2020年6月30日火曜日

久保純夫「死にぎわを髪逆立つは薔薇の午前」(「儒艮」VOL.32より)・・




 「儒艮」VOL.32(儒艮の会)、久保純夫は相変わらずの多作ぶりだ。さすがに、回想録が書けるだけの年齢に達してしまった、ということでもある。いわば、久保純夫自伝なのだが、その連載も今号は「『回想録』(五)--『獣園』終刊まで」で、愚生の忘れていたことなどを思い起させてくれた。中でも、愚生と関係の深いところを、抄出したい。

 (前略)昭和四八年に大学を卒業。小さな広告代理店に勤務したが、三ヶ月で退職。教職を目指すことに。(中略)
 一五号では五周年記念号を出し、一八号では城喜代美句集『曼荼羅繚乱』の特集を行っているが、その一八号で終わってしまった。この時期、同人達に、俳句を書くことができない状況がそれぞれに訪れていた。その結果、発行を持続することができなくなってしまった。(中略)一九号では大井恒行句集『秋ノ詩』が特集されるはずであった。真っ黒の紙に墨で五〇句書かれている。自筆限定五〇部の句集である。攝津幸彦さんからはその句集評を戴いていた。それもいつか散佚してしまった。慚愧に堪えない。おふたりには、本当に申し訳ないことをしてしまった。
 少し書き抜いて置く。
 夢よ熟せば秋の柱の夜ごとに哭かむ       大井恒行
 水鳥ノ水ヨリ残ル水ノ日々
 猫族ノ猫目ノ銀ヲ懐胎ス
 木ノ中ノ男ヨ死ヌル花ヲ恥ジ
  (中略)
 あれは二十歳の花衰の薔薇や博物誌
 冬野来て未決の白い首絞める
 恍惚として銀河船出を急ぐかな
  (中略)
 この中の「あれは二十歳の花衰の薔薇や博物誌」という句は、『瑠璃薔薇館』に贈答して戴いたものだ。

 『瑠璃薔薇館』は久保純夫(当時は、純を)の第一句集だ。もう五十年近く昔のことだ思えば遠く来たものだ・・・。ともあれ、本号より、以下に一人一句を挙げておこう。

  パンデミックの真ん中に立つ葱坊主      久保純夫  
  学僧の汗にまみれしバリケード        曾根 毅
  金魚玉直下液状化現象           嵯峨根鈴子
  もう醒めぬ父よ春野に遊ばむか        岸本由香
  水くらげ腸まで透けて漂いぬ         上森敦代
  えり舟の小春の波の陰と陽          志村宣子
  行間に沈んだままの紙魚の息        木村オサム
  卒業歌手拍子少しづつずれし         伊藤蕃果
  防弾チョッキきつさうパンジーねむたさう  近江満里子
  あちこちに笑顔のかたち豆の花        久保 彩
  みづうみの水のにほへる草苺         金山桜子
  口漱ぐ八月は父の月なり復員す        妹尾 健
  縫代は永遠に内側さみだるる        藤井なお子 

 余計なことかも知れないが、妹尾健の略歴の紹介は、生年、出身地を除いて、正確ではない。「草苑」同人とあるが、「草苑」は「草樹」に継承され、現在は存在しない雑誌である。現在では、一年に一度しか刊行されていないが、妹尾健は立派に「豈」同人である。 



芽夢野うのき「のうぜんに青い風あきらめるなよ」↑

2020年6月28日日曜日

江良純雄「神保町知的な黴の独り言」(第14回ことごと句会)・・

 


 第14回「ことごと句会」(2020年6月20日・土)、いつもの新宿区役所横店のルノアールは、コロナ話題の歌舞伎町、もう年寄りは怖くて近寄れない。よって、今回も郵便での紙上句会となった。従って、日時も、必ずしも一致はしていない。愚生のような蟄居の身には有難い。雑詠3句に兼題「黴」一句の計4句。
 ともあれ、以下に一人一句を挙げておこう。

  かな文字の碑(いしぶみ)すべる蜥蜴かな   金田一剛
  運転を子にまかせたる魚始          照井三余
  駄菓子屋に来るは鳩のみ五月尽        渡邊樹音
  優しさと品日傘から雫する          江良純雄
  秘めしこと叶わぬままに水中花        武藤 幹
  羽衣の天を包みて青葉せる          大井恒行

たぶん、次回も紙上句会だろう。老人は夏安居にしくはない・・・。



★閑話休題・・・武藤幹「言魂(ことだま)の人を離るる余寒かな」(「海原」NO.20/7/8月より)・・・


 ことごと句会の武藤幹は、「海原」会員でもある、先日、巻頭になったと喜んでいたが、今月は「海原集」の3句欄に甘んじていた。武田伸一の好句になったのが「言魂(ことだま)」の句である。因みに他の二句は、

   君縮む吾も縮みて冬の街         武藤 幹
   一通の文(ふみ)に薄氷ふ遺恨かな

そういえば、「縮む」には、坪内稔典の、

  魚くさい路地の日だまり母縮む    稔典

があったなあ・・・。
 ところで、今号の「海原」の特集は「新型コロナウイルスで表現はどう変わったか」で月のぽぽな、ナカムラ薫、野口思づゑが執筆している。さすがに状況に、いち早くコミットする「海程」の伝統が生きていよう。連載の安西篤「濤声独語」、小野裕三「英国Haik便り」も楽しみの一つだ。  




        撮影・鈴木純一「反戦と非戦の2円のレジ袋」↑

2020年6月26日金曜日

秦夕美「花の兄ふはりと着地せる神も」(「GA」85号)・・




 「GA」85号(編集発行人・秦夕美)、「あとがき」には、「もう出さないつもりの句集を出すことにした。『五情』以後の俳句がかなりある」とあった。「『さよならさんかく』は後期高齢者になってからの俳句だ」ともあった。

 犬と孫と俳句。八十代はそれなりに忙しい。
表紙の葉は雑草の一種。必死で花を咲かせているのを見るとせつない。

と記されている。エッセイ「言葉のあわいに」の「サーカス」には、

(前略)この冊子は婆さんの玉乗りかもしれないけれど、もう少しは続けられそう。令和元年に拘って出した句集『夕月譜』は三十年以上前に出来た空中ブランコの集大成だ。ジンタの響き、天然の美の曲に魅せられた若き日からサーカスのテントの中の世界に住み続けてきた。テントの外の世界は退屈でつまらない。ただテントの中であっても、まだ、お手々つないで、前を歩く気にはなれない。婆さんの玉乗り?熊さんの方がいい?

 エッセイのほかに、蕪村句鑑賞、短歌、俳句もある。いくつかを以下に挙げておこう。

  受話器より冬の海鳴り木の匂ひ         夕美
  城門や水をくゞれる春の音
  ゆびさきのねむたき色や牡丹雪
  羅の裾のあそべる奈落かな
  鳥翔てりにがき音もつ雪解川
  花おぼろ指格子くみあぐねては
  ゆるぎなき絆のひとつ水無月のかはたれどきをよぎる鳥船
  つつがなく過ぎゆく日々に凹凸のほしきと思ふなんとぜいたく





★閑話休題・・・鳥居真里子「草笛をためしに吹いてゐて本気」(「門」7月号)・・・

「編集後記」に鈴木節子が、

 ◆コロナ菌の強さには、人間は負けている。どうしようもない事実。(中略)こんな中、昨年から決めていた私の主宰交代、私の米寿を期に、真里子新主宰となった。私は更に俳句精神を磨きたく思う。新主宰と共に皆さん励んで下さい。

