2020年7月11日土曜日

なつはづき「ゲルニカや水中花にも来る明日」(『ぴったりの箱』)・・・




 なつはづき第一句集『ぴったりの箱』(朔出版)、跋は宮崎斗士「蜜月ー『ぴったりの箱』を巡って」、その中に、

 まず強く印象に残るのはなつさんの独特の「身体感覚」である。思い起こせば現代俳句新人賞受賞作のタイトル、モチーフも「からだ」であった。身体というものの機微をしっかり見据え、その上で森羅万象を自らの身体という器で汲まんとする俳句作家としての姿勢。この句集には、その結実が数多く認められよう。

  はつなつや肺は小さな森であり

 「森」ならではの生命感覚が見事に活かされた一句。自らの呼吸器を森だと感じるとき、初夏の瑞々しい空気にみるみるリフレッシュしてゆく全身が見えてくる。この夏を謳歌したいという主人公の心情の表れでもあるだろう。

 とある。また、著者「あとがき」には、

 この句集でわたしがすっぽり入る「ぴったりの箱」を見つけた気がします。ただし「今のところ」と付け加えておきます。ぴったりは心地よくもあるし、窮屈でもあります。この矛盾する感覚がとても大事。ぴったりを知らないと不安定だし、窮屈に思えなければ伸びしろはありません。いずれこの箱を窮屈で息苦しくなる日が来るのでしょう。手足をもっと伸ばしたい、動かしたい、そういう衝動が生まれてくるはずです。その時はまた、新しい「ぴったりの箱」を見つけるべく奮闘するつもりです。

 と、自身の心栄えを述べている。第5回攝津幸彦記念賞準賞が縁で、次号・63号(10月刊行予定』より「豈」同人に参加される。ともあれ、愚生好みになるが、以下にいくつかの句を挙げておこう。

  リュウグウノツカイ浮いてくる春の月     はづき
  修正液ぼこぼこ八月十五日
  冬蝶や楽譜通りに来る夜更け
  昭和の日魚拓なまなましき鱗
  水たまりは後ろすがたであり葉月
  カナリアや踏絵に美しき光沢
  ひょんの笛心入れ忘れた手紙
  栄螺焼く父の十八番の八代亜紀
  かなかなや痣は気付いてより痛む
  今日を生き今日のかたちのマスク取る
  背中からひとは乾いて大花野
  
 なつはづき 1968年、静岡県生まれ。



        撮影・芽夢野うのき「濁る水澄む水みんな野に帰る」↑

2 件のコメント:

  1. なつはづき2020年7月12日 11:21

    ご紹介いただきありがとうございます。本人です。

    沢山の句を挙げて頂きありがとうございます。
    (八代亜紀の句、気に入って頂けて嬉しいです。)

    この句集は
    第五回攝津幸彦記念賞の応募作品と同じタイトルをつけております。
    あの作品群がわたしの世界観の幅を広げた事は確かで、ひとつのターニングポイントとなった気がします。
    応募してみて良かったと思っています。

    このご縁で「豈」に参加させていただく事となりましたが・・・
    実は結構緊張しております(笑)
    今後ともよろしくお願い申し上げます。

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  2. わざわざのお便り有難うございました。
    「豈」は昔から、じつに、何もしない、できない雑誌ですが、見捨てることなく、よろしくお願いします。

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