2019年12月28日土曜日

森田廣「飛びたくない飛魚もとび日が落ちる」(『出雲、うちなるトポスⅡ』)・・


 
 俳句+絵画*永遠なる一瞬『出雲、うちなるトポスⅡ』鼓動する記憶*森田廣(霧工房)、94歳翁、その「あとがき」に、

 (前略)「音楽の原点は静寂である」と。「音(音楽)を「言葉」に置き換えても同じことと思われる。絵画表現に於いて岸田劉生は「そこに在るということは、そこにないことと等量の存在」と言っている。いずれも、現にあるものはその対極にあるものー聞こえないもの、見えないものを包含するという表現意識を語ったものである。つまり、非在から立ち顕れる存在、表現に於ける存在の根源的な意識である。(中略)
 詩性の要件として「述べない」ことを念頭にしながらも、あえて洗練に遠い句を残した。私の中の野翁的な面を拭えないものがあるからである。
 念を押せば、うちなる「出雲」は、いわばDNA的な種族感覚や古代神話、あるいは伝承の民俗等を超え、正も負もつつみこむ大らかな風土である。
 高齢のもたらす衰退には抗えないものの、表現者の自覚があるかぎり、存在に向きあう切実な現実を生きるほかはない。

 という。ともあれ、集中よりいくつかの句のみになるが、挙げておきたい。

  息の緒のあそびを問わば蝶吹雪            廣
  また一人あたまが歩く春の星
  棒杙も神も見えざり秋の浜
  雲中にはためく弔旗ななかまど
  いなつるび縊り鶏にも父母ありき
  草の絮サグラダ・ファミリアへ翔びたてり
  わらび谷異界案(あ)内の雲が照る
  なんべん死んでなんべん生きし麦の波
  かつて大八車(だいはち)に晴着のような冬晴れがあった
  ひとりずつひとりの夕月冬木立
  
 森田廣(もりた・ひろし) 1926年、島根県安来市生まれ。


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