にとってこれらの句は、この時代を生きた大切な記録ですから、貴重な足跡として残しておきたいと考え上梓することにしました。 
 正直言ってあと何年句作が続けられるかわかりませんが、体が許す限り、これからもこの道をきわめる努力を続けて、少しでもポエムの深淵に近付きたいものだと思っています。

 とある。集名に因む句は、

  真っ赤な旗を立てよう 男という孤島に

  であろう。ともあれ、自由律俳句の貴重な一本である。以下に幾つかの句を挙げておこう。
  
  自由な晩年に五体の不自由がある          良一
  わたしという借り物を返すところがない
  心の準備が出来ぬまま自動ドアがひらく
  ポケットにおさめた拳を持ち帰る
  寒夜のカーテン閉めて月に居留守を使う
  余白多い手紙の余白を読んでいる
  散るさだめ知らない桜が咲きはじめた
  風が止んでふとわれにかえったねこじゃらし
  また来た春を今年の歩幅であるく

 久光良一(ひさみつ・りょういち) 1935年、朝鮮平安道安州邑生れ。
 

       芽夢野うのき「手花火のだれもいなくなるまでひとり」↑

2020年7月29日水曜日

杦森松一「懐かしき筆入れの中に友の名」(「府中市生涯学習センター・俳句入門講座」)・・



 本日、7月29日(水)午後2時~4時は、愚生の府中市生涯学習センター・俳句入門講座の3回目であった。前回に出した宿題は、各自3句「季語を入れないで、俳句を作ってみよう!」、さすがに作りにくいだろうからと、参加者にキーワードを出してもらっていた。そのキーワードは「コロナ」「太陽」「友」。いまどきの俳句入門講座で、無季の句を作らせる教室も珍しいだろう。そうすると、季語を入れないで俳句をつくることがどんなに難しいかが実感できる。つまり、季語を入れて、五・七・五にする方が、はるかに、俳句を自由に作ることができるかがわかる。制約と思われている有季定型ほど自由なかたちは無いのである。ともあれ、その作品の中から幾つかを紹介しておきたい。入門講座だから、当然にして、これまで多くの作句経験はない。それでも、皆さんはけっこう上手に作って来られる。

  コロナ禍で心の絆自粛せず        井上芳子
  人類にリセット迫る新コロナ       井上治男
  コロナ下もマスクアートにその家族    渡辺信子
  コロナ禍にカタカナ溢るジャパンかな   杦森松一
  我が祖父母神と仰ぎし太陽を      壬生みつ子
  太陽は画用紙の角一年生        吉岡美和子
  色あせぬひばりの歌った「真赤な太陽」  藤貫雅久
  青春の友病経ていずこなり        沖野江光(こうこう) 
  友よともに不思議の森の旅をせん     大井恒行




★閑話休題・・・渡邉樹音「夏霧の重きに耐えよ地平線」(第15回「ことごと句会」)・・


 第15回「ことごと句会」(7月18日・紙上句会、紙上なので日時は仮)、雑詠3句+兼題(平)1句。以下に1人1句を挙げておこう。
  
  七つ下がりの梅雨の居酒屋         照井三余
  新宿にゴジラの目玉月涼し         渡邉樹音
  平行線の議論の窓の百日紅         江良純雄
  箒草(ははきくさ)抜くなと叱り抜けと笑み 金田一剛
  古簾(ふるすだれ)奥の暮らしを少し見せ  武藤 幹
  梅雨明けの美術館より人語かな       大井恒行



     撮影・鈴木純一「梅雨長し仕舞い忘れの意味ふたつ」↑ 
  

2020年7月28日火曜日

こしのゆみこ「姉よりも先に来ていて青き踏む」(「豆の木」NO.24)・・




 「豆の木」NO.24 (豆の木)、連載評論は片岡秀樹「言霊と戦争 巻之参/¨もののふ¨藤原定家&¨海人族(あまぞく)紀貫之編」、緻密にして、粘りのある論ながら、愚生にとっては、いささか難解である。しかし、愚生の読解力の未熟で、片岡秀樹の責任ではない。今号の結論は、

 言霊を巡る奇譚の現実と虚構の落差、貫之と朝雄の姿を対比することでそれは浮き彫りになったのではないか。

 と述べられている。興味のある向きは一読あれ。次回は(4)「古代・上古編」に続くと予告されている。ともあれ、本号集中より、一人一句を挙げておこう。

  心音のたびにふくらむ初あかり     月野ぽぽな
  一周に五十万年遠き春          中内火星
  さへづりはつぎつぎこより作りけり    中嶋憲武
  出して切り量つて売れり秋灯      三島ゆかり
  冬帽がこの世の遠くで汚れている     三宅桃子
  梅咲いて内ポケットのボールペン    宮本佳世乃
  向日葵や子に捨てられそうな真昼     室田洋子
  ハンガーの大ぶりにして雪の宿    矢羽野智津子
  舟は花つめたい顔の揺れながら      山岸由佳 
  たはむれに犬の声出す寒鴉        吉田悦花
  祝賀御列はるか赤い婚礼ドレスの子    吉田秀彦
  春の耳より夫の耳より猫の耳      らふ亜沙弥
  冬の星汲み行くやうに観覧車       鷲巣正徳
  肉厚の上腕筋や秋高し          上野葉月
  水滴がわたしのなかにある芒種      大石雄鬼
  くちびるが勝手に動き手鞠唄      太田うさぎ
  星涼し電卓のもう進化せず        岡田由季
  金銀の鈍き鍵束年詰まる         小野裕三 
  木枯のなか抵抗を買ひにゆく       柏柳明子
  死者たちを蓄えし闇薪能         片岡秀樹
  国土とやさびしき沖なり青林檎     川田由美子
  くちびるをむさぼる冬の木になつて    楠本奇蹄
  アパートの窓それぞれの望の月    こしのゆみこ
  明日にはみずいろの羊の毛刈る       近 恵 
  沢蟹の水乏しきを這ひ出でぬ      嵯峨根鈴子
  美しきティッシュペーパー花粉症   しまいちろう
  一月の付箋に貼られてゐる付箋      鈴木健司
  からだから雲型定規ぬつと蝗       高橋洋子
  天高しどの子も包まれて生きよ      田島健一


