2019年11月11日月曜日

神野紗希「コンビニのおでんが好きで星きれい」(『もう泣かない電気毛布は裏切らない』より)・・



 神野紗希『もう泣かない電気毛布は裏切らない』(日本経済新聞出版局)と『女の俳句』(ふらんす堂)、相次いで刊行されたエッセイ集。後者はふらんす堂の季刊誌「ふらんす堂通信」に2012年から2018年までの連載稿に加筆修正されたものなので、全部ではないが、折々に読んでいたものも含まれている。毎号の「女」にかかわる例句が20句ほど掲げられていて、なるほど、愚生は、そのあたりにまつわる句はほとんど書いて来なかったな、と改めて思った。それでも、髙柳重信や攝津幸彦の句が引用されているのを目にすると、我がことでもあるかのように少し喜びがある。
 前著は、新聞に掲載されたエッセイが主なので、面白さ、興味深さからすると、軍配は前著に上がる。後者は、むしろ、「女」の俳句をめぐる資料には良いかも知れない。
 例えば、前著の「きっと、ダイジョウブ」の冒頭に、

 二歳の息子の前で一度だけ、ぽろぽろ涙をこぼしたことがある。「どうしたの?おなかイタイの?」はじめて見る母の涙にきょとんとした表情の息子。
 「悲しいことがあったから、泣いちゃった」と答えると、顔をぐっと近づけてきて、自分の涙を拭うときのように、手の甲でグイッと私の涙を拭いた。そして「なみだ、悲しい、なくなったよ。拭いたから、もうダイジョウブ!」とにっこり笑った。

 とあって、その光景はよくわかる。愚生が同居している孫もちょうど同じほどの年齢、会話も言葉の量も日々驚異的に獲得していく。愚生は、親としては全く失格で、まるで父親不在の母子家庭のよう・・・と世間様には言われていたたらしいから、忸怩たるものがある。家庭をかえりみない懲りない人生だった。これまでを悔い改めて生き直したいと思ってもそう一筋縄ではいかない。愚生の愚痴はさておいて、著者「あとがき」を読んで、少し驚いたのは、「日本経済新聞社文化部の干場達矢さんには、執筆の折々にアドバイスをいただき、言葉には宛先があることを教わった」とあったことだ。彼、干場達矢は、一年に一度の刊行となっている最新号「豈」62号より、「豈」同人となられているのである。池田澄子との縁による。「物やれば」の題で、20句を発表している。いくつか、挙げよう。

  春愁の手暗がりより来たるかな     達矢
  彫刻に掌の記憶あり夏の雨
  露の世やホットケーキは朝食べる
  犬あつまって裸の犬もゐる師走
  冬野より帰りて日記書かざる日

 後著『女の俳句』からは、目に付いた「豈」同人の句と神野紗希の句をいくつか挙げておこう。

  人類の旬の土偶のおっぱいよ            池田澄子
  春闌(た)けて蔓物(つるもの)多き姉の閨(ねや) 攝津幸彦
  涼しさは卑弥呼と卑弥呼すれ違ふ         高山れおな
  平凡な名前がよけれ女の子             筑紫磐井
  討入や少女漫画の花泡立つ             中村安伸 
  寂しいと言い私を蔦にせよ             神野紗希   
  新妻として菜の花を茹でこぼす            
  出社憂しマスクについた口紅も              


神野紗希(こうの・さき) 1983年、愛媛県松山市生まれ。




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