2019年12月30日月曜日

佐藤榮市「さざなみのもとにもどって夏の雲」(『佐藤榮市Works』)・・



『佐藤榮市 Works』(50部限定、制作・発行 伊地知福夫、頒価¥1000)、表4には、佐藤榮市の言葉が掲げられている。

   名句よりも千の駄句を作って
   偶然性のパロールの中で
   自分の句を発見してゆくことは
   とても大切だ

巻尾には、妻・佐藤早苗が、

 一周忌を過ぎ、やっと彼の部屋の整理をしなくては、と片づけはじめたら、彼の野原がが覆いつくされるような俳句や小説、戯曲などの原稿が出てきました。いつもの書きなぐりではなく、きちんと綿密に書かれたノートも数冊。俳句仲間からの評や感想もきちんと保管されていて、「なんかわからないけど面白い」とか「目指せマイノリティーの頂点!」など、思わずニヤリとしちゃいました。
 そして、この度、高校時代の友人、伊地知福夫さんが佐藤の作品をまとめてみたいとおっしゃり、パソコンで入力し、それを旧友近藤和明さんが編集してこの「佐藤榮市Works」ができました。

 と記している。 目次には、「Worrks初期詩篇」「Worrks句会篇」「Works句集編」とあって、佐藤榮市の歩みがわかる。初期詩篇には、愚生の知らない、佐藤榮市がいる。早稲田大学第二文学部では「早稲田大学児童文化研究会『壁』」に所属して「五月の夢」(「壁1969年2月』)を発表している。その後は同人誌「序哥」「斜面」「詩的現代」に所属し、後続の2誌では、「亡霊」のタイトルで9編を続けて書いている。
 愚生が知っている佐藤榮市はそれ以後、宮﨑二健の「サムライ」で行われていた句会「もののふの会」あたりからである。その後「豈」の同人になり、阿部完市の「現代定型詩の会」や中西ひろ美等の「垂人(たると)」、また、「蛮」「夢座」「木霊句会」などにも参加していた。亡くなったのは、1918年5月23日、享年69。1948年9月23日、神戸市中央区生まれ。愚生と同じ生まれ年だ。
 編著書に、私淑し、自裁した詩人・遠藤宏遺稿集「火呂虫」(手元から離すことなく、45年間、表紙がボロボロになっていた、という)。詩集に『リンム』『フラミンゴ キイ』、句集に『チキンスープ』『猿笛』、電子版句集『佐藤榮市句抄』。
 詩篇は長いので、このブログでは、収録句の中から、句集未収録、近年のものを、いくつか挙げておきたい。合掌。

  えんじぇるのじゅるじゅるジュテーム白髪葱      榮市
  母といて雲雀揚がってそれっきり
  散る花のこの散る花にまじる蝶
  猫の子に風の子まじる露地の春
  待合室から鶴と出てくる古老かな
  仮の世に腰かけ鶴を歩ませる
  残菊の皮膚感覚を暮れていく
  寺町や月下の右をいそぎける
  蕎麦の花毬子さんの霊が吹く風の
  でこぼこの虹です妻をラッピング
  日傘さす無限の竜骨のナイーブ
  



撮影・鈴木純一 返り花と9608 ↑

2019年12月29日日曜日

大島雄作「酢海雲をちゆるると啜り国憂ふ」(『一滴』)・・



 大島雄作第5句集『一滴』(青磁社)、著者「あとがき」には、

  前句集『春風』を作った際に考えていたこと、つまり自在に、平易に、好き勝手に詠むという気持ちは全く変わらない。このところ、定期的に吟行に出かけ、自然と触れ合う機会は増えているが、句を整理すると、いわゆる叙景句がどんどん落ちてゆく。結局「作る」のが自分の持ち味なのかと改めて思った。

 と記されている。その成果が本句集というわけである。ともあれ、集中より、以下にいくつかの句を挙げておこう。

  這ひ這ひのかくも無敵ぞ夏座敷     雄作
  かかとから歩かう冬野はじまるよ
  鯛焼のさびしき貌の方が裏
  生ごみに出されてしまひ蛇の衣
  どの眼鏡も約款読めず十二月
  竹馬のいよいよ悍馬となりにけり
  〇(まる)がよからうよ巣箱の入口は
  目借時競輪場の鐘(じやん)が鳴る
  逃水にあり鬣のごときもの
  雪来るかマトリョーシカは出窓にゐ
  指切といふ怖きこと朧の夜
  死の稽古めきたる秋の昼寝かな

 大島雄作(おおしま・ゆうさく)1952年、香川県多度津町生まれ。




★閑話休題・・・山本つぼみ著『英彦山姫沙羅にお雫ー杉田久女考』・・・


著者「あとがき」には、

 (前略)それならと云うことで、「青芝」に掲載した昭和六十三年からの杉田久女考を、青芝主宰にお許しを頂き「阿夫利嶺」に転載する運びとなった。当時「青芝」は昭和六十年一月に先師八幡城太郎の急逝に遭い、悲壮な決意での中村菊一郎主宰を中心の俳誌存続であったので、副主宰として大会時の講演なども率先してしなければならなかった。そして「久女」への旅がはじまった。

 とある。本著の最終章(二十四)に、記された「櫓山山荘虚子先生来遊句会 四句」の前書が、掲載されている四句「潮干人を松に佇み見下せり」「花石蕗今日の句会に欠けし君」「秋山に映りて消えし花火かな」「石の間に生えて小さし葉鶏頭」の句の季節が、それぞれ、春、冬、秋、秋であることと、虚子来訪の日付から推測し、前書きの「四句」とあるのは、「一句」の誤植=間違いだろうと、結論を述べている。
 また、本書タイトル「英彦山の姫沙羅の雫」は、巻尾近くの以下の記述を受けてのものであろう。

  悠久の時の流れの中で、ひと粒の雫は、きらきら輝きながら、英彦山の岩の間に消えた。一輪の姫沙羅の花の淡いピンクの色となり、葉先のみどり濃い憂いに染まり、枝の茶褐色をも伝わりながら、地上までの空間は輝いて・・・久女が愛してやまなかった英彦山全山の自然の中に解けこんでいったのである。

