2020年3月10日火曜日

川合大祐「世界からサランラップが剥がせない」(『金曜日の川柳』)・・



 樋口由紀子編著『金曜日の川柳』(左右社)、巻末に「本書はウェブサイト『ウラハイ=裏〈週刊俳句〉連載中の『金曜日の川柳』をもとに、大幅な加筆修正を行ったものです」とある。解説は西原天気、その中に、

 (前略)句のラインナップからすると、いわゆる入門の用に供するよりも、同時代の川柳表現の幅広く多種多様な華やぎを伝えるものと思っていい。川柳と聞いてまずイメージするのとはずいぶんと違う景色、そう思う読者も多いだろう。知らない街を、あるいは知っているはずの道を、頼りになる案内人とともに歩く、それが本書である。

 とあった。また、樋口由紀子の「あとがき」には、

 (前略)川柳は俳句とかたちは同じですが、何かが違います。詩形のなかに求めるものの差異です。川柳は一見わかりやすい文芸ですが、意味を追いかけていくと「なぜ?」という疑問に突き当たるものもあります。また、「どうして、こんなことが気になるんだろう」「どうして、こんなことをわざわざ書くのだろう」と戸惑われるかもしれません。それは「はぐらかし」や「ずらし」など川柳特有の了承や着地の仕方によるものです。そこを楽しんでいただけたらと思います。

 とある。各1ぺーじに一句と、下段にミニ解説がほどこされている。いわば、どこを開いて読んでもいいのである。一例に、著者自身のものを以下に挙げる。

    永遠に母と並んでジャムを煮る      樋口由紀子『容顔』

 ジャムはすぐ焦げるので鍋から目が離せない。母とふたりで鍋をながめていると、そんなときが永遠に続くのではないかと思った。出来上がったジャムは嘘みたいに甘かった。
 2012年の年末に母が死んだ。もう母とジャムを煮ることはない。私は母にとってよい娘ではなかった。短時間でさえ、母とひとつのことをするのは息がつまった。同じことをしていても、感じ方や見方が全然違う。母もそれに気づいていた。けれども、ふたりともどうすることもできなかった。
 
 ともあれ、同書より、いくつか句のみをいくつか挙げておきたい。

  兄ちゃんが盗んだ僕も手伝った      くんじろう
  かくれんぼ 誰も探しに来てくれぬ     墨作二郎
  舞えとおっしゃるのは低い山ですか     小池正博
  ドキドキしながら電池を捨てにゆく     湊 圭史
  わけあってバナナの皮を持ち歩く      楢崎進弘
  明日らしく新金属が煮えている       兵頭全郎
  元旦のかがみへ鼻などをうつす       尾藤三柳
  少年は少年愛すマヨネーズ         倉本朝世
  今宵あたり13ベクレルの月夜かな     渡辺隆夫
  春眠をむさぼるはずのカバだった     広瀬ちえみ
  回転鮨はこの世の果ての如くあり      海地大破
  横顔が植物園になっている         吉田健治
  開脚の踵にあたるお母さま      なかはられいこ 
  妖精は酢豚に似ている絶対似ている     石田柊馬
  おれの ひつぎは おれがくぎうつ     河野春三
  それはもう心音のないアルタイル     清水かおり
  仏蘭西の熟成しきった地図である      飯島章友
  オルガンとすすきになって殴りあう     石部 明
  戦死者の中のわたしのおばあさん      松永千秋
  ねえ、夢で、醤油借りたの俺ですか?    柳本々々


樋口由紀子(ひぐち・ゆきこ) 1953年、兵庫県生まれ。


撮影・鈴木純一「春はまだ森の電話は二度鳴らす」↑

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