2019年12月12日木曜日

筒井祥文「そうと決まってヒコーキを遺書で折る」(筒井祥文川柳句集『座る祥文・立つ祥文』)・・



 筒井祥文川柳句集『座る祥文・立つ祥文』(筒井祥文句集発行委員会)、「あとがき」は樋口由紀子。それには、

 「好きなことをして、人にも恵まれて、いい一生だった。しかし一つだけ悔いがある。それは句集を出せなかったことだ。」と祥文さんはつぶやいた。(中略)
「座る祥文」は『セレクション柳人 筒井祥文集』から。「立つ祥文」はそれ以後の川柳である。(中略)祥文さんのはにかみのある笑顔を思い出す。饒舌ではないがあたたかさがあった。その存在がとてつもなく大きかったことを実感する。祥文さん、みんなで作ったよ。

 とある。従って、本集は遺句集である。挟み込まれた「筒井祥文川柳句集発行委員会」の便り「筒井祥文川柳句集 発行にご協力いただいた皆さまへ」には、

 今後落ち着きました暁には、筒井祥文の命日である3月6日を駱駝忌と名付け、「句会」或いは「ふらすこてん同窓会」的なものを開催できればなどと思っております。

 ともあった。また、巻頭には、倉阪鬼一郎『猫俳句パラダイス』(幻冬舎新書)からの、抜粋が掲載されている。その句と文を以下に引用しよう。

  こんな手をしてると猫が見せに来る     筒井祥文

(中略)〈よろこびのびの字を猫が踏んでいる〉
 これもおかしくて。どこかおめでたい一句。紙の上が好きな猫が「び」の字を踏んで隠しているとも知らず、きょとんとしています。
    〈捨て猫と奇人変人展へでも〉
 こういった奇想をさらりと表現できるのも現代川柳の強みです。奇人変人展には、ほかならぬ作者も展示されていそうです。


 ともあれ、集中より、いくつかの句を挙げておきたい。合掌。

   ボロボロになったものなら信じよう      祥文
   絶景に吸いこまれたということに
   有りもせぬ扉にノブを付けてきた
   天国の破片は出土しましたか
   いつも硝子は割れようと思っている
   ありがとうございましたは捨て科白
   どうしても椅子が足りないのだ諸君
   無い袖を入れた金庫がここにある
   哲学の道にうっかり出てしまう
   大きなことを小さな文字で書く人だ
   仏壇の奥は楽屋になっている
   靴を売る店員がいず客がいず
   死ぬまでのその夜その夜に通す腕

 筒井祥文(つつい・しょうぶん) 1952年5月~2018年3月。京都市生まれ。



撮影・染々亭呆人 竜安寺 ↑

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