2020年10月31日土曜日

高橋修宏「薬玉を吊るや原子炉踏みしめて」(「575」6号)・・・


  「575」6号(編集発行人・高橋修宏)、本号本誌には別に「NS」1号が挟み込まれていた。「NS」は、二人詩誌、高橋修宏と本田信次の名のNとSだ。とはいえ、「編集/曳白」には、


 Nは北、Sは南、正反対のような言葉の力学から、あらたな戦意が生まれることを願って。(T)


 とある。ブックデザインは伊藤久恵。さて「575」だが、今号も高橋修宏の志向性に彩られている。偶然だが、「豈」同人の執筆者も多い。エッセイに打田峨者ん、佐藤りえ、井口時男。とりわけ、井口時男は、シベリア抑留時代の石原吉郎が「大方想太郎」という筆名を用い、それを、

  

 三十六年前、石川徳郎という人が日本農民文学会の機関誌「農民文学」一九八四年三月号(通巻一八八号)に「過ぎゆきし時と人ー石原吉郎・その他」というエッセイを載せていて、そこに出てくる。


 と記している。「『おおかたそうだろう』のもじりにちがいない。ラーゲリ仲間に読ませる娯楽を兼ねた文章の筆名である」という。松下カロのこれも面白く読ませるが、「傷痕としての三島由紀夫」には、『憂国』は「新婚数カ月の妻と共に自決する物語です」とあるが、この場面での(ガセネタとも思えないが)、愚生の聞いたことを又聞きながら、記しておこう。それは、もう40年以上前の話。コーベブックスの渡辺一考が中井英夫宅に泊まったときのこと、『憂国』には世間に知られていないもう一つの『憂国』がある。そのもともとの自筆原稿を中井英夫が所持していて、それを見せてもらった。一般に流布されている『憂国』・・・、妻との自刃の場面は妻ではなかった。勿論、女性ではない。セックスの最中の自刃であることは変わらないが・・・。というものであった。中井英夫亡き今となっては、確かめるすべはない。その折、中井英夫の秘書役として雇われていた山内由紀人(著書に『三島由紀夫の時間』あり)と親しくしていたので、是非とも真偽を確かめてくれと、彼に頼んでいたのだが、少年的美男だった彼は中井英夫にいろいろ迫られて、急に辞めてしまった。思えば、ワイズ出版から再販された中井英夫『黒衣の短歌史』の本文下段の注を山内由紀人と二人で分担執筆したことがあった。

 もう一つ、いつもながら、緻密、犀利な論を展開する今泉康弘「終末の詩学」は、約めていえば、すぐれた高橋修宏論になっている。ともあれ、本号よりの一人一句を以下に挙げておこう。


    秋立つや風の腑分けのはじまりぬ      三枝桂子

    白旗の振られて涼し前線は         佐藤りえ

    紛るゝは快(よ)しエッシャーの鳥雲に   井口時男

    断絶やひょうたん二つ浮き沈む      増田まさみ

    視えぬもの溢れて花の市場かな       高橋修宏

    「接触歴」即サピエンス秋の指      打田峨者ん



撮影・鈴木純一「公助(すてられて)他助(たすけられたり)自助(たすけたり)↑

2020年10月30日金曜日

渡辺信子「落日を尖った肩の帰りゆく」(第18回ことごと句会)・・・



  第18回ことごと句会(10月17日、郵便句会)、雑詠3句+兼題「髪」1句。各自6句選7点持ち。前回に続き、獲得点数では圧勝の2連覇。いわゆる句会デビュー戦2連勝というわけである。その講評に、「不本意な一日を帰る・・純雄」「落日は季語ではないと思いますが、季感はたっぷり伝わります・・剛」「『尖った肩の帰り行く』が巧い!『落日』もいい!!・・幹」とあった。ともあれ、一人一句を以下に挙げておこう。

  

   行きすぎてしまえば枯れる曼珠沙華      渡邉樹音

   貌つくるせめて今宵の群れの中        渡辺信子

   秋刀魚焼く無頼の過去を煙(けむ)にして   武藤 幹         

   レジまでは遠し秋刀魚の目の光        江良純雄

   あの世は恍惚の胡桃になろう         照井三余

   筐底をさがせば秋の水に遭う         大井恒行



         撮影・武藤幹「石飛公也『五百年の民家』」↑

★閑話休題・・・訃報・たなべきよみ氏、10月28日(水)死去。享年74。・・・

 「ことごと句会」に参加していただいたこともあり、かつ、「遊句会」の先輩として、愚生は大変お世話になりました。ご冥福を祈ります。上掲の絵は、「遊句会」では、ともに研鑚を積まれていた石飛公也氏が「国分寺市民文化祭」(於・本多公民館)に出品された新作。ことごと句会での、たなべきよみの句を、以下に少し挙げておきたい。合掌。


   草に花風に生かされ風に死す        たなべきよみ

   白黒の写真の金魚真っ赤なり 

   ピアニスト見えぬ手で抱く赤い薔薇

   風死んで十秒切りに賭ける筋

   

 

 撮影・芽夢野うのき「ピラカンサ固まっているも美学なりけり」↑

2020年10月29日木曜日

野村東央留「天国の階段のぼり三尺寝」(「門」11月号)・・・

  


 「門」11月号(門発行所)、追悼特集は「悼・関朱門」。鳥居真里子選「関朱門五十句」。追悼文は、野村東央留「拝啓 関朱門様」、成田清子「朱門さんの夢」、村木節子「朱門さんには黒のタートルがよく似合う」、三野博正「関朱門さんと私」。i愚生が、はっきり記憶しているのは、何かの折に、アルカディア市ヶ谷でお会いしたこと、「門作品評」の折に便りを頂いたことである。おそらく、愚生と同時代を生きてこられた同世代の方と思われる。ともあれ、本誌今月号の追悼句と思しき句を以下に拾った(前書省略)。


   喪百日秋の花喪の関朱門      鳥居真里子

   関朱門逝く波音を追うて夏      成田清子

   一瞬に朱門攫はれ梅雨寒し     石山ヨシエ

   君のゐる場所よりとどく南風     泡 水織

   まなうらの銀漢は濃し応へてよ    島 雅子

   蛍火を抱へて来そう朱門氏逝く   青木ひろ子

   小聖堂に入りてゆく影梅雨深し    中村鈴子

   葉書から声なき声や虹かかる    山室伊津子

   ああああと月の砂漠に蟬しづく    大関節子

   鷹夫氏と対座再び夏帽子       丸山一耕

   

以下の句は、「関朱門五十句」より・・。


   つばくらのまぶしき渚通りかな   関 朱門 

       (愚生注:『渚通り』は師の鈴木鷹夫第一句集)

   わが死後のこのビル群はきつと煮凝り

   月や仮死しばし振り子の振り幅に

   ゆくものは眩しかりけり百合花粉

   夭折の詩の全量の薔薇の棘

   たましひを敷きつめてみよ秋夕焼

   まぼろしも花も発光花すすき

   百合の香のいまはのきはの夜を抱きぬ

   わが死後の藻の花きつと花のまま


 最後に触れておきたいのは、武馬久仁裕「門作家作品評」である。具体的に句の読みを披歴する緻密さと特異さをもって解剖してみせる手つきは、賛否を越えて、評自体をじつに面白く読ませてくれる。今号の冒頭は、

 俳句は視覚詩としての側面をもっています。たとえば、

  松山にさくらの白をまじへたる    森澄雄(『鯉素』)

