2015年9月26日土曜日

川名つぎお「日だまりの石を記憶の秋の蝶」(「豈」東京句会)・・



隔月最終土曜日は「豈」の東京句会(第126回)である。
以下に一人一句を・・


   草は穂に廃村国道むら雀         川名つぎお
   秋の空理由もないがやまびこ      小湊こぎく
   すれ違うだけなのに白さるすべり    吉田香津代
   金木犀戦ぎはじめるさびしい手     羽村美和子
   沐浴の父に月光脆く差す         福田葉子
   月山に月読男出でませり         早瀬恵子
   曼珠沙華茎根凶変たなごごろ       照井三余
   目覚めてはアルツハイマー〇の中      岩波光大
   白秋の鳥いる朝のひかりかな      大井恒行

次回11月28日(土)は恒例の忘年句会(場所は従来の白金台いきいきプラザではなく、白金高輪「インドール」・・・(それまでには攝津幸彦記念賞も決まっているでしょう)。  


2015年9月22日火曜日

岡田史乃「歩く人皆春光の塵となり」(『ピカソの壺』)・・・



近年の句集は「後記」に色々書き連ねる人が多い。短い「後記」といえば、愚生などはすぐにも飯田龍太を思い浮かべたりするが、なかなかどうして岡田史乃『ピカソの壺』(文學の森)の後記も短く、実に気持ちがいい。以下がすべてである。

 『ピカソの壺』は私の第四句集です。お目通しいただければ幸いです。
     
             平成二十七年六月二十日
                                  岡田史乃
句集名は、序句の、

   父からのピカソの壺や夏立ちぬ        史乃

によっている。

  一条九条岡田てふ蜃気楼

この句は愚生には難解だが、魅かれる。誤読を恐れずにいうと、「岡田てふ」は夫君・岡田隆彦のことではなかろうか、と思ったりする。愚生の世代にとっては、岡田隆彦は吉増剛造らと並んで現代詩人のスターであった(若くしてと言ってもよい享年58だ)。その詩人に『史乃命』という詩集がある。上句の「一条九条」は日本国憲法であるとしたい。一条は、もちろん、主権は国民の総意による象徴天皇。九条は、いまもっともかまびすしい戦争放棄、交戦権否定、戦力の不保持の平和主義。それらはすべて蜃気楼、いわば逃げ水であるといっている。それゆえ愛おしい。逃がしてはならない何かなのである。「春の章」の最後には「蜃気楼見えるかぎりは私ぞ」の句が置かれている。
蜃気楼とは幻影のことか。岡田隆彦の詩集『わが瞳』の「大股びらきに堪えてさまよえ」の冒頭には、

   道を急ぐことはない。
   あやまちを怖れる者はつねにほろびる。
   明日をおびやかすその価値は幻影だ。

と、あった。
話は変わるが辻村麻乃が岡田史乃(「篠(すず)主宰」)の娘であると知ったのはつい最近のことである。
ともあれ、以下にいくつか、愚生好みの句を挙げておこう。

  木の枝も棒切れもなく囀れり
  埃つぽい機嫌でありし羽抜鶏
  物言はばいよいよあやし花菖蒲
  着ぶくれて鏡天井皆仰ぐ
  茶の花のこぼれはじめし坂の家
  鬼を追ふ鬼のひとりが拾ふ豆
  母死せば荒神(あらがみ)悴むごとくなり  





                  ハナミズキ↑

2015年9月21日月曜日

岩岡中正「露けしや空に授かるものばかり」(『相聞』)・・・



句集『相聞』(角川書店)の著者・岩岡中正は露けしの人。露けしの句が目立つ。当然ながら露に関しての句は収録句462句のなかでも最多の季詞ではなかろうか。ざっと数えて約6%、30句近い。それは、たぶん淋しさがもたらしている。「さびしさをあるじなるべし」(芭蕉)とした詩歌の道である。

   秋時雨淋しさは山越えてくる         中正

である。

      三月三日 水俣川雛流し
   わが流離ここにはじまる雛流し

この句は巻尾の、

  水底に海霊(うなだま)の宮雛流す
  一炊の夢に雛を流しけり

の句につながっている。句姿の正しい句群だ。

  水仙に明治は高く香りけり
  その奥の後生の桜見にゆかな
  神の手をこぼれて滝の落つるなり
  花仰ぐ文学にまだ遠くゐて
  歩兵たりしを冬草の青々と

冒頭に露けしの人と言ったので(もっと言えば露けしの俳人格)、最後にそれらのいくつかの句を挙げておきたい。
 
  水音に二三歩行きて露けしや
  夢見しことも忘れて露けしや
  草は露人はことばをこぼしけり
  聖堂は祈りのかたち露けしや
    九月八日~九日 グリーンピア南阿蘇 
  わが身より離るる一語露けしや

