2019年8月29日木曜日

仙田洋子「くすぐつてあやしてからすうりの花」(『はばたき』)・・



 仙田洋子第四句集『はばたき』(角川書店)、集名の由来については、著者自身が、

 今回の第四句集には、基本的に二〇〇五年から二〇一二年までの作品を収めた。『はばたき』という句集名は、二〇〇五年から愛すべきインコ達が家族に加わったこともあり、また毎日のように庭に野鳥達が来てくれることもあり、〈はばたきに耳すましゐる冬至かな〉からとった。

 と、記している。また、「あとがき」後半になると、

 穏やかな時間が流れているように見えながら、人生の地雷は日常生活の何処に隠れているかわからない。「銀貨」の章の〈友よかの世の空も夕焼けてゐますか〉以下六句は彼女を悼んで詠んだ夥しい数の句から選んだものだが、どれだけ言葉を尽くしても、どれだけ空を仰いでも、友を蘇らせることはできない。

 と、悲痛に語っている。愚生より一回り以上若い仙田洋子にも、禍福を含めて、人生の巡り合わせが訪れているのだろう。帯の惹句には、

 前句集から11年。ユーモアと独自の眼差しで詠んだ、詩情と愛が溢れる珠玉の作品集。

 とある。それでもまだ、本集には収録されなかった2013年以後の句が多く残されているようだ。刊行が待たれる。ともあれ、以下に愚生好みに偏するが、いくつかの句を挙げておこう。

  白鳥の首よこしまな曲りやう       洋子
  背泳ぎのひとかきごとに曲りけり
  海鼠らのじつと開戦前夜かな
  たんぽぽを摘みためて母訪ねけり
  秋の暮足遅き子はさらはれて
  綿虫のなきがらを見ることもなし
  うすものやくるみ殺すといふことも
  くすぐつてあやしてからすうりの花
  戦没の手のからみつく浮輪かな
  鍵盤に並べなら・かし・くぬぎの実
     悼・脇祥一さん
  花八手よりもしづかに逝かれけり
  初明り死にたての死者手を挙げよ
  虹二重てふてふには遠すぎる
  冬桜涙だんだん大粒に
  
仙田洋子(せんだ・ようこ) 1962年、東京都生まれ。



2019年8月27日火曜日

板倉砂笏「骨壺に琥珀一個や初紅葉」(『壺の中』)・・



 板倉砂笏第一句集『壺の中』(ふらんす堂)、集名は、

  三秋の人ごみの中壺の中      砂笏

 よるもの。序は佐々木六戈「壺公の俳諧」、その中に、

 (前略)所謂、壺公の壺とは彼自身の壺中の天であったのである。この話は葛洪の『神仙伝』に出てくる。板倉砂笏さんの集の由来もこのあたりにあるのだろう。彼はそれを〈三秋の人ごみの中壺の中〉と詠み流した。ところで、壺の中と壺の外は瓜二つの世界であり、壺の中は壺の外が入籠になっているだけのこと。何となれば壺の外も壺の中もたった一つの世界のリバーシブルなのである。そこを仙人は、否、俳人は出入りするのだ。但し、中も外も寸分違わぬ世界を俳人は俳句の分だけ変身を繰り返しながら。

 とあり、本集、帯文には少し変奏させて惹句にしている。また、跋はかとうさき子、それには、

 (前略)そして既にお分かりのように、《砂笏》、かの蛇笏の名を(臆面もなく)思わせて憚らない。飄々と平然と蛇笏というその偉大な手の平から、砂のこぼれ落ちることを楽しむ風ではないか。だが実はこの人、俳人というよりは、寧ろ詩人の範疇で呼吸をしている人物と言った方が的確かもしれない。句歌詩帖「草藏」では、詩にもっとも近く創作をつづけて来た人である。

 と記されている。著者「あとがき」には、

 (前略)三度の転校は、孟母の三遷ではなく、父親の転勤によるものでしたが、思い出すことができない記憶の彼方、鄙の里での日々を、いまにして想像・創造したいものと思っています。創り出したものこそが、その影の部分を含めて、「私の歴史」だと思うからです。

 とあり、幼年を創造し直すとの謂いに、志賀康の「青山脈や育て返さんわが二歳」(『返照詩韻』風蓮舎刊」)の句を思ったりした。ともあれ、集中より、いくつかの句を挙げておこう。

  炎天の凄きを飲みし野点かな     
  穀象を探し出しては翫ぶ
  草取るや取れぬものありそのままに
  秋めくや部屋の片隅おそるべし
  一畳の落葉の山を作りけり
  誕生日没年までの冬薔薇
  立春や落雁の鶴口中へ
  花びらをなぐさめもせず花曇
  仰ぎ見る部屋の片隅春の闇
  坪庭に骰子もあり風光る
  忖度と書けぬ人みな万愚節

 板倉砂笏(いたくら・さこつ) 1947年、山梨県生まれ。

2019年8月26日月曜日

橋本七尾子「回覧板回せ隣りの惑星に」(「円錐」第82号)・・



 「円錐」第82号(円錐の会)、今号の目玉は「第三回円錐新鋭作品賞授賞者最新作掲載」である。そぞれの句を挙げると、

 ・花車賞(澤好摩推薦)受賞者
   亀鳴くや※CM上の演出です       神山 刻
 ・白桃賞(山田耕司推薦)受賞者
   向日葵や体を撃ちまくるゲーム     西生ゆかり
 ・特別賞(編集部推薦)受賞者
   焦螟裂ける雨あがりなり         中山奈々

  なかに、待望の今泉康弘第一評論集上梓の予告広告とともに、これを読めば、今度出る評論集の中身のおおよそが知れるという紹介があり、山田耕司「それこそ今泉康弘-評論抜粋およびエッセイ一挙掲載」とある。その書名は『人それを俳句と呼ぶ』(沖積舎)。今年秋刊行とあるから、もう刊行目前ということだろう。山田耕司が冒頭に、「今泉康弘にとって大きな事件である」といい、「同時に、俳句という文学領域にとっても大きな事件であるとあえて申し上げることを許していただきたい」と、友情厚く述べているが、本誌に抜粋引用されている目次のなかで、唯一、ブリジット・フォンテーヌの「ラジオのように」を論じたであろうものだけは引用されていない。本書を期待して待ちたい。ともあれ、同人諸兄姉の一人一句を以下に挙げておこう。

