2019年11月9日土曜日

坂内文應「力草引きちぎりゆき旅人よ」(『天真』)・・



 坂内文應第二句集『天真』(ふらんす堂)、自跋に、

 (前略)思えば、禅でいう転がり出てはいるが一向にみえぬ万象の玄旨(げんし)、既に顕現(エピファニー)済みの道理を僅かなりとも看取すべく、私は俳句に親しんできた。それはどこかしら本家郷での隠坐、実人生を非番でいることのやすけさにも似ていた。(中略)
 俳句は裁断の詩芸といわれるが、短いがゆえの精神の屹立の根拠を保ち、小さいがゆえ強靭にして風化にも耐えよう。俳句は、取りも直さず世界最前線、最前衛の文学そのものであることを了得すべきと考える。(中略)
 願わくは、この詩型とだけは偽の関係の陥穽に落ち入らないようにありたいし、物と言葉の気配から立ち上ってくる信号には、自分なりにせめては耳目を洗い直しおてゆきたいと思う。

 と記されている。また、髙橋睦郎の序辞には、

 文應さんは禅林の仏者である。身辺無一物を旨とする禅者が、なにゆゑ俳諧などといふ雜なる詩と遊ぶのか。思ふに求道の道程に出会ふ万象を俳詩の形に昇華しつつ、己を無化しようとの志か。

と述べられている。ブログタイトルにあげた句「力草引きちぎりゆき旅人よ」には、前書「奥州 百漏舎 安井浩司大人」と付されている。ともあれ、以下にいくつかの句を挙げておきたい。

  国なんど無かりしむかし葦の角    文應
  羽毛反り舟と浮かびぬ春の水 
    悼 亡機庵主 大岡頌司
  キオスクで買ふ町の地図雁渡る
    三月十六日は飴山實祥日
  芹粥を忌日の膳に供へけり
  玉虫のひかりを紙に転がしぬ
  草の色すさるを照らし後の月
    悼 宇佐美魚目
  煎銀杏澄みて曇れるそのいろを
  白椿やがて思に入り玄に入り
  いづくまで吾(あ)にまつらふか飛花落花
    旧制新潟高校「留学生の坂」いまも
  春風やドッペリ坂を人形(ブッペン)
  月待つやくの字まろびに猫と吾
    久方ぶりに句集編まんと
  矢一箭(やいつせん)骰子一擲(さいしいつてき)春深む

 坂内文應(さかうち・ぶんのう) 昭和24年、新潟県生まれ。



     

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