2020年2月7日金曜日

妹尾健「耳袋はずして老人話し出す」(「コスモス通信」とりあえず22号)・・



「コスモス通信」とりあえず22号(発行者・妹尾健)、今号は「高齢社会と俳句」と題しいる。

 俳誌「韻」三十一号に川名大氏が「髙柳言説とホビー俳句」という文章を寄稿されている。たいへん示唆に富んだ一文であるが、気になる部分があったので、少し書いておきたい。

といい、次のように記している。

 ここで、私が気になったのは「高齢化社会を背景に」と川名氏がのべておられるところである。我々が当面している社会が高齢社会であることは勿論であるが、それを「背景」にしてホビー俳句の浸蝕が生まれたというのは本当であろうか。むしろ我々の当面している社会は、高齢化を「本質」としているのではないか。その「本質」がホビー俳句なるものを招来しているのではないか、と私は思うのである。つまりその「本質」が余暇を利用して積極的に俳句にとりくむものを意味しているということである。それは高齢社会を生む平均寿命の伸長、医療制度の普及による健康体制の整備、各種の社会制度の完備(完全でないことはいうまでもないが)によってこれまでの「背景」はむしろ「本質」になっているのではないか。インターネットの普及は、旧来の知識量を大幅に拡大しそれは各種の分野に及んでいる。これまで知識を得るための努力はたちまちのうちに自分のてもとに届く事態になってきたのである。俳句もまた変容を迫られた。川名氏のいわれるホビー俳句もまたこの高齢社会の「本質」の影響下に出現してきたのである。同時に川名氏が理想に掲げる髙柳言説(これが言語至上主義の歪曲的受け取りによる誤解の産物だと川名氏は反論しているが)と対峙するものとなったのである。(中略)
 高踏的な悪態をもって現代大衆社会に対峙されることは壯とするも、いかんせんそれは本質によって作り出されてくるものなのだ。それには抵抗の方途がいる。具体的な方法がいる。いうまでもなく、俳句は大衆の文学である。俳句を作るに人間が現代大衆社会の本質にしたがって作っていく俳句が大衆の支持を受けるとすれば、現代社会の体制に順応するかたちとなるのは当然である。だが、問題はここにある。(中略)

 としながら、妹尾健は、「私についていえば、やはり俳句の目標は、戦後の俳句」と述べ、西東三鬼「広島や卵食ふとき口開く」や秋元不死男「多喜二忌や糸きりきりとハムの腕」や桂信子「手袋に五指を分ちて意を決す」などの俳人・作品各5句を挙げている。

ともあれ、以下に彼の「句日記」と題された句の中からいくつか挙げておこう。

  冬晴れに妻の機嫌の高き声       健
  一月のあれこれ思う間もなく去りぬ
  侘助や声高となれば制止さる
  二月来る一日はまず碧梧桐来
  懐炉灰男は腹に虫を持つ





★閑話休題・・・坂場章子「月今宵かの地にもかの人らにも」(「鴫」12月号より)


「鴫」12月号「看經抄」に10句選と短評を寄せたのでそれを掲載しておきたい。タイトルにあげた句は愚生の特選句である。 




*①  月今宵かの地にもかの人らにも      坂場章子

 ② 繋ぐかに沖へ向くなり鱗雲              山﨑靖子

 ③ へうたんは羅睺羅の有漏のかたちとも   荒井和昭

 ④ かまつかや「こんにちはあ」と下校の児  田村園子

 ⑤ 川音の満ち蜻蛉の浮かび来る       髙田令子

 ⑥ 白拍子めく秋蝶の消ゆる蔭       山口ひろよ

 ⑦ 被災せし犬を預り星月夜         三木千代

 ⑧ 落し水いきもののやうに匂ふ夜     みたにきみ

 ⑨ 何処曲がつても花すすき花芒       江澤弘子

 ⑩ 喪の家の二階に灯鉦叩         佐佐木秀子    



■➀あまねく世界を照らしている名月。災厄に遭った人達の遥かな地へと思いを馳せ、救いを願う句。②「今も沖には未来あり」だ。③下句「羅睺羅の有漏のかたちとも」とは、力技の表現。④葉鶏頭の鮮やかな色彩と元気な子どもたちの声。⑤川音には蜻蛉の薄羽を操る風も水もある。⑥白拍子は遊女の異称、儚さがただよう。⑦星月夜こそうれしかれ、とも言う。まして、夜の明けるのを待つ意もある。⑧上五「落し水」で切れるのか、切れずに繋がるのかで、句の趣が違うが、後者で読んだ。⑨見事な花芒の世界が広がっている。⑩二階に灯る明かり。喪中に鉦叩で哀傷が深い。


