2018年3月31日土曜日

小町圭「つくしんぼ黒い車列が過ぎた後」(第141回「豈」東京句会」)・・



 本日は、奇数月最終土曜日に行われる「豈」第141回東京句会(於:白金台いきいきプラザ)だった。年令を重ねるといろいろなことが起きてくるのはやむを得ないが、せめて何事もなく元気で暮らしてほしいのである。参加者は少なかったがそれなりに充実した会であった。以下に一人一句を挙げておこう。

   さよならの端っこてんとう虫がきた     小町 圭
   ポケットのポって春の携帯電話      吉田香津代
   臍切れず猫の子この世省きけり       猫 翁
   砂時計狂う春光を浴びている       小湊こぎく
   春の残忍さ記憶は膨張す         川名つぎお
   さくらさくら死は華やいで通りすぎ    羽村美和子
   いくたびの魂(たま)おくらなん花の春   大井恒行

 次回、5月26日(土)第142回「豈」句会は、都合により、場所を、府中市民活動センタープラッツ6階第4会議室(京王線府中駅南口直結)に移して行う。




★閑話休題・・・
 愚生が府中市シルバー人材センターの派遣業務で勤務していた府中グリーンプラザが本日をもって37年間の事業に終始を打って閉館した。会議室、地下の音楽室などは、文字通り、府中駅南口に新しく建設されたラ・シーニュというビルの5・6階に移行し、愚生の勤務場所も4月からは地下2Fの芸術劇場分館音楽室勤務(夜勤)のみになる。おもえば、勤務中の会議室鍵の貸し出しで、府中市俳句連盟、春耕、狩、カリヨン、汀、秋、そして地元の幾つかの俳句会や、短歌、文学研究会の人達ともお会いした。愚生の勤務した約3年半、色々お世話になりました。有難うござました。
 5月の「豈」の句会はその移行したビル(シーニュ)の6階、府中市市民活動センタープラッツの会議室で行う。もちろん、7月以後は元通りの白金台いきいきプラザで行うことになっている。



          撮影・葛城綾呂 レンギョウ↑

2018年3月29日木曜日

高山れおな「わが汗の月並臭を好(ハオ)と思ふ」(「『俳誌要覧』2018年」より)・・・



『俳誌要覧』2018年版(東京四季出版)、他の総合誌をもつ出版社もこうした年鑑類をだしているが、『俳句総覧』はどちらかと言えば他誌に比べて若い俳人の俳句に対する認識度がうかがい知れるので、当節は『俳誌要覧』がもっとも読みごたえのある俳句年鑑になっているのではなかろうか。現俳壇状況を知るにはもっとも面白い。本誌では「豈」同人でもある筑紫磐井「俳人子規は漢詩から始まった」と高山れおな「漢詩とマンガと私」が特集「漢詩が読みたい!」に執筆していて、仲間誉めするわけではないが、興味深い。ほかには、日原傳「わたしにとっての漢詩」、小津夜景「恋は深くも浅くもある」。
愚生は、初めて知ったのだが、日原傳は漢詩も創作し、小津夜景は漢詩を超訳し、句作のエスキスにもしているらしい。
 もっとも、いつもながら筑紫磐井の当時の状況に対する該博な知識にも驚かされるが、その結びには、

 これから分かるように子規の前にあらかじめ俳句があったわけではない。詩(漢詩)に行けなかったから、短歌、俳句の道が開かれたのである。渾沌とした詩、和歌、俳諧の関係がこれからの子規の人生を決めていくのである。

と記されている。一方、高山れおなは具体的に句作について、実作的に、次のように契機を明らかにしている。

   我が汗の月並臭を好(ハオ)と思ふ

この「好(ハオ)は、李商隠「楽遊原(らくゆうげん)」の

   夕陽無限好  夕陽(せきよう) 無限に好(よ)し
   只是近黄昏  只(た)だ是(こ)れ 黄昏(こうこん)に近し

が発想源になっている。ただ、それは作り手の事情で、鑑賞に際して原詩の知識が意味をなすケースではあるまいから、狭義の引用にはあたらないかもしれない。
  
ともあれ、愚生の漢詩に関する知識は、恥ずかしながら、高校の教科書に出ていたものくらいであるが、すでにその記憶すら朧であるが、かつて唯一高橋和巳の編纂した?岩波書店のシリーズもので李商隠だったかを・・・。

   上楼迎春新春婦 楼の人いづれの春を迎へたる  小津夜景
   子を生みて闊歩(〇〇)の麒麟水温む      日原 傳



           撮影・葛城綾呂 沈丁花↑

 

2018年3月28日水曜日

金子兜太「人体冷えて東北白い花盛り」(「俳句界」4月号より)・・

 



 「俳句界」4月号(文學の森)は、緊急に「哀悼 金子兜太」を特集している。去る2月20日に98歳で亡くなったばかりで、月刊俳句総合誌ではもっとも早く、追悼特集を組んでいる。そのため、さすがに「俳壇から~追悼文」には宇多喜代子、宮坂静生、稲畑汀子、有馬朗人、安西篤などの重鎮の俳人からは電話取材によって編集部がまとめていて、(聞き取り)と註が付されている。その他、山本安見子、黒田杏子、高野ムツオ、大牧広、石寒太、武田伸一、塩野谷仁、宮崎斗士、田中亜美、中内亮玄、五島高資の各人も二、三日ほどで至急の原稿をまとめたと思われる。一時代前のフレーズだが、まさに巨星墜つ!の印象である。
 愚生は、若き日、向こう見ずに「金子兜太の挫折」の一文を「俳句研究」誌に草したことがあったが、常に俳句の目標たるべき、乗り越えるべき俳人として、大きな壁として視野の中に入っていた俳人の一人であった。そして「俳句空間(第8号)」誌では、平成時代幕開けの特集「さらば昭和俳句」へのインタビュー(対談相手は夏石番矢)の企画を、二つ返事で応じていただいたことを思い出す。昭和が尽きる直前から平成元年の発行だから、30年近く以前のことになるのだ。また愚生の非力で実現の叶わなかった「金子兜太読本」(邑書林版)では、安西篤、武田伸一両氏に多大なお会世話になりながら、ついにその恩を返せないでいる。9年前から数年「俳句界」顧問として働いていたときには、「兜太ばかりがなぜもてる!」の特集を含め、兜太邸にも伺わせていただいたり、随分と世話になった。
それにしても金子兜太の晩年は俳人というより、「俳人九条の会」など、ある種の平和運動への貢献度において計り知れないものがあった。
 以下には、「俳句界」4月号の中から、兜太追悼の句を挙げておきたい。

   班雪嶺のあなたへ魄の途(みち)ひかる   宮坂静生
   他界ありまた師にま見ゆ春もがな      安西 篤
   
 あと一つ、同号の「北斗賞受賞作家競詠」から一人一句を以下に挙げておきたい。「北斗賞」は、愚生が文学の森に入社したとき、最初に社長・姜琪東に命じられて企画創設なった思い出深い賞でもある。授賞作を句集にして一本にする(既成作品応募可)ことで若い実力ある俳人を鼓舞することが目的だった。

  胸に抱く子と春眠をわかちあふ    堀切克洋
  春の夜やたつぷり母を湯灌して    西村麒麟
  軒下の軍手凍つてをりにけり     抜井諒一
  からうじて現となりぬ冬の蝶    藤井あかり
  写真家の大きなリュック水温む    涼野海音 
  たくさんの指を集めて春の嶺     髙勢祥子
  しんしんと古びゆく身や花筵     堀本裕樹
  牡丹に芽魔法使ひにおのが杖     川越歌澄
  