 とあった。そういえば、「俳句界」(文學の森)7月号の「俳句界トピックス」に「『門』」主宰交代、という記事を目にしていた。それには「主宰の鈴木節子氏は名誉主宰として、後進の指導にあたる」「師系は石田波郷、能村登四郎。詩と俳の融合を志し不易を心に挑戦する」と記されていた。鳥居真里子は鈴木節子の実妹、昨年2,3回ほどだったが、「椋」や「鷹」の人たちと一緒の「浜町句会」ではお世話になった。愚生は初代主宰・鈴木鷹夫以来「門」誌の寄贈、著作物を恵まれてきた。益々の発展を祈る。ほかに本誌本号では、安里琉太が「門作家作品評・4月号より」を執筆している。ともあれ、同誌より幾人かの句を以下に挙げておこう。

  死に水といふ水思ふなり夏の月      鈴木節子
  はんざきの流眄月の出はまだか     鳥居真里子
  首のつぼ押へて春愁の痛み       野村東央留
  四月馬鹿コロナウイルス強気なる    小田島亮悦
  ぶらんこに花束がのる理想論       成田清子
  春愁の遺筆の墨を磨りにけり       神戸周子
  白をもて蝶は虚空を楽しみぬ       大隅徳保
  疫病はうつつなりけり花月夜       長浜 勤
  細胞眩しすぎたる白木蓮        石山ヨシエ
  もう九十年まだ九十年春生る       布施 良
  嘘のやうなる病名春を宙ぶらりん     関 朱門
  振り向けばちゑの逃げゆく知恵詣    梶本きくよ
  
  

撮影・芽夢野うのき「一面の愛半面の愛白い花」↑

2020年6月25日木曜日

中村安伸「パラソルのをみな笑顔にして深傷」(「俳句界」7月号)・・

 

 
 「俳句界」7月号(文學の森)、特集は「波多野爽波」と「この夏、自選力をつける!」、「俳句界NOW」は坪内稔典。「波多野爽波」の論考は原田暹「『ホトトギス』と爽波」、小川春休「主宰誌『青』の時代」、中岡毅雄「四誌連合と前衛俳人と交流」、青木亮人「俳句スポーツ説」、その他、一句鑑賞とエッセイを収載。「この夏、自選力をつける!」の論考は10人が執筆しているが、ここは「紫」主宰にして「豈」同人でもある山﨑十生「句集における自選力」の部分を紹介しておこう。

(前略)作句においては、どんな有力俳人であろうとも、常に秀句を生み出すことは困難である。それに対して選句は、個々の力量によって作句ほどの波はない。選句力が付いて来れば、自ずと作句力も向上して来ると信じている。(中略)
 句会では会員から幹部同人へと披講されるが、選ぶ句があきらかに違う。これは、選句力に倚る事がかなり比重を占めている証左である。句会で選句力を養い、自選の句集を出していただきたい。

  他に同誌、同号では「豈」同人・池田澄子が「安心に安住しない精神」(大輪靖宏『俳句という無限空間』鑑賞)を執筆している。ブログタイトルにしたのは同誌掲載の「豈」同人・中村安伸「青人草」10句からである。他のいくつかを以下に挙げておこう。

  あきつしま青人草を素手に抜く    安伸
  軍兵の海を眼下に午睡かな
  青嵐人を見えなくするクスリ
  はつなつの人間は水熊は風

 中村安伸(なかむら・やすのぶ)1971年、奈良県生まれ。




★閑話休題・・・『イーちゃんの保育日誌』(編集・山﨑公一)・・・


『イーちゃんの保育日誌』(私家版)、巻頭の「ご挨拶」に、

 泉の6年間の保育園連絡ノートは全部で36冊あります。(中略)
 本書は、そこから病気や体調不良の様子をできるだけ拾いながら、3分の1あまりを抜粋し、泉の心の成長と周囲の大人達の”共有”の記録としました。(中略)
 引っ越しのたびにそのまま持ち運んでいた段ボール箱からこの連絡帳の束を見つけた時、今これをまとめておくことも私達の終活かもしれないと思い至りました。
 この6年間に関わりのあった方々おひとりお一人に、泉ともどもあらためて心からの感謝を申し上げる次第です。

                山﨑てる子
                  公一
2005年5月
コロナ禍のさなかに

 とあった。中に、こんな件りがある。

 1989年1月11日(水)
 お迎えの大井さん宅では最初かなり緊張して、ニコリともしなかったとのこと。しかし次第に慣れてきたそうで、引き取りに行ったときはリラックスしていました(母)

   1月25日(木)
 大井さん宅では子供達に遊んでもらった。帰ってからはぐずってばかりでした。ミルクを飲んでいるとときに眠くなり、しっかり全部飲んでから寝ました。目覚めると、お風呂に入るまで一人で遊ぶ。すっかり夜型人間です。(母)

1995年3月21日(火)
 6年間お迎えでお世話になったĄ月さん、大井さんと”お疲れ様会”をやりました。泉は「6年間お迎えしてくれてありがとう」と言っていました。ランドセルを背負ってみんなに見せ、得意そうにニコニコ。(後略)(母)

 A月さんと大井家で交替で保育園のお迎えに行き、両親の帰宅迄預かっていたのだ。6年間。それにしても、これを読んで、愚生は茫然とする。何ということだ。愚生はその間、何一つしなかった。もちろんお迎えも・・。愚生の子の姉弟も登場しているのに・・この本を贈られて来て、そうしたこともあったなぁと、思い出すのが関の山だった。元はと言えば、三家族は同じ団地に住んでいて、愚生の会社の労働争議や、A月さんの職業病闘争で知り合ったというのに・・。三十数年前のことだ。愚生の事を、我が子どもからは、組合で人は守れても、家族は守れなかった、父親失格と言われていたのも、さもありなん、ということだ。
 そのイーちゃんも立派な大人になって働いておられるという。いまは、ただ、皆さんの幸福と、健康を密かに祈るしかない。



      撮影・鈴木純一「つゆくさの名付け親らし物語る」↑

2020年6月24日水曜日

大井恒行「なにもないものもくずれるないの春」(第57回現代俳句全国大会作品募集・選者詠より)・・・・

 


 現代俳句全国大会の募集のうたい文句に、以下のようにある、愚生も選者の末席を汚しているので、案内をしておきたい。現代俳句大会の特徴は、現代俳句協会員以外でも投句できることである。つまり、他にも「現代俳句評論賞」「現代俳句新人賞」など、単に「現代俳句」とのみ表示してあるものは、協会員以外、一般の俳句愛好者、読者にも、門戸が開かれているのである。ともあれ、以下に記しておこう。

 現代俳句大会は、年に一度、現代俳句協会が主催して行う伝統ある大会です。協会員に限らずどなたでも参加できますから、例年にも増してたくさんの応募者をお待ちしております。

 第57回現代俳句全国大会作品募集(主催・現代俳句協会)、以下に応募規定を記す。

□投句料 3句1組・2000円、何組でも可。ただし、新作未発表作品に限る。(3組9句同時投句に限り、6000円を5000円にいたします)。
 前書不可。所定用紙使用。〒、住所、名前、電話番号、協会員・会員外の別を明記。投句料は普通為替、定額小為替(無記名で)または現金書留に限る。(必ず作品同封のこと)
□送付先 〒516-0035 三重県伊勢市勢田町851-6 平賀節代方 第57回現代俳句協会全国俳句大会係(電話0596‐25‐6849)
□締め切り 来たる7月31日必着
□全国大会 令和2年10月25日(日)午後一時より、「名鉄ニューグランドホテル」(JR名古屋駅太閤通り口改札徒歩1分。
□記念講演 斉藤吾郎先生(画家)「モナ・リザからのおくりもの」




★閑話休題・・・第10回とちぎ蔵の街俳句大会ご案内と作品募集(主催・栃木市俳句協会)・・・


 こちらの俳句大会も、愚生が選者の末席にあり、加えて講演をすることになっている。応募要項を以下に記すので、一人でも多くの方の応募をお待ちしています。

■作品募集 2句1組雑詠未発表・一人何組でも可・専用投句用紙、または原稿用紙に住所・氏名・電話・大会出欠を明記のこと)。
■投句料 1組 1000円(作品に同封して下さい)。
■投句先 328-0027 栃木市今泉町2-8-67 牛丸幸彦 方
■締切  令和2年8月31日(月)(当日消印有効)
■選者 講師及び、栃木市俳句協会役員
■賞 大会優秀賞・栃木市長賞・栃木市教育長賞・栃木市栃木文化団体連絡協議会長賞・栃木市俳句協会会長賞他
■ 問合せ 牛丸幸彦(事務局) 携帯090-7261-1658