                                  

      芽夢野うのき「世は割れ鍋に瘡蓋ばかり茄子の花」↑

2020年7月26日日曜日

浪江啓子「国後へくぐらん秋の虹の門」〔『旅の靴』)・・




 浪江啓子第一句集『旅の靴』(朔出版)、著者「あとがき」に、

 ここにまとめた句は「風」に参加していた十三年間の作である。沢木先生の選を得て掲載された五〇〇余句をもとに、三七八句を選んだ。
この時期はまた、東京とモスクワを交互に居住する期間に重なった。住んでいた土地で、そしてそれ以外の場所でも、句を作り続けていたのだと改めて認識し、この世を去ってしまった方々たちや、句を通じて親しく思い出される人々への敬愛と感謝の気持ちを込め、句集にしてみたいとおもうようになった。(中略)
 題名「旅の靴」は〈旅の靴冷たき小石ころげ出る〉から取った。国外にいても、日本にいても、職務の関係もあって多くの旅をした。色丹島や国後島など北方四島へも度々出かけた。この句集は、旅の靴からころげ出た小石のようなものかもしれない。

 とある。ともあれ、集中より、愚生好みになるが、いくつかの句を挙げておきたい。

  威銃(おどしづつ)月山に雲集まりし    啓子
  煮凝(にこごり)を箸の崩せる無言かな
  口琴(こうきん)を白夜の空へ鳴らしけり
  猫の足乗りて枯葉の音立つる
  佇めば音を失ふ雪の森
  雪雲のしばらく月を見せにけり
     スウェーデン
  色々のペンスで払ひ青リンゴ
  囀りのひときは高き日に去りぬ
     細見綾子先生
  寒紅の口もて歌ふ米寿かな
  チェーホフの黴の頁を開きたり
  こけし屋にこけし少なし萩の花
     沢木欣一先生
  酸素マスクはづし談論クリスマス
  鼻欠けしスターリン像斑雪(はだれゆき)
     ヤースナヤポリャーナ
  囀りて首かしげまた囀れり

  浪江啓子(なみえ・けいこ) 1946年、東京生まれ。


        撮影・鈴木純一「姨捨の月を見に行くかたつむり」↑

2020年7月24日金曜日

石倉夏生「咲いて無人散つて無人の桜かな」(「地祷圏」第83号)・・




  季刊俳句同人誌「地祷圏」(発行 石倉夏生・編集 中井洋子)、愚生は、以前、生前の石田よし宏から恵送にあずかっていたように思うが、その配慮に何を報いるでもなく来てしまった。本誌面は各1ページの上段に各一名15句と下段にエッセイが配されている。エッセイの今号のテーマは「『気』の入った一句」、キーワード「気」の入った句と鑑賞のエッセイが付されている。各人の好みの俳人や句の傾向を知ることができて面白く読んだ。ともあれ、同誌同号より一人一句を挙げておきたい。

   にこにこくすくす福豆にはボーロ      武田美代
   にんげんが人間を呼ぶ酉の市       栃木喜美子
   桜ではない木も桜になつてゐる       中井洋子
   わが髪の吹かれて尖る枯野かな       中村克子
   手術後の友と手と手の花の坂        中村典子
   春愁しつかり遊べと言はれても       永山華中
   たがやして寝言言ふ土さましつつ      早川 激 
   万緑に噎せティファニ-の箱渡す      本間睦美
   消印はダムになる村鳥帰る         水口圭子
   百三歳の福島菊枝弥生葬          水野信一
   小窓から春の無限が見えてをり      村上真理子
   花の雲手帳の中の親若し          矢野洋一
   末黒野となり渡良瀬の浄土めく       山口富雄
   言霊を垂らす巨木の糸桜          石倉夏生
   春寒しパンデミックの海が鳴る      石谷かずよ
   陽も声も反射しており蕗の薹        牛丸幸彦
   耳鳴りを揺さぶゆつてゐる桜東風      大嶋邦子
   マンモスの遠き咆哮冬銀河         大竹照子
   水音にかたむく心花の昼        大豆生田伴子
   ひと色の何か足りない春の虹        小川鶴枝
   桜蘂降る休校の通学路           軽部榮子
   永き日やコーヒーカップ回す癖      小林たけし
   どくだみといたづら匂ふ庭の闇       斎藤絢子
   ももいろを転がしてくる春一番       白井正枝
   風船は泣く子の涙そつと拭き        白土昌夫
   断崖は今もモノクロ沖縄忌         関口ミツ
   コロナ禍は夢にあらずや昼寝覚      早乙女知宏



