2023年1月4日水曜日

津髙里永子「掻き傷の赤さ目出度し松の内」(『句解』)・・

 



 津髙里永子(俳句)・荒川健一(写真)『句解(KUDOKI)』(発行・現代俳句協会、発売・彩流社)、序は、山折哲雄「『口説き』ならぬ『句解』ー序にかえて」。その中に、


(前略)世間を見渡すと、この寸法直しはいろんな場所ですこしずつ「縄張り」を広げているようだ。短歌の俳句化への流れ、というのもその一つ。三十一文字化である。要するにそれは下七七の切り捨て御免の勢いといってもいい。現代短歌が字余り俳句のような美容整形をうけるようになってきた。(中略)

 もう一つ、この『句解』には、見られる通り写真家の荒川健一氏の得も言われぬ大量の作品が登場する。

 ページを繰っていくと、その見開き両面の両翼に津髙ハイクが一句ずつ載せられ、それがいつしか写真像と微妙に響き合い、ただならぬ不協和音を奏ではじめる。おそらく大地から噴きあがる土俗のエネルギーのようなものの作用なのだろう。一口にいうと、カメラの肉眼がハイクの裸身を射抜き、その反動で不穏な抵抗にあっているのかもしれない。まことに得難い出会いであり、組み合わせだったのではないだろうか。


 とあった。また、津髙里永子の「あとがき」には、


 この風変りな写真集は、第二句集『寸法直し』制作のときにお世話になった装丁家の中山銀士氏に示唆されて実現した試みです。以前見せていただいた荒川健一(写真)&大畑等(俳句)コラボレーション作品『句景』(二〇二一年発行)の斬新さと、私が仲間たちと始めた、手書き俳句とモノクロ作品からなる同人誌(『墨(BOKU)』二〇ニ一年創刊)作りの面白さに目覚めて(?)いたので、あまり深く考えず、白黒写真でやっても面白そうね、と中山さんにひとこと発してしまったのがはじまりです。


 とあった。ところで、その大畑等(1950年、和歌山県新宮市生まれ、2016年1月10日急逝、享年65。)は、現俳協千葉県会長を務め、現俳協の今後を背負うに嘱望された人であった。人望のあつかったことを思い出した。ところで、「あとがき」のもう一人・荒川健一「二匹目の泥鰌?」には、


 (前略)三〇〇頁を越える本書には、カメラマンを目指して写真を撮り始めた一九六八年撮影の写真から、昨年撮影したデジタル画像までが含まれており、津髙さんがお声をかけて下さったお陰で、計らずも私にとって、モノクロ写真の自分史となりました。


 ともあった。ともあれ、以下に、句のみなるが、いくつかを挙げておきたい。写真を見るだけでも堪能できるので、興味をお持ちの方は、是非、直接、本書にあたられたい。


  建国日富士には煙突よく似合ふ           里永子

  伊勢まゐり白き儒艮(ジュゴン)に会うてから

  弁当の飯凍てちまふ椅子持つて来い




   
 根元竹折れてゐる涅槃かな
 活動の起点目高の目の高さ
 真鶴の三羽ゆふぐれ二羽ひぐれ
 垂れてひらかず涅槃図の孔雀の尾
 童顔の放哉(ほうさい)がゐる月夜の白湯
 羅(うすもの)を脱ぎて草臥(くたびれ)儲けなり



  大根の花あきらめずしたがはず
  敬老の日の腰高きオートバイ
  薄紅葉あやまるときは手をついて
  涅槃会のころの引越さわぎかな


 津髙里永子(つたか・りえこ) 1956年、兵庫県西宮市生まれ。
 荒川健一(あらかわ・けんいち)1948年、神奈川県横浜市生まれ。




★閑話休題・・津髙里永子「木枯を聴く耳ことば聴かぬ耳」(「ちょっと立ちどまって」2022.12)・・


 「ちょっと立ちどまって」2022・12は森澤程と二人による、一ヶ月に一度の葉書通信。それぞれ5句ずつの発表である。

   奥山に忘れ物あり六林男の忌      森澤 程
   仰向けに置きて冬日の散蓮華     津髙里永子



          芽夢野うのき「赤き実を啄む少女の息は青空」↑

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