2021年12月31日金曜日

山田千里「人形が人間になる 野分」(「ぶるうまりん」43号)・・



 「ぶるうまりん」43号(ぶるうまりん俳句会)、特集1は「今泉康弘著『人それを俳句と呼ぶ』を読む」、執筆陣は山田千里「今、今泉康弘は新鮮である」、芙杏子「勉強会風景」、瀬戸正洋「著者を囲んで」、書評に土江香子「『渡邊白泉の句と真実』俳人と戦争」、生駒清治「『人それを俳句と呼ぶ』俳句評論を超えて」、エッセイに今泉康弘「映画ばかり見ていた」。特集Ⅱは「大久保春乃歌集『まばたきのあわい』を読む、執筆陣は、酒巻英一郎「『あはひのまばたきー極私的女歌史に沿ひて」、瀬戸正祥「三角定規」、今泉康弘「深きあわいに」、他に、12名の同人による一首鑑賞。

 そして、招待席に特別作品20句、救仁郷由美子「友が居る」がある。御門違いかも知れないが、愚生から一言感謝を申し上げたい。救仁郷由美子はここ数年、病床にあって、この間、愚生はひたすら無力であり、ごく限られたといっても数人、いや一人か二人とのメールのやり取りがあるくらいであって、その機微に、愚生はまったく触れていない。その中のお一人が山田千里氏である。彼女からの毎日のようにハガキなどもいただき、それが、今回、特別作品二十句となって結実しているとおもわれるが、そうしたやり取りの中で生まれた句を、こうして活字にして発表することになろうなどとは思いもよらないことであったろう。感謝の他はない。しかも、救仁郷は数カ月前までは、メールはおろか、活字もテレビも音楽も、何かの用事での伝言以外は、愚生も部屋に立ち入らせず、すべて遮断した世界にいたにもかかわらず、陽の射す場所へと導いていただいたことに感謝するのみである。先月下旬、救仁郷は近くのホスピスに入院、コロナ禍中で面会制限もあった。が、痛みのコントロールもそれなりに何とか出来、病状は安定しているので12月18日に退院が叶い、現在は自宅療養中である。ともあれ、その救仁郷の2句と、あわせて、本誌中からの句歌を以下にいくつか挙げておきたいと思う。


  頻闇(しきやみ)の淵(ふち)はるかより浮かびくるひらり耳ふわりふた耳

                                大久保春乃

  南天の色づく先を友が来る       救仁郷由美子

    師安井浩司闘病中

  日々帰らん 悲しみ滲む破芭蕉


  本当に消去しますか黒い雨        生駒清治

  一度だけ人は死ぬると秋あかね      池田紀子 

  冴へ返る細胞のこうしん無限です    及川木栄子

  口を隠すタロット占ひ師や無月      瀬戸正洋 

  こなごなの せいざ こなごなのさざんか    塵

  木の実独楽記憶の襞の防腐剤       田中徳明

  月の雨 一九七一 「イマジン」     土江香子

  沿線は顔のない街穴惑い         東儀光江

  人流の止まぬ新宿ハエ叩く        平佐和子

  ふらここの白いいねむりときどき風    普川 洋

  コロナワクチン自主的というよりも    吹野仁子

  まんげつのよはいつでもまみむめも   三堀登美子

  となみはる坂の半ばに震ふ秋       芙 杏子

  老人にサルビアの緋が揺れている    村木まゆみ

  何もいらない 残像としての月欠片    山田千里



        撮影・鈴木純一「わた虫が飛んで体育坐りかな」↑

2021年12月30日木曜日

坪内稔典「老人は甘いか蟻がすでに来た」(『屋根の上のことばたち』より)・・


  坪内稔典『屋根の上のことばたちーねんてん先生の文学のある日々・弐』(新日本出版社)、「あとがき」には、


  二、三年で終ると思っていた。ところが、「ねんてん先生の文学のある日々」の連載は今なお続いている。月に一回、「赤旗」での連載なのだが、ときどき、この話題はほぼ同じことをすでに書いていますよ、と担当の平川由美さんからメールが届く。「あ、またも重なった。モ―ロク現象かなあ」と反省するが、実はさほど気にしない。好きな話題、好きな人、好きな本、好きな食べ物の話などは、なんどもしたくなる、それはごく自然な人情だ、と思っているから。(中略)

 以上、老化、あるいはモ―ロク現象を自己弁護しているみたいだが、まぎれもなく自己弁護である。老いに伴う人情を弁護している。ちなみに、人情とは「人間が本来持っている心の動き」(『日本国語大辞典』)だ。この人情を私は平川さんと共有している。といい気分に勝手になっているのだが。


 とあった。ここに登場する平川由美さんは、愚生が十年ほど前?、2年間月1回、「しんぶん赤旗」の俳壇時評を書かせてもらった時の担当の人でもある。ツボさん(仁平勝はいつもそう呼んでいた)は、若いステキな女性には弱いようだ。本書中の33話ある中の一部分になるが、以下に引用しよう。


  (前略)さて、アリだが、、今年(二〇一七年)はヒアリがニュースになり、ドラッグストアなどの行くとアリ用の殺虫剤が山積みになっている。よく売れているらしい。先年はデング熱を媒介するカ(蚊)が話題になり、公園などで大掛かりな駆除が行われた。今やアリもカも撲滅されかねない雰囲気である。

  眠いなあ蟻と十八歳と 

  蟻が来ている六十八歳のベッド

  老人は甘いか蟻がすでに来た

  老人は死体か蟻がすでに来た  (中略)

 カミさんは、「甘いものを食べて歯もちゃんと磨かないであなたは寝る。だからよだれにアリが来たんじゃない?」と笑った。たしかにそうかもしれないが、自分としてはアリを身近に感じた。撃退するよりも親友になろうと思ったのだった。

  蟻は蟻のうしろ姿を見て一列   鳥居真里子

  なやましきものの一つに蟻の腰  樫井賢一

  蟻が蟻を運んだり月曜の午後   三好万美  

  友情は膝の上だよ蟻たちよ    山岡和子

 私の俳句仲間の句を挙げた。(以下略) 


 坪内稔典(つぼうち・ねんてん) 1944年、愛媛県生まれ。



      芽夢野うのき「葉牡丹のもう何もほしくない渦」↑

2021年12月29日水曜日

森須蘭「蝶々のリズムで日向出来上がる」(「原点」NO.9)・・

 

 「原点」№.9(口語俳句振興会会報)、第4回口語俳句作品大賞は、森須蘭「木のベンチ」(八千代市在住、「祭演」主催・「豈」同人)であった。その他、奨励賞に三名、久光良一「残された影」(周防一夜会)、月波与生「蓮根の匂い、肉の味」、冨田潤「あかんたれ(大阪弁で弱虫、根性なし)」(無所属)。愚生は、第三次最終選考会に出席できなかったので、その評を送ったので、その冒頭の部分を以下に記しておきたい。


 「あかんたれ」を一位に推します。方言を駆使して、俳句形式に過不足なく、言葉を良くなじませている点を評価したい。大阪弁の可笑しさ、リズムの良さ、句の情景がよく見える。また、ほどほどの自嘲が好感をもたらしていよう。

  エーンヤコラ蟻の一揆がはじまるぞ

の句には、ヨイトマケの歌が潜ませてある。 (以下略)


以下に、一人一句を挙げておこう。


  冬薔薇くちゃっと咲いていて自由      森須 蘭

  父の日は父の遺影おがみわたしも父である  久光良一

  空き瓶に誰でもよかったを詰める      月波与生

  お気張りやすや裏戸からくる心太      冨田 潤 


 そして、授賞式は本年も行わず、誌上俳句大会として顕彰するとあった。


☆第4回口語俳句 作品大賞顕彰/記念(誌上)俳句大会 ご案内

 ・作品 未発表3句 (内2句を誌上に掲載します)、作品大賞選考委員の選句。

 ・出句料 1000円(84円切手可)を作品に同封して下さい

 ・投句先 422-8045 静岡市駿河区西島912-16 萩山栄一方

       口語俳句振興会事務局 宛(054-281-3388 FAXも同じ)

 ・締切 2022年1月20日(木)

 ・誌上講演  秋尾敏「俳句史を見直す、ということ」

        谷口慎也「口語俳句の行方」

 ・主催 口語俳句振興会 ・後援 現代俳句協会 



★閑話休題・・石口りんご「夫婦です・空気・消火器・煮大根」(「祭演」NO.64より)・・


 森須蘭つながりで「祭演」NO.64(主催・編集発行 森須蘭)。創刊号は2000年4月とあるから、「豈」(1980年創刊)の倍のぺースで「豈」と同じ64号達成とは、見事!ともあれ、「祭演」の「豈」同人の一人一句を以下に・・・。