      



撮影・鈴木純一 酒田のマンホール ↑

2020年2月6日木曜日

堺谷真人「心臓が無くて傀儡の秋思かな」(「一粒」第92号)・・・



 「一粒」92号(一粒俳句会)の特集は「俳句と神話」、湖内成一・堺谷真人・鈴木達文が筆をとっているが、「豈」同人でもある堺谷真人「俳句の神話ー『翁』をめぐって』は、小見出しに「神話の多義性」「芭蕉の実年齢と『翁』イメージ」「若くして『翁』となった芭蕉」「詩歌史における『翁』の先駆形態」「神話的表象としての『翁』」「結びに代えて」とあり、本格的な論考である。その中から、興味ある視点が記してある部分を引用紹介したい。

 ■芭蕉の実年齢と「翁」イメージ
 (前略)一八〇六年のこと、朝廷は「古池や蛙飛こむ水のをと」の句に因んで芭蕉に「飛音明神」の神号を賜った。下って一八八五年、明治政府は神道芭蕉派と称する宗教団体「古池教会」を認可している。後年、正岡子規が月並宗匠と呼ぶことになる旧派の俳人たちが芭蕉を神聖視した、神格化したというのは決して誇張や譬喩などではない。社会的実質を伴ったものだったのである。 

■詩歌史における「翁」の先駆形態
 ところで、季吟撰の『武蔵曲』序文は二つのことを端無くも示唆している。
 一つは俳諧精神の故郷としての老荘思想への傾倒である。(中略)「逍遥遊のおきな」というのは、超俗と自由を希求する俳諧精神の擬人化に他ならない。ここで注目すべきは「此しまは世界のまんなかなれば」の一節であろう。
  南海の帝を儵(しゅく)と為し、北海の帝を忽と為し、中央の帝を渾沌と為す。(中略)分別智未成以前の生けるカオスを象徴する渾沌は、まさしく「中央=世界のまんなか」に位置する存在なのであった。季吟が「あまりにも上手過るをさらへり」と書くとき、それは滑稽ひいては俳諧が必要とするカオスへの志向と作為・技巧に惑溺することへの鑑戒をふたつながら含意しているのかもしれない。
(中略)二つ目は、 文学論が「翁」との問答体を借りる点である。(中略)ここにおいて『筑波問答』の「翁」は漂泊をその本然的存在様態とする何者かであること、反復来訪するマレビトであることが明らかにされる。

■そのそも能楽において「翁」は別格の特別なそんざいである。だが、禅竹は大胆にも宇宙の根源にこの「翁」を措定してしまった。そして、住吉大明神、春日大明神、諏訪大明神などの諸仏神、祖師、人麻呂、業平、秦河勝から末は一座の棟梁に至るまで、すべてを「翁」の本体、化現もしくは死者であると主張するのである。

■結びに代えて
以上、芭蕉のイメージとしての「翁」、連歌伝承における「翁」、そして能楽において神格化された「翁」についても概観してみた。結果、改めて感じたのは、生前も死後も「翁」と呼ばれたことが、芭蕉が俳諧連歌の神々の系譜に連なる上で決定的なアドバンテージを与えたということである。能面が表象する「翁」と「白髪白鬚」の老人に描かれる芭蕉。両者は神話的表象の世界で近接あるいは部分的に融合し、漂泊する神、智慧をもたらすマレビトという性格を帯びるに至ったのではないか。

 ともあれ、本集より、一人一句を以下に挙げておこう。

  多角形のパスタゆがいて秋ですよ      湖内成一
  小春日やどこかでガラス割れる音      鈴木達文
  糸電話くぐもることも秋の声        堺谷真人
  乳母車囲いて昏るる雪螢         中井不二男
  痒き部位痛き部位あり霧の日々       中村鈍石
  釣り具肩に秋風を切るオートバイ      牛島海平