山本つぼみ(やまもと・つぼみ) 昭和7年。厚木市生まれ。



撮影・鈴木純一 とくに何もしなかった↑

2019年12月28日土曜日

森田廣「飛びたくない飛魚もとび日が落ちる」(『出雲、うちなるトポスⅡ』)・・


 
 俳句+絵画*永遠なる一瞬『出雲、うちなるトポスⅡ』鼓動する記憶*森田廣(霧工房)、94歳翁、その「あとがき」に、

 (前略)「音楽の原点は静寂である」と。「音(音楽)を「言葉」に置き換えても同じことと思われる。絵画表現に於いて岸田劉生は「そこに在るということは、そこにないことと等量の存在」と言っている。いずれも、現にあるものはその対極にあるものー聞こえないもの、見えないものを包含するという表現意識を語ったものである。つまり、非在から立ち顕れる存在、表現に於ける存在の根源的な意識である。(中略)
 詩性の要件として「述べない」ことを念頭にしながらも、あえて洗練に遠い句を残した。私の中の野翁的な面を拭えないものがあるからである。
 念を押せば、うちなる「出雲」は、いわばDNA的な種族感覚や古代神話、あるいは伝承の民俗等を超え、正も負もつつみこむ大らかな風土である。
 高齢のもたらす衰退には抗えないものの、表現者の自覚があるかぎり、存在に向きあう切実な現実を生きるほかはない。

 という。ともあれ、集中よりいくつかの句のみになるが、挙げておきたい。

  息の緒のあそびを問わば蝶吹雪            廣
  また一人あたまが歩く春の星
  棒杙も神も見えざり秋の浜
  雲中にはためく弔旗ななかまど
  いなつるび縊り鶏にも父母ありき
  草の絮サグラダ・ファミリアへ翔びたてり
  わらび谷異界案(あ)内の雲が照る
  なんべん死んでなんべん生きし麦の波
  かつて大八車(だいはち)に晴着のような冬晴れがあった
  ひとりずつひとりの夕月冬木立
  
 森田廣(もりた・ひろし) 1926年、島根県安来市生まれ。


2019年12月27日金曜日

秋尾敏「浮かびきれない氷あり夜の森」(『ふりみだす』)・・

 


 秋尾敏第5句集『ふりみだす』(本阿弥書店)、集名に因む句は、

  学校の柳が髪をふりみだす     敏

である。長い「あとがき」があり、その中の部分、長くなるが引用しよう。

 (前略)だとすれば俳句は、ネット上のデジタルフォントに移行することによって、近代俳句の古臭い部分を捨て去っていくことになるのだろう。子規や虚子や碧梧桐の俳句が、活字によって、古臭い旧派の月並臭を消し去ったように。
 明治の筆文字は、月並調や教訓調を作り出した。同様に近代俳句は、活字文化の中で、さまざまな差別構造を生んできた。それらに気づき、払拭する機会が、ネットというメディァによってもたらされたと考えてみるべきかもしれない。ネット上のデジタルフォントは、同時的にあらゆる立場の人の閲覧を可能にするメディァであるから、一部の人を差別する表現には、誰かがすぐ気づくことになる。(中略)
 俳句をこの国のドメスティックな文学形式と捉えることは誤りである。そもそも俳諧は和歌と中国文学との出会いによって生まれ、近代俳句は、西洋文学の価値観との相克と融合によって形成されたのである。俳文芸は、常に国際的であった。グローバルな視点からの国民国家論やポストコロニアル批評が俳句批評に応用されなければ、戦後俳句は、真の姿を表すことはないだろう。(中略)
 もはや時代は近代ではない。未だ名付けられず、ポスト・モダンと呼ぶしかないこの時代の俳句をどうしていくのか。それが、私の考えることの全てである。(中略)
 俳文芸は、古典に対しても、社会状況に対しても、〈軽やかなつまみ食い〉をし続けてきた。だから私も、そのように俳句を詠み続ける。古典も古語も、近代的自我も写生も、俳句はすべて〈軽やかなつまみ食い〉をすればいいのである。
 そうした俳句が〈浅い〉ということにはならない。ポップに〈軽やかにつまみ食い〉する俳句こそが、もっとも深い表現をし続けられると、私は信じている。

 と、述べている。そして、本句集は、その〈軽やかなつまみ食い〉によって〈ふりみだす〉深化をとげている。ともあれ、集中より、いくつかの句を以下に挙げておきたい。

   人間に整えられて麦の秋
   幾万の螢昭和という谷に
   破綻の町よ林檎にも指紋は残り
   原発に下萌ゆるとは怖ろしき
   どの足も許して長し春の道
   噴水を落ちるばかりと見てしまう
   土手に泥流コスモスの決死隊
     「軸」五十周年
   薫風の内在律や半世紀
      金子兜太氏追悼
   ふかぶかと落暉末黒野は無中心
   客観に主観は並び寒い書架
   夜の凩捜しものなら手伝おう
   雷兆す体よ僕に付いてこい

 秋尾 敏(あきお・びん) 昭和25年、埼玉県吉川町(現、吉川市)生まれ。



          撮影・一読者より ↑

2019年12月26日木曜日

藤田哲史「レーウェンフック氏自作ルーペニ露ヲ検見(ケミ)ス」(『楡の茂る頃とその前後』)・・



 藤田哲史第1句集『楡の茂る頃とその前後』(左右社)、その帯の惹句は、

 存在の眩しさ/そして儚さをめぐる/264句。 

 この明るさを/どこかで知っていたような/気がして、/それは何であった
 だろうかと、/しばらく考えていた。             ---鴇田智哉

 と記されている。そのように、投げ込みの栞文は鴇田智哉「ある日あるときの」、生駒大祐「天体から冬木へ」。生駒大祐は言う。

  卒業の泪のあとの食事です       「ラッシュ」
  今はない展墓の道の椚(くぬぎ)です  「ラッシュ」
  お座なりの如雨露の内も氷です     「ラッシュ」

