2019年12月26日木曜日

藤田哲史「レーウェンフック氏自作ルーペニ露ヲ検見(ケミ)ス」(『楡の茂る頃とその前後』)・・



 藤田哲史第1句集『楡の茂る頃とその前後』(左右社)、その帯の惹句は、

 存在の眩しさ/そして儚さをめぐる/264句。 

 この明るさを/どこかで知っていたような/気がして、/それは何であった
 だろうかと、/しばらく考えていた。             ---鴇田智哉

 と記されている。そのように、投げ込みの栞文は鴇田智哉「ある日あるときの」、生駒大祐「天体から冬木へ」。生駒大祐は言う。

  卒業の泪のあとの食事です       「ラッシュ」
  今はない展墓の道の椚(くぬぎ)です  「ラッシュ」
  お座なりの如雨露の内も氷です     「ラッシュ」

 これらの句をどう読めば良いのであろうか。例えば、飯田蛇笏の『霊芝』のある時期などに見られる句末の「かな」の多用が影響していることを考えてみることが出来る。この章だけを見れば、蛇笏の格調高い文体を口語に移植し、味付けを変え、「かな」を「です」に置き換えた可能性も有り得ないことではない。しかし、句集全体を俯瞰するとその読みは些か浅いように思う。まず、これらの句の「です」を「かな」に置き換えた時の読後感の違いは無視し得ない。さらに、前章の「言う」はそれまでの章から一転して新仮名で書かれ、文体もほぼ口語である。(中略)これらに対して僕はある仮説を持っているが、ここでそれを披露することはしない。それは句集の栞の領分を逸脱しているし、この「です」の是非がフラットに論じられることこそが俳句への真の貢献になると信じるからだ。

 ともあれ、以下に、愚生好みの、いくつかの句を挙げておこう。

  極暑なり店に写真機の目目目目目         哲史
  菌美(は)し人を母として冥王素(プルトニウム)
  いざよいのしろい布巾にしろい卵(らん)
  タイピングあるとき止まり彼は咳
  風船をみすみす逃す日の終わり
  ポスターも凩責めの砌です
  吶吶と信書仕分けの夜業です
  薪割りが十一月の全てです
  あたたかし湯に樹脂製の鶩(あひる)の黄
  師走なり不眠続きのゼリー食
  改札を何故急くモッズコート紺
  人体の焼却事務を白雨に待つ
  静物に蟷螂紛れ描かれざる
  降るすべて紫黒の海に溶け入る雪

藤田哲史(ふじた・さとし) 1987年、三重県生まれ。


  ★閑話休題・・「Toriino(トリーノ」53号冬号、Free「自然が織りなす4つの楽章」、本号で休刊!


「T0riino」は公益財団法人日本野鳥の会のフリマガジンである。毎号の写真と絵を楽しみにしてきた。4つの楽章とは、「彩の章」入江泰吉、「憶の章」尾仲浩二・野町和嘉、「流の章」藤原新也、「響の章」星野道夫、写真に付された文章は、藤原新也を除いてすべて安藤康弘。季節の野鳥は「ツグミ」。休刊のお知らせによると、「諸般の事情により、次号(2020年春号)をお休み」、夏以降の発行については日本野鳥の会のウエブサイトで、あらためてご案内、とあった。


 
撮影・染々亭呆人 ↑

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