2019年5月31日金曜日

親泊ちゅうしん「忌日なし遺骨なしです沖縄忌」(『アイビーんすかい』)・・

 

 親泊ちゅうしん句集『アイビーんすかい』(アローブックス)、栞文「句集『アイビーんすかい』に寄せて」は、池原えりこ「消えたものの影」、池宮照子「ちゅうしんさんの一人遊び」、岸本マチ子「影のように沁みる」、のとみな子「へんてこ」、宮城正勝「親泊ちゅうしん俳句の特徴」、高嶺剛「アイビーんすかいについて」。装画の水彩画はローゼル川田。俳号・親泊ちゅうしんはローゼル川田のことである。
 帯の惹句には、

  言葉は絵になって過ぎ去る
    ふとした身体感に消えない後味がのこる
    言葉で終わらせない空間の感情

とある。栞文の宮城正勝はその中で、

  今度、親泊ちゅうしんの俳句をまとめて読んで気づいたことは、、「切れ」がほとんどないということ。この句集に収められた一六〇句のうち、「切れ」があるのは三句(「や」が二句、「かな」が一句)だ。もうひとつの特徴は口語俳句であるということである。(中略)
 もちろん一句のなかに文語がまじっているのもあるが、それは音数を整えるためか無意識に混じってしまったのではないかと思われる。

と述べている。また、本人に便りには、

 2008年から2018年までの10年間にわたり、仕事や連載のすき間で作句してきました。
すき間が一枚のパッチワークの感じになりましたので句集を上梓しました。
沖縄の両新聞に月1回、約8年間にわたり、「琉球風画 今はいにしえ」のタイトルで水彩画&エッセイを連載しています。
160句の俳句のすき間に16点の水彩画をレイアウトしました。俳句のための水彩画ではなく水彩画のための俳句でもありません。寄り添ったり気分転換の要素になりました。

とあった。また、集名については、著者「あとがき」に、

 句集のタイトルは「アイビーんすかい」です。アイビー(蔦)の箱に棲みついた実感と、若葉に包まれたり落葉した迷路のような裸の蔦にしばられたり、季節はくり返しているようでくり返してないようで時間もくり返すことはありません。アイビーの隙間から覗き見上げる空(スカイ)と合体する造語になりました。ゆたしくうにげーさびら。

と記されている。ローゼル川田には詩集『廃墟の風』(あすら舎)もある。



バックミラーにきみの顔やらさくらやら(右ページ)↑
道を掘る長虹堤が見えるまで(左ページ)
水彩画・ローゼル川田 ↑

ともあれ、以下にいくつかの句を挙げておこう。

           花でいご家族の墓は基地の中      ちゅうしん 
頭蓋骨曳いて遊んだ夏休み
語り部は少女のままで慰霊の日
茗荷掘る姉の景色も箱詰めに
    トウモロコシアツアツアマイハーモニカ
       幻想の泳ぐ岸辺に花万朶 (吉本隆明 追悼)
初めての折り鶴つくり火葬する
  オオゴマダラはたひた飛んで無彩色
動かない路地を曲がった春の風
口紅がはに出してきたお母さん
   落ち薔薇を踏みつぶしてはふり返る 

親泊ちゅうしん(おやどまり・ちゅうしん) 団塊世代、那覇市生まれ。



2019年5月27日月曜日

笠原タカ子「瓜西瓜南瓜の中を世田谷線」(「豈」第148回東京句会)・・



 一昨日、5月25日(土)は、隔月、奇数月最終土曜日開催の「豈」東京句会だった(於:白金台いきいきプラザ)。小生は、前日夜は、風邪?をひき、38度近く発熱、医者に処方された薬と解熱剤がきいて、句会の時間帯はなんとか切り抜けることができた。
ともあれ、以下に一人一句を挙げておこう。

   のりしろをコーラで濡らし夏見舞    伊藤左知子
   口開けてゐる自覚あり三尺寝       渕上信子
   暗黒の舞踏最期に蜥蜴の尾         猫 翁
   祖父ゆずり「俳句季寄せ」の黴くささ   武藤 幹
   食品ロスあとは西日とガラパゴス    川名つぎお 
   山椒魚堂々巡りする思考        杉本青三郎
   夕立や人を待たせて人を待つ       山本敏倖
   蛇いちご真昼の街にまぎれこみ     小湊こぎく
   囚はれの徳仁(なるひと)雅子 薫風旗 打田峨者ん
   蒼空へ麦秋続く毛野国          福田葉子
   風青し遺伝子ラボの自由猫        早瀬恵子
   卯の花腐し砂搔く犬のうしろ足     笠原タカ子 
   列島をまたぐ朱帝の巨人かな       大井恒行

 次回は、7月27日(土)午後1時から~同じ場所。参加は「豈」以外の方も自由です。
お気楽にどうぞ・・・



     「東京新聞」5月25日(土)夕刊・「俳句時評」↑

★閑話休題・・・福村健「銀の森銃も獣も眠りけり」(東京新聞夕刊「ここに句がある」より)・・・


「東京新聞」夕刊(5月25日・土)の俳句時評・福田若之「ここに句がある」は、月一回の俳句時評だが、今回の最後の部分に以下のように書きつけていた。

 高校生の頃、伊藤園のお~いお茶パッケージに〈銀の森銃も獣も眠りけり〉という句を見つけた。福村健という十四歳だったこの句の作者が、いまも句を書いているかは知らない。けれども、これを読んだとき、一度でいいから、こんなうつくしくもやさしい句を書いてみたいと思ったことは、よく覚えている。
 俳句史は時代性ありきではない。俳句ありきだ。一句には、そのつど歴史の芽生えがある。

 


2019年5月23日木曜日

蕪村「ちるさくら落つるは花のゆふべかな」(「オルガン」17号より)・・



「オルガン」17号の「連句興行 巻捌/脇起 オン座六句『ちるさくら』の巻」、「璞・捌/抜け芝・指合見」の留書は福田若之。その留書に、

 脇起で連句を巻くことは、ひとつには、一句を活きた俳諧の発句として読み直すことにもなるはずです。もちろん、連句がその名で呼ばれるようになったのは、すでに明治も半ば過ぎののちのことですし、、このことからわかるとおり、俳諧もまた絶えず移ろいゆく文芸です。しかし、まさしく俳諧がそのように活きつづけているからこそ、今日もなお、僕たちは一句を活きた俳諧の発句として読みなおすことだできるのだと思います。
 
 とある。その脇起のための発句が、ブログタイトルにあげた、蕪村「ちるさくら落つるは花のゆふべかな」である。
 ところで、本誌本号のメインは座談会Ⅰ(前編)・Ⅱ(後編)の「筑紫磐井「兜太・なかはられいこ・『オルガン』を読む」である。もとはと言えば『WEP俳句年鑑』2019年版の筑紫磐井「兜太・なかはられいこ・『オルガン』-社会性を再び考える時を迎えて」をめぐる「オルガン」メンバー4名、田島健一・鴇田智哉・福田若之・宮本佳世乃による座談会で、Ⅰは主に筑紫磐井の論をめぐって、Ⅱは具体的な句作品をめぐって、自らの問題点を剔出していこうとする内容である。
 そのなかで兜太について、福田若之は、

福田 (前略)シュルレアリスムみたいな方向には、兜太はとても懐疑的なんですよね。時代的にも、兜太の論が書かれたのは、ちょうどサルトルの思想が日本へ本格的に輸入されはじめていたころです。アンガージュマンの発想が兜太の中に入り込んでいる感じがする。あくまでも推測ですが、晩年の兜太の言う「存在者」なんていうのも、直接にハイデガーというよりも、むしろサルトルを経由したハイデガーなのかも知れません。(中略)だから、兜太を理解する上では、「造型」の問題と「社会性」の問題とをあまり分けすぎないほうがいいのかな、とは思っています。
 
