2015年2月1日日曜日

渡部伸一郎「萩白し栩栩然として胡蝶なる」(夢座・171号)・・・



「夢座」171号は追悼・渡部伸一郎の特集「栩栩然(くくぜん)として」である。
「栩栩然として」の説明には「ふわとするさま。飛ぶ羽のように自由で愉快なさまをいう。荘周夢に胡蝶と為る 栩栩然として胡蝶なり」とある。「夢座」誌のほぼ3分の2、120ページを費やして、追悼文と渡部伸一郎の随筆を収録している。最後には絶筆となった、これも暗示的な随筆「至福の時」が掲載されている。
銀畑二は編集後記に以下のように記している。

 渡部さんは、南仏アヴィニヨンで、ファーブルの足跡を訪ねる旅の途中で還らぬ人となりました。虫に対する小学生代からの飽くなき好奇心、昆虫採集。虫と対面し対話する。その趣味を越えた自分の為様の源であるファーブルの里を辿る旅にどうしても行きたかったのでしょう。
 この最後となってしまった旅の直前も、お身体を病んでいました。退院の後、ご家族は一人旅をするにはまだ速すぎると引き止めたのですが、彼の強い意志に屈し、伸一郎氏を解き放ちました。まるで、蝶を採集箱から逃がすように。そして鬼籍へと旅立たれたのです。
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 渡部さんは、どんな旅の途中でもそこで文章を括る人でした。いつもパソコンを携えて旅をしていました。アヴィ二ヨンの旅で、田舎を走るバスに置き去りになったパソコンは、とうとう見つかりませんでした。渡部さんの複眼は、どんなファーブルを見たのでしょうか。

渡部伸一郎は、1943年東京生まれ。58歳でJSR(株)を退社し、以後は執筆と旅に費やしたという。蝶の採集にも情熱を注いだ。母・渡部マサは加藤楸邨「寒雷」同人。伸一郎も「寒雷」で学び、一時期「豈」同人でもあったが、最後は「夢座」に拠った。
昨年9月8日アヴィ二ヨンで客死。享年71。句集に『蝶』『亞大陸』。エッセー・自伝に『わが父テッポー』『遠くへ』『会津より』(私家版『蝶』を除いてすべて深夜叢書社刊)など。

  萩白し栩栩然として胡蝶なり         伸一郎





 

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