です。「山」がありますので、「松山」が上にあります。そして、その下は、「白」以外はひらがなです。ひらがなは、桜の花をひらがなで表したものです。(これを形象化といいます)ひらがなでも白のイメージをもたらしますが、ここは、松の青と白を対比させ、「白をまじへ」る感じをだすために「白」は漢字になっています。松山という地名を巧みに使った、松と桜の対比と調和による美しい世界がここにあります。

 このように、五七五の世界を、文字による造形としても鑑賞できます。では、この観点で鳥居真里子の句を読んでみましょう。

  はなみづきかんぬきざしのやうに枝      真里子

 ひらがなで表記された「はなみづきかんぬきざしのやうに」は、「はな」から始まることによって、澄雄の句と同じように一つひとつのひらがなが花水木の花になります。そして、その花水木をつらぬく枝があるという構図です。


こう論じながら。この句を横組みにして提示し、次のような結論に運び込んでくる。


 垂直に書かれた一句から水平をイメージするというひねりを体験するのが、一句目の眼目です。そのひねりを官能的に保証しているのが、ほかでもない、ひらがなの最後の「やうに」です。「ように」と読んでも文字は「やうに」とあります。その違和感からひねりが生まれます。(中略)だてに、古典仮名遣いで書かれているわけではないのです。


 と述べる。つまりここでは「閂」の文字のなかの横一が、「や」のアナロジーとしても読めると言っているのである。それはまた「閂差しは、刀を閂のように水平に差す形です。ならば上のように(愚生注:句の横書きの図あり)横書きにすればよさそうですが・・・では、なぜ、作者は横書きにしなかったのか」云々に繋がってもいる。それは、また、鈴木節子「六月のぶらんこ漕ぐでもなく日ぐれ」の句を引いて、「六月の女すわれる荒筵  波郷」の句を例に、


 六月が日本の四季にぴったり収まりきらないために起こった現象です。六月は、イメージとしては、春にも夏にも入らない虚の月なのです。だから六月の女は不思議な雰囲気を漂わすのです。


 と、六月に対して「虚の月」の概念まで語ってみせる。見事なる付会であろう。



          撮影・鈴木純一「太鼓判ITAIひとり勝ち」↑

2020年10月28日水曜日

赤澤敬子「父の戦死母の戦後を蛍飛ぶ」(「第57回現代俳句全国大会入選作品集」)・・・


 「現代俳句」11月号臨時増刊号(現代俳句協会)、まるごと一冊「第57回現代俳句全国大会入選作品集」(主催・現代俳句協会、後援・文化庁、毎日新聞社、読売新聞社、朝日新聞社、中日新聞)である。応募句総数14535句。去る10月25日に、名古屋市の名鉄ニューグランドホテル開催予定のもろもろの行事は、新型コロナウイルスの感染拡大により中止された。とはいえ、愚生も選者の一人だったので、まずは愚生が特選に選んだ句が5句記録されているので、作者に敬意を表して挙げておきたい。特選1位はブログタイトルにした句である。

   父の戦死母の戦後を蛍飛ぶ       赤澤敬子

   生きている骨抱く痩せた膝を抱く    直江裕子

   雲は気を樹は影を吐き八月来      夏木 久

   ははの戦後はわれの戦前百日紅     加藤遊名

   令和はや祈りに満ちて返り花      吉倉紳一


 選考はどうしても、各選者の点の多く入った高点句が受賞の栄にあずかるので、ある種の大衆性、一般性、通俗性の有している句にならざるを得ないところがある。ともあれ、以下に大会賞などを記しておきたい。

  

  白シャツの青田匂ひして乾く     武市忠明(現代俳句大賞)

  二人しか入れぬ木陰沖縄忌      岡本千尋( 同上  )

  未来だけ見てゐた頃やソーダ水    柾木幸子(毎日新聞社賞)

  ヴィーナスの誕生のごと木の根明く  吉池史江(読売新聞社賞)

  どの子にも違ふ空ありしやぼん玉   杉山一川(産経新聞社賞)

  蛇は全長以外なにももたない     中内火星(朝日新聞社賞)

  六十秒前の青空広島忌        有本仁政(中日新聞社賞)

  履歴書を書かぬ一生種を蒔く     飯田順子(俳句のまちあらかわ賞)



        撮影・鈴木純一「人ヲ見タラ葉ッパ一枚咥へナサイ」↑

2020年10月27日火曜日

武馬久仁裕「ゆっくりと一人が去った後に立つ」(『新型コロナの季節』)・・・


  ネット名古屋句会編・句集『新型コロナの季節』(黎明書房・909円+税)、このところの黎明書房社主・武馬久仁裕の俳句道楽には、ますます磨きがかかってきたようである。「黎明俳壇」に続き、「船団」解散・散在の結果、船団名古屋句会は消滅し、名古屋句会として再構成、それもコロナ禍を機にネット名古屋句会の実践として力を尽くしている。そして、この度のネット句会の合同句集は、選評を付けての刊行となったらしい。その「はじめに」には、

 (前略)たとえば、マスクという冬の季語は、春夏秋冬の四季を越えて、新型コロナの季節となりました。

 そんな季節の中で、俳人たちがどう俳句を書き、どう俳句を楽しみ、どう生活したかを、句集『新型コロナの季節』を通してご覧ください。

 なお、この句集は、四、五、六、七月の句会に出た俳句を、テーマごとに編集したものです。また、句会で出た選評も少しですが、収録しましたので、投句された句とあわせてお読みください。


 とある。ともあれ、本集のなかから、「Ⅳ いずこへ/ー不機嫌、不快、不況、不安定、不ばかりがただよう世界でも、不羈のこころを秘めて歩もう」の章、「暗闇つづく四月」の一人一句を挙げておきたい。

    

    活発な暗闇つづき四月尽          滝澤和枝

    コロナ去りインフルが来てサクラ咲く    渡邊清晴

    少年はいま変声期鳥雲に         原しょう子 

    安否問うメール蒼く光る春         桜川凍子

    覚醒の手元狂ひしつつじかな       松永みよこ 

    耳鳴りのざわつく日なり罌粟の花      太田風子

    パンデミック自然淘汰の進化論       前野砥水

    白藤や影あらはれし風のあと        廣島佑亮

    告げぬこと決めて揺らぎて花菜漬      鈴木芝風

    ビバークのかすかな灯り冬の山      星河ひかる

    4dの胎児のあくびうららけし      尾崎志津子

    マスクして玉虫色を生きている      武馬久仁裕





★閑話休題・・・雨宮処凛「進化する貧困ビジネス」(「東京新聞」2020年10月21日夕刊)・・・

 愚生はかつて某地域合同労働組合の役員をしていたと、もう14,5年は以前のことだが、雨宮処凛に講演を依頼したことがある。本「東京新聞」コラム「紙つぶて」の肩書には「作家、活動家」とあって、その健在ぶりを興味深く読ませていただいている。フェイスブックなどを見ると、俳人諸氏も[Go Toトラベル」とかでけっこう盛り上がっているようである。雨宮処凛のコラムには、以下のようにあった。果して・・・


 「Go To トラベルで旅行を楽しんでいる人たちを見ると、自分との落差に苦しくなる」

 最近、コロナで失業した日tからよく耳にする声だ。宿泊・観光業界などを応援する意味はよくわかるが、「Go To トラベル」に予算が追加されるのであれば、なぜ、食べるにも事欠く自分たちが顧みられることはないのかという疑問。