 これらの句をどう読めば良いのであろうか。例えば、飯田蛇笏の『霊芝』のある時期などに見られる句末の「かな」の多用が影響していることを考えてみることが出来る。この章だけを見れば、蛇笏の格調高い文体を口語に移植し、味付けを変え、「かな」を「です」に置き換えた可能性も有り得ないことではない。しかし、句集全体を俯瞰するとその読みは些か浅いように思う。まず、これらの句の「です」を「かな」に置き換えた時の読後感の違いは無視し得ない。さらに、前章の「言う」はそれまでの章から一転して新仮名で書かれ、文体もほぼ口語である。(中略)これらに対して僕はある仮説を持っているが、ここでそれを披露することはしない。それは句集の栞の領分を逸脱しているし、この「です」の是非がフラットに論じられることこそが俳句への真の貢献になると信じるからだ。

 ともあれ、以下に、愚生好みの、いくつかの句を挙げておこう。

  極暑なり店に写真機の目目目目目         哲史
  菌美(は)し人を母として冥王素(プルトニウム)
  いざよいのしろい布巾にしろい卵(らん)
  タイピングあるとき止まり彼は咳
  風船をみすみす逃す日の終わり
  ポスターも凩責めの砌です
  吶吶と信書仕分けの夜業です
  薪割りが十一月の全てです
  あたたかし湯に樹脂製の鶩(あひる)の黄
  師走なり不眠続きのゼリー食
  改札を何故急くモッズコート紺
  人体の焼却事務を白雨に待つ
  静物に蟷螂紛れ描かれざる
  降るすべて紫黒の海に溶け入る雪

藤田哲史(ふじた・さとし) 1987年、三重県生まれ。


  ★閑話休題・・「Toriino(トリーノ」53号冬号、Free「自然が織りなす4つの楽章」、本号で休刊!


「T0riino」は公益財団法人日本野鳥の会のフリマガジンである。毎号の写真と絵を楽しみにしてきた。4つの楽章とは、「彩の章」入江泰吉、「憶の章」尾仲浩二・野町和嘉、「流の章」藤原新也、「響の章」星野道夫、写真に付された文章は、藤原新也を除いてすべて安藤康弘。季節の野鳥は「ツグミ」。休刊のお知らせによると、「諸般の事情により、次号(2020年春号)をお休み」、夏以降の発行については日本野鳥の会のウエブサイトで、あらためてご案内、とあった。


 
撮影・染々亭呆人 ↑

2019年12月25日水曜日

諏佐英莉「極月の手に硬き骨軟き骨」(『やさしきひと』)・・・



 諏佐英莉句集『やさしきひと』(文學の森)、帯には、

   マニキュアの蓋開いてゐる熱帯夜


 の句に、「第九回 北斗賞受賞」の文字があるばかりで、他には、流行りの惹句もなく、シンプルな作りである。著者略歴には、どこの結社にも属していないらしく、「無所属」とあった。なかなかに好ましい。序は、石川裕子。それには、

 諏佐さんと私が関わっていたのは、彼女が高校生の時、文芸部(正確には「書道文芸部」という名称でした)の顧問と部員という関係でした。(中略)前任者の転勤によって顧問を引き継ぐことになった私ときたら、俳句についてはまるで素人で、初めて生徒を引率した第六回俳句甲子園では、審査の先生に「五七五の間にはスペースを空けない」ということを指導されたことが今でも忘れられません。

 とある。 また、

 当時の彼女について覚えていることは、ソフトボール部と兼部していたこと、二年生の時に愛知県の高校生のコンクールの俳句部門で一席となり、翌年の全国高等学校文化祭の代表生徒となって弘前に引率したこと。(中略)そんな中でも特に、当時彼女が俳句を整理するのに使っていた紙ファイルに三橋鷹女の〈鞦韆は漕ぐべし愛は奪ふべし〉を書いていたことを印象深く覚えています。

 とあった。そして、著者「あとがき」には、

 俳句を作るとき、記憶の中の風景や感覚から作ることがしばしばある。記憶たちはなぜかとても鮮明で、たった今それを体感しているかのようにつるりと俳句になっていく。幼少期の記憶から作った句で主に構成した【黄色】、思春期の【反省文】、青年期の【素泊】、そしてごく最近の事柄を詠んだ【寒夕焼】の四章から成るこの句集には、匂いそうなほど私自身が存在している。

 という。ともあれ、集中より、いくつかの句を挙げておこう。

  ストローを曲げずに飲んでソーダ水
  死因はつきりしない金魚を弔ひぬ
  ゴミで押すゴミ箱のゴミ夏の果
  似顔絵を描かれるために取るマスク
  誘はれて春のゴリラを見にゆかむ
  万緑やかたきJRの座席 
  帰宅して五分で作る夏料理
  向日葵やいつでも会へるひとと会う
  秋麗やかばが水から出てこない
  冬ざれや新しい歯ぶらしに水
  絵本まづ献辞ありけり聖五月
  向日葵やくちびる薄き新生児
  思ふより軽き胎児や天の川

 諏佐英莉(すさ・えり) 1987年、愛知県生まれ。

2019年12月22日日曜日

大輪靖宏「道果てるまで月光を浴び行かむ」(『月の道』)・・



 大輪靖宏第5句集『月の道』(本阿弥書店)、集名に因む句は、

  月昇り海に光の道生まる    靖宏

 だろう。「あとがき」には、

 (前略)もともと私は国文学の教師であり、俳句も六十歳までは研究対象であった。自分で作ってみた方が俳句に対する理解も深まるだろうと作り始めた。(中略)自分の考える俳句というものが出来れば満足なのだ。
 こんな姿勢を押し通せるのも、私が俳句結社に所属したことがなく、俳句の上での師匠を持ったこともないからだろう。国文学研究として芭蕉や蕪村など江戸俳諧史には接し、そこから多くのことを学んだが、結局のところ俳句についてはまったく自分本位であって、自分の好みに合った句を良しとし、たとえ良い評価を受けた句であっても好みに合わなければ捨てるということをしてきた。つまり、この句集は自分の好みに合う句が一応一冊分になったということである。

