2018年3月3日土曜日
髙橋みずほ「すずなすずしろしろきにねむれ父ゆきてしろきにねむれ」(『白い田』)・・
髙橋みずほ歌集『白い田』(六花書林)、末尾に「2013~2017年の作品」とある。いわゆる父恋の歌が多くを占める。その意味では父に献じられている歌集ということになる。それについて「あとがき」の冒頭に、
人が死を迎えるとき、全身を曝け出し、死という姿をもって、人として生きて来た姿と、永遠に消えることの重みを見せる。そして、生きる者へ、どう生きてゆくのかを問いかけてくる。敬虔とか、慈しみとか、そういった言葉が、しずかに湧いて来るのは、そうした姿を受け留めようとするときかもしれない。父がなくなって三年ほど過ぎた。
と記されている。集名に因む歌(自由律句らしいもの)もある。
白い田に父の寝息が届くよに息をひそめているなり
白い田に二本の轍ゆるき曲がりの畦の道
ほのか日のさしてきて白い田に凹凸のある
あるいは、
父といて父をみている母がいてゆるゆる箸のゆく先を追い
粉雪の舞う日なり父とふたりそっとうたうそっとふれ
しとしと 雨 しとしと 雨 ひとつ雷ありてひと日のおわり
雨粒がガラス窓につきて朝 点 点 と厚雲のひかり玉
はらはらとさめてゆけるこころかな関係を断ちて人みな死せり
飛行機の雲ゆるゆるとめぐりだすような風もつ老いというもの
ひとりずつ飛行機雲に乗るようにゆるきときしずかに吹かれ
むかしむかし駅前にたしかにひとの影がのびて朝の時
ぐるぐると回るしかない遊具にのってしまいぬ空の円形
人の世に救えぬものばかりなり神も天使も透明なりき
歌法というものがあるならば、この歌集には、畳語が多く繰り返され、そのリフレインが短歌の抒情によく効果をもたらしているように思える。またそれが、全体に淡い印象をもたらしているのだが、それはたぶん作者の狙い通りなのかもしれない。透明、ゆるき、ひと、など作者偏愛の言葉も歌集には散見される。
ともあれ、死者は生者のなかに生きているのであり、生者が死ねば、死者はほんとうに死ぬ。一句献上。
白い田の高きにかかる橋に瑞穂よ 恒行
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