夏以降、支援団体に寄せられるSOSの声は一層深刻になっている。派遣会社の寮で仕事もお金も食料もなく、「十六日間水だけで過ごした」という男性。ここに来て女性からの相談も増えている。(中略)

 最寄り駅からは徒歩一時間以上。ハローワークまで二時間以上。保護費が振り込まれる日には施設の職員がカードリーダーを持参して現れる。わざわざお金を引き出さなくても確実に代金を回収できるという仕組みだ。このように、国の支援ではなく民間の貧困ビジネスばかりが「進化」してきた十数年。

 コロナ禍を機に、日本の脆弱(ぜいじゃく)なセーフティーネットや不安定雇用を根底から立て直す。そんな議論ができないだろうか。



          芽夢野うのき「毬を出て考えている母の栗の実」↑

2020年10月26日月曜日

山本つぼみ「虹の根に数へきれざる落し物」(『伊豫』)・・・


  山本つぼみ第6句集『伊豫』(日相出版)、著者「あとがき」には、


 「伊豫」は私の第六句集となります。亡き夫山本邦夫の出自、愛媛県松山市を拠り所とした「磯千鳥亡夫育てしは伊豫の海」からの題名で、夫逝いてとりのこされた五年の歳月に瀬戸内の海の蒼さを思わない日はなかったことへの追認ともなりました。

 どう足掻いても二〇二〇年の十二月十日には八十八歳です。それなりの倖せな人生を歩き通すことが出来たのは、身めぐりのすべての方々のお陰であると思っています。


 とある。そして、また、


 八十八歳も通過点の一つという平常心は持ち合わせているつもりですが、区切りの意味で『依知』以后の句をまとめることを思いつきました。夫の祥月命日の五月二十四日までの二〇二〇年です。今となっては俳句がすべてであったように思われ、そして何と倖せな人生だったのかと、あらためてふり返っております。自由に表現が出来る世の中であったことも、戦争で多くを失った代償としての「平和」の中での自由として大切に守り続けなければならないと思っています。言論弾圧のいつか来た道の暗雲も感じられる昨今、再び戦争への道に逆戻りさせない爲の努力は今後も続けます。


 との志も披歴されている。それにしても、いちいちは挙げきれないほどの多くの追悼句が、本集を満たしている。それだけ、多くの大切な人を見送られてきたのだと思う。そういえば、金子兜太は、毎朝、立禅をするとき、毎回、亡くなった朋の名を一人一人口の端に、呟き、100人ほどになると、その立禅を終えると言っていた。それだけ、長い人生を経てきたということでもある。ともあれ、集中より、愚生好みに偏するが、いくつかの句を挙げておこう。

   

    海よりは上らぬ遺骨敗戦忌         つぼみ

       三・一一・気仙沼を思う

       泰子よ、道代、汀秋、照男、三重子・邦泰よ、

       そして光洋の家族よ。

    生きてあれ生きよ余寒を釘づけに

    九十九鳴(くぐなり)の鳴砂椿の潰えしか

    梅林を抜けここよりは殯(もがり)の森

    逢ひたしや供花に九月をあふれしめ

    空耳にふりむく虛(うつ)け著莪の花

    殉国に風化はあらじ冬月光

    それぞれの切符片道木の実落つ

    何負うて還られし神被曝地に

    予科練を死語とせし世の寒き駅

    地の塩を欲る核まみれの佐保姫

    雪沓や否応もなき誕生日

    あさなさの献茶本日養花天


山本つぼみ(やまもと・つぼみ) 1932(昭7)年、厚木市生まれ。



        撮影・鈴木純一「曼陀羅華暗くなるまでここで待ちます」↑

2020年10月25日日曜日

森瑞穂「道化師の素顔は知らず鳥渡る」(『最終便』)・・・


 森瑞穂第一句集『最終便』(ふらんす堂)、序は片山由美子「きらりと輝く」、その終わり近くに、

  

    波音の夜をつらぬく寒さかな

     海へ来てつひに水着になれずゐる

 瑞穂さんが生まれ育ち、今も住んでいる岐阜県には、言うまでもなく海がない。海は瑞穂さんにとって憧れの場所か、詩情をかきたてる素材のようだ。(中略)

 時々登場する東京も、瑞穂さんにとっては俳句の女神が住んでいるところなのだろう。これからも想像力豊かに、そして自身の感覚を信じて、個性的な俳句を作ってほしい。

 もっと広い世界がきっと待っているはすである。


 と記されている。また、集名に因む句は、


    星涼し最終便に灯のともり       瑞穂


 であろう。そして、著者「あとがき」には、


  二十代のはじめに俳句をはじめて、気が付けば、私は人生の半分を俳句とともに過ごしてきたことになります。楽しく俳句を詠んでいた二十代。子育ての一番忙しい時期だった三十代は、迷いの時期でもありました。それは俳句を詠むことに対する迷いではなく、私自身の俳句作品に対する迷いでした。四十代目前にして「狩」に入会。「狩」から「香雨」へと変わりましたが、結社の学びのなかで、その迷いはなくなり、ただひたむきに、俳句を詠んできました。(中略)

 俳句は、いつも私に寄り添い、どんなときも救ってくれます。

 これからも、俳句を詠んでいけたら、私はきっとしあわせだと思います。


 とあった。ともあれ、集中よりいくつかの句を挙げておこう。


   暑き夜の積み木の崩れ易きかな

   求人誌のこる暑さのなかにひらく

   産み終へしあとの微熱や夏の雨

   あぢさゐや昼間は誰もをらぬ家

   つけなおす釦八月十五日

   看板は端から錆びて秋の雨

   消しゴムで消せぬ言葉や冬灯

   東京の空の明るき星祭

   ポケットの何にふくらむ春の風

   泣きやまぬ子にしやぼん玉吹いてやり

   サングラスはづせば眼濡れてをり


 森瑞穂(もり・みずほ) 1972年、岐阜県生まれ。


       芽夢野うのき「ベートーベン流るる岸辺鶏頭花」↑

2020年10月24日土曜日

高篤三「白の秋シモオヌ・シモンと病む少女」(「俳句界」11月号より)・・・


  「俳句界」11月号(文學の森)、特集は「今もひびく昭和の名句・前編」で、今号は明治生まれの50人の昭和に詠んだ名句を紹介するというものだ。なかなか壮観である。総論は青木亮人「述志の文業」である。いつもながら、青木亮人の筆法は小気味良い。昭和の俳句を貫く根が「述志の文業」とは、その特質をよく掴んでいると言えよう。冒頭には、


 昭和俳句を日本韻文史上の高峰に押し上げたのは、明治生まれの俳人だった。例えば、「ホトトギス」昭和二年九月号の雑詠欄を見てみよう。

 啄木鳥や落葉を急ぐ牧の木々    秋櫻子

 蟻地獄みな生きてゐる伽藍かな    青畝

 方丈の大庇より春の蝶        素十

 七月の青嶺まぢかく溶鉱炉      誓子

四Sと称され、史上に名を刻む彼らの傑作が同月号に並ぶさまは圧巻である。


 と書き出し、


いずれも前例のない破天荒な句ばかりで、彼らは二十代半ばから三十代半ばの若さであり、全員が明治生まれだった。(中略)

 昭和俳句が壮観なのは、その「ホトトギス」に与することを潔しとしない俳人からも続々と傑作が生まれた点にある。

 ちるさくら海あをければ海へ散る   窓秋

        (「馬酔木」昭和八年四月号)