☆☆大会☆☆
☆日時 令和2年11月3日(火) 12時30分受付・13時開会
☆会場 栃木市文化会館大会議室 (栃木市旭町12‐16 電話0282‐23‐5678)
☆講演 大井恒行(「豈」編集人)演題「『現代俳句』と私」



撮影・芽夢野うのき「白槿愛しき名前にMがあり」↑

2020年6月21日日曜日

藤原龍一郎「政府広報メール届きて『議事録ヲ修正スル簡単ナオ仕事デス』です」(『202X』)・・




 藤原龍一郎が日本歌人クラブ会長に就任した。「豈」同人諸兄姉にとっては、先に、高山れおなが朝新聞俳壇選者に就任したのと同じくらいに霹靂の出来事であった。「豈」同人の年齢が、その程度になってきたということかも知れない。残るは、池田澄子同人が、この度の句集『此処』で、蛇笏賞受賞となるような気さえしてきた。藤原龍一郎の挨拶状の中には、

 さて 私儀 このたびの、コロナ状況下のため、ブロック長、代表幹事のみなさまの書面と委任状による総会にて、日本歌人クラブ会長に選任されました。
 就任に際し、その職責の重大さを痛感し、身の引き締まる思いです。
 微力ではありますが、精一杯、その職責を果たす所存です。
 つきましては、前任の三枝会長同様、格別のご支援ご鞭撻を賜りますよう、お願い申し上げます。
 まずは略儀ながら、書中をもちましてお礼、ご挨拶を申し上げます。
                                 藤原龍一郎
                             
 とあった。以下、最新句集『2020』(六花書林)からいくつか挙げておこう。

 夜は千の目をもち千の目に監視されて生き継ぐ昨日から今日    龍一郎
 愚かなる宰相Aを選びたるこの美しき国、草生す屍
 ヒコクミンテキコウイデス! 警告の3D文字浮かぶ画面ぞ
 トリックスター上西小百合つぶやけば夜明けは近い もっと腐臭を!
 愚かなる宰相ありて知性なく徳なくそして國亡びき、と 
 過労死の心霊もいるスポットと呪縛うれしき新国立劇場
 聖火台へはしるランナーその背後死霊悪霊悪霊死霊

藤原龍一郎(ふじわら・りゅういちろう) 1952年、福岡県生まれ。 



★閑話休題・・・「第3回 口語俳句 作品大賞募集」(口語俳句振興会)・・・



〇募集作品20句(一篇)
〇制限なし
〇締め切り 2020年8月31日(月)
〇募集費用 2000円(句稿に同封もしくは郵便振替(00850‐0‐185086 金子徹)にて
〇要領 B4 400字詰原稿用紙一枚に書く(ワープロ可)、右欄外に表題を書き、20句そのままが選に回るので、別の原稿用紙に表題・作者名・所属・郵便番号・住所・電話番号を明記。
〇公開選考会を11月、島田市にて開催。
〇原稿送付先 417-0014 静岡県富士市鈴川西町1‐17‐4 金子徹方 口語俳句 作品大賞選考委員会
〇選考委員 秋尾敏・安西篤・飯田史朗・大井恒行・岸本マチ子・谷口慎也・前田弘ほか
旧「口語俳句協会賞」選考委員及び「現代俳句」編集長。
〇主催 口語俳句振興会
〇後援 (株)文學の森



撮影・鈴木純一「猫王に國を治むる尾が一つ」↑

2020年6月20日土曜日

能村登四郎「くちびるを出て朝寒のこゑとなる」(『能村登四郎ノート[二]』)・・




 今瀬剛一『能村登四郎ノート[二]』(ふらんす堂)、著者「あとがき」に、

 主宰誌「対岸」に執筆している「能村登四郎ノート」が平成三十年八月号で二百回になった。それを機に二冊目をまとめることとした。今回は一冊目以降の百一回から二百回までを収めた。次は三百回目となるわけだがそれまで命が持つかどうか心許ない。いずれにしてもこの仕事は私のライフワークである。

 とあり、目次をみると、句集『民話』時代、句集『幻山水』時代、句集『有為の山』時代、句集『冬の音楽時代』、句集『天上華』時代、句集『寒九』、・・・と続いていくわけだが、愚生の年代では句集『幻山水』以降になり、その頃、定本『枯野の沖』も出版されていたようにもおもう。なかに、
 
(前略)「俳句研究」に話を進めると、五月号に「第一回俳句研究全国俳句大会」の作品募集が出て、登四郎も審査委員の一人に名を列ねている。審査員は龍太や澄雄など比較的若い作家たちで、二十人が選に当たっている。そうした傾向に対して登四郎は九月七日の大会当日の講評の冒頭で、次のように語っている。
  大会の選者にいわゆる老大家を煩わせずに、戦後の第一期新人といわれた我々同時代の仲間たちが選ばれたのも、それはそれで大いに意義のある試みと思う。私達は、今後の俳壇にそれなりの立場で責任をもつべきだし、それは野心的なことでもなんでもない。所属の協会が違って、普段会えない人とこういう機会に話し合えるのは、非常に喜ばしいことです。

 と記されている。じつは愚生は本著の冒頭から、文中に,何年のことか記されていなかったので、いつのことかわからず(つまり「対岸」の連載を読んでいないので)、その年代が知りたくなり、「第一回俳句研究全国俳句大会」の記述を手掛かりに、たまたま、愚生の手もとに「俳句研究』(昭和44年11月号)があったので、確かめることができた。この「講評の冒頭に」を書いたのは、倉橋羊村(鷹)「伝統派と前衛派の接点」と題された「第一回俳句研究全国大会の記」である。ちなみに選の講評者の名を記しておくと、赤尾兜子・石原八束・金子兜太・香西照雄・佐藤鬼房・沢木欣一・鈴木六林男・田川飛旅子・野沢節子・能村登四郎・古沢太穂・堀葦男・森澄雄・清崎敏郎・藤田湘子・伊丹三樹彦であった。加えて講演者は飯田龍太・佐佐木幸綱・金子兜太だった。佐佐木幸綱を除いて、すべての人が鬼籍に入られている。隔世の感だ。せっかくだから、長くなるが、能村登四郎の選後評を以下に引用えおきたい。


「俳句研究」(昭和44年11月号)能村登四郎 選後評部分↑


  能村登四郎(前略)今回の催しは、結社はそれぞれ違っていても、選者が皆共通の世代に育っているために、おのずと横につながった世代感覚をもっている点、他の俳句大会などに見られないすっきりしたものがあり、終始気持ちがよかった。われわれ中堅の俳句作家は、今後も横への連繋をつよめて、世代の主張をはっきりしたいと思った。
 今回の集まった作品も、概して三、四十代の人の作品が多く新鮮な気が流れていた。特選句が、二十人の選者うべて違っていたのも興味があった。私が採った特選句は、
  星を殖して蒼ざめきつた採氷夫  佐藤凍虹
冬の湖から氷をとる男たちの姿を、リアリズムを濾過いた美しい感覚と、よく選び抜かれたことばによってイメージの美しい作品にしあげている。

 今瀬剛一がライフワークというだけの500ページを越す分厚い一冊である。現在も「対岸」に連載中だという。愚生21歳のとき、俳句総合誌は「俳句」と「俳句研究」しか無かった時代、思えば、愚生が京都の地にあって、近くの本屋で、いつも一冊しか入荷していない「俳句研究」を、待ちわびて買っていたのだ。買えない時もあった。「俳句研究」(昭和44年12月号・’70年鑑)の諸家自選句10句が掲載されている。その中から、能村登四郎の句をいくつか挙げておこう。