撮影・鈴木純一 春の缶詰 ↑

2020年2月5日水曜日

佐藤日田路「冬銀河わたくしというえねるぎー」(『不存在証明』)・・



 佐藤日田路第一句集『不存在エネルギー』(俳句アトラス)、跋文は林誠司、その中に、

 この『不存在証明』は四季別に作品がまとめられているが、各章毎に「楽章」「輪舞」と分けられ、「輪舞」には数句毎に「タイトル」が添えられている。これは「タイトル」を含めて、一連の作品群の、”言葉の響き合い”を味わっていただきたい、という意図からである。この少し変わった表現手法は、彼がこれまで特定の俳句の師をもたず研鑽してきた、ということもあろうが、歌人の父、詩人の母の元に育ったということも大きい。

と記されている。表紙の写真も著者自身ものだが、著者「あとがき」には、

 誰しも、己の死と向い合うときが来る。小学五年のとき、このいま母が死んでいないか不安になった。間もなく、自らの死を想像するようになたt。そのとき私の肉体も意識も永遠に無くなる。恐怖の余り拳で風呂場のタイルを撃った。痛みが、恐怖をしばし紛らわせてくれた。
 父は歌人、母は詩人だった。私は十代から詩を始めた。詩には、俳句のような表現上の制約がない。その分、内面を露出することになる。得体の知れない自己表現の願望と自己嫌悪が混在していた。

とある。集中に、次のくがあるが、

  アネモネや姉は美しモネは眩しき     日田路

この句は、愚生には、攝津幸彦の、

  姉にあねもね一行二句の毛は成りぬ    幸彦『鳥子』(1976年刊)

の句が思い起こされるが、この句の改作前、『姉にアネモネ』(1973年刊、攝津26歳)のときは、

  姉にアネモネ一行一句の毛はなりぬ

だった。再録時に「一句→二句」改作されたのだが、4年の月日が経っている。句の難解さからいえば、攝津句になろう(攝津のもっとも難解だった時期の句だから、やむを得ない)。ともあれ、以下に『不存在証明』からいくつかの句を挙げておこう。

  十六夜のちちこんこんと老いてゆく
  上あごに海苔がくっつくだれか死ぬ
  崩れざるもの陽炎の真ん中に
  ふつふつと花積もりゆく完新世
  長生きを生業として春の象
  合掌を沖へとひらく平泳ぎ
  更衣人のままではおそろしい
  下駄箱はたまに私書箱秋夕焼
  
 佐藤日田路(さとう・ひたみち) 1953年生まれ。




★閑話休題・・大木あまり「短日のまぶた押さへてもの申す」(「雲」第73巻)・・


 「雲」第73巻(編集・発行人 伊藤眠)、伊藤眠おられる。掲載されている俳人の中で、幾人かお会いした方もいらっしゃるので、その方々の一句を挙げておきたい。

   鶏頭や風にも険があると言ふ      大木あまり
   ひやわいと呼ぶこの路地乱歩の黒マント  大西健司
   蕎麦食べて年の終りを啜り込む      川名将義
   千人の歌声一陽来復           劒物劒二
   朝の陽や犬が転がる無垢の雪      加賀谷三棹
   梅東風や横須賀港の果て辺野古      織本瑞子
   氷る旗振りたる父を恋いにけり      秋野美広
   鳴き竜の天衣無縫の柳の芽        椿山静女
   背中からひとは乾いて大花野      なつはづき
   銀河にも誕生と死よ火酒あおる      伊藤 眠




2020年2月4日火曜日

宮本佳世乃「手荷物にする骨壺とフリスクと」(『三〇一号室』)・・



 宮本佳世乃第二句集『三〇一号室』(港の人)、このところ港の人から上梓される若い人たちの句集には、序文や跋文も帯もなく、当然ながら惹句もない。まして自選〇〇句というのも無く、シンプルなものが多いように思う。帯の惹句や自選句が載っていたりすると、愚生のようなものぐさ、面倒臭がり屋は、それでもう、句集を開かなくても、そこに最も良い作品が載っているのだろうと思って、中まで読まなかったりする。これに、もし、略歴がなかったら、読者には、句を読むしか手だてが残されていないということになる。それだけ、作者の、あるいは作品についての謎が多くの残されるということになるはずだ(作者は句だけ読めと言っているのだろう)。
 本集には、集名に因むような「三〇一号室」の作品もなく、しいて言えば、「あとがき」にある、