 と述べている。ここからは、余談になるが、愚生は、兜太に一番影響を受けた思想につて、直接、兜太の口から(いつどこでは失念しているが)「オレが一番影響を受けたのは実存主義、サルトルの実存主義」と出たのだけは覚えている。そのことを思い合わせると、福田若之の言は当たっているように思う。
 兜太は、コミュニズム運動のなかで、政治的な利用主義については、警戒心をもって、注意深く接しているように思えた。それはたぶん、彼が、かつて日銀従業員組合の組合長の経験によるものだと思う。兜太が「アベ政治を許さない」を揮毫したのは、頼まれたのが澤地久枝だったから揮毫したのであって、もし、正面きっての政党からのものであったら、断っていたであろう。大江健三郎らの「九条の会」つながりでの揮毫だったと思う。政治的発言は、もっとも政治に利用されることを知っていたのは兜太であろう。その警戒心と自らの処し方についてのエピソードもあるが、話せば長くなるので割愛する。
 ともあれ、以下に本誌より一人一句を挙げておこう。

  珈琲この世にまざりあう春と夜     田島健一
  ぐつたりと目のある凧の懸りをり    鴇田智哉
  闘鶏が花の姿にもつれあう       福田若之
  十薬の花クレヨンを深く塗る     宮本佳世乃

 ★テーマ詠「はらう」より・・

  逃げ水に顏のかさなりゆくごとし    田島健一
  紐をゆらすやうに春の蚊をはらふ    鴇田智哉
  煤け笑ううつけあけすけ修羅うらら   福田若之
  蝶番蝶蝶蝶蝶蝶蝶鰈         宮本佳世乃 




2019年5月20日月曜日

吉野裕之「ぐいぐいとくじらとなつてしまひけり」(「f-haiku 2018 」)・・



「f-haiku 2018」(フェリス女学院大学生涯学習課)、「後記」に、

 f-haiku 2018は、フェリス女学院大学オープンカレッジの講座「俳句の創作ー日本語のすばらしさを学ぶ」(春学期。秋学期開講:各八回)の二〇一八年度の受講生による作品集です。(中略)
 俳句の本質は、私たちの日常生活を豊かに実感すること、このことを基本に、講座は運営されています。当たり前といえば、当たり前のこと。しかし、ついうっかりと、忘れがちになること。

 と吉野裕之は記している。ともあれ、自由参加の一冊から一人一句を挙げておこう。

  チャリ飛ばすファンキーな女子春隣      伊東伸孝
  うづたかき僧院の古書秋暑し         西村 翠
  月の海ふたたびねじ巻くオルゴール      川井京子
  コンテスト親の古着の案山子かな       瀧澤孝子
  10月の空に呼吸は消えてゆく         中楯真美
  版画家の便りの中の暦売り          中村義和
  凛と立つ天の高さや曼珠沙華         谷嶋睦美
  法師蟬鳴きつくしたか往ぬる日ぞ       丸矢一夫
  ゆずり葉やみな元号のない暦       小宮山眞知子
  兎やら棲んでいいるやら真白の野       齋藤三和
  佇んであをあをの田の目高追ふ       佐々木裕雄
  台風のかけらホームを走り抜け       清岡ひさ子
  朱を放ち木立にぶらり烏瓜          木村榮一
  ぶらんこやトロイメライにまどろみぬ     森田一弘
  一月のフォルム高々ビルの上         吉野裕之



          文學の森会長・姜琪東↑


    山本健吉賞実行委員長・山本安見子(健吉息女)↑ 


          乾杯の音頭 筑紫磐井↑

★閑話休題・・・第17回山本健吉賞・稲畑汀子(「株」文學の森・各賞贈賞式)・・・

 本日5月20日(月)は、京王プラザホテルに於いて、文學の森各賞贈賞式が行われた。
久々に会った会長・姜琪東(カン・キドン)、まだまだ健在、、最後の仕事が、俳句界に若者を多く招き入れたい、だった。乾杯の音頭は筑紫磐井。以下にすべてではないが主要な受賞者を挙げておこう。

・第17回 山本健吉賞 稲畑汀子
・第11回 文學の森賞大賞 大久保白村『海にも嶺のあるごとく』
              阿部元気『隠岐』
・第20回 山本健吉評論賞 宇井十間「スンマ・ポエティカー造型論における世界観の問題」
・第9回 北斗賞 諏佐英莉「やさしきひと」


             大賞の稲畑汀子 ↑


北斗賞の諏佐英莉↑


             評論賞の宇井十間 ↑


2019年5月19日日曜日

大牧広「しんしんと遠郭公や『なぜ詠むか』」(『そして、今』)・・・



 大牧広・俳句日記2018『そして、今』(ふらんす堂)、先月4月20日に亡くなられたばかり(享年88)の大牧広の句日記である。「あとがき」の日付が本年3月10日だから、本人は、まだまだいけるという感じだったのでは、と思わせる。『大牧広前句集』が晩年の夢である、とも語っている。

   したたかな晩年の夢冬青空      広

 今年第53回蛇笏賞には、大牧広第十句集『朝の森』(ふらんす堂)が選ばれている。授賞式への参列は叶わなかったが、佳き知らせだったはずである。それにしても、亡くなられてすぐの著者の本が届くのは、一層の哀しみがある。

   百歳までも生きたい冬の水平線    

 その「あとがき」に、

  この日記、私は、あからさまに書いたつもりである。
 ただ、掲げた一句の根底への配慮の「共通項」を1%でも守ろうとした気持である。

 と記されている。ブログタイトルにした「しんしんと遠郭公や」の句には、

  五月十一日(金)
 私が勤めていた城南信用金庫の元理事長吉原毅氏は、「原発ゼロの社会を実現する」という理念で、小泉純一郎氏などと活動している。
こうした民意の「うねり」は絶やしてはならぬものだと思っている。(中略)
原発は本当に恐ろしい災いを起こす。福島県がその事実を示している。こうした理念を俳句に生かしたい、と心から思っている。

 と俳句への心情が書かれている。句のみになるが、いくつか以下に引用しておきたい。合掌。

   太箸といふ厳粛をいまさらに
   呟きは大方怒り春の昼
   昭和二十年五月の空は澄んでいた
   老いゐたる夏木にも意志ありにけり
   権力は守られ蟻は踏みにじられ
   ちさき団扇ちさき風しか出さぬ
   戦中の夏や汚れし人ばかり
   日盛りやバスは律儀に止る走る
   いまのところ生きる側にて栗を剥く
   坂がふときびしく見えて十月尽
   仙人になりたき思ひ冬銀河
   なんとなく心緊まりて大晦日

大牧広(おおまき・ひろし)1931年4月12日~2019年4月20日。東京生まれ。


2019年5月18日土曜日

武藤幹「夏空に煙突残し風呂屋消ゆ」(「夢座」改め「ことごと句会」第4回)・・・



 本日5月18日(土)は、「夢座」改め「ことごと句会」第4回(カラオケ館)だった。いつものルノアール小滝橋通り店が、何の手違いか、談話室が確保できておらず、急遽、通りを隔てたカラオケ館で行われた。出句は3句+題は「豆」。次回は6月15日(土
)樺美智子忌に開催される予定。一人一句を以下に・・・

