2021年12月23日木曜日

金田一剛「柿落葉血の温もりをポケットに」(「第32回・メール×切手ークリスマスことごと句会」)・・


   第32回(メール×切手)「クリスマスことごと句会」(12・25)、雑詠3句+兼題1句「人」を出句。以下に、一人一句と寸評を紹介しておきたい。


  冬うらら骨格標本の弛み         渡邉樹音

  埋み火の爪どうしても鋭角に       江良純雄

  極月のImagine all the People     金田一剛

  参道に捥(も)げたヒールや神の留守   武藤 幹

  何よりも傍にいる人冬ごもり       杦森松一

  枯葉踏む振り返れど跡が無い       照井三余

  人は人私は私ピラカンサ        らふ亜沙弥

  ぎどぎどに刃研ぎて一縷慚愧あり     渡辺信子

  告げられし余命淡きや冬の雲       大井恒行


・「柿落葉・・」ーわが血の熱さが心強い味方ですね(信子)。

・「冬うらら・・」ー冬と骸骨はつきすぎの感じだが、骸骨が弛むというイメージが希有(純雄)。

・「埋み火・・」ー「埋み火の爪」は何かを比喩的に表現しているのかもしれないが、なかなか消えない埋火のの生きている様を埋み火の爪としたところが独特(恒行)。

・「極月の・・」ー十二月では甘くなる。「極月」で効果倍増(樹音)。

・「参道に・・」ー慌てて神が出雲へ行った痕跡と考えれば二ヤリとさせられる。所詮神も人間臭いもの(純雄)。

・「何よりも・・」ー誰とも語らず、カタワラの人に冬ごもりされた様子の妙の一句(三余)。

・「枯葉踏む・・」ー枯葉に足跡がつかないのは当然だが、何か深いものを感じた(亜沙弥)。

・「人は人・・」ー赤い実を生らしているが、あれは別に誰かのためでも人間を楽しませるためにならしているわけではない。有り余るほど生らせば生らすほど他人事に感じる。その象徴性が上手い(英一)。

・「ぎどぎどに・・」ー研ぎを趣味にしていますが、いろいろな意味を考えさせられました(松一)。

・「告げられし・・」ー鈍色の空でも、冬晴の空でも、「冬の雲」は儚く淋しい(幹)。


☆2022年、なんとか人と人とのオンライン、寄り合い句会を目指しましょう。皆さま、良い年をお迎え下さい(剛)。



★閑話休題・・佐藤映二訳編『デ・ラ・メア詩選』・・・


 佐藤映二訳編『デ・ラ・メア詩選』(文治堂書店・1000円+税)、巻末に佐藤映二「詩について」(デ・ラ・メア編著『子どものための詩集』序文)と「デ・ラ・メアとの縁ーあとがきに代えて」が収載されている。その終わり付近に、

 

 (前略)とどのつまりこの詩人が私を虜にしたのは、彼の編纂にかかるアンソロジー『こっちへおいで』のサブタイトル、「あらゆる年代の若人のための」(for the Young of All Ages)だったようだ。そう言えば、サン・テグジュペリの名作『星の王子さま』の「はしがき」のなかの、「大人はだれも子どもだった。そのことを忘れないでいる大人」という意味合いの言葉も思い当たる。そしてそれは、屋上屋を重ねるようだが、宮沢賢治自筆とされる広告文の中の「どんなにばかげてゐても、難解でも必ず心の深部に於て萬人の共通である」(童話集『注文の多い料理店』広告チラシ)にも一脈通じていよう。


 とあった。ともあれ、短い詩の一編を引用しておこう。


     パンとさくらんぼ

 「サクランボだよ、おいしいよ、

   熟してうまいサクランボ」

  雪より白いエプロンの、

  サクランボ売りおばあさん、

  そばの籠にはどっさりこ。

  そこへぞろぞろ男の子、

  きらきら目玉で頬真っ赤。

 「ひと袋入り頂戴な、

   パンと一緒に食べるから」

 

 佐藤映二(さとう・えいじ) 1937年、福島市生まれ。



     撮影・中西ひろ美「日没を知らせる落葉囃子かな」↑

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