  

                 ルリマツリ↑

2015年9月20日日曜日

飯田冬眞「時効なき父の昭和よ凍てし鶴」(『時効』)・・・



『時効』(ふらんす堂)「あとがき」によると飯田冬眞は小説家になりたかった時期があるらしい。
師事したのは秋山駿(2年前の10月2日に亡くなった。もうすぐ忌日がくる)。その師に「(小説家になりたいのなら)砂を噛むような生活を三年続けてごらん」「本物の文学は、みな砂を噛むような生活のなかから生まれてきたものだからね」「けれども、多くの人は、たったの三年すら無味乾燥な生活に耐えられず、喜びや楽しみを見つけて、小説など書く必要がなくなってしまうから」とあった。俳句を敗北の詩といった高柳重信は「君は俳句をやるほど不幸なのかね」と問ったが・・・。
そして、飯田冬眞は「今は、俳句も小説と同じように砂を噛むような生活や時間のなかから生まれてくるものなのだと思い始めています」という。
近頃の句集にはめずらしく作者と言葉の距離がほとんどない作品集であることは間違いないだろう。かつてもいまも多くの俳句作品は境涯に支えられている。だが、その等身大を乗り越えるとさらに、句境は拡がるだろう。
砂を噛むような生活はいましばらく続きそうです」と冬眞はいう。だが、それが、同時に、黄金の時期だったにちがいない、と、きっと振り返るときがあるだろう(それがなにより精神を支えている根源なのだから)。いまを手放すことなく生き抜いてほしい。愚生のように別の喜びや楽しみを見つけてしまわないように・・・。
集中の感銘句を以下に挙げておきたい。

   涅槃の日ぐわれきは海へまかれたり         冬眞
   海鳴りの父の帰らぬ雛の家
   うしろから闇に抱かるる遠花火
   闘牛の眼を赤く勝ちにけり
   雲の峰こんなものかと骨拾ふ
   痛みあるものから離れゆき朧
   村相撲砂にまみるる蒙古斑
   時効無き父の昭和よ凍てし鶴
   力抜くために入りゆく巣箱かな
   桃の日や母ひつそりと髪を染め
   表札にアルファベットやエリカ咲く
   燕来る父を詠まざる死刑囚
   乳房あるマリアおそろし絵踏かな

愛と期待のこもった序を鍵和田ゆう(禾+由)子がしたためている。
献上一句。

   時効無き昭和の父母に冬のまことよ           恒行
   
飯田冬眞(いいだ・とうま) 昭和41年札幌市生まれ。


                マンジュシャゲ↑

2015年9月19日土曜日

強行採決ゼッタイ反対!国会前で江里昭彦に会った・・・




今朝は、小雨がちだった昨夜とは打って変わって、青空が広がっている。
たまたま先日の旧友の誘いで再び、戦争法案廃案!強行採決ゼッタイ反対!の国会前に、勤務が終わってから出かけて行った。
勤務での建物巡回の歩数と合わせると万歩計は帰路1万5000歩になっていた。
でも、思いがけないことがいくつかあった。
なかでも最大の感激は、山口県宇部市から来た江里昭彦に会ったことだ。
愚生が、国会前のステージ近くから帰りはじめてしばらくしたら、愚生の名を呼んだ者が居た。
なんと江里昭彦ではないか。彼の一声は「こんなにたくさんの人のなかでよく会えたね!」(主催者発表4万人超)。
思わず硬い握手をして、久しぶりだなあ!と抱き合わんばかりで、写真をとってもいいか、というと、いいと言う。近くにいたご婦人から、一緒に撮ってあげましょうと声がかかった。夜だったので、少しぼけたが、よい記念になった(江里昭彦は8・30にも国会前に来たという)。
愚生らの70年安保闘争時ともっとも違うのは、女性の参加者が圧倒的に多いということ。熱い高齢者層、赤ちゃんを背負い、子どもの手を引いているヤンママ、そしてシュプレヒコールではなく、若者主体のコールがラップ調で、音楽的リズムに乗り、ある種のハイテンションを創り出していること、そして、非暴力直接行動を原理としているということだろうか。


                                                                  江里昭彦と・・↑
                       
江里昭彦は、上野ちづこ(千鶴子)とともに「京大俳句」の最後の編集長を務めた。
のちに愚生と共に「未定」創刊同人。現在は「鬣」の同人でかつ、「ジャム・セッション」という個人誌を出している。確か今月号の「俳句四季」に作品16句が掲載されていた(先日、府中啓文堂で立ち読みした)。
彼の若き日の句を以下に(『ラディカル・マザー・コンプレックス』)。