   桃花水カムイの川は盛り上がる     銀 畑二
   噴水の天辺にいる鼓笛隊        江良純雄
   豆の花雨が遠のく昼さがり       渡邉樹音
   牡丹剪(き)る敵の大将討つ如く    武藤 幹
   硝子戸の闇を横切る洗い髪       照井三余
   地図のない旅 よりそい咲きの豆の花  大井恒行




★閑話休題・・・植松隆一郎「風薫る解体中のビルの骨」(第191回遊句会)・・・


                              石飛公也「高幡不動・五重塔」 ↑

 愚生はよんどころなき事情のため出席できなかったが(よって欠席投句)、一昨日に5月16日(木)は、第191回遊句会(於:たい乃家)だった。句会報が送らてきたので、その一部を掲載しておきたい。兼題は薫風・風呂・牡丹。武藤幹は、遊句会でも「風呂屋」の句で最高点をせしめていたらしい。ここでは、植松隆一郎の同点一位の句をブログタイトルにした。以下に一人一句を・・・ちなみに来月は6月20日(木)、兼題は、梔子(の花)・夏暖簾・黴。
  上掲の石飛公也の水彩画は、国分寺市本多公民館で行われた絵画展のもの。

   落日を連れて深紅の牡丹散る      川島紘一
   振り向けば気配の消えてただ牡丹   原島なほみ
   牡丹一輪一週間の玉座かな       石川耕治
   薫風や島の無人の診療所        石原友夫
   仕舞いぶろ菖蒲が胸ににじり寄る   植松隆一郎
   また今年母の残した牡丹咲く      天畠良光
   薫風に手ぐしの指も色めいて      前田勝己
   露天風呂海を眺める車イス      春風亭昇吉
   薫風の襟足差してまた薫風       山田浩明
   長谷寺も今は脇役牡丹かな       石飛公也
   薫風に富士蒼みたり甲斐の国      渡辺 保
   若冲の墨絵の如し夕牡丹        村上直樹
   薫風や双眼鏡の中の鳥         武藤 幹
   牡丹(ぼうたん)の色香に迷う蟻一匹  橋本 明
   風薫る令和の器水一献       たなべきよみ

☆番外投句・・・・・

  風薫るセーラー服の駆け抜けり     林 桂子
  4Kにインスタ映えの牡丹かな     加藤智也
  かつてみな美しきひと薫る風      大井恒行
   

2019年5月17日金曜日

竹岡一郎「焦螟を戒厳令下の街に増やす」(「連衆」83号より)・・



 「連衆」83号(連衆社)、いずれがどうだか分からないが、「豈」の出城が「連衆」にあるのか、「連衆」の出城が「豈」にあるのか。ともかく、「漣衆」本誌に「豈」同人との重なりはもっともなことで(これは怠惰な「豈」の発行テンポのあまりの生温さによるものかも知れない、しかも、同人に対する何のフォローもないので・・)。本誌本号の論考について、羽村美和子「攝津幸彦考ーイマジスチック・ヴィジョンー②」、加藤知子「律動し行動する常少女性Ⅱ-石牟礼道子の詩の原点へ」、髙橋修宏「増田まさみ論Ⅱ」、夏木久「作家その作品を想う『言霊のいる風景』」、藤田踏青「髙柳重信ー作家と編集者に狭間でー」の掲載されているのは、壮観で、その上、「豈」発行人の「筑紫磐井小論」を五十嵐進、そしてまた、これは夏木久を語って出色と思われる川村蘭太「夏木久『俳句風曲集 風典』入門ーオブジェとしてのコトバ考ー」とあっては、立派な眺めで、まさに現代俳句の只今の有り様を映した鏡のようですらある。それぞれにうなづくものがあり、意見を挟んでみたいのもある。もちろん、森さかえ「穴井太論②」、瀬戸正洋「句集『鶴の眼』序 雜読」、もてきまり「鷹女、その口語的俳句の魅力②」、岩田多佳子「『ホンマモンの川柳』筒井祥文をたどる①」、竹本仰「富澤赤黄男句集『蛇の笛』から『黙示』へⅡ」も読ませる。また、谷口慎也「受贈書籍評」も丁寧である。
 いちいち詳細を伝えられないのは惜しいが、そこは読者諸賢が直接当たられたい。ここでは、二つだけ挙げておこう。川村蘭太「G・バタイユで読み解く柿本多映作品ー十七音の思想(下)」の部分、

 僕は、三島を右翼思想という識者がいたらぜひ聞きたいことがある。あなたの言論は彼のように昭和天皇に対し戦争責任を迫ったことがありますか、と。(中略)
 三島の「逆説」を諧謔の精神に生きる俳人がわからぬはずがない。エロティシズムは「欺瞞」を暴く思想だ。

 である。そして,増田まさみを論じたなかで、高橋修宏は、

 「あの日」とは、昭和十八年九月十日、彼女の出生地である鳥取市をマグニチュード7・4に及ぶ大地震が襲った日である。当時は軍事司令により報道管制が敷かれており、全国に鳥取大地震の被害状況など詳細な事情が知らされることはなかったと思う。
 彼女は生涯において、二度にわたって大地震に見舞われている。そして、何より注目されるのは幼児期の震災体験がそのまま父への原体験として描写されていることだ。

 と述べる。ともあれ、以下に一人一句をすべて挙げたいが、漣衆数が多いので、招待作家と「豈」同人に贔屓しての一句と幾人かの一句を挙げておこう。

   金鳳花込み合う天武持統陵        森澤 程
   炎天暗黒もののふに無き両瞼       竹岡一郎
   老人の春の小川へたどりつく       松井康子
   影つくるため野外へ風光る        夏木 久
   色つきの夢やそろそろ蛇の出て      森さかえ
   歳時記をやがて啄む花の鳥       羽村美和子
   苦い春ですふくろうのほうほう論     普川 洋
   サイレンの前と後ろのおぼろかな     加藤知子
   「令和元年」初めての句を書けり     吉田健治
   対岸にサクラは咲けり散りゆけり    早坂かおり
   シビリアン・コントロール亀鳴きにけり  瀬戸正洋 
   撲滅と撲殺似たり花の国        しいばるみ
   鳥雲に死ぬに死なれぬ天皇家       谷口慎也  
   ごはんですよと言わねばならぬ朝が来る 神田カナン 
   にごりゑにだんだん溶けるやっと 今  笹田かなえ
   あぶる手が含み笑いになってくる    とくぐいち

2019年5月16日木曜日

金子兜太「人刺して足長蜂(あしなが)帰る荒涼へ」(「LOTUS」第42号より)・・



 「LOTUS」第42号(LOTUS俳句会)は、特集「金子兜太を超えて」である。執筆陣は丑丸敬史「俳句と土俗性」、髙橋比呂子「金子兜太の俳句」、九堂夜想「無の旅へ」。同人による一句鑑賞は無時空映、松本光雄、曾根毅、酒巻英一郎、三枝桂子、九堂夜想。なかでは、酒巻英一郎が「穭田を少女陰(ほと)擦り走るかな 兜太」の句を挙げて、

(前略)平岡正明が、たしか美人は八の字を描いて運歩すると云った件(くだり)を「思ひ出したのだが、女陰を支點としたエロスの永久運動は、をのこの生命力點とつねに無言交易を果たしてゐるらしい。おそらく女陰といふ表現さへ慎重に回避していたのではと思はせる重信が、肉體の不信、不在性を託ち、懐疑的に言語に真向かつてゐたのに対し、兜太の手放し肉体讃歌は、いまや貴重なる風景へと化してゐるかのやうだ。