  草刈機止め反核を主張せり         味元昭次
  平成の終の櫻を大手門           小倉 紫
  母の日の母とおとぎの汽車に乗る     原田もと子
  あじさい山憐れみの令の中にいる     橋本七尾子
  極東に掃き寄せらるる螢たり        山田耕司
  けものらは手づから滅び花辛夷      荒井みづえ
  水平に日を分け合うて野水仙        丸喜久枝
  腋の下に平熱があり土用凪         立木 司
  種袋の闇から朝を出してやる        栗林 浩
  寛げる青大将と目が合ひぬ         後藤秀治
  竹皮を脱ぎ残照を羽織りたる       田中位和子
  なきがらに仰臥を強ひる花の昼       大和まな
  狭庭の程好い所蟻地獄           江川一枝
  鴨残る郵便番号一一〇(いちいちぜろ)   小林幹彦
  短夜の手枕に老い泯びゆく         横山康夫
  けつたいなお面の笑う屋台かな       矢上新八
  不戦不敗日照りの黒潮部隊かな      三輪たけし
  夏草やのらくろ胸に星ひとつ       山﨑浩一郎
  朝涼のあたまと枕別にあり         澤 好摩
  主は雨に来ませり「起きろ、死ぬ時だ」   今泉康弘
  おぼろ月神樹(かむき)は乳を垂らしたり 和久井幹雄


  

2019年8月24日土曜日

秋谷菊野「AIが被曝する日のさるすべり」(現代俳句協会「第25回特別研修会」作品より)・・


選者、左より宮崎斗士・長井寛・松下カロ・伊藤眠↑
会場風景↓


 本日は、現代俳句協会通信俳句会第25回特別研修会(於:台東区民会館特別会議室)が行われた。今期の講師が愚生と伊藤眠。前期が松下カロに山本敏倖である。他に特別選者が「現代俳句」編集長の長井寛と研修部長の宮崎斗士。愚生は、10年前に一度経験させてもらっているが、その時は、先般、亡くなられた大牧広と一緒だった。九州など遠方から参加された方々もおられ、愚生も歳を重ねた分だけ、大事に、有意義に過ごさせていただいた。なにしろ、愚生自身はいっこうに、句が巧くならないけれど、これまで多くの句を見てきたせいか、句を見る眼、句の良し悪しだけは少しは分るようになったような気がする(自賛?)。良い句の方はともかくとして、ダメな句だけは分別がつくようになった。飯田龍太は、自分の句はけなされてもなんともないが、選句をけなされることは許しがたい、と言っていたように思うが、選句には自信と誇りをもっていたのだ。本句会の高点句はいちいち挙げられないが(ちゃんと記録しなかったので)、愚生の選んだ10句(特選はブログタイトルにした)と各選者の一人一句を以下に挙げておきたい。

  この場所もいづれ忘れる葉鶏頭    山﨑加津子
  ざらざらと紫陽花毀れそうな夜     田中朋子
  米軍のフェンスの高さ沖縄忌      飛田伸夫
  これよりは持てぬ軍刀終戦日       〃
  蝸牛あゆむ間違つてはゐない    長谷川はるか
  幻聴だったかも知れない黒揚羽     吉田典子
  家族というシナリオのまま新茶かな   宮崎斗士
  病葉のひと日ひと日に踏んでおこう   磯部薫子
  帆船のリギンの張りや雲の峰      荒井 類

  秋澄んで魚は水を忘れおり       長井 寛
  ラムネ玉ころっと本音反抗期      宮崎斗士
  祭笛つひに琥珀となりにけり      松下カロ
  東京もひとつの地方魂送り       伊藤 眠
  さよなら八月あまたのうらおもて    大井恒行


2019年8月23日金曜日

筑紫磐井「さうですか、第二藝術になりましたかと扇ぐなり」(「オルガン」18号より)・・



 「オルガン」18号(編集・宮本佳世乃、発行・鴇田智哉)、特集の座談会が二つある。一つは「オルガン17号の座談会にこたえて」で、筑紫磐井VSオルガンのメンバー。もう一つは「石寒太からの質問状」で、石寒太VSオルガンのメンバー。双方とも読み応えがある。本ブログでは、紹介するにも限界が大ありなので、それぞれチョッピリ紹介しておきたい(あとは本誌に当られたい)。


福田 (前略)この『婆伽梵)にも、〈静かに汗す風月堂の氷菓(アイス)かな〉、〈多産の夏貯蓄に励め少国民〉や〈八月は日干しの兵のよくならぶ〉など、より近代的なイメージが現われてはいますが、句集として読んだ場合は、『筑紫磐井集』のなかに入っている『花鳥諷詠』で、舞台が大きく変わるという感じがします。王朝文学のパロディをやった延長線上に、高濱家パロディがある。(中略)
筑紫 (前略)下手すると新興俳句に引きづられちゃうというのだけは嫌だなと思っていました。一番対極をなすのが、花鳥諷詠の世界ですよね。花鳥諷詠を尊敬している人・猛反発している人は多いけれど、斜に構えて利用している人はいない。高濱家のホームドラマを最初は書いてみたかった。テーマが変わればおのずと文体も変わります。

 その他、鴇田智哉の倫理的な囲いを感じさせる「不謹慎」の有り様、対して「不謹慎」であってなぜいけなのか論争に発展?・・、あるいは田島健一の「素材が社会性を帯びるのは作者の態度によるのではないですか?」という筑紫磐井への批判に対する筑紫磐井の反論など、興味は尽きない。
 もう一つの座談会。石寒太も若い世代に対して、けっこう真っ向から質問していて、こちらの座談会は俳句作法に直接かかわっていて、これも興味深々だった。愚生も実作者の一人なので、どうしても、若いと言われる人たちの俳句の言葉が、ただ今現在どのようなところから発せられているのか、また発せられた言葉はどのような回路で紡ぎ出されているのだろうか、ということについて、しかも、ただ今現在を、まっさらな俳句の言葉としどれほど関わりをもてているのかについては、愚生にとっても、自らを鼓舞できる希望を与えてくれる。まあ、痩せ我慢の強がりのよううなものであるが・・。