  わが恋を眼裏に灼く日向ぼこ    川崎果連

  水無月の水が木に入る夜の音   杉本青三郎

  鍵盤の指から秋へ着地する     森須 蘭



                撮影・鈴木純一「刃を渡る

                        砂の惑星

                        水の惑星」↑

2021年12月28日火曜日

木村リュウジ「風花に舟という舟やせてゆく」(「海原」NO.35)・・   

 

 「海原」NO.35(海原発行所)、中に、木村リュウジ追悼のページがある。享年27、去る10月20日の自死を、酒巻英一郎から伝えられた。その若い、ナマイキな青年のことは、若き友への友愛をもって語っていた仲間の武藤幹からも知らされた。「海程」から「海原」へ、そして、愚生は何よりも「LOTUS」誌によって知っていた。多行表記の句をも試みていた。これから、さらに注目されるであろう俳人の一人であった。その遺句抄と文・宮崎斗士「君はこれからも」に、


 (前略)享年二十七。戒名「蒼龍俳諧信士」ー。

 彼との初めての出会いはかつて埼玉県大宮で開催されていた「海程」東京例会だった。その頃、金子先生のお体のコンディションが思わしくなく、ご欠席が続いていた。(中略)結局、彼は一度も金子先生と対面することができなかった。

 彼は2017年に自律神経失調障害、神経症との診断を受け、その後もずっと心療内科に通っていたらしい。心の中に爆弾を抱え、その導火線に火が点いたら消し・・を繰り返しつつこれまで生きてきたのだろう。(中略)

  死と生の交わるところ揚雲雀    リュウジ  (中略)

 そういうわけで蒼龍俳諧信士よ、向うで海程院太航句極居士さんという方にお会いすることがあったらー「お会いできたらお聞きしたいことがたくさんあります!」って言ってたよねー俳句の話で心ゆくまで盛り上がって下さい。 

 そして、君はこれからもー


 とあった。ざっと、本誌本号を通覧しただけで、亡き金子兜太はもちろんのこと、現在の「海原」には、愚生の現俳協青年部時代より、お世話になった方々の名がづらり見とえる。また、まみえることを願って・・・。できるかぎり、以下に句を紹介しておきたい。


  字余りの余生見えたり神の留守      安西 篤

  八方に雪山虚空蔵菩薩かな        武田伸一

  白き帆が夏の痛みに耐えている    木村リュウジ

  深緑へごくごく極と神が鳴る       佃 悦夫

  小室家に嫁ぎし秋篠宮家の長女なりし   福富健男

    木村リュウジ氏を悼む

  白鳥よせめてほほえみ天翔よ      堀之内長一

  いちめんに渋柿ため息に似たやつを踏む  森田緑郎

  はらからや正面切って降るもみじ     山中葛子

  筆談やみるみる鰯雲のように       若森京子

  伸ばした足の明るさ花カンナ       加川憲一

  花野などバンクシーには似つかない    並木邑人

  ぶらさがる凍蝶として思考中       前田典子

  ひとつ減るポスト先生冬ですよ      松本勇二

  犬抱けば犬も木霊を待ちをりぬ     水野真由美

  からすうり妻はグサッと消去法      宮崎斗士

  あかのままあだちがはらのあやとり    山本 掌

  銀漢や生きなば用ひ糸切歯        柳生正名

  書を曝すわが若き日のペンネーム     市原正直

  朝焼けを蹴散らし朝日昇りけり      内野 修

  色即是空問題は秋の雨          大西健司

  のど自慢すぐに退場野分晴れ       小野裕三

  羊歯図画工作室へなだれるよ     こしのゆみこ

  あきらめも怒りも揺れて秋桜       佐孝石画

  きらきらとぎらがなの国木の実降る    白石司子

  独り身っぽい男が夫しゃくとり虫     芹沢愛子

  鹿を呑む鮭を呑む谷祖(おや)を呑む   十河宣洋

  晩秋のピアノ戦禍も時疫も        田中亜美

  ゆっくりと使う月光の手のひら     月野ぽぽな

  浅間からポリネシアまで鰯雲     マブソン青眼 

  あっちむいてホイこっち見ない裸木   らふ亜沙弥

  誰かいつも遅れる集い草紅葉       片岡秀樹

  やぶからし一行目からまちがえる     河西志帆 

  まんじゅしゃげ一つの旗は燃えやすい   武藤 幹 

  台風接近真っ先に飛ぶ口約束       石川青狼



     芽夢野うのき「椅子ひとつ狐のてぶくろ忘れあり」↑

2021年12月27日月曜日

北川美美「にごりえの男女生涯裸なり」(「俳句新空間」NO.15・2021冬)・・


「俳句新空間」第15号(発行人 筑紫磐井・佐藤りえ)、主要目次は加藤哲也「『概説 筑紫磐井・仁平勝』出版を振り返って」、「皐月句会・美美抄」、令和三年俳句帖(歳旦帖~花鳥篇)、前号作品鑑賞に、もてきまり「新春帖鑑賞」、小野裕三「俳句新空間14号句評」、中島進「俳句新空間前前号(13号)評。厳冬帖(特別作品20句)、ここでは、歳旦帖・厳冬帖などから、「豈」同人の一人一句をアトランダムだが挙げておきたい。

 

 鉢合わせの去年の御慶も誰も来ず   北川美美

 ともに来てばらばらに去る嫁が君   飯田冬眞

 逃水や王国いくつ亡びたる      井口時男

 今更オリンピックなんてつばくらめ  神谷 波

 捨てられし浴槽のあり蝌蚪游ぐ    坂間恒子

 雁列や反権力とは反る力       堀本 吟

 切通しいよいよ無人余花曇      佐藤りえ

 ちょっとちくっとしますよ草餅   妹尾健太郎

 ミルキーな夢の一歩よ丑の春     早瀬恵子

 さえずりや平行四辺形のまま     山本敏倖

 母の忌のあとに祖母の忌枇杷熟るる  男波弘志

 花に寝て天に近づく瀬音かな     五島高資

 生きてゐて死語の遊びや後の月   高山れおな

 春の水両手が今日の耳となる    なつはづき

 玉手箱に太陽の影と逃水       夏木 久

 もがり笛支配の涯の顔認証      中島 進

 百千鳥えにしは是非に及ばざる   眞矢ひろみ

 広辞苑に「人流」はなし盆踊     渕上信子

 善・悪の音なく戦ぐ銀河系      筑紫磐井

 軍旗また興亜を祈り花の森      大井恒行 


☆募集 第7回攝津幸彦記念賞

 〇未発表作品30句(川柳・自由律・多行句可)

 〇応募は郵便に限り、封筒に「攝津幸彦記念賞応募」と記し、原稿(A4原稿用紙)には、氏名・年齢・住所・電話番号を明記してください(原稿は返しません)。

 〇選考委員未定 〇発表 「豈」65号

 〇送付先 〒183-0052 府中市新町2-9-40 大井恒行 宛


    

★閑話休題・・津髙里永子「北川美美をらぬ聖夜のシュトーレン」(「ちょっとたちどまって~2021.12」)

  北川美美繫がりで森澤程と津髙里永子のハガキ通信「ちょっとたちどまって~2021.12」より・・・。


   六林男忌の水面に風の梢あり     森澤 程

   手をつなぐことも一応クリスマス  津髙里永子



       撮影・鈴木純一「禮に始まり禮に終はりて冬至かな」↑

2021年12月25日土曜日

相子智恵「阿形の口出て銀漢や吽形へ」(『呼応』)・・・


  相子智恵第一句集『呼応』(左右社)、付録に、ウェブマガジン『週刊俳句』のデイリー版「ウラハイ」に2011年4月から10年間書き続けた「月曜日の俳句」より「時代といのち」を感じる句、一年一句を選び批評しているものを刊行記念冊子として同封してあった。

 本集の序は小澤實、その中に、


 集中末尾の句は次のものである。

   群青世界セーターを頭の抜くるまで

「群青世界」と言えば、次の句が口をついて出る。

  滝落ちて群青世界とどろけり

 この那智の滝を詠んだ秋櫻子の代表句の「群青世界」を、セーターを着る瞬間の描写に使っている。俳句における本歌取り、なかなか成り立ちがたい修辞だと思うが、この句は成功しているのではないか。ある世界を一度壊した上で、別の世界を立たせているのだ。


