2021年12月1日水曜日

高山れおな「政教分離(まつりごとそれぞれ)にして文化の日」(「翻車魚」VOL.5獅子(ライオン)号)・・


 「翻車魚」VOL .5 獅子(ライオン)号(走馬堂)、佐藤文香・関悦史・高山れおな三名の雑誌である。本号の巻頭エッセイは佐々木幸喜、招待作品は森本孝徳。佐藤文香の編集後記にあるように、


 今号の目玉はなんといっても「自註俳諧曾我」。饒舌でもないにもかかわらずここまで膨大な注釈となるのは、高山の俳句作品の腕白な知が織りなすはちきれんばかりの魅力によります。しかし、註によって読者が自らの無知をいかに思い知らされようとも、作品自体が読者に与える印象はさして変化がない。結局俳句が読みたい私たちの興味は、典拠より高山の力技の方にあるからでしょう。


 とある。というわけで、ここでは、その「自註俳諧曾我」(室町時代に成立した仮名本『曾我物語』を、八十二句からなる連作としたもの)の冒頭と巻尾を引用しておきたい(ローマ数字は巻第一から第十二までの仮名本『曾我物語』の巻数に相当する)。


(たれ)か鳩吹く。家系樹さはの眼をひらき

【家系樹】英語のfamiliy treeの訳。要は家系図のことだが、日本では文字と線だけで記すところ、西洋では全体を樹木の姿に象どり、葉に見立てた各人の顔を肖像で示す例がある。ここではイメージを借りた。曾我兄弟の敵討ちは、工藤・伊東一族内の所領争いに端を発しており、物語の冒頭では兄弟から四世代前の高祖父・寂心入道に遡ってその因縁が説かれる。【さはの】たくさん。。本来は「さはに」が正しいようだが、通用させた。〔季語〕鳩吹き・初秋 両の手のひらを合わせてボーボーと吹き鳴らすこと。鳩笛とも言う。西行に〈古畑の岨の立つ木にゐる鳩の友呼ぶ声のすごき夕暮〉とあるのは鳩そのものの鳴き声だが、「すごき」感じは鳩笛の場合も違いはあるまい。

  

なほ杳(くら)し。念仏(ねぶつ)果てなき 女ごゑ

【杳し】「杳」には、「くらい」の他、奥深い、はるか、などの意味がある。【念仏果てなき 女ごゑ】の最終巻は、曾我兄弟の母、大磯の虎による兄弟追善がテーマとなる。〈かやうの物語を見聞かん人々は、狂言綺語の縁により、荒き心をひるがへし、まことの道に赴き、菩提を求むるたよりとなすべし〉ー物語はかくて、仏教的価値観に回収されて終る。〔季語〕無季


 ともあれ、本号より一人一句を以下に挙げておこう。


   柿赤し念写のごとき血はまばら      森本孝徳

   泥鰌浮いて沈むもう一度浮いて沈む    関 悦史

   咲くまへをうつむく百合の浅緑      佐藤文香

     古典文学

   本の虫殺す夏日のめでたさよ      高山れおな  


   

★閑話休題・・高山れおな「清聴せよ偽(にせ)の時雨を憂国忌」(「俳句四季」12月号)・・


 高山れおな繫がりで「俳句四季」12月号、「無法四季」と題して作品16句を発表している。独自の句境に歩を進めているというべきか。ともあれ、同誌同号より、気の向くままに、いくつかの句を挙げておきたい。


  憂国の冬瓜として坐りけり       久保純夫

  母留守の納戸に雛の眠りをり      辻村麻乃

  原発を遮るたとえば白障子      渡辺誠一郎

  椿一輪からだからああ、出てゆかぬ  鳥居真里子

  皿皿皿皿皿血皿皿皿皿         関 悦史

  君消えて黝(かぐろ)き穴や布団の中  榮 猿丸

  かなかなの嗚咽に変はりやがて雨    篠崎央子

  歪む教室酸欠の金魚越し        今井 聖

  冬の道もどるとなれば遠きかな     二上貴夫

  鶴渡るあたまの中を鳴きながら     森さかえ

  風鈴屋浅草の風売りにけり       鹿又英一



    撮影・鈴木純一「冬花火からだをくっつけあって見た」↑

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