          芽夢野うのき「かたまりを昔と思う芋の露」↑

2020年7月23日木曜日

筑紫磐井「紫陽花や明日死んでゆく人の数」(「俳句界」8月号)・・・




 「俳句界」8月号(文學の森)、特集は「戦争と貧困ー現代社会を詠むー」、それぞれ見開き2ページに8句と短文が寄せられている。愚生の仲間であり、「豈」発行人・筑紫磐井に敬意を表して、紹介しておきたい。句のタイトルは「コロナのような」である。奇しくも本日、東京都は、新型コロナウイルスの感染者数が366人と報告され、非常事態宣言を発する直前にも無かった300人を大きく超え、しかも、このところ毎日200人以上の新たな感染者を出しているにもかかわらず、何の対策も行うことなく、あたかも若者は軽症者で、高齢者、持病のある人のみが危険などという、常識的に冷静に考えれば、ありえない言辞を弄している。この4連休にも、ひたすら外出をしないように、と言うのみである。
 しかも、文化施設や会議室の貸し出し条件も、来る27日(月)からは、これまでの厳しい条件ではなく、定員の半数、ソーシャル何とかを保ち、マスクをすればオーケーという、貸出の条件を緩めに緩めようとしている。当然にして、感染者が増えるのは当たり前であろう。コロナは風邪だという人もいるが、それにしては、軽症でも苦しく、罹りたくない風邪である。たぶん時代の条件は違うが、風邪というなら、かつてのスペイン風邪と同様なのだろう。
 ともあれ、本誌本号から、以下に「戦争を詠む」と「貧困を詠む」のなかの一人一句を挙げておこう(それと、これも「豈」の仲間の山﨑十生の新作巻頭3句からも紹介する)。

  蓮咲いて戦無き世を願ふのみ      星野 椿
  軍事費増ゆる国なり飯饐ゆる      角谷昌子
  ツェツィリーエンホーフ晩夏の犬と人  田中亜美
  気づくまで地面ありけり蟻地獄     生駒大祐
  弾丸尽き糧絶え市街しづかなり     筑紫磐井
  ひんこんの木あればすぐ来い肩を組む  谷口慎也
  夏蝶に横顔のあり配給待つ       照井 翠
  夏草に呑まるる未来ありにけり     関 悦史 
  八月六日即死八万誕生日        山﨑十生

 その他、「俳句界NOW」のグラビア、エッセイ、自選30句は鳥居真里子。また、「私の一冊」は髙澤晶子の鈴木六林男『荒天』。

  六月を人類の卵でゐたる        鳥居真里子
  新樹光母の鏡はよく映る         高澤晶子
  
 もう一つの特集は「文學の森賞各賞を読む」だったが、その中で、久しぶりに山本健吉息女の山本安見子の特別エッセイ「父・健吉を語るー詩歌への愛」があった。いつも思うことだが、山本安見子のエッセイは、面白く、読ませる。

 (前略)そもそも評論と何か。作者もしくは作品を取り上げて様々に論じるのだが、誉めてばかりでは論にならない。当然、粗探しもする。
 された方は場合によってはメチャメチャ腹を立てる。八つ裂きにしてやろうかと思うかもしれない。
 実に間尺(ましゃく)に合わないことこの上ない。
 反対に誉められて感動のあまり、千疋屋のメロンなど奮発する人も稀中の稀ながらいる。
 そんな時、私は万歳を叫ぶ。贈答用には買っても自宅用に買ったことがないからである。
 「パパ、またメロンが来るように書いてね」
 「コラ! さもしい事を言うな」
 父はメロンを美味しそうに食べながら叱る。
 小説家遠藤周作も慶応義塾大学の学生時代は評論家を目指していた。
 父は京都で妻を亡くし幼い私を連れて上京。(以下略)



       撮影・鈴木純一「ほととぎす聞きに参れば鹿のふん」↑

2020年7月22日水曜日

打田峨者ん「死神を片手払ひに虻の道」(「つぐみ」NO.194号)・・




 「つぐみ」NO.194(編集発行・つはこ江津)、巻頭の「俳句交流」に「豈」同人の打田峨者んが起用されていた。題は「某余白」、ミニエッセイには、さまざまな三文字熟語を列挙して、

 「接触者」「帰国者」「不顕性」「未感染」(中略)「偽陰性」「微陽性」「新日常」・・・さてさて、パンドラの匣から世界に拡散したものが三字熟語だったんだと。で、つらつら見るにパンドラの匣の底なしの底の一隅にへばりついとるものがあって、それは金輪際、¨希望¨ではなく、¨余白¨だったんだと。

 と記されている。そのほかに本誌でいつも注目しているのは、外山一幾の書下ろし論で、今号は「星空、あるいは永遠への思慕ー戦時下の頴原退蔵ー」である。つい先日、今年度第40回現代俳句評論賞受賞者は、外山一幾と報じられていた。その論はみていないが、頴原退蔵論だったと記憶しているので、たぶん本誌の論の延長線上にあるものと推測する。慶祝!本誌の論の最後には、

 戦時下から戦後へとうつろうままならない生のなかで、頴原はそれでもなお星空を見上げ、そこに変わることのない美を見出そうとしていた。その切ないいとなみのなかで、頴原は自らの俳句観をたしかなものにしていったのではあるまいか。象徴詩としての俳句を語る際に頴原が引き出す「人間はそれ自体としては有限的な存在である。しかも同時に無限に通じることの可能を信じようとする」という人間観とは、永遠なるものを思慕する存在として人間を見据えるこうしたまなざしの先にこそ宿ったものであるように思われてならない。

 と、結んでいる。ともあれ、打田峨者んの他の二句と、もうひとりの「豈」同人の句、残った幾人かの句を挙げておこう。

   コロナ有事(うじ) 伝尊氏の額(ぬか)涼し     打田峨者ん
   今生にまだみぬひとつ河鹿笛
   せつかちな税理士も居る鵜舟かな           わたなべ柊
   杉青菜すり抜けてくるじかん             つはこ江津
   六月の海シャッターは閉じたまま            蓮沼明子
   嘘つきの金魚は海に帰します             らぶ亜沙弥
   えんやらとっと つきかげふんで 火の踊り       渡 七八
   白髪を夕焼けに染め 最後の釣り            金成彰子
   つつじ燃ゆ用のないもの通しません           津野岳陽