 とある。また、著者「あとがき」には、


 十九歳で俳句に出会い、気づいたら四半世紀が過ぎていた。『呼応』は私の第一句集である。収録した最初の句は二十一歳の作。そこから個人的な区切りとして三十七歳の作まで、十六年間の三百二十六句を収めた。年の区切りは制作時ではなく発表時による。最後の句からは、すでに八年が経過している。


 とあり、この後、つまり三十八歳から今日まで、約8年間の句が、まだ残されていることになる。その句集が待たれるところである。そして、集名については、


 俳句を始めて数年が経った頃、我の中に我はない、ということが、すとんと腑に落ちた。自分とは固有のものではなく、対象との関係の中に、万物との呼応の中にあって初めて浮かび上がるものだと、その思いを集名とした。


 とあった。ともあれ、愚生好みになるが、集中よりいくつかの句を挙げておきたい。


  柳絮飛ぶこけら落としの日なりけり     智恵

  手拍子に変はる拍手やクリスマス

  家々に残雪ありぬどれも汚れ 

  春ショールなり電柱に巻かれしもの

  木犀や漱石の句に子規の丸

  金魚に名無くて「金魚のはか」とのみ

  社旗国旗安全旗東風打ちゆけり

  御降として荒荒と吹雪をり

  蛇の衣まなこの皮もいちまいに

    「いわきへ」「プロジェクト傳」の招きで

    七月・九月の二回、被災地と文化財、民俗芸能を訪ねた

  とことはに後ろに進む踊かな

  片手明るし手袋をまた失くし

    師より贐に「うすぐもりの寒しあまねく光満ち」の一句を賜れば

  水に地にわれらに冬日あまねしよ


 相子智恵(あいこ・ちえ) 1976年、長野県飯田市生まれ。



  撮影・芽夢野うのき「万両やそこにも根をはりくれゆかん」↑

2021年12月23日木曜日

金田一剛「柿落葉血の温もりをポケットに」(「第32回・メール×切手ークリスマスことごと句会」)・・


   第32回(メール×切手)「クリスマスことごと句会」(12・25)、雑詠3句+兼題1句「人」を出句。以下に、一人一句と寸評を紹介しておきたい。


  冬うらら骨格標本の弛み         渡邉樹音

  埋み火の爪どうしても鋭角に       江良純雄

  極月のImagine all the People     金田一剛

  参道に捥(も)げたヒールや神の留守   武藤 幹

  何よりも傍にいる人冬ごもり       杦森松一

  枯葉踏む振り返れど跡が無い       照井三余

  人は人私は私ピラカンサ        らふ亜沙弥

  ぎどぎどに刃研ぎて一縷慚愧あり     渡辺信子

  告げられし余命淡きや冬の雲       大井恒行


・「柿落葉・・」ーわが血の熱さが心強い味方ですね(信子)。

・「冬うらら・・」ー冬と骸骨はつきすぎの感じだが、骸骨が弛むというイメージが希有(純雄)。

・「埋み火・・」ー「埋み火の爪」は何かを比喩的に表現しているのかもしれないが、なかなか消えない埋火のの生きている様を埋み火の爪としたところが独特(恒行)。

・「極月の・・」ー十二月では甘くなる。「極月」で効果倍増(樹音)。

・「参道に・・」ー慌てて神が出雲へ行った痕跡と考えれば二ヤリとさせられる。所詮神も人間臭いもの(純雄)。

・「何よりも・・」ー誰とも語らず、カタワラの人に冬ごもりされた様子の妙の一句(三余)。

・「枯葉踏む・・」ー枯葉に足跡がつかないのは当然だが、何か深いものを感じた(亜沙弥)。

・「人は人・・」ー赤い実を生らしているが、あれは別に誰かのためでも人間を楽しませるためにならしているわけではない。有り余るほど生らせば生らすほど他人事に感じる。その象徴性が上手い(英一)。

・「ぎどぎどに・・」ー研ぎを趣味にしていますが、いろいろな意味を考えさせられました(松一)。

・「告げられし・・」ー鈍色の空でも、冬晴の空でも、「冬の雲」は儚く淋しい(幹)。


☆2022年、なんとか人と人とのオンライン、寄り合い句会を目指しましょう。皆さま、良い年をお迎え下さい(剛)。



★閑話休題・・佐藤映二訳編『デ・ラ・メア詩選』・・・


 佐藤映二訳編『デ・ラ・メア詩選』(文治堂書店・1000円+税)、巻末に佐藤映二「詩について」(デ・ラ・メア編著『子どものための詩集』序文)と「デ・ラ・メアとの縁ーあとがきに代えて」が収載されている。その終わり付近に、

 

 (前略)とどのつまりこの詩人が私を虜にしたのは、彼の編纂にかかるアンソロジー『こっちへおいで』のサブタイトル、「あらゆる年代の若人のための」(for the Young of All Ages)だったようだ。そう言えば、サン・テグジュペリの名作『星の王子さま』の「はしがき」のなかの、「大人はだれも子どもだった。そのことを忘れないでいる大人」という意味合いの言葉も思い当たる。そしてそれは、屋上屋を重ねるようだが、宮沢賢治自筆とされる広告文の中の「どんなにばかげてゐても、難解でも必ず心の深部に於て萬人の共通である」(童話集『注文の多い料理店』広告チラシ)にも一脈通じていよう。


 とあった。ともあれ、短い詩の一編を引用しておこう。


     パンとさくらんぼ

 「サクランボだよ、おいしいよ、

   熟してうまいサクランボ」

  雪より白いエプロンの、

  サクランボ売りおばあさん、

  そばの籠にはどっさりこ。

  そこへぞろぞろ男の子、

  きらきら目玉で頬真っ赤。

 「ひと袋入り頂戴な、

   パンと一緒に食べるから」

 

 佐藤映二(さとう・えいじ) 1937年、福島市生まれ。



     撮影・中西ひろ美「日没を知らせる落葉囃子かな」↑

2021年12月20日月曜日

夏石番矢「あらゆる細道見えない王冠充満す」(「週刊読書人」12月17日・第3420号より)・・

 


 「週刊読書人」12月17日・第3420号(読書人)、恒例の年末回顧特集。「俳句」については、浅沼璞(あさぬま・はく=俳人・連句人)が執筆している。その中に、


 (前略)ウィズコロナが常態化したこの一年、俳句というジャンルはどのようにこの状況と向き合ってきたか。それを問うためには、まずウィズスペイン風邪における俳句を今一度確認しておく必要があろう。その意味において谷口智行の随想集『窮鳥のこゑ』(書肆アルス)所収「スペイン風邪ー歴史に学ぶということ」の一章は貴重であった。そこで谷口氏は、感染死した大須賀乙字、二度罹患した芥川龍之介、後遺症に苦しんだ右城暮石らの作品を掘り起こした。

 胸中の凩咳となりにけり      龍之介

 耳病めば冬日かがやきわたるかな   暮石

 いずれも言葉の身体化がなされた秀句だ。これらを近代的アプローチの到達点とすれば現代俳句はどのようなアプローチが可能だろうか。


 と記されている。「また『鷗座』(鷗座俳句会)連載の『新型コロナウイルスの感染症と俳句」(松田ひろむ)は、コロナ関連の用語とその例句を広く網羅し、さながらコロナ歳時記の如き充実ぶりを発揮」とも述べている。ブログタイトルにした夏石番矢の句「あらゆる細道見えない王冠充満す」は、『世界俳句2021』第17号「新型コロナウイルス特集」からの句。その他、本欄(収穫の句集より)で挙げられた句などを以下に紹介しておこう。


  ヰルスとはお前か俺か怖(おぞ)や春  高橋睦郎

  尺取の出を間違えしまま歩む      志賀 康

  地虫鳴くいうれい飴のひとかけら    井上弘美

  書き折りて鶴の腑として渡したし    佐藤文香

  セルビィのいそうな百葉箱に秋     木田智美

  薔薇を愛す力石徹のごとく瘦せ      林 桂


 本紙「俳句」のすぐ下には「短歌」欄、執筆者は藤原龍一郎。「今年、特記すべきは、現代短歌史上でも重要な二人の歌人の全歌集が刊行されたこと」とあった。その二人の短歌は、


  崖下に観音像の立ちて在す西陽烈しきに不意に不意の思ひに  森岡貞香

  鉛筆を持ちたるままに眠りゐき覚めて明るき春におどろく  馬場あき子


そして、迢空賞の俵万智『未来のサイズ』から、

 

  制服は未来のサイズ入学のどの子も未来着ている      俵 万智

  

