「門」11月号(門発行所)、追悼特集は「悼・関朱門」。鳥居真里子選「関朱門五十句」。追悼文は、野村東央留「拝啓 関朱門様」、成田清子「朱門さんの夢」、村木節子「朱門さんには黒のタートルがよく似合う」、三野博正「関朱門さんと私」。i愚生が、はっきり記憶しているのは、何かの折に、アルカディア市ヶ谷でお会いしたこと、「門作品評」の折に便りを頂いたことである。おそらく、愚生と同時代を生きてこられた同世代の方と思われる。ともあれ、本誌今月号の追悼句と思しき句を以下に拾った(前書省略)。
喪百日秋の花喪の関朱門 鳥居真里子
関朱門逝く波音を追うて夏 成田清子
一瞬に朱門攫はれ梅雨寒し 石山ヨシエ
君のゐる場所よりとどく南風 泡 水織
まなうらの銀漢は濃し応へてよ 島 雅子
蛍火を抱へて来そう朱門氏逝く 青木ひろ子
小聖堂に入りてゆく影梅雨深し 中村鈴子
葉書から声なき声や虹かかる 山室伊津子
ああああと月の砂漠に蟬しづく 大関節子
鷹夫氏と対座再び夏帽子 丸山一耕
以下の句は、「関朱門五十句」より・・。
つばくらのまぶしき渚通りかな 関 朱門
(愚生注:『渚通り』は師の鈴木鷹夫第一句集)
わが死後のこのビル群はきつと煮凝り
月や仮死しばし振り子の振り幅に
ゆくものは眩しかりけり百合花粉
夭折の詩の全量の薔薇の棘
たましひを敷きつめてみよ秋夕焼
まぼろしも花も発光花すすき
百合の香のいまはのきはの夜を抱きぬ
わが死後の藻の花きつと花のまま
最後に触れておきたいのは、武馬久仁裕「門作家作品評」である。具体的に句の読みを披歴する緻密さと特異さをもって解剖してみせる手つきは、賛否を越えて、評自体をじつに面白く読ませてくれる。今号の冒頭は、
俳句は視覚詩としての側面をもっています。たとえば、
松山にさくらの白をまじへたる 森澄雄(『鯉素』)
です。「山」がありますので、「松山」が上にあります。そして、その下は、「白」以外はひらがなです。ひらがなは、桜の花をひらがなで表したものです。(これを形象化といいます)ひらがなでも白のイメージをもたらしますが、ここは、松の青と白を対比させ、「白をまじへ」る感じをだすために「白」は漢字になっています。松山という地名を巧みに使った、松と桜の対比と調和による美しい世界がここにあります。
このように、五七五の世界を、文字による造形としても鑑賞できます。では、この観点で鳥居真里子の句を読んでみましょう。
はなみづきかんぬきざしのやうに枝 真里子
ひらがなで表記された「はなみづきかんぬきざしのやうに」は、「はな」から始まることによって、澄雄の句と同じように一つひとつのひらがなが花水木の花になります。そして、その花水木をつらぬく枝があるという構図です。
こう論じながら。この句を横組みにして提示し、次のような結論に運び込んでくる。
垂直に書かれた一句から水平をイメージするというひねりを体験するのが、一句目の眼目です。そのひねりを官能的に保証しているのが、ほかでもない、ひらがなの最後の「やうに」です。「ように」と読んでも文字は「やうに」とあります。その違和感からひねりが生まれます。(中略)だてに、古典仮名遣いで書かれているわけではないのです。
と述べる。つまりここでは「閂」の文字のなかの横一が、「や」のアナロジーとしても読めると言っているのである。それはまた「閂差しは、刀を閂のように水平に差す形です。ならば上のように(愚生注:句の横書きの図あり)横書きにすればよさそうですが・・・では、なぜ、作者は横書きにしなかったのか」云々に繋がってもいる。それは、また、鈴木節子「六月のぶらんこ漕ぐでもなく日ぐれ」の句を引いて、「六月の女すわれる荒筵 波郷」の句を例に、
六月が日本の四季にぴったり収まりきらないために起こった現象です。六月は、イメージとしては、春にも夏にも入らない虚の月なのです。だから六月の女は不思議な雰囲気を漂わすのです。
と、六月に対して「虚の月」の概念まで語ってみせる。見事なる付会であろう。
撮影・鈴木純一「太鼓判ITAIひとり勝ち」↑
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