2021年12月18日土曜日

三橋敏雄「噛みふくむ水は血よりも寂しけれ」(「WEP俳句通信」125号より)・・


 「WEP俳句通信」125号(ウエップ)、特集は、〈「『眞神』考」を読む」〉、執筆陣は、角谷昌子「狼による詩魂の共振」、大井恒行「〈北川美美『眞神』考ー三橋敏雄句集を読む〉」、村井康司「『読み』の方法」、四ッ谷龍「寓意俳句と純粋俳句」、川名大「『鑑賞』の規範とその逸脱」、澤好摩「〈北川美美著『眞神』考〉を読む」、岸本尚毅「三橋敏雄と季語」、妹尾健太郎「非『しし派』の人」、福田若之「傍らに」、山田耕司「美美さんを偲びつつ」、筑紫磐井「北川美美の生きたこと書いたこと」。山田耕司は、その中で、


(前略)その後、美美さんが『眞神』について書き表す上でのサブタイトルとして、「『眞神』を誤読する」というタイトルを献呈した。これは、美美さんが論考の上で誤読をするような至らない論者であるという意味ではない。

 そもそも、三橋敏雄の『眞神』には、正解などない。いざ、それが正解だと思って書き進めると、それは三橋敏雄が仕掛けた罠へと誘導されてしまう。無季作品としての可能性、日本の文化や歴史の相対化、韻律や調べという言葉遊びとしての俳句のあり方、それらの端緒を掴んだとして追いかけていっても、いったん掴んだ糸をぷっつりと自ら切って見せる、そんな仕掛けがあるのが『眞神』である。一句一句の単位で読みこもうとしても、何を借景とするのか、句意に含まれる余韻をどのように描くかによって、その顔つきは変化する。(中略)

 個人として書き、個人として読む。このスタイルへの誘導こそが、三橋敏雄の仕掛けの意図であったかもしれない。「『眞神』を誤読する」という文言は、共有知としての正解を目指すのではなく、個人という視点にこだわりつつ読むことへの宣言として捧げたものでもあった。

 共有知という視点から三橋敏雄の作品を検証する方法そのものが無意味だというつもりはまったくない。むしろ、俳句形式においての共有知があればこそ、個人としての読みは、論者の中で相対化され、有効な読解としてたちあらわれてくることになるだろう。


 と記している。ともあれ、本誌特集によって、北川美美という人、また、三橋敏雄『眞神』のいくばくかでもが現前していることは、実に嬉しいことである。愚生は、それらを記憶に留めていたいと思う。また、角谷昌子「狼による詩魂の共振」は、以下のように締めくくっている。


  『眞神』の後も、三橋は晩年にいたるまでこれらの句のように複雑多様な社会事象を凝視しつつ、観念を託して言葉に新しい命を吹き込み、季語の本意を熟知した上で有季・無季俳句の可能性を探り続けた。古典を重視し、鬼や神まで登場させて歴史の生気を削がず、詩的雰囲気を保ち、追体験として読者に作者のイマジネーションを伝えた。その方法こそ、「必須のアナクロニズム」(ハンガリーの哲学者ルカーチの言葉)だと思える。

 北川が存命ならば、さらに作品を分析・解体して多角的な三橋論を展開し、詩魂に肉迫したにちがない。


 その文中より、三橋敏雄の幾つかの句を挙げておこう。


   絶滅のかの狼を連れ歩く        三橋敏雄

   昭和衰へ馬の音する夕かな

   鈴に入る玉こそよけれ春のくれ

   撫でて在る目のたま久し大旦

   戦争と畳の上の団扇かな

   あやまちはくりかへします秋の暮

   坐して待つ次なる大地震火災此処

   山に金太郎野に金次郎予は昼寝


余禄になるが、(つ)とある編集後記には、


 北川美美さんのご自宅に伺ったのは、蔓延防止措置が発令される寸前の、今年4月のことでした。桐生の駅前も広々として、桜も咲いていました。(中略)

 このごろは梅を漬けるようになっていたのよ、お母さまからお聞きしました。また梅を大きな公園から植樹し、「美美」の名でプレートを付けたとのお話もありました。

 私は美美さんとは一歳年上だけのまさに同世代。この二十年ほどを振り返る機会を与えてくれたように思います。


 とあった。この編集子・土田由佳と、雑誌連載時からずうと単行本になるまで北川美美も共に歩んでいたのだ。


 

       撮影・芽夢野うのき「狂いたる三歩てまえを帰り花」↑

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