  水にくる遠漣(とおさざなみ)もすぐに消え     登四郎
  冬耕の人帰るべき一戸見ゆ 
  一隅にくらき香りの衣がへ
  こまかなる光を連れて墓詣
  泳ぎ来し人の熱気とすれちがふ

今瀬剛一(いませ・ごういち) 昭和11年、茨城県生まれ。



         撮影・鈴木純一「ねじのはな現象界疑はず」↑

2020年6月19日金曜日

小島健「篠竹に涼風の来て人逝ける」(『山河健在』)・・




 小島健第4句集『山河健在』(角川書店)、ブログタイトルにした句「篠竹に涼風の来る人逝ける」には、「村上護氏」の前書が付されてある。また、著者「あとがき」には、

(前略)振り返りますと、これまで多くの俳句の深い恩に恵まれ、感謝の気持ちでいっぱいです。わたくしはかねがね俳句には自他を慰め、励ます強い力、言わば「俳句力」があると確信してまいりました。事実、この「俳句力」に、わたくし自身人生の窮地を何度も救われました。その恩返しにも、俳句を多くの人たちと共に愛し続けたいと強く願っております。

 とあった。小島健の略歴には、石田波郷門岸田稚魚に師事とあったが、長く、ひとすじ、角川春樹に師事し、「河」同人である。ともあれ、愚生好みになるが、以下にいくつかの句を挙げておきたい。

  道行のごとく三寒四温かな       健
  建国日海鼠の足を誰か見たか  
    角川照子先生
  草木に亡き人のこゑ青あらし
  龍天に登るににんげん火を焚けり
  龍太大人手製の箒春日さす
  冬銀河時間の砂を零しをり
  尺蠖に測られてゐる器量かな
    岳父逝く
  雪晴の中へ柩の浮きにけり
  うすらひのあをざめて日に流れをり
  生者には晩年のあり蜆汁
  
 
小島健(こじま・けん) 1946年、新潟県生まれ。



府中市生涯学習センター・大井恒行「俳句入門講座」↑  

★閑話休題・・・府中市生涯学習センター第2期・大井恒行「俳句入門講座」募集中・・・


 新型コロナの影響もあったが、府中市生涯学習センター第二期「7月からの教養・生活実技講座」が開講される。ただし、密にならない席の配置などを守るために、先着12名様のみである。しかも、電話受付などはなく、窓口に直接申し込みのみである。募集広告も、どうやらホームページだけらしい。開講要領は以下である。

 日時: 7月1日(水)、15日(水)、29日(水)、8月5日(水)の4回。
     午後2時~4時。
 場所: 研修室
 定員: 先着12名
 受講料: 2500円
 講師: 大井恒行(現代句協会)

 〇府中市生涯学習センター 府中市浅間町1丁目7番地 電話・042ー336ー5700

となっている。テキストは愚生が、ごく簡単なレジメを作るが、愚生著の『俳句 作る楽しむ発表する』(西東社)と『教室でみんなと読みたい俳句85』(黎明書房)を元にした。


芽夢野うのき「どこかの誰か未来を仰ぐ夏帽子」↑

2020年6月17日水曜日

波田野紘一郎「花月夜己が葬列さしかかる」(『猫翁句集』)・・・




 俳号・猫翁こと波田野紘一郎『猫翁句集』(私家版)、その「あとがき」に、

 定年が過ぎ、病を得て、終わりはそう遠くなく、空疎な日々。
 そんな私のかたわらに俳句がありました。
 晩年にさしかかった回想、果たせなかった企て、今なお名残り惜しいこの世界。
 老いらくの心象に映ったこれらを、五・七・五の言葉に留められるだろうか。良かれ悪しかれ心象のスナップとして・・・・。(中略)
 そもそも句会なるものに誘って下さった笠原ぽん太・鉄馬さん。狷介な指導者小山敬一郎宗匠、日だまりのような復本一郎先生、厳しい句友渕上信子さん。その他良き俳句仲間の皆さん。最後に旨い飯をつくってくれた妻えり子。みなさんありがとうございました。十三匹の猫たちも。
 恥かしながら句集が出来ました。

 とあった。句会の宗匠が亡くなられて数年ののち、二ヶ月に一度の「豈」の句会に、「豈」同人の渕上信子と、笠原タカ子とご一緒に参加されるようになった。以来、熱心に句会に来られていたが、それでも、体調が急に思わしくなくなると、句稿の短冊を懐にしたまま、道中を引きかえされ、欠席をされていた。人情なしのようだが、昔から「豈」は欠席投句を認めていないので、止むを得ない仕儀であった。以来、句会では、猫翁の句は見ることができないでいた。友人の俳号・九熊こと大熊秀人によると、猫翁はかつて、ロックのハタノと勇名をはせていた、デヴィッド・ボウイからも直接電話がかかって来ていた、という。現在は、病と闘いながら、一人で13匹の猫と暮らし、食事を与え続けている。
 本句集の件で、電話をすると、また句会でお会いしましょう、と言われる。愚生もまた、体調を整えられて、また会いましょう、と言うのだ。
 ともあれ、集中より、いくつかの句を挙げておきたい。

  父知らぬ母のセピアに夏袷(あわせ)       猫翁
  遠泳や兜率天(とそつてん)まで晴れ渡り
     上京
  蟬時雨とは手拭を振れる母
  白き息互いにかかり骨拾ふ
     母(大正元年生)
  モガの人燻(くゆ)りて昇る冬の日や
     熱海大火
  火の記憶海に降らせて揚花火
  日の丸のポール蟬来て「己が代」を
     麿赤児猫の盗りし魚を返す
  鯖くはへ猫に扮して返しけり
  溲瓶(しびん)抱きちちろの暖をとりたるか
     石坂氏逝く
  「お先へ」と彼岸のホームへ大晦日
  亀鳴いて世界のをなご機嫌よし
  日の丸とプルトニウムの淑気かな
  冬の日の明朝体のボウイの訃
  暖房車「されどわれらが日々」運ぶ
  臍(ほぞ)切れず猫の仔この世省きけり
     野村秋介
  春寒の人屋(ひとや)に覚める句もあらむ 
  十月や宿命の猫立つてゐる
  「秋だよな」猫に言はれて「うん」と言ふ
  亡き魂と少し離れて踊るかな
  人絶えて桜さくらへ咲きにけり

 猫翁(ねこおう) 本名・波田野紘一郎、昭和14年、鳥取県倉吉市生まれ。



        撮影・鈴木純一「鹿どうしホタルブクロの上で御し」↑

2020年6月14日日曜日

石井辰彦「白(しら)みゆく空を見上げる。泣きながらあけぼの杉の竝木を過ぎて」(『あけぼの杉の竝木を過ぎて』)・・




 石井辰彦『あけぼの杉の竝木を過ぎて』(書肆山田)、帯の惹句に、

  独り歩を運び、抑えがたい叫びをのみこむ
  石井辰彦
  涸れもせず尽きもせぬ、なげきのぞみうれい。

 とある。本書最後の「詩の方尖塔(オベリスク) an scrostic」の全首を以下に、まず挙げておこう。なぜなら全首の頭の一文字を連ねると、いわゆる隠し題が現れる、折り句になっている。本書の版元、編集者名が配されている。つなげると「鈴木一民書肆山田大泉史世」12首である(原歌はすべて旧正字であるが、愚生のパソコン技術では困難なので、ご容赦を・・)。

