2020年7月18日土曜日

坪内稔典「人はみな誰かの死後を生きて雪」(『早寝早起き』)・・




 坪内稔典・俳句とエッセー『早寝早起き』(創風社出版)、帯の惹句に、

 軽やかに、なごやかに、ときに辛辣。/俳句と散文の奏でる豊かな時間。/「おい、つるりんしよう」/ーいつまでも、どこまでも、自由にー

 とある。その中のエッセイ「俳句は多義、川柳は一義」に、以下のようにある。愚生も「俳句入門講座」などで、「季語を入れないで作る」、という宿題を出して、作ってもらうと、かならず、川柳との違いを質問される。そのとき愚生は、「川柳は答を出し、俳句は答をださないのです」、と答えているので、なっとくの説明だった。

 俳句も川柳も元は俳諧という一つの流れに発している。俳諧の中で、多義の魅力、面白さを求めたのが俳句、一義を究めようしたのが川柳だ。

  春風や闘志いだきて丘に立つ     虚子
  帰るのはそこ晩秋の大きな木     稔典

 右はかなり川柳に近い句。はっきりと思いが表現されているから。季語に思いを取り合わした俳句は多いが、そのような句はほとんどが川柳寄りだ。一方、次のような句は川柳から遠く、典型的に俳句である。

  柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺    子規
  三月の甘納豆のうふふふふ     稔典

 要するに、俳句は多義の、川柳は一義の表現だ。

 本書の巻末には、「わたしの十句」があり、いわば、自句自解になっている。これも坪内稔典俳句への道筋をよく表している。

  文旦のサクサク感がいいな、今朝

   七転八倒の末に、瞬間的に、たとえばこの句が出来た。句集『ヤツとオレ』の作品は、口語(日常の言葉)で成り立っている。この句など、その典型といっていいかも。文語を使わない。俳句的表現のや、かな、けりなどを使わない。それだけの禁止条項を掲げて私は俳句を作っている。ほぼ孤立した作り方だが、もうしばらくこの孤立の場を楽しみたい。

 という。ともあれ、本書中より、いくつか句を挙げておこう。

   永遠が瞬間になるツボスミレ        稔典
   ころがってアリストテレスと冬瓜と
   シロサイの影はクロサイ十三夜
   石蕗咲いて岬へとっても行きたいよ
   葦芽ぐむ心は先へ行きたがる
   春よ春カバはでっかいうんこです 
   春うららクロサイなどは孤立して
   もしかしてカバが来るのか花曇り
   ゆであげるカリフラワーの鬱憤を
   白バラの白からやってきたか、君
   軍艦はきらいおでんの豆腐好き
   びわ食べて君とつるりんしたいなあ

 坪内稔典(つぼうち・ねんてん) 1944年、愛媛県生まれ。


   芽夢野うのき「かならずくるものはくる彼岸の野そのときまでを風船かずら」↑
   
 

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