2020年7月22日水曜日

打田峨者ん「死神を片手払ひに虻の道」(「つぐみ」NO.194号)・・




 「つぐみ」NO.194(編集発行・つはこ江津)、巻頭の「俳句交流」に「豈」同人の打田峨者んが起用されていた。題は「某余白」、ミニエッセイには、さまざまな三文字熟語を列挙して、

 「接触者」「帰国者」「不顕性」「未感染」(中略)「偽陰性」「微陽性」「新日常」・・・さてさて、パンドラの匣から世界に拡散したものが三字熟語だったんだと。で、つらつら見るにパンドラの匣の底なしの底の一隅にへばりついとるものがあって、それは金輪際、¨希望¨ではなく、¨余白¨だったんだと。

 と記されている。そのほかに本誌でいつも注目しているのは、外山一幾の書下ろし論で、今号は「星空、あるいは永遠への思慕ー戦時下の頴原退蔵ー」である。つい先日、今年度第40回現代俳句評論賞受賞者は、外山一幾と報じられていた。その論はみていないが、頴原退蔵論だったと記憶しているので、たぶん本誌の論の延長線上にあるものと推測する。慶祝!本誌の論の最後には、

 戦時下から戦後へとうつろうままならない生のなかで、頴原はそれでもなお星空を見上げ、そこに変わることのない美を見出そうとしていた。その切ないいとなみのなかで、頴原は自らの俳句観をたしかなものにしていったのではあるまいか。象徴詩としての俳句を語る際に頴原が引き出す「人間はそれ自体としては有限的な存在である。しかも同時に無限に通じることの可能を信じようとする」という人間観とは、永遠なるものを思慕する存在として人間を見据えるこうしたまなざしの先にこそ宿ったものであるように思われてならない。

 と、結んでいる。ともあれ、打田峨者んの他の二句と、もうひとりの「豈」同人の句、残った幾人かの句を挙げておこう。

   コロナ有事(うじ) 伝尊氏の額(ぬか)涼し     打田峨者ん
   今生にまだみぬひとつ河鹿笛
   せつかちな税理士も居る鵜舟かな           わたなべ柊
   杉青菜すり抜けてくるじかん             つはこ江津
   六月の海シャッターは閉じたまま            蓮沼明子
   嘘つきの金魚は海に帰します             らぶ亜沙弥
   えんやらとっと つきかげふんで 火の踊り       渡 七八
   白髪を夕焼けに染め 最後の釣り            金成彰子
   つつじ燃ゆ用のないもの通しません           津野岳陽



     芽夢野うのき「ウイルスは見えず愛は見えゆうすげ」↑

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