俳号・猫翁こと波田野紘一郎『猫翁句集』(私家版)、その「あとがき」に、
定年が過ぎ、病を得て、終わりはそう遠くなく、空疎な日々。
そんな私のかたわらに俳句がありました。
晩年にさしかかった回想、果たせなかった企て、今なお名残り惜しいこの世界。
老いらくの心象に映ったこれらを、五・七・五の言葉に留められるだろうか。良かれ悪しかれ心象のスナップとして・・・・。(中略)
そもそも句会なるものに誘って下さった笠原ぽん太・鉄馬さん。狷介な指導者小山敬一郎宗匠、日だまりのような復本一郎先生、厳しい句友渕上信子さん。その他良き俳句仲間の皆さん。最後に旨い飯をつくってくれた妻えり子。みなさんありがとうございました。十三匹の猫たちも。
恥かしながら句集が出来ました。
とあった。句会の宗匠が亡くなられて数年ののち、二ヶ月に一度の「豈」の句会に、「豈」同人の渕上信子と、笠原タカ子とご一緒に参加されるようになった。以来、熱心に句会に来られていたが、それでも、体調が急に思わしくなくなると、句稿の短冊を懐にしたまま、道中を引きかえされ、欠席をされていた。人情なしのようだが、昔から「豈」は欠席投句を認めていないので、止むを得ない仕儀であった。以来、句会では、猫翁の句は見ることができないでいた。友人の俳号・九熊こと大熊秀人によると、猫翁はかつて、ロックのハタノと勇名をはせていた、デヴィッド・ボウイからも直接電話がかかって来ていた、という。現在は、病と闘いながら、一人で13匹の猫と暮らし、食事を与え続けている。
本句集の件で、電話をすると、また句会でお会いしましょう、と言われる。愚生もまた、体調を整えられて、また会いましょう、と言うのだ。
ともあれ、集中より、いくつかの句を挙げておきたい。
父知らぬ母のセピアに夏袷(あわせ) 猫翁
遠泳や兜率天(とそつてん)まで晴れ渡り
上京
蟬時雨とは手拭を振れる母
白き息互いにかかり骨拾ふ
母(大正元年生)
モガの人燻(くゆ)りて昇る冬の日や
熱海大火
火の記憶海に降らせて揚花火
日の丸のポール蟬来て「己が代」を
麿赤児猫の盗りし魚を返す
鯖くはへ猫に扮して返しけり
溲瓶(しびん)抱きちちろの暖をとりたるか
石坂氏逝く
「お先へ」と彼岸のホームへ大晦日
亀鳴いて世界のをなご機嫌よし
日の丸とプルトニウムの淑気かな
冬の日の明朝体のボウイの訃
暖房車「されどわれらが日々」運ぶ
臍(ほぞ)切れず猫の仔この世省きけり
野村秋介
春寒の人屋(ひとや)に覚める句もあらむ
十月や宿命の猫立つてゐる
「秋だよな」猫に言はれて「うん」と言ふ
亡き魂と少し離れて踊るかな
人絶えて桜さくらへ咲きにけり
猫翁(ねこおう) 本名・波田野紘一郎、昭和14年、鳥取県倉吉市生まれ。
撮影・鈴木純一「鹿どうしホタルブクロの上で御し」↑
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