     芽夢野うのき「ウイルスは見えず愛は見えゆうすげ」↑

2020年7月20日月曜日

柏柳明子「地下鉄の二秒で消える夏の空」(『柔き棘』)・・・




 柏柳明子第二句集『柔き棘』(紅書房)、序文は石寒太「新しい季語の現代性を求めてー柏柳明子『柔き棘』に寄せて」、その中に、

   数へ日のしつぽのやうな栞紐

(中略)いろんな書物には、栞紐が一本ある。時に大冊には二本あることも・・・。それをこの句は「しつぽのやうな(・・・)」ととらえた。そのままではあるが、この「しつぽ」にはリアリティがある。しかも「数へ日」。今年もあとわずかで終ろうとしている。そんなある夜、読みかけのつづきを開いた。そこに栞紐のしっぽをみつけたのである。(中略)「いつも見ている自然なことであるけれど、そんなことをいままで句にしたことがない。それこそが秀句の条件のひとつである」と。(中略)
 柏柳明子句集『柔き棘』には、そんな句のいくつかを目にした。読んでいて、それを発見した喜びがあった。

 と記されている。集名にちなむ句は、

  抱きしめられてセーターは柔き棘       明子

 だろう。ほかに黒川梓「句集を読む『浮動の私』」、また著者自身のエッセイ「12から始まるハレの時間」も収載されている。それによると、著者はフラメンコをやっていたらしい。

 教室で振りを覚えるのは当然で、その先の表現ーリズムと振りの意味、歌やギターの調べの緩急に常に反応して踊らないと、すぐに先生から声が飛んできた。(中略)
 その繰り返しの中、「フラメンコは俳句に似ている」という思いが強くなっていった。たとえば、曲種ごとの定まったリズムとそれが生み出す形式の相関性、全身でリズムを感じた時に新たに姿をあらわす表現。俳句でも五七五の型とリズムは表裏一体で、そこから少しずつ違う表現が出てくる。その中で「スタイルを崩さずに常套的表現を破る」ためにはどうしたらよいか、今思うとそんなことをうっすら考え始めていた気がする。

 と述べている。略歴には、第30回現代俳句新人賞受賞とあって、そういえば、かつて、愚生が現代俳句新人賞の選考委員をやっていたときのこと、作者無記名の選考なので、最後に、柏柳明子の名が、知らされたとき、同じ選考委員をつとめていた浦川聡子が、当時は「炎環」の仲間だったので、ことさら喜んでいたのを思い出す。
 ともあれ、集中よりいくつかの句を以下に挙げておこう。

  満月へ鼓動の同期してゐたり
  水槽の眠らない水神の旅
  もう一度神輿のとほる秋日和
  鬼は外母へ通ずる闇のあり
  本降りとなつてしまひし花見かな
  自画像に影を足したる余寒かな
  ナビになき道ナビになき鳥威
  父帰るかほに木枯張りつけて
  古暦の裏に吊るせし暦かな
  街すこし浮かんでをりぬ夜の雪

、柏柳明子(かしわやなぎ・あきこ) 1972年、横浜市生まれ。

 

        撮影・鈴木純一「夏の月普賢菩薩の手をとつて」↑

2020年7月18日土曜日

坪内稔典「人はみな誰かの死後を生きて雪」(『早寝早起き』)・・




 坪内稔典・俳句とエッセー『早寝早起き』(創風社出版)、帯の惹句に、

 軽やかに、なごやかに、ときに辛辣。/俳句と散文の奏でる豊かな時間。/「おい、つるりんしよう」/ーいつまでも、どこまでも、自由にー

 とある。その中のエッセイ「俳句は多義、川柳は一義」に、以下のようにある。愚生も「俳句入門講座」などで、「季語を入れないで作る」、という宿題を出して、作ってもらうと、かならず、川柳との違いを質問される。そのとき愚生は、「川柳は答を出し、俳句は答をださないのです」、と答えているので、なっとくの説明だった。

 俳句も川柳も元は俳諧という一つの流れに発している。俳諧の中で、多義の魅力、面白さを求めたのが俳句、一義を究めようしたのが川柳だ。

  春風や闘志いだきて丘に立つ     虚子
  帰るのはそこ晩秋の大きな木     稔典

 右はかなり川柳に近い句。はっきりと思いが表現されているから。季語に思いを取り合わした俳句は多いが、そのような句はほとんどが川柳寄りだ。一方、次のような句は川柳から遠く、典型的に俳句である。

  柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺    子規
  三月の甘納豆のうふふふふ     稔典

 要するに、俳句は多義の、川柳は一義の表現だ。

 本書の巻末には、「わたしの十句」があり、いわば、自句自解になっている。これも坪内稔典俳句への道筋をよく表している。

  文旦のサクサク感がいいな、今朝

   七転八倒の末に、瞬間的に、たとえばこの句が出来た。句集『ヤツとオレ』の作品は、口語(日常の言葉)で成り立っている。この句など、その典型といっていいかも。文語を使わない。俳句的表現のや、かな、けりなどを使わない。それだけの禁止条項を掲げて私は俳句を作っている。ほぼ孤立した作り方だが、もうしばらくこの孤立の場を楽しみたい。

 という。ともあれ、本書中より、いくつか句を挙げておこう。

   永遠が瞬間になるツボスミレ        稔典
   ころがってアリストテレスと冬瓜と
   シロサイの影はクロサイ十三夜
   石蕗咲いて岬へとっても行きたいよ
   葦芽ぐむ心は先へ行きたがる
   春よ春カバはでっかいうんこです 
   春うららクロサイなどは孤立して
   もしかしてカバが来るのか花曇り
   ゆであげるカリフラワーの鬱憤を
   白バラの白からやってきたか、君
   軍艦はきらいおでんの豆腐好き
   びわ食べて君とつるりんしたいなあ

 坪内稔典(つぼうち・ねんてん) 1944年、愛媛県生まれ。


   芽夢野うのき「かならずくるものはくる彼岸の野そのときまでを風船かずら」↑
   
 

