2019年11月7日木曜日

片山由美子「置けばもう手に取ることのなき木の実」(『飛英』)・・



 片山由美子第6句集『飛英』(角川書店)、集名については、

 五月には令和という新しい時代が始まったこともあり、この句集が「狩」と平成を締めくくる一冊になればと思っている。「飛英」は落花の意である。この言葉を知り、以前から句集のタイトルにと考えていた。

 と、「あとがき」に記している。また、

 若いときには大振りの句を作ろうとしたこともあるが、近年は、対象の切り取り方のアングルの工夫や季語の本意の拡大など、一句一句で試みている。

 とも述べている。それを、帯では、

 磨き抜かれた言葉と確かな定型感覚が紡ぎだす十七音の世界。静かな深まりを加えつつ、充実の六十代が始まった。

 と、惹句している。ともあれ、集中よりいくつかの句を挙げておこう。

  八月や花はひかりを引いて落ち        由美子
  くれなゐは火の色ならず落椿
  折りとれば芒を風の離れゆく
  うすらひは解け薄氷はまだ残り
  対岸へ渡る橋なき夕桜
  しやぼん玉触れたきものに触れて割れ
  花冷や夜の水音の高瀬川
  下り線ホーム西日を避けがたく
  綿虫の戻るべき世のあるごとく
  凍つる夜の一人に開くエレーベーター
  湖に船の老いゆく青嵐

 片山由美子(かたやま・ゆみこ)1952年千葉県生まれ。



★閑話休題・・妹尾健「自由律俳句の出現 三/言語の解剖学」(コスモス通信・とりあえず十九号・令和元年十一月二日)・・・


 A4、4~5枚のコピー用紙に、不定期で送られてくる妹尾健「コスモス通信」、最終ページには、いつも句日記が添えられていて、今号も論考の他に、130句ほどが掲載されている。今号の出だしは、

 「一般に、俳句というと、五七五の形と考えられている。」-荻原井泉水は井手逸郎著「俳句論攷」昭和八年六月刊の序文を書き出している。だが、と語を継いで「俳句を五七五という句切りの概念を以て考えている限り、俳句の形態に関する真理を掴むことはできない。五七五ということは単にその外観たるにすぎない。その内質における韻律は決してしかく単一のものではない」として、まず次の二句を挙げる。
 A 道絶えて香にせまりさく茨かな   蕪村
 B 馬に寝て残夢月遠し茶の煙     芭蕉

 と書き起こしている。

(中略)五七五はなぜに外観というのか。この外観を解剖しなければ外観だけみていては俳句の本質、つまり血行の疎通がわからないのだ、と井泉水はいうのである。明治末年澎湃として起きた新傾向俳句の革新は新たな俳句認識の時代であった。虚子ですら自分の中に新傾向の俳句の欲求があったとのべた時代でもあった。俳句の言語学を解剖せよの主張は、新進言語学者でもあった井泉水のもっとも直截に述べたものであったといえよう。血行の疎通の解明を進めることによって旧套と化した俳句の月並みを打破せよの声は自由律の運動を大きく広げた。(中略)
 荻原井泉水はのちに一句一律をとなえている。ここでも彼は「しかし、十七音という限られたる音数の中におけるリズムの種別というものは、おのづから限られたる種類を出で得ないのである。」という。(中略)
 十七音は決められた音数であるから、そこから自由なリズムが出て来ないと考えるのは、却って狭い考え方えではないか。(中略)制約に従って生まれるリズムこそ本当のもので、そうしたリズムは制約を生かしている。制約の中で自由に生きていく。これが自らのリズムである。ぼくらは自分のリズムを発見し生かしていくことにおいて俳句を生きるのであって、その逆ではない。姑息な形式化こそ自由を束縛するものであって、形式を腐食するものである。ぼくらのめざすリズムは自分のものであって、より自由なものでありたい。

 と、結ばれている。ともあれ、句日記の中からいくつかの句を挙げておこう。

  憂き人は先に行かせて秋はじめ    健
  よき月と妻立ち騒ぐ今宵かな
  風筋をしめすたしかな鵙の声
  白雲の中に黒雲散紅葉
  宣長忌鈴を好むと先生は
  朝霧や丹波に深き眠り置く
  そのふたり色鳥のうち手をつなぐ

妹尾健(せのお・たけし) 1948年兵庫県生まれ。愚生らは(せのお・けん)と呼んでいる。


  

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