持田叙子・髙柳克弘編著『美しい日本語 荷風Ⅰ 季節をいとおしむ言葉』(慶應義塾大学出版会)、帯の惹句に、
季節の和の文化に酔いしれる/ 永井荷風の生誕一四〇年、没後六〇年を「記念して、荷風の鮮やかな詩・散文、俳句にういういしく恋するためのアンソロジー。
とある。本著は二部構成で、第一部は持田叙子「荷風 散文・詩より」、第二部は髙柳克弘「荷風 俳句より」から成る。ここでは、二部・俳句の部のみを、少し紹介しておこう。
椎の実の栗にまじりて拾はれし 明治四十四年作
この句の季語は「椎の実」と「栗」、平気で季重なりを侵していた荷風であるからそれ自体は珍しくない。興味深いのは、たいがいの人間は「椎の実」と「栗」であれば当然、食用になる「栗」の方に目がいくにもかかわらず、この句の主役はあきらかに「椎の実」であるということだ。(中略)
われわれ愚鈍な一市民は、桜が咲いた、とか、蝉が鳴き始めたというような、”指標”でもって季節を認識しているにすぎない。荷風はそのような大雑把な見方ではなく、風景の細部注目して、微妙な質感や情感の”差異”の発見を求めて、視点はあちこちへせわしくなく移動する。荷風は、集中型の俳人ではなく、拡散型であった。
だからこそ、彼の句は、専門俳人が見過ごしてしまうような季節の現象も掬い取っている。
という。また、ブログタイトルにした句「蘭の葉のとがしり先や初嵐 『荷風百句』」に触れては、
(前略)しかしこの句は蘭の花を詠むのではなく、季語にはならない「蘭の葉」を対象にして、別個に「初嵐」の季語を配している。非凡なのは、「蘭の葉のとがりし先」と、その鋭い葉のありようを浮き上がらせているところだ。「初嵐」は初秋に吹く強い風のことであるが、風の切っ先が蘭の葉の鋭さとどこか通い合っている。(中略)
そのとがった葉が示すさきを辿れば、初嵐に吹かれて乱れる外界の草木も見えている。彼はそこへ踏み出そうとはしない。無視するのでもなく、進んで関係するのでもない。つかずはなれずの、外界との距離の取り方が、いかにも心地よい。この句はそんな荷風の人生訓とも読めるのだ。
俳人荷風ー一筋縄ではいかぬ、なかなかしたたかな作り手だ。
と締め括っている。
持田叙子(もちだ・のぶこ) 1959年、東京生まれ。
髙柳克弘(たかやなぎ・かつひろ) 1980年、浜松市生まれ。
★閑話休題・・・髙柳克弘「秋分を羽なきものらおろおろと」(「ビッグコミックオリジナル 10月5日号)・・・
愚生の持病の毎月処方される薬を求めて、薬局に置かれている雑誌の表紙に、髙柳克弘の句を見つけた。もう一句は「聖家族万引き家族運動会」。
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