2020年7月17日金曜日

澤好摩「龍天に昇る日和をご存じか」(『返照』)・・・




 澤好摩第5句集『返照』(書肆麒麟)、著者「あとがき」には、集名について記した部分がある。

 今回の集名「返照」とは、いわゆる照り返しのことであり、前句集の「光源」を受ける点でも悪くないかと思ったが、辞書を引くと仏教用語では〈真実の自己に照らして内省すること〉という意味があり、私の今の心境に相応しいように思われたので、この題に決めた。勿論、仏教用語にそういう意味があるということは、ほとんどの読者には伝わらないが、それはそれで構わないであろう。
 寡作多捨といっていい私にとって、八年間の作品をもって一集を編むのは初めてのことであるが、年齢が年齢なだけに、やや先を急ぐ思いがあるのかも知れない。

 と、いう。ともあれ、集中より、愚生好みになるが、いくつかの句を挙げておきたい。

   夜も更けて秋七草を文字鎖        好摩
   霊山の多き八洲を黄砂かな        
   蹲踞(つくばい)の水盛り上げて落椿
   空砲に煙ありけり春の海
   傘つひに荷物のままや夏の旅
   竹は竹に凭れて倒るるあいの風
   雨つたふ白樺の木の夏仕舞ひ
   逢ふまでは隠れ滝なり深む秋
   おとうとよ雪野の奥に雪の山
   翌檜やわれら没後の春の暮
   水くらげ深さは空にこそあらめ
   寝流れの鮫の行方や青満月
   家どれも裏を見せあふ霜の墓
   秋の蚊を打つて蚊のなき盆の窪

 澤好摩(さわ・こうま) 1944年、東京都江東区生まれ。




★閑話休題・・・干場達矢「ふたり入りもう出てこなさう薔薇の園」(「トイ」VOL.2)・・・   

「トイ」VOL.2(トイ編集室)、4名の同人誌である。うち3名が「豈」の同人でもある。「あとがき」の結びに、

 これからもみなさんの詩心を触発する「トイ」でありたいと思っています。次はまた冬の初めにお目にかかりましょう。(達)

 とあった。以下に一人一句を挙げておこう。

  仏壇のところどころのあたたかさ       樋口由紀子
  更衣なにやらうはのそらなれど         青木空知
  人とウイルスいずれぞ淋し卯の花垣       池田澄子
  悪文にリズム先刻より囀            干場達矢



       撮影・鈴木純一「限りなくイエスに等しねぢの花」↑

2020年7月15日水曜日

中西夕紀「蘆の中蘆笛鳴らせ無為鳴らせ」(『くれなゐ』)・・・



 中西夕紀第4句集『くれなゐ』(本阿弥書店)、著者「あとがき」には、

 「都市」を始めて十年が過ぎ、第三句集『朝涼』を出してから九年が過ぎました。この句集は平成二十三年秋から令和元年暮れまでの作品を納めました。自分なりですが、句材を広げ、色々な詠い方を試みました。特に吟行では、小さなものたちの命を描きたいと思い、旅吟では、その土地への思いえお下敷きにして風景を描きたいと思いました。そして漢字一字の詠み込み題詠では、自在な発想で切れ味の良い句を作りたいと願いました。

 とあった。そして、集名に因む句は、巻尾の、

  日の没りし後のくれなゐ冬の山     夕紀

 であろう。愚性にとっては、集中の大庭紫蓬の名は、ことに忘れ難い、そして「終戦日」の句が2句あるが、「敗戦日」ならば、文句なくいただいていただろう。惜しまれる。ともあれ、集中より、印象深い、いくつかの句を以下に挙げておきたい。

    魚目先生は
  葉書より老の胆力白木槿
  つばくろや飛白の空の残されて
  金魚屋の猫の名前の悪太郎
    母は六十九歳で病死
  しみじみと手を見て死にき枇杷の花
  笑みこぼすやうに氷の雪吹かる
  もう誰のピアノでもなし薔薇の家
    大庭紫蓬さんを高知に見舞ふ
  和む目と鬢の白さや春の山
    悼 大庭紫蓬さん
  噎せ返る百合の小路を残さるる
    魚目先生から毛筆の葉書
  読めるまで眺むる葉書雪あかり
    悼 宇佐美魚目先生
  邯鄲や墨書千年ながらへむ
  万歳をしてをり陽炎の中に
    魚目先生の思ひ出
  逢はぬ間に逢へなくなりぬ桐の花
  マスクして神官いよよ白づくめ

 中西夕紀(なかにし・ゆき) 昭和28年、東京生まれ。



   芽夢野うのき「おしろい花の湧く道ふりむけばマリア」↑

2020年7月13日月曜日

照屋眞理子「師系塚本邦雄柘榴を火種(ほだね)とし」(『猫も天使も』)・・

 

 照屋眞理子遺句集にして第三句集『猫も天使も』(角川書店)、序文は東郷雄二、跋文は尾崎まゆみ「時の流れ(レール・デュ・タン)」、「あとがき」は、照屋成治「感謝 あとがきにかえて」。著者には、すでに歌集三冊、句集二冊があり、序も跋も歌人の方々である。東郷雄二の序の中に、

 (前略)照屋さんの作る短歌と俳句に共通して見られる特徴の第一は、「非在を視ようとする眼」であろう。これは一見すると矛盾している。「非在」とはこの世にあらぬものであり、ないものは目には見えないからである。(中略)
 現世のみが世界ではなく、この世に存在するものだけが存在ではない。この世と別の世を自在に行き来できるわけではないが、この世に在るものの傍らに別の世が色濃く感じられる。そのような感覚が照屋さんの俳句や短歌に独自の味わいと奥行きを与えている。(中略)
 照屋さんは重いこの世の肉体を脱ぎ捨て、夢の中で幾度も訪れた別の世で軽やかに遊んでいるにちがいない。そんな自分の姿を照屋さんは句や歌に繰り返し詠んでいる。残された句集・歌集の中に心を遊ばせれば、そこに形を持たなくなった照屋さんがいつもいるのである。私たちは書を開くだけでよい。