鴇田 (前略)僕自身が兜太さんと違うところは、土着的なリズムとかそういうことではなく、十七音がたまたま与えらていたので、そのなかでやっているうちにポエジーの生じる場に出会えることに気づいたということです。俳句のリズムについていろいろなことを言う人がいて、よく、五七五の背後にあるのは四分の四拍子という偶数拍の三小節だ、という説が言われていますが、あれには僕は反対です。(後略)

 これに似たことで、よく「俳句は十七文字」という人がいるが、愚生は鴇田智哉と同じで、あくまで「俳句は十七音」を基調としていると思っている。あるいはまた、

鴇田 (前略)「中心のない俳句」は私が考えたもので、碧梧桐の「俳句無中心論」とはまったく別のものです。特別な存在としての単語(季語・キーワード)が不在で、言葉と言葉の引っ張り合いだけがあるような句を私は想定しています。〈回るほど後ろの見えてくる疾さ 智哉〉という句ができたときにそれを直感したのです。(後略)

 と、語っている。ともあれ、同誌本号より一人一句を挙げておこう。

  山鳩の三羽のこゑが三角に       鴇田智哉
  雲のなかをこみあげてくる夏の月    福田若之
  ビール買ふ袋に伸びてゐうセロリー  宮本佳世乃
  夏つばき庭を出てゆく人の数      田島健一



2019年8月19日月曜日

井口時男「多摩川に無神の自裁雪しきり降る」(『大洪水の後で』より)・・



 井口時男『大洪水の後で』(深夜叢書社)、ブログタイトルに挙げた句は、集中「自死とユーモアー西部邁の死について」の文中、「西部邁の死に捧げた私の句である(句集『をどり字』所収)」とあるというものである。中に、

 (前略)ユーモアとは「こわばり」をやわらげるものだ、と私は椎名麟三から教わった。ユーモアは人間の愚かさ(有限性)の自覚に立脚する態度であり表現であり、だから自己を相対化し、地上のいかなるものの絶対化にも反対するのだ。ユーモアは批評を含むが、ユーモアの批評は愛を前提とし、愛を失えばアイロニーとなる、というのも椎名麟三に教わったことだ。

 と、また、

(前略)近年の私が俳句を好む理由の一つもそこにある。俳句は無神論的ユーモア表現の最も簡便な具として最適だと思うのだ。私にそれを示唆してくれた柄谷行人の「ヒューモアとしての唯物論」も、死という絶対なるものと向き合いつつ自己を客観化しつづけた正岡子規の写生文の分析から書き出されていた。

 と記している。愚生は、この一句に、これもやはり自裁した野村秋介の「俺に是非を説くな激しき雪が好き」の句を思い起こしていた。彼、野村秋介は平成5年10月20日、朝日新聞社東京本社において二丁の拳銃で自決した。享年58。(群青忌)。その一週間前に、辞世のように句を残している(のちに縁あってその辞世の25句を読ませていただいたことがある)。その最後の句が、

  惜別の銅鑼は濃霧のおくで鳴る     秋介
  赤蜻蛉 あばよこの世に未練なし
  日本の愚の中にゐて柿を喰ふ

 であった。 辞世の歌は、

  さだめなき世なりと知るも草莽の一筋の道 かはることなし  秋介  

 である。
 ところで、話を元に戻すと、本書は1988年から2018年の31年間、「ほぼ昭和の終りから平成の終りまで」の「時評的な小文を中心に集めた。ただ出し遅れの古証文ではなく、今日の状況とリンクしつつ『現代文学三十年』の流れを概観できる一冊になっていれば幸いである」(「あとがき」)と記されている。そして、帯文の惹句は、

 状況という磁場から/俺に食ひ気があるならば、まず石くれか土くれかーランボオ/
 存在論的な飢えと形而上学的な夢を彫塑した、現代の〈深夜版〉的証言(齋藤愼爾)。
 ポスト・モダンの浮力に抗して、ぶれず、媚びず、群れずーー貫く批評精神。

  とある。言い得ていよう。本著の背には「平成文学三十年の総括」とある。

  井口時男(いぐち・ときお) 1953年、新潟県生まれ。

2019年8月18日日曜日

村上直樹「ひとりひとり、ひとりひとりの風の盆」(第194回遊句会)・・

 
  
 「朝日俳壇」8月11日(日) ↑
蟬しぐれ「世論」のように数日間 
             (国分寺市)武藤 幹

 先日の敗戦記念日15日(木)は、奇しくも第194回遊句会(於:たい乃家)だった。上掲の写真は、会場風景を撮り忘れたので、11日(日)付け朝日新聞「俳壇」、高山れおな選に入選した遊句会の武藤幹「蟬しぐれ『世論』のように数日間」の句の記事を載せた。
 ともあれ、以下に一人一句を挙げておこう。兼題は「法師蟬」「鰯雲」「風の盆」。

  鰯雲祖父の自転車空の魚籠(びく)    山田浩明
  長崎のクルスを抱(いだ)く鰯雲    中山よしこ
  寡黙なる北の葬列鰯雲          石原友夫
  路地路地の闇をあつめて風の盆      武藤 幹 
  法師蝉鳴く泣く嘆(なげ)く慰霊の日   川島紘一
  羽化の夜下着脱ぐよに法師蝉      植松隆一郎
  鎌倉や読経に唱和す法師蝉        石川耕治
  辻ごとに哀歌あふれて風の盆      山口美々子
  鰯雲近くて遠のく釜山港         石飛公也
  ぽつねんといわし雲見ている少年     村上直樹
  歌われよおらは囃すちゃ風の盆      渡辺 保
  法師蝉声ふり絞り命継ぐ         前田勝己
  草に臥し哲学したよ鰯雲         天畠良光  
  鰯雲一本の鉛筆があれば書く       大井恒行

★欠席投句・・・

  また逢はむと契りし去年(こぞ)や風の盆 林 桂子
  群れられぬそれも生き方鰯雲      原島なほみ
  反射するビルのざわめき法師蝉     春風亭昇吉 

 次回は9月19日(木)、兼題は「敬老の日」・「枝豆」・「風」〈無季〉・当季雑詠。
 翌々月の10月17日(木)の句会は、翌18日が祥月命日の坂東孫太郎(輝一)宗匠七回忌の墓参が、句会前の時間に予定されている。