 算術の少年しのび泣けり夏      三鬼

 緑蔭に三人の老婆わらへりき     同

      (「京大俳句」昭和十一年八月号)   (中略)

 明治に生まれ、大正、昭和と生きた彼らの時代はあまりに激動で、彼らの負った傷は深く、心の闇は黒々と淀んでいた。その激情は怒髪天を衝き、豊かな喜悦は世界を覆いつくすばかりの大きさがあり、何より志や信念を本気で抱きえた人々だった。


 と記している。青木亮人は、ほかに同誌同号には「近現代俳人の肖像」を連載しており、今回の特集の伏線であるかのようである。今号はその第11回「富安風生/逸話のさざめき、句の面影」である。その結びに、


 ようやく全ての役職から離れた戦後のある夏、風生は山中湖畔の山荘に滞在する。時に七十一歳、句作に励んで四十年が経とうとしていた。山荘で早朝の暁方に起床した風生は、湖の向うに富士山を眺めている。(中略)この無償に満ちた荘厳な大景こそ、風生が生涯を費やした仕事と句業の中で信じ、求め、一心に磨いてきた精神のありようを体現していたのではないか。

  赤富士に万籟を絶つ露の天

  

 愚生は、本特集50人以外に零れた、あまり世間には知られていないが、過酷な戦前に、見逃せない句を残した人々を、不十分ながら「補遺~その他の俳人たち」として、これもほぼ同数の50名近くの句を抽出した。併せて、以下に、いくつかの句を以下に紹介しておこう。


   奥白根かの世の雪をかがやかす       前田普羅

   誰彼もあらず一天自尊の秋         飯田蛇笏

   湯豆腐やいのちのはてのうすあかり   久保田万太郎

   いなびかり北よりすれば北を見る     橋本多佳子

   夏痩せて嫌ひなものは嫌ひなり       三橋鷹女

   人類も天下の蠅や舞舞(ブブ)・舞舞(ブブ)・(ブ) 永田耕衣

   ものの種にぎればいのちひしめける     日野草城

   切株は じいん じいんと ひびくなり  富澤赤黄男

   大戦起るこの日のために獄をたまわる    橋本夢道

   美しき緑走れり夏料理           星野立子

   死ねば野分生きてゐしかば争へり      加藤楸邨

   雪だるま星のおしやべりぺちやくちやと  松本たかし 

   しんしんと肺碧きまで海のたび       篠原鳳作

   てんと虫一兵われの死なざりし       安住 敦  

   子にみやげなき秋の夜の肩車       能村登四郎

   屋根屋根の夕焼くるあすも仕事がない   栗林一石路

   白藤や揺りやみしかばうすみどり      芝不器男

   歳晩やキネマはねたる市の塵       吉岡禅寺洞

   陽へ病む                 大橋裸木

   あめふるふるさとははだしであるく    種田山頭火

   血に痴れてヤコブのごとく闘へり      神崎縷々

   ラガー等のそのかちうたのみじかけれ    横山白虹

   桐の花天ににほへり地に輪舞(ろんど)   藤田初巳

   戦闘機ばらのある野に逆立ちぬ       仁智栄坊

   葉桜の中の無数の空さわぐ         篠原 梵

   山陰線英霊一基づつの訣れ        井上白文地

   特高が擾す幸福な母子の朝         中村三山

   桜濃くヂンタかするゝ夜空あり       石橋秀野

   なにもかもなくした手に四枚の爆死証明 松尾あつゆき

   くろぐろと雪片ひと日空埋る        相馬遷子 

 


       撮影・鈴木純一「すが漏りの月いやいやと真ん中に」↑

2020年10月23日金曜日

原満三寿「迷い風ときにはガラスを磨きあげ」(『齟齬』)・・・



 原満三寿第7句集『齟齬』(深夜叢書社)、帯の背の惹句に、「ポエジーと俳諧」とあり、表紙帯には、


   万緑や/還らぬ馬が/駆けぬけり

山川草木悉皆成仏ーどよめく生命の諸相をあざやかに掬い、「還らぬものを還さんと」する魂鎮めの第七句集。

 遊行する精神、〈俳諧自由〉の極致


とある。集名に因む句は、巻尾の


   齟齬を巻く還らぬものを還さんと       満三寿


であろう。そして、著者「あとがき」によると、


 このたびの『齟齬』という題には、各別深い意図はありません。昨年、書家の石川九楊氏の『石川九楊自伝図録 わが書を語る』(左右社)を読み進めていると「齟齬」という語にいきあたって、その四角張った頑固そうな字面は、わが面構えに似ているかと思いましてね。そしてその脱臼したような意味合いの面白さにも惹かれたのです。字統によれば、擬声的な語といいます。

 氏も「『齟齬』という作品がぼくの八〇年代のデザイン的な発端となりました」と言っておられるところから、私と共感するところがあったのではと愚考します。

 と記されている。また、年内には「八十才になります」とあって、愚生が原満三寿に、多賀芳子宅の句会で初めてお会いしたときから、ほぼ30年の歳月が経っているのかも知れないと、感慨が湧いた。それ以後、思いがけず、インドネシアの影絵芝居、ガムランの演奏など、ワヤン協会の催し、また、吉祥寺での金子光晴展(彼は金子光晴研究の第一人者でもある)などでお会いして以後、これはもう20年近くはお会いしていないのではないかと、思ったのである。最初にお会いしたときは、たぶん、金子兜太の「海程」が主宰誌になった直後?くらいで、すでに「海程」を大石雄介、谷佳紀などとともに辞され、「ゴリラ」という同人誌を発行されていたように思う。ともあれ、集中より、愚生好みになるが、いくつかの句を挙げておきたい。 


   日だまりがうごけば死人もうごくかな

   陽とつるみ溶けて忘我の雪うさぎ

   臨死のA幻肢のOや夏果てる

   どの面もその面なりの犬ふぐり

   降る雪やお伝は斬首・新平梟首

      *高橋お伝は最後の斬首刑、江藤新平は最後の梟首刑

   太棹は弾くか叩くか蕎麦の花

   ある犬は夕焼雲まで延びをする

   鬼退治かみかぜ桜ええじゃないか

   枯蟷螂〈さびしさだけが新鮮だ〉

   むざんやな瀕死の白鳥 死ねず舞う

   青柿の照りもすっぽりポケットに

   お生れもお迎えもあり熱帯夜

   じゃんけんぽんあいこがなくてくれのこる

   夜行性の噬(か)んだる臍(ほぞ)にも喜寿きたる

   老い桜 水面のおのれに あんた誰

   三春を二人部屋にて一人病む

   

  原満三寿(はら・まさじ) 1940年、北海道夕張生まれ。



       芽夢野うのき「見えない光が枯れすすむ日烏瓜」↑

2020年10月21日水曜日

井口時男「断腸花骨を拾ひに行く朝の」(「てんでんこ」室井光広追悼号)・・・


 「てんでんこ」室井光広追悼号(七月堂・てんでんこ事務所)、一冊まるごとの追悼号である。巻頭は、病床の室井光広と金子昭とのメールの交換を記録したもので、「室井光広の古い携帯電話に、《ゲンテルセン通信スムーレ篇》と名づけられた、送受信合わせて150通ほどのメールが残されていた」のだ。


 「ゲンデルセン」はキルケゴールのキーワード「受取り直し」のデンマーク語ゲンターエルセ(Gjentagelse)とアンデルセンの「sen」(息子の意であり、「遅れた、遅い」の意もある)を結び付けた造語。本人好みの自称でもあり、「遅れてやってきた後輩」にぴったりの呼び名(幻弟生とも表記)として大学の後輩にあたる6歳違いの金子昭氏に対して使われた。

