池田澄子エッセイ集『本当は逢いたし』(日本経済新聞出版)、帯の惹句に、
彼の世も小春日和か/此処から/彼処の人を思う。
この10年、3・11から/コロナウイルス禍までの間に/綴った60余篇を編んだ、
待望のエッセイ集
とある。日本経済新聞の夕刊・2012年7月7日~に連載されたエッセイと「俳句α」2013年2・3月号~、ほかに「うえの」2014年11月号~、のエッセイが5章に纏められている。書名に因む句は、「本当は逢いたし拝復蟬しぐれ」であろうが、それは「だからと言って」という題のエッセイに収められている。この句の続きに、
本当は逢いたい、と思うのは、実際には逢いたくても逢えない人は沢山居てその理由も様々。亡き人だったり、昨日逢った人だったり、世の中の流れに邪魔されてだったり。
話を元に戻そう。正確に言えば、三年くらい若返りたいと思うことは、実はあるにはある。
と記されている。また、エッセイには、愚生の知人も多く登場しているが、攝津幸彦が登場する「二つ並んで」の部分には、
(前略)所属している同人誌「豈」で、早逝した嘗てのリーダー攝津幸彦を偲んで手紙を書く、ということになって、私は「攝津さん、ずるい」のタイトルで書き始めた。
「『天国の攝津さんへの手紙』を書け、と執筆依頼が来ました。私は天国があるとは思っていないのですよ。死とは、魂入りの肉体が無になることだと思っているのです。どうでうすか、貴方は無ですか?
それともイケダサン、アホちーゃうか?と、芥川のお釈迦様のように、蓮の花か葉の間から下界を眺め、相変わらず融通のきかん人やねぇ、って煙草に火を付けて、ふわーっと紫煙を漂わせていらっしゃる?なら言いますけど、私は貴方と一緒に俳句を作っていこうと、本当にそう思っていたのですよ。そして偶には、この句ええなあ、なんて言っていただくことを励みにして、静かにゆったりと書いていくつもりだったのですよ。なのに、」
そこまで書いたら、突然に酷い虚しさに襲われて後が続かなくなった。原稿を途中で止めたことなど一度もなかった。「諾」と言った原稿を途中で断ったことなど一度もなかったのに、書けなかった。有と無はどこが違うのだろうか。
産声の途方に暮れていたるなり
絶望のときも途方にくれているのかなあ。
とあった。そして、「吐く息」では、「過呼吸というのがあるらしいが、幸いにも経験がない。友人が、頭から袋を被って酸素の摂り過ぎを治したと聞いて、私がなっても不思議はないことなので覚えておこう置こうと思った」という件には、Sumiko・Ikedaの友人のなかでそれらしい人は、N・Tあたりかな・・と想像したりした。最も多く登場するのは、さすがに,師であった三橋敏雄である。ともあれ、句のみになるが、集中より、いくつかを挙げておきたい(読者には、是非、本文と一緒に読んでいただきたい。句の味わいも違ってくる)。
水無月の当て無き櫂の雫(しずく)かな 澄子
こっちこっちと月と冥土が後退(あとずさ)る
先生ありがとうございました冬日ひとつ
三月十日十一日わが生まれ月
夏掛や逢いたいお化けは来てくれず
わが句あり秋の素足に似て恥ずかし
夜目遠目染井吉野は花ばかり
八月来私史に正史の交わりし
前へススメ前へススミテ還ラザル
池田澄子(いけだ・すみこ) 1936年、鎌倉生まれ。新潟に育つ。
撮影・鈴木純一「わた虫が飛んで体育坐りかな」↑
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