 雪の外階段を上がって見学に行った新築物件に即決を出したのは一月下旬だった。(中略)部屋は幾度か四季を迎えたが、わたしはもういない。

 とある、その部屋のことなのかも知れないが、そこには彼女はいない。いわば、謎の集名なのであるが、集中の作品には、謎めいた句はない。そして言う。

 濃淡の差はあれど、体験は意味となり、私の経験として蓄積されていく。ときが来ると、俳句になることもある。もちろん、俳句になったからといって救われるわけではないけれど。

 淡々と日々を過ごしていたら、ずいぶん遠くまできてしまった。
  この冬も、雪は降るだろうか。

ともあれ、集中よりいくつかの句を挙げておこう。

  葉牡丹の奥のうたごゑあたらしき     佳世乃
  繭玉のなかはまぶしき影の浮く
  木蓮の濡れ階段室へ夜空
  紅蓮しづくの逃げてゆきにけり
  夏川をあがりしばらく川の足
  瓦礫撤去やや進みひまわり高く咲く
  棉吹くとこだま返ってきたる家
  矢印は左右に岐れ枯木山
  風吹いて雪のきのふが光りだす
  大学に食堂のある日永かな
  みづうみのひらくひばりのなかに空
  死の蟬を覆つてゐたる蟬時雨
  空蟬の掴む時間のやうなもの

宮本佳世乃(みやもと・かよの) 1974年、東京生まれ。


撮影・鈴木純一 立春吉報 ↑

2020年2月3日月曜日

遠山陽子「梟や肉がくれなる尾骨恥骨」(「弦」第42号)・・



 「弦」第42号(弦楽社)、表紙裏には年賀の挨拶がしるされている。遠山陽子「平成から令和へ 二〇一九年」のおよそ百句が、冬・春・夏・秋と巻頭にある。論考は齋藤愼爾「アカルサハ、ホロビノ姿ー現代俳句の〈現在〉」、そして、遠山陽子の句を読んだ福田若之「『赤』の平成、『白』の令和ー色彩を読む」、また、今泉康弘「肛門と傷兵ー三橋敏雄における徴兵」、巻尾は遠山陽子「三橋敏雄を読む(5)」。執筆者それぞれの特質と鋭さがよく出ている。齋藤愼爾は、最近、深夜叢書社からも多数の著書がある原満三寿に、しきりと「私より一歳年下でありながら私淑している」「兄事している」と言っている。もとより原満三寿は、かつて金子兜太が「海程」を同人誌から結社にするといったときに、「海程」を辞した人だ。その後「ゴリラ」という雑誌を出していたし、金子光晴研究では、第一人者だった。愚生と違って、酒はめっぽう強かった。多賀芳子宅での句会では、谷佳紀とともに注目の人であった。ワヤンの公演では、会場で偶然にお会いしたこともある。先般の句集『風の図譜』(深夜叢書社)には、句もさることながら、中の詩編には、金子兜太晩年の交誼の復活、名はイニシャルだったが、明らかに多賀芳子の葬儀にまつわる描写など、胸を詰まらせた。
 福田若之は、遠山陽子「大寒や鷹の脳(なずき)の黒からむ」の句について、

 この句を前に、鷹の遺骸を引き裂いて、「実際の鷹の脳の色はー」などと語ってみてもはじまらないだろう。高屋窓秋が《頭の中で白い夏野となつてゐる》と句にした、あの「白い夏野」と同じことだ。「鷹の脳」は、おそらく、大きさやかたちさえ不明なまま思い描かれているにすぎない。見えてなどいないのだ。おそらく、そのことによって、一句の言葉は、読み手にそっと寄り添ってくれている。「鷹の脳の黒からむ」と想像するのと同じようにして、「黒夕日」のことを思い浮かべればよいのだろう。

 と記している。最後に、比較的若い世代で、現在、新興俳句について、資料をもって語らせたら、彼の右に出るものはいないだろう今泉康弘は、

 (前略)だが、三鬼は傷兵の句を作っていた(『西東三鬼全句集』未収録)
公園に傷兵を残し夜の薔薇   三鬼  『朝日新聞』一九四〇・五・十   
 この句には傷兵が描かれている。しかし、ここには白泉及び敏雄の傷兵の句とは異なるものがある。三鬼にとって傷兵は「見」る対象である。(中略)三鬼は傷兵に対して、戦時下の不穏さを表わす光景と見なし、違和感を感じている。さらに「夜の薔薇」という一種ロマンティックで官能的なものを配している。(中略)三鬼はそうやって状況への違和感を表現した。したがって、三鬼は傷兵にみずからを重ねたのではない。その点が、白泉・敏雄の傷兵の句と異なる。 

