渡辺誠一郎著『俳句旅枕 みちの奥へ』(コールサック社)、2017年2月号~2019年1月号まで、2年間に渡って『俳句』(角川文化振興財団)に連載した「俳句旅枕」、それに加筆修正した一本である。著者「あとがき」には、
本書は、私なりのささやかなみちのく物語である。紀行を綴るには、、出発までの間の時間のことを九割がた文章にすればいい、とのある作家の話を聞いたことがある。しかし私にはそんな自信はない。その地の風景を描くこと、その物語を私なりに出来ればとの思いで筆を執った。(中略)さらにこの旅は、東日本大震災後のまちの姿を、目の当たりにすることになった。復興の後には、新たなまちの物語がはじまることを願いたいと思う。
とある。愚生が興味を惹かれたのは、「羽後・秋田」の章である。秋田のご当地でいえば、俳人は石井露月、現在では安井浩司を巨峰するのであるが、ここでは菅江真澄に触れた部分である。愚生も十年少し前であろうか。秋田は古四王神社を訪ね、菅江真澄の墓に、これは出くわしたといった方が適切だろう。足を延ばして、能代の米代川の河口付近も歩いた。
黒い牛赤い牛居る花野かな 露月
愚生は、さしたる目的もなく歩いたが、渡辺誠一郎は、菅江真澄の資料室のある秋田市立雄和図書館に行き、さらに露月山盧も訪ね、きちんと菅江真澄の墓にも詣でて、
秋日燦墓石の字のむず痒し 誠一郎
と詠んでいる。また、彼の旅の楽しみのひとつに、
今回の旅では、碧梧桐の『三千里』の秋田のくだりを、持参してきた硯と筆、そして巻紙を取り出し、ゆっくりと筆写して楽しんだ。
とあった。悠々自適とはこうしたことをいうのだろう。ともあれ、本書中に掲載された句の中からいくつか紹介しておこう。
おもむろに屠者は呪したり雪の風 宮澤賢治
啄木も賢治も愛し雪やまぬ 渡辺誠一郎
3・11神はゐないかとても小さい 照井 翠
夕闇の深きところへ牡丹咲く 仁平 勝
牡丹の白に分け入りなほ無明 正木ゆう子
見る人もなき夜の森のさくらかな 駒木根淳子
いわき市は深い卵として暮れる 四ツ谷 龍
泥かぶるたびに角組み光る蘆 高野ムツオ
風船爆弾放流地跡苦蓬 池田澄子
男の別れ貝殻山の冷ゆる夏 西東三鬼
野遊びの遠い人影三鬼亡し 佐藤鬼房
★閑話休題・・・伊丹三樹彦「初日浴ぶ 一存在は 全存在」(「青群」第55号より)・・・
「青群」第55号(青群俳句会)は、伊丹三樹彦追悼号である。追悼文は、宇多喜代子「赤シャツの志」、坪内稔典「先生との約束」、松本恭子「ああ、三樹彦先生」、菊池亮「末期の邂逅」、ながさく清江「沢山の直筆のお手紙」、榎本嵯督有(さとり)「一人ぼっちになってしまった」、味元昭次「俳句・津津浦浦」。俳壇各位からの弔電のなかに、後藤比奈夫「赤いシャツ着て先逝かれただ寒し」とあったが、その後藤比奈夫は、ごく最近の6月5日の逝去の報に接した。享年103。
坪内稔典は、三樹彦追悼文の結び近くに、
句集『一存在』は、『伊丹三樹彦全句集』(一九九二年)に未刊句集として収録されている。(中略)「僕は迎合することのない俳句が好きである。今までも。これからも。」
迎合することのない俳句とは、その人らしい俳句、ということだろう。三樹彦先生らしさは、字間あけしなくても出ているのではないか。たとえば先の一本箸の句などに。(中略)字間あけを無視するとは、俳壇や師風を超えて、日本語の現場で俳句を考えること。この志向に賛成して、三樹彦俳句の鑑賞をしてみたいという人、この指、止まれ!
と述べている。一本箸の句とは、三樹彦「甘酒にいま存命の一本箸」である。思うに、愚生は、坪内稔典が20歳代で、「青玄」の分かち書きを批判して、「青玄」を飛び出した根拠がそこにあり、それは三樹彦らしさという人間的なところに解消されることとは、本質的にそぐわないように思う。同じ名前の三樹彦であっても、全く別人の三樹彦らしさを宿した『三樹彦の百句』になると思うのだが、いかに・・・。一字空けの技法は、戦後俳句を牽引しようとした「青玄」のスローガンの大切なひとつだった、ように思う。
一の夢 二のゆめ 三の夢にも 沙羅 三樹彦
↑ 鈴木純一「ほととぎす爪のび髪のび髭のびて」↑
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