原満三寿句集『風の図譜』(深夜叢書社)、句と三編の詩を収録。跋文を齋藤愼爾「流謫と自存ーわれら、かくありし」がしたためられている。ブログタイトルにした「着く駅の・・・」句の『鮫』は、金子光晴詩集のことと但し書きが付されている。齋藤愼爾も触れているが、原満三寿は金子光晴研究の第一人者である。
集中の詩の三篇「詩・追憶の俳人たち〈離見の見〉」の主人公は、愚生にも、特に思い出深い俳人ばかりだ。一は「火宅火定」の多賀芳子。二は「遠くへ(Further!)」の渡部伸一郎。三は「その人は」の金子兜太。原満三寿とはかつて多賀芳子の「碧の会」でご一緒させてもらった。「ゴリラ」という雑誌を谷佳紀と一緒に出されていた。ここでは、渡部伸一郎のことを記した詩中から数行を引用しておきたい。
(前略)
これが
自国の仏人もよく知らない昆虫学者を追っかけ
自動車文明からも見放された
おれのラストシーンさ
ファーブルの埋葬のときには
カマキリなどの昆虫が墓石にまとわりついて
見送ったというが
虫の俳人といわれ
蝶が大好きだったおれのばあいはどうだろう。
黄金を流して翔ぶ幻の蝶〈オウゴンテングアゲハ〉か
白磁にオレンジの燿変を浮かばせた蝶〈パルナウシス〉が
栩栩然(くくぜん)として見送ってくれないだろうか
まあすべては胡蝶の夢か
(後略)
また、「あとがき」には、
(前略)いずれにせよ、句集は風雅や境涯、仙境とは無縁の栗本衆の所業です。伴老もいささか怪しくなってきましたが、この先も世に竿さしながら怪しい老俳物を垂れながすことになりそうです。ご容赦を。
とある。そして、跋の齋藤愼爾には、
(前略),原さんは金子光晴について、「肉体の深いところで思想する詩人」語ったことがあるが、その修辞は原さん以外の誰も指してはいない。氏は稀にみる思索の、思想の人である。帰属すべき権威や秩序を持たず、共同体の物語や神話に安住するこもない。
と記し、その結びには,
(前略)思っても見よ、「俳皿に三千世界の風を盛る」にしても、古来、だれがこのような三千大千世界(みちあふち)という異界の空間を一句に創出しえたか。非日常を生きる俳諧師の俳諧精神(滑稽、諧謔、笑い、風刺、狂・・・)のみが把握しえた異界遊行の世界に、世の俳人諸氏よ、ひととき、己が魂を戦慄させてみるのもよいではないか。
と述べている。ともあれ、集中よりいくつかの句を挙げておきたい。
雁風呂や一揆の骨も折って焚き 満三寿
蟇に蟇おくれてのっかる痩せた蟇
辻々に泣き女(め)が佇ちて秋ゆきぬ
眠たくて空へへのへの藁の人
北風の刃(どす)のむどこやら口説節
雄蟷螂は首なし後尾す 色即是空
*雄は雌に頭を食われても交尾続行す(大町文衞『日本注記』)
上州のしがない青短(あお)と発します
三山を月ごとながす最上川
補陀落船いま月光のはらわたへ
物の怪がおののくという蓮のポン
基地が射る探照灯に蟬の空(から)
なにされた? 悉皆被曝 人でなし
春の海のたりと死人(しびと)うらがえす
原満三寿(はら・まさじ) 1940年、北海道夕張生まれ。
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