2018年3月27日火曜日

草場白岬「彼岸雨一つの傘に吾と墓碑」(『成木責』)・・



 草場白岬句集『成木責(なりきぜめ)』(ふらんす堂)、集名は巻頭の句、

  思ひ出せぬ暗証番号成木責      白岬

より。跋文に長谷部文孝、それには、

 作者は、暗証番号を思い出せないというネガティブな現象に対して少年期の記憶を呼び覚まし、「成木責」をバネにしたポジティブな現状把握に切り替えた。
 それは高齢者が前向きに生存し続ける意欲のあらわれともとれる。
 私への跋文依頼も、伝統的な風習の季語を使って、私に「なるか、ならぬか」と問いつめてきたのではないだろうか。だとすると、私としては、「なります、まります」と応えるしかない。

と敬意を込めて述べている。著者はいえば「あとがき」に、

 田舎者の、加えて怠惰気質の作者には、常に「成木責」のような外圧がなければ生き続けられなかったように思うのである。
 そして、その外圧こそが作者の今日を形成した原動力であったことに今更ながら気付いているところでもある。

という。句は全体的にユーモアもあるが滋味を感じさせる印象である。ともあれ、いくつかの句を以下に挙げておきたい。

   野の青のその大方のいぬふぐり
   菖蒲湯に老いの浮力と児の浮力
   満員のバスの持ち去る片かげり
   原爆忌二つある国千羽鶴
   熱燗や夢ありし日と無き今と
   森の翳ちぎれて生るる黒揚羽
   知らぬ子に手をつながれし初詣
   花は葉の葉は花の蔭遅ざくら
   広告を募る広告万愚節
   赤い羽根外さず通夜の席にをり
   
草場白岬(くさば・はくこう)、昭和8年、佐賀県生まれ。
   



          撮影・葛城綾呂 白木蓮↑
   

2018年3月25日日曜日

小池正博「減らそうとしても首にはひかりごけ」(「川柳スパイラル」第2号)・・



 「川柳スパイラル」第2号の最初の扉には、

    鶴は折りたたまれて一輪挿しに   飯島章友

 の句と入交佐紀の写真(一輪の花)が載っている。その扉裏に小池正博の緒言「渦の成長」があり、結びには、

 創刊号以後、東京句会、京都句会、文フリ京都への出店と活動を続けてきた。雑誌の発行が自己目的になるのではなく、句会やイベントと連動させながら現代川柳を発信できれば嬉しい。渦は放っておけば自然に大きくなるというものではなく、常にエネルギーを送り続けなければ消えてしまう。できるだけ冒険をしてゆきたいので、渦の成長を見守っていただければ幸いである。

 と記されている。愚生には、現代川柳の在処、その言葉使いの自由度、先鋭さによく理解が届かないけれど、見続けることぐらいはまだできそうだ。飯島章友は『俳誌要覧』(東京四季出版)にも「俳文学の現在〈川柳〉」で「平成川柳の終焉と次代の息吹」と題して、愚生などにもじつに判り易く川柳の現在の在り様に健筆をふるっていた。そこでは、愚生の知る墨作二郎、矢本大雪、渡辺隆夫、海地大波の各氏の逝去にも触れられていた。改めてご冥福を祈りたい。
 本号のゲスト作品として、我妻俊樹、中山奈々、平岡直子、平田有の川柳作品各10句が掲げられていたが、ここでは同人作品一人一句を以下に挙げておきたい。

   あご先をそっとのせれば地平線    畑 美樹
   「俺こっちいくわ」でちりぢりの鳥  柳本々々
   丸見えのかわゆいの天の邪鬼     一戸涼子
   ふゆがれのかかとの和音聴いている  飯島章友
   異なものを咥えこの世へ舞い戻る   浪越靖政
   音の海へとひらく開かずの間     川合大祐  
   作戦は三本立ての胡蝶蘭       悠とし子
   陣痛が陣頭にある冬の陣       小池正博
   歴史教科書は寸胴で煮込まれて    湊 圭史
   意志を外すと換気扇         石田柊馬
   契約を迫るはじめの永久歯      兵頭全郎
   湯葉すくう「ほら概念は襲うだろ」  清水かおり
   


          撮影・葛城綾呂 杏の花↑
 
   

2018年3月22日木曜日

石原八束「幻氷のせまりくる日の座礁船」(「新歳時記通信」第11号より)・・

 

 前田霧人「新歳時記通信」第11号、号を追うごとにぶ厚くなっている。今号322ページ(奥付含む)、前田霧人の膂力には驚くばかりだ。「後記」には、

 本号の内容は、風、雨以外の「空の題」です。次号の「日、月、星、宙の題」、「地理の題」で一通りの時候、天文、地理が終わりますので、気象データの平年値が更新される二〇二一年くらいを目途に、これまでの分を最初から見直し書き直して単行本化を予定しております。
 本号では明治から昭和戦前期までの歳時記を相当数追加し、西村睦子氏著『「正月」のない歳時記』に記載の歳時記をほぼ揃えることが出来、連歌書の追加、全項目の見直しによる多数の誤記の訂正もして「主要歳時記一覧」を一新いたしましたので、今後は本号のものをご参照下さい。

 とある。そればかりではなく、「新季題」と「トピックス」もある。例えば「新季題」として15以上が立項され、「トピックス」には、

・五五頁。「円虹」(まるにじ)に「えんこう」と振り仮名を振り、「御来迎」傍題としているのは誤りである。

 との指摘などもある。そのページには「円虹(まるにじ)」(晩夏)として、虚子の歳時記ばかりではなく気象学事典など典拠をあきらかにしながら、(一)解説、(二)例句と記されていくのである。この膨大な作業を一人でなしとげようとしているのだから、恐れ入る。今後新たに歳時記が編纂されることがあれば、前田霧人のこの労作を抜きにしては歳時記のレベルを維持できないというべきだろう。
 あと一つ例をあげれば「新季題」に立項された「幻氷(げんぴょう)」には、

 (三)「幻氷(げんぴょう)」(仲春)、傍題=「おばけ氷(こおり)」

(一)解説
➀現代俳句協会編『現代俳句歳時記』、『新版・俳句歳時記』(雄山閣)、『ザ・俳句十万人歳時記』などに記載のある新しい季題であるが、③のように流氷の蜃気楼には三種あり、他の二種と混同され易いので注意が必要である。
②『北の気象』(3月、文献*52)
  「幻氷(げんぴょう」オホーツク海を埋めつくしていた流氷も、三月半ばを過ぎると次第に沖へ遠ざかり、青い海と波の音が返ってくる。そんなころ、水平線上に春の風物詩「幻氷」が現れる。幻氷は、光の異常屈折で沖あいの流氷が海上に浮かび上がって見える現象で、簡単にいうと流氷の蜃気楼だ。
 ゆらゆらと揺れながら刻々と姿を変えるそのさまは、南氷洋に浮かぶ氷山をほうふつさせる。(以下略)

 とある。全体を通してもこれまでの歳時記を渉猟した上での卓見がいくつも示されている。「新歳時記通信」に期待を寄せている人も多いにちがいない。今から次号が待たれる。例句は新しく近年の句が多いのも特徴だろう。ちなみに蜃気楼の例句を以下に挙げておこう。

