2020年7月23日木曜日

筑紫磐井「紫陽花や明日死んでゆく人の数」(「俳句界」8月号)・・・




 「俳句界」8月号(文學の森)、特集は「戦争と貧困ー現代社会を詠むー」、それぞれ見開き2ページに8句と短文が寄せられている。愚生の仲間であり、「豈」発行人・筑紫磐井に敬意を表して、紹介しておきたい。句のタイトルは「コロナのような」である。奇しくも本日、東京都は、新型コロナウイルスの感染者数が366人と報告され、非常事態宣言を発する直前にも無かった300人を大きく超え、しかも、このところ毎日200人以上の新たな感染者を出しているにもかかわらず、何の対策も行うことなく、あたかも若者は軽症者で、高齢者、持病のある人のみが危険などという、常識的に冷静に考えれば、ありえない言辞を弄している。この4連休にも、ひたすら外出をしないように、と言うのみである。
 しかも、文化施設や会議室の貸し出し条件も、来る27日(月)からは、これまでの厳しい条件ではなく、定員の半数、ソーシャル何とかを保ち、マスクをすればオーケーという、貸出の条件を緩めに緩めようとしている。当然にして、感染者が増えるのは当たり前であろう。コロナは風邪だという人もいるが、それにしては、軽症でも苦しく、罹りたくない風邪である。たぶん時代の条件は違うが、風邪というなら、かつてのスペイン風邪と同様なのだろう。
 ともあれ、本誌本号から、以下に「戦争を詠む」と「貧困を詠む」のなかの一人一句を挙げておこう(それと、これも「豈」の仲間の山﨑十生の新作巻頭3句からも紹介する)。

  蓮咲いて戦無き世を願ふのみ      星野 椿
  軍事費増ゆる国なり飯饐ゆる      角谷昌子
  ツェツィリーエンホーフ晩夏の犬と人  田中亜美
  気づくまで地面ありけり蟻地獄     生駒大祐
  弾丸尽き糧絶え市街しづかなり     筑紫磐井
  ひんこんの木あればすぐ来い肩を組む  谷口慎也
  夏蝶に横顔のあり配給待つ       照井 翠
  夏草に呑まるる未来ありにけり     関 悦史 
  八月六日即死八万誕生日        山﨑十生

 その他、「俳句界NOW」のグラビア、エッセイ、自選30句は鳥居真里子。また、「私の一冊」は髙澤晶子の鈴木六林男『荒天』。

  六月を人類の卵でゐたる        鳥居真里子
  新樹光母の鏡はよく映る         高澤晶子
  
 もう一つの特集は「文學の森賞各賞を読む」だったが、その中で、久しぶりに山本健吉息女の山本安見子の特別エッセイ「父・健吉を語るー詩歌への愛」があった。いつも思うことだが、山本安見子のエッセイは、面白く、読ませる。

 (前略)そもそも評論と何か。作者もしくは作品を取り上げて様々に論じるのだが、誉めてばかりでは論にならない。当然、粗探しもする。
 された方は場合によってはメチャメチャ腹を立てる。八つ裂きにしてやろうかと思うかもしれない。
 実に間尺(ましゃく)に合わないことこの上ない。
 反対に誉められて感動のあまり、千疋屋のメロンなど奮発する人も稀中の稀ながらいる。
 そんな時、私は万歳を叫ぶ。贈答用には買っても自宅用に買ったことがないからである。
 「パパ、またメロンが来るように書いてね」
 「コラ! さもしい事を言うな」
 父はメロンを美味しそうに食べながら叱る。
 小説家遠藤周作も慶応義塾大学の学生時代は評論家を目指していた。
 父は京都で妻を亡くし幼い私を連れて上京。(以下略)



       撮影・鈴木純一「ほととぎす聞きに参れば鹿のふん」↑

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