2020年7月20日月曜日

柏柳明子「地下鉄の二秒で消える夏の空」(『柔き棘』)・・・




 柏柳明子第二句集『柔き棘』(紅書房)、序文は石寒太「新しい季語の現代性を求めてー柏柳明子『柔き棘』に寄せて」、その中に、

   数へ日のしつぽのやうな栞紐

(中略)いろんな書物には、栞紐が一本ある。時に大冊には二本あることも・・・。それをこの句は「しつぽのやうな(・・・)」ととらえた。そのままではあるが、この「しつぽ」にはリアリティがある。しかも「数へ日」。今年もあとわずかで終ろうとしている。そんなある夜、読みかけのつづきを開いた。そこに栞紐のしっぽをみつけたのである。(中略)「いつも見ている自然なことであるけれど、そんなことをいままで句にしたことがない。それこそが秀句の条件のひとつである」と。(中略)
 柏柳明子句集『柔き棘』には、そんな句のいくつかを目にした。読んでいて、それを発見した喜びがあった。

 と記されている。集名にちなむ句は、

  抱きしめられてセーターは柔き棘       明子

 だろう。ほかに黒川梓「句集を読む『浮動の私』」、また著者自身のエッセイ「12から始まるハレの時間」も収載されている。それによると、著者はフラメンコをやっていたらしい。

 教室で振りを覚えるのは当然で、その先の表現ーリズムと振りの意味、歌やギターの調べの緩急に常に反応して踊らないと、すぐに先生から声が飛んできた。(中略)
 その繰り返しの中、「フラメンコは俳句に似ている」という思いが強くなっていった。たとえば、曲種ごとの定まったリズムとそれが生み出す形式の相関性、全身でリズムを感じた時に新たに姿をあらわす表現。俳句でも五七五の型とリズムは表裏一体で、そこから少しずつ違う表現が出てくる。その中で「スタイルを崩さずに常套的表現を破る」ためにはどうしたらよいか、今思うとそんなことをうっすら考え始めていた気がする。

 と述べている。略歴には、第30回現代俳句新人賞受賞とあって、そういえば、かつて、愚生が現代俳句新人賞の選考委員をやっていたときのこと、作者無記名の選考なので、最後に、柏柳明子の名が、知らされたとき、同じ選考委員をつとめていた浦川聡子が、当時は「炎環」の仲間だったので、ことさら喜んでいたのを思い出す。
 ともあれ、集中よりいくつかの句を以下に挙げておこう。

  満月へ鼓動の同期してゐたり
  水槽の眠らない水神の旅
  もう一度神輿のとほる秋日和
  鬼は外母へ通ずる闇のあり
  本降りとなつてしまひし花見かな
  自画像に影を足したる余寒かな
  ナビになき道ナビになき鳥威
  父帰るかほに木枯張りつけて
  古暦の裏に吊るせし暦かな
  街すこし浮かんでをりぬ夜の雪

、柏柳明子(かしわやなぎ・あきこ) 1972年、横浜市生まれ。

 

        撮影・鈴木純一「夏の月普賢菩薩の手をとつて」↑

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