   蜃気楼どこでもドアが開いており        大角知英子
   蜃気楼途中に鬚を生やしおり           髙橋修宏
   海市から感覚以前のかんかく           山本敏倖
   海市まで絹の産衣を着せにゆく          松下カロ
   うつつ吐くこたへきれずにかひやぐら      嵯峨根鈴子
   質朴なる喜見城(きげんじやう)これ奈良ホテル  関 悦史 



           撮影・葛城綾呂 落椿↑

  


2018年3月21日水曜日

木本隆行「地震くるな戦よくるな浮いて来い」(『鶏冠』)・・・

 


 木本隆行第一句集『鶏冠』(ふらんす堂)、序文は鈴木節子、栞文に鳥居真里子。句集名は、次の句から、

    鶏冠の吹かれてをりぬ秋の昼     隆行

序文には、慈母のように、木本隆行に対する希望と期待が籠められている。

 本物の俳句である。いくらでも取り上げたい作品がある。心象的、風景句、虚実皮膜の句。素材を自由に駆使する木本隆行君は、わが「門」のホープである。俳句と評論の二本のレールを走る。 

と、その期待に応えるように、著者「あとがき」には、

  俳句の本質とその構造について理解を深める努力を今後もして行きたい思います。

と謙虚ながら志がを述べている。本集には、木本隆行の様々な心情がよく現れていると思うが、とりわけ師・鈴木鷹夫に対する想いは深い。例えば、

  先生の鞄重たし蟬時雨
  先生に妻の句多し小鳥来る
  鉦たたき師の添削の一字かな
  
師を亡くしてからは(鈴木鷹夫は2013年4月10日死去)、師に添うように句作を進めている。

  先生の忌の近づけり松の芯
  桜蕊ふる先生の忌日なり
  朝顔を蒔きて波郷に鷹夫かな
  先生の声よく徹る朝ざくら
  波郷忌の裸木にあるぬくみかな

ともあれ、集中より、他の幾つかを挙げておきたい。

  エレベーターの中に鏡や赤い羽根  
  鳥獣を養ふ山の笑ひけり
  一八を挿す餞別のごとく挿す
  風のこゑ光のこゑの木の葉かな
  花は風かぜは花なりさくらなり
  少年の肘・膝・拳青あらし
  虹とといふ天の即興ありにけり
  わが影を泉へおとし掬ひけり

 ところで、本集と同時に届いた「門」4月号には、兼題〈伝〉(鳥居真里子選)の特選に、

  冬天に伝書鳩たましひは何処   木本隆行

の句があった。ついでと言っては恐縮だが、同号の「門」から現在の主宰、副主宰そして鷹夫の一人一句も挙げておこう。

  指組めば指が湿りぬ櫻草    鈴木鷹夫
  老人のわるさごころや竜の玉  鈴木節子
  象にふる象のかたちの春の雨 鳥居真里子 

木本隆行(きもと・たかゆき)、1969年、東京生まれ。



           撮影・葛城綾呂  開花宣言前日の桜↑



2018年3月20日火曜日

きむらけんじ「辛夷見上げてあねいもうと老々介護」(『あしたも世間はややこしい』)・・


 
 きむらけんじ『あしたも世間はややこしい』(象の森書房)、写俳エッセイとあり、表4側の帯の惹句に、

 ボケばっかりでは話にならん。/世間にツッコミまくる64編と最新自由律40句/同時掲出。/読めばますますややこしい。

とある。見開き2ページの右ページに自由律俳句作品一句、左ページ上段に写真、下段にエッセイで版面が構成されている。中の一篇を以下に紹介しておこう(写真は除く)。

 南の風吹く島の婆さんYouTube
 
 YouTube、のんきにやってる場合ではないのである。
地球温暖化の影響で、昨年なんと三重県ほどの大きさの
氷山が南極大陸から分離して漂流し始めたらしい(英国地球温暖化プロジェクトMー
DAS)
三重県が、誰も手付かずの状態でへらへらしているのである。
狭い島国、うさぎ小屋の国民としては、
それなんとかならんのか!?なのである。
日本の優秀なゼネコンに頼んで、
アロンアルファの親分のよーな凝固剤で固めて
四国沖くらいまで引っ張ってきて日本新島にすればよいのである。
でないと、そのうち中国あたりがものすごい軍事費を使って
東シナ海あたりまで引っ張ってきて「これワシの島。近づいたら拿捕!」
と言い出さないともかぎらない。
もう大成建設に、頼めばよろしい。
たしか社のスローガンは、「地図に残る仕事」
だったと思うけど。ゲボゲボ。

以下に、他の句のみだが、いくつか挙げよう。

   きょう会った男と鳥葬の話      けんじ
   戦争のこっち側で種蒔いている
   逃げてきたのは星のきれいなだけの村
   梨食う梨の水の重さを食う
   目覚ましの鳴らんとするを見つめており
   間違いだらけの人生石投げている

著者の「はじめに」に、

  百年余の歴史を持つ自由律俳句の行く末で、いまや絶滅危惧的匂いのする自由律俳句拡大のためとは言え、ややこしい俳人が妙ちきりんな本を出して四苦八苦している様子を先人はどう見ているのか、と考えると恥ずかしいような気にもなるけれど。
しかし、もうそんなこと知ったこっちゃありません。
 
と書いている。
 ところで、先ごろ、愚生に届いた「自由律俳句協会設立準備事務局」(代表幹事・新山賢治)の案内書によると、「設立準備会及び懇親会」が、来る3月24日(土)15時より行われるらしい(会場はイセ文化財団・懇親会は18時から別会場)。愚生は、いまだ働かざる者食うべからずの輩で、しがない当日は勤務に当たっているゆえ、参加はできないのだが(この日は現代俳句協会の総会でもある)、興味のある方はお問合せ下さい(アドレスは、shinyama@k-grit.com、電話090-4375-5028)。



撮影・葛城綾呂↑


2018年3月18日日曜日

松林尚志「地は寒き灯をちりばまめて天冥し」(「澪」終刊号)・・



「澪」(編集発行人・松林尚志)は、第124号をもって終刊する。「ご挨拶」の冒頭に松林尚志は、

 「澪」は瀧春一主宰の「暖流」終刊後、「暖流」の代表であった藤田宏氏が主宰となり、その後継誌として平成九年九月に発足しております。(中略)
 私は平成二十三年85号より代表を勤めることになりましたが、主宰には顧問として支えて頂いてきております。(中略)私は体力も限界に近く、遠方でもあり、代表辞任の意向を藤田顧問に伝えました。又経営上の問題もあり、昨年暮れ、「澪」の今後について藤田顧問、阿部晶子氏、編集担当の河野哲也氏の四者で話し合いを持ちました。(中略)このような結果になったことは会員の充実を図れなかった私の非力とお詫びを致すとともに、これまで「澪」を支えて下さった同人、会員、誌友の皆様に衷心より謝意を表します。
 
と述べている。苦渋の選択であったと思うが、終刊号に当たっての特集で「同人・会員随想」には、多くの想い出や淋しさとともに「澪」への感謝が記されていた。また「編集後記」に河野哲也は、

