2021年12月8日水曜日

松林尚志「寒一夜母と臥し母は動かざりし」(『詩歌往還/遠ざかる戦後』)・・・


  松林尚志著『詩歌往還/遠ざかる戦後』(鳥影社)、本書の帯文に内容が簡潔にしるされている。それには、


 俳句や詩作の傍ら、芭蕉など古典研究を積み重ねてきた著者。卒寿を越えて、詩歌全般にわたる埋もれた貴重な労作を集録すると共に、回想記を添える。


 とある。また「あとがき」には、


 (前略)最初に置いた文章は私の出発である『古典と正統』(1964)の冒頭に置いた文章の一部で、この問題意識は現在でも変わっていないので敢えて収録することとした。また評論の中には1964年と1965年に俳誌「暖流」に載せた文章も収めている。私の出発ともいえる詩心がでているかと思う。(中略)古典関係は幾つかの本にまとめているが、手作りの俳誌「こだま」に興味の赴くままに書いてきた未収録のものもかなりあり、一応時代順に並べてみた。韻律については『日本の韻律』を出しているが、その後論争があり、それに加わる形の月刊「言語」に載った文章などを載せた。書評類は「方舟」に載せた文章を中心に、詩の関係だけに絞って載せている。(中略)

 曲折のあった長い歩みであったが、この間に書いてきたものを読み返しながら熱い時代の甦るのを覚えた。しかし、多くの方が泉下に赴き戦後は遠ざかるばかりである。(以下略)


 とあった。 本書の「短歌の調べ俳句のリズムー五七調と七五調について」(『丘の風』’99年・NO21)の最後に、


 短歌や俳句が手拍子をとるようなリズムで』で読まれるべきでないことははっきりしている。日本語の定型詩が短歌や俳句のように短いことも拍子に乗せることを阻んだ結果ではないかと思う。(中略)五七調は魂の源郷とも言うべき調べをもっている。そして短歌形式はこの叙情精神を集約したような黄金の形式と思う。「五・七・五・七・七」は各句の多様な組み合わせばかりでなしに、句ごとに長短に割れ、無限の組み合わせが可能となっている。そこにこの形式が二千年にもわたって詠みつがれてきた所以があると思う。

 それに対して俳句は近世七五調を取り入れた形式といってよいと思う。五音で切れるので、歯切れのよいリズム感を誘う。しかし、リズムを一方で拒否したことは、俳人たちがこの形式を並べず、七七句を対置させる連句を発達させたところかも伝わってくる。俳句は五七で始まり、七五で終る。蝶番となっている七音が俳句のリズムに柔軟さと多様性を与えている所以と思う。俳句は上へも下へもはみ出しようのない、ぎりぎりに圧縮された堅固な最短定型詩なのである。


 と述べられている。愚生は、とりわけ、終わり近くの「勝原士郎さんと歩んでー句集『薔薇は太陽』を読む」に感銘を多く受けたので、その文中の句をいくつか挙げ、かつ、松林尚志の句と短歌を挙げておきたい。


  殺(あや)めあふ正義はふたつ冬日ひとつ     勝原士郎

  弾痕壁に遊びせむとや蹴るボール

  慰安所へ五十年後の日傘さして

  魔の踏切葱さきだててゆけば寧(やす)

  死後に詠む書を蒐(あつ)めり秋風に 


 きさらぎの棺冷たかろさびしかろ          松林尚志 

 うれいなくさくらは咲けり母亡きに

 鉦(かね)ならし信濃の国をゆきしかばありしながらの母見るらむか

 ははそはの母が作りし紙ひひな在る夜しずすじと歩みきませり

   

松林尚志(まつばやし・しょうし) 1930年、長野県生まれ。



        撮影・鈴木純一「冬ざるる10時の方に天道虫」↑

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