 という。それでも、句を「共に作り合う仲間には恵まれて」いたといい、「この句集もそうした恵まれた環境に甘えてのものである。自己満足と言われても仕方ないが、ともかく満足しての句集である」と、さっぱりしている。そうしたマイペースの加減の良さが句句にも現れていよう。ともあれ、本集より、いくつかの句を挙げておこう。

  生は苦ぞ死は永遠の無ぞ実朝忌
  滝へ行かう二度と気弱にならぬやう
  鳴けよ鳴け死に急ぐなよ秋の蟬
  草木みな影持つ花野大斜陽
  雛もまたやや齢老いて日は暮るる
  正面を睨みて蟹は横へ行く
  蟻の列折り返し点なく続く
  蟷螂よ歌でもうたへ怒らずに
  山を出て春の水とて流れけり
  甲高き下校の子等の声は夏


★さらに、一書・・・大輪靖宏著『俳句という無限空間』(文學の森)・・・


 「俳句が内包する可能性を探る!」と、帯の背に惹句されているが、本書の内容は、その可能性を論じて前向きである。三章に分れているが、それぞれ、俳句にとって大事なことが平易に述べられている。講演録もいくつか収録されている。自身の蒙昧もあるが、愚生にはとりわけ、一章の「短歌の表現技術からみた俳句の特性」「江戸時代の文芸の新しさーその一、そのニ」で、〈物語的な女の描き方〉〈西鶴はなぜ遊女を描いたか〉〈西鶴の描き方〉〈近松の芸術論と芭蕉の俳論〉〈現実を描けない世界〉は興味深く読んだ。〈現実を描けない世界〉では、例えば、

 元禄時代の井原西鶴や近松門左衛門は、ほぼ現実をそのままに描くことができた。しかし、安永天明以降になると、為政者の締め付けが厳しく現実を描くことが難しなってくる。したがって、安永天明期の作者たちは、散文の上田秋成にしても、韻文の与謝蕪村にしても、戯曲の近松平二にしてもロマン的傾向が強くなる。あたかも現実を描いていないような作り方になるのだ。しかし、それにもかかわらず作者たちは種々の方法を用いて現実を描き出している。(中略)
 この『南総里見八犬伝)に描かれた世界も現実にはあり得ない世界である。善いことをした人間には必ず良い報があり、悪いことをした人間には必ず悪い報いがあるなどということは、子供でも少し成長してくれば、こんなことが現実にあり得ないことはすぐに知ってしまうだろう。まして大人になってなおこんなことを信じている人間はいないはずだ。だが、あえて馬琴は小説の中でそういう世界を作った。(中略)
 馬琴は自分の小説の百年後の効果を考えていた。『八犬伝』が読み継がれることによって、百年ののちには人々が善いことのみをしようと心がける楽園が出現する。そのときこそ『八犬伝』の真の価値を人々は認めてくれるだろう。馬琴が「百年の後、知音を俟て是を悟らしめんとす」と記した「隠微」にはこうした意味もあるのではないかと思う。

 と、述べられている。そして、教師(学究)生活のなかで、考えたさまざまのことが、芭蕉の言説に突き当たるとも記されてる。

 大輪靖宏(おおわ・やすひろ) 1936年、東京生れ。


撮影・鈴木純一 ↑

2019年12月21日土曜日

桑原正紀「使用済みのオムツを包む新聞の皺にゆがめる宰相の貌」(「俳句四季」1月号)・・

 


「俳句四季」一月号(東京四季出版)の記事のなかに「俳句と短歌の10作」競泳という企画が毎号あって、一月号は、桑原正紀と愚生であった。各人10首(句)とエッセイに加えて、当該作品に関するお互いのエッセイも付した、なかなか緊張する企画だったけれど、編集部からの依頼ながら、同年生まれのそれも、愚生にとっては、またとない競泳相手を選んで下さったものだと、感謝している。その彼が、遠出がなかなかできない事情を汲んでか、わざわざ愚生の住む府中まで出かけて来てくださった。恐縮の他はない。初対面であったが、愚生が仕事に入る前の午後の3時間余りをあったという間に過した。 
 

その折りに、第一歌集文庫(現代短歌社)の『火の陰翳』をも恵んで頂いた。そになかに、愚生のエッセイの「献上一句」と題した、

  死者たちの成らざる声や雪月花      恒行

 の本歌が収められている。

 死ぬことは〈言(こと)〉切るること使者たちの遂に成らざる声想ふべし  正紀

 が、そうだ。エッセイのタイトルにしたが、編集部は、最初、これがタイトルだとは思われなかったらしい。タイトルを付すよう求められた。愚生は、本歌の作者だけにはわかるだろう、と思い、この献上一句をタイトルにしておいたのだった。
 ともあれ、本誌一月同号より、いくつかの彼の歌と愚生の句を挙げておきたい。

 独り居のしづけき庭をよぎりゆく猫あり初日に毛をひからせて    正紀
 褻の食を済ませて施設の妻訪へりきのふのごとくをととひのごとく
 これの世のすこし外(はづ)れてゐる妻を車椅子にて乗せ初日に温む
 手を洗ふときいつまでも石鹸をこねこねこねこねこねまはす妻 
 山の端に落暉しづみ果つるまで見てをり余命などおもひつつ

 愚生の駄句は、

 一月はすでに汚れり香港革命      恒行

 に始まり、

 一月の神は知らずよ悉皆草木

 で終る10句である。

 桑原正紀(くわばら・まさき) 1948年、広島県三次市生まれ。



            撮影・一読者より 玉川上水 ↑

2019年12月19日木曜日

植松隆一郎「コンビニのアルミの柵のもがり笛」(第198回「遊句会」)・・・



 本日は、第198回「遊句会」(於:たい乃家)だった。兼題は「虎落笛」「鷦鷯(三十三才)」「日記買う」。空模様は時雨気味だった。以下に一人一句を挙げておこう。

  虎落笛別れ話もまぎれけり             石原友夫
  年毎に増える余白や日記買う            川島紘一
     日記買ふ亡父(おやじ)のペリカン似た癖字     橋本 明
  遺言の上書きせんと日記買う            石川耕治
       被災地に残る瓦礫や虎落笛             武藤 幹 
  停電の闇の底から虎落笛              渡辺 保
  終電のスマホの中のミソサザイ          植松隆一郎
  虎落笛忍者が来たと耳澄まし           中山よしこ 
  日記買うせめて埋めなむ松の内           山田浩明
  三十三才(みそさざい)泣く夏目雅子逝って三十三年 村上直樹
  半鐘の村の夕日やみそさざい            大井恒行