 こんなに軽くなつて彼岸の野に遊ぶ  『月の書架』
 もうかたち持たずともよきさきはひを告げきて秋の光の中   『恋』

 また、照屋成治は、

 (前略)妻・照屋眞理子は令和元年七月十五日、六十八歳で死去しました。
自宅で、私の手の中で息を引き取ったのですが、堂々として生き生きとした顔で死んでいきました。私の死には、誰も口出しはさせないと自信を持って死んでいるようでした。六十八歳は若い、いや、精一杯、十分生きました、ではあなたは、と問われているようでもありました。
 眞理子が好きだった人々にも、眞理子が嫌った人々にも、眞理子を嫌った人々にも、感謝の念を捧げたいと思います。全ての人が、照屋眞理子をつくって下さったのですから。(後略)
 
 と記されていた。他に、短いエッセイ「十五分」が収められている。その末尾の句は、

   わたくしを捨てに銀河のほとりまで      眞理子

 の句である。ともあれ、集中より、以下にいくつかの句を挙げておこう。

  引鶴やこゑてふ形見あるばかり
  八田木枯忌夜空の涯に濤
  百年後この子百歳さくら貝
  小鳥のやうな母の飲食(おんじき)はうれん草
  魑魅魍魎(あやかし)の昼は眠たしあぢさゐ
  泉あり寂しきときに鈴を生む
  師の坐(ま)さば父母坐さばちちろ鳴く
  いつみても乗らぬ列車や天の川
  にんげんは戦争が好き雪の弾
  かの百夜通ひも見きか寒昴
  手袋に一対といふ不如意かな
  湯たんぽや斯く母も母恋ひしか
  
 照屋眞理子(てるや・まりこ) 昭和26年、東京都生まれ。令和元年逝去。享年68。



     撮影・鈴木純一「沢胡桃見えないものと待ち合わせ」↑     

2020年7月11日土曜日

なつはづき「ゲルニカや水中花にも来る明日」(『ぴったりの箱』)・・・




 なつはづき第一句集『ぴったりの箱』(朔出版)、跋は宮崎斗士「蜜月ー『ぴったりの箱』を巡って」、その中に、

 まず強く印象に残るのはなつさんの独特の「身体感覚」である。思い起こせば現代俳句新人賞受賞作のタイトル、モチーフも「からだ」であった。身体というものの機微をしっかり見据え、その上で森羅万象を自らの身体という器で汲まんとする俳句作家としての姿勢。この句集には、その結実が数多く認められよう。

  はつなつや肺は小さな森であり

 「森」ならではの生命感覚が見事に活かされた一句。自らの呼吸器を森だと感じるとき、初夏の瑞々しい空気にみるみるリフレッシュしてゆく全身が見えてくる。この夏を謳歌したいという主人公の心情の表れでもあるだろう。

 とある。また、著者「あとがき」には、

 この句集でわたしがすっぽり入る「ぴったりの箱」を見つけた気がします。ただし「今のところ」と付け加えておきます。ぴったりは心地よくもあるし、窮屈でもあります。この矛盾する感覚がとても大事。ぴったりを知らないと不安定だし、窮屈に思えなければ伸びしろはありません。いずれこの箱を窮屈で息苦しくなる日が来るのでしょう。手足をもっと伸ばしたい、動かしたい、そういう衝動が生まれてくるはずです。その時はまた、新しい「ぴったりの箱」を見つけるべく奮闘するつもりです。

 と、自身の心栄えを述べている。第5回攝津幸彦記念賞準賞が縁で、次号・63号(10月刊行予定』より「豈」同人に参加される。ともあれ、愚生好みになるが、以下にいくつかの句を挙げておこう。

  リュウグウノツカイ浮いてくる春の月     はづき
  修正液ぼこぼこ八月十五日
  冬蝶や楽譜通りに来る夜更け
  昭和の日魚拓なまなましき鱗
  水たまりは後ろすがたであり葉月
  カナリアや踏絵に美しき光沢
  ひょんの笛心入れ忘れた手紙
  栄螺焼く父の十八番の八代亜紀
  かなかなや痣は気付いてより痛む
  今日を生き今日のかたちのマスク取る
  背中からひとは乾いて大花野
  
 なつはづき 1968年、静岡県生まれ。



        撮影・芽夢野うのき「濁る水澄む水みんな野に帰る」↑

2020年7月10日金曜日

塚越徹「コロナ禍に失語の紅の花の兄」(「蕗の薹」)・・・



              「豈」7号・8号 ↑

 塚越徹「蕗の薹」(極私版)400字原稿用紙にコピーされた、「虫偏」「土蜘蛛」「言語学者」「赤い日傘」「COVID・19」の5章に各17句、合計85句が収められている。便りには、「前にお会いしましたのが2017年9月のようでした」、とあった。塚越徹は、東中野駅近くで、眼鏡店を営んでいる。従って、東中野駅近くのバー「八甲田」のバーテンダーだった「豈」創刊同人・大本義幸とかなりの親交があったはずだと思い、大本義幸の余命を宮石弘司から知らされた愚生が、大本義幸の状態を知らせに行ったときのことだろうか。いや、それ以後に、愚生が、何かのついでに立ち寄ったのかも知れない。ともかく彼は、攝津幸彦存命時代の「豈」同人である。もとはといえば詩を書いておられたので、「豈」には、「詩集『水準原点』についてー石原代吉郎ノート」などを執筆されていた。
 余談だが、40年ほど前、愚生の唯一の近眼鏡は、彼の店で作ってもらったもので、その後は、視力0.3から、さして進行せずだったので、日常生活では眼鏡をかけることは無かった。せいぜい、映画の字幕を読むためくらいだった。とは言え、近頃は、老眼にもかなりなっているいるようで、今度は彼に、遠近両用か、もしくは老眼鏡をお願いしようかな・・・と思った次第なのだ。
 それにしても、彼には、長い休詠期間だったようだが、今度の集には、2017年からの句が収められている。ウオーミングアップの助走から、本格復帰も近いかも知れない。
 面白く読ませていただいたので、いくつか以下に紹介しておきたい。