 鈴が音の駅馬駅(はゆまうまや)ゆ―、旅客(たびびと)の衣嚢(イナウ)にも一帙の詩集が                                  辰彦
 木の暮の榻(タフ)に睡れる青年は詩人、洋墨(インキ)に指を染めゐる
 一盞の美酒と一首の若書きの詩篇。泡立つ世界の夕暮(セキボ)
 民庶皆挙(こぞ)り購(あがな)ふ書物ではない。―が、百年残る一冊
 書窓から射す朝影に驚きぬ。國禁(コクキン)の書を読み耽りゐて
 肆力して孤介(コカイ)の詩家(シカ)が書き終へる一篇の詩の中の内乱
 山巓を染めて豪奢(ガウシヤ)な夕陽(セキヤウ)に翳(かざ)。金箔押(キンパクおし)の書籍(ショジャク)
 田園詩人も都市派の吟客(ギンカク)も乗せて白紙状態(タブラ・ラサ)の舸(ふね)は征(ゆ)
 大きやかなる酒坏(グラス)には東西の古今(ココン)の詩句(シク)を混(コン)じて注(そそ)
 泉韻は潺湲(センクワン)として(緑髪(リョクハツ)の)水の精(オンディーヌ)が詩を吟ずる如し
 史上もつとも危険な書舗(ショホ)に革命詩人と急進派編集者
 世に問ひし詩書の数数。満天の星にも届く詩の方尖塔(オベリスク)

 その他にも、短歌の本文活字の組み方は、下揃え、天揃え、天地揃えなど、さまざまな意匠がめぐらされている。あるいは一行棒書のみならず、一字空白、句読点、ダーシ、カッコ、感嘆符などの配置は一様ではない、声に出され、読むのみではなく、視覚を刺激するコラージュが施されてもいる。本ブログでは、表現することは難しい。是非とも本書を手にとられたい。とは言え、限りを承知で、以下に幾首か、挙げておきたい。

 山巓に消え残る雪 金剛石(ギヤマン)の雨を降らして告天子(ひばり)が揚がる
 少年の乳首(ちくび)は痛む 洗ひざらしの盗汗(タウカン)の襯衣(シャツ)に擦(こす)れて
 月影にまみれて刺(さ)し交(ちが)ふ 左派(サハ)の兄と恐怖主義者(テロリスト)の弟と 
 戀男(こひびと)は兄で 二つの実在を行(ゆ)き交(か)ふ水は冴え渡りゐて
 禁断の戀といふ名の蟒蛇(うはばみ)がひと吞みにする 人類(ひと)も地球(チキウ)
 絶頂(ゼツチヤウ)は二十歳(はたち)の夏!と顧みるのは簡単だ。生(セイ)の夕暮(セキボ)に 
 遠くゐる父といふ敵(テキ)。上膞(にのうで)に弾痕(ダンコン)のある男だつたが
 崩れゆく銀河の響き―。今日(けふ)の日が私(わたし)を生んで、そして、亡(ほろ)ぼす

 石井辰彦(いしい・たつひこ) 1952年、横浜生まれ。




       芽夢野うのき「桜木に茸咲かせて僕らは緑雨」↑

2020年6月13日土曜日

丑丸敬史「行く春や水追ひ越せば追ひ越され」(「LOTUS」第45号)・・




 「LOTUS」第45号(発行人・事務局:酒巻英一郎)、特集1は「現代俳句を問うⅠー新興俳句を中心に」、執筆陣は安里琉太「欲望される『風景』」、上田玄「白泉の季語論と赤黄男の戦場俳句をめぐって」、木村リュウジ「窓秋俳句の言語空間」、丑丸敬史「耕衣無縫」、九堂夜想「笑ふ枯野ー三鬼の『間』」、三枝桂子「山口誓子『激浪』以前」。対談は、志賀康と九堂夜想「俳句の表記と作品行為を問うー富澤赤黄男の技法を端緒としてー」。特集2は松本光雄「俳句形式という愛憎あるいは『こと』と『ことたま・ことだま』の俳句」。
 いずれも、力の入った論考なので、本ブログでは紹介しきれない。興味のある方は、本誌に直接当たられたい。ここでは、それらの理論的表出の一人一句を以下に挙げておきたい。

   大童あやめの國をわたりけり       丑丸敬史
   揺り椅子のプラトンてきゆうらしあ   髙橋比呂子
   川底の石は重さを放(ま)りて在り    志賀 康
   国境のロープをくぐり白椿        曾根 毅
   雨の番をして落書き           古田嘉彦
   帰るとき飛花も落花もあおくなる     松本光雄
   糸なぶり屍に萌えて千の芽は       無時空映
   実南天まへもうしろも空の域       表健太郎
   ハシビロコウ反世界にも落日が      九堂夜想
   花の渦足元の空暗く染む         熊谷陽一
   春昼のおおまがごとの口ありぬ      三枝桂子
   
   古法眼
   ここにあはれは
   あらねども              酒巻英一郎 




★閑話休題・・・堺谷真人「令和二年遏密の春逝かん」(「現代俳句」6月号)・・・


 「LOTUS」同人の丑丸敬史は、「豈」同人でもあり、「豈」つながりで堺谷真人。「現代俳句」6月号に特別作品「遏密の春」10句を寄稿している。近年、関西の芦屋に、東京より再転勤して(地元に戻って)、仕事も俳句も活動的な日々を過ごしているようである。また、今号の「現代俳句」は、武良竜彦「宇多喜代子俳句考」が掲載されている。宇多喜代子のこれまでの作品によく迫って真っ当に記している。そのなかに、

 宇多氏の詩想は、普通の意味文脈では言うに言えないこと、言葉を失ってしまうような事象の中の命の有り様、そんな不可視の領域を可視化し、その沈黙の重さと深みに向かって言葉を与えることに重点が置かれているようだ。

 とあった。ともあれ、以下に同誌掲載句よりいくつか挙げておこう。

   春満月こよひ迎への来るといふ      堺谷真人  
   八月の赤子はいつも宙を蹴る      宇多喜代子
   八月に焦げこの子らがこの子らが     〃
   白髪の天皇にこそ夏の月         〃
   一億総活躍それ以外は焼く        赤野四羽
   幾千代も散る美し明日は三越       攝津幸彦



撮影・鈴木純一「bestよりbetterよりただお人好し」↑ 

2020年6月11日木曜日

暮尾淳「長兄の蝶ネクタイの遺影かな」(「鬣」第75号)・・



 「鬣」第75号(鬣の会)、いつもながら、スミからスミまで、読みどころ満載の雑誌である。今号の特集の一つは、第18回鬣TATEGAMI俳句賞三冊、川本皓嗣『俳諧の詩学ー「新切字論」』の評は林桂、『藤原月彦全句集』評は中里夏彦、『寺田京子全句集』評は佐藤清美。もう一つの特集は「追悼・暮尾淳」である。転載コラム「俳句史遺産⑥」も貴重なコーナーで、今号は吉岡禅寺洞「『天の川』掲載多行形式作品」と寺田澄史編「折笠美秋・俳句評論・著書総目録ー増補版ー」。エッセイは樽見博「セロニアス・、モンク」、神保喜利彦「コンビのあとさき3」、青木陽介「蝶」。その「セロニアス・モンク」のなかに、

(前略)そんな折、岡崎武志さんから『明日咲く言葉の種をまこうー心を耕す名言100』(春陽堂書店)を頂いた。その名言の中にモンクの「オレたちは知ることで自由に、そして自分自身になっていくんだよ」という息子に語った言葉があった。モンクの指輪には「MONK」と彫ってあったが、逆から読むと「KNOW」(知る)になるという逸話も紹介されている。

 という。ともあれ、同誌同号より、できる限り、句を挙げておきたい。

   船はゆく龍飼う森家の春である      佐藤清美
   縄跳びを抜けて一人は昼の影      水野真由美
  
   中野雨脚
   押し入れにビニール傘
   なんて                 外山一機
   
   風太郎
   雪穴いくつ
   記憶に
   埋め                  上田 玄

   おぼろ夜の納骨前の骨が鳴る       堀越胡流
   みずみずしき建国の日のドラム缶     大橋弘典
   眠り目覚め眠り目覚めぬ春の父     永井貴美子
   なごり雪猫の小さな喉仏         青木澄江
   北国や木馬のすべて海を向く     吉野わとそん
   花菜雨もうお会ひすることはない     堀込 学 
   組み直す玩具の螺子の余りたる      西平信義
   鉛筆の芯を削りて去年今年        九里順子
   なか空に櫂の音して春の暮        佐藤裕子
   鈴なりに埴輪の馬にハリボラス      樽見 博
   春陰や閉院告知と視力表          蕁 麻