 と記しているのは、兜太の有り様をしごく真っ当に、言い当てているようで、世の兜太礼讃にはない皮肉な眼差しを喚起させる。本特集の提案者にして、かつて兜太の膝下にあった九堂夜想のアンヴィヴァレンツな心情は、その筆先を、真に、兜太をこそ乗り超える対象としてきたことをうかがわせる犀利なものだ。それは現在の九堂夜想の位置をも示していよう。例えば、「白梅や老子無心の旅に住む 兜太」の句を冒頭に挙げ、多くを費やしているが、

 (前略)私の見るところ、五七五という俳句形式の特異性(それが他の文学ジャンルにはない決定的要素だが)とは、「私から”私”を切る」こと、さらに言えば「人間から”人間観念”を切る」ことであり、その〈脱ー主体〉〈脱ー人間〉〈脱ー共同体〉、総じて根源的(ラディカル)な〈問い〉の道にこそ、詩としてのあらたな俳句創造が拓かれるのでる。

 と言挙げし、その結びには、

 そして、はるかな歩みは、悠々たる「無心の旅」などでは決してなく、愚かなまでに、傷ましいまでに、この世と切り結び且つすべてを問い続けながら、ついに自己を消滅させてゆく「無の旅」であるような予感を抱いている。

 と述べている。それでも兜太はそこに賭けたフシがある。それは兜太の生きるということだったに違いない。ともあれ、本号より一人一句を以下に挙げておこう。

   天つ風乳もて摩羅を浄めんと       九堂夜想
   
   鶏冠も
   鶴冠も
   落暉いま              酒巻英一郎

   朧夜はだるき声だす生鏡        三枝桂子
   枯るるとは芒の盲愛かも知れぬ     志賀 康
   流れ星のイエスが過ぎて鱗と漁夫    曾根 毅
   ささめごといろのあるらしささめゆき 髙橋比呂子
     まるで自分で悲しみを探しているかのように次か
     ら次とつらい思いをさせられる出来事が続く。し
     かし神は、勇気を出しなさい、海の底にも道があ
     る、と言われる。
   鳥籠ごと夜明けに参加 神経も茎も   古田嘉彦
   三叉路の風に枯葉のコロスかな     松本光雄
   かざはなやつちのかむなぎみごもれり  無時空映 
   秋風や記紀に飛びのる草虱       丑丸敬史
   天空に一滴水か汗か血か        表健太郎


2019年5月15日水曜日

竹村半掃「年の瀬や地べたに並ぶブキニスト」(『にんげんに』)・・



 竹村半掃第一句集『にんげんに』(ハイク&レンク出版)、跋文は二上貴夫。それには、

 半掃氏は京都出身ということもあってか、良い意味で俳諧味を持って居られ、
 スリッパの脱ぎ捨ての向き春隣
 夏料理向かいはバイオ研究所
 マスクして人畜無害なりにけり
 といった句を句会に出されて、次第に「詩あきんど」が目指す「俳味」とは何かを会得されていった。その軌跡がこの第一句集である。

 とある。 収録句数は223句。俳句を初めて十年目の節目にということらしい。著者「あとがき」には、

 俳句を始める前は、高校時代、母の勧めで「金雀枝」(えにしだ)短歌会に三年ぐらい参加していましたが、大学時代は工学関係、会社時代もコンピュータ関連の会社で三十数年勤務、まったく文芸活動とは無縁でした。退職後、母の介護で約二年間、故郷の京都に神奈川から単身赴任し、母は三十数年近く短歌を前登志夫先生について八十九歳まで大阪の短歌会へ、その母も九十二歳でこの世を去り、帰宅後、偶然にご近所にお住いの二上先生からお誘いを受け俳句を初めた次第です。

 と記されている。同時に送られてきた「詩あきんど」第35号にの「詩あきんど集Ⅰ」には、

   初蝶来そらの青より解かれて        半掃
   木星(ユピナル)よ右脳に残る春の色

 の句がみえる。また、本誌本号は、「第4回宝井其角顕彰『晋翁忌』2019俳句俳文大賞」の発表でもある。選考委員は、二上貴夫に宮崎斗士。大賞は砂山恵子「膝毛布」、準賞は廣島佑亮「水の階段」、矢崎硯水「虚と実と・カメレオンパロール」。各受賞者より一句を・・、

   小寒やプーさん柄のベビーカー     砂山恵子
   匂ひくる水の階段夏の月        廣島佑亮
   氷菓舐めロボットカフェの窓の星    矢崎硯水

 半掃句集『にんげんに』の集名に因む句は、

  にんげんにすればいいやつ蝸牛
  にんげんに何か言ひたげ時計草

 であろう。ともあれ、以下に愚生好みに偏するが、いくつかの句を挙げておきたい。

   六十億光年の先山眠る         半掃
   犬小屋に閂をして寝正月
   マイナスの無限大あり寒の水
   おあがりやすとは花の話のおはりなり
   あめんばうけふのところは雲の下
   一丈の蛇の抜け殻炎熱忌
   紙雛を留守番にして古都ぬるむ
      母平成二〇年三月九日逝去
   お別れの歌のお供やのらの猫
   
 竹村半掃(たけむら・はんそう) 昭和16年、京都市生まれ。


          撮影・葛城綾呂 レンギョウ↑

2019年5月13日月曜日

栗田やすし「振り向けば一筋の道寒明忌」(『半寿』)・・



 栗田やすし第5句集『半寿』(角川書店)、集名については、著者「あとがき」に、

 句集名の「半寿」は耳慣れない語であるが、「半」の字を分解すると「八十一」になる。昨年六月十三日に八十一歳になったことから、自祝の意を込めてこの題名を選んだ。

 とある。本集は、第5句集にあたり、平成20年から平成30年に至る11年間の作品340句、他に巻末には、平成10年より平成30年に至る21年間の沖縄詠(四季別)が収載されている。とはいえ集中には、半寿という重ねられた年齢の分だけ、追悼句が多い。さらの師であった沢木欣一、細見綾子、さらに研究対象であった河東碧梧桐を偲ぶ忌日を多く詠んでいる。いずれ鎮魂に満ちた句集である。無作為になるが、まず悼句を以下にあげておこう。

     沢木欣一師を偲び
  ウィスキーは湯割りが良しと春炬燵    やすし
     竹川君を悼み
  教へ子の訃音はらりと冬椿      
     皆川盤水氏を悼み
  ただならぬ雲に早さよ秋の山
     滝沢伊代次氏をいたみ
  「いよーじ」と大音声や鳥渡る
     義母
  白菊や母は天寿を全うし
    大橋幹教氏を悼み
  佳き人の死は忽然と冬椿
    横森今日子さんを悼み
  山と句を友とし逝けり桐の花
    武山愛子さんを悼み
  友逝きし日や山茶花の散りやまず
    加藤憲曠氏を悼み
  雪の夜のせんばい汁の熱かりし
    鈴木みや子氏を偲び
  単衣着て紫煙艶めく人たりし
    悼中村修一郎氏
  昼ちちろ卒寿の友の柩閉づ
    石川紀子さんを悼み
  花ゆうな海を隔てて訃音聞く
    花ゆうな=オオハナボウのこと。一日で黄色から次第に橙色に変わる