   触れ合って脚動かさずバリケイド      昭彦
   母を恕さむ 冬の樹立の〈律〉正し
   国旗まで垂らし真夏の義足店
   波波波波波あ首波波
   では、後から前から三菱銀行遊び
   コミュニズム水で割ったらイタリアン
   二枚舌だからどこでも舐めてあげる

で、愚生を集会に誘ってくれた旧友は、帰りに愚生の持病についての録画DVDをくれて体を大事にと言ってくれたのだった。




         

2015年9月17日木曜日

伊丹三樹彦「詩を書いて一生(ひとよ)の綿々 蝸牛」(『写俳亭俳話八十年』)・・・



伊丹三樹彦、1920年、兵庫県生まれ、95歳、現代俳句協会では金子兜太と並んですこぶる元気だ(病を克服して・・・)。『不亡一枚連結便③写俳亭俳話八十年』(青群俳句会)。

育った家は金物屋。養父母が読んでいたのは「キング」や「主婦の友」。文芸書などは見付からなかった。なのに、小学生の頃から詩歌集を好んだ。十代二十代では、「旗艦」や「新映画」への投稿に励んだ。徴用令での軍属時代は戦車隊の建設現場に出張し、大工や土方の監督をした。だが、合掌屋根の鋲打検査にはビビッて、見上げてばかりいた。

また、「京都での学生俳句デモ」の項には、「京都駅前での現代俳句派のデモを敢行した話」。

 高揚した輪に、伊丹公子まで飛び入りしたこと。そのリーダーは坪内稔典だった。彼の大学時代だから四十年ほど前になるか。俳句デモなんて、俳句史にもなかったこと。当時は学生だった伊丹啓子も呼掛人になって東西に学生俳句連盟が出来た。澤好摩、穂積隆文らは青玄のスターで新人クラブを代表した。俳都松山でも集会をしている。私はデモ連中に担がれボス扱いを受けた。古都の京の人々は眼を丸くしていた。


のエッセイの後半に青玄の中川浩文と出てくるのが、愚生が京都時代、関西学生俳句連盟の句会で、7~80人はいただろうか、その選者として来ていた中川浩文が、誰一人取ってくれなかった愚生の句を唯一特選に選んでもらった記憶だけはあって、後日、調べたら「立命俳句」7号の「地底すむ流浪の目玉蟹歩む」だった。

そして、その坪内稔典から「三樹彦百句他解を出したいですねと嬉しい便りが来た。彼は私の処女句集『仏恋』の編集者であり、アイデアマンである」ともあった。

  誰かわざや天衣あかるむ花菜など         三樹彦
  杭打って一存在の谺呼ぶ
  長き夜の楽器かたまり居て鳴らず
  いま死なば すべてが反古の冬ごもり




2015年9月16日水曜日

佃悦夫「鳴る神と成り余るものともに鳴る」(『赤ちゃん』)・・・



佃悦夫、昭和9年、静岡県伊東市生まれ、81歳。重ねた年齢のイメージからすると、変わった句集名であると思う。その『赤ちゃん』(現俳句協会)について、「あとがき」に記している。

 句集名『赤ちゃん』は筆者にとって、赤ちゃんの存在を鏡のように己れの意識としている只今の謂でもある。

 集中の赤ちゃんは、

   柳絮浴ぶ赤ん坊を原野といえり             悦夫
   赤ちゃんの螺旋構造霜柱
   満月は生き体であり赤ん坊              
   赤ん坊とたんぽぽの絮スパークす
   赤ん坊いきなり初日鷲掴み
   霜柱歯牙瞭らかな赤ん坊
   赤ん坊真昼の鵙と大笑い
   
   
佃悦夫は昭和37年「海程」2号より入会し、同人。「海程」一筋の人である。
愚生は、昨年まで、現代俳句協会新人賞選考委員を務めたが、その時、お世話になった大先輩である。昭和51年第23回現代俳句協会賞を受賞している。

  ウサギ飼い身に清潔な水たまる
  新鮮なさすらいに似て草刈り場

集中の前書きのある句は捨てがたい。
    
      母よ(三句)
  スイトンを作りし乳房涸れ尽くす 
  白息をしつ割烹着飛び去りぬ
  枯菊の紛れし骨をひろいけり

以下に興味を抱いた句をいくつか挙げさせていただく。

  パラソルを一〇八回転しても此岸
  冬の山熟睡児は羽納め切り
  ながむしの屍無限大記号して
  外されて月光とあそぶよだれ掛
  あめんぼうという水面の過客かな
  大寒や児は跳縄に縛されて
  ずぶ濡れて案山子は輪廻の途次である 




                                               ハナニラ↑