2019年11月25日月曜日

浅沼璞「落葉搔く生き恥の音たてぬやう」(『塗中録』)・・・



 浅沼璞第一句集『塗中録』(左右社)、表紙のモノクロ写真は鴇田智哉。企画構成・北野太一とあり、著者「あとがき」には、

  一句を詠むごとに主体(みたいなもの)はどんどん変わっていく。一句一句ですらそうなのだから、句集を編むともなれば、かなり複雑な話になってくる。(中略)
 それを引き受けてくれたのが北野太一氏である。旧作から新作まで、発句体・平句体はもちろん、出来・不出来すら問わず、彼に丸投げした。(中略)
 連句的に拡散しがちな私の主体を、今回もうまく編集してくれた。「僕」や「俺」に随筆(みたいなもの)を書かせたのも彼である。いわば連句の捌き手のような役割を担ってくれたのである。

 表現における拡散と求心、それがこの本のテーマ(みたいなもの)であったと。いま月の下で思っている。

 と記されている。また、収載されたエッセイのなかに、

 俳句とともに連句ともながく付き合ってきた。五七五だけでなく、七七を一句として連ねてゆく、その韻律に魅了される人は多い。だから、だろう。七七定型を独立詩形とする試みが昔から絶えないようだ。自分も「只管短句症候群(オンリーたんくシンドローム)と銘うち、熱をあげたことがある。

 とあり、いくつかの短句も収録されている。例えば、

  めつ、と言ふまに水になる猫
  焼き払ひたき青空だった
  母の日傘が見おろしていた

 上掲の最後の短句は、その母の日傘が見下ろした光景・・・「母と妹は土手に腰をおろし、おにぎりを食はじめた。」のフレーズを持つエッセイに反映されている。
 ともあれ、連句人(レンキスト)・璞の面目躍如たる句集である。以下にいくつかの句を挙げておこう。

  ひでり星金網に四肢かけしまま       璞
  鱗なす秋水の奥にまで
  半仙戯ゆつくり脚も手も陰(ほと)
  笑窪だけ歳をとらずに九月尽
  魚ならここで手をあげたりしない
  まだ残る花火のふりをして残る
  轢き逃げのバックミラーに曼珠沙華
  小春日の地下を一歩も出ずにゐる
  するすると匙沈みゆく敗戦忌
  秋の水ゑがけばこの腕もながれ
  膨らみに後は締まりて風光る
  ひとりづゝ違ふ裸であらはるゝ
  
  さまざまの事おもひ出す桜かな   芭蕉
   核もふれぬに揺るゝふらこゝ    璞

  幾千代も散るは美し明日は三越   幸彦
   一億総中流を惜春         璞
  
浅沼璞(あさぬま・はく)1957年 東京都生まれ。

  
 

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