 グログタイトルにした句「振り向けば一筋の道寒明忌」は碧梧桐忌。他に忌日句は、

  流れゆくもの美しき綾子の忌
  反故を焚く煙りひと筋綾子の忌
  泰然と色変へぬ松欣一忌
   白子
  沖はるか白帆かがやく誓子の忌

 などがある。ともあれ、他の愚生好みの句をいくつか以下に挙げておきたい。

  点字付す望郷句碑や河鹿鳴く
  軍服の騎乗の父や敗戦忌
  甘蔗(きび)畑に痛恨の碑や旱梅雨
         敗戦直後、スパイ容疑で日本軍が島民を虐殺
    旧海軍司令部壕
  黴臭き幕僚室に自爆痕
      司令部壕=大田実少将らの自決した所
  花ゆうな錆びて転がる祝女(のろ)の島
  赤土(あかんちや)に幾万の霊甘蔗の花 
    チビチリガマ
  闇深き洞窟を墓とし年送る

 
栗田やすし(くりた・やすし) 昭和12年、旧満州国ハイラル生まれ。


          撮影・葛城綾呂 ボケ↑

2019年5月12日日曜日

榎並潤子「鬼でなく哀しきものの煤払う」(「Shinado」27号より)・・ 

 

 「Shinado」27号(編集・林信弘・2019年4月)、編集後記に、

◆シナドが27号に漕ぎつけた。2001年からこの5人のメンバーで、19年かけての足取りです。(中略)
◆しかし、しかし、実際問題、わが̪̪シナドはご覧のように見事に(自賛)27号に漕ぎつけました。皆さま次号でまたお会いできますことを!

「シナド」は「詩など」か、詩編が中心? 5人のメンバーとは、榎並潤子・小松あや子・中村明美・林信弘・森泉エリカ。編集人が昭和20年生まれらしいから、メンバーが変わらずにここまできたということは、なかなかのいい関係性だからこそだろう。愚生は俳人だから、句を中心に以下に取り上げるが、まずは、シナド編集人ともども、今後つつがなく過ごされ、メンバーが欠けることなく、精一杯続いて欲しいと思う。

  機関車の闇に潜んだ子の素足     潤子
  くちなしの葉裏の卵雨激し
  夕しぐれ蛙の絵本とピアノ曲
  土砂入る辺野古の呻き寒風に
  母を背に騎馬戦のごと大晦日
  電線に縛られる街春一番

 ブログタイトルにした「鬼でなく」の句には、「玄関のナマハゲに」の前書が付されている。そして、「秋愁」のエッセイには、

 (前略)そうだ、戦争の責任をとらない国だもの、いまだにあの原発事故の責任をとろうともしない。戦争の道をひた走ったように、金儲けのために自然破壊する国家の暴力を止められない。

 と書かれてある。あと一人、短い数行のものをあげておこう。

     こちらあけみ
                      中村明美

○月○日 
 歩行訓練が始まる。赤ん坊でも、もう少しましに歩くだろう。痛いのだか重いのだか、痒いのだか、夢の中を歩いている感覚。内田百閒を読む。どうも既視感がある。このとらえようのない感覚。そうだ、私の足だ、と思い当たる。  



          撮影・葛城綾呂 ハナニラ↑  

2019年5月11日土曜日

村松路生「シベリアのこの月父母も見てをらむ」(「麻」4月号より)・・


 
 「麻」4月号(麻俳句会)は、「村松さんの遺作特集」である。絵画でいえば香月泰男のシベリアシリーズのような句が並ぶ。

  夏草に武器投げ出して敗戦す    路生
  向日葵の見られて行くや捕虜の列
  捕虜寒し監視なければサボる性
  雪道を急かす少年監視兵
  三日はや流るる捕虜の訃の噂
  ラーゲリに帰る雪解の重き靴
  百夜外(と)に虱とる捕虜贅の刻
  所長来てハンカチ振れりダモイ駅
  生き抜きし麦飯もはや美容食
  身に覚えあるシベリアの寒波来る

  いくつかのエッセイが収載されているが、「巡り合わせ」と題した小文には、

 (前略)実践の時の装備は、小銃は持たず、護身用に銃剣(突撃の時小銃の先につける剣)一つだけを携帯し、雑嚢の中にはダイナマイト、導火線、それに万一のときの自決用手榴弾が三発、これが我が工作隊の死に装束であった。(中略)
 当時のシベリアの収容所の食糧事情は極度に悪く、飢えと寒さに堪え切れず、比較的労働条件の良かった私たちの収容所でも、千人中七十人位の犠牲者が出ていると聞いた。(中略)
 ある日突然に、船の都合か汽車の都合かは「朝令暮改」のお国柄のことだから判らないが、既に労働の出来なくなった病弱の人達の送還に混じって、私達数十人が急遽帰国することになった。夢ではないかと喜ぶと同時に、ナホトカの港を船が離れるまではまた「暮改」に成ってしまうのではないかとの不安がつきまとって離れなかった。
 矢張、この帰国の集団の中にも知った顔は一人もいなかった。
 何故なら敗戦時武装解除の時点で、日本の軍隊という組織集団を異常に恐れて、まるで麻雀の牌のように全員を念入りに掻き混ぜ、部隊や中隊の細胞組織を完全に破壊して、広いシベリアの各地に分散して送ったとのことであった。(中略)
 私は思う(もし、満州の軍事病院での奇跡が起きなかったら?)
(もし、サイパン島転属組の人選の時に健康体であったなら?)
(もし、工作隊で適地に潜入していたら?)
(もし、シベリアで病弱者の送還列車に乗れなかったなら?)
などなど生と死の境を何度も避けることが出来て、今もこの世に八十六歳の生を受けられることは、自分の意志では決して左右する事の出来ない何かがあるのだ、と。
 これが巡り合わせと言うものかも知れない。やはり、この命は天から託された大切なお預かり物と思うので、変換するその日までは大切にしなければと何時も思っている。

 この村松路生についての紹介に、松浦敬親は次のように記している。

  路生さんの本名は村松鐘三。大正十一年四月十九日、静岡県藤枝市の産まれ。句作開始は昭和五十一年四月で、麻参加は平成元年四月である。四月が三つ続いているところが、何やら「嘘のような本当の話」(本号46頁)の〈死神〉を思い出させる。勿論、これは冗談。恐らく、路生さんは自分の生まれた四月が好きだったのだろう。

 村松路生、大正11年4月の生まれ月から推測すると、享年96ではなかろうか。ともあれ、本誌本号より、主宰の一句のみになるが、挙げておきたい。

  あたらしきたんぽぽけふを生きんとす  嶋田麻紀


2019年5月10日金曜日

西東三鬼「霧の街防弾チョッキわが買はず」(「赤旗」連載・「松本俊介と街と渡邊白泉」より)・・


          今泉康弘連載のしんぶん「赤旗」↑

 今泉康弘の「しんぶん『赤旗』水曜エッセー『松本俊介と街と渡邊白泉」も回を風重ねていよいよ佳境に入ってきた。戦前の絵画と新興俳句の共通項を、モダニズムという思潮において描き出そうとしているようである。例えば連載2回目「街にこもる思い(4月17日)の結びは、

  ただし、日中戦争の始まる前、彼は人物と建物とを別個に描いている。画面に人物を入れずに、ただ好ましい建物だけを描いていた。それはやがて「街」のように建物と人物とをモンタージュして描くようになった。その変化を促したものは戦争であった。

 或いは3回目「千人針という題材」(4月24日)では、

 モダニズムの「街」にもかかわらず、ではなく、モダニズムの「街」であるからこそ、戦時色が現れるのである。街はモダニズムの現れる場所であり、戦争がモダニズムを踏み潰す場面でもあった。

 あるいはまた、「戦争への不安と抵抗」(4回・5月1日)では、

 ただし、俊介の資質は、社会問題の告発ではなく、街に生きる人間の姿や街並みを叙情的に描くことにある。日中戦争の開始以来、庶民の生活は変わった。街の情景のなかに戦争のもたらす影があり、人々の心を陰らせていた。俊介の眼差しはそうした人々の思いをすくいとった。それは彼自身の心の陰りでもあった。そのために選んだのがモンタージュというモダニズムの方法であった。