  蕗の薹(バッケ)摘む北の蝦夷(エミシ)の末裔(スエ)なれば   徹
  十一年二月二十五日白き虹
     杉浦日向子
  カナブンや江戸の意匠の果ては蛭(ヒル)まで
  神樹蚕(シンジュサン)、林檎に巣くうこともあり
  黄泉がえれ山崎、非戦あやふし
  リカ、イルカ言語学者はピアノひく
  「やみ市」の「南京虫」は腕時計
     豆腐店閉店す
  雪が降る、生揚げをふたつ下さい
  ひとつのスイカを「こども食堂」に
  菜の花やおかよの店の小鉢かな
  北向きに置かるゝ石斧(セキフ)、根の国へ
  エシャレット似ているそいつが出てこない
  ラワンブキ雨宿りする神(カムイ)かな



     撮影・鈴木純一「キリストの倍は生きたぜ合歓の花」↑

2020年7月6日月曜日

橋本直「百舌叫び鋭き山本美香忌なり」(『符籙』)・・・




 橋本直第一句集『符籙』(左右社)、栞文は鴇田智哉「フレームのクール」と阪西敦子「強くなければ生きられない、優しくなければ生きる資格がない」。その栞の結びに鴇田智哉は、

 そして、面白いことに、終りでノンブルがターンしている。そのターンに沿って、今度は、田園の句をはじまりとして、ページを右へ、右へ、と逆方向に読み進めてゆく。初めから終わりまでを、そして反対の初めから終わりまでを、自然な流れに沿ってたゆたうことができる。
 個々の句に特有の思わぬフレームを楽しみつつ、それらの行き来の中に身を置いて、海を漂うかのようにいることができる。『符籙』とは、そういうひとつの本なのであった。

 と述べ、また、阪西敦子は、

 直さんのゴシップ性の強さは、わたしたちがあまりにも正しいことや、洗練されたものには興味を持ち続けられないことにも通じている。知的でワイルドでスマートだけれど、どこかに下世話な優しさの漂う「中年」句にしばし耽溺してもらいたい。

 と記している。本書には、また、長い自跋が付されている。それには、

(前略)句が読まれる場にいるのは、わたし/あなたではなく、わたし/あなた、ではないようなものであり、むしろ著者とその名で編まれた句のありようは、詠まれたものが読まれることで積極的に変容するようなものと考える。

 とあり、あるいは、

 (前略)虚子の弁は一見、個人句集は故人の追善句集であるべき、という俳諧の旧弊に囚われていたように見える。しかし、彼らは、宗匠俳諧を批判し、近代文学としての俳句へ舵を切った作家たちであり、本気でそれを墨守するつもりがあろうはずがない。(中略)子規の序文にある正直な逡巡は、そのような思いを私にいだかせる。言い換えれば、句の創作の空間は、自他の枠を超えた共同による相互作用が機能するのが常であり、共同を通していわゆる近代的自我の唯一絶対性に揺らぎをもたらす。この明治期の画期は、それでも/だからこそ、本にまとめて世に出しあうところまで進んだことだ。今や無名に近い、初期個人句集刊行に関わった俳人達、岡本癖三酔、高田蝶衣、中野三允らは、みな虚子のはじめた鍛錬句会(俳諧接心)の、若き仲間だったのである。いま、この時にこそ、句集の近代の海に漕ぎ出した彼らの感覚を、我が内で共有してみたいと思うのだ。

 とある。ブログタイトルの句の山本美香は、奇しくも橋本直と同年齢のジャーナリスト。2012年、シリアで取材中に銃撃され殺された。享年45。ともあれ、待望の橋本直の句集である。愚生好みに偏するが以下にいくつか挙げておきたい。

  遠足のまたも時代を間違へる        直
  いつまでも怒らぬ人やかき氷
  唐辛子国に逆らふ話する
  鳥渡る殿下の足は内を向き
  いくつかの言語の咳が響きけり
  燗酒に手をかけて寝てをられけり
  行進が昭和のふりする体育祭
  敗戦忌いきてる父も無口であり
     タイ・カンボジア
  雨季蟬は優しく鳴くですとBON氏
     バレテ峠
  フィリピンの冷たい風の死ぬところ 
  敗戦忌まじめな舌と生きてゐる
  弾圧虐殺粛正抑圧なきことを願ふ初詣
  田園の絶対をもてあます

橋本直(はしもと・すなお) 1967年、愛媛県生まれ。



     撮影・芽夢野うのき「白地着て鳥と睦みしことはるか」↑

2020年7月4日土曜日

各務麗至「木枯らしの天には見えず地を走る」(『約束』より)・・・




 各務麗至『約束』(詭激時代社・500円)、表紙には、「詭激時代コレクション精選集」とあり、

 反時代的なほどに/一貫して/芸術至上主義的方向をくずさず、/端正な文章をつづって

 とある。『約束』の終わりの部分を抄出すると、

 (前略)そういう偶然を必然とするくりかえしを「約束」と呼ぼう。
 詩とか小説とか俳句とか、峻別も敬遠畏縮することもない。初心の頃、共に表現方法に文章を選び志した者の幸運な出会いである。
 最後まで見せていただいた書くことへの思いの深さ、三木昇の「縁」ではないが、少年時代から繋がっていた田井洋一との友情や、志都一人という稀有の才能を目の当たりにしたり、麻生知子が生涯の失敗と引き換えにした同人雑誌があったればこそ今の私が在って、
 只々のろまな儘で終わるかも知れないが、
 それこそが教えられ励まされ支えられてきた力ではあった「約束」のような繋がりを、何かを書き残そうとするだろう「約束」のような「縁」を、私は忘れることが出来ないだろうと思っている。そして、
 生かされている限り、と、言いきかせながら、私も書きつづけとたいと思っている。