 「澪」は終刊になっても俳句に終わりはない。生ある限り、俳句に悩み、俳句を楽しみましょう。
 長い間ご協力有難うございました。

 と結んでいる。そう、俳句は終わらないのだ。ともあれ、以下に「終刊記念自選作品」から一人一句を挙げておこう。

   亡羊を追ひきし荒野月赤し       松林尚志
   純白の紙の平らに春の蝿        藤田 宏
   春愁はそこなスマホとタブレット    阿部晶子
   日本橋昼の御旅所誰も居らず      石渡治子
   雷鳴や母の眼開きてまた閉じぬ    伊東香野子
   三月十日十一日の御霊かな       奥村尚美
   工房に夫の未完の木彫り雛       河野絹子
   ここあたり昔炭住花八ツ手       河村雅央
   等身の津波のしるしやませ吹く     蔵石玲子
   天涯に人影多き敗戦忌         河野哲也
   賜りし五体沈めて初湯かな       柴田洋郎
   からくりの茶坊主つつと万愚節     蔦谷庸子
   ダムの村沈む予定の椿咲く      橋本タキ子
   百年後伐られて寒き枝残し       林美智子
   黄ばむ句集開けば師の香竹の秋     村川雅子
   生きるとは残されること寒夕焼     山口愛子
   ひとり来て吉野は神の白水仙     山田ひかる
   九品仏一躯は留守の堂冷ゆる      東 真澄  

 最後になったが、藤田宏「顧問随想」の「郡司由紀さんのこと」は感銘深く、その人のことが回想されている。その人の「澪」入会当初の句と、病を得られてからの各一句を以下に挙げる。

   春暁やかろき寝息に和みをり     郡司由紀子
   冷まじや鴉の落とす魚の骨


2018年3月17日土曜日

折笠美秋「見よ! この人を/この人を 見よ!/時雨来る」(「騎」第15号)・・



 本日は、折笠美秋の命日である。1990年3月17日に亡くなった。「騎」(代表同人・寺田澄史、編集兼発行人・坂戸淳夫)は、「俳句評論」終刊ののちに、不治の筋萎縮性側索硬化症(ALS)におかされた折笠美秋を励ますために創刊された同人誌だった(創刊号には志摩聰こと原聡一がいたが途中退会している)。折笠美秋は「火傳書」を連載した。その中に(「騎」第6号)、

 「俳句は既に書き盡くされたけれど」と、高柳重信は言った。
 「あと一句だけ、まだ書かれていない名句があるんですね」。
 「ある日、誰かが、見事にそれを書きとめる。すると不思議な
 ことに、また、もう一句だけ、まだ書かれていない名句が残っ
 ているんですね」。

(中略)

 絶體の
 蜜吐く
 絶命の
 花よ        折笠美秋

 ブログタイトルにした美秋の句は、「折笠美秋遺稿句篇(一)の4句の内の一句である。編集部注記には(「騎」15号)、
 
 本号の掲載作品は、折笠夫人のお許しを得て、今年の〈聞き取り控〉の内から、臨時に選択させて戴いた。「野山」、「昔日」二句は新春の初作(一月六日)であり、「雪つぶて」は二十二日、「見よ」は三月二日、事実上の絶筆句である。
 
 と句の下に記されている。よって「騎」次号16号は、折笠美秋追悼号にして実質の終刊号となった。その追悼号には「虎嘯経(全)」(舟蕃舎編)が収録されている。〔注〕には、

 本帖は「騎」の号外版としてメンバーズ本10部、外に予備三部を限り刊行された。公開すべき筋合いのものではないが、追悼号なれば敢えて資料文書として採択することとした。
                                (編集部)

 とある。「虎囁経」より、各人数句の中から一人一句を以下に挙げておきたい。

  北へ行く舟かありありはなみづき     阿部鬼九男
  
  散り競う
  十騎
   先ず一騎
  咲き          葬送の日に  岩片仁次

    平成二年三月七日初七日の日に
  中原を眉毛逆立て 一騎去る      牛島 伸
    「願はくは吹雪の日に逝かむ」と遺言されけるとなむ折笠
     夫人より聞きし。
  雪しまく相模大野よもえぎ野よ     川名 大
  君亡くて郭公笛はもう吹くまじ     坂戸淳夫
  我に山あり重信の山美秋の山      佐藤輝明
   迂生『草上船和讃』上木の砌 、「龍耳」の雅印を賜ふ。
   一説に曰く「其の聴力甚鈍にして解するに百年を要す」と。
   以来自戒の具となし今日に至る。
  月落ちて龍耳に達く虎嘯かな      髙橋 龍  
       三月十五日夜危篤
  今生の俤(かほ)と連れだつ春の闇   寺田澄史
    -雲雀を贈らんに君は亡くー
  天よりも揚がるとおもえ友雲雀     安井浩司
  
 思えば、3月19日の告別の日のもえぎ野は、雪まじりの寒い日だった。
愚生は髙柳重信の葬儀に行かなかったことで、いささか悔いるところがあったゆえ、美秋の告別には何としても参じなければならないと思ったのだった。
 話は全く異なって恐縮だが、昨日は、かつて新陰流兵法転(まろばし)会で同門だった加納義明の訃報が入り、今朝は俳句会「夢座」同人の金田冽の訃報が入った。どちらも愚生とさして年齢が違わない。ご冥福を祈る。

       

           撮影・葛城綾呂↑ ホトケノザ↑

2018年3月16日金曜日

たなべきよみ「土に獣(けもの)に春雨というちから水」(第177回遊句会)・・


              蕗の薹味噌↑

 昨日は、毎月第三木曜日に行われる遊句会(於:たい乃家)だった。兜太逝去後とあって、兜太追悼の句も多くあった。兼題は春雨、燕、目刺、当季雑詠。ちょうど中央線吉祥寺での人身事故に出くわして、愚生も含めて数人が、わずかの時間ながら遅参した。
 連衆の渡辺保より蕗の薹味噌をいただいた(上掲写真)。その書付に、

 今年も「蕗の薹がでたよ!」と真岡の孫から報せてきました。さっそく電車に乗って、また、大量に収穫しましたので、蕗の薹味噌を作りました。句会のおりに、おすそわけいたします。

 蕪村の句に、
  莟とはなれもしらずよ蕗の薹
があって、「花と咲かないうちに、莟の姿のままで食べられる運命なのに、それさえ自身ではわかっていないのね、と蕗に戯れた」と藤田真一は、解説しています。

とあった。少し苦みがあったが味噌の甘味もたっぷりでさっそく美味しくいただいた。
ともあれ、一人一句を以下に挙げておこう。

   春雨や三島の初版見つけたり      武藤 幹
   惜別の句会浄土やめざし焼く     植松隆一郎
   春雨の匂ふ庭にも青鮫が        山田浩明
   遠ざかる父母引き寄せる目刺かな   たなべきよみ
   春雨にメトロノームとなるワイパー   石川耕治
   北国の波を纏ひし目刺焼く      山口美々子
   春雨や上がり馴染みの忘れ傘      橋本 明
   乾し足らぬ目刺若造小生意気      渡辺 保
   小豆島軒のつばめの眼の碧さ     春風亭昇吉
   君と見た銀座のつばめ昭和の日     川島紘一
   お茶づけや目刺し沢庵日本晴れ     石飛公也
   春雨やハット常備の伊達男       天畠良光
   空さびし青またさびし初つばめ     大井恒行
  
欠席投句より以下、

  連なりてそれぞれ独り目刺かな      原島なほみ
  出る杭になれよ流線型燕         林 桂子
  ツバメ来る隣の赤子泣きやまず      加藤智也  
 


   