と述べている。

  

 
 また「蝶」(代表・味元昭次)では、今泉康弘の連載「川柳的な、あまりに川柳的な」が今回(5回目・237号)をもって完結した。その結び近くでは、

 (前略)我々が俳句的だと思うもの、川柳的だと思うもの、そのそれぞれの核心にあるものは何かということだ。また、初めに述べたように本稿の目的は、川柳と俳句の間に明確な一線を引くことではない。川柳と俳句とは、ともに俳諧の現在の姿である。それを別ジャンルとして峻別することの方が間違ったことなのではないか。いわゆる純文学も大衆文学(エンターテイメント)もどちらも小説である。(中略)本来、同じものである。お互いが影響し合うことによって、俳句と川柳との区別がなくなって、俳諧の本来型として、より良い短詩型が生まれることを希望している。

 と双方にエールを送っている。



     しんぶん「赤旗」4月28日、読書欄(鳥居真里子)↑
                                              

★閑話休題・・・芭蕉「この道や行く人なしに秋の暮」(古井由吉『この道』書評より)・・


 しんぶん「赤旗」つながりで、今度は、鳥居真里子の読書欄の古井由吉『この道』の書評の部分を以下に紹介しておこう(「赤旗」も最近、有望俳人の起用が多くなってきたのかもしれない。文字通り前衛?)。

(前略)森羅万象をあるがままに受けとめる。それは老いてなお生気を内に秘め、創造の実りを求めてやまない作者の精神を支える源泉であるにちがいない。〈この道や行く人なしに秋の暮〉表題となる芭蕉の一句である。(中略)
 「死後のことを考えるのは詮ないことだと考えている」。死を達観することなどあり得ない。死は常に生の内にあるのだから。作者のつぶやきが言霊のように胸をついて離れない。(鳥居真里子)
                              
    

          撮影・葛城綾呂 ヤモリ↑
 

2019年5月9日木曜日

与那覇恵子「この島が この国を変えるしかないと」(『沖縄から見えるもの』)・・



 与那覇恵子詩集『沖縄からみえるもの』(コールサック社)、解説は鈴木比佐雄「沖縄人の『言の葉』の深層を掬いあげる人」には、

  詩篇全体を拝読した際に強く感じたことは、沖縄という場所の暮らしや歴史・文化を背負いながらも、私たちの中に秘められた根源的なことを自らに問いかけて、それをとてもシンプルな言葉で伝えてくれる誠実さだった。沖縄の詩人でありながらも、世界と交流する個人であり、さらに普遍的な人間存在を見詰める根源的な問いを発する詩人である与那覇氏の内面の葛藤が、強くリアルに感じられる生き生きとした詩篇群になっていると考えられた。
 
 とあった。もっとも短い詩篇を以下に引用しておこう。

      ブッレク・ファースト

 闇をこわして
 朝が 来るたび
 人は生まれる
 とろりとした 夢の記憶を
 ぶるりと ふり払って
 少し 生まれる
 射してくる陽に
 少しだけ すきとおって
 きのうの鎖を 溶かされて
 今日に 生まれる
 重みに つぶされずに
 明日も 生きる
 「さあ!」と きのうを振り払って
 今日を踏み出す
 少しだけ 新しい私たち
 今朝も
 トーストのこげと
 コーヒーの香りが
 少しの誕生を 祝ってくれた

 詩集に続いて与那覇恵子は評論集『沖縄の怒り』(コールサック社)を上梓している。跋文を平敷武焦が寄せている。それには、「待望の論壇集を発刊した。氏は十年ほど前から沖縄の二つの新聞の論壇への投稿を続けている」とあって、その二つの新聞について、彼女の詩集の「あとがき」に、

 沖縄の二紙を基地問題に偏っている偏向̪紙のごとく言う人が多い。文学に政治を持ち込むことを嫌う人も多い。しかし、沖縄の二紙が基地問題に偏っているなら、それは沖縄が丸ごと基地問題を抱えこまされている日本の偏向した現実を示しているだけである。日常を生きるということは、その地域の社会問題や政治問題にからみとられた現実を生きることであり、真剣に生きようとすればするほど、それらと向き合わざるを得ない。人が人間社会に生きる限り、書くことはメッセージを伝えるがためであると考える。そういう意味でも、自身の思いを伝える言葉が足りず空を見上げてばかりいる。

 とある。それが、「決意」と題された詩の末尾に以下のように記されているのだ。

(前略)沖縄は 沖縄に帰るしかない
    この国で 沖縄に帰るしかない

    この島で 生きるしかない人々は 思う

    この島を 生きるしかない
    この国で この島を生きるしかない
  
    この島で 闘い続ける人々は 思う

    この国は この島を変えることはできない
    この島が この国を変えるしかないと  

 与那覇恵子(よなは・けいこ) 1953年、沖縄県生まれ。
 

          撮影・葛城綾呂 ハナカタバミ↑

2019年5月8日水曜日

佐藤りえ「電柱の高きに蜻蛉・泥の痕」(『探偵句集 いるか探偵QPQP』)・・



 佐藤りえ『探偵句集 いるか探偵QPQP』(文藝豆本ぽっぺん堂)、愚生の若かりし頃は、それなりに豆本も本屋で見かけることもあったが、最近ではとんと目にしない。ただ、好事家は、いつの世でもいるもので、佐藤りえは、その豆本をいろいろ作っては商っているらしい。加えて、探偵ものにはとんと詳しくない愚生にとっては、「あとがき」は、唯一の手がかり、とっかかりのようなものであるから、それをまず引用しておきたい。が、その前に、巻末には「いるか探偵QPQP 最初の事件 どどめ色の研究(抄)」などという、いささか隠語めいた掌編が置かれてある。で、その簡略な注(もしくは、あとがき風)を以下に、供したい。

  ・この本は本邦初(当社調べ)の探偵俳句である。
 「いるか探偵」冊子『GKドキュメント』(現代歌人会議活動記録』の中の「安楽椅子探偵もので、イルカ探偵っていうのを考えたんだけど」という穂村弘さんの雑談(P98)から想を得て(というか、そのまま)誕生しました。(中略)
 ・「どどめ色の研究(抄)はこの本のために書き下ろした所謂「書き下ろし小説」で本編は存在しません。いつか書かれる日がくるかもしれません。

 とある。掌編の抄出を以下に、

 QPは、水槽上部から這い上がり、阿須那君から受け取ったタオルでざっと身体をぬぐい、ヘリンボーンのジャケツに袖を通した。彼はなかなかの洒落者なのだ。
「しかし発見の状況も、死因も同じです。外傷の無い窒息死。口に松ぼっくりを含み、全身びしょ濡れで自室の真ん中に倒れている。しかし、室内には他に濡れた痕跡がなく、玄関も窓もすべて施錠されているー完全な密室です」

 ところで、句については、集中50句の中から、以下に挙げておこう。句は、先般上梓の句集『景色』(六花書林)からもいくつか収載されている。
   
  変態は顏を隠して夏の月        りえ
  抗菌の手拭いで血を拭ふかな
  D坂のだれも影法師を曳かず
  星の街玻璃のお皿の毒団子
  雪達磨に了(しま)はれているニ、三人 
  瞼に目書くかむと思ふ四月馬鹿
  首か椿か持てない方を置いて行く
  地芝居にふたりの乱歩睨みあふ
     時効まで
  かぎろひに次の名前を考へる
  木は灰に炎は森に親しめり
 
 著書『フラジャイル』(風媒社)は歌集。文藝豆本ぽっぺん堂は豆本制作の際の屋号だという。つまり、俳人にして、歌人、はたまた豆本制作者・・七つの顔を持つ女、果たしてその正体は?