   (みみ)の奥(おく)
               石棺(せきくわん)
   (そび)
   (ひ)やされて            中里夏彦

   残像の
   夕日の
   燕
   流刑地へ                深代 響

   わが灰が降る或る朝の北窓よ       後藤貴子
   上州木枯らし一月の目に涙        丸山 功 
   パンの耳だけ残る朝の皿       西躰かずよし
   雪の下で水の音がしているよ    伊藤シンノスケ
   経済に竜がいて直下降          永井一時
   
   天下御免の流れ者、
   羽夷流素(ういるす)てぇんだ。頼まぁ   林 稜

   喉許(のどもと)
   覗(のぞ)
   野薊(のあざみ)
   野萱草(のかんざう)           林 桂



     芽夢野うのき「ほたるぶくろその花ふたつくれないか」

2020年6月10日水曜日

茨木和生「湯を飲んでこらへてゐると水中り」(『恵』)・・・




 茨木和生第15句集『恵(めぐ)』(本阿弥書店)、著者「あとがき」に、

(前略)『恵(めぐ)』というのは私にとっては初孫の名前である。早いもので、この句集が出るころには恵は高校三年生になっている。もちろんこの句集は恵のことを詠もうとしたものではない。句集名として「恵」という名前を残したかったまでである。私にはみなみ、わかな、さやか、とあと三人の孫がいる。それらの孫は次男衛の三人の娘である。力を込めて作句しなければ、山口誓子先生が上梓された第十七句集に到ることができない。私は山口誓子先生を目標において作句してきたから、みなみ、わかな、さやかを、句集名として残したいと思っている。自分の句集を手に取って孫たちはどのように思ってくれるだろうか。力を込めて作句したいと思っている。

 山口誓子は92歳まで存命であったから、茨木和生は、まだ10余年を残している。本句集のように2年に一冊のペースであれば、孫の名を冠した残り三冊は軽く超えるに違いない。十分に射程距離内である。問題は、新しい孫が生まれ、その名を冠するという望みが次々に出てきたときであろう。いずれにしても、ここまで来られているので、あとは、体調に気を付けられ、ご自愛のうえ、是非とも望みを達成していただきたい。
 ともあれ、集中より、いくつかの句を以下に挙げておこう。

   目を送りゆく山々の遅桜           和生
   歌ひ手の減りたることも田植歌
   どの山も神庫(ほくら)がありて星月夜
      山尾玉藻さんは
   子規を知る俳人が父獺祭忌
   妻の死を知らざる賀状届きけり
   一月と違ふ二月の森の中
   山桜雲は日差を零し過ぎ
   山々はことごとく島雲の峰
   泳がせてみれば泳ぎて兜虫
   妻の名を記し形代流しけり
   韃靼帽きせたれどこの雁瘡は
   沖遠くまでまだ見えて秋の暮

  茨木和生(いばらき・かずお) 昭和14年、奈良県大和郡山市生まれ。



撮影・芽夢野うのき「天の羽衣ひかりは青葉つつむなり」↑

2020年6月8日月曜日

渡辺誠一郎「夏草の夢ことごとく鹹(しおからき)」(『俳句旅枕』より)・・




 渡辺誠一郎著『俳句旅枕 みちの奥へ』(コールサック社)、2017年2月号~2019年1月号まで、2年間に渡って『俳句』(角川文化振興財団)に連載した「俳句旅枕」、それに加筆修正した一本である。著者「あとがき」には、

 本書は、私なりのささやかなみちのく物語である。紀行を綴るには、、出発までの間の時間のことを九割がた文章にすればいい、とのある作家の話を聞いたことがある。しかし私にはそんな自信はない。その地の風景を描くこと、その物語を私なりに出来ればとの思いで筆を執った。(中略)さらにこの旅は、東日本大震災後のまちの姿を、目の当たりにすることになった。復興の後には、新たなまちの物語がはじまることを願いたいと思う。

 とある。愚生が興味を惹かれたのは、「羽後・秋田」の章である。秋田のご当地でいえば、俳人は石井露月、現在では安井浩司を巨峰するのであるが、ここでは菅江真澄に触れた部分である。愚生も十年少し前であろうか。秋田は古四王神社を訪ね、菅江真澄の墓に、これは出くわしたといった方が適切だろう。足を延ばして、能代の米代川の河口付近も歩いた。

  黒い牛赤い牛居る花野かな   露月

 愚生は、さしたる目的もなく歩いたが、渡辺誠一郎は、菅江真澄の資料室のある秋田市立雄和図書館に行き、さらに露月山盧も訪ね、きちんと菅江真澄の墓にも詣でて、

  秋日燦墓石の字のむず痒し   誠一郎

と詠んでいる。また、彼の旅の楽しみのひとつに、

 今回の旅では、碧梧桐の『三千里』の秋田のくだりを、持参してきた硯と筆、そして巻紙を取り出し、ゆっくりと筆写して楽しんだ。

 とあった。悠々自適とはこうしたことをいうのだろう。ともあれ、本書中に掲載された句の中からいくつか紹介しておこう。

  おもむろに屠者は呪したり雪の風    宮澤賢治
  啄木も賢治も愛し雪やまぬ      渡辺誠一郎
  3・11神はゐないかとても小さい   照井 翠
  夕闇の深きところへ牡丹咲く      仁平 勝
  牡丹の白に分け入りなほ無明     正木ゆう子
  見る人もなき夜の森のさくらかな   駒木根淳子
  いわき市は深い卵として暮れる    四ツ谷 龍
  泥かぶるたびに角組み光る蘆    高野ムツオ
  風船爆弾放流地跡苦蓬         池田澄子
  男の別れ貝殻山の冷ゆる夏       西東三鬼
  野遊びの遠い人影三鬼亡し       佐藤鬼房




★閑話休題・・・伊丹三樹彦「初日浴ぶ 一存在は 全存在」(「青群」第55号より)・・・


 「青群」第55号(青群俳句会)は、伊丹三樹彦追悼号である。追悼文は、宇多喜代子「赤シャツの志」、坪内稔典「先生との約束」、松本恭子「ああ、三樹彦先生」、菊池亮「末期の邂逅」、ながさく清江「沢山の直筆のお手紙」、榎本嵯督有(さとり)「一人ぼっちになってしまった」、味元昭次「俳句・津津浦浦」。俳壇各位からの弔電のなかに、後藤比奈夫「赤いシャツ着て先逝かれただ寒し」とあったが、その後藤比奈夫は、ごく最近の6月5日の逝去の報に接した。享年103。
 坪内稔典は、三樹彦追悼文の結び近くに、

 句集『一存在』は、『伊丹三樹彦全句集』(一九九二年)に未刊句集として収録されている。(中略)「僕は迎合することのない俳句が好きである。今までも。これからも。」
 迎合することのない俳句とは、その人らしい俳句、ということだろう。三樹彦先生らしさは、字間あけしなくても出ているのではないか。たとえば先の一本箸の句などに。(中略)字間あけを無視するとは、俳壇や師風を超えて、日本語の現場で俳句を考えること。この志向に賛成して、三樹彦俳句の鑑賞をしてみたいという人、この指、止まれ!

