「玉藻」10月号・創刊90周年特集号(玉藻社)、高浜虚子の二女星野立子が結婚後,家事に忙殺されて、その天分を発揮できる機会を亡くすことを惜しみ、立子に発刊を勧め、昭和5年6月に創刊された日本最初の女性主宰誌が「玉藻」である。その創刊90周年。星野椿の卒寿記念号でもあり、かつ、鎌倉虚子立子記念館設立20周年でもあるという。まずは、心よりお祝い申しあげたい(9月4日に予定されていた祝賀会も、コロナ禍により来年に延期されている)。
90周年への祝詞は有馬朗人、宮坂静生、宇多喜代子、中村和弘、黒田杏子、稲畑廣太郎。特別寄稿に筑紫磐井「虚子の復活ーコロナ時代の『玉藻』を激励する言葉」、本井英「『玉藻』の晴子時代」、高野ムツオ「高士近作鑑賞ー天高しー見るということ」、仁平勝「椿俳句鑑賞ー五七五のディテール。他に会員による「創刊九十周年に寄せて」、さらに「玉藻合同祝賀会祝句」と続いている。そして、連載は齋藤愼爾「つれづれ草紙(10)」。
なかでも、特に印象に残ったのは、短いので、引用するが、タイトルを祝句にして、
虚子立子椿高士や月今宵
「藍生」主宰 黒田杏子
微笑佛 星野 椿
阿修羅 星野高士 (以下略)
あと一つ、本井英の結び近くに、
「玉藻」九十年の歴史を振り返る時、虚子・立子・椿・高士という太い絆のあることは洵に輝かしい事実であるが、その中の「十五年ほど」を担った俳人に高木晴子のいた事も、これまた記憶されてよいことであろう。殊にその「虚子恋ひ」と「虚子顕彰の実践」は、まことに頼もしい実行力に裏打ちされて、今に光を失わない。
と、記されている。ともあれ、本誌より、高士・椿のいくつかの句を挙げておきたい。
コロナ禍の巷に遠く秋の蟬 高士
水餅の重さばかりを見てをりし
日輪は動かし難しいぬふぐり
風光る色鉛筆になき色も
終はる旅これからの旅天高し
恙なく会ふもえにしよ露の秋 椿
赤飯と一緒に届く桜餅
門火焚き仏に留守を頼みきし
九段坂上り下りの小春かな
鎌倉は何と云つても山桜
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