 佐藤りえ 1973年、仙台市生まれ。

2019年5月7日火曜日

「ふりむけば八十年後や夕櫻」(「戛戛」第114号・各務麗至「八十年後の夕櫻」より)・・



 各務麗至・小説「八十年後の夕櫻」(詭激時代社・「戛戛」114号より)、ブログタイトルにした「ふりむけば八十年後や夕櫻」の句は小説中に配されている俳句で、他に「長生す咎める人も無き餘生」や、「なのはなや天あをあをとなにもなし」の句もある。「なのはなや」の句には、

ーー「何もなしと」書いたら、いつぱいあるんだ」といふ反對の言葉も浮かぶねえ。色即是空空即是色の世界なんね・・・などと、その時、賢一の句を初めて母は褒めるやうな言ひ方をしてくれたのだつた。

 と、語りが挿入されている。愚生は小説について云々する術を何も持ち合わせてはいないが、丁寧に書かれた小説であり、思わず胸が熱くなる場面などがある。その因は、たぶん、各務麗至「あとがき」の以下の部分を読むと分かるのだが、その書く姿勢がもたらしてくれているように思える。
 
  (前略)それはある文学講演会の合間で、お近づきになった方々と立ち話になり、私や私の歴史的仮名遣いの小説について聞かれてだが。--理解者は百人に一人くらいでもいれば、と、そう思うとの弱音に、
ーー千人に一人、いやいや万人に一人あるかないでしょう。
でも、その一人あればこその始まりですから、と激励してくれた編集人がおられた。
そういう人たちに救われて、
そういう人たちと真剣に向き合おうとして、今なお私は意識して作品の完成度を上げたく格闘したり、今なお謙虚に書き続けていられるのかも知れないそんな幸運を思っている。

 ともあれ、俳人の愚生は「ふりむけば」の挿入句に、野狐禅を称した永田耕衣の「少年や六十年後の春の如し」を思ったりした。




★閑話休題・・山内将史「撫でまはす鸚鵡の胸は山河かな」(「山猫便り/二〇一九年五月4日)


 各務麗至の小説の挿入句に永田耕衣を思ったのであれば、山内将史の句の「山河かな」には当然と言えば当然のように、句の趣は違うものの、これには耕衣の「後ろにも髪脱け落つる山河かな」を想起する。何しろ山内将史は、「琴座」同人、永田耕衣晩年の弟子の一人であった。「山猫便り」には、

  (前略) 左足のアキレス腱とふくらはぎが痺れて痛くなった。座骨神経痛の本を読み鎮痛消炎血行促進効果がある貼薬を貼りしゃがんで立つ運動をし半身浴をして二ヶ月程で足を引きづらなくても歩けるよになった。和式便所にしゃがむ姿勢ができなくなっていたのに驚いた。
 今泉康弘の評論「諧謔と無ー永田耕衣における禅」(「円錐」に連載中)は面白い。「吹毛用了須磨」(『景徳伝灯録』)など知らなかった。

 とあった。御身大切にご自愛を祈念する。


2019年5月6日月曜日

今井豊「言葉みな春をあざむく波頭」(「いぶき」第4号より)・・



 「いぶき」第4号(いぶき俳句会)、本誌広告に、将来開設の「私設図書館」の蔵書・資料として【句集・俳誌などの寄贈のお願い】が出ている。開設は4年以上先のことになるというが、すでにかなりの資料が寄贈されているらしい。それに関連しているのかも知れないが、今井豊連載「句集逍遥 私の本棚から」は、毎回楽しみに読ませていただいている。今、第4回は、「栗生楽泉園俳句會・大野林火編『火山翳』(近藤書店・昭和三十年十二月刊)である。今井豊は
 
 栗生楽泉園は群馬県吾妻郡草津町にある旧ハンセン病患者の国立療養所である。現在でも百八十人弱の旧ハンセン病患者の方たちが生活されていると聞く。(中略)合同句集『火山翳』は「ひやまかげ」とふりがなが振られている。「序」を国立療養所栗生楽泉園長の矢嶋良一が記し、「あとがき」を編者である大野林火が、「刊行に際して」を高原俳句会 村越化石が記している。(中略)
 ここには四十四名(故人を含む)の俳句が掲載されている。三句しか載っていない人から七十句を越える句が掲載されている人まで様々である。

 と述べている。大野林火の「あとがき」には、

 化石君は嘗て私に「最後の編者の覺悟で作句してゐます」と語つたが、おそらくこの覺悟は高原俳句會全員の思ひであろう。今日、これだけの覺悟で俳句にのぞんでゐるものが、どれだけあるであらうか。世の隅で詠まれたこれらの切々たる聲が一人でも多くの人々の耳に達することを望んでやまない。
 癩者の俳句として読むのではなく、すべては一表現者としての俳句である。(中略)
 これら作品は特異な環境から詠はれてゐるとはいへ、根底は人間と人間の触れあひのふかさを願つてゐるのである。それでなくてはその特異さが眼をひくだけで、われわれの心に沁み込む筈がない。

 とある。その中の村越化石はのちに俳人協会賞、詩歌文学館賞など、また1983年には蛇笏賞を受賞している。大野林火は「濱」を主宰し、林火没後は、松崎鉄之介が主宰を継承した。愚生は、最晩年の松崎鉄之介の自宅を訪ねたことがあるが、その折、村越化石が句を送ってくる間は「濱」は終刊しない、続けると言っていた。そしてその通りに、化石が2014年の春に没すると、林火もその夏に、すぐに亡くなり、「濱」は終刊したのだった。二人の師であった林火は、小説の北条民雄、短歌の明石海人、俳句の村越化石をハンセン病文学の三本柱と言ったが、化石のみが無菌になったのち、全盲になりながら長い歳月を生きた。化石の特色はそこにある、と言ったという。
 孫引きになるが、いくつかの句を挙げておこう。

  癩は吾が障害の枷麥黒穂      後藤一朗
  除夜の湯に肌触れあへり生くるべし 村越化石
  父の死に行けぬ癩の身朧行く    佐藤敬子
  盲ひたる友に読みやる良夜かな   川村五郎
    気管切開手術
  今生の夕日をわたる四十雀     浅香甲陽
  雁行くも帰心はすでに失へり   白井春星子
  切らむとす黒髪匂ふ秋の日に  菅賀野たか子
  癩の柩きしませ置くや冬畳     佐藤母杖
  ほむら立つ夜の大焚火癩なくせ  竹村のぼる
  百日紅癩故入籍求めもせず     白井米子
  種芋を割るや癩者は子を持てず  山村よし子
  春逝くや舌もてひたに読む聖書  山本よ志朗

最後に本誌「いぶき」代表作品と特別作品から各一句を挙げておきたい。

  亀鳴くや妻とふたりで歩くときも 中岡毅雄
  時間よりひかり引き出す枯葎   今井 豊
  鳥帰り淡海一壺まさをなり    三枝桂子
 


2019年5月5日日曜日

藤田踏青「毎晩尋ねてくる今日の遺失物係」(年間句集2018自由律俳句『きやらぼく』より)・・

 