 と述べている。一本箸の句とは、三樹彦「甘酒にいま存命の一本箸」である。思うに、愚生は、坪内稔典が20歳代で、「青玄」の分かち書きを批判して、「青玄」を飛び出した根拠がそこにあり、それは三樹彦らしさという人間的なところに解消されることとは、本質的にそぐわないように思う。同じ名前の三樹彦であっても、全く別人の三樹彦らしさを宿した『三樹彦の百句』になると思うのだが、いかに・・・。一字空けの技法は、戦後俳句を牽引しようとした「青玄」のスローガンの大切なひとつだった、ように思う。

  一の夢 二のゆめ 三の夢にも 沙羅     三樹彦



↑        鈴木純一「ほととぎす爪のび髪のび髭のびて」↑

2020年6月7日日曜日

飯島晴子「蛍飛び疑いぶかき親の箸」(『現代俳句を語る』より)・・



 『現代俳句を語る』(遊牧社)、塩野谷仁「序に代えて」に、

 「遊牧」誌上の主な散文を集め、創刊十周年を記念して『現代俳句を歩く』(遊牧叢書Ⅰ)を世に問うたのは平成二十四年十一月。そして創刊百号を記念して『現代俳句を探る』(遊牧叢書Ⅱ)を上梓したのは、平成二十八年五月だった。共に好評裡に迎えられたと記憶している。今回、創刊二十周年事業の一環として、さらに執筆陣を強化して『現代俳句を語る』(遊牧叢書Ⅲ)を上木することにした。

 とある。本集のなかの執筆陣は、栗林浩・堀之内長一(「現代俳句雑感」)、「好句を探る」が清水伶・藤野武・坂間恒子・久野康子・塩野谷仁・茂里美絵・伊藤道郎など、そして、各章題は「遊牧の一句」、「現代俳句雑感」と続いている。「遊牧」本誌は、号ごとに恵まれているので、いくばくかは記憶に残っているものもある。なかでは巻頭近くの堀之内勝衣「私は俳人ではない」、長谷川櫂に触れて、

 (前略)現在、信頼できる批評と選句の代わりに幅を利かせはじめたのが「人気」である。「俳句と俳人の人気を測る方法はいくつかあって、一つは本の売れ行き、もう一つはマスコミへの露出度、極めつけはアンケート調査である。(中略)・・あまりにもその通りだからである。
 
 とあったが、その当否はさておき、本書の「好句を探る」にも、やはりその傾向はあると思ったのだった。それは、当然のことかも知れない。執筆する方も、無名で、いい句を密かに書き続けている人が、たとえいたとしても、到底そこまでは眼が届かないからである。よってもって、というわけでもないが、ここでは、「豈」同人でもある坂間恒子に贔屓をして、彼女の鑑賞を以下に抄出しておこう。「好句を探る」(73)。には、

  蝋梅よりもきのうのことは馬の領分  高橋比呂子

 句集『つがるからつゆいり』より。
 阿部完市は『絶対本質の俳句論』の中で直感読みを〈「ぴんとくるか来ないか。その一句一句が「わかる」「わからない」と言う鑑賞者の判断以前に、突然、その一句が胸に落ちるー納得する。その一句を「理」以前の「私」に相対せしめること〉と記していた。(中略)高橋作品にも「蝋梅」という時間、「蝋梅よりもきのうのこと」と言う記憶の時間「蝋梅よりも馬の領分」という永遠の時間が考えられる。「蝋梅」という季語が呼び覚ます色彩と芳香。そして時間と空間。具体的に「馬の領分」という物象的なイメージ。大事に飼われた農耕馬のことなど、時間と空間が入り組んで立ち現れる。

 と記している。一句そのものを、いかに、句に沿って読むかは、もっとも大切な事である。他に、同じ「豈」同人で取り上げられている句は、

  死体になつて話したい    筑紫磐井

 である。評者は藤野武、いまどきの俳壇で、短律句を好句として鑑賞するなど、敬意を表すべき勇気である。 
 因みに、ブログタイトルに挙げた飯島晴子句は、昨日、6月6日が、晴子の「螢火忌」であった、ということもあるが、坂間恒子の「『俳句の水脈を求めて』ー飯島晴子を読む」があったからである。愚生、何かの会の折りに、ただ一度だけだったが、小柄な飯島晴子と言葉を交わした。扉の陰で、遠くから微笑まれた、その笑顔をいまだに覚えている。そういえば、アベカンこと阿部完市と二人で「現代俳句ノート」という冊子を出されていたこともあった。



★閑話休題・・・加藤哲也著『俳句の地底Ⅳ-俳句史からみた日本文学史』・・・


  上掲が「現代俳句を語る」だから、本書の巻末「現代俳句の課題」の章つながりで、加藤哲也著『俳句の地底Ⅳー俳句史からみた日本文学史ー』(実業公論社)。プロローグに「本書は、前著『俳句の地底Ⅲ』に続く、私の俳句への思いなどを綴った第四弾である。/第四弾とはいえ、前著とは直接繋がってはいないので、この本から初めて読み始めていただいても、まったく問題はない」とある。ことほどさように日本文学史と俳句史をリンクさせようとするもので、かなりの部分が小西甚一『日本文学史』の引用に表現されている。異色なのが、最終の独立した「現代俳句の課題」なのである。この部分のみは、AI俳句、そして現代の若手の俳句などについて述べている。以下に、この章で取り上げられた俳人の一人一句のみになるが、挙げておこう。

   絵も文字も下手な看板海の家     小野あらた
   かなかなは兄の渇きの中に棲む     安里琉太
   レタス買へば毎朝レタスわが四月    小川軽舟
 
 加藤哲也(かとう・てつや) 1958年、愛知県岡崎市生まれ。



       撮影・芽夢野うのき「影の女赤い満月舌を出す」↑

2020年6月6日土曜日

筑紫磐井「物忌の暗き六月まだ続くか」(「俳句四季」6月号より)・・・




 「俳句四季」6月号は、愚生の知り合いや、「豈」、元「豈」、「浜町句会」などのメンバーがけっこう掲載されていた。山﨑十生句集『銀幕』評は、酒巻英一郎、安里琉太、中原道夫、宮本佳世乃の豪華メンバーだが、とりわけ酒巻英一郎は貴重だ。めったに執筆しない人なので、ともかくそれを興味深く読んだ。
 次は何と言っても、「俳句と短歌の10作競詠」の筑紫磐井VS佐々木六戈だ.。その中で、筑紫磐井は、佐々木六戈に応えて「第六の定型」として、

 (前略)「歌はただ」「鳥の眼の」「年輪の」はこうしたほどよい短歌性で詠まれているが、「ねえさんが」「にんげんの」は俳句性を志向しつつ、そこまでは至っていない。俳句形式に弾き飛ばされているかもしれない。といって、別にそれが悪いわけではない。前句付け。雑排は短歌や俳句に劣る詩型ではないからである。我々は、さらに第五、第六の詩型に向かい進歩しつつあると言ってよい。

 佐々木六戈は、愚生にとっては、最初、「童子」の編集長であり、俳人として現れ、歌人、詩人としての面貌もある。今回の作「耳と耳の間に」から、

  ねえさんが見当たらなくて近文ゆ幸恵の方へ鈴降る弟     六戈  
  歌はただ長身痩躯立ち尽くす針葉樹林に降る雨の罫
  鳥の眼の鮮卑・突厥さながらに北狄の矢をわれに射るかも 
  にんげんの上空にして鳥たちよ鮮新世の汀ぞ蝦夷は 
  年輪の北へ詰まるを逃げながら追はれつつ来て夷狄のごとし

  ブログタイトルにした「物忌の暗き六月まだ続くか」の句には「コロナ」の前書きがある。他に、

  おほかみや王朝の恋みな螢       磐井
  今生の未曽有水無月祓かな
  法華経が救ふ殺生真夏の夜
  

 佐々木六戈(ささき・ろくか) 1955年、北海道士別市生まれ。
 筑紫磐井(つくし・ばんせい) 1950年、東京生まれ。 

  天空の村へは行かず不如帰          柿本多映
  ひよこ売りについてゆきたいあたたかい  こしのゆみこ
  草紅葉ふいに足元から谺           前田 弘
  からすうりはたらかないでいきている     川崎果連
  走り続けてからだが青野になる       杉本青三郎
  西瓜とも先生とも違う大きさ        田中いすず
  疾走の記事の黄ばみや雛納         伊藤左知子
  抱擁のすきま螢火吐きつづけ        鳥居真里子





