先日2月25日のこのブログで取り上げた「句歌」第一集の俳人・宮入聖のもう一人の作品掲載者の歌人・保坂成夫について少し書き足しておきたい。
愚生は、たぶんその人に会ってはいないのだが、もし保坂成夫とかつての小海四夏夫が同一人であるならばという推測で記しておきたい。
小海四夏夫はまぎれもなく「豈」創刊同人である。そして短歌も俳句も書いていた。創刊号には、いまだに愚生の記憶に留まっている愛誦の次の一句がある。
直江津のドアの一つが姉に肖て 小海四夏夫
あるいは、手許の「アンソロジー 季刊俳句 ’84」(冬青社)、冬青社は宮入聖のやっていた出版社である。それには20首を発表している。中のひとつは、
愛(かな)しわが同時代人よ示されし手配写真の防寒着の横顔 四夏夫
である。ならば、「句歌」第一集に広告された『小海四夏夫』最終歌集『一瞥』限定五十部、予価2000円、5月刊行予定もうなづける。攝津幸彦をはじめ愚生らは小海四夏夫(こかい・しげお)と言っていた。本名などはついに知らなかった。本集には「貧乏ぶろぐ」と題した日録が付されているが、その短めのものを紹介しておきたい。
十月二十三日 寺田病院で内視鏡の検査。潰瘍部分は順調に回復している。今回も生体を検査機関に送るようだ。二回の検査で良性と決まったわけではないのだ。三回目の検査で悪性と出たらいったいどうなるのだろう。
今日の支払いについては事前に月末払いということにしてもらった。支払能力を楯に手術を避けることもできるのだから。そういう場面に備えて伏線を張っておく必要もあるし、支払うと無一文になる。月末まで一週間ほどだが、一週間となると無一文で暮らすにはかなりキツイ。
もっとも愚生だって娘の家に厄介になっていなければ同じようなもので、状態にさして距離があるわけではない・・・。世にいう老後破産は近い・・。
ともあれ、「韓流」と題された本集から幾首か挙げておこう。
柿キムチ、干し柿祭りのことなどをリピート-クする五、六日 成夫
飼猫の火葬の帰りに立ち寄りしフードコートに引く椅子の脚
この頃はスマホ片手に旨酒を飲むらしと玻璃戸越に見て過ぐ
されど日本大使館前に立つといふ慰安婦像の冰れるまなこ
使徒行のそれとは知らずライラックの花と教へてくれし人はも
★閑話休題・・・
首くくり栲象(たくぞう)から先月末に続く休演の知らせが入っていたので、体調でも悪いのかと少し心配になった。海外公演などの予定で恙なければよいのであるが・・。
以下にメールで一斉送信された休演案内を付しておこう。
それは世界のおのおのの民族で、あまたのダンスがあるなか。それは日本の舞踏者であり、ありつづける人が、その生前、われわれに語りつたえた。
舞踏とはほんとうの人間の生活を探すための一手段なのです
その呟きは、ときの時代で死語のように、水のようで、地中へ深く潜り。ときに日本の四季の郷で、静かに地面を濡らす小雨と交っわって、湧き水ともなって、あたりのなかに、きらきらと光っている。
休演
首くくり栲象
一句献上!
花ゆすら白き明るきひかりもて 恒行
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