2019年11月20日水曜日

藤原月彦「絶交の親友(とも)には視えぬ水瓶座」(「六花」第4号より)・・・



「六花」第4号(六花書林)、特集は「詩歌と出会う」である。詩人、多くは歌人、そして俳人たちが、詩歌に対する思い、考え方を述べている。愚生は一応俳人だから俳人のものにどうしても興味が湧く。ただ、多くの人は、最初に詩に出会っているらしい。ならば、短詩型を、改めて選び直す契機が必ずあるとおもうのだが、なかなか直截的に、シンプルに書いている人は余り見受けられなかった。面白かったのは堀田季何「飲むのが、人間だ、だから飲もう」の結びには、

  (前略)それっきり自由詩から離れたが、そのかわり、どんなジャンルの詩でも出会えばすぐに試してみるようになった。行ける口になったのだ。短歌の他、有季や無季の定型俳句、自由律俳句、連句、漢詩、川柳など言語を問わず、うまい酒を飲むように、いや、酒以上にうまいよ、今に至る。

 と記している。他の俳人では、今泉康弘「漫画の中に詩があるようにーMと漫画」、佐藤清美「希望を歌う」、九堂夜想「詩に逆らって、詩を」をそれぞれ執筆している。
 もう一つの注目記事は、愚生が「藤原月彦という現象」を書いているから、という我田引水もあるが、「『藤原月彦全句集』刊行記念特集」である。他に佐川俊彦「藤原さんの『黄昏詞華館』」、藤原龍一郎インタビュー「龍一郎と月彦」。佐川俊彦は、いわば愚生の知らない月彦、つまり雑誌「JUNE(ジュネ)」に連載された月彦の「黄昏詞華館」について、

 (前略)「JUNE」が一段落した頃に、箱入りハードカバーの豪華愛蔵本『JUNE全集』全十二巻も刊行されて、これもまた成功したのですが、その最初の企画書に入れておいた「黄昏詞華館」の巻は、社の上層部に、売れないだろうからと、真っ先に消されてしまったのでした。
 幻となった豪華愛蔵版『黄昏詞華館』・・・残念です。

 と記しているのは、愚生も同感、惜しいと思う。また、インタビューでは、

 ーー俳句から離れてしまった理由は何でしょうか。
藤原 やはり、饒舌な自分にとっては俳句は短すぎると思えたことと、自分が生きている時代の中での喜怒哀楽は、短歌でしか詠えないと思ったので。(中略)
 
藤原 今後の予定は、実は月彦名義の本がもう一冊、ふらんす堂から出ます。『夕月譜』という題です。昭和の末期に俳人秦夕美さんと「巫朱華」という二人誌を九冊出しました。そこに二人の共作ということで、毎号、頭韻や脚韻を同時に踏んだ三十句や、特定の漢字が卍型に見えるような何十句とか、言葉遊びをつくした共作作品が十作以上ありました。それをこの際まとめることにしました。全句集を面白く読めた方には、この『夕月譜』も楽しんでいただけると思います。
 これで月彦は完全に終了です。

と語っている。

藤原龍一郎(ふじわら・りゅういちろう) 1952年福岡生まれ。 



★閑話休題・・・大井恒行「戒厳令和パレードなんの華やぎぞ」・・・


 じつは愚生、先日6日(水)にPSA値が高く、三年前に続く二度目の前立腺がんの疑いによる検査入院をし、その結果が本日出た。悪運はまだ残っているらしい。三年前のPSA値が約12、そのとき60%はがんだが、40%はそうではない可能性あり、と言われ、生検で、この時はシロ。その後、半年ごとの経過観察でも、血液検査による数値はその前後を推移していたのが、半年前に16に上がり、この度はさらに上がり、22強だったので、さすがに医師は生検を再びしないわけにはいかない・・ということだった。そして、生検は、ふたたび「がんではありません。体質的に数値が高いのかなぁ・・」と医師。今回は、麻酔による後遺症も前よりは軽く、ただ、血尿は、前回よりは少し長引いたのだが、とにかく疑いは、ふたたび晴れて、しかし、前立腺肥大は歳並みにあるので、もっとも軽い薬を、当面飲むことで、経過観察とあいなった次第。ホッとして、帰路にはいつもの医院で降圧剤を一ヶ月分と・・・、これで合計日々4種類の薬を飲む仕儀となってしまった。
 ともあれ、向寒の折り、皆様、お身体大切に、ご自愛下さい。



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