2019年8月17日土曜日

河村正浩「人も木も影を引き摺り原爆忌」(『春夢』)・・



 河村正浩第6句集『春夢』(やまびこ出版)、河村正浩は、愚生と同じ山口県出身である。ただ、愚生は18歳で出郷して以来、まともに帰郷していない。従って、河村正浩が彼の地元近く、周南市大津島にあった戦時、人間魚雷「回天」の訓練基地を詠んだ句の現場にも、残念ながら立っていない。
 愚生とは兄貴分の齢にあたる河村正浩に少なからず、その縁を思うのは、彼の師が大中祥生であったこと、愚生が中学か高校性の頃(すでに忘却のかなた)、毎日新聞「防長俳壇」に投稿した頃は、祥生の旧号・大中青塔子を名乗っていた。その後も、愚生が立命館大学二部に在学中、大中青塔子(祥生)に句を送ったことがあり、その返信の葉書には、句の善し悪しが丁寧に書かれてあった。思えば大中祥生は、のちに伊丹三樹彦「青玄」に所属し、「草炎」を主宰していたが、まだまだこれからというときに、惜しくも62歳で亡くなられた。
 愚生の若き日からの友人・葛城綾呂は、共に「未定」創刊同人でもあったが、文字通り、その「草炎」から出てきた俳人である。だから、愚生よりもさらに「草炎」との縁は深いと思われる。
 本集には、「山彦」25周年に合わせて、平成26年から30年の作品が収められているが、当然のこととはいえ、大中祥生を詠んだ句も多い。

    大中祥生句碑
  久闊の師の句碑なぞる下萌に     正浩
    十一月十一日師・大中祥生命日
  こめかみに秋深み行く師の忌日
    大中祥生句碑
  風狂の果ての句碑立つ下萌に
  師の句碑に会ふや迂闊にも春愁
  師の句碑を綺羅なすものに春の霜

 また、次の句などは穴井太を偲んでの句ではないかと、愚生は勝手に思っているのだが・・。

  夕焼け小焼け草の罠から抜けられぬ
 
 なぜなら、穴井太の有名な句、

  ゆうやけこやけだれもかからぬ草の罠   太

 の句を踏まえているに違いないから。ともあれ、集中より、いくつかの句を以下に挙げておこう。
  
  歌を忘れた雲雀から落下する
  核今も増殖中なり夜の秋
    十月十日・悼「祭」代表山口剛
  浄土へと君秋風になつて行く
  テロ戦あるな日本麦の秋
  少子化のスマホ闊歩す原爆忌
  折れやすき鉛筆ばかり立憲日
  「おう」と手を挙げて兜太や秋彼岸
  落暉まだ残る回天春の汐
  風死すや護憲改憲回天碑
  枯るる中にんげん魚雷暮れ残る  

河村正浩(かわむら・まさひろ)昭和20年、山口県生まれ。 

  


  

2019年8月16日金曜日

和田耕三郎「死は月に従つてゐる木の芽どき」(「OPUS」第59号)・・

 

 「OPUS(オーパス)」(OPUS俳句会)第59号、愚生は、作品評「句の姿佳し」を寄稿させていただいた。以下に恥ずかしながら紹介する。もう一人の評者は祐森水香「精神の風景」、選句が重なったりすると少し嬉しい気がするのも、わけなく不思議だ。


   句の姿佳し

       

 死は月に従つてゐる木の芽どき       和田耕三郎


 木の芽に宿る生命力。それは同時に、生と死が交代することをすでに含んでいる。それを「月に従つてゐる」としたのだ。月は闕ける大陰の精、これもまた摂理というべきか。



始業ベル葉裏へもどす蝸牛         上野みのり


校庭の隅、葉裏に見つけた蝸牛と遊んでいる子ども。始業ベルが鳴る。そっと、もと居た場所に戻し、教室に駆け込む。気持ちの優しい子にちがいない。句の姿もいい。 



青葉山ヤッホーポイント子らの列      上野みのり


 前句と同じく子どもへの眼差しが溢れる。子どもらの溌剌とした声がこだまする。「青葉山」が山の名であるか、青葉の茂った山のことかは不明だが、それは気にならない。



痩せるまで桟の拭かれて宵祭         宮崎静枝


 暮れて間もない宵の明かり。宵祭の山車か神輿か、痩せるまでとは、よく拭かれた、いや、磨き抜かれた桟に、ほれぼれするような好ましい艶を見出しているのである。



青空の広がつてゐる種物屋          宮崎夕美


青空の広がる光景には、種物屋がいかにも相応しい。花種であれば、なお明るい春を想像させる。気持ちの好い眺めだ。〈空歩く人ゐて土手を歩きけり〉もその延長線上の景。



木洩れ日をたたき青梅落としけり       村木高子


 〈退院の日の待ち遠し柿若葉〉のように、病気療養中の句もみえるが、掲句には、そうした気分は、文字通りたたき落とされて、少しでも強い意思に向かおうとする感覚がある。



家族づれ子は片陰に収まらず         渡辺陽子 


 片陰は、元は夏雜としての夏陰であるが、炎暑の日陰である。大人はとにかく日陰を求めて歩くが、子どもはそんなことは意に介さない。元気な証拠である。



踏青やマラソンの背の遠ざかり       和田ゑみこ


 戸外の光景。都会では青草を踏んで、その上で過ごすことも稀になったが、それでもそういう場面に出くわすと解放感が生まれる。マラソンランナーの背を目で追っているのだ。



夕べには落ちて玉めく夏椿          池部月女


 本号、いずれの句にも姿の良さがある。中七「落ちて玉めく」には、どことなく潔い感じがある。それは夏椿の花の白さがもたらしているのかもしれない。



秒針のとまらぬさくらふぶきかな       亀割 潔


 時は移る。秒針の動きよりも速く。秒針が象徴している時間を落花もまた吹雪のように、眼前に乱れ散る。〈羽搏きの止めばしづまるさくらの実〉には、逆に止まるかにみえる時間。



鳥雲に帆柱きしむ船溜り           木村弥生


 船は北方を目指して出港することなく、帆柱は鳥風を受けて音を立ててきしんでいる。そのとき鳥は、名のとおり鳥雲の風に乗って一気に海を渡るべく北上する。微妙に淋しい。



たんぽぽの絮吹き終へて笑む少女      桐原桐々生


 気持ちの良い光景である。少女が吹いて飛ばすたびに、タンポポという音まで聞こえてきそうだ。その音とどこまでも飛んでいきそうな絮には、少女の眼差し、そして微笑み。

              