2018年3月15日木曜日

出口善子「国蝶に頭上を譲り誕生日」(「六曜」NO.50)・・



「六曜」(「六曜の会」代表・出口善子)第50号、「編集後記」に、

 本号は、二〇〇五年八月に創刊して後、ちょうど五十号に当たります。記念号企画として「五十号史」を記し、仲間の今までの歩みを振り返りました。また、「自分のベスト十句」を募集しました。

とある。モットーは「志は高く、句作は楽しく」であるという。50号史の歩みとはそのまま彼らの師(没後の弟子を含めても)・鈴木六林男を失ってから13年を閲したことになる。光陰矢の如しである。六林男といえば、「おちょこでビールを飲むと酔うんだよ・・」と言っていたことと、高柳重信の「俳句研究」編集後記集『俳句の海で』(ワイズ出版)の帯文を頼んだことを思い出す。そしてまた、何かの六林男のお祝いの会の御礼で毛布をいただいて、我が家では今も「六林男の毛布」といって愛用している。
 本誌の六林男に関する連載では、神田ししとう「六林男この句」(2)が「祖国の雨」と題して、出征時の句として、

  どしやぶりの祖国の雨に濡れてゆく    六林男
  父の顔歓送群の中に濡れ

を挙げ鑑賞している。

ともあれ、記念の「私のベスト10句」から一人一句を以下に紹介しておきたい。

  たまねぎのまるまる思春期の不機嫌   有田美香
  手拭いを絞るちからで今日終る     石川日出子
  製氷器こわれて朝のがらんどう     岩男 進
  九条の碑のある寺の桜かな       大門嗣二
  北窓を開け柔らかな耳でいる      大城戸ハルミ
  七日正月明けて鬼籍に入りにけり    岡本 匡
  どうせなら呆れるほどに四月馬鹿    角本美帆
  残月を行きし人あり春の泥       神田ししとう
  守られぬ約束も乗せ花筏        喜多より子
  日本国道路元票に花と着き       絹笠紀子
  百歳は農に遊ぶや桃の花        桑代サダ子
  ふるさとは母が真ん中春キャベツ    佐藤富美子
  逆縁を生きたる父に熱き燗       芝野和子
  主義曲げぬまま生きたし竹の春     田中晴子
  容よき少女の乳房新玉葱        谷 千重
  百面相一つ取り出し初鏡        玉石宗夫
  着膨れてなかなか取り出せない言葉   出口善子
  老犬の孤独満月頒かちやる       富川光枝
  地下書庫に探す初版やつづれさせ    永井美智子
  宅配の荷物の隅を栗で詰め       成山幸子
  死のにほひ白く放ちぬクチナシは    羽賀一惠
  鯉の背の赤をつぎ足す照り葉かな    花輪朋子
  天上に増えて昭和の戦傷(きず)の痕  望月至高
  蜜豆によもやあれほど喋るとは     安井博子
  道問えばハナナスに風オホーツク    山内 一
  鬼の子にひだるき口に銀の糸      横山崩月
  あと一滴コップの怒り溢れ出す     吉村由美子
  日傘ごと日陰に入る梅雨晴れ間     鷲尾規佐子
  花冷えの書肆の平積み膝で押す     綿原芳美



           撮影・葛城綾呂 ホトケノザ↑
  

2018年3月14日水曜日

路通「はづかしき散際見せん遅ざくら」(『乞食路通』より)・・



 正津勉『乞食路通ー風狂の俳諧師』(作品社)、路通は、付録資料1「芭蕉路通関係年表」によると元文3年(1738)7月14日、90歳にて没している。姓は八十村(やそむら)、江戸中期の俳人で芭蕉に師事し、芭蕉の没後も四十数年を生きる。
愚生は、不明にして路通に関する本をまともに読んだことがない。正津勉の本著がはじめてだが、著者曰く、路通伝が一本になったのは、本書が初めてだろうというのだから、これまで、芭蕉と同時代に、かつ親密に生きながら、放擲されてきた様子がよくわかる。
 圧巻は本書の第三章「火中止め」のあたりだろうか。水上勉との対話にも、証拠は無いものの、俳聖芭蕉と乞食路通の「世に男女の仲よりも修道の契りの方が深いとか」と記してもいる。それらが芭蕉と路通の句にも相対して表れているのだ。

  うかうかと後(きぬぎぬ)の朝うちふして(勧進牒)
  うつり香も黒き衣装はめにたゝぬ

評判の悪い路通について、芭蕉は遺言のように、

  なからん後路通が怠
(ヲコタ)り努(ユメユメ)うらみなし。かならずしたしみ給へ(『行状記』)

と言い残す。弟子たちへの芭蕉の最後の願いだったとも記されているから、蕉門における路通の扱いは余程のことであったのだ。その著者「あとがき」にいう。

 路通。最底辺たる宿命にいささかなりとも屈することがなかった天晴な俳諧師。いつどこで野垂れ死にしていても、おかしくない薦被り者なのである。いまふうにいえば格差社会、ネグレクトのはてのホームレス、漂流棄民とでもいえようか。
 路通句作は、心底の発露だ。そこにはいまこそ聴くべき、呻きや、嗤い、沈黙、号泣、憤り、呟きや、ひめた声がいきづいてる。心底の発露だ。路通の句作は。

 いくつかの路通の句を本書よりいくつか挙げておこう。

  残菊はまことの菊の終りかな     路通
  肌のよき石に眠らん花の山
  母におうとき三井寺の小法師
  鳥共も寝入つてゐるか余吾の海
  いねいねと人にいはれつ年の暮
  芭蕉葉は何になれとや秋の風
  白山の雪はなだれて桜麻
  身やかくて孑孑むしの尻かしら
  しぐれ気のなふて一日小春かな
  あかがりよをのれが口もむさぼるか 

 そういえば、思い出したことがある。愚生がかつて吉祥寺駅ビルの弘栄堂書店に書店員をしていた頃、正津勉はよく店に来ていたこと。もう40年も前のことだ。

正津勉(しょうづ・べん)、1945年、福井県生まれ。





2018年3月12日月曜日

保坂成夫「昔見し竹の子族は還暦を過ぎて何処で如何にしてゐるやら」(「句歌」第一集)・・



 先日2月25日のこのブログで取り上げた「句歌」第一集の俳人・宮入聖のもう一人の作品掲載者の歌人・保坂成夫について少し書き足しておきたい。
 愚生は、たぶんその人に会ってはいないのだが、もし保坂成夫とかつての小海四夏夫が同一人であるならばという推測で記しておきたい。
 小海四夏夫はまぎれもなく「豈」創刊同人である。そして短歌も俳句も書いていた。創刊号には、いまだに愚生の記憶に留まっている愛誦の次の一句がある。

   直江津のドアの一つが姉に肖て     小海四夏夫

 あるいは、手許の「アンソロジー 季刊俳句 ’84」(冬青社)、冬青社は宮入聖のやっていた出版社である。それには20首を発表している。中のひとつは、

  愛(かな)しわが同時代人よ示されし手配写真の防寒着の横顔   四夏夫 

である。ならば、「句歌」第一集に広告された『小海四夏夫』最終歌集『一瞥』限定五十部、予価2000円、5月刊行予定もうなづける。攝津幸彦をはじめ愚生らは小海四夏夫(こかい・しげお)と言っていた。本名などはついに知らなかった。本集には「貧乏ぶろぐ」と題した日録が付されているが、その短めのものを紹介しておきたい。