★閑話休題・・・安西篤「『まあだだよ』老いふくらめる冬日向」(「海原」6月号より)・・・

   

  一昨日のプレバト特待生・春風亭昇吉の「遊句会」つながりで、「遊句会」のメンバーである武藤幹のエッセイ「俳句と私」-「As time goes byー年男の私」から、安西篤の句を引いた。その冒頭に、

 「まあだだよ」老いふくらめる冬日向   安西 篤
 
内田百閒を描いた黒沢映画を思い出す。「もういいかい」「まあだだよ!」
である。「老いふくらめる」此のホッコリした表現は老いのベテランでなければ言えないセリフだ。

  とある。エッセイ中の残りの二句は、武田伸一「小六月うつらうつらと老いている」と木村リュウジ「なんとなく厄日レモンを持て余す」であった。 



撮影・鈴木純一「猫はのら女房あくさい万物ON」↑

2020年6月5日金曜日

太田うさぎ「この丘の見ゆる限りの春惜しむ」「(『また明日』)・・・




 太田うさぎ第一句集『また明日』(左右社)、集名に因む句は、

   また明日コートひらりとすたすたと    うさぎ

 であろう。跋文は仁平勝「俳句の場面(シーン)をめぐって」、その中に、

(前略)太田うさぎの句は、一貫してウイットが効いている。(中略)

   美人の湯出てしばらくを裸なり
   忘年や気合で開ける瓶の蓋
   ラグビーの主に尻見てゐる感じ

どれも一読してニヤリとさせられる。解釈は不要だろう。ちなみに一句目には、口語と文語が交じっているといった批判もでそうだが、それは嗜好(あるいは流派の意匠)のもんだいであって、俳句の価値とは関係ない。だいいち「美人の裸出でて(・・・)」では、一句のユーモアが台無しです。

 とある。帯の惹句には、これも仁平勝、

 太田うさぎは、なかなかの芸達者である。ごく日常的な題材でも、言葉の芸によって新鮮な場面に変貌する。

と記している。ともあれ、愚生好みに偏するが、以下にいくつかの句を挙げておこう。

   水鳥に何も持たざる手を広げ
   水逃げてときをり風を寄越すなり
   三島忌の倒して食べるケーキかな
   きつねのかみそり迷子になつてゐないふり
   川幅を水は急がず竹の秋
   凧揚は凧から逃げてゐるかたち
   モニターに白蟻駆除の二人組
   天神の裏まんさくの日和かな
   草むしり土恥づかしく現れし
   ゐた人の消えコスモスの曲り角
   都鳥よろづのみづにふれてきし

 太田うさぎ(おおた・うさぎ) 1963年、東京生まれ。




 ★閑話休題・・・春風亭昇吉「万緑に提げて遺品の紙袋」(プレバト・6月4日放送)・・・  


 6月4日(木)の「プレバト」では、愚生も参加している「遊句会」の仲間である春風亭昇吉が、2回連続で、才能アリ一位!を獲得して、特待生になった。これで、田舎の両親に親孝行が出来たと、涙ながらに語っていた・・・。見事!じつは愚生は「プレバト」をほとんど見ていなくて、昨夜も何やかやとバタバタしていて見るのを忘れていた。春風亭昇吉が出演するのは前の日に知らせがあったので、念のため、娘に録画をお願いしていたので助かった。今朝、やっと観たのだ。他の出演者も、これまで、才能アリ、一位を獲得されたメンバーばかりで、皆さん、良い句を作られていたが、それらを圧倒しての一位、夏井いつきに「この人は俳句の骨法を分かっている」と唸らせていた。今後ますます期待され、特待生だから、プレバト出演の機会も増えることだろう。ゴールデンタイムの新スター誕生かも知れない。

  

撮影・芽夢野うのき「無人島ヒトを咲かせてゼラニウム」↑

2020年6月4日木曜日

山本真也「万愚節俺と結婚せえへんか」(「船団」125号)・・・




 「船団」125号(船団の会)、「では、完結です。お元気で。」と坪内稔典は記している。ただ、予告によると増刊号が秋に出るらしい。その特集は「船団 1985~2020」。また、「船団の集い」の最終回は秋以降に予定されているという。さしずめ、散在、わたしたちの、新しい俳句生活・・・、というところであろうか。
 今号は第12回船団賞の発表。受賞作は山本真也「結婚せえへんか」、もっぱら大阪弁で俳句を作る俳人に、坪内稔典の「日時計」時代の同志・矢上新八がすぐにも思い浮かぶが、ここにも頑張っているヤツがいるという感じである。他の候補作は、加藤綾那「し・たたる」、衛藤夏子「虹」、平きみえ「花のモーロク」。選考委員は、池田澄子・小西昭夫・ふけとしこ・火箱ひろ・坪内稔典。以下に、受賞作、候補作の一人一句を挙げておこう。

   流星の生駒山上遊園地        山本真也
   思い出すときは横顔花ミモザ     加藤綾那
   肉好きの女と暮らす敬老日      衛藤夏子
   中くらいのモーロクですか梅咲いて  平きみえ

 本号には、前号に続いての特集「俳句はどのような詩か」である。主要には、井上泰至と坪内稔典の対談「俳句ー発生から今日まで」。後半に議論「俳句を考える」があり、対談会場での参加者の質問に答えている。論考は三編、林桂「定型を引用するということ」、青木亮人「敗北と片言」、神野紗希「俳句は『らしくない詩』」であるが、それぞれの内容が良い。奇しくも、林桂と青木亮人は二人とも高柳重信と坪内稔典の言に触れている。愚生は特に、林桂の論に共鳴するいところが多かった。愚生は、若き日から現在まで、進歩なく、坪内稔典が言挙げしていた「過渡の詩」に追随してここまで来ている。林桂の孫引きになるが、

 (前略)過渡の詩としての俳句形式を追求することが、たとえこの形式の消滅という所まで進むとしても、それはそれで回避するべきではない。(『正岡子規 俳句の出立』(俳句研究社、昭和五十一年)

 そして、結びには、

 冒頭に述べた認識は、この坪内の影響下にあってそれを出ていないものだろう。必敗の詩であるためには、定型に絡め取られる場面でその接線にいる必要がある。また、戦う者だけが敗れ続けることが可能である。 

 と、涙ぐましく記している。また、青木亮人は、

(前略)その高柳の論や句に多大な示唆を受け、自身の俳句観を培った坪内稔典氏が俳句を片言の詩と定義したのは、偶然ではあるまい。同時に、坪内氏は高柳重信の逝去後、『さらば、船長』二冊を刊行した後に俳句集団「船団」を結成し、「大衆の詩」(高柳)に敢然とまみれる道を選んだ。「日常や世俗に思いっきりまみれること」(「さらば、船長②」特集)が、高柳や戦後俳句を乗り越える革新運動たりえたのだ。

 と指摘している。最後の神野紗希は、これも彼女らしい言い方で、

 俳句は「らしくない」詩だ。詩らしくない、蛙やたんぽぽやクリスマスらしくない。母親らしくない、俳句らしくない。「らしくない」ものも世界の一部として許容することで、その言葉には実感が生まれる。歴史的な蓄積よりも、眼前の輝きを大切するとき、俳句はどんな詩よりも鋭く、どんな詩よりも優しく、そこにすっくと立つ。詩の光りはどこにだって宿る。

 と評している。信じられない何かを、なお信じようとする姿勢が眩しい。愚生などは、もはや戦わずして敗れているのかも知れない。

 


    撮影・鈴木純一「そうおっしゃるですタンスにごんはない」