また、中堅歌人からは、二首を引用しておきたい。


  時雨かとおもへば終日降る雨で都は遠いと言うて暮れゆく  林 和清

  介護用品ふえるさみしい家を出て街を歩けば段につまづく 小島ゆかり



       撮影・鈴木純一「生きているあかしは冬の犬酸漿」↑

2021年12月18日土曜日

三橋敏雄「噛みふくむ水は血よりも寂しけれ」(「WEP俳句通信」125号より)・・


 「WEP俳句通信」125号(ウエップ)、特集は、〈「『眞神』考」を読む」〉、執筆陣は、角谷昌子「狼による詩魂の共振」、大井恒行「〈北川美美『眞神』考ー三橋敏雄句集を読む〉」、村井康司「『読み』の方法」、四ッ谷龍「寓意俳句と純粋俳句」、川名大「『鑑賞』の規範とその逸脱」、澤好摩「〈北川美美著『眞神』考〉を読む」、岸本尚毅「三橋敏雄と季語」、妹尾健太郎「非『しし派』の人」、福田若之「傍らに」、山田耕司「美美さんを偲びつつ」、筑紫磐井「北川美美の生きたこと書いたこと」。山田耕司は、その中で、


(前略)その後、美美さんが『眞神』について書き表す上でのサブタイトルとして、「『眞神』を誤読する」というタイトルを献呈した。これは、美美さんが論考の上で誤読をするような至らない論者であるという意味ではない。

 そもそも、三橋敏雄の『眞神』には、正解などない。いざ、それが正解だと思って書き進めると、それは三橋敏雄が仕掛けた罠へと誘導されてしまう。無季作品としての可能性、日本の文化や歴史の相対化、韻律や調べという言葉遊びとしての俳句のあり方、それらの端緒を掴んだとして追いかけていっても、いったん掴んだ糸をぷっつりと自ら切って見せる、そんな仕掛けがあるのが『眞神』である。一句一句の単位で読みこもうとしても、何を借景とするのか、句意に含まれる余韻をどのように描くかによって、その顔つきは変化する。(中略)

 個人として書き、個人として読む。このスタイルへの誘導こそが、三橋敏雄の仕掛けの意図であったかもしれない。「『眞神』を誤読する」という文言は、共有知としての正解を目指すのではなく、個人という視点にこだわりつつ読むことへの宣言として捧げたものでもあった。

 共有知という視点から三橋敏雄の作品を検証する方法そのものが無意味だというつもりはまったくない。むしろ、俳句形式においての共有知があればこそ、個人としての読みは、論者の中で相対化され、有効な読解としてたちあらわれてくることになるだろう。


 と記している。ともあれ、本誌特集によって、北川美美という人、また、三橋敏雄『眞神』のいくばくかでもが現前していることは、実に嬉しいことである。愚生は、それらを記憶に留めていたいと思う。また、角谷昌子「狼による詩魂の共振」は、以下のように締めくくっている。


  『眞神』の後も、三橋は晩年にいたるまでこれらの句のように複雑多様な社会事象を凝視しつつ、観念を託して言葉に新しい命を吹き込み、季語の本意を熟知した上で有季・無季俳句の可能性を探り続けた。古典を重視し、鬼や神まで登場させて歴史の生気を削がず、詩的雰囲気を保ち、追体験として読者に作者のイマジネーションを伝えた。その方法こそ、「必須のアナクロニズム」(ハンガリーの哲学者ルカーチの言葉)だと思える。

 北川が存命ならば、さらに作品を分析・解体して多角的な三橋論を展開し、詩魂に肉迫したにちがない。


 その文中より、三橋敏雄の幾つかの句を挙げておこう。


   絶滅のかの狼を連れ歩く        三橋敏雄

   昭和衰へ馬の音する夕かな

   鈴に入る玉こそよけれ春のくれ

   撫でて在る目のたま久し大旦

   戦争と畳の上の団扇かな

   あやまちはくりかへします秋の暮

   坐して待つ次なる大地震火災此処

   山に金太郎野に金次郎予は昼寝


余禄になるが、(つ)とある編集後記には、


 北川美美さんのご自宅に伺ったのは、蔓延防止措置が発令される寸前の、今年4月のことでした。桐生の駅前も広々として、桜も咲いていました。(中略)

 このごろは梅を漬けるようになっていたのよ、お母さまからお聞きしました。また梅を大きな公園から植樹し、「美美」の名でプレートを付けたとのお話もありました。

 私は美美さんとは一歳年上だけのまさに同世代。この二十年ほどを振り返る機会を与えてくれたように思います。


 とあった。この編集子・土田由佳と、雑誌連載時からずうと単行本になるまで北川美美も共に歩んでいたのだ。


 

       撮影・芽夢野うのき「狂いたる三歩てまえを帰り花」↑

2021年12月15日水曜日

細谷喨々「死者のこと数で言ひたくなき寒さ」(『父の夜食』)・・

 

  細谷喨々第3句集『父の夜食』(朔出版)、栞文は工藤直子(祭々)「いつまでも」、その中に、


「螻蛄(けら)の会」と名づけ月一回。十一年たち、皆、俳句が好きになりました。

 今、私は句への会い方が少し変わったようです。「自分の好きな句を見つける」というより「句が、私に会いにきてくれる」という感じ。うれしい感覚です。


 とあった。さらに、本句集から選ばれた「螻蛄の会連衆の『私の好きな句』」とあるので、それを一句ずつ紹介しておこう。

 青梅やいつか口癖だいぢやうぶ  (草野良明〔餡々〕選)

 目瞑ればついと寄りくる風呂の柚子(保手浜孝〔敲々〕選)

 熾見つめ涙ぐむ子もゐてキャンプ (新沢としひこ〔俊々〕選)

 みとりとは生きることなり霜柱  (保手浜澄子〔澄々〕選)

 なめくぢも共に越し来て新居かな (草野ひとみ〔瞳々〕選)

 何処までが此の世彼の世の蛍かな (市河紀子〔紀々〕選)

 脈ひとつもうひとつとぶ夜長かな (斎藤ネコ〔猫々〕選)

 

 また、著者「あとがき」には、


 この第三句集は「林住期」の作品集です。還暦以降に私を俳句に引きつけてくれたのは私がリーダーを務めてきた二つの句会の連衆です。特に詩人工藤直子さんとその仲間との「螻蛄(けら)の会」はコロナ禍にもめげず熱心に活動を続けてくれました。その間に父は亡くなり、孫の数は増えました。

 もう故人となられた小児科医の大先輩の言葉に「晩年は死とむきあう年代のこと。本人の心構えに関するもので生理的年齢とは無関係である。」というのがあります。いよいよ私自身も晩年です。


 とあった。句集名に因む句は、


      昔々

  往診の父の夜食に子が集(たか)る       喨々

   

 である。私事になるが、愚生は本日が誕生日で73歳。やはり、晩年というしかない。ともあれ、愚生好みに偏するが、すでに挙げられた句を除いて、いくつかの句を記しておきたい。


  火炙りの地球と思ふ紅蜀葵

  寒くなき朝に不服の桂郎忌

  あはれ蚊の縋りつきたる栞紐

  むらさきが支へて春の虹立てり

    定年が来年一月二日。感謝礼拝、送別会は

    年内に済ませて、をはりに一句

  極め付きの数へ日ニ〇一二年

  うらなりの南瓜にありて向う疵

  頃合ひの中空にあり後の月

  古来稀とはとんだこと初暦

    永田和宏氏と神戸で

  如月や歌よみと汲む灘の酒

  行く春や自然死に〇検案書

  のぼるより落つる蛍のますぐなる

    BOEING777

  ボーイングフフフと読んでキャンプの子

  雪女まづ唇を塞ぎたる

  

 細谷喨々(ほそや・りょうりょう) 昭和23年、山形生まれ。

  


   撮影・中西ひろ美「O氏を呼ぶ鍋は煮えたか句はできた」↑

2021年12月14日火曜日

谷口智行「神ときに草をよそほふ冬の月」(『自註現代俳句シリーズ・谷口智行集』)・・


 『 自註現代俳句シリーズ13期8「谷口智行集」』(俳人協会)、「あとがき」には、


 三冊の既刊句集『藁嬶』『媚薬』『星糞』から自選三百句を集録。熊野大学で茨木和生先生と出会ったことがその後の僕の全てを決定づけた。俳句との関わりに留まらない生き方の悉くを、である。本書刊行を機にさらなる精進を重ねて行きたい。