  藤田踏青の便りによると、自由律俳句誌「きやらぼく」は鳥取県倉吉市から出されている俳誌で、戦後、昭和26年に「ペガサス」として発行後、「梨の花」から昭和57年に「きやらぼく」(月刊)へと誌名が変わって、現在443号だということである。師系は荻原井泉水「層雲」だが、各結社や各地からの参加者も多くなっているという。
 その「きやらぼく」の年間句集2018自由律俳句『きやらぼく』(きやらぼくの会)の序は山田風人。それには、

  (前略)言の葉に「言霊」をみた古の面影はない。多くの者は依って立つべき自らの二本の足を忘れ、「私」の言葉・力で立ち上がる事を投げ出している。(中略)
 きやらぼくとは、句と、言葉と、真摯に格闘した先達が残された言霊の集積である。「平成」から「令和」へと世は移るが、きやらぼくの存在意義は変わることはない。

 とある。また、三好利幸「あとがき」には、

 「きやらぼく」は師範のいない道場であり、会員のそれぞれがそれぞれの作品を持ち寄って批評を受け、他者の作品を評する、いわば乱取り稽古や鍛錬の場と称してよいだろうし、師範はなくとも、一目置く相手や競争相手は認めることができるだろう。その道場で切磋琢磨することによって、会員それぞれが〈よりよい〉俳句を生み出す術を学ぶのであり、〈よりよい俳句〉を見い出す目を養うのだと言えよう。

 と記されている。ともあれ、その成果の一冊から一人一句を以下に挙げておきたい。

  膝上の形なき温もり両手で掬う       天野博之
  沈丁花の雪はらえば枝からは春のあいさつ  幾代良枝
  渇くこころ枯れ葉落とす森の音      後谷五十鈴
  余白は余白のままでいい小鳥が止まる    谷田越子
  美しい沈黙だったラムネ瓶         中島かよ
  燃料を探しているぞのぞき魔        中筋祖啓
  済んだことにして爪を塗る        野田麻由可
  エプロン広げて一瞬の陽だまり       広瀬千里
  「哀し」を拾い集めては暖まる       藤田踏青
  忘れ傘取りにきて雨を忘れている     前田佐知子
  舞酔いながらおぼれて今宵         増井保夫
  革命はかすかに静脈注射の針がずれる    三好利幸
  廃屋つぶしたあとのこれだけか        無 一
  元気雨おちてじっとしをらず        山根智行
  犬の鼻で花びらが寝ている         山本弘美
  過去から落葉した一枚の欠礼       ゆきいちご
  


2019年5月4日土曜日

中山奈々「凩に貼る収入印紙」(「円錐」第81号より)・・

 


 「円錐」第81号は「第3回円錐新鋭作品賞発表」である。花車賞(澤好摩推薦)に神山刻「シェフを呼ぶ」、白桃賞(山田耕司推薦)に西生ゆかり「青い万年筆の家」、そして特別賞(円錐編集部推薦)に中山奈々「七七日」。神山刻「シェフを呼ぶ」には、澤好摩、山田耕司の双方の推薦票が入っているので、順当ならば、新鋭作品賞受賞の一名受賞となるはずだが、これまでもそれぞれの選考委員の推薦に授賞してきた経過があるので、それに倣ったのかもしれない。注目は中山奈々「七七日」が、先日、本ブログでも紹介したように、復本鬼ヶ城が提唱し、数年の実験を重ね、かつ実行者がいる「短俳句」と呼ばれる、いわゆる十四音(七・七)の「短句」形式の実践であろう。それを「豈」の渕上信子は、「連句の短句に季語と切れを入れて、平句を発句化することで、世界最短の定形を目指しています」と言っていたが、ここにも実践者がいたので、愚生は少し驚いている。俳句形式は、現在もなお、まだ過渡の詩なのである。残念ながら、応募作全句の掲載ではなく、10句のみであるので、その中から以下にいくつか紹介し、他の受賞者の一句も挙げておこう。

   紋白蝶の腹嗅ぐ旅路           中山奈々(特別賞)
   魞挿すひとのあとから渡る
   盗られしものをみな夜濯ぎす 
   尿意強める鵙の一声
   月映るまで鏡を傾ぐ
   溶けぬバター溶けたバターに浮いて春   神山 刻(花車賞)
   たんぽぽや地球征服したら暇      西生ゆかり(白桃賞)

 その他、各同人より一人一句を挙げておきたい。

   七草や歳月人をみがきをり        丸喜久枝
   テーブルの眼鏡が見ゐる花吹雪      小林幹彦

   波止(はと)
   (ま)つ場(ば)
   終日(ひねもす)
   (おき)は荒(あら)き波(なみ)   横山康夫
   
   地虫出づ人は乗るべきバスを待ち    山﨑浩一郎 
   仮面では隠せぬ涙カーニバル       栗林 浩
   雛納む仕丁(しちやう)の喜怒哀楽も  田中位和子
   山眠り日はうすうすとかくれんぼ    荒井みづえ
   サイレンに倦みたる都市や花の昼     後藤秀治
   師の虎の唸るを聞けり初枕        江川一枝
   小春日の平凡に過ぐ至福かな       小倉 紫
   あまねくものにてのひらはあり龍の玉   大和まな
   切通しの左右の冷気春の空       橋本七尾子
   落鳥やでんして戻る冬の橋        矢上新八
   うぐひす餅と言ふ大きさの変はりなき  原田もと子
   老梅や墓場に尽きる道ありて       澤 好摩
   あの山に父母の骨ある春の霜       味元昭次
    昭和四年生まれの髙橋龍さん平成三十一年一月二十日に逝く
   己巳(きし)の年世界恐慌龍の玉    三輪たけし 
   うぐひすや破り捨てたる一・二月     山田耕司
   轢死ありこの御降りの片隅に       今泉康弘
   眷属の揃はぬ御代や地虫出づ      和久井幹雄 
  


           本村夫妻と右端が愚生↑

★閑話休題・・日本太極拳法一楽庵創立五十周年記念全国大会・・・


 昨日、5月3日(金・祝)、横浜文化体育館に於いて、日本太極拳法一楽庵創立五十周年記念全国大会が行われた。偶然というも、あるいは奇縁というも、これほどのことはさしてあることではない。上掲写真中央は本村充夫妻は、愚生がかつて地域合同労組の役員をやっていた時代の仲間であり、かつ愚生が定年退職して2ヶ月ほど、彼の主宰する太極拳法一空会(於:八王子労政会館)で、ごくごく基礎的な太極拳法を教わった師である。その拳法のルーツが同じ、一楽庵初代宗家(現在92歳)・出井現兵子であろうとは思いもしなかった。本村充と会ったのも10年ぶりのことである。
 その一空会では、24式や形意拳のほんの片鱗をごく短い期間に学んだ(とは言い難い程度のことである)。それから生活のために、愚生は文學の森に再就職したり、稽古場が住居地と離れていたこともあり、一空会を辞めてしまったのである。
 そして3年前、府中グリーンプラザで行われていた、太極拳法の案内に魅せられ、愚生のような年寄りにも出来るだろうと思って入会したのが府中一楽会だったのだ。その師が出井現兵子であり、師の直々の支部だったのである。師はすでに90歳近くにもかかわず、身体の硬い愚生などは及ぶべくもなく、身体も柔らかいし、じつに好奇心の旺盛な先生だった。大会の最後は二代目宗家となられた出井円美子(いずい・えんびし)の「純陰陽剣」での演舞で、本村充は「一楽節祝棍(いちらくいわいこん)」というオリジナル演舞であった。
 愚生は、まだ扇も棍も剣もいまだ手にするほど上達してはいないが、健康のためと思ってはじめたので、のんびり、ゆっくりと続けて行きたいと思っている。