★番外欠席投句・・・・・
  
  日記買う表紙明るい色にする           春風亭昇吉 
  強がりも年季が入る虎落笛            原島なほみ
  君の声もう聞けぬ通夜虎落笛            林 桂子

  

☆閑話休題・・・「世界一小ちゃい!ミニ絵画展」(於:ギャラリー八重洲・東京)《12月16日~22日》・・



 「遊句会」の会場は、東京八重洲地下街にあるたい乃家。そこに行く途中に、ギャラ―八重洲・東京がある。確か先日、藤田三保子(山頭女)が、何かするようなことを、Facebookに書いていたな・・と思い。ちょっと寄った。たくさんの方々が出品されていたが、愚生は、手ごろな値段(500円)で藤田三保子(山頭女)の缶バッジ(上掲写真)をお土産に買った。



2019年12月18日水曜日

酒井弘司「十二月坂を登ってそうおもう」(『シリーズ自句自解Ⅱベスト100 酒井弘司』)・・



 『シリーズ自句自解Ⅱベスト100 酒井弘司』(ふらんす堂)、その巻末の「私の作句法」の部分に、

 そもそも俳句の言葉は、対象をなぞるために使われたり、伝達を旨に使われるものではなく、最短定型に収斂された言葉の衝撃や飛躍によって、そこにまだ見ぬ新しい世界、言語空間を現出するためのものであった。
 一見、俳句という最短定型詩は、だれにも書けるように見えて、それは多くの俳句に惹かれた人を裏切っているのかも知れない。もっと言えば、俳句をつくる多くの人が、俳句形式によって裏切られているという事実。そのことを知らずに作句することは無残である。まず、俳句は言葉で「書く」という自覚を持つべきである。
 季語にしてもそうなのだ。もともと季語は、長い年月を経て蓄積されてきた詩語であるが、その季語を約束として、あれこれ考えずに使っている。今一度、季語を言葉として捉えなおしてみては、どうだろう。それは詩語としての季語。季語を純粋に一個の言葉として考えなおそうとする。季語の象徴力の充実を指向するものである。そのことが詩語を自ら自覚して掴み取ると言う営為にもつながってゆく。その先に無季という視野も見えてこよう。

 と述べられている。そして、金子兜太の句の数句を引用したのちに、

 口語は、わたしたちの日常の言葉。これに、どう五七調定型を絡ませていくか。
必要に応じ口語も文語も自由に、句作をつづけてゆきたい。

 と、結ばれている。恣意的だが、次の句の自解を三つ挙げてみよう。

   樹に吊られ六月の死者となりうさぎ

 六月は、わたしたちの世代にとっては、重く苦い月。
 昭和三十五年、安保闘争のさなか、女子大生の樺美智子さんが亡くなったが、闘争に参加していた者にとっては忘れることのできない月。
 その六月が巡ってくるたびに、歳月が消してゆく悲劇を忘れるわけにはいかない。六月十九日、日米安保条約が自然承認されたことも。
 この句は暗喩。いつまでも鮮明にしておきたい一句である。
                 (句集『逃げるボールを追って』昭和四十年)


     長女、志乃
  朝のはじめ辛夷の空をみていたり

 長女は、信州飯田市の鋤柄医院で誕生した。昭和四十六年四月七日。(中略)
 名前の「志乃」は、「後漢書・耿弇伝」の「有ㇾ志者事竟に成」(こころざしあるものは、ことついになる)からの命名。      (句集『朱夏集』昭和四十六年)

  

  かたむいて傾き歩く晩夏かな

 俳人で詩人でもあった加藤郁乎さんには、若いころよく新宿近辺を連れまわされた。一軒飲んでも、そこで終りにならず、数軒のはしご。
 ときには、目黒の前衛舞踏家・土方巽さんの家まで深夜おしかけたこともあった。居合わせた澁澤龍彦さんに会ったのもこのとき。
 そんなとき、「きみら、傾かなきゃダメだよ」と、よく言われた。俳句を書くには、そんなに幸せでは書けないよ、ということでもあった。
                      (句集『青信濃』昭和六十一年)

 本集より、句のみになるが、いくつか挙げておきたい。読みやすい一本であるが、志鮮やかな一書である。

  寝ればなおちいさき母よイプセン忌
  虫の土手乾電池片手に駆けおりる
  麦の秋巨人は西へ去りゆけり
  天の川四人が睡る家の上
  人が人撃つこと止まずレノンの忌
  尾をもたぬことなど忘れ花の下
  この星のいのちはいくつ春立てり
  つくつくぼうし山より水を流す父
  黄落の地上どこまでも壊れ
  野の花のようになれたらまた一歩

酒井弘司(さかい・こうじ) 昭和13年、長野県生まれ。

  

2019年12月17日火曜日

檀一雄「モガリ笛いく夜もがらせ花ニ逢はん」(『檀一雄の俳句の世界』より)・・・



 二ノ宮一雄『檀一雄の俳句世界』(東京四季出版)、著者「あとがき」の冒頭には、

 私が檀一雄年生に初めて会ったのは、昭和四十三年(一九六八)一月六日の夜、東京都練馬区石神井の檀邸で擁された先生が編集発行人だった季刊文芸誌「ポリタリア」の創刊祝賀会であった。私は二十九歳で小説家志望の文学青年だった。檀先生は壮年の五十六歳でそれから七年後に亡くなるなどとはとても思えなかった。

 とある。檀一雄は昭和51年1月2日に死去し「花逢忌(かおうき)」という。愚生はかつて、眞鍋呉夫(天魚)には、レンキスト・浅沼璞に連れられて、関口芭蕉庵で、突然、連句をやらされたり、ご自宅に伺ったことがある。奥様の手料理もいただき、帰りには、手作りの漬物もいただいた記憶がある。第二句集句集『雪女』が出る前のことで、俳人としては、ほぼ無名だった(『雪女』は歴程賞、讀賣文学賞)。その眞鍋呉夫の最晩年、福岡市文学館で「檀と眞鍋」展が開催され、その図録の表紙には、