とある。熊野大学といえば中上健次、早すぎる死だったが、愚生は、よそ目ながら、三鷹駅前にあった下は書店で二階が喫茶店「第九茶房」で時折見かけた。そして、若き日、坪内稔典の「現代俳句」に中上健次論を書かされたことや、後に、「俳句空間」(弘栄堂書店版)では、中上健次×夏石番矢の対談をしていただいた。また、ノートには、細かい字でびっしりと書かれていたことなどを思い出す。松根久雄の句集が書肆山田から刊行されたことも・・・。ともあれ、いくつかの自註と、他は句のみになるが、以下に挙げておきたい。


  どこからとなき数へ唄久雄(ひさお)の忌   平成一二年作

松根久雄忌日は平成十年十二月七日。亡父と同級生であり、短期間だったが多くを学んだ。〈毬ひそと四辻よぎり久雄の忌〉。


  忘れ霜(じも)食ふもんよーけ咲いとーよ   平成一八年作

『俳コレ』(邑書林)で高山れおな氏が「なんとも土臭い、それでいてウイットの利いた言い回しをしたものだ」と評してくれた。


  十二月ひそかに鳶の餌付けして    平成一八年作

新宮市市田水門。投げ上げてたパン切れをもの凄い勢いで滑降して捉える鳶たち。餌付けは禁止されている。


  弾丸喰(たまく)ひの一等(いっとう)怖ろしと   平成二三年作

急所を外された猪は獰猛である。猟師は「三枚目(・・・)の肋が猪の急所」と教えてくれた。「三本目」とは言わない。 


  似て非なり死と春眠の薄ら目は    平成二六年作

俯せ寝を強いられていると、いつ寝たのか分からない。看取って来た多くの人の薄ら目を思い出していた。

 

   指を嗅ぐ少年蝶を放ちしか

   この塀に健次も倚りき花通草(はなあけび)

   すひかづらリストカットの少女たち

   黴の医書よりひときれの新体詩

   死んでなるものかと踊りやめぬなり

   神涼し紀のわたつみのやまつの

   飲食(おんじき)に哭(な)きいさつるも生身魂

   草莽の医も句もよけれ酔芙蓉


谷口智行(たにぐち・ともゆき) 昭和33年、京都生まれ、和歌山県新宮育ち。



        撮影・鈴木純一「毛の国の果てまで見えて冬入り日」↑

2021年12月12日日曜日

本田信次「音はふいに/空気の抵抗をはねのけ/そろそろ/身体から(・以下略)」(「Magellan Future」創刊号)・・


 「 Magellan Future(マゼラン・フーチャー)」01(編集発行人 本田信次)、ブログタイトルにしたのは、本田信次の詩「共鳴」の最初の4行である。第2連の「石を蹴ろう/川に喜ばれる音を出すために/葉を揺らそう/森に愛される音を出すために」と、展開してゆく・・・(以下略)。編集後記には、


 「Magellan Future」創刊号をお届けする。

 かつて「Magellan」という詩誌を発行していたが、十一号で終刊してはや十三年が過ぎた。その間、書くという行為においては、臆病で無為な日々を送っていたが、昨年、高橋修宏氏との二人誌「NS」がスタートし、私の中で久しぶりに主体的な取り組みが始まったといえるかもしれない。

 その余勢を駆って小誌創刊となったわけであるが、基本は「NS」とは非対称な親和性を持った個人発行誌というスタイルを貫いていこうと思う。

 「NS」がデュオにとる詩的な実験を行う工房とするなら、「Magellan Future」は、アンサンブルの力を借りてポエジーの空間を開いていく場としたい。


 とある。本号の寄稿者は、井坂洋子「秋の廊下」他、時里二郎「沙海島(さかいじま)」他、福間健二「フミちゃんの眠らない夜」、田原「かなしみ」、高橋修宏「古鏡」他。発行人の本田信次は、エッセイに「直筆という所与ー言葉をめぐる断章」があり、詩篇に「好きなだけここに」「共鳴」「パターンの鳴動」である。なかで、唯一、愚生の面識があるのは福間健二、ただし、15年以上は以前のこと、先日亡くなった、岡田博(ワイズ出版社主)の事務所でのこと。彼は映画の本の出版打合せで見えられていたのだが、挨拶程度のことだったので、たぶん、お忘れだろうと思う。また、本田信次のエッセイに登場する瀧口修造だが、荻窪駅近くの画廊(名を思い出せない)で開かれていた個展にお邪魔して、お会いしたことがある。実に穏やかな老紳士という印象だった。愚生の、黒い紙に拙い墨で書いた50句の自筆第一句集『秋(トキ)ノ詩(ウタ)』(私家版)は、後に書肆山田を継承した鈴木一民の制作であり、その衣装の発想は、瀧口修造の『地球創造説』を真似たものだった。

 ともあれ、本ブログでは、長い詩篇は紹介しきれないので、一番短い、田原の詩「かなしみ」を挙げておきたい。


  かなしみ               田 原


 海の向こうに

 涙の涙の奥に

 白い喪服の列が続いている


 庭の枯れ木の枝に

 屋根の瓦の上に

 見えない寒気が流れている


 馬車は棺を載せ道は痛ましく

 道は地平線を分断して墓まで延びている

 眩しい日差しに暖かさはない

 

 凍っていない小川の流れは

 死に水のように止まり

 西風は雲を空の彼方へ追い払った

 そこはあの世かほかの星か


 鳥の姿はなかった

 終わらない泣き声にびっくりしたか

 花輪は土山で満開

 それは母の最後の笑顔

               ー詩集『詩人と母』より



      芽夢野うのき「戦をしない美しき枯れ色になり」↑

2021年12月11日土曜日

龍太一「寒鯉の官能を水封じゐる」(『HIGH☆QUALITY』)・・・

            


  龍太一第2句集『HIGH☆QUALITY』(飯塚書店)、序文は高野ムツオ「宇宙と交感する思想ー序に代えて」、投げ込みの栞文は津髙里永子「秀句の裏側に迫る/龍太一句集『HIGH・QUALITY』に寄せて」、また、帯文は井上康明。津髙里永子の栞中には、


 龍太一氏の第二句集が刊行された。第一句集『セントエルモの火』を初めて拝読したとき、計三二八句すべてがNHK全国俳句大会入選句で成り立っているという、前代未聞の句集に私はしばし、茫然としていたのを覚えている。

  春はあけぼの初産の妻ねむり    平成十二年度大会大賞

                      (大串章・坪内稔典特選)

  しし座流星群野生馬は立ちて睡る  平成十四年度特選(金子兜太選)

  寒鯉の徹頭徹尾個に徹す     平成二十二年度特選(鷹羽狩行選)

  静電気帯び逆光の枯野人     平成二十六年度特選(坊城俊樹選) 

 (中略)

 「龍太一」という筆名が語っているように、飯田龍太に心酔して「雲母」に入会した作者だったが、家人の猛反対によって余儀なく中断されていたときも、決して俳句のことを忘れていたわけではないと伺ったことがある。(中略)ただ、再び龍太の教えを仰ごうとしたときはすでに「雲母」が解散されたあとだったとのこと。しかし飯田龍太が唯一、NHK学園俳句講座の監修者としても任務は続けておられたので、それゆえ、龍太一氏はNHK全国俳句大会に真摯に投句しはじめた。


 とあり、よく分析された評の小見出しは、それぞれ「一、肯定的な思いを忘れない」、「二、天への畏敬の念、地への感謝の念をわすれない」、「三、季語の確かさと新しい素材への挑戦を忘れない」、「四、先人たちの名句を忘れない」、「五、表現の押さえどころを忘れない」、「六、生と死へのやわらかなまなざしを忘れない」と的確である。著者の跋「合点引水(がってんいんすい)ー跋文に代えてー」の中に、


  そして、また繰り返しいうが俳句は師資相承の文芸であるが、この原則は「結社」であろうが、大規模な「大会」であろうが実のところ変わらない。ただ、違うことは、結社は主宰者かあるいは限られた範囲内の師資相承であるが、多くの選者の一堂に会しての大会では、心掛け次第で、より多くの選者との師資相承が結ばれることも可能であるということになる。(中略)

 なお本句集の標題は、わが俳句の生まれいづる「身辺折々」に由来し、その「英文」表記は、この句集を編む原動力をお与え下さった多くの選者の方々への深甚なる敬意と、一句一句に生命を吹き入れられたもととなる「品格」ある選句への深い謝意を表明させていただくものであることを茲に銘記させていただく次第である。