  十月二十三日 寺田病院で内視鏡の検査。潰瘍部分は順調に回復している。今回も生体を検査機関に送るようだ。二回の検査で良性と決まったわけではないのだ。三回目の検査で悪性と出たらいったいどうなるのだろう。
 今日の支払いについては事前に月末払いということにしてもらった。支払能力を楯に手術を避けることもできるのだから。そういう場面に備えて伏線を張っておく必要もあるし、支払うと無一文になる。月末まで一週間ほどだが、一週間となると無一文で暮らすにはかなりキツイ。

 もっとも愚生だって娘の家に厄介になっていなければ同じようなもので、状態にさして距離があるわけではない・・・。世にいう老後破産は近い・・。
 ともあれ、「韓流」と題された本集から幾首か挙げておこう。

   柿キムチ、干し柿祭りのことなどをリピート-クする五、六日  成夫
   飼猫の火葬の帰りに立ち寄りしフードコートに引く椅子の脚   
   この頃はスマホ片手に旨酒を飲むらしと玻璃戸越に見て過ぐ
   されど日本大使館前に立つといふ慰安婦像の冰れるまなこ
   使徒行のそれとは知らずライラックの花と教へてくれし人はも




★閑話休題・・・

 首くくり栲象(たくぞう)から先月末に続く休演の知らせが入っていたので、体調でも悪いのかと少し心配になった。海外公演などの予定で恙なければよいのであるが・・。
以下にメールで一斉送信された休演案内を付しておこう。

 それは世界のおのおのの民族で、あまたのダンスがあるなか。それは日本の舞踏者であり、ありつづける人が、その生前、われわれに語りつたえた。

 舞踏とはほんとうの人間の生活を探すための一手段なのです  

その呟きは、ときの時代で死語のように、水のようで、地中へ深く潜り。ときに日本の四季の郷で、静かに地面を濡らす小雨と交っわって、湧き水ともなって、あたりのなかに、きらきらと光っている。 

       休演
     
     首くくり栲象  


一句献上!

    花ゆすら白き明るきひかりもて     恒行




 

2018年3月11日日曜日

福島泰樹「わが夢のあおく途切れてゆかんかな旗焼くけむり空に消えゆく」(『下谷風煙録』)・・



 福島泰樹第30歌集『下谷風煙録』(皓星社)、自序には6首の短歌が文中に配されている。飛び飛びに綴れば、

  まなこ瞑ればいまし帝都の上空を飛行船ゆく涙拭いき     

(略)遷都により、「江戸」が東京と改称されたのは、慶応四(一八六八)年七月、下谷はその後、明治十一(一八七八)年になって「郡區町村編制法」により東京府十五區に編入され「下谷區」として発足した。(略)戦時体制下の昭和十八(一九四三)年七月、都制が施行され「下谷區」は東京都に編入された。
 私はこの年、都制施行前の三月に、下谷區下谷一丁目の病院で生まれている。したがって私は、最後の東京市民としてこの世に生を受けたことになる。
 
  旧東京市民にあれば潔癖の窮屈きわまりなき美意識の

長じて、そんな私の個人史を殊更羨む人々と出会うようになる。大正十一年、府下田畑(北豊島郡滝野川町)に生まれた中井英夫、昭和二年、府下日暮里町(北豊島郡)に生まれた吉村昭。昭和四年、府下和田堀町(豊多摩郡)で生まれ、幼児期を日暮里で過ごした小沢昭一。
(略)

  焼跡に草は茂りて鉄カブト 雨水に煙る青き世の涯(はて)

(略)私の父は明治四十三年(一九一〇)年八月、東京下谷區入谷町一一一番地に生まれた。大逆事件の年である。
 
  その角を曲がれば夜霧に咽び泣く金竜館の灯(ともしび)いずこ

 大正十二年九月一日、中学校の始業式とあってこの日、父は級友を誘って早めに帰宅した。(略)九月十六日、妻の伊藤野枝と甥の橘宗一を連れて帰宅途中、府下柏木の自宅近くから東京憲兵隊本部へ連行虐殺。三人の遺体は本部内古井戸に投げ捨てられた。

  女らのいとけなきかな奔放に生きしは井戸に投げ棄てられき

(略)慶応三年生まれの祖父も、明治十五年生まれの祖母も、明治四十三年生まれの父も、大正六年生まれの母も皆、下谷で死んでいった。(略)

  この俺の在所を問わば御徒町のガードに灯る赤い灯である

と記されている。
 福島泰樹には恩義がある。愚生の第二句集『風の銀漢』(書肆山田)の解説(跋)を清水哲男とともに書いてくれ、『本屋戦国記』(北宋社)の出版記念会(愚生唯一の)では、ねじめ正一の詩の朗読とともに短歌を絶叫してくれた。愚生はといえば、下北沢で行われた(会場名は失念)短歌絶叫コンサートの第一回目(まだ短歌朗読だった頃)を聴いている。その時のライブ版にブラボーの愚生の口笛が録されていた。また、「早稲田文学」や「月光」に俳句を書かせてくれたのも福島泰樹だった。あれもこれもはや30数年以上前のことだ。そして、福島泰樹は死者の魂を呼びもどすように短歌を詠い続けている。かつて20代の頃、藤原龍一郎と福島泰樹の短歌は涙無くしては読めない、と言い合ったのも思い出だ。
 以下に、集中より幾首かを挙げておきたい。

      二〇一六年七月七日、永六輔死去
  浅草ッ子その天然の早口の爪先だって走りゆきにき
  歳月の彼方にいまも燃えている曼珠沙華よりあかくせつなく
      人間はどんなときにでも飯をくわなければならぬ(「日本の悪霊」)
  じくじくと胃の痛むとき洗っても落ぬ血糊の 髙橋和巳よ
  三島由紀夫蹶起の報を知らせくれしは立松和平いまだ学生
      塒(ねぐら)を探して三日三晩飲んだくれたことがあった
  「ヤスキサン何デソンナニ元気ナノ」清水昶の口癖だった
  現実を忌避するためかいや違う倒錯をして虐げるため
  淋しくばみな分けてやる呉れてやる春ろうろうと闌けてゆくべし
  肋骨を剔出(てきしゅつ)されて喘ぐゆえ鉄拳制裁わが父知らず 
  螺旋状に吹きくる風のありしかば身を反り出して受け止めてやる





  


2018年3月8日木曜日

塩野谷仁「みずうみに水あつまれる朧かな」(『夢祝』)・・



 塩野谷仁第8句集『夢祝』(邑書林)、集名は、

  いまは昔のけむり真っ白夢祝      仁

の句から。平成26年から平成29年末までの作品を収めた第8句集なのだが、「あとがき」には、

 この間を含め、頃日、「姿情一如」ということを主張している。「姿」とはあくまで「定型」のことで、「情」とは「自己表現」のこと。もちろん、江戸俳人の加舎白雄の「姿先情後」(感情より姿が優先するの意)のもじりなのだが、、「姿」を優先すれば「只事」に終わる傾向があり、「情」に徹すれば「難解」に陥ることになる。もともと「姿」と「情」は一如のもの。これを大切にしたいということでもあった。そして「自己表現の」根底はやはり「叙情」にあると思っている。だが、ここでいう「叙情」とは心情表現といった程度の「抒情」ではなく、金子兜太の言う、「存在感の純粋衝動」に裏打ちされた「叙情」のことでもあった。