 君は、檀一雄に会ったことがない?
 それは可哀相ですね。
 いや、ひょっとしたら幸せかもしれないな。
                      真鍋呉夫
             
 と、記されていた。その檀一雄と二ノ宮一雄は「ポリタリア」の同人だった。そして、眞鍋呉夫とのことについても述べている。

 (前略)私は小説を六編掲載してもらった。とにかく当時の私は小説に夢中だった。
 が、事務局長を務めていた眞鍋先生が私たち事務局員(数年経って私はその一員に加えられた)五人を自宅に招待してくれたとき、
「句会をやりましょう」
と私たちに短冊状の紙片を配り、
「いつの季節のものでもいいので二句出して下さい」
と言った。
 真鍋先生のことを小説だけの人と思っていた私は、先生の最初の本が句集だったことも知らなかったので、奇異な感じを覚えた。(中略)
 そして、二十年後、何よりも自分自身が飯田龍太先生の詩魂に惹かれ俳句にのめりこむなどとはそれこそ夢にも思わなかった。

 眞鍋呉夫句集『雪女』の初版の帯文は飯田龍太だ。これも不思議な縁というべきかもしれない。本書は、二ノ宮一雄の主宰する雑誌「架け橋」に平成25年(6号)から平成31年(31号)まで連載されたものに加筆されたものである。




 現在、「石神井公園ふるさと文化館分室 特集展示」で「檀一雄の俳句の世界」が開催されている(上掲写真)。

 会期:10月5日~12月22日(日)
 会場:石神井公園ふるさと文化館分室展示室

 ともあれ、本書より、孫引きになるが、いくつか檀一雄の俳句を以下に挙げておこう。

  潮騒や磯の小貝の狂ふまで       一雄
  詩に痩せて老師身近し麦の笛
  手鞠つく童女一人居て櫨赤し
    ふみ九歳 誕生祝い
  姫うつぎ見つつ祝ぐ子の盛り
    太郎に
  地の果てに立つや虚空の石の色
    昭和四十五年四月4日 リツ子忌
  君去りていとど懈き花の色
    ヨソ子に
  白髪の共に混れば霜も花
  國敗れ妻死んで我庭の螢かな
  酒無しの我が眼に「酔」の青葉哉
  梟の夢にもたける鬼火哉
  寂しさやひとの行くてふ人の道
  無慙やな吹雪する夜の親の胸

二ノ宮一雄(にのみや・かずお) 昭和13年 東京都八王子生まれ。



2019年12月16日月曜日

成沢洋子「貫入の音のひびきや冬来たる」(第9回「ひらく会」)・・・



 本日は第9回「ひらく会」(於:府中・市民活動センタープラッツ)だった。愚生も含め、高齢化しているせいか、冬の時季には、手術とか、体調がすぐれずとか、なかなかフルメンバーにならないのは仕方の無いところか・・・。というわけで、人数が少なく、いつもの3句出しにプラスして、急遽席題、歳時記のページ開いたところの言葉「月」の一句を各自作った。ともあれ、以下に一人一句を挙げておこう。

   嬉しくも二重に見えて望の月       渡辺信明
   冬めくやろくろの上の土の冷え      成沢洋子
   極月に聞くなくしたかかくしか     中西ひろ美
   味染(し)まぬ蒟蒻君は孤高の士     武藤 幹
   薄板(はくばん)の微笑仏ぞ姫トクサ 救仁郷由美子
   
   アマルティァ
   ガニメテ
   エウロパ
   影長し                鈴木純一

   唄うな希望!にっぽん革命 文徒に雪  大井恒行 



★閑話休題・・羽村美和子「濡れ縁だったり瑠璃蜥蜴だったり」(「ペガサス」第6号)・・・


 「ペガサス」第6号(代表・羽村美和子)、年3回刊ながら、順調に号を重ねている。羽村美和子の「雑考つれづれー三橋鷹女を追って」の連載も6回目である。ともあれ、同人の一人一句を以下に挙げておこう。

   大花野風とワルツを踊ろうか     浅野文子
   身に入むや杉二、三本倒れ伏す    檜垣梧樓
   箪笥より戦争覗く敗戦忌       東 國人
   雁来る異国の種子を隠し持ち    伊藤左知子
   この星を使い果たして柿紅葉     岡田淑子
   チャンバラを知らぬ子らと西瓜割り  金子未完
   乾杯はバカラのグラス星とぶよ     きなこ
   八月の傾斜の中を陽は昇る      篠田京子
   青い糸吐き出すミシン銀河濃し   瀬戸優理子
   母還る処は花野でありますか     髙畠葉子
   敬老の日昔ゲバ棒今スマホ     徳吉洋二郎
   山眠る身の襞たたみ切れぬまま    中村冬美
   流星群両手指より羽になる     羽村美和子


 
撮影・鈴木純一 カモシカ ↑

2019年12月13日金曜日

ふけとしこ「野菊とはここで別れる右へ行く」(「ほたる通信」Ⅱ《88》最終号)・・



 「ほたる通信」Ⅱ 2019・12《88》最終号、福家登志子(ふけとしこ)の葉書通信である。

 さてこの通信、めでたく八十八になったところで終りにしたい。今迄のお付き合い有難うございました。

 とある。そのほかに、以下のようなことも書かれている。

 俳句における文法の指摘が厳しくなってきた。歳時記の例句の取り消しということも起きている。(中略)
 平成十五年出版の『新版 角川俳句大歳時記)を改訂するとの連絡。詳細はまだ不明だが季語解説を改稿せよとのことである。例句の見直しも云々とある。新しい作品が取り上げられるのはいいが、こ文法上の問題から消される作品も出てくることだろう。髙柳克弘著『蕉門の一句』の中に〈私たちは文法のために俳句を読み、作っているのだろうか?答えは否〉のくだりがあった。私はこちらに納得する。