 とあった。「HIGH☆QUALITY」は「俳句折亭(はいくおりてい)」なのである。ともあれ、集中より、愚生好みに偏するがいくつかの句を挙げておこう。


   木枯の泪のやうな岬の灯          太一

   一筋の白を鼻梁に仔馬生(あ)

   人類の化石は未完天の川

   毛蟲にもひとにも背中地上急(せ)

   月下には兵士闇には市民ゐる

   薄目してこの世ありけり春霞

   ふる雪は飛天のみたま光堂

   惑星は触れ合はぬ同朋(とも)ヒヤシンス

   啞蟬のとはの緘黙敗戦忌

     

 龍太一(りゅう・たいち) 1943年、栃木県生まれ。



   撮影・中西ひろ美「冬晴のひかりは何ものにも負けず」↑

2021年12月10日金曜日

池田澄子「先生は木の葉しぐれの光の中」(『本当は逢いたし』)・・・


  池田澄子エッセイ集『本当は逢いたし』(日本経済新聞出版)、帯の惹句に、


 彼の世も小春日和か/此処から/彼処の人を思う。

この10年、3・11から/コロナウイルス禍までの間に/綴った60余篇を編んだ、

待望のエッセイ集


 とある。日本経済新聞の夕刊・2012年7月7日~に連載されたエッセイと「俳句α」2013年2・3月号~、ほかに「うえの」2014年11月号~、のエッセイが5章に纏められている。書名に因む句は、「本当は逢いたし拝復蟬しぐれ」であろうが、それは「だからと言って」という題のエッセイに収められている。この句の続きに、


  本当は逢いたい、と思うのは、実際には逢いたくても逢えない人は沢山居てその理由も様々。亡き人だったり、昨日逢った人だったり、世の中の流れに邪魔されてだったり。

 話を元に戻そう。正確に言えば、三年くらい若返りたいと思うことは、実はあるにはある。


 と記されている。また、エッセイには、愚生の知人も多く登場しているが、攝津幸彦が登場する「二つ並んで」の部分には、


 (前略)所属している同人誌「豈」で、早逝した嘗てのリーダー攝津幸彦を偲んで手紙を書く、ということになって、私は「攝津さん、ずるい」のタイトルで書き始めた。

「『天国の攝津さんへの手紙』を書け、と執筆依頼が来ました。私は天国があるとは思っていないのですよ。死とは、魂入りの肉体が無になることだと思っているのです。どうでうすか、貴方は無ですか?

 それともイケダサン、アホちーゃうか?と、芥川のお釈迦様のように、蓮の花か葉の間から下界を眺め、相変わらず融通のきかん人やねぇ、って煙草に火を付けて、ふわーっと紫煙を漂わせていらっしゃる?なら言いますけど、私は貴方と一緒に俳句を作っていこうと、本当にそう思っていたのですよ。そして偶には、この句ええなあ、なんて言っていただくことを励みにして、静かにゆったりと書いていくつもりだったのですよ。なのに、」

 そこまで書いたら、突然に酷い虚しさに襲われて後が続かなくなった。原稿を途中で止めたことなど一度もなかった。「諾」と言った原稿を途中で断ったことなど一度もなかったのに、書けなかった。有と無はどこが違うのだろうか。

   産声の途方に暮れていたるなり

 絶望のときも途方にくれているのかなあ。


 とあった。そして、「吐く息」では、「過呼吸というのがあるらしいが、幸いにも経験がない。友人が、頭から袋を被って酸素の摂り過ぎを治したと聞いて、私がなっても不思議はないことなので覚えておこう置こうと思った」という件には、Sumiko・Ikedaの友人のなかでそれらしい人は、N・Tあたりかな・・と想像したりした。最も多く登場するのは、さすがに,師であった三橋敏雄である。ともあれ、句のみになるが、集中より、いくつかを挙げておきたい(読者には、是非、本文と一緒に読んでいただきたい。句の味わいも違ってくる)。


   水無月の当て無き櫂の雫(しずく)かな       澄子

   こっちこっちと月と冥土が後退(あとずさ)

   先生ありがとうございました冬日ひとつ

   三月十日十一日わが生まれ月

   夏掛や逢いたいお化けは来てくれず

   わが句あり秋の素足に似て恥ずかし

   夜目遠目染井吉野は花ばかり

   八月来私史に正史の交わりし

   前へススメ前へススミテ還ラザル 

   

 池田澄子(いけだ・すみこ) 1936年、鎌倉生まれ。新潟に育つ。



        撮影・鈴木純一「わた虫が飛んで体育坐りかな」↑

2021年12月9日木曜日

井上治男「落葉踏み若きランナー駆け抜けり」(府中市生涯学習センター秋季講座「現代俳句」第5回・最終回)・・



     




   

                    
                  
          


 今日は、府中市生涯学習センター秋季講座「現代俳句」第5回(最終回)だった。愚生の受け持ちも3期目だったので、常連の方々もあり、講座に入る前に、希望する有志の方々には、近くの府中の森公園・美術館を散策していただいて句を出す、いわゆる吟行句会で締めくくった。皆さん、句を野外で作るのは初めてで、それなりに楽しんでいただいたようである。色々意見を纏めて下さる方もあり、来年には、時期を相談して、句会を立ち上げたい・・・との要望があった。ともあれ、以下に一人一句を挙げておこう。


    しじみ蝶赤きつつじの返り咲き     壬生みつ子

    聖夜には星飾るらむ少年像        山川桂子

    冬紅葉舞う青空にテニス音(おん)    濱 筆治

    冬空に手を拡げたるけやきかな      清水正之

    雨上がる枯葉ふみしめ冬うらら      井上芳子

    吟行は三々五々に冬うらら        井上治男

    冬日向ロマン聞きたし桐古木      久保田和代

    縁側で天気がいいね父の面影      大庭久美子

    冬木立ボール音(ね)響き苔光る     杦森松一

    開戦日翌日黄落の美術館         大井恒行



        芽夢野うのき「冬が泣く雲の信実渦を巻く」↑

2021年12月8日水曜日

松林尚志「寒一夜母と臥し母は動かざりし」(『詩歌往還/遠ざかる戦後』)・・・


  松林尚志著『詩歌往還/遠ざかる戦後』(鳥影社)、本書の帯文に内容が簡潔にしるされている。それには、


 俳句や詩作の傍ら、芭蕉など古典研究を積み重ねてきた著者。卒寿を越えて、詩歌全般にわたる埋もれた貴重な労作を集録すると共に、回想記を添える。


 とある。また「あとがき」には、


 (前略)最初に置いた文章は私の出発である『古典と正統』(1964)の冒頭に置いた文章の一部で、この問題意識は現在でも変わっていないので敢えて収録することとした。また評論の中には1964年と1965年に俳誌「暖流」に載せた文章も収めている。私の出発ともいえる詩心がでているかと思う。(中略)古典関係は幾つかの本にまとめているが、手作りの俳誌「こだま」に興味の赴くままに書いてきた未収録のものもかなりあり、一応時代順に並べてみた。韻律については『日本の韻律』を出しているが、その後論争があり、それに加わる形の月刊「言語」に載った文章などを載せた。書評類は「方舟」に載せた文章を中心に、詩の関係だけに絞って載せている。(中略)

 曲折のあった長い歩みであったが、この間に書いてきたものを読み返しながら熱い時代の甦るのを覚えた。しかし、多くの方が泉下に赴き戦後は遠ざかるばかりである。(以下略)


 とあった。 本書の「短歌の調べ俳句のリズムー五七調と七五調について」(『丘の風』’99年・NO21)の最後に、


 短歌や俳句が手拍子をとるようなリズムで』で読まれるべきでないことははっきりしている。日本語の定型詩が短歌や俳句のように短いことも拍子に乗せることを阻んだ結果ではないかと思う。(中略)五七調は魂の源郷とも言うべき調べをもっている。そして短歌形式はこの叙情精神を集約したような黄金の形式と思う。「五・七・五・七・七」は各句の多様な組み合わせばかりでなしに、句ごとに長短に割れ、無限の組み合わせが可能となっている。そこにこの形式が二千年にもわたって詠みつがれてきた所以があると思う。

 それに対して俳句は近世七五調を取り入れた形式といってよいと思う。五音で切れるので、歯切れのよいリズム感を誘う。しかし、リズムを一方で拒否したことは、俳人たちがこの形式を並べず、七七句を対置させる連句を発達させたところかも伝わってくる。俳句は五七で始まり、七五で終る。蝶番となっている七音が俳句のリズムに柔軟さと多様性を与えている所以と思う。俳句は上へも下へもはみ出しようのない、ぎりぎりに圧縮された堅固な最短定型詩なのである。