 と述べている。つまり、渡邊白泉「傷兵とともに寒天をかぶり歩む」(「俳句研究」一九三九・一年)、三橋敏雄「傷兵に遭ひ別れたり落暉蹴る」(「セルパン」一九四〇・十)と描かれた傷兵は、

 自分と「ともに」存在するものであり、同じ暗澹たる「寒天」を戴いていく存在だ。このように傷兵と自分を重ねること。これは自分もやがて徴兵されるだろうという不安によるものであり、「赤紙(召集令状)の恐怖に内心つねにおびえている」ことである。

 であったのだ。ともあれ、以下に、集中の遠山陽子の句より、いくつかを挙げておこう。

  心筋のどこか軋みて初氷         陽子
  睡眠剤に薔薇の花粉の混じりをり
  散る花や縄文土器に蓋のなく
  梅雨の世へペットボトルのごとんと出る
  下総や地図にはあらぬ夏霞
  紅葉かつ散るがんばらないがんばれない



2020年2月2日日曜日

内田麻衣子「はじき豆ひとにも豆にもあるバルナ」(『私雨』)・・



 内田麻衣子第二句集『私雨(ほまちあめ)』(ふらんす堂)、序は高山れおな、愛惜の跋は鈴木明。内田麻衣子の23歳、2001年刊の第一句集は『好きになってもいいですか』、第2句集『私雨』は2002年から2019年までの335句を収載。制作年には、これも珍しい自身の年齢が付されている。従って巻尾は41歳・2019年作の集名に因む句である。

  私雨(ほまちあめ)根岸子規庵裏・異界   麻衣子

 序のなかで、高山れおなは、

(前略)〈若い女性の心理を、繊細で時にリアリスチックに、私小説ふうに仕立てた句集〉というのは、、彼女の師である鈴木明氏が第一句集に寄せた序文の一節だが、おそらく第二句集についても、はた目にはかならずしもそうは見えない句も含めて、濃厚な心理の記録であるような意識が作者の側にはあり、それが年齢表示に対するこだわりになっているのかも知れない。

 と述べている。また、「私雨」の句については、「根岸子規庵・裏」が日本最大級のラブホテル街ということを記したのち、

 (前略)いささか異色の場所を故郷かつ現住所とし、同時にそこが聖地としての意味を持ってしまうような俳句という遊びに深入りしている自分をあらためて発見している句――このような作品をそんなふうに読むことはできないか。とすれば、私雨という単語を選択する上で重要だったのは「ほまちあめ」という優美な音ではなく、「私」という文字の方であったにちがいない。
 右のようなうけとり方は、あるいは深読みのそしりを受けるだろうか。だが、私は巻軸という特別な位置に据えられた一句に「私ー子規―異界」という文字のつらなりを見て、そこに彼女の決意の表情を感じないわけにはいかないのだ。それはくだんの異界に住んでこそいないものの、やっぱり聖地だと思っている、少しだけ先輩の友人である人間の直観というものです。もちろん、その決意のなかでの異界は、ネオンの光が氾濫する地上世界のそれではなく、俳句という文字がひらく別世界という意味に転じているだろう。内田麻衣子の俳句は、これからさらにおもしろくなっていくにちがいない。

 と、記している。ともあれ、愚生好みになるが、いくつかの句を挙げておこう。因みに、本集の装幀は和兎(この人の装幀をふらんす堂以外でも見たいものだ。俳句関係以外の版元なら、アリだと思うのだが・・)。

  ひとりよがりの蟬が泣いてる 嫌だ   27歳 2005年
  初御空他国はウラン育ててる      28歳 2006年
  平凡にみごもれる人花八ッ手      30歳 2008年
  作ロダン抱擁もあり雲の峰       31歳 2009年
  おさる算的に生まれて花衣       32歳 2010年
   東日本大震災
  拐引す津波カオナシ手真っ黒      33歳 2011年
  平和度指数クリアファイルに赤い羽根  34歳 2012年
  突くほどに民意は揺れるところてん   36歳 2014年
  臨月の出べそ冬菜の被曝量    
  0歳のはだか尻頬かカチョカバロ    37歳 2015年
  愛の結晶とは夜の怪獣しわぶく児
  死刑速報マルチビジョンの蝶交尾    38歳 2016年
   親友、千鶴逝去 四十歳 悼
  死ぬ君が一番さみしい日覆い垂れ    40歳 2018年
  白鳥母似火箸のような頸をもち
  薔薇の芽のすきま暗澹テロルの芽    41歳 2019年
  