と述べられている。とはいえ、さすがに年輪を重ねた分だけ追悼句が目立つのはやむを得ないことかもしれない。もとより情の人なのだ。

      悼 土田武人
   一徹者なりし晩夏の木を揺すり
      悼 大谷昌弘
   寡黙なる友なりき蟬果てにけり
      悼 佐藤信顕
   磊落の人ひぐらしの中を逝く
      悼 大畑等
   還らざる声あつめ居る一冬木
      田浪富布
   愚直とも雌伏とも鳰また潜る

ともあれ、集中より愚生好みでいくつかの句を挙げておこう。

  人麻呂の乗り込んでくる宝船
  ここからは記紀以後の闇金木犀
  人消えて次の人くる大夏野
  きさらぎの水追う水の底力
  啞蟬をいくつ囲んで蟬しぐれ
  山茶花咲いたかかの川は晴れているか

塩野谷仁(しおのや・じん)、1839年、栃木県生まれ。




 

2018年3月7日水曜日

永井千枝子「佐保姫の忘れ櫛かも昼の月」(『たまゆら』)・・



 永井千枝子句集『たまゆら』(雙峰書房)、集名の由来について、著者は、

  集名『たまゆら』は、
   玉響(たまゆら)の滴宿して濃紫陽花
 から採りました。八十五歳になりました今、心身に健やかさと潤いとをいただける俳句を、長年の趣味のコーラスともども続けられるよう願っております。

と記している。また、序文の戸恒東人は、


  俳句を始められたのは、平成十二年六十八歳のとき。コーラス仲間の入江鉄人氏(「春月」編集長)に勧められて「春月」に入会。俳句はかねてから憧れていたものであるが、お子さんたちの自立を待って始められたという。(中略)

  五歳児の手紙読み解き赤とんぼ
  とりあへず目安は米寿大旦

 このように永井千枝子俳句の特徴は、人生の大半を乗り切った自
信からくる安心立命の境地から、対象を優雅に、また該博な知識を駆使して独特の切り口で詠むというところにある。若くしてご夫君を亡くされたが、三人のお子さんを立派に育てたあとに求めて得た俳句という趣味を句集刊行にまで昇華させたのは、たゆみなき努力の賜であったと思う。

と賛辞を惜しまない。ともあれ、以下にいくつかの句を挙げておこう。

  寒木瓜の紅濃き家へ入浴車       千枝子
  濠に母と抱き合ひし日や終戦日
  胞衣(えな)塚は石積むのみや春落葉
  駒草の鈴振るやうに岩陰に
  星涼し晩節の日を積み重ね
  七度の干支にまみえて屠蘇機嫌
  害虫も益虫も皆穴を出づ
  母と子の背戸の青空終戦日

永井千枝子(ながい・ちえこ)、昭和7年静岡県浜松市生まれ。





2018年3月6日火曜日

池田澄子「風花やポケットの手を出すか否か」(「ふらんす堂通信」155号)・・・



 「ふらんす堂通信」155号(ふらんす堂)には、「豈」同人関係の評文が多く掲載されている。まず、ブログタイトルにした池田澄子の句は競詠七句からのもの。
そして、目に付くのは、杉本徹の連載「十七時の光にふれて㊸」の筑紫磐井『季語は生きている』(実業公論社)への評「原点からみた俳句の可能性」である。以下に述べられている部分には、杉本徹の批評はじつに真っ当であると思う(とりあえず、俳人の愚生でも、そう言って嘆いたことがある、無季だからダメは何度言われたことか・・・)。

 ただ、俳句の実作者ではなく、純粋に俳句を〈詩〉として読む、読みたい私のような立場からすると、「季語の斡旋の仕方が斬新だからこの句はよい」とか「無季だからダメ」とか、その種の評価軸には、時にはほとほと辟易することがるのも事実である。

と述べ、

 読後の結論からいえば、これは真に画期的な、基本文献として今後必携となるであろう。きわめて重要な季題(季語)論である。-俳句に季題が要請された、その根本のところを、万葉・古今から現在まで視野に入れ、あくまでも事実関係と、研究者の実証と指摘を丹念に比較検討した上で価値判断を加え、しかもコンパクトにわかりやすく要点のみ通史的に概観するという、一種これは「離れわざ」の書物ではなかろうか。

 というあたりには、杉本徹もまた「離れわざ」の慧眼の持ち主ではなかろうか、と思わせる。
 他に「豈」同人の執筆した書評は、橋本直「〈俳句〉という切実な覚悟」(田島健一句集『ただならぬぽ』評)、藤原龍一郎「威風堂々の句業」(『鷹羽狩行俳句集成』評)、酒巻英一郎「多言語話者との対話」(『大関靖博著『ひるすぎのオマージュ』評)など、いずれも読ませる批評である。ここでは、酒巻英一郎の評を以下に挙げておこう。

 「明治以降ヨーロッパ文化を(中略)丁寧に消化してさまざまな要素を綯い交ぜにして身近な俳句に昇華したはじめての俳人が安井浩司なのである」。
 この底流に〈抒情性〉が流れているとはけだし著者の慧眼であろう。
 かつて篠田一士が『邯鄲にて』から繰り出した新しい批評言語のように、本書は著者の広汎な知力と、三言語話者(トライリンガル)、いや多言語話者(マルチリンガル)としての言語操作にして初めて為せる、新しい安井俳句読者にとっての最良の賜物ともなろう。




2018年3月5日月曜日

外山一機「食はれ/そこねて/うつむきゐたる/稲の花」(「鬣」第66号)・・・



 「鬣 TATEGAMI」第66号(鬣の会)は、第16回鬣賞発表で、百瀬石涛子『俘虜語り』(花神社』と清水伶『星狩』(本阿弥書店)に与えられている。メインの特集は「俳句史以降の俳句の可能性」と題して、林桂の「提言ー俳句表現史以降の可能性を探る」を基調提起として、外山一機、佐藤文香、関悦史、堀下翔、松本てふこ、高橋修宏、九里順子、堀込学、後藤綾子、深代響、水野真由美の各氏が、「鬣」前号65号の外山一機「川名大を忘れる、ためのガイダンス」をめぐっての論考を寄せている。この外山一機の論考は第37回現代俳句評論賞佳作となったもので「現代俳句」平成29年12月号にも掲載されていた論考である。なかでは、関悦史「器用仕事で(プリコラージュ)で遊べばできる衰亡史」が図式的に簡略された説得力があったが、堀込学「同時代の所在」の以下のあたりには、愚生のような年寄りにもよく理解できるものだった。

  林桂が提言で触れているように川名の「引退宣言」は反語的で後続の志に向けられたポジティブなものであって、外山の受容するようなメランコリックでネガティブなものではない。むしろ外山が自らの論で引き受け得た結論こそがゼロ年代世代の忌避と脆弱性を露呈しているように思われるのである。外山の評言は常に反語的でありながらどこまでも曖昧である。修辞を尽くして俳壇的な挨拶批評を行っても未来はない。

また、

 たとえば「書くべきテーマを喪失した後で、それでも俳句を書くことを選んだのがいまの僕らであるかもしれない」というが、「それでも」という逆説にかかわる倫理が自明のものとは思われない。そのあいまいな倫理を受け入れている「僕たち」を僕は疑う。その評論だけで川名大を忘れられるとは外山自身だって考えていないだろう。それが「ガイダンス」ならば本編も読みたい。話はそれからだ。

という堀下翔の締めの言い分はじつにまっとうであると思えた。
ともあれ、本号の俳句作品を冒頭の部分からだけだが、以下に挙げておきたい。

   水鏡ときどき空を壊しけり            西平信義
 
   撃チテシ止マム
   父ヲ

   父ハ                      上田 玄    

   ジャガイモを雑に切り死と隣り          永井一時
   ヒロシマ・ナガサキ・フクシマ・オキナワ・秋津島 萩澤克子 

(因みに、タイトルにした外山一機の句の漢字の部分にはすべてルビが付されている)