 と述べられている。愚生は、とりわけ、終わり近くの「勝原士郎さんと歩んでー句集『薔薇は太陽』を読む」に感銘を多く受けたので、その文中の句をいくつか挙げ、かつ、松林尚志の句と短歌を挙げておきたい。


  殺(あや)めあふ正義はふたつ冬日ひとつ     勝原士郎

  弾痕壁に遊びせむとや蹴るボール

  慰安所へ五十年後の日傘さして

  魔の踏切葱さきだててゆけば寧(やす)

  死後に詠む書を蒐(あつ)めり秋風に 


 きさらぎの棺冷たかろさびしかろ          松林尚志 

 うれいなくさくらは咲けり母亡きに

 鉦(かね)ならし信濃の国をゆきしかばありしながらの母見るらむか

 ははそはの母が作りし紙ひひな在る夜しずすじと歩みきませり

   

松林尚志(まつばやし・しょうし) 1930年、長野県生まれ。



        撮影・鈴木純一「冬ざるる10時の方に天道虫」↑

2021年12月6日月曜日

小澤實「芭蕉の葉破(や)れに破れかつ黄ばみたり」(『芭蕉の風景』上・下巻)・・


  小澤實著『芭蕉の風景』(ウエッジ)、上下巻の帯の惹句には、


 寛文6(1666)年4月、芭蕉23歳。人生をかけた旅が始まる。

 故郷・伊賀上野から芭蕉は江戸で自らの俳諧を確立。そして「野ざらし紀行」「笈の小文」「更科紀行」の旅へ。23歳から45歳までの芭蕉の吟行をなぞり、芭蕉と同じ土地で句を詠み続けた俳人・小澤實のライフワーク『芭蕉の風景』。句集未収録の約200句を収録。(上巻)

 21世紀の日本に芭蕉を訪ね歩いた20年、ここに完結。

 いよいよ円熟する芭蕉の俳諧、旅もクライマックスの「おくの細道」から終焉の地、大阪へ。

 2000年から約20年にわたり、狂おしいほどの情熱で芭蕉の旅を追いかけた俳人・小澤實のライフワーク。句集未収録の約240句を収録。(下巻)


 とある。そして「はじめに」では、


 (前略)有名でない句にも確かな魅力がある。さらには、芭蕉が句作の際、赴いていない地にも行くようになった。もちろん句中の地名や単語に関わる地である。その旅先でゆっくり句について考えた。発句だけでなく、連句の付句に詠まれた場所まで訪ねるようになった。連句の付句の中の場所は、詠んだその時、芭蕉はそこにいない。芭蕉の付句一句にも、強い求心力があるものがある。いつか芭蕉が、芭蕉の句が、さらに大好きになっていた。(中略)

 芭蕉の発句は、改作されることが多かった。芭蕉は初案を実に粘り、改作を重ね、佳句へと変えてゆく。なぜ、そのように改作しているかを読み解くことは、芭蕉の息遣いを感じることだった。 

 芭蕉の発句は、現代の俳句のように単独のものではない。連句の発句として、脇句が付けられることも多い。その脇句とは、その発句の最初の読みの試みであったはずだ。脇句が付けられている句は、しっかり脇句との響き合いまで読み解きたいと思った。(中略)

 一句の文章は完結しているので、開いたところから読み始めてほしい。また、芭蕉俳句の制作順に並べ直してみたので、通読して芭蕉の人生のうねりのようなものを、それらの句を通して感じとっていただけたらと思う。本書を読んで、芭蕉や、俳句の世界に親しみを持っていただければ幸いだ。(以下略)


 とあった。上巻の内容は第1章「伊賀上野から江戸へ」、第2章「野ざらし紀行」、第3章「笈の小文」、第4章「更科紀行、下巻は、第5章「おくの細道」、第6章「上方漂泊の頃」、第7章「晩年の世界」。そして巻末には、索引「地名・人名・文献・引用句(小澤實の句も)ほか」が付されている。また,各章の扉には、主要な部分の解説が掲げられている。

 それぞれ、芭蕉の一句が文頭に置かれ、文末には、小澤實の句がほぼ2句づつ置かれている。例えば、巻頭の句は、


  亰は九万九千(くまんくせん)くんじゆ(群集)の花見哉(かな)  芭蕉

 花の亰、謳歌の句

 寛文六(一六六六)年旧暦四月、その後、芭蕉になる青年に、たいへんな事件が起きた。故郷の伊賀上野で仕えていた主君が急逝したのだ。主君の名は藤堂良忠。伊賀を統括する上野白の侍大将を嗣ぐはずの存在であった。青年は良忠に近習として仕えるとともに、俳諧をいっしょに学んでいたのだ。良忠の俳号は蟬吟、享年は二十五であった。青年の当時の俳号は宗房、わずか二十三歳。(中略)


 亰の花、その特別な魅力

 東海道新幹線京都駅下車、駅前からバスで八坂神社に向かう。余寒厳しい日暮だが、境内は灯されて明るく、観光客も多い。丸山公園に入ると、さすがに電灯も少なく、人影も多くはない。枝垂桜の老樹の近くに、桜の木が多く植えられている。(中略)

 比叡より雲流れ来(き)ぬ桜の芽   實

 手袋を脱ぐや桜の木肌に触る 


 という具合だ。愚生は18歳から21歳まで京都に住んでいた。丸山公園にはよく行った(デモの解散地点だったし・・)。70年安保闘争前のことだ。八坂神社付近の様子もよく分かる。ともあれ、以下には、(  )内に芭蕉の句を、そこに付された小澤實の句をいくつか挙げておきたい。


 (霧しぐれ富士を見ぬ日ぞ面白き)     芭蕉

   富士ありぬ秋雲厚く動く奥        

 (秋風や藪も畠も不破の関)

   かやつりぐさかがやくみちとなりにけり

 (海くれて鴨のこゑほのかに白し)

   鴨発てば鈴の音(ね)ありぬ海の上

 (鮎の子のしら魚送る別哉(わかれかな)

   春の雪千住へのぼる舟もなし

 (うきわれをさびしがらせよ秋の寺)

   かまきりのわれに怒るや石の上

 (いざさらば雪見にころぶ所迄(ところまで)

   雪の香あり万年筆の蓋取れば


 因みに、ブログタイトルにした、小澤實「芭蕉の葉破(や)れに破れかつ黄ばみたり」の句は、芭蕉「旅に病(やん)で夢は枯野をかけ廻(めぐ)」の句に付されている句である。


 小澤實(おざわ・みのる) 昭和31年、長野市生まれ


         

 撮影・芽夢野うのき「愛は語るな愛は伝えよと鳥の冬空」↑

2021年12月5日日曜日

佐藤智子「ポインセチア私の階段へようこそ」(『ぜんぶ残して湖へ』)・・・


 佐藤智子第一句集『ぜんぶ残して湖へ』(左右社)、栞文は佐藤文香、その中に、


    新蕎麦や全部全部嘘じゃないよ南無

 「しんそば」から「ぜんぶ」へ続くバ行音、「ぜんぶ」から「じゃない」に通じるザ行音、そして「じゃない」から「なむ」へ。秋の爽やかな空気や新蕎麦の香がなぜか導き出してしまう急な感情を、我々は音のつらなりによって感じることができる。すべて嘘ではないことをどうにか伝えようとするが、伝えきれないで自分に還ってくる「南無」。「なむ」とつぶやいたあとの悲しげな顔が見える。


とあり、また、


 池田澄子が「軽快ならざるいのちの哀しみ」の作家だとすれば、佐藤智子は「軽快ないのちの哀しみ」の作家であるだろう。池田の作品は〈じゃんけんで負けて螢に生まれたの〉などの口語俳句として例示されることが多いが、その実、文語ベースの句も多くあるのに対して、佐藤智子作品は切字「や」を除けばほぼ現代語で書かれている。しかもそれは若さゆえではない。今の時代における、ひとりぼっちの大人が、ここにいる。


 さらに、


 佐藤智子の作品それぞれがキュートで残るものであることは言うまでもない。それ以上に、現代を生きる主体と現代語の文体が抱き合うダイナミズムを感じるにふさわしい、二〇二〇年代を象徴する一冊が出現したことを寿ぎたい。正直に言って、私はようやく安心できた。


 とまで記されている。集名に因む句は、


  炒り卵ぜんぶ残して湖へ     智子


 だろう。ともあれ、以下にいくつかの句を挙げておきたい。


   エルマーとりゅういつまでも眠い四月

   紙詰まり直しにすぐに春の指

   豆の花膝に影絵の蟹で待つ

   ドット着て端午飽きてるフリスビー

   アメリカンチェリー親孝行ってどうしてる?

