2019年8月11日日曜日

中嶋憲武「晩夏晩年水のまはりの水死の木」(『祝日のために』)・・



 中嶋憲武画句文集『祝日のために』(港の人)、120句と掌編の散文17編、自身の銅版画13点を収める。著者「あとがき」には、

 俳句を書くということは、「言葉にならないもの」を言葉で書く行為だと思う。また俳句は正解の無い自分への問いに似て、まるで大きく深い森の周囲をぐるぐる彷徨していて、なかなか森の奥深いところにある中心部へ辿り着くことが出来ないようなものだ。そこでぼくのみている風景を、ぼくの見方によって書き留めはするものの、書いた途端にその風景は消えている。(中略)
 銅版画の制作と句のツイートは、ほとんど同時並行で行われた。銅版画を制作しているときは句の風景を思い、句をツイートしているときは銅版画の風景を思った。
 ぼくの風景はみえてきただろうか。

とあった。集名に因むのは、12番目のエッセイの書き出し、

 やがて集まってくる祝日たちの為に、カーテンの微笑を繕うことは、誰でも一度は経験のあることであるが、逃走する国家は最早何を考えているのか、デルタTの時間分だけ解明されていない。(以下略)

 からのものであろう。ともあれ、集中より、いくつかの句を挙げておこう。

  薔薇の芽のぼやぼや薄目あく音楽      憲武
  自分より孤独春風へハロー
  闇を守宮生きてをり青く浮く血管
  蟻塚を越え来て淋しい息つく
  青鷺先生スメラミコトの佇まひ
  断崖立秋その突端にいつまでゐる
  海の鳥居の晩春の石は鳥になる
  だんだん貧困すいてゐる空鶴来るぞ
  都会混迷こほろぎ不意のこゑ挙げる
  目皿乾いて冬木の朝を出てゆく
   
 中嶋憲武(なかじま・のりたけ) 1960年東京都生まれ。


撮影・葛城綾呂 明日へ、ヒメヒオウギ↑

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