 内田麻衣子(うちだ・まいこ) 1978年、東京生まれ。


       撮影・鈴木純一 ミツマタ咲かないという選択 ↑

2020年2月1日土曜日

眞鍋呉夫「逢へぬ身は日々透きゆくと雪女」(『眞鍋呉夫全句集』)・・


      沼津・大中寺での句碑開きの折の揮毫・呉夫77歳。 ↑
         句碑の句は「花びらと水のあはひの光かな

 『眞鍋呉夫全句集』(書肆子午線)、全句集の跋は髙橋睦郎「雪月花の人 跋に代えて」、栞には、上久保正敏「虚空に書くー眞鍋呉夫先生断想」を除いては、再録、那珂太郎「眞鍋呉夫の句」、粟津則雄「『雪女』について」、種村季弘「大いなる眼に見られをりー眞鍋呉夫句集『雪女』のために」の四名。 
 愚生が眞鍋呉夫(天魚)と会った最初は、関口芭蕉庵の連句会で、天魚の弟子の浅沼璞に連れて行かれた時である。まだ句集『雪女』を出される前のことだ。俳諧誌「水分(みくまり)」を出された頃だったのではなかろうか。ご自宅に伺ったこともあった。つまり、二十年前の話だ。『雪女』が第30回藤村記念歴程賞を受賞した折のお祝いの会には、たしか俳人の姿は見えなかった。全句集をいただいて、没後8年が経ったことに、少し驚いている(享年92)。いつだったか、正木ゆう子と三人だったときに、眞鍋呉夫が、しきりに、正木ゆう子のことを、「このひとは僕の雪女です」と言っていたことを思い出す。
 上久保正敏が記している、

 戦争について、芭蕉の「造化にしたがい、造化にかえれ」という日本の詩歌の根底に流れる「不戦だから不敗」という絶対平和を語られた。先生は戦後「絶對平和論」を書いた保田與重郎とは、彼の晩年親しくなられた。

 ことも、愚生は幾度か聞いた。絶対に読めと言われた『絶対平和論」も手にした。また、髙橋睦郎は、

 (前略)これを言い換えれば、眞鍋呉夫は恋・死・友の詩学をもって雪・月・花に代表される季題・季語の本意を生涯かけて攻めつづけた人。その結果、彼の俳句は俳諧史に空前絶後の戦慄を得た。ここでいう戦慄とは、十九世紀フランスに於いてヴィクトル・ユゴーがシャルル・ボードレールに献じた「君は詩に戦慄をもたらした」に沿う意味での戦慄である。詩に戦慄とはともかく、俳句に戦慄とは!私見をいえば、霊肉が死とすれすれの恋、むしろ性愛に遊ぶとき立ちあがる波動のごとき何ものかではあるまいか。古典語の恋が現代語の性愛に近いことはいまさらいうまでもあるまい。

 と述べている。ともあれ、本全句集から、補遺と既刊句集未収録句の部分よりいくつか以下に挙げておきたい。

  花柚(はなゆ)の香さびしくなれば眠るなり      呉夫
  亡き戦友(とも)の手をひいてくる雪女
      雪女同じところにある黒子     
  雪女抱けば死ぬとは知りながら
  秋空に人も花火も打ち上げよ
  枯木がひとり だから夜空に風が鳴るのだ
    母よりの便りの中の句「防人のたよりとだえつ衣(きぬ)つづる 織女」
    への返し
  母が守(も)る國のまほらも雪積むか
    昭和十八年一月二十八日早朝 西鉄大牟田線楽院ー平尾間の
    無人踏切にて矢山哲治轢死 享年二十四 それが自死なりしか事故
    なりしかも判明せずといふ島尾敏雄よりの急電に接して動顚なすすべ
    を知らず「わたしは鳥/もう一羽の鳥がよびかける夜が明けるまで/
    羽が休まるときまで翔けてゐませう」とはその遺作『鳥』が後半なり
  羽搏(はばた)きのかなしきまでに冴えかへる 
    未発表
  死水は三矢サイダー三口半
  月皓々空にも魚の泳ぎをり

眞鍋呉夫(まなべ・くれお) 1920年、福岡県生まれ。