 スムーレ(Smule)は「断片、破片、屑片、かけら」の意のデンマーク語。これを「欠け端」は「架け橋」に通じるとしていた。


という。短い部分を以下に抄録する。


19日 15:59

薬剤がここまで「複雑」になると医者は痛苦経験に関しては何もできない・・・その点、近代医学130年に対して、前近代1300年の歴史をもつはり・きゅう・あんまは、天理教と似た、説明できないパワーをもつ・・・何年も前から不可思議な「縁」で結ばれた友人の鍼灸師、僕は「くす師」と呼ぶが、・・・この人にしょっちゅう病院に来てもらえている・・・詳細は不明だが、金子さんは来年この人に会う定め・・・(笑)・・・室井

 19日 16:23

 近代医学の歴史を十倍超える伝統医学というのはすごいことです。「くす師」の先生が

 痛みの癒しを引き受けて下さるわけなのですね。私もちょっと安心いたしました。来年

 お目にかかることを、私も楽しみに。金子昭拝


 他に、吉田文憲「空域」、佐藤享「切手のような土地ー室井さんとの思い出」、田中和生「世界文学をあざなうー室井光広論序説」、平田詩織「星と/またたく」、綱島啓介「縄文の狼煙」、村松真理「従姉の居どころ」、田中さとみ「F」、山岸聡美「向島たより」、山岸加豆美「室井先生とのこと」、長内芳子「驚愕の数珠」、角田伊一「オッキリの人、室井光広」、金栄寛「ルンペルシュティルッヒェン」、川口好美「随想ージェイムス・ジョイスと『エセ物語』」、藤田直哉「『おどるでく』考」、杉田俊介「室井光広論その序論の門前ノート」、山本秀史「『星に祈るということ』のこと」、ここでは、井口時男「追悼句による室井光広論のためのエスキース〔増補版〕」のなかから、多くを引用したいところだが、スペースがない。若干の句と文ひとつを以下に紹介しておきたい。

(前略)

   君逝くや秋たまゆらの黒揚羽       

   黒い揚羽の影がちらつく水の秋

 「たまゆら」には「魂揺ら」の意が「エコー」するだろう。その背後には原義だという「玉響(たまゆら)」(巫女の手にした玉が触れ合って鳴る)も「エコー」する。それなら鎮魂または死者の霊魂を賦活するための「魂振り」の意味もこもるはずだ。

「エコー」は室井光広の愛用語である。言葉(文章)を読むとは、眼前の言葉(文章)の背後から聞こえてくる「エコー(こだま)」を聴き取ることなのだ。室井によれば、古今東西の全言語空間(全文学空間、全テクスト空間)は言葉同士が触れ合って反響し合う「エコー」の宇宙なのである。

 夜になってから多摩川の土手に立ってみた。夜空は霽れていたが、月はなく、私の眼には星もよく見えなかった。

   

   銀河茫々君よく隠れよく生きたり


 「よく隠れた者はよく生きた」はオヴィディウスに由来するラテン語の諺で、デカルトの座右の銘であったらしいが、私は秋山駿のなにかのエッセイで知ったはずである。

 たしかに室井光広は「よく隠れた」。彼は東日本大震災の翌二〇一二年春に東海大教員を辞めて文芸ジャーナリズムからも「隠遁」した。(中略)私の中途半端な「隠遁」とちがって彼の「隠遁」は徹底していて、諸雑誌編集部にわざわざ申し入れて雑誌寄贈すべて断り、「文芸年鑑」からも名を削除してもらったという。

 しかし、彼はその年の末に雑誌「てんでんこ」を創刊した。誌名は、津波が来たらとにかく「てんでんこ」(一人一人)で逃げろ、という、大震災後に話題になった東北の格言に由来する。(以下略)

 

   棺にりんだう大字哀野を花野とす        時男

   秋さびし木霊かそけき森に来て

   行間に魑魅(すだま)隠れる秋灯下

   手習ひの兄おとうとよ霧の村

   名刺あり「私設月光図書館司書」

   あんにやとて書(ふみ)読む秋を木挽唄

   黄落の中を眼病みの独学者

   鵙の贄なほあざらかな耳と舌

   言語野はヨミの花野ぞ踏み迷へ


室井光広(むろい・みつひろ) 1955年1月7日~2019年9月27日



         撮影・鈴木純一「音ひとつ外れていたり鰯雲」↑

2020年10月20日火曜日

竹村翠苑「ひかり号左席コミック右席岩波文庫われ昼寝」(『豊かなる人生』)・・・


  竹村翠苑第二句集『豊かなる人生』(朔出版)、集名に因む句は、


   プルーン捥ぐこの豊かなる人生よ      翠苑


 である。小澤實の親愛なる序の冒頭に、


  あらためて竹村翠苑さんの生業の農事の句が、すばらしい。農の句が、つくりごとではない。本気なのである。


 と記した後に、

  

   かたばみを咲かすな莢をつけさすな

   おほいぬのふぐり片つ端から抜き捨てる


 これらの句はかたばみやおほいぬのふぐりの可憐な花を愛でる俳人の眼ではない。花をつけ実をなすと爆発的に増えてしまうことを経験的に知っていて、花をみれば即摘み捨てているのだろう。この本気に打たれるのだ。


  乾きたる葱生き生きす植ゑたれば

  葱苗千本植ゑし余りや市に出す


 (中略)この「葱植う」「葱苗」ということばは歳時記には見えない。歳時記からではなく、農の土から直に発想しているわけだ。こういう句こそが貴重である。


 と、まっとうに述べている。また、著者「あとがき」には、


  俳句は私に、二回目の人生をもたらしてくれました。命そのものだと思っております。

 この度、第二句集『豊かなる人生』を上梓することが出来て、白寿の私は、一層元気になりました。神様に感謝いたします。


 とあった。ともあれ、集中より、愚生好みに偏するがいくつかの句を挙げておきたい。


   恋と書き翁笑ひぬ筆始 

   ズボンと靴当世案山子足二本

   這ひ出でし蛙鴉の餌となりぬ

   蛇取りにけり結核の夫のため

   椋鳥群れ撓ふ電線日暮なり

   落林檎拾ひ集めぬ無言なる

   年の豆九十余り迚(とて)も迚も

   種蒔くも覆土も素手や千切れ雲

   我に未だ自然治癒力冬うらら

   無人なる天野さん宅木の芽張る

   団栗をまぶたにはさみおどけたり

   立葵俳句があつて死ねませぬ

   虎挟みの狸殺して流したり


  竹村翠苑(たけむら・すいえん) 大正11年、長野県北安曇郡生まれ。

     


       芽夢野うのき「宙に漂う花ともならず白蛾かな」↑

2020年10月19日月曜日

夏木久「灯を消せど出るに出られず今日の部屋」(『「組曲*構想」』)・・


 

 夏木久第4句集『「組曲*構想」』(ジャプラン)、著者略歴の中に、 「2016 第3回攝津幸彦記念賞・大井恒行奨励賞」とある。夏木久は、秦夕美の縁で「豈」同人に加わったのだが、その句の多彩さは、愚生の奨励賞を授賞したから言うのではないが、その歩みは着実である。「あとがき」には披瀝して以下のように述べている。