名人の金魚すくひと仰がるる         坂本 登


 金魚すくひだから縁日だろう。ただ、「名人の金魚すくひ」だから「金魚すくひの名人」ではない。囲碁か将棋か、落語か何かで名人と呼ばれ、世俗を超越した名人気質の人だろう。



漆黒にして深紅白昼の薔薇         斉藤かずこ


印象明瞭な句。漆黒にして深紅とは、思わず白昼(しろひる)と読み下したくなる。悲運だが、まことの艶を持つ薔薇。題に「アンネ・フランクの薔薇」とあるように、薔薇連禱の句。



かなしみのちらばつてゐる辛夷かな     しなだしん


「かなしみのちらばつてゐる」の断定が決め手だろう。花の姿に傷みが出やすいので、率直な表現と相まって、おのずと哀憐を湛えている。



幼き姉妹陽炎の奪ひ去る        たかはしさよこ


 景への観察がよく働いている句。陽炎に子が消えていくのは「原爆地子がかげろふに消えゆけり 石原八束」があるが、同工異曲、本句は「奪ひ去る」に妙味。



実梅落つ背中に一つもうひとつ        日置久子


 青いうちに採って梅干や梅酒にするが、実梅は熟して黄色になったもの。落下しやすく背中に一つもうひとつ」というのが面白い。実梅への親愛の情がある。





2019年8月15日木曜日

髙橋修宏「虹立つや万巻の偽書積み上げて」(「575」3号)・・



 髙橋修宏個人誌「575」3号と4号(草子舎)は、奥付の日が違うものの同時刊行である。4号は「鈴木六林男生誕百年」記念と銘打って、一冊まるごと髙橋修宏著「六林男をめぐる十二の章」である。「2016年、『山河』誌上で三回連載」に加えて、「断続的に『連衆』誌上などで発表したものに手を入れ、新たに書き下ろした何篇かを加え」(編集後記)たという。髙橋修宏が六林男の弟子だったことと合わせて、その文中に、いくつもの六林男の肉声が繰り込まれている。それらを綯い交にしながら六林男の俳句を論じて出色である。「編集後記」には、金子兜太との会話が記録されている。

 (前略)兜太氏がわたしに向かって、「君、六林男の〈暗闇の眼玉濡らさず泳ぐなり〉という俳句があるだろ。俺は、あの句に刺激を受けて〈暗闇の下山くちびるをぶ厚くし〉を作ったんだよ」。(中略)
 ただ兜太氏の率直さに驚くと共に、六林男先生への友情と競争心を垣間見ることができた一時であった。
            *
 今日から見れば、同じ「暗闇」という言葉を含んだ二つの俳句には、その後の六林男と兜太を隔てる明らかな相異を見てとることができよう。
 六林男の一句では、その「眼玉」とは何ものであるのか、誰が「泳ぐ」のか明かされぬまま、作品は鮮烈に断たれている。一方、兜太の一句では、その晩年まで彼が語りつづける肉体感覚というものが、その根底に「ぶ厚く」捉えられているはずである。
 「暗闇」をめぐる二つの俳句の隔たりと、その間にひろがるものこそ、戦後俳句と呼ばれる荒涼とした領土のひとつであったと、いま差し当たり考えてみることができるかもしれない。
 わたしたちは、その荒々しい豊饒な領土を、どのように見ればよいのか。語りつづけることができるのか。あるいは、すでに失いつつあるのだろうか。

 と、記されている。もどって、3号には、髙橋修宏「反復される〈傷〉、さえもー増田まさみ論」をはじめ、読み応えのある作品、論考などが掲載されているが、ここでは、作品のみ一人一句を以下に挙げておこう。

  横列は恐ろしき列麦の秋         柿本多映
  仆しては斃れる戯びさくら蝦      増田まさみ
  罌粟の中協会いくつ燃え落ちる      松下カロ
  尚衆生下親(した)しき河童空也南無 救仁郷由美子 
  蜥蜴出で前途耿々たる余白       打田峨者ん
  天河ふと書(ふみ)の余白を砂ながれ   九堂夜想
  呪文みな口移しなる桃の花        髙橋修宏
  

   





2019年8月13日火曜日

望月至高「平成をジオラマにして寒鴉」(「奔」3号)・・



 個人誌「奔」3号(編集・発行人 望月至高)、その編集後記に、

 平成と令和の狭間で考えてみる、というコンセプトで令和改元特集としました。(中略)
 しかし、人の生は、天皇の共同幻想の時間軸を生きて元号で千切られるものではなく、歴史と個々の実存には、時間の流れの永続性と接合点があり、そこが重要なのではないでしょうか。執筆者はそれぞれの分野の碩学です。重量級論稿ばかりですので、共鳴するものがあれば幸いです。

 と記されている。その論稿とは、執筆者とタイトルのみを挙げるが、佐藤清文「近代から見る『令和』」、「タフガイ・マッチョ」、「孫子と戦争」・添田馨「令和=論(A)あるいは仮死状態で生まれた元号」・今井照容「森鴎外の元號考」・福井紳一「『戦争史』に於ける『国体と天皇制』」・佐藤幹夫「評伝文学の精髄を読む」・江里昭彦「平成事件私記『犯人、捕まらんかてええのに』」・望月至高「映画『記者たち』と平成の陥穽」などである。愚生自身の領分である俳句については、筑紫磐井「平成俳句の本質」が、

 (前略)しかし、平成直前に「俳句」「俳句研究」が角川書店に統合され、「俳句とエッセイ」が経営破綻から終刊されることとなり、俳壇は角川一強時代を迎えた。この時、「俳句」の編集長に就任したのが秋山みのるであり、彼が掲げたスローガンが「結社の時代」であった。
 平成俳句とは、この秋山によって強引に主導された「結社の時代」及びその波及の時代、長老・大家・新人を含めた俳壇の洗脳教育の時代であったと思うのである。(中略)
 実際、現代俳句の至上理念は「俳句上達」である。多くの賞の評価基準は「俳句上達」である。また、これからどんな若い世代が登場しようとも、「俳句上達」の枠の中で活躍するに止まるのではなかろうか。なぜなら彼らは「俳句上達」以外の俳句を知らないから。(中略)
 混迷の俳壇の中で、秋山は平成一九年二月に「俳句界」顧問を辞職、平成一九年十一月に没している。だが、現在においても我々はあらゆる総合誌の頁に俳句上達法があふれているのを見ることが出来る。もはや我々はそれを不思議と思う気力さえ失っている。三十年前には決してそんなことはなかったのにである。これこそが「平成俳句の本質」なのである。

