2020年10月14日水曜日

三橋鷹女「カンナ緋に黄に憎愛の文字ちらす」(『鷹女ありて』より)・・・




 大久保桂著『鷹女ありて その「冒険的なる」頃』(ふらんす堂)、帯の惹句に、


 新しい風を吹き込み、/昭和を魅了して駆け抜けた三橋鷹女。 

 鷹女の才能が花開かんとする初期の句をたどり、/当時の主たる発表の場「鶏頭陣」誌における鷹女の句と/同時代評を余すことなく再現した。

『三橋鷹女全集』未収録148句を収載。


 とある。また「あとがき」には、


(前略)その鷹女との出会いをまとめようとそていた頃思いがけず「鶏頭陣」と出会ってしまったのである。何日も成田山仏教図書館に通う。(中略)

 さらに成田山仏教図書館にある「鶏頭陣」だけでなく、他に所蔵されている「鶏頭陣」も読み得て「鶏頭陣」の中の鷹女の句をほぼすべて読むことが出来た。「鶏頭陣」中の鷹女だけの俳句や同時代評などをまとめたものをそっくり再現することにより、その時代の鷹女の姿が浮かびあがるのではないかと、考えるようになった。(中略)

 「鶏頭陣」における鷹女の句や同時代評をまとめることは、戦前の雑誌であるという性格上、想像以上に難しかった。印刷が古くてかすれているものをコピーしているので、読み辛く、まぎらわしい。正字、新字等の区別。誤植と思われるもの。出来るだけ誌面に忠実に、とは言え、形式は統一しなければ読みやすいものにならない。しかし、長い間図書館に眠っていたものをこの世に出すのだから出来るだけ手を尽くしたい。

 と涙ぐましい。資料を読む退屈さはここにはない。たぶん、それは、じつに精緻に調べ尽くされ、スリリングであること。鷹女との出会いの瞬間に、母のケアホームに通う道々の大久保桂の生活の一端が覗えたからかも知れない。もちろん、新発見による鷹女句の掲載句歴の訂正もある。

 それは、大久保桂にとっては「成田で出会った夢ともうつつともつかぬふしぎな出来事」だったのだが、こう記すのである。

  

 (前略)それは想像以外の何物でもなかろうと思う。しかし、私の目の前に浮かんでくる映像を、記録してみたいと思った。もちろん鷹女という実在の人の俳句から想起したことであるので、事実は枉げずに書く、という枷ははめなければならない。


 彼女は明治三十二年旧印旛郡成田町成田の三橋家に生まれた。本名はたかといい、幼名は文子であった。大正十三年頃に始めた俳句の号は、婚家の姓の東により東文恵とした。その後俳誌「鹿火屋」「鶏頭陣」の頃より東鷹子を経て、東鷹女。後年実家三橋家を継いだことにより、三橋鷹女と名乗った。この稿では一貫して鷹女という俳名を使いたい。同様に、夫謙三も俳号で剣三と表記したい。(後略)


 以下、興味のある方は、本書を直接手に取られたい。ともあれ、本書中より、いくつか鷹女の句を紹介しておきたい。巻末に「『鶏頭陣』鷹女の句索引」が付されていて、句集名記載の無いものは句集未収録とあった。


   日本のわれもをみなや明治節     鷹女

   暖炉昏し壺の椿を投げ入れよ

   みんな夢雪割草が咲いたのね

   寒明くるなまぬるき掌の人の掌に

   百合がじーんとわたしの鼻をつくんだもの

   父と子にカンナの燃えてゐるわかれ

   夏痩せて嫌ひなものは嫌ひなり

   夏逝くやいみじき嘘をつく女

   南風に女ら乳房もちて歩く

   

 大久保桂(おおくぼ・けい) 福井県敦賀市生まれ。



撮影・鈴木純一「鷹乃確保俯瞰的活動祭鳥(たかすなはちうへからめせんでまつりごと)↑

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