  ベートーヴェンに倣うなど何を考えてんだ、といわれそうだが、奇数番と偶数番(交響曲でなく句集のナンバーだが)で色彩が違ってきた。奇数は新作書下ろし、偶数は参加誌等への発表作をまとめたものとなりそうだ。あくまで生きていればだが・・・。第7句集までは構想がある・・・。

 よってこの第4句集は2016~2019、平成の終わりまでの参加誌などへの句でまとめた。第3句集「風典」の時期と、その前と後とを含めての作を構成し工夫してみた・・・?だけでは淋しいので、令和になってからの句を最後に加えた。(中略)

 最後にこの句集の発行日を10月10日にした。これは句集を出すなど考えもしなかった頃、初めて参加した結社が平成10年10月10日にスタートたことから考えた。そこを退会するまでの第1シーン。その後、現俳に参加、私家版ながら第1句集を出した第2シーン。この4句集までの第3シーン。そして次の第4シーン・・・。変わるか変われるか・・・。生きていれば愉しみだ。(以下略)


 ともあれ、以下にいくつかの句を挙げておきたい。巻頭の句群には、詞書がある。


   2011年3月、初燕を見た明るい天空にJ・POPがヴェールのように流れ

   〈三階は日本語学校つばめ来る〉と呟いていた

   街の灯を束ね階下へとパンダ

 

   2015年8月、また会社を辞めた日にここぞと鰻を食いながら

   〈鰻丼を喰つて鎖国をしてをりぬ〉と呟いていた 

   月光莊ふたり招待されてをり

 

   〈駅裏の薬局裏の灯を掠め〉

   抱つこして春の月へと近づけり


  〈記念日と言われ澱みへサブマリン〉

   丁寧にこの日を折れば春隣


   その闇にこのやみ溶けず白椿

   空箱を開け凸凹の春の暮

   原子炉とパセリな夢の腐れ縁

   鈴を振る蝶が葉蔭で力込め

   朝顔は無理解のまま昼になる

   卵立てまた深刻な春隣

   

 夏木久(なつき・きゅう) 1951年大阪市生まれ。



        撮影・鈴木純一「忘レマシタカ私ハ今モ縷紅草」↑

2020年10月17日土曜日

高岡修「夜明け/茜色に一匹の蟻が噛みついている夜明け」(高岡修詩集『蟻』)・・・ 


 高岡修詩集『蟻』(ジャプラン)、趣向のこった詩集である。まずは装丁だが、カバーは、銀の小斑点をちりばめた(それは蟻かも知れない)黒色の幅の広い帯、わずかに半身の蟻が覗いているが、カバーが少しでもずれると隠れるか、ずれなくても容易に見逃しそうである。ただそのカバーをとると大きく印刷された蟻の文字に蟻が這っている。

 内容は、冒頭の詩が、ブログタイトルにした「夜明け」で、一行の「茜色に一匹の蟻が噛みついている」である。次の二編目は、二行の詩、


     靴底


  蟻にとっては

  靴底さえもが殺意の様相を帯びる


そして、次の詩は三行、


    夢


蟻たちの多くは夢をみない

光る世界を知らないから

見るべき光景が存在しないのだ


 と、7詩篇までは一行づつ増え続け7行の詩になる。その後はその法則は破られる。しかし、かならず蟻はどの詩篇にも登場するのだ。ただ、最後の詩篇は、「、」読点で、詩行の頭はすべて「、」で始まる。それは、こうである。


      、

、しかるに

、悲劇的なるものへと近接するばかりか

、あらゆる亀裂から這い出し

、恐怖さえ享楽しつつ

、自分をさえ誇らしげに嘆きながら

、地上世界の真昼を殺ぎ

、殺戮もまた美徳のひとつだとして

、叫び

、光る世界に横たわる愛撫のようなものを憎悪しては

、走り

、絶望へ

、眩しいばかりの錯乱の季節へ

、無償性を捧げ

、苦々しく

、匂い高く

、誕生と同時に激しく老いさらばえながら

、君は


 ついに、詩行から、「蟻」は消えて、ただの「、」になってしまうのだった。


高岡修(たかおか・おさむ) 1948年、愛媛県宇和島市生まれ。



       撮影・芽夢野うのき「桜紅葉うらがわ見せて戻りけり」↑

2020年10月16日金曜日

眞鍋呉夫「ヘルメットぬげばあの夜の雪女」(「俳句四季」11月号より)・・・


 「俳句四季」11月号(東京四季出版)は、なぜか愚生に関連する記事がいくつかあった。紹介したい。まず、特集「生誕百年の俳人」のなかの眞鍋呉夫の愚生の挙げた一句は、『眞鍋呉夫全句集』(書肆子午線)未収録の句で、その証拠にハガキの写真を挙げておこう。中の私信については、本誌上段に執筆している浅沼璞に関する便りで、偶然の縁がここでも生きている、と感じた。




 次の記事は、「今月のハイライト」の「『豈』創刊40周年」で筑紫磐井の写真と攝津幸彦、偲ぶ会での佐藤鬼房や攝津資子(もとこ)、子息の斉彦(ときひこ)、出席の宇多喜代子などの写ったスナップ写真(下)。


 さらに、筑紫磐井の連載時評「俳壇観測・214回」で、それが「大井恒行の時評ー活字ばかりでなく、電脳でも俳壇は動く」という記事(下写真)である。少し誉めすぎの気配があるが、愚生が忘れている年月の期間などが丁寧に記されている。よく読んでいただいていて恐縮至極である。


 
「豈」40周年記念の紹介記事は、創刊同人の藤原龍一郎が執筆しているが、これも愚生が忘れていたことなどが記されていて、改めて愚生の記憶のいい加減さを思い知らされたのだった。ともあれ、本記事掲載から同人の句を以下に挙げておこう。

   ひぐらしや森の昏さを削りだす        飯田冬眞
   マスク流るゝムンクの橋の梅雨夕焼      井口時男
   太古より人は人恋う夕しぐれ         池田澄子
   東京は仮面舞踏(マスカレード)の月夜かな  大屋達治
   国旗のごとく運びしブルーシートに花     北川美美
   春の宵見知らぬ絵襖をあける        倉阪鬼一郎
   春星へかよふ寝息となりにけり        五島高資

   いまいちど
   なんぢやもんじやの
   奇をめぐる                酒巻英一郎

   ここへ来て滝と呼ばれてゐる水よ       佐藤りえ
   夏のれんあげて鴉を叱りつけ         妹尾 健
   物乞いの掌より銀河の零れけり        高橋修宏
   人間に見えて啼く鹿燃える鹿        高山れおな
   ひとりだけ菌のやうに白く居り        中村安伸
   子規の背に揚羽の翅の生ふる夢        橋本 直
   十六夜に夫を身籠りゐたるなり        秦 夕美
   自由と銃絡み合ってる烏瓜         羽村美和子
   ゼロゲーム時の人いて発酵す         早瀬恵子
   門柱の手触りを言い今朝の秋         福田葉子
   どうしても捨てねばならぬかすていら    樋口由紀子
   伊集院静みちのく寒銀河          藤原龍一郎
   光年距りにいて斑猫(みちおしえ)      堀本 吟
   ハギビスの戦い続く幸彦忌          山﨑十生
   存在と無と竜骨の先鰤起し          山本敏倖
   津梁の鐘やまぼろし海おぼろ         亘余世夫 

  