 といささか挑発的、かつ鼓舞するように述べている。しかし、いわゆる俳壇的に領導された現象を、総合誌のデータを駆使して平成時代の俳句を剔抉させる彼の筆力には定評がある。ともあれ、本誌に掲載された俳句作品の一人一句を以下に挙げておこう。

  真っさらな平和を喰らふ雪女郎       今井照容
  イ いつでも穴を掘ると不発弾    親泊ちゅうしん
  号令の踊りの輪より蜘蛛の檻        豊里友行
  軍隊過ぐ おお ふぞろいのちんぽたち!  江里昭彦
  体内時計リューズの摩耗五月病む      綿原芳美
  平らかに成り損ねたり蘆の角        望月至高
  暗君や阿部一族的令和 夏         大井恒行



2019年8月12日月曜日

大井恒行「あかつき闇より流れて唄や八月や」(第7回「ひらく会」)・・



 本日は、第7回「ひらく会」(於:府中市プラッツ会議室)だったが、愚生は、休みが取れず、夜の勤務が入り、中座をすることになり、恐縮・・。ともあれ、一人一句を以下に挙げておきたい。

  青柘榴けふは原爆投下の日     渡辺信明
  
  落ちてゆく
  砂の千年
  イオの須臾            鈴木純一

  綿雲よ触れては水面飛ぶ蜻蛉  救仁郷由美子
  夏痩せと笑った友の一周忌    武藤 幹
  あぶら蟬夜うつくしく鳴きにけり  猫 翁
  朝雫響裏木戸声すずし     中西ひろ美
  双眸へ飛沫の一滴滝見の亭    大熊秀夫
  夾竹桃白昼に白さえわたり    成沢洋子
  雨の風の陽の緑にぞ目読す    大井恒行



2019年8月11日日曜日

中嶋憲武「晩夏晩年水のまはりの水死の木」(『祝日のために』)・・



 中嶋憲武画句文集『祝日のために』(港の人)、120句と掌編の散文17編、自身の銅版画13点を収める。著者「あとがき」には、

 俳句を書くということは、「言葉にならないもの」を言葉で書く行為だと思う。また俳句は正解の無い自分への問いに似て、まるで大きく深い森の周囲をぐるぐる彷徨していて、なかなか森の奥深いところにある中心部へ辿り着くことが出来ないようなものだ。そこでぼくのみている風景を、ぼくの見方によって書き留めはするものの、書いた途端にその風景は消えている。(中略)
 銅版画の制作と句のツイートは、ほとんど同時並行で行われた。銅版画を制作しているときは句の風景を思い、句をツイートしているときは銅版画の風景を思った。
 ぼくの風景はみえてきただろうか。

とあった。集名に因むのは、12番目のエッセイの書き出し、

 やがて集まってくる祝日たちの為に、カーテンの微笑を繕うことは、誰でも一度は経験のあることであるが、逃走する国家は最早何を考えているのか、デルタTの時間分だけ解明されていない。(以下略)

 からのものであろう。ともあれ、集中より、いくつかの句を挙げておこう。

  薔薇の芽のぼやぼや薄目あく音楽      憲武
  自分より孤独春風へハロー
  闇を守宮生きてをり青く浮く血管
  蟻塚を越え来て淋しい息つく
  青鷺先生スメラミコトの佇まひ
  断崖立秋その突端にいつまでゐる
  海の鳥居の晩春の石は鳥になる
  だんだん貧困すいてゐる空鶴来るぞ
  都会混迷こほろぎ不意のこゑ挙げる
  目皿乾いて冬木の朝を出てゆく
   
 中嶋憲武(なかじま・のりたけ) 1960年東京都生まれ。


撮影・葛城綾呂 明日へ、ヒメヒオウギ↑

2019年8月9日金曜日

小橋信子「草に降る雨の音なき震災忌」(『火の匂ひ』)・・



 小橋信子第一句集『火の匂ひ』(ふらんす堂)、著者「あとがき」によると、1996年から2018年までの245句を収載、その間、「泉」の綾部仁喜、「澤」の小澤實、そして、現在は、藤本美和子に師事し、俳句との出合いは、故・石田勝彦だったという。本句集の序文は藤本美和子、その結びに、

  (前4句略)
   踏青や嬥歌の山の双つ峰
   雨だれの光の太き初景色
   流星や縄文土器の一欠片

(中略)ことに五句目は産土常陸の国にある筑波山を詠んだ作品。故郷を離れ住んではいても、心中に常々仰ぐのは「嬥歌の山の双つ峰」の容姿であるに違いない。この産土に直結する「踏青」の心情もまた、母を思う心に繋がるものであろう。六句目の「雨だれの光」も七句目の「流星」もみな天からの恩恵。胸中にある産土の光景が作者の眼前の景となってあらわれるとき想念の花がひらく。信子俳句の真骨頂といえよう。

 と記されている。ともあれ、愚生好みに偏するが、集中よりいくつかの句を以下に挙げておこう。

  またいつか会はむと母の逝く朧     信子
  夕暮は山恋ふからすうりの花
  まなぶたを打つて雪片失せにけり
  棘さはにからたちの実の匂ひけり
  絵の中の戦争に差す冬日かな
  まだなにも飾つてをらぬ雛の段
  金星の真下の杉や去年今年
  霜柱師系はるかを思ひけり
  蒜を干す晩年の日の光
  人去つて冬蝶のこる峡の空
  大島は波濤の向うとべらの実

 小橋信子(こばし・のぶこ) 昭和23年、茨城県生まれ。



撮影・葛城綾呂 実八つ手 ↑

2019年8月7日水曜日

山本つぼみ「六月や眼裏襲ひ来し真黒」(「俳句人」700号より)・・



 「俳句人」700号(新俳句人連盟)、特集は「『俳句人』700号」と、平和特集「ジュゴンが泣いている〈沖縄・辺野古新基地ノート〉」である。前者の特集には、特別寄稿として中村和弘「田川飛旅子/古沢太穂先生にロシア語を学ぶ」、田中陽「俳諧自由」、角谷昌子「気骨の俳人古沢太穂を通じて」、石川文洋「時代と共に俳句も生きる」であり、その他、新俳句人連盟の方々の700号に寄せる思いが掲載されている。中では、田中千恵子「『俳句人』700号の年輪」は500号、600号の再録を含め、現在から「700号に向かって」のなかで、いかに多くの先人の力と努力が結集されてのものであるか、ということと、今後の決意表明として、