                        ― 戛戛118 2020.1
 
同書には、

 詭激時代コレクション精選集 小冊子版刊行 栞
  詭激時代    -SINCE  1963-66 
                          *全五十四巻版、令和二年五月十五日編集校了。

 が、あり、この栞の最後は、「第五十三、五十四巻 新しい生活 上・下 戛戛120 令和二年五月 *71歳」(以下略)ともある。これらのことは「戛戛」第121号(2020年7月15日)の「あとがき」に、

 文庫版より少し大きい、新書版の作品集をと思い立った。「詭激時代」創刊四十五周年、創刊五十周年とその折々に各十巻前後版を発刊して来て、
 現在は来年の五十五周年に向けての十五巻版を編集していたのだけれど・・・・。
 果たして、そういう各巻に何作も詰め込んだ大冊形のものを読んでもらえるかどうか。書き方も夫々なら読み方も夫々で、こちらの力の無さを棚に上げての言いようだが、そう思った。(中略)

 と、記されていた。『約束』には、「詭激時代ー同人雑誌批評の頃」が収載されていて「文学界」「文藝」「三田文学」などに掲載された批評文も抄録されている。その最後の「覚書にかえて」には書信もある。その巻末には、麗至「壊れやすきは漢よこころは龍を思ひ」(令和二年年賀句)への松本徹のものが書き留めてある。

  賀状ありがとうございました。
  壊れやすきは漢よこころは龍を思ひ、の
  句を拝見して「約束」を読みますと、胸に
  迫ってくるものがありますね、しかし、人生
  はこれでいいんだとの思いもうまれて来
  ます。少なくとも龍を夢見ることは
  存分に、お仲間を得て、されたんだろうと
  思います。一層のご健勝を祈ります。  
                  松本 徹

とあった。

  音のして音のきえゐる時雨かな  麗至(平成2年三橋敏監修「ローム」巻頭句)



         撮影・鈴木純一「山の塚山の花にて間に合わせ」↑

2020年7月1日水曜日

庄司久美子「よぢつてねぢつて瞑想の山椒魚」(『天泣』)・・




 庄司久美子第一句集『天泣』(文學の森)、髙橋将夫「序に代えて」の冒頭に、

 庄司久美子さんの句歴は「槐」創刊の平成三年以前に遡るが、今回の第一句集『天泣』の編纂にあたっては「槐」同人になった平成二十年以降の作品から三〇〇句が収録されている。
 一読して、ドレスから普段着に替えてくつろいで楽しめる句集と感じた。日常を素材とした句が主流で、とりわけ俳味豊かな取合せに作者の感性が発揮されているのが印象的である。

 とある。また、跋文の中島陽華「久美子さんの『天泣』上梓を祝して」には、
 
 久美子さんは、創刊主宰の頃からの同人で句歴も長い。鋭いセンスの持ち主でもあり、一風変わった魅力のある句を提供してくれる。

 ともあった。創刊主宰とは岡井省二。集名に因む句は、

  天泣の大地七色龍の玉     久美子
  天地をいぶる天泣笹子鳴く

 であろうか。ともあれ、以下に集中よりいくつかの句を挙げておこう。 

  初蟬やむらさきいろの遊び紙
  初鴉落款押してをりにけり
  大波をのみこむ鯤や神渡
  宇宙芋とはむかごかな呆気者
  天狗風円陣を組む春の鴨
  双頭の鷲の椅子なり夏の雲
  大楠の魂と園児と日向ぼこ
  鬼百合よ天の磐船交信中
  わんさかと話ありさう葱坊主

 庄司久美子(しょうじ・くみこ) 昭和25年兵庫県豊岡市生まれ。




★閑話休題・・・自己紹介俳句「梅雨さなか大井恒行(おおいつねゆき)恥しげ」(府中市生涯学習センター「俳句入門講座第1回」)・・・


   7月1日(水)、半夏生、府中市生涯学習センター「俳句入門講座」第一回(上掲写真)だった。例年と違って、市の広報などには載らず、生涯学習センターのホームページの広告、人数も先着12名までだったので、ひょっとしたら誰も来ないかも知れないと思って、出かけて行った。担当者が以前の講座(高田正子)の受講者の方々にダイレクトメールなどして下さったらしい。愚生にとっては予想外の9名の方々が申し込んでいただていた。一回目は、リサーチのつもりもあって、最初に、5・7・5でなんでもよいから、自分の名前を詠みこんで、自己紹介俳句を作ってもらった(このアイデアは武馬久仁裕の『俳句の授業』から拝借した)。
 一応、レジメは、愚生の『俳句 作る楽しむ発表する』(西東社・絶版)と『教室でみんなと読みたい俳句85』(黎明書房)をテキストにごく簡単なものを作成した。今回で、大よその方々の俳句歴も知ることができたので、第二回からは、もう少し、実践中心に練り直そうかなとも考えている。コロナの関係で、密にならないよう、テーブルに一人、窓とドアは開け放し、マスク着用だったが、2時間講座と短い時間ながら、3回の休憩をはさんだ。
 皆さん、よくお付き合いいだだきました。アリガトウ!



撮影・鈴木純一「捨姥待月(としおいしははをすてんとつきをまつ)」↑