撮影・鈴木純一「任命をした責任は勿論で自己責任があいつにはある」↑

2020年10月15日木曜日

大井恒行「朋の死後わが死後秋の青空よ」(葛城綾呂・バルーン宇宙葬に寄せて)・・


 来る、10月18日(日)に「宇宙バルーン葬」をすると、葛城綾呂の愛妻から、便りがあった。

 101811時、場所は京急の六郷土手です。よろしかったら空を見上げていただけたら幸いです。

 と・・・。忘れやすい愚生は、葛城綾呂が、願わくば宇宙葬と言い残したと聞いていたことを忘れさっていた。。昨年、10月28日に訃報を聞き(享年71)、翌29日の本ブログ「日日彼是」に、それを記していた。その宇宙葬が行われるらしい。その日、晴雨にかかわらず空を見上げようと思う。「宇宙バルーン葬」というらしい。


 遺骨を粉末化して大きな風船に入れ、ガスを注入して空に打ち上げるのです。30分ほど漂っていると聞きました。

 

 ともあった。今、手元にあるわずかな「未定」より、若き日の彼の句のいくつかを、以下に挙げよう。


   目醒めむと西へ穴あく鯛の口      綾呂(「未定」創刊号・1978・12)

   花々も藁人形も添ひ寝せり         (「未定」第2号)

   蛇の肉静かの蛇となりて往ねり 

   屈葬や夕べ左手(ゆんで)に蝶来たり    (「未定」第3号)

   鬼籍にはわが名あれかし中止法

   姉似なる座敷わらしを折檻せり       (「未定」第4号)

   菜の花やしづと穹ゆく乳母車   

   ゆふがほを昇りつめたる蠛蠓童子      (「未定」第6号)


今時、かく格調ある句を作れる者が幾人いるであろうか。


★皆様への追伸・・・予報では晴天が望めず、せっかくだから雨天は避けたいとのことで、明日18日(日)のバルーン葬は延期。1週間後の25日(日)になりましたと、急遽連絡がありました。お知らせまで・・・。




★閑話休題・・・森須蘭「あめんぼう明日はいつも目分量」(「祭演」第61号)・・・

 自由句会誌「祭演」第61号(ムニ工房)、招待席は吉田千嘉子「水の秋」10句。特集は、「『祭演』」60号合同句集読むで、川名つぎお「29人の風を読む」、池田澄子による30句選、その他、安西篤・宇多喜代子・岸本マチ子・佐怒賀正美・しなだしん・田中亜美・対馬康子・鴇田智哉・中村和弘・藤本美和子による20句選。ともあれ、以下に「豈」同人メンバーの一人一句を挙げておこう。


   入道雲の余白自転車こいでいる      森須 蘭

   玩具屋が双方に売る水鉄砲        川崎果連

   ゲルニカに音を加える大夕立      杉本青三郎



       撮影・芽夢野うのき「少し晴れのちくもり落葉のきもち」↑

2020年10月14日水曜日

三橋鷹女「カンナ緋に黄に憎愛の文字ちらす」(『鷹女ありて』より)・・・




 大久保桂著『鷹女ありて その「冒険的なる」頃』(ふらんす堂)、帯の惹句に、


 新しい風を吹き込み、/昭和を魅了して駆け抜けた三橋鷹女。 

 鷹女の才能が花開かんとする初期の句をたどり、/当時の主たる発表の場「鶏頭陣」誌における鷹女の句と/同時代評を余すことなく再現した。

『三橋鷹女全集』未収録148句を収載。


 とある。また「あとがき」には、


(前略)その鷹女との出会いをまとめようとそていた頃思いがけず「鶏頭陣」と出会ってしまったのである。何日も成田山仏教図書館に通う。(中略)

 さらに成田山仏教図書館にある「鶏頭陣」だけでなく、他に所蔵されている「鶏頭陣」も読み得て「鶏頭陣」の中の鷹女の句をほぼすべて読むことが出来た。「鶏頭陣」中の鷹女だけの俳句や同時代評などをまとめたものをそっくり再現することにより、その時代の鷹女の姿が浮かびあがるのではないかと、考えるようになった。(中略)

 「鶏頭陣」における鷹女の句や同時代評をまとめることは、戦前の雑誌であるという性格上、想像以上に難しかった。印刷が古くてかすれているものをコピーしているので、読み辛く、まぎらわしい。正字、新字等の区別。誤植と思われるもの。出来るだけ誌面に忠実に、とは言え、形式は統一しなければ読みやすいものにならない。しかし、長い間図書館に眠っていたものをこの世に出すのだから出来るだけ手を尽くしたい。

 と涙ぐましい。資料を読む退屈さはここにはない。たぶん、それは、じつに精緻に調べ尽くされ、スリリングであること。鷹女との出会いの瞬間に、母のケアホームに通う道々の大久保桂の生活の一端が覗えたからかも知れない。もちろん、新発見による鷹女句の掲載句歴の訂正もある。

 それは、大久保桂にとっては「成田で出会った夢ともうつつともつかぬふしぎな出来事」だったのだが、こう記すのである。

  

 (前略)それは想像以外の何物でもなかろうと思う。しかし、私の目の前に浮かんでくる映像を、記録してみたいと思った。もちろん鷹女という実在の人の俳句から想起したことであるので、事実は枉げずに書く、という枷ははめなければならない。


 彼女は明治三十二年旧印旛郡成田町成田の三橋家に生まれた。本名はたかといい、幼名は文子であった。大正十三年頃に始めた俳句の号は、婚家の姓の東により東文恵とした。その後俳誌「鹿火屋」「鶏頭陣」の頃より東鷹子を経て、東鷹女。後年実家三橋家を継いだことにより、三橋鷹女と名乗った。この稿では一貫して鷹女という俳名を使いたい。同様に、夫謙三も俳号で剣三と表記したい。(後略)


 以下、興味のある方は、本書を直接手に取られたい。ともあれ、本書中より、いくつか鷹女の句を紹介しておきたい。巻末に「『鶏頭陣』鷹女の句索引」が付されていて、句集名記載の無いものは句集未収録とあった。


   日本のわれもをみなや明治節     鷹女

   暖炉昏し壺の椿を投げ入れよ

   みんな夢雪割草が咲いたのね

   寒明くるなまぬるき掌の人の掌に

   百合がじーんとわたしの鼻をつくんだもの

   父と子にカンナの燃えてゐるわかれ

   夏痩せて嫌ひなものは嫌ひなり

   夏逝くやいみじき嘘をつく女

   南風に女ら乳房もちて歩く

   

 大久保桂(おおくぼ・けい) 福井県敦賀市生まれ。



撮影・鈴木純一「鷹乃確保俯瞰的活動祭鳥(たかすなはちうへからめせんでまつりごと)↑

2020年10月13日火曜日

花谷清「母の手より承けし笹舟みなみかぜ」(「藍」552号・花谷和子追悼号)・・


 「藍」552号(藍俳句会)は、花谷和子追悼号である。愚生が現代俳句協会で一期のみの役員をし、青年部だった頃、数回お会いしたことがある。充実の追悼で、花谷和子論は酒井佐忠「慈愛を秘めた精神」と谷口慎也「詩心一徹。綾なすこゝろ」。花谷清選「花谷和子の百句」とエッセイストでもあったので、「花谷和子のエッセイ」を数編。他に、同人、会員の追悼句、エッセイが収められている。その冒頭のエッセイ「金木犀」、師の草城を初めて訪ねた折のこと、


 (前略)先生は、桜色の紅潮した顔を、ベッドから向けられ、冗談を交えて話された。一会員にすぎない私の句をよく覚えていて下さって、(中略)