  (前略)一ヶ月毎一年毎これからも積み重ね、決して休むことなく持続してゆくことが七〇〇号への道である。光あふれる道である。いのちある限り書き続け、共に歩いていこうではないか。

 と結んでいる。また、特別寄稿のカメラマンの石川文洋は、

 (前略)私は句は詠めないが写真で表現する。二〇一八年七月、北海道宗谷岬をスタート、今年の六月、沖縄・那覇市にゴールインした。その間に三万五〇〇〇枚くらい撮影した。旅と酒の好きなところは山頭火に似ている。
 辺野古の土砂投入を陸上・海上から撮影した。カメラを持った現代の山頭火だ。七〇〇号刊行の間に亡くなられた投句者も多いだろう。しかし、時代を詠む俳句は現在、未来へと引き継がれいく。『俳句人』は永遠に不滅と思っています。

 と記している。角谷昌子は、

 (前略)太穂もまた、厳しい俗世間の大波の中で、信念を貫くために俳句に救われたに違いない。この世には人種的偏見や性差別、虐待などさまざまな問題が山積みだ。自然災害、国家間の対立も顕著である。社会に目を向けつつ、俳句に向き合うのも、いま創作者として求めらる姿勢ではなかろうか。

 と述べている。ともあれ、以下に、平和特集「ジュゴンが泣いている」の「俳句とエッセイ」の欄から拙句を含めて一人一句を挙げておきたい。

   天河(ティンガーラ)ホモサピエンスの魂(たま)返る 野ざらし延男
   石を投げれば言葉が死んで吃るクレーン          大井恒行
   ジュゴンとは自由な真言のごと生きる          中村加津彦
   なかんづく沖を真青に慰霊の日             山本つぼみ
   犀魚(ザンヌイユ)はいずこ砂利噛む夏怒濤        飯田史朗
   土砂泥海ジュゴンの泪恨みです              入江勉人
   大陸のウンカ飛来す大飢饉               吉平たもつ
   ジュゴン撫でたいオジイオバアと座りたい         大内秀夫
   玉砕碑浜昼顔の咲き灯す              とみながのりこ 


  

2019年8月6日火曜日

古寺ななえ「レム睡眠ゴッホの渦の膨張す」(「山河」359号より)・・



「山河」359号(山河俳句会)、愚生は本誌の第52回「競作チャレンジ俳句」の選と鑑賞を執筆。本号の課題はキーワードは「膨張」、そして「無季」であること。以下に転載し、天・地・人と秀作と佳作選のみだが再録して、掲載しておこう。


  俳句では、もっとも難しい選択(2)
 ぼくの選では二度目の無季である。俳句において無季句は難しい選択だ。自然にも、生活にも、身の回りは季節に満ちているからである。しかも、川柳との境、屹立性が曖昧になる。詩的(ポエジー)に傾き過ぎても俳句にならない。さらに川柳とも違う有り様を示さなければ、俳句としての屹立性が失われる。今回も力作揃いで、画然とした差はない。


 レム睡眠ゴッホの渦の膨張す      古寺ななえ

 レム睡眠とは、浅い睡眠中に夢をみて眼球がすばやく動くことから名づけられた状態をいう。ゴッホの絵画に描かれている渦が見事なのは衆知の通りだが、座五「膨張す」の作者の主観的把握を褒めたい。                

 嘘つき遺伝子メレンゲメレンゲ膨張す   大谷 清

 「嘘つき遺伝子」、そんなのあるわけがないと思うが、面白い。中句「メレンゲメレンゲ」と重ねたリズムも悪くない。それらが膨張するのだから、相当な嘘つきの作者がいる。想像力の面白さである。  

 知らざるを知らずと宇宙膨張論     山県 總子

 「知らざるを知らずとせよ」の慣用句、つまり、知らないことを知らないと言明するのが、真に知るということであって、宇宙膨張論も、そのような受け取り方をするほうが怖さが和らぐというもの。知らぬが花かも知れない。

 膨張図つかみ直せぬ贈り物       平林 敬子 
  膨張する海を鎮める鳥居かな      小倉 正樹             
   カルメラの膨張まあるい子供の眼    難波 俊子
  善人の膨張につれ鬼人化す       久田浩一郎       
  膨張す七十余年の「無」の一語     松井 国央
  この絵本と似たる白猫膨張す     津のだとも子
  (くう)のあるメトロ路線図膨張す  加藤 右馬
  膨張の先の出口が見つからぬ      植田いく子
  膨張する宇宙遠のくユートピア       新井 喜久  
  膨張の果たてかなしきポップコー      近藤 斗升

佳 深夜二時膨張はじむ石膏像       宇田川良子 
  故郷の帰路の荷物の膨張す       小林 和子
  膨張し渦巻いて哭く水の星       栗原かつ代
  クリムトの色が膨張する夜明け     守田 徹治
  列島に膨張中の島一つ         金澤 直子  
  


    
             撮影・葛城綾呂 ヒメヒオウギ ↑                    

2019年8月5日月曜日

水内慶太「崩るるは簗のみならず山河はも」(『水の器』)・・



 水内慶太第二句集『水の器』(本阿弥書店)、『月の匣』以後の15年より310句を収載、「『水の器』は私自身である」(「あとがき」)という。その「あとがき」のなかに、

 先生の言葉の中では特に「俳句の上達を願わないものはないが、人と競うということは多少の励みになっても、ただそれだけのこと。競うべきは、たたかうべきは〈きのうの我〉の作でしかない。〈きのうの我〉に満足し、旧作に悦に入っているようなら、もはや上達も進歩も深化もないと心得ていい。

 先生とは上田五千石である。さすがにその忌日がくるたびに句にしている。例えば、

    五千石先生の忌
  畦秋忌思へば木の実あたたかし
    五千石先生の忌
  酒断ちて七曜過ぐる畦秋忌
  十字架や五千石忌の月の畦
  台風の眼の中にゐる畦秋忌
    五千石先生の一八回忌
  琥珀忌や蒼ざめてゐる雨後の海
  
