「俳句四季」11月号(東京四季出版)は、なぜか愚生に関連する記事がいくつかあった。紹介したい。まず、特集「生誕百年の俳人」のなかの眞鍋呉夫の愚生の挙げた一句は、『眞鍋呉夫全句集』(書肆子午線)未収録の句で、その証拠にハガキの写真を挙げておこう。中の私信については、本誌上段に執筆している浅沼璞に関する便りで、偶然の縁がここでも生きている、と感じた。
次の記事は、「今月のハイライト」の「『豈』創刊40周年」で筑紫磐井の写真と攝津幸彦、偲ぶ会での佐藤鬼房や攝津資子(もとこ)、子息の斉彦(ときひこ)、出席の宇多喜代子などの写ったスナップ写真(下)。
さらに、筑紫磐井の連載時評「俳壇観測・214回」で、それが「大井恒行の時評ー活字ばかりでなく、電脳でも俳壇は動く」という記事(下写真)である。少し誉めすぎの気配があるが、愚生が忘れている年月の期間などが丁寧に記されている。よく読んでいただいていて恐縮至極である。
「豈」40周年記念の紹介記事は、創刊同人の藤原龍一郎が執筆しているが、これも愚生が忘れていたことなどが記されていて、改めて愚生の記憶のいい加減さを思い知らされたのだった。ともあれ、本記事掲載から同人の句を以下に挙げておこう。
ひぐらしや森の昏さを削りだす 飯田冬眞
マスク流るゝムンクの橋の梅雨夕焼 井口時男
太古より人は人恋う夕しぐれ 池田澄子
東京は仮面舞踏(マスカレード)の月夜かな 大屋達治
国旗のごとく運びしブルーシートに花 北川美美
春の宵見知らぬ絵襖をあける 倉阪鬼一郎
春星へかよふ寝息となりにけり 五島高資
いまいちど
なんぢやもんじやの
奇をめぐる 酒巻英一郎
ここへ来て滝と呼ばれてゐる水よ 佐藤りえ
夏のれんあげて鴉を叱りつけ 妹尾 健
物乞いの掌より銀河の零れけり 高橋修宏
人間に見えて啼く鹿燃える鹿 高山れおな
ひとりだけ菌のやうに白く居り 中村安伸
子規の背に揚羽の翅の生ふる夢 橋本 直
十六夜に夫を身籠りゐたるなり 秦 夕美
自由と銃絡み合ってる烏瓜 羽村美和子
ゼロゲーム時の人いて発酵す 早瀬恵子
門柱の手触りを言い今朝の秋 福田葉子
どうしても捨てねばならぬかすていら 樋口由紀子
伊集院静みちのく寒銀河 藤原龍一郎
光年距りにいて斑猫(みちおしえ) 堀本 吟
ハギビスの戦い続く幸彦忌 山﨑十生
存在と無と竜骨の先鰤起し 山本敏倖
津梁の鐘やまぼろし海おぼろ 亘余世夫
撮影・鈴木純一「任命をした責任は勿論で自己責任があいつにはある」↑
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