そして優しいまなざしを向けて、「女の人は成績にこだわって、誰々に負けたから、とか、出来なくなったから、と言って、すぐやめてしまう。どうか途中で休まないように」、といった意味のことをおっしゃった。

 私は、俳句をはじめて間もないひとに、草城先生のそのことを、いくたび繰り返して伝えたことだろう。その都度、自分自身へも、確かにいいきかせていいたのである。


   夕寒し木犀さらにときめく香

                   『花日記』所収(「経済要報」昭40・6)  


ともあれ、以下に百句選よりいくつか句を挙げておきたい。


   近づく雪国 座席で踊るハートのA      和子

   野に流す帽子のリボンわが晩夏

   いのちいま荒地野菊と花あそび

   さるをがせ霧のねむりの咎を負う

   窓にいま太陽生まる冬林檎

   声映すまで透きとおる五月の窓

   満月のほたるぶくろよ顔上げよ

   夢の続きの花ある夢や草城忌

   水つかう見えぬ花粉が夜も流れ

     長女廣瀬淳子

   紅葉山迫り子の骨拾うとは

   何かはじまる野の一点の鶏頭炎え 


花谷和子(はなたに・かずこ) 1922(大11)~2019(令元)、享年97。



           『攝津幸彦選集』(邑書林・本体1600円)↑

                                   

              



★閑話休題・・・攝津幸彦「国家よりワタクシ大事さくらんぼ」・・・・


 今日、10月13日は、攝津幸彦の命日である。享年49。24年が経つ。生きておれば、愚生より一歳上の兄貴で、73歳である。以下に、いくつかの句を挙げておこう。合掌。


  姉にあねもね一行二句の毛はなりぬ

  千年やそよぐ美貌の夏帽子

  南浦和のダリヤを仮りのあはれとす

  幾千代も散るは美し明日は三越

  南国に死して御恩のみなみかぜ

  物干しに美しき知事垂れてをり

  淋しさを許せばからだに当る鯛

  階段を濡らして昼が来てゐたり

  日輪のわけても行進曲(マーチ)淋しけれ

  野を帰る父のひとりは化粧して

  路地裏を金魚と思ふ夜汽車かな



攝津幸彦(せっつ・ゆきひこ) 1947~1996年、兵庫県養父郡生まれ。



芽夢野うのき「ハナミズキ実となり虚空へとこぼれ」↑

2020年10月12日月曜日

渡部ひとみ「こころせよ野菊の青は暮れやすい」(『水飲み場』)・・・


 渡部ひとみ句集『水飲み場』(創風社出版)、跋文は坪内稔典「五七五の言葉の風景」、その中に、 


    冬青空ひょこっと鳥の水飲み場

    冬の日のカフェに巣箱とオートバイ

    雪の窓つま先くっとたてていた


 冬の章「マメ科に属す」の三句だが、これら、どれも大好きだ。鮮明な形が快い。

 ここまで私が挙げた句は、どれもが私たちの普段の言葉で書かれている。いわゆる俳句らしい言葉とか表現がない。別の言い方をすれば、今を生きている言葉が作る五七五の風景、それがひとみさんの俳句の風景なのだ。


 とあった。三句の最初の「冬青空」の句が、集名『水飲み場』に因む句であろう。また、著者「あとがき」の中には、


 (前略)俳句グループ「船団」の散在が決まり心細くなりはじめたところでしたが、

幸いにもさやんさんの愛媛新聞カルチャー教室が開かれることになり、まずはここを散在の出発点として、これからも楽しく俳句を作り続けたいと思います。


 と心持が記されている。ともあれ、集中より、いくつかの句を以下に挙げておきたい。


   かげふみの一歩が出ない春の夢       ひとみ

   春の雲絵本に跳ねる鈴の音

   金魚飼うちょっときれいな皿に浮く

   太陽を仕舞うお役目夏芝居

   詩的睡蓮散文的碧空

   月見草ここは鉄鎖置き場です

   中秋の名月隣では電話

   小春日の真ん中へ置く核家族

   ピノキオの関節九個冬の星

   海側へふわりと離陸春隣

   

 渡部ひとみ(わたなべ・ひとみ) 1954年、愛媛県生まれ。



          撮影・鈴木純一「沈黙の金より銀の睦語り」↑

2020年10月11日日曜日

渡辺誠一郎「出撃も撃滅もなき蜻蛉かな」(『赫赫』)・・・



 渡辺誠一郎第4句集『赫赫(かくかく)』(深夜叢書社)、その「あとがき」に、


 この間、、東日本大震災から九年が過ぎた。そこに突如、新しいウイルスが地上に蔓延し始めた。天変地異は常の事だと改めて思う。ただ生き延びるしかない。

 私はといえば、あまり代り映えのしない日々が続いている。強いて変わったことといえば、震災への体験を、少しでも内面化に努めるようになったことであろうか。


 とあった。従って、集中には、震災、原発など、また、師の佐藤鬼房にまつわる句なども多い。集名に因む句は、次の句であろう。


   赫赫(かくかく)と闇に爪掻く老蛍     誠一郎


 ともあれ、愚生好みに偏するが、以下にいくつかの句を挙げておきたい。


   地にふれぬための蹴爪や夏の風      

   晩節の影に寄り来る断腸花

   瓦礫失せ一痕として冬の星

   冬薔薇聖書にはなき誤植

   一枚は地祇のためなり蛇の衣

   軍装を今だに解かぬいぼむしり

     東日本大震災から7年目

   閖上浜(ゆりあげ)の芽吹かぬ木々と芽吹く木と

   月の出や疼くは二心房二心室

   幾万の汚染袋や霜しずく

   枯野原廃炉の朝は杖ついて

 

 渡辺清一郎(わたなべ・せいいちろう) 1950年、塩竈市生まれ。



       芽夢野うのき「辛夷の実うからはらからみな喪服」↑

2020年10月9日金曜日

石嶌岳「魂魄は菫の影と睦みをり」(『非時』)・・・

 


 石嶌岳第4句集『非時』(角川書店)、集名に因む句は、


   いちにちに非時(ときじく)のあり薄氷    岳


と思ったが、「あとがき」によると、


 句集名は、「非時香菓(ときじくのかくのこのみ)」からいただいた。非時香菓は、田道間守(たじままもり)が天皇の命により常世の国から探し求めた実のことである。この田道間守は菓祖として祀られている。また、この言葉から日常と非日常という時間の関係を感じさせてくれる。俳句を詠むことによって、この二つの時間の間を眼差しは往還しながら時を超えていっているもかもしれない。俳句は時を超えていつでもあるものである。


  ということらしい。ともあれ、集中より、愚生の好みに偏するが、いくつかの句を以下に挙げておきたい。


   陽炎に骨のゆるんできたりけり

   睡蓮の黄と白と黄と夕風と

   酒よりも餡の渾沌年詰る

   切能の急進之出や月涼し

   老鶯の強情通す気でありぬ

   冬菊の震への蝶におよびたる

   野暮用の戻りの秋の暑さかな

   花よりも花のごとくに雪ふれり

   頭の端の冥(くら)くなりたる蟬時雨

   鏡より風吹いてくる五月かな

   たまゆらの水の淡海の水は春

   晩春に拾うて骨のさくら色

   

  石嶌岳(いしじま・がく) 昭和32年、東京生まれ。



       撮影・鈴木純一「秋の蝶ぬくもりしばし掌に受ける」↑