 その昔、娘の上田日差子に、わざわざ上田五千石に紹介していただいたことなど、懐かしく思い出す。五千石の急逝は、確か還暦を少し過ぎたばかりの頃だったと思うが、惜しまれていた。愚生は現在、とっくにその齢を越してしまっている。

  万緑や死は一弾を以て足る      五千石

 ともあれ、以下にいくつかの句を挙げておきたい。

  菊枕夢を外すもよかるべし
  伐り伏せの竹まだ風を離さざる
  潮の瀬の狂気四角に箱眼鏡
  遠からぬ昔に師在り温め酒
  極東の舷梯に冬立ちにけり
  かなかなかのかなのくらさにひともせり
  桜蕊降り聖戦のいまもなお
  かもめかもめ冬日の芯にわだかまる
  山風のまざてふてふを招かざる
  かりそめやゆるぶを咲くとむめさくら
  破れ樋氷柱を吐いてをりにけり

 水内慶太(みのうち・けいた) 昭和18年、北京市生まれ。



撮影・葛城綾呂 ↑

2019年8月4日日曜日

行方克巳「空蟬に象が入つてゆくところ」(『晩緑』)・・



 行方克巳第8句集『晩緑』(朔出版)、集名の由来について、著者「あとがき」に、

 (前略)昭和、平成そして令和を迎えた今も「季題発想」という私の作句信条は変わることはない。
 また、俳句は「何を詠まなければならないのか」ではなく、「何をどう詠めばいいのか」であるという私の気持も変わらない。
 この度の句集名は「新緑」に対しての「晩緑」というほどの心である。

 と記している。それを句中にさぐると、さしずめ、

  立志伝すぐに晩年緑濃き     克巳

 ではなかろうか。愚生が言うのもはばかれるが、その地平は、行方克己の新境地のいくばくかを拓いていよう。ともあれ、集中より愚生好みに句を抽いておきたい。

  出口なき入口ふたつ夏の夢
  短夜の夢にこゑ喪ひしこと
  沈むべく泛くべく沈み水海月
  初夢の死んだふりして死んでゐる
  成人式不参「少年A」のまま
  この沼の食物連鎖草いきれ
  東京は住みよき荒地野菊かな
  好色の美徳すたれて西鶴忌
  秋風の一大虚無であらんとす
  鳳仙花ひとり遊びのいまもひとり
  どれも千円全部千円十二月
   齋藤愼爾に句集『陸沈』あり
  陸沈また我が志寒椿
   慶應義塾中等部二十八期生、栗原究宣君他界。
   初めて担任した生徒であった。
  死ぬる日のありて死ぬなり春疾風
  いつの世の花の乞食(ほかひ)でありしかな 

 行方克巳(なめかた・かつみ) 1944年、千葉県生まれ。



撮影・葛城綾呂 タチアオイ↑

2019年8月3日土曜日

佐川盟子「肉を切る刃物ときどき西瓜切る」(『火を放つ』)・・



佐川盟子第一句集『火を放つ』(現代俳句協会)、跋は池田澄子、その中に、

  三月来そのときそこにゐなかつた
  真葛原むかしイチエフありました
 福島で育ち、其処に親も暮しておられたこの人が、あの日、「そこにゐなかつた」ことへの幸運と後ろめたさによって、一層、あるいは一生、彼女はこれからも表現者として育つ筈である。二句目は、強烈な厭戦の句「戦争が廊下の奥に立つてゐた」の渡邊白泉の、まんじゆしやげ昔おいらん泣きました」を踏まえたか、怖ろしい一句。イチエフは福島第一原子力発電所。

 とある。あるいは、冒頭付近には、句集『火を放つ』は、その繊細さと、じっと視る能力、すぐに反応するのではない辛抱強さ、自分の視力に甘えず安心せず、よくよく見て考えて書き込んでいく粘着質な根性を感じさせる。そのことに加えて、一本長子ではない豊かな表現方法を駆使している。単に見たことを書き残す、思ったことを記す、だけではない、「表現行為」であるという覚悟が感じられる。

とも記している。装幀は著者自装である。多才なのかも知れない。ともあれ、愚生の好みに偏するが、以下にいくつかの句を挙げておこう。

  一匹のまづ一本のくもの糸     盟子
  古戦場売りに出てをり合歓の花
  さがしあふひかりほうたるひかりあふ 
  霜をはむ犬としばらく朝の星
  剥製のパンダ硬さう冬隣
  流燈に添へ置きし手を離しけり
  だしぬけに秋思ふりだしに戻る
  やがて月がみな消す砂の足跡 
  少年に十代永し鮎の川
  亀虫の動かぬ社員通用口
  水の記憶火星にありと春の闇
  朧夜の太鼓の紐の絞らるる


佐川盟子(さがわ・めいこ)1962年、福島県郡山市生まれ。




★閑話休題・・池田澄子「わすれちゃえ赤紙神風草むす屍」(『十七文字の狩人』)・・


 池田澄子つながりで、大関靖博『十七文字の狩人』(ふらんす堂)、彼の主宰誌「轍」に平成16年3・4月号から平成27年11・12月にかけて連載された俳人22名の作家論であり、句集論である。学術論文集を除いて、第6冊目の評論集の上梓。この他に句集も6冊あるので、地味ながら、論作ともに着実な成果を世に問うている俳人である。本書の「あとがき」の末尾に、

 (前略)この評論は平成という単一性をもつ。二十一世紀の世界的テーマは〈単一性と多様性(unity and diversity)〉といわれるが、本著の作家の多様性と句集の時代の単一性を思えば不思議と二十一世紀の人類の最大のテーマと一致するように感じられる。つまり本著が平成の時代の多様な作家論として認識されることを願望する。加えて新しい時代の令和の意味として〈美しい調和(beautiful harmony)〉ということが言われているが、本著も調和の一書としてればと願う。

とある。池田澄子論の題は第9章「鎮魂物語ー『たましいの話』」、第1章は「式部再来ー正木ゆう子『静かな水』、「豈」同人でもある山﨑十生は第8章「秘花朧朧ー『大道無門』」等、ほかに附録として「俳句と『武士道』」、「第二芸術論再考」を収載している。


  撮影・葛城綾呂 ヒメヒオウギ ↑