 同感である。ともあれ、以下に通信のその他の句を挙げておこう。

      綿虫に
   猿の腰掛石ころを載せてある
   菊の匂うて腓返りの治まって
   切羽つまつて冬たんぽぽへ屈む
   先生を見たかと綿虫に問うて
   顏描いてみたきと蕪撫でながら

 「船団も終刊するという。お疲れさまでした。



★閑話休題・・・堀田京子作・味戸ケイコ絵『ばばちゃんのひとり誕生日』(コールサック社)・・・



 葉書通信・88と、ばばちゃん・77のゾロ目つながりで・・・冒頭の数行から、幾行かを以下に引用しよう。たくさん読んでみたくなった人は、版元に直接お求め下さい。

 わたしのあだなはばばちゃんです。
 わたしをばばちゃんと呼(よ)んでくださいね。 

 きょうはばばちゃんの77回(かい)めの誕生日(たんじょうび)
 ひとりでむかえる誕生日(たんじょうび)です。
    (中略)
 亡(な)くなった夫(おっと)の写真(しゃしん)を、
 ケーキのとなりにそっとおきました。 
    (中略)
 ばばちゃんは28歳(さい)になり、
 あかちゃんをさずかりました。
 生(う)まれてきたいとしいわが娘(むすめ)
 お父(とう)さん似(に)のあかちゃん。
   (中略)
 しかしセピア色(いろ)した写真(しゃしん)のなかで
 夫(おっと)はいつもほほえんでいます。
 「あなたのおかげで今(いま)もしあわせです」と、
 ばばちゃんはつぶやきました。
 ねこのミイヤはざぶとんのうえでまるくなっています。

 ばばちゃんはきづきました。
「わたしはひとりではない」と。  
   (中略)
 ばばちゃんは夫(おっと)の写真(しゃしん)に手(て)をあわせ、
 ワイングラスをりょう手(て)に、おおきいこえで
 「かんぱい」
 ケーキをいただきながら、ほろよいきぶんで
 「海(うみ)の歌(うた)」をうたいました。(後略)

 堀田京子(ほった・きょうこ)1944年、群馬県生まれ。
 味戸ケイコ(あじと・けいこ) 1943年、北海道生まれ。


撮影・鈴木純一 ↑

2019年12月12日木曜日

筒井祥文「そうと決まってヒコーキを遺書で折る」(筒井祥文川柳句集『座る祥文・立つ祥文』)・・



 筒井祥文川柳句集『座る祥文・立つ祥文』(筒井祥文句集発行委員会)、「あとがき」は樋口由紀子。それには、

 「好きなことをして、人にも恵まれて、いい一生だった。しかし一つだけ悔いがある。それは句集を出せなかったことだ。」と祥文さんはつぶやいた。(中略)
「座る祥文」は『セレクション柳人 筒井祥文集』から。「立つ祥文」はそれ以後の川柳である。(中略)祥文さんのはにかみのある笑顔を思い出す。饒舌ではないがあたたかさがあった。その存在がとてつもなく大きかったことを実感する。祥文さん、みんなで作ったよ。

 とある。従って、本集は遺句集である。挟み込まれた「筒井祥文川柳句集発行委員会」の便り「筒井祥文川柳句集 発行にご協力いただいた皆さまへ」には、

 今後落ち着きました暁には、筒井祥文の命日である3月6日を駱駝忌と名付け、「句会」或いは「ふらすこてん同窓会」的なものを開催できればなどと思っております。

 ともあった。また、巻頭には、倉阪鬼一郎『猫俳句パラダイス』(幻冬舎新書)からの、抜粋が掲載されている。その句と文を以下に引用しよう。

  こんな手をしてると猫が見せに来る     筒井祥文

(中略)〈よろこびのびの字を猫が踏んでいる〉
 これもおかしくて。どこかおめでたい一句。紙の上が好きな猫が「び」の字を踏んで隠しているとも知らず、きょとんとしています。
    〈捨て猫と奇人変人展へでも〉
 こういった奇想をさらりと表現できるのも現代川柳の強みです。奇人変人展には、ほかならぬ作者も展示されていそうです。


 ともあれ、集中より、いくつかの句を挙げておきたい。合掌。

   ボロボロになったものなら信じよう      祥文
   絶景に吸いこまれたということに
   有りもせぬ扉にノブを付けてきた
   天国の破片は出土しましたか
   いつも硝子は割れようと思っている
   ありがとうございましたは捨て科白
   どうしても椅子が足りないのだ諸君
   無い袖を入れた金庫がここにある
   哲学の道にうっかり出てしまう
   大きなことを小さな文字で書く人だ
   仏壇の奥は楽屋になっている
   靴を売る店員がいず客がいず
   死ぬまでのその夜その夜に通す腕

 筒井祥文(つつい・しょうぶん) 1952年5月~2018年3月。京都市生まれ。



撮影・染々亭呆人 竜安寺 ↑

2019年12月11日水曜日

諏訪洋子「断層に凍蝶あまた抑留史」(「サンチャゴに雨が降る」創刊号より)・・



 「サンチャゴに雨が降る」創刊号(編集・発行 江里昭彦)、江里昭彦の個人誌で年一回刊、サブタイトルに「俳句+評論+資料」とある。誌名は同名の映画に由来する思われるが、愚生は映画に詳しくないので、想像でいうのだが、誌名にしたくらいだから、映画の内容とリンクする、江里昭彦流の比喩が込められているにちがいない。
 本号に江里昭彦の句作品はなく、彼のエッセイ、評論、書評など、内容は盛りだくさんで、さしずめ、江里の一冊の書物を読むような感じである。ちなみに、収められた散文の題をあげると「笑いながら塚本邦雄からたち去る」「非武装地帯へ行ってきた」「靴、履物、そして裸足ー映画『1987』について」「散文の時間『同時代人の肖像』フランツ・ブライ」「散文の時間『カタツムリ』辻井喬」「めでたさもちう位なりおらが春ー二〇一九年参院選について」「詩歌の時間『月下の一群』堀口大学/石垣りんの詩」「光州事件を記憶する」「辺野古新基地は難破船と同じ きっと海に沈んでゆく」など、j時事的、政治的発言を多く記している。
 なかでも印象に残ったのは「めでたさもちう位なりおらが春―二〇一九年参院選」を分析し、今後の展望について、23ページに渡って書かれた論には訴求力がある。江里昭彦は、愚生と同じ山口県生まれであるが、彼は今、故郷の宇部で発信を続けている。山口県は言わずと知れた保守王国。安倍晋三は衆院山口4区であり、すでに、次の選挙では、れいわ新選組が、野党共闘が実現するのであれば、安倍に対抗する候補者を擁立するとるとまで、噂ながら伝え聞いている。その「れいわ新選組」については、