   オリーブのすっぱいパスタ明日にする

   タクシーで黙るこれより冬に入る

   冬の香水知らない強い言葉たち

   そつなくてせつない 雪のすこし在る

   給水塔寒さを脳に通さずに

  

 佐藤智子(さとう・ともこ) 1980年生まれ。



 撮影・中西ひろ美「ぎんなんを踏んでしまった生きていた」↑

2021年12月4日土曜日

林桂「ポインセチア紙金銀に触れ合ひて」(『百花控帖』)・・



 林桂句集『百花控帖』(現代俳句協会)、書下ろし句を含めて百句を収める。その「あとがき」の中に、


 花は不思議である。いわば性器だが、動物の陰部に隠されるべきものとは違って、形、色、匂いと美を尽くして顕在するものが多い。異性を求めて行動できる能動的な動物は、下心を隠すように性器も隠すが、昆虫や鳥などの媒介者を必要とする受動的な生殖のあり方を選択した植物は、性器を掲げる。媒介者へのプレゼンテーションもプレゼントも用意されている。生として最も本質的な生殖を第三者に委ねるというのは、悟った哲学者のようである。花の美しさはそんなところにありはしないか。(中略)

かつ、花を詠むとは、花そのものを書くというよりは、その関わり方を書くことだったと、まとめながら思ったことだった。

 六十代は様々な喪失以後から、自分の喪失までを生きる時間のようである。父母をはじめ様々な喪失以後を生きている。編集しながら、改めて強く思ったことだ。

 花という装置の不思議を改めて思う。地球は水の星と言われるが、また花の星であろう。喪失を癒やす花がなかったら、地球はどんな淋しい星になっていただろう。


 とあった。ともあれ、集中より、いくつかの句を挙げておこう(原句は総ルビである)。


   海からの風の中(うち)なる桔梗かな        桂

   空の彼方に海あるひかり曼珠沙華

   人流(じんりゅう)の絶えて久しき蘆の花

   かの村のかの境内の黒椿

   一枚の大空青き花林檎

   田に水が巡る遠照(とほで)り梨の花

   白木蓮(はくれん)に風の道空(あ)く光かな

   ゆゑなしに悲しき胸や翁草(おきなぐさ)

   父母(ちちはは)の死にたる家の花通草(はなあけび)

   月下美人へ兄呼んでくる弟よ

   芍薬の花は終りを地に触れて

   瀧を経て水めぐりくる鴨足草(ゆきのした) 

   向日葵の迷路の中を呼びあへり


 林(はやし・けい) 1953年、群馬県生まれ。



★閑話休題・・荻原井泉水「潦に残る夕日/絵本を拡げをる露店」(『多行形式百人一句』)・・


 林桂編著俳句詞華集『多行形式百人一句』(鬣の会・風の冠文庫)、髙柳重信の言葉の一部が序文として掲げられている。


  端的にいうならば、多行表記は、俳句形式の本質が多行発想であることを、身にしみて自覚しようとする決意の現れである。したがって、俳句表現を、一本の垂直な棒の如きもの、として認識しようとする人たちには、もちろん、多行表記が存在し得るはずはないのである。まして、俳句形式について、如何なる洞察をも持たないか、あるいは、それを持とうとしない人たちには、はじめから、一行も多行も、それこそ、何も存在しないのである。

  (「多行表記について」部分 「俳句評論」第九十三・九十四号・昭和四十四年七月)

 

ともあれ、少ないが数句を挙げておこう。


  炎天とどめなし

  監督がなんだ             (大正九年『逢』)宮林菫哉


  日像(ひ)の

  ひかり平和に

  ひとつびとつの石器たち  (昭和十六年「山脈」二十二号)山崎靑鐘


  火を噴く山ははるかにて

  ・・・・・ 

  草の芽          (昭和十七年「琥珀」)富澤赤黄男


  白蟹を

  餌とし

  うなそこに白夜あり   (昭和十八年「天の川」)吉岡禅寺洞


  ひろしまに

  あゝ

  血まみれの

  鳩抱き         (昭和二十七年「平和祭」)野田誠


  森羅

  しみじみ

  萬象

  一個の桃にあり      (平成元年『花傳書』)折笠美秋


   

        撮影・鈴木純一「凩1号ぼうしを横っちょにした」↑

2021年12月3日金曜日

干場達矢「小鳥来てどの小鳥にも触れぬ指」(「トイ」NO.6)・・


 「トイ」NO.6(トイ編集室)、「あとがき」に


 近く、池田澄子のエッセイ集『本当は逢いたし』(日本経済新聞出版)が刊行される。この10年間に発表された文章を集めた。手にとっていただきたい。


 とあった。また、どうでもよいことだが、気にかかったことは、「同人略歴」の青木空知(あおき・そらち)に、「歌誌『りとむ』にも所属」とあって、その「にも」の措辞にひっかかった。この「にも」は、あくまで、俳誌「トイ」所属が、メインです、と暗にほのめかしているようで、ここは、単純に気遣いなく「歌誌『りとむ』所属」でよいのではないかと、つい思ったりしたのだった。ともあれ、以下に一人一句を挙げておこう。


  次の世も逢ひたし海鼠同士でも      干場達矢

  冬は寒し累世どこかで雨漏りし      池田澄子

  亡がらの帰り来し夜を後の月       青木空知

  ああ卵百個も割って未完成       樋口由紀子


  

★閑話休題・・津髙里永子「光もて子を孕みたし冬銀河」(「ちょっと立ちどまって」2021.11)・・


 今月の句から、


  無意識のひととき戦ぐ三十三才     森澤 程

  毛羽立ちて霜の線路へ火星の火      

  段ボール箱の本棚山眠る       津髙里永子



 芽夢野うのき「わかったわかったわやわらかいのね白いのね」↑

2021年12月2日木曜日

関口比良男「子の傘のたちまち濡るる冬の雨」(『関口比良男全句集』)・・


 『関口比良男全句集』(紫の会・文庫版・本体1500円)、関口比良男の句集全12冊から俳句作品を収録し、俳句作品以外の内容は殆ど割愛したとある。略年譜は1985(昭和60)年・比良男77歳までは自筆で90歳で帰天するまでは、「紫」から採録したとある。「あとがき」は山﨑十生、その中に、


  先師(愚生注:関口比良男、旧号櫻士)は、上林白草居の門に入り、徹底的に写生俳句を学んだ。その後、日野草城の「青玄」中村草田男の「萬緑」で研鑚を積み、富沢赤黄男や高柳重信、三橋鷹女、津久井理一等と同人誌活動をした経緯から、作品傾向も大きく変わった。年代順に編集されているので、読んで戴ければ自ずとその足跡をご理解して戴けるのではなかろうか。


 とあった。第一句集『冬紅葉』は昭和18年刊、第二句集『湖畔』は昭和二十二年刊(昭和19年から22年までの作品を収める)など、最後の句集『黄金律』(平成13年刊)は遺句集となっている。

 愚生は、関口比良男の尊顔を数度しか拝することはなかったが、それでも、当時「紫」編集長だった山崎十死生(当時)の配慮で、若き日の攝津幸彦や仁平勝の講演が企画され、愚生も聴いたのだった。年譜をみると、1994(平成6)年に、「紫」600号記念号が刊行された折り、比良男86歳の時、「『紫』の題号および経営の形態や方針につきましても、十死生君にすべて一任する考えでおります」としたためられている。ともあれ、本集より、アトランダムになるがいくつの句を挙げておこう。


     満州事変勃発

  児にとりまかれ号外を貼る壁の朝の陽

     鈴鹿野風呂翁来泊

  師は吾子の手を執りたまひ後の月

     昭和二十二年降誕祭妻受洗

  妻を主にゆだねまゐらせ冬日宙

  最大風速身をかわされてころげゆく

     妻を喪う

  長命の手相空しく握らるる

     再婚

  手を取れば冬陽その手に燃えにけり

  鼠算やがて残らず滅びけり

  天の縄引けばたちまちしぐれけり

  虫の国そこは大道無門かな

  すみれは薔薇に譲らない譲るわけがない

  呼吸(いき)すれば莫迦梵と鳴る風邪の胸

  

 関口比良男(せきぐち・ひらお) 1908~1998年、東京世田谷三軒茶屋生まれ。享年90。



   撮影・中西ひろ美「冬鳥や此処で落ち合う人のため」↑