2018年3月3日土曜日

石田恭介「揚雲雀真昼の淵にとどまりて」(「花林花」第12号)・・



 「花林花」第12号(花林花句会・代表高澤晶子)の特集「花林花の作家 その六」は「石田恭介自選百句 2010年~2017年」、高澤晶子「光のファイターー石田恭介論」によると、自選百句といいながら、100句に一句足りない99句しかないのだそうである(愚生は数えず)。そのⅤにあたる「幻視行ー追慕」に上げられた5句を評した部分、「残されし母と吹雪の夜に入る」「さびしさを重ね着にして母眠る」「雪しまく寝台の母の幻視行」について、

 〈吹雪の夜〉の句では、〈残されしが〉が〈母〉に掛かるのか、〈残されし〉で切れが入り主語は作者であるのか、二通りの読みが可能であるが、いずれにせよ母子は一体である。〈母眠る〉〈母の幻視行〉は恭介の深い眼差しが感じられる。秀句であるが、それ以上の鑑賞を拒絶するように屹立している正に「俳句」そのものである。

 と、高澤晶子の俳句観を述べるように記されている。愚生の好みの句をいくつかを以下に記すと、

  墜ち蟬の投げ上げられて宙がえり     恭介 
  教室を逃れし先の青田風
  改札へ押し寄せてくる涅槃西風
  春嵐証明写真五百円
  春浅し高きに鳥のすみかあり
  光など風の透き間の遺失物
  身をなげし者に長らく汽笛冴ゆ
  神無月銃撃も空爆もある

 石田恭介、1947年山形県米沢市生まれ。
 ともあれ、「花林花」今号よりの一人一句を挙げておこう。

  水を買うことにも慣れて原爆忌     高澤晶子
  病室の大窓西日逃れ得ず        廣澤一枝
  草の春声には出せぬ革命歌       石田恭介
  桜散るみんな居たのかこの星(おれ) 北山 星
  覚めかけてこの世の蒼さ冬霞      榎並潤子
  妊婦そろりその母そろり秋祭      金井銀井
  つれあひは詩商人なりつづれさせ    木津川珠枝
  花遍路降りかかるもの掌に受けて    狩野敏也
  御顔(みかほ)ほぼ無し炎天の石仏   原詩夏至
  春雨の宙(そら)の真中に止みにけり  鈴木光影
  パイナップル甘い香りや故郷の     島袋時子
  白映えやポストに友の遺稿集      福田淑女
  クレヨンの空色折れてこどもの日    宮﨑 裕
  


髙橋みずほ「すずなすずしろしろきにねむれ父ゆきてしろきにねむれ」(『白い田』)・・



 髙橋みずほ歌集『白い田』(六花書林)、末尾に「2013~2017年の作品」とある。いわゆる父恋の歌が多くを占める。その意味では父に献じられている歌集ということになる。それについて「あとがき」の冒頭に、

 人が死を迎えるとき、全身を曝け出し、死という姿をもって、人として生きて来た姿と、永遠に消えることの重みを見せる。そして、生きる者へ、どう生きてゆくのかを問いかけてくる。敬虔とか、慈しみとか、そういった言葉が、しずかに湧いて来るのは、そうした姿を受け留めようとするときかもしれない。父がなくなって三年ほど過ぎた。

と記されている。集名に因む歌(自由律句らしいもの)もある。

  白い田に父の寝息が届くよに息をひそめているなり
  白い田に二本の轍ゆるき曲がりの畦の道
  ほのか日のさしてきて白い田に凹凸のある

あるいは、

  父といて父をみている母がいてゆるゆる箸のゆく先を追い
  粉雪の舞う日なり父とふたりそっとうたうそっとふれ
  しとしと 雨 しとしと 雨 ひとつ雷ありてひと日のおわり
  雨粒がガラス窓につきて朝 点 点 と厚雲のひかり玉
  はらはらとさめてゆけるこころかな関係を断ちて人みな死せり
  飛行機の雲ゆるゆるとめぐりだすような風もつ老いというもの
  ひとりずつ飛行機雲に乗るようにゆるきときしずかに吹かれ
  むかしむかし駅前にたしかにひとの影がのびて朝の時
  ぐるぐると回るしかない遊具にのってしまいぬ空の円形
  人の世に救えぬものばかりなり神も天使も透明なりき

 歌法というものがあるならば、この歌集には、畳語が多く繰り返され、そのリフレインが短歌の抒情によく効果をもたらしているように思える。またそれが、全体に淡い印象をもたらしているのだが、それはたぶん作者の狙い通りなのかもしれない。透明、ゆるき、ひと、など作者偏愛の言葉も歌集には散見される。
 ともあれ、死者は生者のなかに生きているのであり、生者が死ねば、死者はほんとうに死ぬ。一句献上。

   白い田の高きにかかる橋に瑞穂よ    恒行






 

2018年3月1日木曜日

安井浩司「地中では逆さに歩み行く春ぞ」(「逸」38号より)・・・



「逸」38号、花森こまの個人誌である。森田智子、三島由紀夫につづく安井浩司論を書き終えたので、この号を出すことができた、とあった。というだけあって安井浩司私論「闇をすべる神話」が興味深い。なかばは石井峰夫のことが熱く語られている。そこには、

 石井峰夫がさまざまな汚名を着せられ、憤死といってよい死に方であったこと、それは安井の耳に届いたであろうか。
 世俗的な汚名の働き方は、俳句とは何のかかわりもない。
 耕衣は、側近たちの石井に関する悪口雑言を一時は信じていたようだが、死の直前に当たって「わたしの生涯のもっとも大切な片腕を失ってしまった」と涙している。

と記されている。具体的に書かれていないので、何ともいいようがないが、阪神淡路大震災後、永田耕衣は、特養老人ホームにはいるまでに石井峰夫宅に仮寓している。
 愚生はその頃、永田耕衣は、100歳までは生きるに違いないと思っていたが、97歳の生涯を閉じた。最近、金子兜太こそは100歳まで生きるだろうと、わけもなく確信していたのだが、あっけなく先日、98歳で亡くなった。ご両人については、いずれの晩年にも少しばかりの想い出があるが、今は、ひたすらに冥福を祈ることにしたい。
 色々話が飛んで恐縮だが、花森こまは、安井浩司について、

 安井作品の印象は、ごく大雑把にいうと、わたくしには、拒みつづけるものとして、ある。何を拒んでいるのかを考えたいのだが、、まず、開くという想念があり、その開かれ方に、おみなを投地したり、無垢に他の生物をついばむ生き物を投げ込んだりする。それは両手をひろげたイエスの謂いでもあろうか。
 イエスは受け入れるひとであったのだろうか。
 あるいは拒むひとであったのか。

と若干の飛躍を含んで記してもいる。花森こまはその他にも「こまのひとりごと」で野口裕句集『のほほんと』へのエッセイをしたためている。
 ともあれ、同誌掲載の一人一句を以下に挙げておこう。

  なかのひとが脱ぎ捨ててゆくゴジラかな   武邑くしひ
  腕からけむりぬけゆく春の宵         木戸葉三
  リウマチの語源はロイマ初時雨       杉山あけみ
  ちちははの記憶隠せし大花野         花森こま