  (前略)山本太郎は「敗者、弱者こそここに集まれ」と呼びかける。株価上昇で羽振りのいい連中、華美な消費で人生を楽しんでいる輩は来なくていい!困っている者、人生がゆき詰っている者、不安に押し潰されそうな者よ、ここが君たちが自信を取り戻す場所だ、と。こういう語り口、こういう誠実さで話かける政治家は、いままでいなかった。政治演説の基調は、どの政党も「私たちは解決策を知っています。だから私たちを応援して下さい」である。無意識のうちに上下関係が設定されている。れいわ新選組は違う。「立ち上がるのは君だ。実行するのは君だ。そのために自己肯定感と自信を保ってほしい」と、呼びかける。このように、れいわ新選組の展開する選挙活動は、一種の「精神の立て直し」運動の側面を有していることにも注目しておこう。

 と述べる。そして、結論は「五〇〇〇万の棄権層に地殻変動を」で、


(前略)政治視界がすっきりし、構図が定まった。つまり、どの方向へ進んだらよいか、何をなすべきか、誰が援軍としてあてにできるのか、についてもうこれまでのように悩まなくてすむだろう。
 その一方で、五〇〇〇万もの膨大な棄権層に働きかける労苦を思うと、そのめでたさは「ちう位」にまで減じるのだ。でも展望と可能性はある。(中略)

 といい、内田樹の新自由主義グローバリズムの本質「私たちの国で今行われていることは、つづめて言えば『日本の国富を、各国(特に米国)の超富裕層の個人資産へ、移し替えるプロセス』なのである」の言を引用し、

 そっぽを向いている五〇〇〇万棄権層にむけて、「あなたたちの富についてもそうなのですよ」と訴えることができる。これ以上貧しくなりたくないなら、これ以上将来の不安で心を苛まれたくないなら、ともに行動しましょうと、呼びかけることができる。
 五〇〇〇万棄権層のなかに地殻変動を起こすことができるか否か、取り組みは始まったばかりである。

 と結んでいる。詳細は、是非、本誌を手にとられたい。同封のコピーのメセージには、

 世界の良心が香港を注視している/香港を見殺しにしてはならない/中国の覇権と暴力に抗する/アクションを起こそう/習近平が、催涙弾の臭いをぷんぷんさせて、日本に来ようとしている

 とあった。ともあれ、ゲスト作品の俳句のなかから、一人一句を挙げておこう。

   つぎつぎと押されてゐたるきのこかな    金山桜子
   日月の齟齬や鬼やんまのあぎと       諏訪洋子
   一日が一日のまま過ぎる        西躰かずよし



撮影・染々亭呆人 落柿舎↑

2019年12月9日月曜日

夏井いつき「野の枇杷のまぶし野の雲猛々し」(「夏井いつきさんとの夕べ」)・・


「件の会」の面々↑
左より山下知津子・細谷喨々・西村和子・橋本榮治
仁平勝・榎本好宏・井上康明

 
夏井いつき ↑


 本日は、夕刻より「第16回さろん・ど・くだん『夏井いつきさんとの夕べ』」(於:山の上ホテル)だった。当初の予定では黒田杏子との「師弟対談」が15分、その後を「夏井いつきのプロジェクト」と題しての講演の予定だったが、黒田杏子入院のため、急遽、夏井いつき独演会になった。とりわけ、第一次俳句甲子園の挫折、そして、第二次、第三次俳句甲子園へのストーリーは、興味つきないものだった。なかでも、夏井いつきが、俳句甲子園は、あくまで高校生の教育現場としてある、と述べたことには、ブレない姿勢が覗われた。逆転人生・・。




 黒田杏子の救急入院については、聖路加国際病院の細谷喨々が、2泊3日、明日には退院すると報告し、黒田杏子のメッセージ(上掲写真)を読み上げた。愚生は、最近「件の会」に出向いていなかったので(高野ムツオの講演以来)、仁平勝、西村和子、山下知津子、駒木根淳子などの面々には久しぶりに、まとめてお会いした。喨々の言うように、黒田杏子のたいしたこと無きを祈ろう。




 参加者のなかでは、関西から藤川游子に会い、久しぶりに遠山陽子をはじめ、酒巻英一郎一行の今泉康弘、表健太郎などにも会えた。また、芳賀徹、髙橋睦郎、後藤章、中西夕紀、佐藤明彦など、そして、一月号から3か月間、愚生が鑑賞文を書かせていただく「門」誌の鈴木節子、鳥居真里子には、門人の方々を紹介していただいた。
 ともあれ、夏井いつき『絶滅寸前季語辞典』(ちくま文庫)のなかから彼女の句をいくつか挙げておこう(カッコ内が絶滅寸前季語)。

   愛林日なり風にとぶ紙コップ    (愛林日・あいりんび) いつき
   清明やミドリ十字のはためける   (清明・せいめい)
   金魚玉磨く青空容れるため     (金魚玉・きんびょだま)
   寒紅売の身の上ばなし信ずるな   (寒紅売・かんべにうり)
   玄帝にしづかな水を捧げたり    (玄帝・げんてい)
   祖父の帳面に流黐の図解      (流黐・ながしもち) 
   童貞聖マリア無原罪の御孕りの祝日日和とはなれり
      (童貞聖マリア無原罪の祝日・どうていせいまりあむげんざいのおんやどりのいわいび)
       
夏井いつき(なつい・いつき)1957年、愛媛県生まれ。俳句集団「いつき組」組長。



撮影・染々亭呆人 ↑